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2009年3月31日

自分の人生に恋をする

私はいま最近好きな人がいますが、少し前までは
長い間パートナーもいない状態でした。
そんなことをなんとなくさみしく思っていたころ。

ひとつ思ったことがあります。

それは、「私は自分の人生に恋しよう」ということ。

たとえば今現在パートナーもいなくて、
愛情を注ぎたいと思える特定の相手もいないなど
そんな状態はとてもさみしいことです。

私は幸いなことに、子どもと二人暮し。
かわいい息子がいました。
小学校に入って、そうするとお友達と遊びにいったり
子ども自身が自分の時間というものを持つようになってくれて
私にも自分の人生を考えるゆとりが生まれました。

そして、息子を大切にすることを考えよう。
この子が喜んでくれることってなんだろうって考ることが増えていました。

それは、ずっと、大切にしてもらいたい、誰かに守られたいと思っていた
そんな私とはちがった、新しい自分の誕生みたいな感じです。
ゆとりができたからこそ考えられたのだと思います。

わたしがしてもらいたかったことってなんだっけ?
してもらえなくて悲しかったこと。
してもらってうれしかったこと。
私がやってあげたら喜ぶかなぁって、逆転の発想でした。

実際に考えて、小さなことですが
やってみると、結構な手ごたえで喜んでくれます。
そうするとさらにやってあげたいなぁというモチベーションが上がります。

誰かが喜ぶ顔を見たくて。
それがこんなにもうれしいことなんて。
自分がしたちょっとしたことで誰かが喜んでくれるなんて、
なんて幸せなことなのかなぁと思うほど
素敵なダーリンがいたらもっと楽しいのになと考えるようになりました。

でもパートナー候補のような存在さえなく、
特に出会いもなかったので物足りなく思いました。
やっぱり恋いしたい。って。
そこで私は、恋したいけど相手がいないって諦めるのは
もういや。
じゃぁ自分の人生全部に恋しよう!と思いました。

今ここにある時間や
これからやってくる誰かとの幸せな時間
自分のお家、お部屋などの環境
自分の関わることみんなみんな楽しくしたいと思いました。
楽しむこと、大切にすること
そこにある対象に「いいなぁ」「素敵だなぁ」と魅了されてしまえ!
それが私の思う「恋すること」です♪

そうして自分のしていることの全部に恋しようと決めてみました。
完璧にしようとすると疲れてしまうこともあるので
せっかくのわくわくする企画がつぶれないように
のんびり無理せず、気持ちをそこに向けておこうって。
何したらうれしいの?って恋の対象として自分も入れて。
でもそうしようと思えたこと自体にもうわくわくしていました。

そうしたら、不思議とお友達とのコミュニケーションもスムーズに
活発になっていて、気がついたら久しぶりに再会した知人に恋していました。


みなさんは、恋愛や、仕事や、かかわりのある人に恋していますか?

私はしています。
だからもっと楽しみたい、もっとうれしいって感じたいと思います。
そのために何かできることはないかなぁと考えます。
思いついたらちょっと勇気を出して行動してみます。
それは誰かに恋して、その人を大切にすることやその人との関係を
大切にして育てていくことととても似ています。


私は、ご飯を作ったら食べてくれる人がいること
カウンセリングをしたいと思ったらクライアントさんがいてくださること
北風をよけるお家があることにも恋しているかもしれません。
ストーブの前で伸びている猫にも。
コンビニに入ろうとしたらドアを押さえておいてくれる
見ず知らずのおじさんにさえときめいてしまいます。

いいなと感じることに素直に好きだと感じられることは
とてもまっすぐで楽チンです。

これは自分癒しの自分企画でしたが、
収穫が大きかったのでみなさんにシェアさせていただきました。

我が家の息子も初恋をしています。
6歳の恋はかわいいなぁと思いながら見ています。
片思いですが、強がってみたり、そのこと同じ名前がTVに出ていたりすると
反応しています。本当は遊びたいのに遊ばないといってみたり。
お誕生会には飛んでいったりして、本当にかわいらしい。

