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2008年3月25日

●出逢い、そして旅立ちのとき~~一瞬の輝きを永遠に~~

 海が煌めいている。少し沖を行き来する船々からここが見えるだろうか。

先ほど挙式を終えたばかりの友人夫妻が、中庭に出てくる。手に手に花びら
を持った家族や友人達が、二人のために待ち構える。それぞれにこの日を色
んな場所から立場から応援してきた。お互いに面識のない人も居る。でも、
この二人を祝うという同じ目的の下、ここに集っている。ここから始まった
り復活する関係性も少なくないだろう。人の繋がりの美しさを形にすれば、
こんな風になるのだろうか。

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 結婚式に出させていただく機会が以前より増えました。昔からの友人も居
れば、ともに学んだ仲間や同僚であったり、親類であったり。式の参列から
始まる場合もあれば、パーティーへの出席、ということもありますが、いず
れにしろ、色んな顔・環境や状況、想いを知る人の至福の顔は周りへも幸せ
を広げてくれます。結婚式というのは本当に素敵なイベントです。祝福を受
ける側だけではなく、集った面々にとっても大きな喜びです。「ここ」に至
るまでの経緯を知るものにとってはなおさら、なんですよね。

 イベント、と言えばこの季節、卒業式・そして入学式の季節です。ほんの
三年前までは見送ったり迎える立場に居た私ですが(在職した年数以上の入
学、卒業を体験しているのです。わが子の分もあり、2回ずつの入学式・卒
業式を行う学校もあるからです。)、毎年、そう変わらない準備をしたりもす
るのですが、卒業・入学の側からすれば、人生の一大イベントのひとつであ
るわけですから、失敗は許されません。

 学校ごとに大きな違いがあるか、と言えば、個性的でもあり(必須の部分
があるので)同じようでもあります。いずれにしろ地域やその時々の事情も
ありますが、卒業式はその学校での締めくくりですし、入学式はそこから何
もかもが始まるわけですから、ひとりひとりに良い思い出を創ってあげたい
と言う、職員の意気込みがそこにあるわけです。昨今の式典や音楽会などの
学校行事では、保護者の涙をいかに・・・と言うのも職員たちの想いの中に
あるような気がしますが、ところを変えれば彼らも保護者。きっとわが子の
行事でエライ目に遭っているに違いありません。

 そんな二十回以上もの卒業式・入学式を経験している私ですが、涙が出て
仕方がなかった式があります。それは・・・ 次男の中学校の卒業式だった
のですが、きっかけは一枚の写真でした。

 一人ひとり名を呼ばれステージに上がるわが子やその友人。よく知る顔も
あれば、あまり馴染みのない顔ももちろんあります。でも、この三年間で間
違いなく大きく成長した子供たち。本当ならそこにあるはずの、ある元気な
顔が、同級生の胸に写真となって抱かれていました。その写真の主は、幼い
頃からよく知る、息子の幼馴染。保育所から一緒に過ごしてきたので、本当
に幼い頃から私もよく知っているのです。その笑顔を見た途端、涙が止まら
なくなってしまいました。

 彼は急な心臓の病気の悪化で亡くなったのですが、息子とはとても仲がよ
かったのです。今も息子の部屋には、彼の写真が貼られていますが、彼に
とっては本当に大切な友だちだったらしく、転居の際に何よりも早くこの写
真の場所を決めていました。やんちゃそうな優しい笑顔が、今も息子と一緒
にいます。小さい頃から道で会うと礼儀正しく挨拶をしてくれる彼の、元気
なときの姿を覚えているのは私だけではなく、保育所時代から彼のことを
知っている母親仲間は皆泣いていました。

 式の後に、近くの公園に集まってそれぞれが写真を撮ったりするのです
が、保育所から一緒にいたメンバーが亡くなった彼を入れて六人ほどいたで
しょうか。呼ぶとは無しに集まって、みんなで写っています。私のカメラに
ももちろん、彼らは納まりました。そこでまた、涙が止まらなくなってし
まった私。亡くなった彼や保育所からの仲間をよく知る先生に近づき、お礼
の挨拶を伝えようとしたのですが、私は先生にとって危険な存在です。きっ
と一緒に泣いてしまうもの。先生は話もそこそこに、離れていきました。

