« 2009年5月 | メイン | 2009年7月 »

2009年6月30日

ことば ~~時には毒、時には良薬~~

 諸刃の刃、と言う言い方をしますが、言葉にはまさにそう言った側面が強い、と思います。先日、友人からいただいたメールに、こんなことが書いてありました。

 「言葉は、人間の使う最も強い武器である」

 言葉を媒体として、お仕事(カウンセリング)をさせていただいている身にとってはまさに、その通り!と思うと同時に、さらに意識をした使い方をしなければ、と思うのでした。

 ちょっとした一言、その言葉自体よりもトーン、物腰、そしてタイミング。

 使い手と伝える相手との関係性によっては時に、致命傷となり得るシチュエーションも考えられます。

 しかし、言葉には、魔力のようなものもまた棲んでいて、言葉自体よりも深い意味を運んでくることも多々ある、と思います。

 行間を読む、と言う言い方をしますが、行間つまり、文字の書かれていないところに「書かれている本意」とでも言うか、媒体としての言葉を超えるメッセージ性がそこにある、ということだ思います。

 ところが、人間である私たちのコミュニケーションの多くは、言葉です。口から発する言葉、文面で見る言葉、色々あると思いますが、非言語(nonverbal)コミュニケーションと言うものは、まさにそう言った言葉では表現し得ない伝達方法だと思います。

nonverbal、つまり言語によらないコミュニケーションは、言葉自体を使わないというよりも、言葉を補完するものとしてうまく使うなら、武器にもなり、また毒にも良薬にも、甘いデザートにもなる。そう思います。

あれこれとお話を聞かせていただいたり、私自身も学んでいく中で、また日常の一こまで、伝えにくいこと、例えばあまりよくないことを伝える時に、どのように伝えるかはとても大切だ、と改めて感じています。

事実をそのまま伝えることが正義、正直、と言う向きもありますが、そこだけ捉えると「曖昧」な表現の中に、思いやりと真実をこめる、と言うことは、難易度が高いかもしれませんが、その人の時間や生き方に、息吹を吹き込むような気がしています。

どこかで、言葉を発すること自体が目標になってしまっていることが多い気がするな。その先にいる人や想いを感じることよりも。言葉はまさに、生殺与奪の鍵だ、と思います。

もしかしたら、伝えなければいけない事柄に、感情を感じすぎていて、それを抑えなければいけないと思っている時には、とても無機質な言葉・表現になるのでしょうね・・・時にはロボットみたいに。

「言葉」という道具を使わないと、伝えられないことがある。そして「言葉」だけでは伝わらないものもあって・・・歯がゆさは増す。

時間限定のある患者さんを担当しているある知人は、自分の時間の長さを尋ねる患者さんに、こう答えたといいます。

「そうですね、冬が来る前にしたいことはたくさんしておいた方が良いな。」

こう言った言葉を伝えられた側の患者さんのご家族とも、何度かお話しをしたことがありますが、はっきりした数字を聞かされるとどうも、その数字を考えてしまうようです。

そう言った・・・時間に限りがあるときこそ、ひと時ひと時が大切なのですが。

亡くなったある友人は、医療職だったので、自分の今の状態、治療、今後の成り行き、おそらくは最期にどんなことが起きるか、を共通の友人にしたためていました。

ちょうど、私と同じこの季節に誕生日を迎えるので、お祝いを伝えるために電話をかけたのが彼女の声を聞いた最後になりますが、「できれば早く会いに来て」と言う、遠慮がちな言葉が今も耳に残っています。

