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2007年3月31日

◇愛のある世界

ミシュランというと、みなさんは、何が思い浮かびますか?

ミシュランガイドの方でしょうか、ミシュランタイヤの方
でしょうか。

そう、ミシュランは、タイヤのメーカーであり、また、
ミシュランガイドというホテルやレストランなどのガイドブック
も販売しているんです。

有名な話ですが、フランスで、ミシュランタイヤを経営していた、
ミシュラン兄弟は、どうしたら、お客様にもっとたくさんのタイヤを、
買っていただけるのだろう?と考え、今まで以上に、
お客様がドライブをすれば、タイヤが減って、
また買っていただけるのではないか、と考えました。

そして、どうしたら、ドライブをもっとしていただけるのだろう?
その着想から、1900年、フランスの万博の年、
ドライブ先である、ホテルやレストランなどの、
ガイドブックをつくるというアイデアを思いついたのです。

お客様が、ホテルやレストランへ出向くために、ドライブをすれば、
タイヤが売れるのではないか?と考えたわけです。

テレビでも

「☆3っつです!!!」

とやっているくらい、私たちの生活に、浸透している、
これも、本来は、ミシュランから由来しているんですね。

そのミシュランガイドが、今年、東京にも上陸するそうです。
このガイドを作成するにあたって、匿名の調査員が、ホテルや
レストランを利用して、そのランクを決定するというエピソードも、
ミシュランガイドの興味深い話題のひとつです。

今から、100年以上前に、考えたアイデアが、今でも人々に
愛されているという事実を思うと、私は、素敵だなぁと、
すごく感動するのです。

インターネットが普及した、現在、そのアイデアは、さらに、
活かされ、人々に愛され続けています。

私は、ミシュラン兄弟のこのアイデアは、そこに愛がある。
と感じます。

愛があるので、人々にも愛され、そして、それは、もう販売戦略
の域を超えて、文化ともいえるものに進化しているくらいに、
私たちの生活に融合しています。

私は、昔、悩みや問題におちいっていた時代があるのですが、
そのころ、この世の中に愛はどこにもないと思っていました。

そして、こんな世の中だから、自分は不幸なのではないかと、
世の中を呪うような気持ちすらありました。

ですが、実は、私が生まれるずっと前から、この世の中には
愛というものがたくさんあったのです。

愛、以外のものもあったと思うのですが、この世の愛に、
気づくことができない私がいました。

私が、ブログでコラムを書くときに、いつも心がけることがあります。
それは、幸せな気持ちを、悩んでいるみなさんに、お届けしたい
ということです。

ミシュラン兄弟が、お客様のことを思ってときのように、
私も、お客様のことを思い、愛のあるメッセージをお伝えしたいと
思います。

今、悩みにおちいっている方も、あなたの周りに愛がないと
感じるかもしれませんが、この世界には本当は愛があります。

それはどんな嵐の日でも、その暗雲の上空には、素晴らしい、
青空が広がっているという事実に似ています。

そう理解されるだけでも、少しでも、この世界にある愛に、
気づいていただけるかもしれません。
この世界は、それほど、悪い世界でもないかもしれませんよ。


清水三季央のプロフィールへ>>>

投稿者 csadmin : 12:00

2007年3月27日

●仰げば尊し〜桜の季節に寄せて〜

 三月、春とはまだまだ名ばかりのこの季節、それぞれの学び舎から巣立っていく姿が見受けられます。2年前まで学校を職場としていた私には見慣れた光景であり、その裏方を20回以上(学校により、2回の卒業式があったためです)させていただいたことも思い、少し遠い所から、現職の時とは少し違った感慨を以って眺めています。

 かつては卒業式につきものであった「仰げば尊し」と言う曲は、私が小学生の頃には歌うこともなかったのですが、それは「教師は聖職ではなく仰がれるような立場ではない」と言うような考えが主流であったことを誰からか聞かされた記憶があります。その時代、地域、と言ったこともあったのでしょう(他の地域はどうなのか私は知らないのですが)、子供心には「???」と言う感じでした。 

私の通っていた小学校は今では創立70年を越えたくらいでしょうか、当時の校舎のそこかしこに第二次世界大戦の戦禍が遺されていました。中でも印象的だったのは、講堂前の階段の手すり。重厚な木製なのですが、痛々しいやけどの跡のように、焼け焦げた後が残っていました。今では震災の後に校舎も新しくなりましたが、その手すりはそのまま特別室に保存されている、と聞いています。

 私が小学生のころ、「この小学校と同じくらいの歳」と言いながら、機会があると自分たちの子供の頃・・・つまり、「戦時中」から「戦後」にかけての話をしてくださった先生が何人かおられたのですが、今思うと両親から聞いた話と混在しているのか一致しているのか、まさに私の記憶は混沌としていますが、子供の頃に感じた痛みを思い出す話がいくつかあります。