 私の涙が止まらなくなった理由は、彼にまつわるイベントをいくつか思い
出してしまったからなのですが、・・・実は私は彼の葬儀にとても行けな
かったのです。息子は通夜にも参列し、棺の中の友の顔を見て、揺すり起こ
したら起きてきそうな気がした、と悔しげに話してくれました。その頃私
は家で泣きじゃくり、見る影もないほど目を腫らしていたんですが・・・。
 
行けなかった理由は唯ひとつ。その数年前、彼のお母さまを同じ式場で
見送ったから。

彼女の元気な姿の最後の記憶は、保育所の親子遠足でのこと。スカーフで髪
を覆い(確か放射線治療の影響だったと記憶しています)、喉の気管切開の
痕を少し見せてくれました。

できる時に何でもしておきたい、と言っていた彼女の面影を、今でははっき
りとは想いだせない私なのですが、穏やかな中にも強さと深い愛情でくるん
だ消えてゆく悲しみを、そしてきっぱりと生きている姿を、今も想います。

あと少ししかない、と思うよりも、まだこれだけある、と考える彼女の姿勢
は、今も私のお手本です。

 私が子どもだった頃には、私自身はそういった式典や行事にあまり積極的
な気持をもてなかったのですが、そしてわが子の写真もそうたくさんは撮っ
ていないのですが(実際のところ、記録より記憶、と言う考え方も持ってい
るので)、人生の節目節目にははっきりと刻まれるような行事がある方が素
敵だ、と今は思っています。

そして、やっぱり一緒にいた記念に、写真があるともっともっと素敵だな、
とも思っているのです。息子の部屋にある、照れくさそうな笑顔の写真の主
は、これ以上大人になることはありませんが、いつまでも息子の親友として
生き続けてくれることでしょう。一緒にいた時間を切り取ったような趣で、
これからの彼の人生の一こま一こまへのエッセンスになってくれるのではな
いでしょうか。

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花嫁は、両親にむかって手紙の朗読を始めた。あんな思い出、こんなエピ
ソード・・・そこここに彼女らしさが溢れている。披露宴会場はそれ以上に
笑いでいっぱいになった。
 「で、要は何が言いたいのかと言うと・・・お父ちゃんが大好きです!」
 
 その直前の『出し物』の影響なのか?彼女本来の持ち味なのか?音楽にお
構いなしに(そんなにスローな音楽でもなかったが)両親にドレスの裾を
蹴っ飛ばしながら歩み寄る花嫁。あっぱれ、としか私には言葉はなかった。

 今までに重ねられた二人の物語を持ち寄って、さらに素敵な物語をこれか
ら創っていく姿をこれからも見せ続けてくれることだろう。どんなアルバム
を増やしていくのだろうか。それは、息子の部屋の笑顔の主とはまた違った
形になるが、幸せな時間を共有した人たちのこれからの人生の優しい一こま
として輝き続けることだろう。

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 それぞれが織り成す物語は何ものにも変えがたいものです。特に、周りで見
守る人々にとっては。たとえ思ったとおりでなくても、少しくらい時間がかか
ったとしても、自分らしく生きている姿は何よりも美しい、と私は思います。
それがたとえ写真のような形で残らないとしても。

 形のある記録より、心に刻む記憶を胸に抱き、この春、新しい世界へ飛び
出していく人たちに、心からの祝福をこめて。


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2008年3月18日

●やりなれないことをやってみると、びっくりしたけどいいことあった!

