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2008年1月29日

●家族への思い

最近、家族に対する思いが変化している自分が好きです(笑)。

僕は両親が本当に嫌いでした。
小さいころの記憶といえば、家で酒に溺れる父。そのことで父をなじる母。
そしてその怒りを姉や僕にぶつけ、姉はその怒りを僕にぶつけていました。
家には居場所がない。
子供の時の僕にはそう考えるしかありませんでした。

以前、実家に帰った時に小学生の時に作成した壁掛けがあったはずなので、
母に見せてほしいと頼のむと、捨てたと言いました。
僕は当然のように聞きました。
「なんで捨てるねん、小学生のとき作った作品で唯一残ってるやつやん」
母は言いました。
「あの壁掛け吐き気するくら嫌やねん。明るい色が全然なくて
灰色とかなんともいわれへん色ばっかりやから」

その通りです。僕がみても30秒が限界なのですから。
小学生の持つ明るさなどまったくなく、絶望という言葉がふさわしい
ような色だけでした。

そして中学、高校と表面的には普通の子供でしたが内面的にはどんどん
ゆがんでいきました。
変わることのない父と母。姉との確執。
その時の僕の望みはただひとつ、
「楽に死にたい」
何度も首をくくる練習もしました。
包丁をお腹にあてたりもしました。
線路を越えたいとも思いました。
このまま目が覚めなかったらいいのにと毎日のように思っていました。

そしてある時僕は決めました。
「こいつらは赤の他人やと」
そして僕は一度だけ両親に言ったことがあります。
「こんなゆがんだ性格にしたのはあんたらのせいや、謝ってほしい」と。
両親は頭を下げました。

姉にもある仕打ちをしました。
姉が結婚をする時に当然のように結婚式や披露宴に出てくれと言われた時に
「お前の幸せなんか祝いたくないから、絶対に出席なんかせーへん」と
僕の中では姉もまた両親と同じくらい憎んでいたのです。

でもそんな僕でも今は少しづつ父も母も姉も許せていっています。
姉の場合は姉に子供が産まれ実家で子供たちと遊ぶようになった時に、
姉から
「ありがとう」と感謝をされたことで僕の中で何かがかわりはじめました。

父の場合は、僕の子供が死産として産まれてきた時に仕事を早退して
病院に駆けつけてくれ、その子供を病室で何分間も見ていた時に頬に
涙を流しているのを見ました。
父親の涙を見たのはこれが初めてでした。なぜなら父親はどんな時でも人前
では泣かない人だったからです。
そして、
「残念やったけど、かわいい子やないか」と声をかけられた時に
心の底から感謝がうまれました。
なぜなら僕が父に求めていた、僕のことを思ってくれていると感じとれたからです。

母の場合もやはり父と同じで子供の死産のことがきっかけだと思います。
でもそれ以外にも僕が心理学の勉強をしだして、その当時の母の状況を自分なりに理解し
話をしたことで変化は出てきたようなきがします。
ただ家族の中で一番に距離が近かった分、まだまだ僕の気持ちの中ではうまく整理は
出来てはいないみたいです。

僕は子供の死産のことで地獄の苦しみ味わいました。
あの経験は誰にも味わってほしくはありません。
ですがその経験によって僕が得たものがありました。
それは
「子供に対する両親の気持ち」

僕がまったく理解できなかった心の隙間の部分。

子供のことがあってから4年。色々な葛藤や出来事がありましたが、
僕は最近になってある言葉を心の中に刻むことを許すことができました。
それは

「親孝行してみたいな」と。


時間はかかったけど、僕は大事な宝物を手に入れることができました。


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投稿者 csadmin : 12:00

2008年1月22日

●じいちゃんのポッキー

小さい頃から、僕にはある一つのあまり重要ではない疑問がありました。

小さい頃、夏休みや冬休みに田舎に帰ると、じいちゃんがいつもポッキーというお菓子をくれていました。
仕事の関係で家にいない時には、ポッキーだけが置いてあることもありました。