 戦争中は憲兵が学校に常駐していたため、教壇に立つ先生はいつも緊張していた。玉音放送があり事態が変化した後、それまで使っていた教科書と墨と筆を出すように言われ、「今から言うところは墨で塗るように」と言われたというのですが、教科書のほとんどは墨で塗られることになった、つまり、それまで学校で教えてきたことのほとんどを覆さなければならなかった。病気の子供には親が苦労をして手に入れた石鹸みたいなバターや茶色い干しバナナを食べさせたが、ほかの子たちには与えられることはまずなかった。代々伝わってきたような高価な物品がわずかな米に換えられて家族の命をつないだ。などなど。

 教科書に墨を塗ったときには、今までいったいどんな思いをして学校に来ていたのか、とか、同じ先生がこんなことを言うのか、と思ったというのは母の弁です。もちろん今はそんな極端なことはないのですが、親や教師や上司、あるいは医師や看護師などの医療従事者、そして私たちカウンセラーの一言というのは、言う側よりも言われる側には深く響くことがあります。つまり、言う側の認識よりも影響力が大きいということ。このことをあまり意識せずについ自分たちにとってはさほど問題とは思わない発言をしてしまうこともあると思うのです、なぜなら・・・みんな人間ですから。

 仰げば尊しと言う歌を学校現場の卒業式で歌わないという世代の中心は、母の世代の先生たちが教師として中堅層の時代だった気がします。今は、「君が代」も「仰げば尊し」も歌われているようですし、その歌詞の意味も私の子供の頃ほど説明をされてはいないのかもしれません。この歌についての特別な思いと言うより、たとえば教師を職業として選び、生業としている人たちの多くは、自分を聖職者とは呼ばないでしょう。これは医療や福祉に携わる人も同じだと思うのです。でもその向こうで心から感謝をしている声もまた、少なくはないのですが、感謝をされる側はどうも当たり前のこととしていることが多いように思ったりするのです。

 私が小学生だった頃、あの焼け焦げた手すりを撫でた最後の日はやはり卒業式でした。あの頃の私はまだまだ幼く、担任の先生をとても上に見上げていましたが、今から思うと今の私よりもずっと若かったんです。自信のないこともあっただろうし、私たちの言動に傷ついたことだってあったのではないかしら。言葉の影響力なんてあまり考えなかったんだろうな。

その後とてもお世話になり大好きだった中学校の美術の先生は、新規採用でまだ23歳と若く、今から思うと若さゆえの熱さもそのやさしさも、私個人に関して言えば絵に関する興味を引き出してくださったのも、忘れがたいことなのです。大人になり、同じ世界で仕事をするようになり20年ぶりくらいの再会を果たしたときに、「あのときのこんなこと」をいくつか話し、どれほどうれしかったか、を伝えたのですが、半ばあきれたような驚いたような顔をされて、こう言われました。

「おまえ、しょうもないこと覚えててんなぁ。」

でもね、私にはわかりました、先生はとってもうれしかったんだということ。その後、私が着任した最後の学校に、「表敬訪問」をしてくださったのです。先生は小学校の校長先生に着任されていました。中学校の教師よりかわいい小学生を教えたい、とよく言っていたことを思い出して、言いました。
「先生、念願かなったね。」
そうしたらやっぱりこう返ってきました。
「ああ、そうやなぁ。おまえ、しょうもないこと覚えてんなあ。」

先生、と呼ばれる立場の人のちょっとした言葉って意外に心に残るものなんです。これは私が子供の立場から見てのお話です。つまり、私にしたところで、同じことが言えるわけですから、私の一言が誰かにとって重要な意味を持っていることだって、考えられるんですね。ところが、私自身の認識といったら・・・そこまでは思っていない、というのが本音に近いと思います。そしてこれは私に限らず誰かに向かって言葉を発する立場の人の多くがそう感じているのでは、と思います。

 こうして考えてみると、「仰げば尊し」を歌わないでおこう、としていた時代の教師たちの心の中を流れていたのは「私はそんなに偉大ではありません」「私の影響なんてちっぽけなものです」ということだったのでしょうか。う〜ん、それも違う気がする・・・。まあ、実際のところ感覚的には私にはわかるのですが、表現するのに少しためらう気持ちもあります。簡単に言うと「時代の趨勢」というところでしょうか。

さて、三月も終わりに近づき、校庭に咲く桜は見ごろを迎えます。卒業していった後には、新しいランドセルを背負った小学生、まだ大きいまっさらな制服を着た中学生、希望に胸を膨らませて少し大人顔の高校生・・・さらには専門学校や大学の門をくぐる学生、配属先にどきどきしながら初出勤する新人たち・・・。それぞれの春が始まろうとしています。