僕には元々、マメに連絡をするという習慣がありませんでした。

それは、「便りのないのは良い便り」とばかりに、何もない時には連絡をすることがなかった実家の習慣からきているのかもしれませんし、僕自身の不精な性格からきているのかもしれません。

用事があれば用件を伝えるために連絡をすることはあるけれど、用件がないのに連絡をするということをしてきませんでした。

それは僕にとって長年慣れ親しんだ習慣であり、それが当たり前で、そのことに疑問を持つという発想すら持ち合わせていませんでした。

それに対して、奥さんはマメに連絡をするタイプです。

僕にも実家の家族にも友人にも、マメに連絡してコミュニケーションを図っています。

だから、奥さんの携帯は、よく鳴るんです。

すごいなぁって思うんです。
そして、うらやましいなぁって思うんです。

僕の携帯はほとんど鳴らないから、たまに電話でもかかってこようものなら、着信音にビックリし、あわてて電話に出ようとして誤って電話を切ってしまうくらいですから(笑)

そんな僕ですが、マメな奥さんに感化され、少しずつではありますが、伝えなければならない用件がなくても連絡をするということをやるようになってきました。

といっても、なかなか長年のクセが抜けず、“たまに”程度なんですけどね。
その、“たまの出来事”が僕にとって印象的な出来事だったので、それを紹介させていただきますね。


先日、珍しく友人に連絡をすることがありました。

用事があったわけではないのですが、「元気にしてるのかな~?」と気になったので、その友人に「元気にしてる?」というメールを送ったのです。

すると、友人から「元気にしてるよ」「メールもらってうれしい」という返信がありました。

気が向いて勝手にメールしただけなのに、喜んでもらえてうれしかったですね。とっても。

ゴキゲンで続きを読んでいると、こんなことが書いてありました。

(友人の返信)「メールもらえたのはとってもうれしいけど…」

(木村心の声)「!? “けど…”の後は何!? ドキドキ…」

(友人の返信)「なんかあった?」

(木村心の声)「!?!?!? なんで!?」

普段僕がやらないことをやったので、びっくりしたんでしょうね。
そして、普段はやらないことをやる僕に「何かあったのかな?」と思ったのでしょうか?

ちなみに僕は、その返信にびっくりしました。

そしてその後には、僕のことを気遣ってくれることがたくさん書いてありました。

(友人の返信)「よーちゃん(と呼ばれています)は元気にしてる?」

(木村心の声)「うん、してるしてる」

(友人の返信)「奥さんと仲良ししてる?」

(木村心の声)「うんうん、してるしてる。めっちゃ仲良しよ」

友人に僕が元気でやっていることや奥さんと仲良しであることを返信すると、友人から再び返信がきました。

(友人の返信)「奥さんと2人で仲良くしているのを聞いて、嬉しくて思わずニヤニヤしちゃった」

(木村心の声)「!!! そんなことがうれしいの!?」

僕は非常に驚きました。

僕が奥さんと仲良しであることを、その友人がこんなふうに思ってくれていることに驚いたのです。

そして、その友人がそれだけ僕と奥さんと木村家の幸せを願ってくれているのかと思うと、それが嬉しくて嬉しくて…

そんな素敵な人と友人であるということを、心からよかったと感じたのでした。


こうして心が喜びを感じる分だけ、無理なく自然と「またやってみよう」と思えたり、実際にやったりするようになるのでしょうね。

その点においても、友人に感謝感謝な出来事でした。



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2008年3月11日

●家族が集まる日

 2月に実家の家族全員でスキーに出かけた。
 祖母からはじまって、父母、弟夫婦と子ども、妹夫婦と子ども、僕たち夫婦と娘。総勢、14人の大旅行だ。
 場所は、父の実家の福井県の山の中。
 小さい頃は、夏休みなどによく父の実家に家族で遊びに行った。
 近年は全く行っていなかったから、前にいつ訪れたか記憶にない。恐らく、10年以上はたっているだろう。
雪に覆われた山道を、父の運転で進む。昔もずっと父が運転してくれた道だ。昔と違うのは、10人乗りの大きな車に家族が大騒ぎで乗っていること。
 それは、人数が増えただけにとどまらない、本当に大きな変化を感じるひとときだった。

 思い返せば、その始まりは一昨年の夏にあった。
 母が、一族みんなで旅行に行くと言い出したのだ。
 最も忙しい僕の予定を聞くのもそこそこに、母は弟と着々と計画を進めて、その夏は、はじめて14人での大旅行が決行された。
 その時は、まだ何かしらぎこちなかったところもあった気がする。
 でも、それはとてもたのしい旅行だった。来年もまた行こうと誰かがいいだすのは無理もない話だったけれど、今思えば、家族の土壌が固まってきた証だったのだ。

