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2006年2月28日

●ごめんなさいより大切なこと

オリンピックが終わりました。
寝不足だった方も多いのではないでしょうか?
私は毎日、寝不足でした。。。

スポーツを見ていると、自分が競技をしているかのように、ドキドキしたり、力んだりして見てしまいますね。
私は、スポーツが大好きです。

私がスポーツを始めたきっかけは、高校のクラブ活動のバスケットボールでした。
小学生では新体操をしていたものの、中学ではフルートと、入学当初はバスケットボールなど全く考えていませんでした。
たまたま、友達の付き添いで見学に行った際に、背が高いと言う単純な理由で勧誘され、そのまま入部してしまいました。
とはいえ、みんな小学校、中学校からの経験者ばかりで、初心者は私のみでした。。。

始めは無我夢中です。
一人メニューから外れて、基礎練習をすることもしばしばで、寂しいなーなんて思っていました。

全体的に身長が低いチームだったため、早い時期から試合に出してもらうことが多くなってきました。
しかし、まずルールが覚えられません。。。
まずしないでしょう!、と言うようなファールを重ねて、毎回退場していました。(5回ファールをすると退場になります)
試合に出ても、ドリブルはさせてもらえません。(少しでもしてみようとすると、怒られます!)
ひたすら、リバウンド(シュートではずれたボールを空中で拾うこと)をしていました。
桜木花道のようです!!
(ご存知でしょうか?バスケットボーラーのバイブル的漫画です!!)

しかし、試合に出してもらうたびに、私は「ごめんなさい」の連続でした。
「みんなのように、確実なシュートはできません。ごめんなさい。」
「ディフェンスもあまり役に立っていません。ごめんなさい。」
「余裕が無くて、声が出せません。ごめんなさい。」
「チームプレーの輪を乱しています。ごめんなさい。」
「役に立てません。ごめんなさい。。。」
とても窮屈で、辛く、何も見えていませんでした。
闇練(影でこっそり練習すること)をしてみたりもしましたが、自信にはなりませんでした。
試合に勝っても、嬉しいより、終わったと言う安堵ばかりでした。

ある時、大会の大事な試合に出ていました。
その試合はとても接戦でした。
チームのエース的存在の友達が、その日に限って不調でした。
その子がミスを重ねる度に、プレーが小さくなっていくのがわかりました。
いつもは、周りのことなど見えていない私でしたが、その時助けたいなって思いました。

私は、シュートが決まらなかったボールを拾う役割のポジションです。
その子が何度シュートをはずしても、拾いに行きました。
その子が安心してシュートできるように。はずすことを恐れなくていいように。
その時の私は、いつもよりずっと視野が広く、いつもよりたくさん活躍することができました。

その時に思いました。
「私、周りを全然見てなかった。。。」
私は、ミスすることを恐れるあまり、ずっと自分ばかり見ていたんですね。
後に、「ごめんなさい」は自分を見て言う言葉だと、心理学の先生に教えてもらった時、私は深く納得してしまいました。

そんな私が、周りを見た時、「ごめんなさい」よりも大切なことを見つけたのだと思います。

それから、どんどんいろんなことが見えるようになりました。
私は、センターといって主にシュートをするポジションでもあります。
でも、そこまでボールが来るまでには、ガードやフォワードと言った、他のポジションのチームメイトが、いろんな苦労をして大事に運んで来てくれていること。
私のミスは、すかさず誰かがフォローしてくれて、「大丈夫!」と声をかけてくれていること。
外から応援してくれている後輩は、外から見える情報と、心からの励ましをくれていること。

そして、そんなことが見えてくると、今度はそれが武器になっていきました。
「あの子なら、この位置にいればきっとパスを通してくれる。」と信じて、ポジション取りをしてみたり、「カウンター」という攻撃では、私がボールをキャッチできると信じて走ってくれたり。
また、パスする相手を全く見ずにパスをする、という、難度の高い技があるのですが、それは、「この流れでいくと、あの子は必ずここにいる」という投げる側の信頼と、「あの子なら、ここにパスをくれる」という受ける側の絶大な信頼が必要な技で、そんなこともできるようになっていきました。