子どもも大人も同じかもしれません。
好きだけど、恥ずかしい。

でもやっぱり恋してるって輝ける要素みたいな気がします。


眞田由子のプロフィールへ>>>

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2009年3月24日

ブルーノ・マリの思い出

茶色のヒール付きローファーの靴を、先日、捨てることになりました。
ブルーノ・マリというイタリアのブランドの靴なのですが、さんざん履きつくして、最後には左側の底の革がべろんとむけてしまったのです。
修理に出すも、革がはがれているので、一時的に接着剤でつけたものの再生は不能だといわれました。
それでも、なお、はき続け、また接着剤がはがれるとさすがの私も観念して手放すことにしたのでした。


この靴を購入したのは、1997年、イタリアに旅行をしたときのことです。
なんと、2008年まで現役生活を続け、ついにリタイアしたのでした。
この間、11年ほどです。
履き口に、レース風の模様がつけられていてフェミニンでありながら、渋めの茶色とつま先の柔らかめのスクエアカットが適度に辛口で、どんなスタイルにも合い、かつ、流行を感じさせることも古く感じさせることもなかったので、本当に重宝したのでした。
ちなみに、私は物持ちがよく、就職と同時に購入したローファーも9~10年ほど現役選手でした。
靴の種類にもよりますが、私は靴を丁寧に手入れながら、長く履くのが好きなのです。
学生のときに流行して読んだピーター・メイルの本に影響されているのかもしれません。


上質な革靴は、ミンクオイルで栄養を与えてあげると、足に柔らかくフィットして、年月と共にツヤが出てきます。
購入したときよりも深みが出て、なんとも贅沢な気持ちにさせてくれるような気がするのです。
きちんと手入れするときには、シューフィッターに入れて、いつも形が崩れないようにキープしたりしています。
私の靴はほとんどが現役選手なので、時々、仕事で忙しくなると、手入れがおろそかになり、そのときにできたヒビ割れが原因で、そこから悪化してしまうようです。
本当にきちんと手入れしたら、どれくらい持つのでしょうね。


この、ブルーノ・マリの靴は、初めてイタリアに言ったときに、迷いやすい路地にあるお店を、ようやく探し出して、購入したものです。
イタリアに旅行に行ったことのある方なら分かると思いますが、向こうの店員さん、女性なら男性客に、男性ならば女性客に大変親切です。
この差、あからさまです。
女性店員など、あからさまに、女性客は無視していますからね~。
逆に男性は、本当に女性に対して恭しく、親切です。
この分かりやすさ、ラテンの国って、好きです。


この靴を購入するときには、親切そうな初老の店員(♂)が丁寧に対応してくれました。
まず、ヒールを試着するのにソックスだったため、ストッキングをはいてくればよかったよ~、と思っていたのもつかの間、なんとおじさま店員は店の奥に入っていったかと思うと、うやうやしくひざまずいて、ストッキングを差し出してくれたのでした。
それなりの格好をしていったのですが、この状況でこのような貴族的な対応に気後れしそうになるも、ありがとうを言って、ソックスを履き替え(ダサっ)、いざ、試着。
デザインは気に入ったものの、サイズがほんの少し微妙です。
違うサイズのものは、そのお店にはなかったため、少しデザインの違う靴のサイズで確認をしたところ、サイズはそちらのほうがぴったりなのでした。
こちらのデザインでこのサイズはないのか、とカタコトの英語で話すと、おじさま店員は、在庫を確認し、近くの店にあるので取りに言ってくる、というのです。
確かに、当時、ブルーノ・マリの店は近隣に何店舗かあり、どの店に行くか迷った経緯があったので、そちらに見に行くと伝えたところ、自分たちがとりにいきますから、問題ない、といったようなことを言ってくれたのでした。