毎回帰る度に、赤い箱のポッキー。

ポッキーを食べながら、「なんでいっつもポッキーなんだろう?」と思いながら食べていました。

ポテトチップスやビックリマンチョコなど、欲しいお菓子は他にも一杯あったので、「たまには違うお菓子もくれたらいいのになぁ」などと思いながらも、ポッキーは好きだし、おいしいし、じいちゃんがポッキーをくれることもうれしかったので、それ以上深く考えることもなく、じいちゃんに「何でいつもこのポッキーなの?」と聞くこともなく、ただ遊び回っていました。

先日、友人の子供にお菓子を送ってあげることになり、奥さんと2人でスーパーのお菓子売り場に行きました。

ずいぶん久しぶりに訪れたお菓子売り場は、童心をくすぐられるなかなか魅惑的な場所でした。

で、いざ、その子に送ってあげるお菓子を選び始めると、二人とも途方に暮れてしまったのです。

膨大な種類のお菓子があって、どれを送ってあげたらいいのかがわからないのです。


奥さん:「どうしよう?どれにしよう??」

僕  :「このボンタンアメなんかいいんじゃない?」

奥さん:「それはよーちゃんが好きなだけでしょ!あの子が好きそうなものを送ってあげるのよ。」

僕  :「そういえば、『ひもQ』欲しいって言ってなかったっけ?」

二人 :「ひもQ、ひもQ、ひもQ… あった!!」

奥さん:「ポケモン好きやったんちゃうかな??」

僕  :「え〜っと、ポケモン、ポケモン、ポケモン… このグミのやつなんかどう??」


たまにしか会わない子供が好きなお菓子って、接していない分だけわからないんですよね。

過去の記憶を手繰り寄せながら、そうしてなんとかかんとか見繕って、二人して「これで喜んでくれるかな〜?」などと言いつつ買い物を済ませたのでした。

そのお菓子の会計を済ませるレジの列に並んでいる時に、ポンと「じいちゃんのポッキー」のことを思い出したのです。

そして、思い出すと同時に、その疑問が解消されたのです。


“じいちゃん、僕が好きなものがわからんかったんや…”

“いつだったか、僕がポッキーおいしそうに食べてたの見てたんや…”

“僕がポッキー好きなのを覚えててくれたんや…”

“「これで喜んでくれるかな〜?」って思いながら、ポッキー買ってきてくれてたんや…”


口数が少なく、家にいないこともあったじいちゃん。
はっきり言って、(僕の中で)存在感薄かったじいちゃん。

あのポッキーは、そんなじいちゃんの愛情表現だったんです。

積年の疑問が解けると同時に、あのポッキーがただのお菓子ではないことに気づいた僕は、スーパーでウルッときてしまいました。

じいちゃんは今はもう死んでしまっていませんが、もし今もう一度会えるなら、じいちゃんに伝えたい。

「ポッキーありがとう」って。
「じーちゃんの愛情、受け取ったよ」って。
「すごい幸せな気分でね、胸が熱くなって、涙が出てくるよ」って。


じいちゃん、そしてじいちゃんの愛情に触れさせてくれた友人の子供ちゃん、本当にありがとう。

僕は、幸せ者です。


投稿者 csadmin : 12:00

2008年1月15日

●お掃除と大人になることについて...

お掃除と大人になることについて、田中、大いに考える。

あわただしい年末年始が過ぎ、すこし日常を取りもどしつつある
今日この頃でしょうか?みなさまは、いかがお過ごしですか?

この年末年始は、日ごろ出来ない色んな物事に向き合うことができた
いい機会となりました。
特に、お掃除はすごく頑張ったと共に、大きな気づきを与えてくれました

「掃除」と言うと時節柄、大掃除のシーズンです。
実は、前年までの田中は、時間があったにも関わらず
「まぁ・・・いっかぁ〜」と、あまり熱心にお掃除をしない状況でした。

見えているところは綺麗にするのですが、モノをどけてまでの掃除となると
ほかに忙しいことがたくさんあるからと、逃げてしまって
面倒なことを、見ないように見ないようにしてきた・・・・
と、言う状態でした。

しかしながら、こういう「逃げてる状態」って、
中々、自分では気づかないのですよね(汗)