時は随分流れ、色んな方々に出会い、お話を伺わせていただく中で、「大切な人の時間を限られてしまった」時の、哀しみを聞くことも増えました。

ある友人は、「誰と過ごすか、が私には大事なの」と言い、最後の最後まで家族と過ごし、「おうちに帰ろうね」と言い残し、家族の頭を撫でていたそうです。

胃がんで亡くなったおばは、「みんながおいしそうに食べているのが、幸せ」と言いました。

一緒に住んでいた大伯母は、私の母に「あんたには、親にもならん世話になった。」と感謝を伝えたと言います。

ある知人は、主治医に柔らかに時間を告げられていたそうですが、自分はもうダメなのか、と言いながら、諦めない姿を家族に見せ続けました。そして、最後の力で座り、家族の名前を一息一息と共に呼ばれたそうです。

そんな風に名前を呼んでもらったご家族は、この世での姿をなくしてもいつまでもその存在を感じられるのではないでしょうか。

私の父は、これと言った暇を直接告げずに去って行きました。残された文章には、特に私に対しては極少な言葉だけでした。並べられた家族の名前の、一番最後に書かれていたような気がします。

時には敢えて「言わないこと」で気持ちを伝えることもあるけれど、たった一言、万感の想いをこめて、例えば名前を呼んだだけだとしても、想いは伝わるものだ。

今の私は、あらためてそんな風に思っています。

言葉をもって伝えることだけが、全てではありません。また伝えたいことを、今までに使わなかった言葉にしてみることも、素晴らしいことです。

言葉は時には武器、毒、そして薬だと思います。まさに、使い方で人を守りもできるし、傷つけることも。

言葉にしても、nonverbalにしても、一番大切なのは、どんな想いをもって伝えるか。それに尽きるのかもしれません。


投稿者 cseditor : 00:00 | コメント (1)

2009年6月23日

ネコに学ぶ

我が家には、ネコが居ます。
下の子が小学校の2年生の頃から飼い始めたネコです。
ミックスで血統とかも、全然解らないネコです。

離婚をして、子ども達と3人で暮らし始めて
私が仕事で遅くなることもしばしばある時
まだ、小学校の低学年だった息子が、少しでも寂しくないように
と、飼い始めたのがきっかけでした。

このネコが、いつもすごいな・・と感心してしまうのです。

子ども達も大きくなり、昼間は人が居ない毎日の我が家。
私も、もちろん仕事で出ています。
子ども達も、それぞれの生活があり、帰宅する時間も遅くなりがちで
ネコは、一人でお家でお留守番をしています。

ご飯をあげてから出かけますし、カリカリのエサも
置いては行くのですが、それでも、ネコは主人達の帰りが遅いと
何時間もの間、空腹に耐えて過ごさないといけない訳です
主にご飯をあげる係りは、私の役目なので
私の帰りを、とっても待っていることが多いのです。

仕事が遅番で帰宅をする日は、夜中の1時近くなることもあります。
そんな時でも、しっかりと待ってくれています。

私の足音が聞こえるのでしょう。
階段を上がり、我が家のドアを開けると、足元から
「ニャ~!ニャ~!」と言う鳴き声。
声も枯れんばかりに、鳴いています。

そうして、エサの催促で、私の足に絡まり、まとわりつき
ニャーニャーとアピール。
そうして、ようやくエサをもらえると、がつがつと食べます。
食べ終わると寄ってきて、ごろごろごろとノドを鳴らして
「ありがとう」と言わんばかりに、嬉しそうに擦り寄ってきます。

ネコって・・・すごいな。と思うのです。

私だったら、お腹を空かして待っていて
いつ帰ってくるか解らない人を待ってるのって、つらい
毎日、帰ってくる時間もバラバラで、
毎日、まだかな~って待たなきゃいけないって、つらい。

そうして、帰ってきてくれても、きっと
「もう!遅いやん!お腹空かして待ってるのん解ってるやん!
 ほんなら、なんで、もっと早く帰って来ないのよ!」とか・・
きっと言ってしまうに違いない。

ご飯をもらっても、ありがとうも言えないかもしれないし
ふてくされて、無言で眠ってしまうかもしれない

ネコって、それをしないのですよね。

何を当たり前な!と思われるかもしれませんが
「この一生懸命待ってた!お帰り!嬉しい!!!
 ご飯くれて、ありがとう!」ってだけの表現を
素直にすることが出来るネコって
すごいなぁ~と思うのです。