しかし、イタリア人は、気が長いのですよ~。
しかも、女性の店員さんが、おっちゃんに言われてしぶしぶ出て行ったのですから、時間がかかること、まちがいないだろうと踏んでいました。
私には、大丈夫、ノープロブレム、みたいなことを言って、おじさま店員はニコニコ。
目と鼻の先くらいの場所なのに、案の定です、なかなか、店員さんは帰ってきません。
そうこうしているうちに、尿意を催したのですが、ヨーロッパはトイレが有料なのは言うまでもありませんが、異常にトイレが少ないのです。
気候のせいなのか、ワインのせいなのか、民族間による体質の違いかは定かではありませんが、ヨーロッパの人たちはあまりトイレには行かないようなのです。
そのため、ヨーロッパ旅行は自ら断水旅行と称しているくらいですが、すでに催した尿意はいかんともしがたく、こんな街中ではトイレはなかなか見つかりそうにありません。
どうしよう~。


ダメモトで、お姉さん店員にトイレを貸してくれと頼むと、当然お断りされたのですが、すぐさまおじさま店員が駆けつけて、不満げな発言をしている女性店員を尻目に、これまた問題ない、とばかりに、従業員用のトイレに案内してくれたのでした。
その後も待ち続け、あまりに遅いのと、語学力の自信のなさから、もしかしたらまったく意図が通じていないのかもしれないし、これ以上待っていてもいいものか、という不安が限界になりつつあるころ、ようやく品物は届いたのでした。
待ったかいがあり、お気に入りのデザインで、私の足にピッタリだったのでした。
わあ~、ぴったり!!! 気に入ったわ~、ありがとう。
本当にぴったりで嬉しかったのです。
あきらめずに待ってよかった。
そんなことを伝えると、おじさま店員も満悦至極な表情を浮かべて、慇懃に対応してくれました。


私は満足な買い物ができたのですが、この一足のために必要以上に親切にしてくれたブルーノ・マリの靴屋さん。
旅行中に、客用でないトイレを使ったのは、このお店が最初で最後です。
ガイドブックにも、まず、お店では貸してもらえません、とあったので、本来であれば女性店員の態度が普通だったと思うのですが、おじさまは問題ないでしょ、とばかりに貸してくれたのでした。
どうみても、従業員用のものでした。
あのときは、ありがとう。


他にも、イタリア旅行中にいろいろなひととコミュニケーションをはかりましたが、本当にイタリアはステキなところでした。
あまりに包装に時間をかけるので、急いで頂戴、といったところ、丁寧になっておまけまでつけてくれたマーブル模様専門文房具屋のお姉さん。
私の身長に合うのは小ぶりなバックだと、安いほうを勧める店員さん。
広場でハトにえさをやっていたお兄さんは、自分と同じようにえさをやれ、と私に分けてくれたのに、私は途中で不安になって、いいです、と手をひっこめてしまったので、えさがバラバラこぼれてしまったことは、今でも心残りです。
笑顔から、悲しそうな顔になってしまったこと、お兄さん、せっかく親切にしてくれたのに、受け取ることができなくてごめんね。


あれから、11年。
ずっと大切にはき続けてきた靴。
一番のお気に入りでした。
ブルーノ・マリの靴は、購入時のエピソード、デザイン性、はきやすさ、どれをとっても、本当にステキな靴でした。


この靴に代わって、また、ステキな靴がやってきますように。
最後の手入れをして、感謝して手放したのでした。



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2009年3月17日

「宇宙からの帰還」に今、思う

 大学時代、とても理屈っぽかった僕は、大学にもいかず引きこもって、「人間って何?」「どうして世の中から争いごとはなくならないの?」なんてことを真剣に悩んでいました。今思えば、それは自分の殻に閉じこもって「自分の城」を構えていただけだったな、と思うのですが、その頃に感動して読んだのが「宇宙からの帰還」という本でした。