仰げば尊しわが師の恩・・・この言葉はきっと後になってじんわりわかってくる言葉なのかもしれません。そこに教育の真髄があるような気がします。人が人に教えられることはたくさんあるようでもあり、本当はエッセンスが伝わればいいのかもしれません。問題の解き方であるとか公式や技術や理論・方法論よりも先生の余談やちょっとしたエピソードをより覚えているのはなぜなんでしょう?面白かったとか楽しかっただけではなく、そこに人間味を感じたから、人生の哲学があったからのような気が、私はします。

職業人として、一人間として、ひとと向き合うことを仕事として選んだことを誇りに想う今日この頃。いろんな先生の顔や言葉を思い出して、ちょっぴりにやにやしているのです。

投稿者 csadmin : 12:00

2007年3月24日

◇大きさ

先日は母との思い出話を書いてみましたので、今日は父のことを書いてみよう
かと思います。

私は世間では珍しく?お父さん大好きっ子です。もし、親に相談することがあ
れば、相談は母ではなく父にします。

そんな父はどちらかと言うと世話好きなおばちゃんって感じです(笑)いつも
人の心配をしているような人ですね。

私の見守るスタンスと言うのはこの人の血を引いているのでしょう。
それでいて、無邪気で、でも男の背中も見せてくれます。

普段は甘えたで、ボケボケしていますので、どちらかと言うと邪険に扱ってお
ります(^^;
が、そんな愛すべきキャラの父の強さと悲しさを見たことが何度かあります。


それは祖父が亡くなった時のことです。私が幼稚園のときに祖父が亡くなりま
した。当時の私は父の置かれていた環境は知るはずもありません。ですが、そ
の時父は「泣いていない」のに「泣いて」いました。


祖父は心臓病だったのですが、私たちは運良く死に目に会うことが出来ました。
なぜ、運良くかといいますと、父と祖父は仲たがいをして長いこと会っていな
かったのです。

父と祖父が和解した時が、亡くなった時(もしくはその前 1度に病院に行った
時かもしれませんが)でした。私自身も祖父に会ったのはその最後の 1,2回な
んです。

心理学を学んだ今思えば、父はずっと祖父の愛情を求めていたんでしょうね。
最後の最後で、少しの間だけ認められて愛情を感じることが出来たのかもし
れません。

最後の最後で父親と分かり合えたのに、これで永遠のお別れなんて・・・。
でも、男として涙をこらえていたんでしょうね。でも、子供ながらにひしひし
と感じるんです。この人の心は泣いているなって。号泣してるなって。

遺体の処理なのか病院側からの話なのかは、思い出せませんが、わかりません
が、とりあえず子供たちは外にいなさいと言われたのですが、その悲しみの大
きさを感じて返事も出来ずに何も言えずに、固まっていましたから。

人はこんな時、誰でもそんな風にしてしまうのかもしれませんが、父の中に大
きさを感じました。

父は若い頃から自分の居場所がない感じで孤独の中を一人で切り抜けてきたよ
うな人生でした。もちろん、祖父への維持もあったのでしょうけど。
そんな苦労や孤独をまっすに受け止めて人生を切り開いていく姿は男らしいと
思いますし、私の人生における良い見本でもあります。


まぁ、普段はそんな過去や頑張りを微塵も感じさせないくらい子供です。
そして寂しがり屋です。普段昼寝をするにも下で家族みんなが楽しそうにして
いると寂しいらしくので、自分の部屋のベットではなくわざわざ下で寝ていま
す。ゆっくり眠れないから部屋にいって寝れば?といっても聞こえないフリを
しています(笑)

そんないろんな面を、親だからと言って隠すのではなく子供たちに惜しみなく
見せてくれる父はとても大きな人なんだと思います。私は人の強さや大きさを
こんな父から教わってきた様な気がします。


渡辺 晴美のプロフィールへ>>>

投稿者 csadmin : 08:10

2007年3月20日

●鈍感力

久しぶりの一人暮らしを始めてもう、半年以上経ちま
した。一人でいる時の部屋は空気がさほど動かず、そ
の静かさはいろいろな思いを感じさせます。

あまり寂しさを感じない僕でも、気が付くとテレビを
つける習慣ができていました。かつてはほとんど見て
いなかったのですけれど。

テレビは見るためにつけているわけではないので、映
されている番組はさまざま。バラエティは多いけれど
も、ニュースやワイドショーなどが流れていることも
もちろんあるのです。

そういえば一人暮らしを始めたあたりの時期、日本は
首相が代わった時期ともほぼ重なっていました。

僕は政治のことを何ら知りませんが、テレビを通して
コメントを耳にした時、なんだか歯切れが悪いなぁ、
と常々感じていたような気がします。

でも最近は、強気なコメントをしているなぁ、と思い
ます。正しさや意図はわからないけれど、強い意思が
宿っているような気がするのです。

と思っていると、たまたまつけていたワイドショーで
も同じようなことを言っていて、さらに調べて追求し
ていました。人の上に立つと、いろいろされて大変で
すね・・・。

そのワイドショーで言うには、最近前の首相に会い、

「何をしてもいろいろ言われるんだから、鈍感力を持
 て!」

と言われたからだろう、と分析していたんです。
ど、鈍感力!?
面白い言葉だなー、と思い、数日頭の中に残っていま
した。そしてふと、思い出した昔のこと。

「お父さんがね、『あいつはガラス細工のようだな』
 って言ってたよ。」

母の言葉です。
ほんのちょっとでも強い圧力をかけると壊れてしまう
儚さ、脆さを表現しているのは容易に想像できます。

20代前半の頃は特に、知らなくてもいいことまで気づ
いてしまう感受性の鋭さ、打たれ弱さがある自分をと
ても嫌悪していました。

わかってるけどさ、じゃあどうやったら打たれ強くな
るわけ!?