こんな風に、素直に甘えて、欲しいものを欲しいって言って
大好き、寂しかった。帰ってきてくれて嬉しい。
ごはんくれて嬉しい。ってだけで、表現されると
とっても愛おしく感じてしまうのですよね。

愛される秘訣って、案外、こういうことかもしれないって思います

ネコに学びます。ネコには、及びませんが・・・
今日より明日、少しずつでも、素直な自分になりたいなと思います。


投稿者 cseditor : 00:00 | コメント (0)

2009年6月16日

簡単に答えられない簡単な質問

娘が6ヶ月になりました。

離乳食が始まり、フンガフンガ言いながらスプーンに食いつく娘を見て、「ウチの娘だなぁ」「大きくなったんだなぁ」と、しみじみと喜びをかみしめています。

そのうち自分で食べるようになったり、歩き出したり、話し出したりしたら、どんなにうれしくてかわいいのかと、想像するだけでもニマ~ンとしてしまいます。


しかしながら、実際には自分で食べ出すとなかなか大変らしいですし、話し出すと何でも「いや!」しか言わなかったり「なんで?」「どうして?」と質問攻めにあったりと、大変なことも少なくないと聞いています。

その時を迎えると大変に感じることもあるでしょうが、今は、それさえも楽しみなのであります。

そして、質問攻めにあっても困らないようにするべく、今から備えをしているのであります。

これを読んでくださっている方の中には、気が早いと思われる方もいらっしゃるかもしれませんね。

確かに、まだまだ先の話です。だけど、僕にとっては決して早くはないのです。

それはどうしてかというと、聞かれた時に答えられない質問というのがいっぱいあるからなのです。


例えば、娘が遊ぶのに夢中で寝ようとしない状況があったとします。

その時、僕はこう言うでしょう。

「もう夜遅いから早く寝なさい」

すると、娘に聞かれるわけです。

「どうして夜遅いと寝なきゃいけないの?」

僕は答えます。

「寝るのが遅くなると、明日の朝起きれなくなるからだよ。」

その答えを聞いて、こんなふうに聞かれるかもしれません。

「何で朝起きなきゃいけないの?」

ここらあたりから怪しくなってくるのです。

朝起きなきゃいけない理由。

仕事や学校に行くわけでもなく、やらなきゃいけないことがあるわけでもない子供にとって、朝に起きなければいけない理由。

休みの日は昼までゴロゴロ寝ている自分を省みると、ますますわからなくなるし、答えられなくなってしまうのです。

もっとも、全ての質問に明確に答えられなければいけないわけではないですし、子供と一緒に「なんでだろうね?」「なんでだと思う?」とその答えを探してみればいいんだと思うんですけどね。


このように、一見簡単そうに見えるけれど、僕にとっては簡単に答えられない質問がたくさんあるのです。

それは、娘が成長していくほどに、増えてくるでしょう。

「どうして勉強しなくちゃいけないの?」

「なんで学校に行かなきゃいけないの?」

「どうして働かなくちゃいけないの?」

時には人生につまづき、こんなことを聞かれることがあるかもしれません。

「生きるって何? 生きるってどういうこと?」

わかっているようでわかってなくて、簡単なようで簡単に答えられない、そんな質問がたくさんあるのです。

ちなみに、あなたならこれらの質問に何と答えますか??