信頼は、私のつたない技術を何倍にもしてくれました。
小学生の頃から、転校を繰り返していた私にとっては、初めて「友達を信頼する」という経験でもありました。

そんな中で、勝った時の勝利は、1人でがんばる時の何倍もの嬉しさです。
みんなの笑顔が、ますます嬉しくさせてくれます。

それからもずっと、社会人になってからも、チーム単位で物事を進める時には、私のなかに知らず知らずに、あの時のチームプレーを思い描いているようです。
そして、あの信頼は、良く見るとあちらこちらにあったりします。

オリンピックは、私にそんなことも思い出させてくれました。
たくさんの感動を、ありがとう!!ですね(^-^)。

投稿者 csadmin : 12:00

2006年2月24日

◇忘れられないこと 〜一緒に乗り越えて行きませんか?〜

「この人のこの一言が、ずっと忘れられない!」
「この思い出が常に私を支配している!!」

ということはありますでしょうか。
これがいい意味で残っているのならば問題はありませんが、自分にとって
消してしまいたいことであったり、出来ることならあの頃に戻ってやりなおし
たいと思う出来事であるならば、今現在でもとても引きずってしまう部分
でもあるでしょうし、思い出すと辛くて辛くてたまらないでしょうね。

私は最近妊娠したことで、嬉しい部分が大半を占めていますが、それで
も時にイライラし、それを一番身近な主人にぶつけてしまうことがあります。
私の主人は頭痛もちなので、頭が痛くなるととたんに無口になってしまう
のですが、それを私に伝えるのに申し訳ない気持ちがあるらしく、こそっと
薬を飲み痛みを隠そうとし、その痛みに一人で耐えることが多く、それを
イライラしてしまっている私が見ると、
「話を聞いていない。」
「無関心でいる。」
「無視している。」
と勘違いしてしまうんですよね。

最近では、立会い出産をお願いした話をしたときに、彼の返事の対応
があまりに鈍いと感じて、事細かく話し続けたにも関わらずどうも反応が
悪いと私がとても怒ってしまったんです。そして言ってはいけない言葉を
次々と私が吐き出してしまいました。

「所詮産むのは女だし、痛い思いをするのも苦しい思いをするのも私だ
から、あなたにはその感覚や不安はいくら伝えたって分からないよね!!」

例の頭痛で苦しんでいたことを私は知らずにひどい話ですよね。

私はもともと依存的な自分いじめの得意な子でした(今でもその部分は
あります)から、一度そういう状態に自分がなってしまうと、彼を責める責
める・・・。そしてそんな自分のことも嫌になって、傷ついている主人のこと
も充分分かっていながら止められず・・・という悪循環に陥ってしまいます。

主人と付き合ってまだ間もない頃。
私がカウンセリングというものも全く知らず多くの傷を抱えて彼と付き合って
た頃に、この彼を責め続け、自分の痛みを分からせてやるという方法を何
度もしたことがあります。そのたびに彼は黙って聞いてくれていました。
責めた私は、自分の言葉に彼が傷ついているのも充分分かっているし、そ
れを蒸し返して思い出して欲しくはないですから、責めた次の日には平気
な顔で彼と会っているんですよね。だけど私が思っているほど男性は鈍感
じゃありませんし、繊細な方も多いです。彼もそうでしたから、私に言われた
ことを随分気にしており、その様子にただならぬものを感じた私は覚悟を決
めて彼に聞いてみました。はじめはなかなか話し出しませんでしたが、私が
しつこく聞くものだからようやく話してくれたんです。

「俺が思っている以上にのりちゃんの昔の傷って深いなって思った。すごく苦
しそうに思ったけど、ああやって責められるたびに俺は自分が情けなくてたま
らなくなる。俺のような器の男がこれからのりちゃんを受け入れていくことは
出来るのか。君の苦しさを理解出来ず、ああやって泣かせることしか出来な
い状態が続くのなら、俺は君の傍にい続ける自信はない・・。」

ものすごくショックでしたね。
これほどに優しくて徹底して私を受け止めてくれて、初めて自分の傷をまる
まま見せることが出来た男性でしたから、その相手にここまで言わせた自分
はよっぽどの悪魔だと思いました。そして瞬時にこの人にも離れられたら私は
本当におしまいだとも思いました。

この経験は私が自分の傷を乗り越えて、癒していきたいというきっかけにもな
りましたので、大事な経験でもありますが、自分がキーっと怒りが込み上げて

今主人に当り散らしてしまう時、この彼の言葉が頭をよぎります。

「ああやって泣かせることしか出来ないなら、俺は君の傍にい続ける自信が
ない・・・。」

こんな思いを二度とさせたくないし、第一私が二度と聞きたくない。
この言葉を自分が彼を責めるたびに思い出し、私自身とても苦しくなるんで
す。彼を一度でもそう思わせた。。。この人がここまで私に対して思ってしま