 この本は、ジャーナリストの立花隆さんが、アメリカのアポロ計画などの宇宙飛行士が、宇宙に行く前と後では心の内面的な変化を起こしている人が多く、地球に帰還してから、全く別の人生、例えばビジネスで大成功する、上院議員なる、キリスト教の伝道師、はたまたESP研究家にまでなってしまった人がいることに着目し、彼らに直接インタビューを行ったルポルタージュです。
 もう20年以上も昔に書かれた話なので、日本人を含めた民間人がスペースシャトルで宇宙に行ける時代からすると、宇宙飛行士の歴史を読んでいるように感じるかもしれないですが、アポロ計画当時の宇宙飛行士が胸に秘めていた本音のメッセージを伝えた、という内容は、今でも十分インパクトのあると思います。
 この本の中では、彼らには共通した認識があることがわかってきます。
 それは、宇宙に行ったものにしか体験できない「何か」であり、スペースシャトル時代から考えると、当時の時代背景が作り出した特殊性が生み出したと思われる心的影響も多分に見受けられますが、それを差し引いても、彼らには偶然とは思えない「人間の存在の本質」「この世界の存在の本質」に関する共通認識がみられるというものだった。
 僕のまとめでは本書の内容が正しく伝わらないかもしれませんが、ざっと書くとこんな感じです。

 関心のある方は、実際にこの本を読んでいただくとして、今、改めて読み直して感じるのは、宇宙飛行士というのは、人類の中で唯一、肉眼で「外から地球を見た人」なのだ、ということです。
 今の僕達は、映像でも写真でも宇宙から見た地球を見ることができます。あまりに普通に目にするので、丸くて青い地球の姿というのはありふれたものですらあります。
 けれど、この本のインタビューに答える宇宙飛行士たちは、様々な価値観をもちながらも、この点だけは誰もが共通しているもののようなのです。

 「地球は本当に美しい」そして「地球はひとつ」であること。
 
 宇宙船地球号、という言葉があります。
 世界は一家であり、人類は兄弟なんだという言葉もあります。
 環境を考える上で、平和を考える上で、似たような言葉はたくさんあり、これも僕達にとってはありふれた言葉です。
 それを「実感」する機会はなかなかありません。地上に暮らしている以上、ある意味、それは当たり前の話です。
 
 けれど、それを「実感」した人達がいる。
 それが宇宙から地球を見た人達です。それは理屈ではなく、文字通り目に入ってくる「実感」です。

 彼らが語ってくれるこうした話は、実は、僕達が普段暮らしていく中でもとても役に立つのではないでしょうか。
 
 「木を見て森を見ず」という言葉もあるように、僕たちは、普段、問題や争い事が起ると、そのことにとらわれてしまいます。
 相手にも事情があるのではないか、この状況が起こったのも仕方ない何かがあったのではないか。少し大きな視点で見ることで、心に余裕ができ、相手にも親しみを持てるようになったりします。
 そのお手伝いをするのがカウンセラーの役割の一つであるように僕は思っています。
 これは飛躍するようですが、「みんな一緒に地球に住む仲間」という思いもまた、何かしらその手助けをしてくれるような気がするのです。
 
 宇宙、地球というのは大きすぎる話かもしれません。
 でも、時には、もし自分が宇宙に行って地球を見たとき、今の自分の苦しみや問題を、自分の取り巻く状況を、自分の今の幸せをどんな風に感じるのだろう。
 そんな風に思いをはせてみるのもいいかもしれません。
 
 その悩みに悩んだ大学時代から20年。やっと今になって、この時の経験が、今の僕自身の基礎であり、糧になっているんだと思えるようになりました。
 今、僕も想像の旅にもう一度出てみようと思います。あの時の自分のように。


池尾昌紀のプロフィールへ>>>

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2009年3月10日

memento mori(死を忘れるな)  ~~限りがあるからすばらしい~~

 気づくと、年女も終わり今年の6月末で49歳になる。息子たちはそんな私を揶揄して、「信長や謙信が亡くなった歳と同じや」と言う。ああ、人生50年・・・かぁ。

しかし、周りを見渡すと、私の子供時代に感じていたよりも遥かに、五十台、六十台はおろか、七十台、八十台でも若々しい方が多い。時代の変遷と言うような簡単なものでは言い表わせない気がするのだけど、そんなことを思うときふと、祖母の曲がった腰を思い出す。