 昨年の夏は、予定通り、大家族旅行が、まるで何年も行なってきた恒例行事のように、行なわれた。
 そして、クリスマスには、何の計画もなかったのに、急にクリスマス会をやろうと声がかかり、また集まった。
 スキーの話は、その時にでた話だったが、母から予約をしたから予定を空けておくようにとの連絡が入ったのは、年が明ける前だった。

 僕にとって、この事実は、今でも信じられないほどの幸せだ。
 ただ、集まるのなら、毎年の年末年始にだってあったことだ。
 けれど、そこには家族の絆がある。心が通い合っていることを、些細なやりとりの中で感じる。

 僕の実家は自営で商売を営んでいた。
 両親は夜遅くまで働き、そのため、僕たち兄弟は、両親と触れ合う時間がとても少なかった。そのために僕たちは寂しい思いをしてきた。
 幼い頃の子どもにとっては、周りに辛い状況が起こった時、純粋な故に、その理由のすべてを自分のせいで起こっているのだと感じてしまう。自分は愛される価値がないから、一緒にいてもらえないのだという思い。
 そして、恐らく両親もまた、子ども達に悪いことをしてきた、という思いを持っていた。
家族全員が感じていた「自分のせいで」という思い。
 それが罪悪感となって、家族それぞれに距離を作ってしまっていたのだ。

 いつしか、それは、家族に絆がないという思いに変わり、同時に、それは、欲しいのに手に入らないもの、になってしまったのだと思う。
 僕が一番欲しかった幸せ。
 そして、家族のみんな、それぞれが、それぞれの思いで欲しかった幸せ。
 
 それが気がつけば今、ここにある。

 では、家族の絆を取り戻せた理由はなんなのだろう。それは、僕が心理学を学ぶことで、僕自身の家族への思いが変わったからなのだと思う。

 両親が僕たちに触れ合う時間がなかったのは、子どもたちを愛していないのではなく、仕事が忙しいあまりにしかたのないことだったということ。それどころか、子ども達の幸せのために、自らの身を削ってまで、働いてくれていたのだということ。
 
 愛されていなかったのだ、という思いが誤解だったと気づいた時。
 僕自身の心の中が大きく変わった。
 本当は愛されていたのだ。
 だから、自分は愛される価値がある人間なのだ、と。

 人の心は、実はとてもシンプルにできていて、心の奥底で感じている感情が、態度や表情に出てくる。
 それに気がついた僕は、知らず知らずのうちに、家族に対する態度や表情がやわらかく明るく優しいものに変わっていたのだ。
 そうした僕の態度は、今度は、家族の態度や表情を変えていった。

 着実に変化していっていたのだ。
 変わっていないと思っていたのは僕だけで、確実に変化していったのだ。
 両親だけでなく、兄弟が独立して、それぞれの家を持っていた、その家族にも変化は伝わっていた。
 どの家にも。どの家にも。どの家にも。

 「心理学をやって人生が変わらなければ意味がない」
 僕は、最近、この言葉の重みを身をもって知った。
 だから、はっきりと公言もするようになった。

 人が変わる材料は、どんなことだっていい。
 僕にとっては、たまたま心理学だっただけのことなのかもしれない。
 けれど、人は必ず変わることができるし、求めさえすれば誰にでも与えられるものだと思う。