そんなよくわからない難しいことを考えるよりも、もっと楽で簡単で楽しいことが世の中にはたくさんあります。

これらの答えがはっきりしていなくても、これらの答えを探さなくても、日常生活にはそれほど支障をきたさないでしょう。

忙しい毎日の中で、こんなことを考えていることのほうが支障となってしまうかもしれません。

でも。

僕にとっては、なんとなくそのままにしておいたり、そのまま流してしまうことができません。

なぜなら。

少々大袈裟かもしれませんが、「なんで?」「どうして?」という問いは、それが素朴なものであるほど、自分の本質的な部分から発せられる問いであり、その答えを探すことは、自分を知ることだと思うのです。

その答えを見つけることは、自分の本質に触れることであり、自分らしく生きるのに、とても大事だと思うのです。

そう思うと、将来娘が発するであろう「なんで?」「どうして?」の1つ1つを、大切にしてあげたいという気持ちになってくるのです。


そのためには、まずは自分の「なんで?」「どうして?」を大切にするところから始めましょうかね。


投稿者 cseditor : 00:00 | コメント (0)

2009年6月 9日

ドレッサーがやってきた!!~欲しいものとの関係~

つい最近、私の家にドレッサーがやってきました!!
もちろん、いきなり届いたわけではなく、私が購入したからです。
このドレッサー、私の中では、一番欲しいものだったにも関わらず、私が手に入れるまで数年かかりました。
欲しいと感じ始めたときからいえば、10年近く経ったかもしれません。

ドレッサーが無くても、化粧が出来ないわけではないですし、欲しい形に出会ったら購入しようというスタンスでいました。
そういったスタンスでしたので、特にドレッサーだけを探しに行くこともありませんし、
今思えば、ただただ、待つ姿勢でいたなーと感じています。
まるで、運命の王子様を待っている女性のようですね。
あの状態のままでは、手に入れる時期がもっと先延ばしになっていたかもしれないし、手に入れないままだったかもしれません。

そのような私の状況が変化したのは、3、4年前・・・先輩カウンセラーの前で言った何気ないひと言からでした。

私:ずーっと前から、ドレッサーが欲しいと思っているんですけど、欲しい形がなかなか見つからないんです。

先輩:じゃあ、ドレッサーを手に入れることが宿題!もし探してもなければ、オーダーメイドで作るという手もありますよ。

当時、心理学を学び始めて間もなかった私は、ドレッサーを手に入れることをなぜ提案されたのかが分かりませんでした。
しかし、この会話により、私の頭は「ドレッサーが欲しい」から「欲しいドレッサーを手に入れる」に書き換えられました。
それをきっかけに、初めて欲しいものついて具体的に考えた気がします。
欲しいものを考えることはとても楽しかったので、時間を忘れて探し続けました。
探し始めて数ヶ月・・・オーダーメイドで作ることにして、作成をお願いしたい工房もある程度、絞られてきました。
でも、なぜかあと一歩がなかなか踏み出せません。

 「本当に欲しいものが作れるだろうか?」
 「打ち合わせがうまくいかなかったら、どうしよう?」

そんな言葉が頭を過ぎります。
不安いっぱいの私は、先輩の勧めもあり、友人たちにお願いをして工房についてきてもらうことにしました。
友人たちのおかげで、工房への訪問は緊張感もほぐれ、社会見学ようなイベントになりました。
順調に打ち合わせも終え、「これで、手に入る!!」と思っていました。
ところが、いざ手に入りそうになると、たくさんの怖れがやってきます。

 「失敗したら、どうする??」
 「本当に後悔しない??」

そんな言葉がぐるぐるする中、ついにはドレッサーについて考えることを辞めてしまいました。
私は、完璧なドレッサーを求めすぎて、失敗が怖くて動けなくなってしまったのでした。

それでも、インテリアショップに行けば、私の視線はドレッサーを探しています。
欲しい気持ちは、そのままです。
結局、オーダーメイドのドレッサーは、失敗したときのことを考えると、
あまりにショックすぎて買うことが出来ませんでした。

更に数ヶ月後、自分の理想に形に近い既製品のドレッサー見つけることができたので、それを購入することにしました。
これなら、オーダーメイドで作成したときよりは安価で、失敗したときのリスクも少なくて済みます。
でも、諦めたわけではありません。
このドレッサーの経験を基に、また私の理想とするドレッサー作ろうと思っています。