私が子供のころから既に、祖母は年老いていたような気が、する。私の年齢には既に、片手以上の数の孫がいたせいだけではないと思うけど・・・心の中に在る祖父母の姿は、私に取り「生きた現代史」なのかもしれない。

 ・・・とここまで書いて、思う。
 
 人生に限りがあるなんてこと、ずっと知っていたけど、当たり前だとも思っていたけれど、改めて考えるとすごいことのように思う。何がって、こうして生きていること自体がもしかしたら、奇跡なのかもしれない、と思ったりする。生まれてきたことも、そうなんだけど。

          ☆   ☆   ☆   ☆   ☆
 
 私が小学生の頃まで、近所に「焼き場」があった。焼き場、つまり火葬場である。小学校からはその煙突が見え、毎日立ち上る煙と独特の臭いが、当たり前にあった。一緒に住んでいた二人の大おばたちもここで、天まで昇る煙となった。その後、近代的な斎場が市内に4箇所できていて、どこも一見シティホテルと見まごうようなロビーや待合室が有るが、子供のころのそれは、いかにも冷たく悲しい場所であった。

 斎場に続く道は「葬連道(そうれんみち)」と呼ばれ、今も幹線道路に続く間道としてあるが、かつては弔いの列がひっきりなしに続いていたらしい。

 小学校4年生の頃、同じ学年の男性の先生が、担任の代わりに道徳の授業で「煙」に触れた。

 「君らも刻々とあの煙になる日が近づいているんやで~」
 
 大らかで朗らかで、そして厳しい父親のような先生だったと思うけど、そんなことを言っていたのをとてもよく覚えている。その2年前には件の斎場で大おばを見送った鮮やかな記憶があった私にとってこの言葉は、とても鮮烈に響いた。

 クラスメイトの何人かは、
「え~~~っ!!」とか言っていた気がするけど、二人の大おばを既に見送っていた私には(因みに父方祖父の姉と妹、身寄りらしい身寄りがなかったのだろう、父が二人の老後を見たのだった)、ぼんやりとではあるけど、確かなリアリティを感じていたのだった。

 私の、「memento mori(自分がいつか死ぬことを忘れるな、と言う意味のラテン語)」に触れた、古い記憶である。

 母方の祖父母にしろ、二人の大おばにしろ、明治生まれの人たちである。

 昭和の、それも高度成長期に幼少期を過ごしている私たちは、子供と言えども、恵まれて見えただろうな、と思う。少なくとも、命の危険にさらされることはなく、3度の食事と穏やかな夜の眠りが補償されている。

 生き方について、・・・特に女性は、今ほど自由に選べることはなく、自分らしさをどこまでも追うこともできるなんてきっと、夢のまた夢か・・・あるいは、思いもしなかったことだろう。
 
 もしかしたらただ、「命」「血」をつなぐための存在のように感じていたかもしれない。

 大おばたちはそれぞれ、医師の妻であったり、教師であったりしたので、それなりの人生を過ごしたのだろうけど、最期に過ごしたのは私たち家族とであったのだから、波乱万丈、と言えるのかもしれないけれど。

 思えば私の子供時代は、激しい世の中でもあった。日本では戦争はもう終わっていたが、あちこちでゲバルトのニュースがあった。明確に覚えてもいないのは、もしかしたら両親があまり目に触れさせたくなかったのかもしれないが、白黒画面のなかでの東大・安田講堂やあさま山荘事件、よど号ハイジャック事件はさすがに記憶に生々しい。

 よど号に至っては、遠足で行った伊丹空港で、「ただ今『よど号』が離陸いたしました」と言うようなアナウンスがあった記憶がある。それは、ハイジャックのリアルタイムではなく、ハイジャックされた飛行機・よど号(当時は、旅客機自体にJAL123便とかの便名だけではなく、各社がニックネームをつけていたらしい)が、たまたまその時に伊丹を出発したと言う、それだけのことなのだけど。