 きっと、これからは毎年、こうして家族があつまっていくのだろう。
 そして、この幸せの連鎖は広がっていくのだろう。
 
 どの家にも。どの家にも。どの家にも。


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2008年3月 4日

●「ごめんなさい」が言えたなら

先日、近所のレンタルビデオ屋さんで半額キャンペーンをやっていたので、久しぶりにDVDを借りました。忙しくて、ちょっと疲れていたので、心が潤うような、ほのぼのした映画「ALWAYS 3丁目の夕日」、そしてちょっと趣きは違いますが「ドリームガールズ」を選びました。一見なんの関連もないような2つの作品ですが、この2つの中に対照的な場面がありました。
まずは「ドリ-ム・ガ-ルズ」です。
とても素敵なミュ-ジカル風の映画で、昨年の話題作となっていましたので 、ご覧になった方も多いのではないでしょうか。
主人公はビヨンセ演じるディ-ナなのですが、同じくらい存在感を持つのがエフィ(ジェニファ-・ハドソン)です。彼女は歌唱力抜群の、スタ-を夢見る女性ですが、同じグル-プのバックボ-カルだったディ-ナに、リ-ドボ-カルの座を奪われてしまいます。ディ-ナ自らが望んでそうなったわけではなく、彼女達のプロデュ-スを買ってでたカ-ティスに、「これからはテレビの時代」と、ルックスの良さを理由にリ-ドボ-カルに抜擢されたのです。
面白くないのはエフィ。それもそのはず、実力は私の方が上、なのに何で私が後ろに
引っ込まなくてはいけないの!?と、不満噴出。文句は言うわ、TV収録の場から外へ飛び出してしまうわ、練習はスッポカすわetc・・・

あー、わかるよ、エフィ。そうだよね、悔しいよね。ルックスが良い、てだけで美味しいところ全部もっていかれちゃったんだもんね・・・。やさぐれたくもなる、てものです。
でも、エフィはやり過ぎてしまいました。
噛み付きまくった挙句の果てにメンバーとケンカ、恋人だったカ-ティスにもそっぽを向かれてしまいます。
でも、エフィは誤りませんでした。
そして、全てがエフィの周りから去っていきました。


これと対比するように感じたのが、「ALWAYS 3丁目の夕日」です。
昭和33年の東京の下町を舞台に、ほのぼのとした人々の交流を描いた物語です。お約束通りの、結構ベタな展開ではあるのですが、観ていると顔の緊張が緩んで、肩から力が抜けるような、癒し系のお話です。そして結構泣けます。
さて、この物語の主軸となる鈴木一家。ここの主”父ちゃん”(堤真一)は
短気で怒りんぼう。戦後、苦労して”鈴木オ-ト”という小さな自動車修理店を興し、
やさしい”母ちゃん”(薬師丸ひろ子)と息子の一平と、つつましいけれど幸せに暮らしています。
この店に、中学卒業と同時に青森から集団就職で上京してきた”ろくちゃん”が
働き始めます。女の子なのに、特技が「自動車修理」ということで、父ちゃんが
採用したのです。
ところが、いざ働き始めると、ろくちゃんが全然“使えない”ことがわかってきます。
ある日堪忍袋の切れた父ちゃんが、いよいよ怒り出します。
「おまえ、”特技、自動車修理”と書いているのは嘘だったのか。この嘘つき!」
それまで我慢してきたろくちゃんも、ついに言い返します。
「オラが嘘つきなら、社長さんも嘘つきでねぇか。”自動車会社”って
書いてあったけど、ただの町工場の修理屋でねぇか!」
そう、ろくちゃんは、「自動車会社」と書かれていた就職先は、きっと大きなビルディングの会社で、自分はそこで働くんだ、と期待に胸を膨らませて「鈴木オート」へ来たのです。
しかし、実際は小さな町工場。思い切りガッカリしました。そんな鬱屈した思いが、とうとう爆発してしまったのです。

ここで父ちゃんキレます!!
“怪獣ゴジラ”並みにキレまして、お向かいの駄菓子屋さんに逃げ込むろくちゃんを追いかけます。
周りの人が止めに入るのですが、父ちゃんの怒りは収まりません。家にとって返すと、ろくちゃんの荷物を2階の窓からバンバン外へ投げつけます。「お前なんか、出て行けー!!」

放り出された荷物の中にあった、ろくちゃんの履歴書を見た一平が、大変なことを発見します。「父ちゃん、これ見て!」
なんと、ろくちゃんの特技は自“動”車修理ではなく、自“転”車修理。そう、父ちゃんは一文字読み間違えていたのです!