これは僕の、20代における絶対的なテーマでした。


その結果、今では思い出すのも恥ずかしいのですが、
うじうじしていたあの頃を通して出た僕なりの結論、
それは、

「結局打たれるしかない」
「逆にこの感受性を活用する」

この2つだけだったんです。単純ですね・・・。

カウンセラーになることを決めた後、自らの未熟さは
打たれる状況を何度も呼び寄せたりもしました。へっ
たくそな生き方だけれども、今は積み重ねてきた歴史
に意味を感じられます。

その時の辛さは、何もしなかった時の自己嫌悪に比べ
ると、はるかに意味のあるものだったから。

強い意思を見せることは勇気の要ることです。言葉を
言い切ると、そこに批判がやってくる余地が生まれま
す。でも曖昧にすると何かが迷いますよね。

自分の望む物事を何かしらの形にし、それらに反発す
るものを深く感じないこと。

確かに鈍感さも、一つの力となるかもしれません。

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投稿者 csadmin : 12:00

2007年3月17日

◇与えて受け取る

依存的になっている時は、与えることにチャレンジすることを、
カウンセリングなどで、お勧めをすることがあります。

ご相談の内容によって、誰に、どのように与えてみることにチャレンジする
かは変わってきますが、例えば、パートナーへ依存的になっている時は、
パートナーに与えることをお勧めすることが多いです。


 一つは、与える喜びを学ぶ目的でお勧めをしています。
依存的になっている時には、与えて貰えないということで不満を感じがちに
なるので、与えることで満たされるようになる為にです。

もう一つは、与える難しさを知ることで、今まで与えて貰っていたものに
気付いて、それに感謝できる力を高める為にです。

親になって初めて分かる親のありがたみという言葉を聞きますが、
与えてみる立場になることで、与えて貰っていたものに感謝できる力をアップ
してみましょう。すると心がポカポカ暖かくなりますから。という趣旨でお勧
めをしています。


 最近、私もそのような体験をしました。

つい最近まで我が家の乳児は、2時間ほどしか眠ってくれませんでした。
おっぱいや、オムツを替えて欲しいというのを求めて目が覚めるのです。

まぁ、赤ちゃんだから仕方がないと思うのですが、
我々大人としては、睡眠が不足がちになるので、体力的には大変なのです。

そのことを私の母親と話をしていました。

私:「今は、2時間置きに泣いて起きるんだ」

母:「そう大変だね」

私:「そう!体力がねー」

母:「そっかー。お前は1時間置きだったけどね」

私:「・・・そ、その節は、お世話になりました」
と思わぬところで母親に頭が上がらぬ思いになってしまいました(笑)


 親に与えて貰ったことに感謝を心掛けて、十分理解していたつもりでしたが、
自分が子供に与えはじめて、『こんな思いをしながら親は与えてくれてたんだ』
と改めて気付くことが多々あります。

『親も毎晩起きて世話してくれてたのかなぁ』というのも、その中の一つ。
心がポッと暖かくなります。

与えるということを通して学べることや、感じられることが多々あるなぁ、
と実感することが多い最近の私であります。
そして、受け取れるものが増えていってるような気がします。


原 裕輝のプロフィールへ>>>

投稿者 csadmin : 01:10

2007年3月13日

●ネコへ恩返し

3月ですね。転勤の季節だったり、卒業の季節だったり
今までの関係や環境からの変化の時期でも
あるかもしれません。お別れの季節といわれますが。
でも、お別れ・終わりと言うのは、同時に始まりでもあります。
出会い・スタート!新しいステージ!動き出すには、ぴったりの時期かもしれません。
全てが、芽吹き、生き物の息吹が聞こえてくる季節!
さて、何を始めようか?と考えながら
とりあえず。窓をあけて空気をいっぱい吸い込みました
はぁ〜!いい気持ち!!