 ・・・何でやねん・・・。

 アナウンス自体にもツッコミたいとこやけど、それを覚えている私って・・・。まあよほど印象に残った、と言うことなんだと思うけど。

 それはちょうど、大阪万博の年でもあった。私個人のイベントとしては、3歳のときに負った傷の後遺症で、外側に湾曲して尖足となっていた左足の、ADL(Activities of Daily Living・日常生活動作)の向上のために、アキレス腱の伸長手術を受けたという、何とも物悲しい?夏休みの記憶が共にある。美波春夫さんの妙に明るい万博のテーマソングが、記憶の中で今もことさらに鮮やかである。

 それが40年近くも前のことなのである。そりゃもう、アンビリーバボー!!である。私はこの40年、いったいどないしてたんやろ?と思う。あんまり成長していない気がするなぁ。

 しかも明らかに、身体は衰えていると言う厳然たる事実は隠せない・・・。

 ・・・どないしてくれるねん・・・。

 誰にともなく言いたくなることも、まぁ、ないとは言えないな、その殆どが自分の責任下において選んで生きてきたことなのであるけど。
 
 それにつけても私の祖父母たち、大おばたち、いやいや両親の世代に至ってもであるが、私の世代ほどには選べなかっただろうことを、思ったりする。そしてきっと、どないしてくれるねん、とも思わなかったに違いないとも思ったりする。

 刻々と近づいてくる、煙になる「そのとき」。それがたとえ50年先であったとしても、必ずやってくるのだ。

 私は、悲観主義ではない。むしろ結構楽天的だと思う。ありのまま、今の自分を受け容れることができたのなら人はどれだけ楽だろう、と思う。

 ソクラテスは、その弁明のために死刑宣告を受けるがその死を前に、怒らず、悲しまず、ただ当然のこととして現実を受け入れたと言う。
 
 そして先日、息子たちと観た映画「チェ・ゲバラ 39歳 別れの手紙」の、その終わりに近い場面でも、まさにそんな想いが描かれていて、命について、また考えることが増えた、と思っている。

 この星で今この瞬間も繰り返されている、生きることの営み。生まれてきたことと同じように、誰もがいつかはここを去る。

 だからこそ、自分らしく在りたい。

 いつの日もそう思ってきたけれど、今また一層その想いが強くなっている。

 いつかはここを去るからどうでも良い、のではなく、自分を、周りを、だからこそ大切にしたい。ありきたりだけど、一期一会を大切にしたい。

 限りがあるからこそ、生き生きと自分らしく生きられる、とことさらに思う昨今の私なのである。

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2009年3月 3日

親の思いを知る~受験生の母として~

我が家の下の子。長男が今年、高校受験生
先日、私立高校の受験が終わって、少しホッとしたのもつかの間
次には、公立高校の受験が待っている。

私の住む大阪では、公立高校の受験に「前期」と「後期」の
受験日が設定されており、公立高校でも2回受験をすることが出来る
このコラムが掲載される頃には、前期試験の結果がわかっているころだ。
彼の行きたいと想っている本命の高校は、その前期試験での受験である

自宅より徒歩で10分でいける距離
以前、ブログかメルマガにも書いたことがあるが、中学の1年生で
1学期中に50回もの遅刻!と言う伝説(?)を成し遂げた彼である。
彼の名誉のために、言い添えておくが、その後の遅刻回数は、
1学期ごとに20回に減り、8回に減り
そうして、中学3年生の3学期間を通しては、3回のみになった。
そんな彼が、近いという理由イコール遅くまで眠ることが出来る
と言う学校に魅力を感じないはずがない。

この前期試験で、本命高校にうまく合格をしてくれれば
この3月中旬にある中学の卒業式は、晴れ晴れとした顔で望めるのである。
万が一、前期の試験に不合格だった場合。
後期の入試が3/17。3/13の卒業式は、必死の面持ちで望まなければいけない。