欲しいものなのに、ドレッサーを手に入れるまでの過程は怖れの連続でした。
驚くほど、失敗したときのことばかり考えていました。
心理学では、本当に欲しいものや幸せを手に入れるのが怖いと言いますが、
身をもって体験した出来事でした。
一気に近づけないときは、段階を経て近づいたり、手にしたりするのも一つの方法ですね。

何はともあれ、家に届いたドレッサーは私を楽しませてくれています。
毎日の身支度も、上機嫌過ぎて、うっかり時間を忘れてしまいそうになるほどです。

宮本恵のプロフィールへ>>>

投稿者 cseditor : 00:00 | コメント (1)

2009年6月 2日

時の流れとともに

最近の私の悩みは白髪がだんだん増えてきたことです。
自分ではあまり気がつかなかったのですが、夫や子供が私の頭をのぞきこんでは
「さすがにちょっと増えてきたね」「これを抜いていたらやばいよ」(抜くには本数が多すぎるということ)などとコメントするようになりました。
夫は昔から若白髪のため、私より3つ年上なだけですが、頭はかなり白いです。
そういう夫のそばにいるせいか、自分は白髪の増え方が遅いほうだと思っていました。
が、よる年波には勝てない・・・!と最近感じています。そして、年をとっていく自分を悲しく思う気持ちもあるのですが、どこかで、年をとるのも良いものだと感じている自分もいるのです。

どんな時にそう感じるかというと、
テレビで昔のヒット曲の特集をしたりしますよね?当時から数十年経った歌手が登場し、歌っている姿。その姿を見た時です。
歌の懐かしさと共に、年月を経て、歌(正確には歌い方かな)そのものが成熟され、歌手自身がとても素敵に年齢を重ねている様子に「う~ん」と感動するのです。

若い頃、人間の外見は「持って生まれたもの、そのもので勝負!」という部分が大きい気がします。
一方、年をとると、それだけではなく、内面が顔にでるかなと感じます。
「(男は)40歳を過ぎたら自分の顔に責任を持て」という言葉があるくらいなので、内なるものが外側をつくるのは本当なのでしょう。
歌手を見て「えっ。あの頃よりいい!」と感じることがたびたびあり「年をとるって素敵なことかも」と思えるようになりました。
もしかしたら、どうあがいても取っていくものだから、それならば楽しく嬉しく年をとっていきたいと、知らず知らずのうちに前向きに考えようとしているのかも知れないですね。

以前、学生時代の友達とお互いに子供を連れて、遊園地に遊びに行ったことがあります。
卒業してからもよく会っている友達でしたが、子育てに忙しくなってからは、ごくたまにしか会えず、久しぶりに顔を合わせたのでした。
しゃべり方も、ノリの良さも、毒舌ぶりも変わっていない彼女を前に、しばらく「相変わらず!変わってないなあ」と思っていました。
でも、彼女がしゃがんで子供の世話をしている時に、(また白髪ネタですが)思いのほか白髪が増えているのを目にして、
「あ。時は流れたんだ」と思ったのを覚えています。
それは悪い感覚ではなく、とても愛おしいような気持ちがわいた瞬間でもありました。
彼女の普段の生活の頑張りようを、垣間見たような気がしました。
若い時だったら、年齢を感じさせるものに対して、ネガティブなイメージしかもてなかったかも知れません。
今は、その背後に流れたその人の時間を少しは感じとれるようになったのかも知れないです。
年をとったおかげですネ。

女性である私としては、いつまでも若くいたいです。
それとともに、年齢を重ねていく楽しさや、だからこそ見えるもの、味わえるものをじっくりと感じながら、
醍醐味のある生き方をしていきたい、そう思っています。

うえの道子のプロフィールへ>>>

投稿者 cseditor : 00:00 | コメント (0)