父ちゃん、意を決して、お向かいの押入れの中に潜んでいるろくちゃんに謝ります。「申し訳ない。この通りだ」と頭を下げました。するとろくちゃんは押入れの戸をソロソロと開けて、「私の方こそ、社長さんにひどいこと言いました。すみません」

この後、父ちゃんが告白します。募集要項に“町工場”と書こうか“自動車会社”と書こうか迷ったこと。“町工場”と書いてしまったら、そこで終わっちゃうんじゃないかと思い、書きたくなかったこと。今はこんなに小さいけれど、いつか海外にだって進出したいという夢を持っていること・・・。この時ろくちゃんと鈴木一家との間に絆が生まれ、その夜はみんなで楽しく夕食を囲むことになりました。

エフィと父ちゃんの違い、それは自分が“やっちゃった時”、ごめんなさいと謝れたかどうかなのではないかと思いました。もし父ちゃんが謝らなかったら、ろくちゃんは追い出されていたかもしれません。そしてお互いに後味の悪い思いだけが残ってしまったかもしれません。
もしエフィが謝っていたら、仲間と共に、引き続き芸能界で活躍していたかもしれません。
「ごめんなさい」と言えるかどうかで、その後の展開が全く違ってくるかもしれないのです。ちなみにエフィは、その後も意地になってツッパってしまい、援助の手も払いのけ、ますます孤立してゆく人生を歩んでしまいます。


私自身はどうかというと、やはり素直に謝るのは苦手な方です。エフィタイプですね。では昔からそうだったかというと、子供の頃はかなり素直に「ごめんなさい」を言う子供でした。そうそう、近所の子達と遊んでいて、ケンカをした時はそのまま家に取って返し、茶ダンス(今で言う食器棚)をガサゴソやって、お菓子を探します。そのお菓子を握り締め、遊びの場へ駆け戻ります。そしてケンカした子に「あげる」と言ってお菓子を渡すと、それがもう「ごめんなさい」の印だったんですね。渡された子も「うん」といって受け取り、仲直り。これが当時の私達の謝り方でした。よく考えれば、これって買収行為なのですが(爆)、当時はいたって単純だったと思います。謝ることも、許すことも、子供の頃はとっても簡単でした。それが何時の間に、こんなに大変になってしまったのでしょう・・・。


大人になる過程で、謝っても許してもらえなかったこと、罪悪感が強過ぎて謝ることすら出来なかったこと、とても傷ついたり、意地になってしまって相手を許せなかったこと。そんな経験を通して、謝ることがとても苦手になってしまいました。そして謝らなくても済むように、相手のアラを探してみたり・・・。なんだか、書いているだけでも恥ずかしいですね。


でも、このふたつの映画を同時に見たことで、謝ることの大切さを改めて感じたのです。


私は、「ごめんなさい」と「ありがとう」、このふたつの言葉は、人間関係を良くする魔法の言葉だと思っています。このふたつを適切に使うことができたら、人間関係の達人になれるのではないか?とすら思っています。(「ありがとう」については、次の機会に・・)

「ごめんなさい」が言えなかった時、もしくは言わなかった時、その後自分が望むような展開が起きたか?というと、決してそんなことはなかったと思います。逆にどんどんタイミングを逃して、関係が改善されないままになってしまった・・・なんて状況が、いくつもあったように思います。
そして素直に謝れる人を見ていると、とっても羨ましかったり。何故、て彼らはその後どんどん周りの人達とよい関係を築いているように見えるからです。そんな時は、なんだかおいてけぼりをくったような、淋しい気持になったり・・・。


ですので今は、自分が“やっちゃった時”、勇気をもって「ごめんなさい」を言うように心がけています。“やっちゃった時”ってピンチですが、よく「ピンチはチャンス」って言いますよね?
「ごめんね」を言うことで、ひょっとしたら今まで以上に相手との距離が近づくことだって可能かもしれないと思うのです。

何万語という難しい論文を書くより、完璧な言い訳を考えるより、たった6文字の「ごめんなさい」。これが言える方が、はるかにしあわせになりやすいのではないかと私は思っています。
「ごめんなさい」が言えたなら、きっとハッピーな展開が待っているかもしれませんね。


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