来月には、私の大好きな桜も見ることが出来ます。
街には、色とりどりの花々が咲き乱れて、大好きな雪柳も
満開をたくさん見れるといいなぁ〜と、今から、想いをはせています。


さてさて。お話は変わって、我が家には、ネコが1匹居ます。
体は白くて、耳のところに「マロ」のような?(笑)
黒い斑点が2つ。シッポが黒いネコです。
はい。雑種です。しっぽも曲がってますが、とってもかわいくて
とっても綺麗なネコです。目が緑でセクシーです。はい。親ばかです(^_^)v

ウチのボウズ(息子)が小学2年生のときにやってきました。
ボウズは、この4月に中学2年になりますので、もう我が家へ
来てから、6年がたとうとしてます。

このネコ。名前は「あ〜ちゃん」と名づけました。
貰い受けたときから、名前が「あ〜ちゃん」でした。
元飼い主さんにお伺いしますと、鳴き声が「あ〜・あ〜」って
聞こえるので、とのことでしたが、本当にあ〜あ〜鳴きます。

お返事ネコちゃんです。「あ〜ちゃん!!」って呼ぶと返事をします。
とっても甘えん坊さんです。こう、パソコンの前に居ると
必ず、ヒザに乗ってきて、ヒザの上でグルグル回ってくれます。
お仕事から帰ってくると、必ず、玄関先で待っててくれます。
私が行くとこと、どこでも着いてくるぐらいの甘えたネコです。

夜中。家中の電気が消えると鳴きませんが。朝、私の目覚ましがなると
部屋をあけろ!とぎゃ〜ぎゃ〜鳴きます。
食材なども、取ったり、粗相をしたことの無い、とってもかしこいネコです。

さてさて、堂々の親ばかぶりですが、ウチのネコ自慢です(笑)

この子が、おうちに来たときのイキサツなのですが・・・

私は、長女が小4・ボウズが年長さんのときに離婚をしました。
フルタイムで働いて、バタバタと忙しい生活が始まりました。
当時、保育施設で働いていたのですが、小学校に入りたての息子を
おうちへ残して、夜に会議だとか、残業だとかをこなさないと
いけないことが多くありました。
夜も、ご飯の用意はしてますが、長女にお願いして
2人でご飯を食べておいてもらうことも、よくありました。

当時の私は、子どもに一緒に居てあげたいのに、居てあげることが出来ない
寂しがっているのではないかな。とか心配だな。とか
ごめんなさいばかりを胸の中に押し込めていました。

そんなときに、少しでも寂しい想いをしなくて済むように
と考えて、ネコを飼うことを決めました。

長女やボウズに話すと大喜び!で、地域の情報誌から、ネコを
もらってください。と言う記事を探し、電話をかけました。
ネコの里親さんは、大きなゲージに2匹のネコを
つれてきてくださいました。

「あのぉ・・・2匹は飼えないのですが・・・」と話すと

「いえ、いつも、2匹づつつれて来るんですよ。
 で、数日、一緒に過ごしていただいて、どっちがいいかを
 決めていただきますので」とのこと・・・

(げっ?数日とは言え、2匹もお世話するのか?(タラーリ))

と・・・一瞬、ひるみましたが、まぁまぁ・・・
ネコ様と、飼い主さんを大事にされてるんだと受け入れることが
できましたので、2匹、置いていっていただくことに。

しばらく、大変でした。(~_~;)

「そんなとこに、どうやったら?入れるの??」ってとこに
2匹のネコが逃げ隠れします。
そうして、出てこない。一応、トイレの用意もえさの用意も
してますが、2匹ともが、ハンスト状態でした。
近づくと「ふっ〜〜〜〜!!!!!!!!!!!!!」って
ものすごい勢いで、威嚇されるのです。(~_~;)

ベットの下。テレビのウラ。食器棚と壁との間。
洗濯機の裏側。食器棚の上。
粗相をされないか?と、どきどきしながら、しばしにらみ合いですわ。

ボウズもおねえちゃんも、早く出てこないか?とワクワクする分
ネコが出てきたら、わぁ〜〜〜って寄って行くので
余計に隠れてしまったりしていました。

しかし、3日が過ぎるころに、あ〜ちゃんの方は
人間が居ても、ごはんを食べるようになってきましたし
テレビをみんなが見てる横で、ちょこんと座ったり
丸まったりするようになりました。

もう1匹のネコは相変わらず。

5日が過ぎるころ。あ〜ちゃんは、すっかりボウズに触られても
ごろごろ言うようになりました。
もう1匹は、ガンコにも相変わらず。

そうして、里親さんが、迎えにきてくれました。

「どっちにしますか?」って聞いてくださったときに
「こっちの、白いほうにします!」って話すと
「えええ??????」って驚かれてしまいました。

そうして・・・・・里親さんが、涙ながらに・・・・

「このこねぇ〜どこに行っても、返されてくるんですよ〜
 なじまないって言うてねぇ〜!家では、一番の甘えたでね。
 ウチの主人のヒザの上から、離れない子なんですよね。
 だから、今回も、きっと戻されるのはこの子だろうなぁ〜って
 思ってたんですね〜!!!
 だから、よかった〜!って思ったんですよぉ〜!」