たんだと・・・。
あれ以降彼がこう言うことはありませんが、今でも忘れられません。喧嘩にな
って自分を最低だと感じたとき、いつもいつも思い出し、出来ることならあの

に戻ってそんな自分の態度を改めたいとも思ってしまうほどです。

たった一言の相手の言葉や行動。
自分が悪い悪くないに関わらず、彼、彼女、友人、家族、姉妹姉妹、知り合
い・・。そんな誰かの一言や行動が忘れられず、どんなに昔のことであれ、思
い出すと苦しくて苦しくて、涙が出てしまうほど苦しくて、相手を憎んでしま
ったり、
自分を憎く思ってしまったり、そんな経験をお持ちの人はたくさんおられると
思い
ます。私はカウンセラーでありながらも、やっぱり自分のことはてんで駄目で
すから、
そういうことがなかなか消えないでいます。だけど消えないのはそういうこと
を言わ
せた自分を許せていないから。許せるほどの器の広い人間になれる自分を信じ
ていないからだと思っています。

同じような体験を持っておられる方、小川と一緒に乗り越えて行きませんか?
 
私もこれからもっと主人を自分を幸せにしたいし、産まれてくる赤ちゃんにも
大き
な幸せを伝えてあげたいから、積極的にこれからも自分に向き合って行きたい

思います。それは一人でやるのではなく、多分大半は主人に、そして友人や家
族に助けてもらいながら・・・。
小川とは経験も年齢も立場も環境も違う方も大勢おられるでしょうが、同じよ
うな苦しみを今も抱えている方がおられるならば、私と一緒に頑張っていきま

か?
そんな方たちを応援しながらも、自分自身頑張って行きたいと思っています。


小川 のりこのプロフィールへ>>>

投稿者 csadmin : 11:45

2006年2月21日

●「ベオグラード国立美術館所蔵フランス近代絵画展」にて

この絵画展は、モネの「ルーアン大聖堂」が観られるということで、モネが好きな私はとても楽しみにしていました。
今回は、モネの絵以外にも、たくさんの素敵な絵と出会うことができました。
その中から、私にとって特に印象に残った絵について、皆さんにお話したいと思います。

まず最初に、オノレ・ドーミエの“母性”です。
この絵では、中央に母親が描かれています。
その母親の右手は3、4歳の子どもにつながれ、左手は5、6歳の子どもにつながれています。
黒と白とグレーで描かれています。
3、4歳の子どもが、右手に人形かぬいぐるみを抱いているように見えます。
また、その子どもが、母親に寄り添うようにヒョコヒョコと歩いているように見えます。
それがとてもかわいらしく、子どもが母親を好きな気持ちが伝わってくるようです。

次に、カミーユ・ピサロの“ベルヌヴァルの風景、午後”です。
この絵では、草木が生き生きと描かれています。
ピサロの絵は、緑がとてもきれいなので好きです。
中央よりやや左手前方から奥へ続く小道が描かれています。
その小道の右側を歩く女性と小道の左側で作業をしている男性がいます。
高く青い空、白い雲、小道の両脇の木立、遠くまで広がる緑・・・、見ていると、とても清々しい気持ちになります。

クロード・モネの“ルーアン大聖堂/ピンクの大聖堂”は、『大聖堂シリーズ』のひとつです。
やさしい朝の光を受けて輝くピンク色の大聖堂と影の部分のブルー、空の水色がとてもきれいです。
大聖堂がふんわりと描かれています。
この大聖堂を見れば、心が安らぐような気がします。

メアリー・カサットの“母と子Ⅰ(農家の母と子)”は、モスグリーンの服を着た子どもとオレンジ色の服を着た母親が描かれています。
子どもは右手を握り締めています。
母親の左手は子どもに添えられています。
子どもの目線は母親ではなく別の方を向いていて、子どものピンク色の頬とキュッと結んだ唇がとてもかわいらしいです。
母親は子どもに何かを言い聞かせているようで、とても微笑ましいです。