日ごろ、お客様には、「問題を見ないために忙しいというワナを作っていませんか?」
と・・・投げかけるのは得意なのですが・・・
カウンセラーもやはり人の子です。(笑)自分の事は、指摘されないと・・・
指摘されても、なかなか受け取れるものではないのだなぁ・・・
を、改めて痛感していました。
(そういえば、年末のカウンセリングでは、問題とガッツリ向き合いましょう!との
 ご提案を多くさせていただいていたように思います。おもしろいもので
 この提案を一番聞いているのはカウンセラー自身なので、カウンセラーも
 自分を振り返るキッカケにさせていただけることが出来るんです)

そこで、今年は、じっくりと掃除をしよう!と決め、年末には3日間丸々かけて
「これでもかぁ〜〜〜〜!!!」ってほど、お掃除に励みました。
ほんまに、ああ・・・面倒だ。もうイヤだ・・・やっぱやめておこうかな?
なんて声が、ずっと聞こえっぱなしなのですが、それでも「やる!」って
決めているので、強いもんでした♪

大晦日の夜には、もう「どなたでも♪遊びにいらしてぇ〜♪」って状態で
ガッツポーズを取り、やったぁ〜〜〜〜〜〜!!!!と言う
達成感を大きく感じることが出来るくらい!
当初、自分がこれだけは絶対やる!って決めていたものを全て完了させることが出来ました。

こんなに、思い切り掃除をしたのは、もしかしたら産まれて初めてかも?ってほど
「自分でここまでやる!って決めて、それをやりきる」このことが
とってもとっても、精神的な実りになるのだなぁ〜とも感じれる経験でした。

これは、自分の人生を創っていく「大人」としては当たり前の意識なのですが
なかなか・・・特に女性にとっては、この意識を手に入れるのが難しい場合もあるようです。
自分には力が無い。もしくは決めることが出来ない。やりたいことがわからない。
そんな物事が積み重なって、自分の人生を自分で創り生きて行くことが難しいといわれます。
しかし、それを越え大人へのプロセスを踏み出すときには
小さな物事から、自分で決め自分で行動すると言うことがとっても大事になります。
田中自身も、この「自分には力が無い」と言うワナは、もっていますので
意識をして、こういう機会に決めて実行する。そうして達成する!
いわゆる「成功体験」と言うものを積み重ねていくことを意識しています。

自分の人生を決めていく!と言うのは、小さな決定権を自分に託す。
いわば、責任を取る。怖いことですが、なれてくると何でも出来そうな気がします(笑)
「自信」と言うものは、こうやってついてくるものなのかもしれませんね。


投稿者 csadmin : 12:00

2008年1月 8日

●ほんの少し心が豊かになればいい

2008年を迎えましたね。
皆様にとって、ますます意味のある幸せな年になりますよう、心からお祈りしています。
また、皆様の益々のお幸せへの変化を、必要なときには私達にもお手伝いさせていただけましたら嬉しいです。

年明け、皆様はどんなふうに過ごされましたでしょうか?
私にも色々な年明けがありましたが、今回は最も静かに過ごした年のことをお話しますね。

ある年、お正月の3日間、心を落ち着けて、自分は何者で、何をしたいのか、何になりたいのか、探ってみようと思いました。そのために、できるだけ外とのつながりを絶って、何もしないようにすることにしました。
幸い、年末年始は仕事を休めて、家族の世話をする必要もなかったので、年末のうちに部屋の片付けをし、食べ物を用意して、お正月は気楽に過ごせるようにしておきました。

そのころ私は、「現状維持でも生きては行けるけれど、なんだか本当にやりたいことをやっていないのではないか」と感じていました。「このままで人生の後半を過ごすのはどうなのだろう」と、成長のプロセスにある、一つの壁にぶつかっていたようです。中でも大きな壁だったのかもしれません。
少し前から学んでいた心理学は私にとって素晴らしいもので、人生が変わるほどと感じていましたが、さらに学んでカウンセリング&セラピーをやっていくことについては、まだ決心ができませんでした。