って、おっしゃるんですよね。
そうして、あ〜ちゃんに向かっても、話しかけられて

「あんたっ!よかったなぁ!!!!
 やっと、大好きなお家、見つかったなぁ〜!
 大好きな家族が、見つかってよかったなぁ〜〜〜!!!
 かわいがってもらうんやでぇ〜〜〜!!!」

って、頭なでなでしながら、泣いてらっしゃるんですよね。

本当に、大事に大事に育ててきたわが子を
幸せを祈って手放すようにして、喜んで下さったネコなんですよね。

そんなこんなで、6年。我が家の家族として、仲良く
暮らしてくれているネコさんなんです。

でも、きっと、動物との出会いにも、「縁」って言うのがあって
きっと、このあ〜ちゃんは、ボウズが寂しくないように
我が家に来てくれたんだろうなぁ〜って思います。

いっつも、ボウズは、あ〜ちゃんを抱っこして過ごしてきました。
抱っこして、ネコの体に顔をうずめて、ぐりぐりするんです。
顔中、毛だらけになりながら(笑)
服も、毛だらけになりますから、学校に行くときなども
毛を取る作業だけでも大変です。
中学になったら、少しはマシになったものの
それでも、相変わらず。しょっちゅう、ネコの毛だらけのボクです。
いまだに、ボウズはあ〜ちゃんが大好きです。

そうして、あ〜ちゃんも、ボウズのすることは、されるがままに
なってやってくれています。

本当に、お世話になっておりますのですわ。

そういえば、うちの実家にも、ネコがたくさん居ました。
多いときには、7匹居ました。
夜に、両親が仕事で居ない夜。寂しさをネコがたくさん埋めてくれました。
一緒に眠ってくれました。
私自身も、ネコにお世話になってましたね(^_^)

そうして、今も、あ〜ちゃんは、ごろごろと私のヒザの上で
ぐりぐり回っています。

小さいころから、お世話になったネコさんたちへの恩返しとしても
お別れの日が来るまで、今は、この子を、
これからもいっぱいいっぱい、愛して、大切にしてあげようと思うのです。

ありがとうの想いをこめて(^_^)


投稿者 csadmin : 12:00

2007年3月10日

◇やりたいことを見つけるヒント

20代〜30代のころの私の悩みは「自分の好きなことがわからない」
「やりたいことがわからない」というものでした。
おもしろそうだなぁと思った趣味や習い事をやってみたり、本をたくさ
ん読んでみたりしましたが、なかなか見つからず、「私にはやりたいこ
となんてないのかも・・・」などと悩み続けていました。

私たちは育っていく過程で、両親やまわりの人から、
「医者か弁護士になりなさい」
「安定しているから公務員になりなさい」
「手に職をつけなさい」
「いい大学に入って、大企業に就職して・・・」
などなどいろんなことを言われて育ちます。
テレビや雑誌などもそのときどきで、あれがいい、これがいいと言って
います。
そんな中にいると、「本当に私は何がしたいのか?」わからなくなって
当然かもしれませんね。
私もそんなまわりの意見や情報と自分自身を比べて、劣等感や失敗感、
あきらめを感じていました。
そして、それでも何か「これだ!」というものを見つけようともがいて
いました。

そんな私がカウンセリングの勉強をしてみようと思ったのは、10年ほ
ど前にたまたま読んでいた雑誌に載っていたカウンセラーになった女性
の体験談がきっかけでした。
「そういえば、私は中学生のころカウンセラーになりたいと思っていた
んだ・・・」とすっかり忘れていたことを思い出しました。
カウンセラーになりたくて大学の心理学科に行っておきながら、そんな
ことはすっかり忘れていたんですよね(笑)

中学のとき、私と同じクラスだった子がいじめが原因で転校していきま
した。そのとき、私はそのクラスメイトに対して何かしてあげたかった
のですが、何もできずその子が転校していくのを見ているしかありませ
んでした。
何もしてくれない先生に不満を感じたこともあり、こんなときカウンセ
ラーなら何とかできるんじゃないか、と思ったのです。
カウンセラーになるなら心理学を学べばいい、と思って大学に進学した
のですが・・・そのころは今ほど環境が整っていなかったのでカウンセ
ラーになるのはすごく狭き門で、大学の先生や先輩から、カウンセラー
になることの難しさをたくさん聞かされ、早々に「カウンセラーに
なる」という夢はあきらめてしまっていたのです。


忘れていたことを思い出したら、何だかそれが気になってしまい、社会
人として悩んだり、壁に当たってしまったことをもとに、もう一度カウ
ンセリングの勉強をすることにしたのです。
とはいえ、机に向かっての勉強は向いていないことはわかっていました
ので、実践的に勉強できるスクールを選んで、今に至っているわけで
す。