メアリー・カサットのもう一点の絵、“猫を抱く少女”に描かれた少女のピンク色の頬と唇がとてもきれいです。
少女の体温が感じられそうなくらいです。
少女がかぶっている大きな白い帽子、洋服の赤い首元、水色の袖、その袖から伸びる白い腕、腕に抱かれた黒い猫・・・、色彩がとてもきれいです。
少女は猫を見ています。
猫は寝ているようです。
少女と猫は仲がよさそうで、見ていると心が和みます。

オーギュスト・ルノワールの“カップ”は、白い陶器のカップとソーサーが描かれています。
カップとソーサーには、紺の波打つふちどりがあります。
モスグリーンの葉、赤と紺の花模様がとてもかわいらしいです。
おいしいミルクティーが飲めそうなカップです。
私はこの絵がとても気に入ったので、絵葉書を買いました。

私は、こんなふうに素敵な絵に出会えると、生きていてよかったなあと思います。
こうやって絵に癒されて、絵からエネルギーをもらっています。
皆さんにとってのエネルギー源は何ですか?
それを大切にして下さいね。
でも、うまくいかない、そんな時はカウンセリングを通じてお手伝いさせていただければ、と思っています。

上田紘美のプロフィールへ>>>

投稿者 csadmin : 12:00

2006年2月18日

◇お茶

皆さんの好きな飲み物はなんですか?

私の好きな飲み物は「緑茶」です。
食事の時はもちろん、和菓子だけでなく洋菓子も当然のように緑茶で頂きま
す(笑)
まぁ、ものすご〜く好きと言うか、それしか飲めないといった方が正しいか
もしれません。


おかげさまで食べ物に関しては、何でも食べられるんです。嫌いなものもあ
りますけど、食べられないと言うことはないんですよね。

・・・でも、飲み物に関しては、幅が狭いんです。


私の両親は「市」は違いますが、二人とも静岡県の出身なんですね。だから
と言うわけではないでしょうけど、子供の頃から、口にする飲み物は常に
「緑茶」だったんですね。

参考までに、静岡の方では「薄茶」と言う冷たくて甘い緑茶もありますが・
・・。これも好きです。


どのぐらい「常に」かと言いますと、私が(多分)初めて「麦茶」を飲んだ
のは、小学校6年の時に友人のお家でなんです。

最初はカルチャーショックでしたよ。せいぜい、ほうじ茶ぐらいに思いなが
ら飲んだわけですから、「苦い」(笑)というか異様に濃い訳です。

それまでは、飲んだことなかったんですよね。お茶以外の飲み物。オレンジ
ジュースなんかは飲んだことありますけど、それほど、ジュースにも興味が
ありませんでしたから(笑)


麦茶でさえもカルチャーショックなわけですから、他の物もそうなんですよ
ね。紅茶やコーヒーも・・・。あっでも、ビンのコーヒー牛乳は大好きです
よ(^^)

お茶以外に対する体の抵抗がどのぐらいかと言うと、大学生ぐらいにそれが
出てきました。大学生ぐらいになると、ようやくコーヒーなどが、飲めるよ
うになって来ました。でも、その時からです。何か変だなって感じるように
なったのは。


大学にある自販機でコーヒーを買って飲みますよね。すると、具合が悪くな
るんです。おなかが痛くなったり、血圧が下がって不整脈みたいになったり
・・・(^^;
危ないですよね、なんだか。でも、コーヒーが飲めるようになったから、飲
みたいんです。(といっても牛乳屋さんのコーヒーと言う甘いのですけど)

それで、具合悪くなっちゃうんです(笑)
途中で、緑茶がいいね!って思ってからは無理しないようになりましたけど。


未だにコーヒーをとるか体調を取るかと言う戦いは続いています。外出時に、
ど〜してもコーヒーが飲みたくなったり、友達と一緒にコーヒーショップに
入ったり。その時は、ゆっくりゆっくり飲みながら、体調大丈夫かなぁって
(笑)もちろん、その時は「平気そう」な仮面を付けてますよ♪

そんな訳で、私の愛飲する飲み物は「緑茶」なんです。しかも「静岡茶」
「深蒸」です。

その部分は、全然問題ないと自分では思っていたのです。

・・・近困っているのが、お友達が家に遊びに来た時。家に緑茶しか買って
いないので、出すものがない!(驚)と言う状態になってしまいます。

そこで、世間とのギャップを思い知るんですねぇ。母も基本的に緑茶なので、
3時にコーヒーを飲みますが。違和感がないんです。

そこで、家には友人用にウーロン茶や紅茶を買いました。どれがいいのかも
良くわからないんですが、友達は皆優しいので、おいしいって言って飲んで
くれてます(^^)