また、人から言われることが、とても気になっていました。
自分自身が、自分の色々な面を受け入れ認めていたら、人から「あなたはこんな人」と言われても、戸惑うことはあまりないと思うのですが、その時は戸惑いました。例えば、占いができるという人に、あなたは何年も落ち込んでいるはず、と言われて、そのまま落ち込んでしまいました。それまでの数年間、新しい人や物との出会いがたくさんあって、かつてない経験をしていましたから、充実していたと思えればよかったのですが、戸惑ってしまったのです。
そんな訳で、お正月の3日間、何もしない時間を持ち、成長の壁を越えて行けるよう、気付きを得ようとしたのでした。

静かに過ごし始めてしばらくは、悶々としたまま、ゴロゴロしていました。何かしなければいけないという思いは、この3日間だけ、湧いてきても放っておきました。
迷いやネガティブな自己イメージを感じた時にはつらかったような気もしますが、もしかしたらすごく穏やかな時間だったのかもしれません。やがて、誰にも、何にも邪魔されず、し〜んと静まり返った湖の底に、そっと沈んでいるような感覚になっていきました。

そして、最も深く沈んだかのように感じた時、ふと、こんな考えが浮かんできたのです。

「私は、何かになるために生まれてきたのではないし、何かを成し遂げるために生まれてきたのでもないのではないだろうか。
では、何のために生まれてきたのだろう。もしかしたら心を成長させるため? あるいは心を豊かにするため? だとしたら、生まれてきて、少しだけ心が成長すれば、あるいは、ほんの少しだけ心が豊かになったなら、それだけでもう、生まれてきた意味があるのではないだろうか。
もしかしたら、本当に小さな小さなことだけれど、花を一つ見てきれいだなあと感じたら、私は生まれてきてよかったと言えるのかもしれない。」

そう感じた途端、あらゆる力がすうっと抜けていきました。

ふと周りを見回すと、あらゆるものに輝きがあるように感じられました。葉っぱ一枚でさえ、そして身の回りに起きるあらゆる現象が、心を豊かにしてくれそうに思えたのです。

仕事についても、重圧や矛盾を感じるようなことはありました。
でもこの気付きに基づいて感じ直してみると、ほんの小さなことをするだけでも十分なのではないかと感じられてきました。例えば、職場の床の小さなゴミを一つ拾えば、その場所が今までよりほんのわずかきれいになります。誰も見ていなくても、全く気付かれなかったとしても、私が行動してその場所がきれいになるのなら、私が生きている価値はあると思えたのです。
その後、実際に、年明け最初の仕事の一つとして、誰にも知られず、職場の床を磨いたりしました。一つシミが消えるだけでもいいと感じながら。すると不思議なほど、気持ちが落ち着いてきたのでした。

もちろん、社会的に認められるような立場になったり、人々が大きいと認める物事を成し遂げて賞賛されたりするのは、すごく嬉しいことだと思います。でも、原点はもっと小さな小さなことでいいのだろうと、この時、私には感じられたのです。

この気付きは、その後、自分の気持ちの礎となりました。
「ほんの少し心が豊かになればいい」と感じていると、してもらったことや、手に入ってきたものや、自分のしたことが、ほんの小さなことであっても心から十分だと思えました。有り難さやできる喜びも生まれてきました。
どんな小さなことにも、感謝や喜びを感じられる元を手に入れたようなものですね。

そうは言っても、何かと怒りや悲しみなどのネガティブな感情が湧いてくることはありますが、この気付きに立ち返ると気持ちを早く切り替えられるように思います。

そんな訳で、その後の毎日は次第に楽になっていきました。「やってみようかな」と迷っていたことや、「やらされている」と感じていたことを、「これをやりたい。これをやっていく。」と自ら選択して積極的にするようにもなりました。結果や評価をあまり怖れなくもなりました。
変化は加速して、やがて、体が着いて行かないほど意欲的に物事をこなすようにもなっていきました。

さて、今回は、とても消極的な過ごし方をしたかもしれないお正月のお話をさせていただきましたが、思いのほかアクティブな未来につながったのではないかと思っています。何がどう展開していくか、分からないものですね。今年の年明けは、このコラムを書くことから始まりましたが、どんな展開になるのでしょうか。予測を超えたおもしろさを味わえたらいいなあと思っています。よろしかったら、皆様もご一緒にカウンセリングサービスでお楽しみくださいませ。

2008年もどうぞよろしくお願い申し上げます。


投稿者 csadmin : 12:00