受験生の1年間。いやいや、中学2年生の夏頃から
志望校は?内申点は?と、色んな情報が行きかっていたので
この1年と半くらいの間。独特の追い立てられ感の中で過ごした時期である。
受験と言うこの時期は、精神的に非常にキツイものがある。
先日、大きなため息とともに「早く終わってほしいわ」と
ボヤク息子の声に、一緒になり「本当にね~」と思わず言ってしまった。

自分のその頃を想い出す。
思い出すだけでも、どんよりした気分になるくらいに
「重たい空気」の中で過ごしていたなぁ~と感じる。

子どもで在るころには、何も考えなかったこと。
ただただ、生きているだけで、普通に幼稚園に行き
小学校へ行き、中学校へ行くことが出来て
当たり前のように、毎日が流れていっていた。
自分が、何もしなくとも、明日は勝手に動いていくものだと想っていた。
「誰かが何とかしてくれる」
子どもだから、そんなオオゲサなことまでの認識は無かったけど
でも、そんな風に感じていた。

しかし、受験ってものは、「誰にもなんともしてもらえない」
大きな大きな節目だったように想う。
自分の行きたい学校があったら、自分で勉強をして自分で成績をあげる
努力をして、自分で行きたい学校を選択する。
いやいや、そんなユトリなどは無かったものだから
自分の成績に見合った学校を選ぶしかなかったのだけど

でも、この誰にもなんともしてもらえない。って感覚と
数字と言う現実で突きつけられるものの重さ。
とてもとても、自分の力がちっぽけであるように感じてた。
毎日、不安感の中で必死でもがいてた感覚
大人になんかなりたくない!って言う、思春期ならではの
渇きのようなものと・・・自分が大人に成ることが怖かった。
受け入れられなかった裏返しだからだと、今ならばわかる。

中学3年生の頃の自分の気持ちを思い出すと
息子の気持ちも、そんなチリチリとした感覚の中にあるのだろうなぁ
と、想像することが出来る。

しかし、親と言う立場からの目線も、今の私にはあって。
親の立場が、こんなにつらいものなのか?
を、つくづく思い知るのである。

親だから、私は大人である。そうして「自分で何も出来ない」のが
こんなにも歯がゆいのだと・・・つくづく感じる。
ただただ、励まして、ほめて、時には叱咤激励もしつつ
ただただ、最終的には祈るしか出来ないのである。
受験生だった時の自分の気持ちを解るだけに
必要以上に追い込みたくないって気持ちが働く
すると・・・イヤでも信頼するしかないのである。
心の中では、心配ばかりしてるのだけど(笑)

ついつい、小言を言ってしまいそうになる。
実際、言ってしまったりもする「もっと勉強しなさい」
言って後悔する。ああ、私の不安を表現しちゃったな~と・・・
彼は彼なりに精一杯頑張ってる事を理解している。
だから。見守る。黙って黙って。

「業」だなぁ・・・と想う。
何も言わないってのは、修行のようだと想う。
でも、親業の中で一番大事なことかもしれないなぁ~と想うのだ。
信頼することが、一番難しい。でも一番大事なことである。

最終的には。どんな結果になろうが・・・
この子を愛していることには変わりがない。

そうして想う。ああ・・・そうか・・・
自分の親たちも、こうして、こんな気持ちで育ててくれたんだな。
今の私よりもずっと、小言も多かったけど
だけど、共に感じ、共に歩いてくれていたんだなと想う。
子どもの立場の私からは「口うるさい」と映っていたけど
でも、精一杯見守る愛をし続けてくれた親の姿がそこにある。
そうして、祈っていてくてたな~。って想いがそこにある。

先日息子のために、学業成就のお守りを買った。
そういえば。私も親が色んなお守りを買ってくれてた。
ここには、こんな風な想いがあったんだよね。を、想う。
くやしいが・・・親の愛を感じずには居れないのだ。


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