このまま順調に行けば、緑茶の似合うおばあちゃんになれる予定です♪
祖母はその歳には珍しくコーヒー好きな人ですが・・・(^^)ゞ


渡辺 晴美のプロフィールへ>>>

投稿者 csadmin : 11:49

2006年2月14日

●僕を癒してくれるもの

「自分で自分をゴキゲンにしてあげることができたら、自分のまわりの人達もゴキゲンにしてあげられるよ」という話を聞いてから、僕は「自分をゴキゲンにしようプロジェクト」を開始しました。

まぁ、それは、世間で言うところの「マイブーム」というものに当たるのだと思いますが、最近そのラインナップに新たなものが加わりました。

それは、『中古車情報誌を熟読』です!

僕は小さい頃から車やバイクといった乗り物が好きで、そこから派生してプラモデルとかラジコンとか車の販売とか、いろいろなことをしてきました。
とにかく、車やバイクのことを考えているだけで幸せなんです♪

このように、常に頭の中の何割かは『木村モータース』状態なので、周期的に「車が欲しい!」「バイクが欲しい!」という波がやってきます。

いつになく大きな波がやってきたある日、僕は情報収集のために本屋に向かいました。そして、車雑誌のコーナーで何気なく手に取ったのが中古車情報誌でした。

はじめは、何となくパラパラとめくっていただけなのですが、いつの間にか、夢中になって1台1台の内容をチェックしていました。
1冊読み終えると、2時間近く経っていました。

2時間近くも僕を夢中にさせるこの本を買って帰らない訳にはいかない!と、妙な使命感のようなものを感じながらレジに持って行って会計を済ませようとすると、店員さんが言いました。

「ありがとうございます。240円になります」

「に、に、に、にひゃくよんじゅうえん!?」

僕の幸せは、たった240円で手に入ったのでした(笑)

その日はうれしくて、読み直しても内容は何も変わらないのに、深夜まで何度も何度も読み返してはうっとりしていたのでした。。

それからも、毎日毎日飽きもせず読み続けているのであります。

そしてその度に、中古車情報誌を手にするだけでドキドキワクワク、ページを開いて1分もしないうちにウットリとした何とも言えない気分になることができるんです。

これはかなり強力です!

温泉に浸かりに行くにはお風呂屋さんまで出掛けなければいけませんし、プラモデルやゲームで遊ぶにも準備やら後片付けやら遊ぶ時間やらで、結構まとまった時間が必要になりますが、手元に中古車情報誌さえあれば秒単位でゴキゲンになることができます。

これはかなりお手軽で強力です!!

カウンセリングとカウンセリングの間の息抜きのわずかな時間に恍惚感が得られるのですから!!!


で、ふと冷静になった時に、「何がこんなに面白いんだろう?」と振り返ってみることがありまして、自分なりに分析してみた結果、これは新車の情報誌では決して得ることの出来ない、中古車ならではの面白さである、という結論に至りました。

中古車って、全く同じ状態の車というのが絶対にないんですね。

もともとは大量生産された工業製品ですから、新車の時点では価格も走行距離も車の状態も違いはないのですが、一旦人の手に渡ると、その後、オーナー色に染められていきます。

だから、同時期に販売された全く同じ車種、同じグレードの車でも、同じ状態であることはあり得ないんです。
2台の同じ車が、1台は150万の値がついて、もう1台が60万なんてこともよくあることです。

中古車のもう1つの特徴が、一度逃すと二度と手に入らないというところです。

新車だと、在庫がなくても工場から出荷されるのを待っていれば手に入りますが、売れちゃった中古車は、二度と手に入りません。せいぜい似たような個体を探して、見つかればラッキーといったところでしょうか。

「一期一会」 この言葉がよく似合います。


こうして見ると、中古車って、人間と似ているんですよね。

「1台1台が、決して代わりのない、オンリーワンであるところ。」
「1台1台に興味を持って見てみると、それぞれにそれぞれが個性的なところ。」
「お気に入りの1台、欲しい1台に出逢えるかどうか、手に入るかどうかは縁のものであるところ。」
「新車のようにピカピカではないかもしれないけれど、小さな傷や、くたびれたところもあるかもしれないけど、それでも素敵だなって感じさせるところ。手を掛けて直してあげた分だけ応えてくれるところ。」


僕が中古車雑誌を熟読する本当の理由は、こんなところにあるのかもしれません。

あぁ、次号の発売が待ち遠しい〜〜♪

投稿者 csadmin : 12:00

2006年2月11日

◇”サイン”を見逃さない為には?