今度はカウンセリングを学びながら、自分自身を癒すということにも
取り組みました。
自分を癒すというのは、過去にいろんな原因で封印したり、切り捨てて
いった自分の感情や子供時代の感覚とつながっていくことでもあります。
私も、楽しさ、無邪気さユーモア・・・色んなものを思い出しました。

「やりたいこと、好きなことを見つけたかったら、自分が子供のころに
好きだったことにヒントがあるよ」と教えてもらって、自分の子供時代
に好きだったことを思い出してみたこともあります。
踊ったり、歌ったり、いたずらをしたり・・・そんなことを今の自分に
取り入れたら、毎日がイキイキして楽しくなりました。


「やりたいこと」の答えというのは、外の世界ではなく、私たち自身の
中にあるのでしょう。
だとしたら、まわりの人や情報に影響されない子供のころに好きだった
こと、やりたかったことをたどっていくと、もういちど「やりたいこ
と」が見つかるかもしれません。

子供時代を振り返って、そのころに好きだったことをやってみません
か?


投稿者 csadmin : 09:12

2007年3月 6日

●結果よりも大切なモノ

3月、春ですね。
そして、卒業の時期です。
我が家でも、共働きの親を持つ娘が保育園・幼稚園合わせて5年の生活を終えようとしています。
お友達と会えなくなる寂しさを想うと涙を堪えながら、
ピカピカの一年生になる事も楽しみにしている様子。
そんな娘の成長に、親として感動の毎日を送っています。

そんな毎日ですが、私の中でも、卒業というテーマを意識してみました。
実は、ずっと抱えてきた問題がありました。
それは、卒業というより、完了するという事に関するテーマのようです。

約2年ちょっと前、私は、ずっと学んで来た心理学の国際コースの道を選び、
エントリーしました。
それは、ずっと憧れてきた事だったけど、必死に歩いてきた道のりの先にあり、
実際、その地点に来た時は迷いました。
それでも、その頃の流れは勢いがよく、一つの終了過程を終えると、
すぐに次の国際コースを選択し、その流れを止めるよりは、
チャレンジしてみる事を選んだのです。

だけど、結果は、落選。

国内審査は合格したけど、国際審査で落ちてしまいました。
エントリーに必要だったのは、自分のビジョンを示し、
自分の成長の道について書かれた申請書を提出し、
先ずは、国内にいる国際コースに入っているチームのメンバー一人一人による採点がされました。

ここでは、私の人間力や才能を採点され、
同じチームのメンバーとして受け入れるかどうかの評価を受けました。
私は人間力を採点され、評価を受けるのは、初めてのことで、
この過程が一番怖かった事とも言えると思います。
だから、ビジョンを見つめ、
私に投げられる声を受け入れてみようと決意し、その結果を受け取りました。

人から見た私。
この声は、私を勇気づけるものもあれば、
受け止めるのに時間を要しもしました。
それでも、この声を聞いたおかげで、
私は性格に関する問題までも見つめる事ができました。
性格が出来上がるのは16歳ごろまでとされている説が多いので、
私も、自分の性格を変えるのは難しいと思っています。
でも、この性格を受け入れながら、
人生を歩んでいく事による違いは大きいと思います。

私の先生は、「今の状況は全て自分が選んだ事」と言います。
カウンセリングを受け始めて、
ずっとこういう見方もあるのだと受け止めてきたけど、
この審査に落選してからは、ここ数年、正直言ってこの考えを否定したい気持ちで一杯でした。
たぶん、前に進もうとして選択した結果の中で、
このように挫折と感じるような出来事に出会ったのは、
私の人生では初めてのことだったと思います。
何故なら、私は、いつも安全コースを選んできたから・・・

でも、今言えるのは、この大きなハートブレイクを癒すためにあった出来事は、
もうほとんど癒えた事を感じ、完了し、手放す時期に来たという事です。

私はこの数年、結果ばかりをみて、泣いて引きこもっていました。
ここでいう引きこもりとは、自分の価値を小っぽけに見て、
自分の存在を現さないようにすることです。

と言っても、生活や仕事に影響性が出るような方向ではなかったと思います。
それは、私を支え、助け、励まし、笑わせ、私を必要としてくれた人がいてくれた事、
これらがあったからです。

ありがとう!!
私の愛する家族や友人の皆さん、私を必要としてくれているクライアントの皆さん。

人生には、色んな事があります。
でも、あきらめなければ、次の章が見えてくる。
この体験で、大きな挫折を知りました。
そして、こんなに痛い体験でも超えられるということを知りました。

今、それでも笑っている私に出会うことが出来ました。
私を応援して下さったみなさまの愛を感じます。

こんな私が、これからお返しできる事は何でしょう?
私は、ここにいます。
もう「死にたい」なんて、言わない人生にしたいって思ってるのだけど・・・
やっぱり「生きる」事を選択し続けるのも難しいと感じた出来事でした。
だから、「生きる」事を、もっともっと選択し、自己責任を取り、
人生の本当の意味を受け取る必要があると感じています。