成井 裕美こんにちわ、成井です。
突然ですが、私の悲しみを聞いてくださいっ!!!
ずっとパソコンの調子が悪かったのですが、とうとう壊れてしまいました。

・・・なんだ。そんな事かよ!と思われるかもしれませんね。
でも、私は今回このPCさんとの一連のやりとりから出発して、改めて気づくこ
とがあったので、今日はそのお話をしたいと思います。

フリーズの回数が増えた為、強制終了をすることが多くなっていたのですが、
でも難なく動く時も多かったのでそのままにしてしまってたんです。
それから少しずつ起動がうまく行かなくなり、PCに向かって「頑張れ!パソコ
ン!」と祈る日々が続いていました。
起動中にエラーがでて起動すら出来なくなることが増え、祈りが通じて(?)
うまく電源が入っても、何故だか起動するのは5分間のみ・・・。
急に警告音が出て画面が消えてしまったりします。
3分間は地上に居られない、まるでウルトラマンのような時間に限られた生活
をしています(涙)
5分しか持たないので、バックアップをしようにも時間が足りません。
ようやくリカバリーしても何ともならず、とうとう電源が入らなくなりました

仕方なくメールやインターネットは携帯から見たりしているのですが・・・。
なかなか作業が進まないですね。

今になって思うと、普段何の問題もなく動いてくれていた事を奇跡的に感じた
りもしますし、トラブルが起こり始めてから日頃のメンテナンスの大切さを知
ったりします。
もちろん、急に壊れたのではなく、ちゃんとPCさんからのSOSはありました。
それがフリーズだったり、エラーだったり。
でも、ついつい何のことか分からずにそのままにしていたり、次に問題なく動
くと「もう大丈夫なのかな?」と思ってしまって、そのままほったらかしにし
てしまったんです。

話が急に変わりますが、私、最近パニック発作を起こしたんです。
それはもうびっくり!です。
カウンセラーとしては知識があるものでも、いざ自分がなってみると、動悸・
めまい・体の痺れがあったので、最初まんまと内科に行ってしまいました。
実際診察を受ける頃には落ち着いているので(落ち着いていないと病院までた
どり着けないですし)、色々調べて貰っても結局何も見つからず、でもまた発
作が起きるのでまた内科に行く・・・。を繰り返してしまいました。めまいの
治療で耳鼻科にもかかったのですが、結局ストレス性のもの?と原因不明なま
ま時間が過ぎて行ってしまい、それでもあまり回復しないので心療内科に行く
ことにしたら、パニック発作だったと分かりました。
パニック発作自体も、まだ詳しい原因は分からない病気ではあるのですが、症
状自体は50人に1人は一生の内に1度は体験するものだと言われるくらいポピュ
ラーなもので、特別な病気などではありません。
ラッキーだったのは、私にその知識が元々あったことかもしれません。
約2ヶ月休養をメインに仕事を減らして生活したおかげで、今はすっかり発作
があったことすら忘れかけています(苦笑)

しかし問題は、知らない間にストレスが溜まっていた。ということなんですよ
ね。
それでもPCの不調と同じように、SOSのサインはあったように思います。
不眠気味だったり、気分が不安定だったり、休みの日は無気力になりやすかっ
たり・・・。
そんな時は「疲れてるな〜」とは思うものの、つい予定や時間に追われて頑張
りすぎてしまったり、人と会うと張り切りすぎてしまったり・・・。
元々やり始めるとついつい寝食忘れて取り組んでしまうほうなので、少しオー
バーワーク気味でも、それでも今まで何とか乗り切れてしまっていたので、「
頑張れ!」と自分に負荷をかけてやり続けていたのでしょう。
実際、やり続けてこれたのは、好きなことだったりとか、やりがいのあること
だからだったのですが、今回「好きなことは疲れない」というのは嘘だな・・
・と身をもって感じました。
だって好きなことをしてても、睡眠時間減るとやっぱり眠たいですもん(笑)

今回の自分の出来事を振り返って見たときに、こんな話を思い出しました。

投稿者 csadmin : 08:33

2006年2月 6日

●ストレスを溜めない!!

皆さん、こんにちは吉見太一です。

今年もすでに1ヶ月が経過しましたね。

年初って、今年の指針や目標を自分で決めたりしないですか?
「今年は、○○しよう!!」
とか
「今年こそ、△△になろう!!」
みたいな感じでね。

もし、今年は「こうしよう」みたいなことがあったとすれば、この
1ヶ月間を振り返ってみていかがでしたか?

ぼくの今年の目標は、

『ストレスを溜めない!!』

これです☆

ぼくのストレスとの付き合いは、すごく長期間に渡ります。

ストレスのために、胃薬に頼ったこともあります。
ストレスのために、寝てる間も歯を食いしばり過ぎて、朝起きても口が
いつものように開かないときもありました。(焦りました・・・。)
ストレスのために、マブタが痙攣したこともあります。

こういったような身体に出る症状もありましたが、普段の生活において
慢性的なものとしては、ドカ食い+スナック菓子を食べることでした。

ドカ食いをするわけですから、咀嚼などほとんどしません。
おかずを少しつまんで、ご飯をいっぱい食べるわけです。

コロッケにソースをたっぷりかけて、味の濃さでご飯をいっぱい食べ
るというのを、テレビかなにかでタレントさんが言っていたのを聞い
たことがありますが、その気持ちも良く分かるような気がします。

自分ではあまり気付いていないのですが、隣で見ていた妻が言うには、
「誰も取らないから、ゆっくり食べぇ〜よ(笑)」
それくらい、必死に一心不乱に食べているようです。

しかも、それだけでは物足りず、今度はスナック菓子に手が行きます。

スナック菓子を手で食べると、手が汚れて油がついてしまうので、ご
飯を食べたお箸をそのまま、スナック菓子におもむろに突っ込んで、
食べていきます。

しかも、途中で止めることができません。
「ガツガツ、ムシャムシャ・・・。」
味などは、ほとんど分かりません。ただ、塩分を身体が欲しているん
でしょうか。止まりません。

一袋無くなるまで、食べ続けてしまっていました。
そこで、我に返って満腹感を感じるといった感じです。

そして、少し時間がたってくると胃もたれみたいなものに悩まされま
す。

また、買い物にも依存したりしていました。

特に、SALEなんて書かれてあると、ウズウズしてしまって持って
いる服の色違いとか、靴とかカバンとか小物とか買ってしまっていま
した。

結婚して、妻と一緒に住むようになって、ぼくの靴の数をみて思わず
「あんたはタコか?足が何本あるつもりなん?こんなに靴持って!!」
と言われたくらいでした。

もちろん、自分の許容範囲内の買い物なので、他の方にお金を借りたり
することはありませんでしたが、それでも買い物が止まりませんでした

買い物については、不思議なもので結婚してからは、物欲がまったく
と言っていいほど無くなってしまいました。

確かに、自分の必要なものは持っているので、強いて言うなら車くらい
のもので、他に必要なものが見あたらないんですね。

だから、以前のようにSALEという札が掲げてあっても、反応しなく
なりましたね。

きっと、どこかで満たされた感覚ができたんだと思います。
でも、スナック菓子は結婚してからも食べちゃっていますね。

そこで、気持ちが安心できたり満たされたりすると、このスナック菓
子も止めれるんじゃないか??と思うようになりました。

しかし、『ストレスを溜めないでおこう』とは、常日頃思うのですが、
なかなか難しくて、我慢しちゃったりストレスを溜めてしまって、落ち
込んじゃったりしてなんか楽しくありません。

そこで考えてみました。

「ストレスと敵対するのではなくて仲良くなってみよう。」と・・・。
つまり、ストレスを抱えちゃったり、落ち込んじゃったりする自分でも
OK!だということを受け入れようと思いました。

イライラしてたとしたら、
「イライラしてるなぁ〜。そりゃ、あんなこと言われたりされたりし
たらイライラもするよなぁ〜。」
って、自分でストレスをナダメテあげることにしました。

誰かにひどいことを言われて傷ついたとしたら、その傷つけてた人が
実際に目の前にいるとイメージして、
「なんであんなこと言うんですか?ひどいよ。」
って、一番辛いと感じている自分の言葉をイメージで伝えてあげるよ
うにしました。