3月、娘の卒園と共に、私も娘に誇れる母であり女性でいたいから、
この大きな傷を手放し、完了していこうと思います。


投稿者 csadmin : 12:00

2007年3月 3日

◇自分が好き

最近よく聴かれる質問に、「どうやったら自分を好きになれるんですか?」
というのがあります。

さて、ここで皆さんにお聞きしますが、自分を好きになるって、どういうこ
とでしょう?
おそらく、人それぞれいろんな考え方があると思います。
やりかたも、たくさんあるでしょう。

ただ、私が感じていることではあるのですが、本当に自分を好きなとき、ま
ずやらないことがいくつかあります。
一つは、当然ではありますが、自分を責めたり、傷つけたりはしませんよ
ね。

そして、二つ目には、人を傷つけたり、非難したりもしません。
「好き」という感情には、とても幸せな感覚も含まれていると私は感じてい
ます。
幸せなとき、誰かを殴ってやろうとか、けなしてやろうとか、そんな気持ち
は起きないわけですよね。
だとしたら、人に対して攻撃的な人は、自分を好きではない可能性があると
いうことかもしれませんね。

さらに、三つ目には、怒りの感情もあまりないでしょうね。
当然怒っているときは人を好きにはなれないものですから、もしかしたら何
かに怒っている人は、自分自身にも腹を立てているかもしれません。

四つ目には、自分を好きな人は間違いなく「自分に素直」です。
うそをつく、という行為はほとんどの方があまり好きではないと思います。
では、自分にうそをつく、という行為はどうでしょうか?
もし、じぶんにすなおで、自分に正直であれば、自分にうそをつく必要はあ
りませんよね。
ところが、人はほとんど無意識で自分にうそをついていることがあります。
もしかしたら、この瞬間は自分のことを好きではない可能性もあるわけで
す。
もちろん、すべてがそうではないかもしれません。
うそには自己防衛のためのうそと、思いやりのうそがありますから、目的に
よってそこは変わる可能性があるわけです。

五つ目は、自分以外の何かに価値を求めてしまうことです。
もし自分のことが好きであれば、わざわざ自分に付加価値を付けて、自分を
誇張する必要はありませんからね。
ありのままの自分で問題ないわけです。
ありのままの自分を見せることができない、学歴やブランド、肩書きをひけ
らかしたり、それらのものを求めたりする行為そのものが、自分に価値を感
じられない、つまり、自分のことが好きではない行為の可能性があるわけで
すよね。

さて、ここまで読んで、あなたはどれだけ当てはなりましたか?
気がつけば心理テストみたいになっていますね。
もし、全部当てはまるというのであれば、それは単に「自分が嫌い」という
気持ちが少し多めにある、というだけです。
「だから私は幸せになれない」わけではないんですよ。

誰にだって「嫌いな自分」はあります。
ただ、その「嫌いな自分」を理由に使ったりすることで、自分を幸せにしな
いことはできるわけです。
逆に、どれだけたくさんの「嫌いな自分」があったとしても、「それでもこ
んな私が好き」と思えれば、この人は間違いなく幸せを感じているでしょう
ね。

「自分が嫌い」と「幸せではない」は必ずしも比例するものではありませ
ん。
しかし、「幸せではない」=「自分が嫌い」と思い込んでいる人はたくさん
いるかもしれません。

自己嫌悪、つまり「自分が嫌い」という感情は、あってもいいわけですよ。
ただ、それを理由に、自分や誰かを攻撃することや、自分を幸せにしないこ
とは、問題ですよね。
とくに「おまえのせいだ」「おまえが悪い」と、誰かを非難している人や、
「私が悪い」と自分を責めている人は、要注意ですね。
これらの行動がある人は、「自分が嫌い」という感情に振り回されている可
能性が高いですからね。

では、その状態から抜け出る方法もついでにお教えしましょうね。
それは、まず「嫌いな自分」があるということと、「自分が嫌い」という感
情に振り回されているということに、気がつく必要があります。
誰かを非難しているのであれば、非難していることに、自分を責めている人
は、自分を責めていることにしっかりと自覚を持つ必要があります。
そのうえで「もうやめよう」と、何回も、何十回も、何百回も、自分に言い
続けることです。
はりきってチャレンジしてみてください。

最後に、自分の欲求のままに好き勝手に行動して、周りに迷惑や負担を与え
ている人は、「自分を好き」な人ではありません。
これは、ただ「傲慢」な人です。
要するに、自分も含めて、誰も愛さない、誰も愛せない人の可能性が高いわ
けです。
そんな人を見かけたら、「ああ、この人は誰も愛せない悲しい人なのね」と、
みんなで哀れんでやってください。

もちろんこれは、私の経験からくる「私的」な考え方です。
みなさんいろんな考え方があるでしょうから、一度「自分が好き」というこ
とについてよかったら考えてみてくださいね。

ありがとうございました。


投稿者 csadmin : 11:33