そうすると不思議ですね。「ストレスと仲良くなろう」としたのがい
いのかどうかは分かりませんが、3食はバッチリ食べますけれど、そ
れ以上は欲しくなくなってきました(^^)v

今思えば、日ごろのストレスを買い物や食べ物にぶつけて、自分を満
たしたかったのかな?とも思ってしまいます。

自分の本音を分かってもらえないもどかしさが、買い物や食べ物に走
ってしまったのかもしれません。

『ストレスを溜めない!』と思っていても、まるで、そんな僕を試す
かのように、ストレスを感じるような問題や出来事がたくさんありま
す。

でも、その都度、『ストレスを溜めないようにしよう!』って思うこ
とで、フト考え方が変わったりするんですよね。

皆さんの年初の目標や指針はなんでしたか?

投稿者 csadmin : 12:00

2006年2月 4日

◇どうして病気になるんだろう?

今年のテーマの一つに「健康」を掲げてから、一月の間に2回も風邪をひい
いて寝込んでしまいました。
熱が出たり鼻水が垂れたりしながら、布団の中でウンウン唸っているのは苦
しいですし、家族やまわりの人達にも心配や迷惑をかけてしまいます。

「どうして、本人にとってもまわりの人達にとってもいいことのない『病気』
になってしまうのかなぁ?」という疑問をもとに、今回のコラムを書きたい
と思います。


●アカウンタビリティの側面から見てみる


私達が学んでいる心理学の考え方の一つに「アカウンタビリティ」というも
のがあります。
政治や企業活動などでも使われるこの言葉は、「説明責任」と訳されること
が多いようですが、

「自分に起こることは全て自分の選択の結果である」
「その結果に100%の責任を持つ」

という考え方と捉えていただければと思います。

この「アカウンタビリティ」という考え方からすると、僕の体調不良は、僕
がそうなることを選んだ結果である、ということになります。


●風邪をひくことで得られるメリットがある?


僕は、「今から風邪をひこう」と思って風邪をひいた訳ではありませんが、
もし、自分が選んで(望んで)風邪をひいたのだとしたら、「風邪をひくこと
で何らかのメリットが得られる」と感じていたのだと思います。

風邪をひくことで得られるメリットというと、「普段はできないことができ
る」というのが真っ先に思い浮かびました。
具体的には、「ずっと寝ていられる」とか、「何もしなくていい」といった
ものです。

他に僕にとってのメリットを探してみると、「奥さんに甘えられる」という
のが出てきました。
喉が渇いたと言っては水やお茶を持ってきてもらい、体の節々が痛いと言っ
てはさすってもらったりマッサージをしてもらったり、汗をかいたと言って
は着替えを用意してもらったり… という具合に、普段はしないようなこと
や出来ないようなことのオンパレードです。

他にも、うわ言のように「熱い〜」とか「寒い〜」とか「痛い〜」とか「し
んどい〜」と言えることも、メリットであると感じているようです。

後は、僕が病人になると、奥さんやまわりの人がやさしく接してくれて、気
にかけてくれるというのもメリットの一つでしょう。


●病気になる目的と本当に欲しかったもの


もし、僕が風邪をひきたくてひいていたのだとしたら、その目的は、風邪を
ひいてしんどくなりたかったのではなくて、風邪をひく前から求めていた、
「何もせずずっと寝ていたい」「奥さんに甘えたい」「『苦しい』とか『辛
い』といったネガティブな感情を外に出したい」「奥さんやまわりの人達に
気にかけてもらって、やさしく接してもらいたい」というものを満たしたかっ
たからなのだと思います。

これらのものを満たすための手段として「病気」を使っていたとも言えます。

これに対して100%の責任を持つには、まずは、自分が満たしたかったもの
や、手段として「病気」を使っていたことを受け入れて認める、そして、そ
の上で「じゃあ、誰もしんどくない形でそれが得られる他の手段はないか
な?」というのを探してみて、実際にやってみることで100%責任を持つこ
とになり、さらには、リーダーシップというところにつながってくるのだと
思います。

それが見つかって、実際にやることで病気にならないのかどうかはわかりま
せんが、少なくとも、病気という手段を使って手に入れたかったものが手に
入る確率はグッとアップするでしょうし、自分もまわりの人達も楽でしょう。


柄にもなくこんなことを考えているから体調を崩してしまうのかも… と思
いつつ、そんな新しい手段を模索中です。


投稿者 csadmin : 10:02