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2006年1月30日

●服従〜〜与えられた「役割」との葛藤〜〜社会心理学の実験から

 カウンセリング・セラピーの現場などで「自分の役割にはまっている」「本
当にしたいこと、好きな事をそのために選べない」などの指摘を行うことがあ
ります。これはどういうことかと言うとたとえば、「男である」「女である」
「夫である」「妻である」「母である」「長男である」「教師である」「一家
の大黒柱である」・・・等々、何らかの「役割」に従った行動を自覚なしにし
ていることは案外多いものです。

 生まれたときの順番が一番初めで女の子だったから、きょうだい全員の面倒
をみる。長男だから親の家業を継ぐ。末っ子だから家族の皆は自分より何でも
出来て自分は味噌っかすである。こう言うことも「役割」ではないでしょうか。
 
 私自身、三人きょうだいの長女で、気がつくといつも人の世話をする位置に
いることが多いのですが、違和感なくその位置に入ってしまいます。年齢や性
別に関係なく、「お世話上手」な人っていますよね。逆になぜかいつも皆にか
わいがられる、と言う人も。多くは家庭の環境やきょうだいの何番目だったか、
と言う事に関わりがあるように思います。

 そういったこととはまた違って、社会的な場面での「役割」によって行動が
変わったり時には心理的に大きな影響を及ぼすということを、いろんな方法で
社会心理学の専門家が実験していて興味を覚えたのですが、その中でも「教師
と生徒」「模擬監獄」という実験には少し戦慄を覚えるものがありました。

 まず「教師と生徒」の方は、・・・記憶に関する実験の助手を募集し2人1
組で罰が記憶学習の成績を上げるのに有効であるかどうかを実験すると説明を
受けます。実は1人は常に「サクラ」で、くじの仕掛けにより必ず「生徒」役
になります。つまり、本当の被験者には教師役が回ってくるのですが、教師役
の仕事は別室の電気椅子に座っている(と実際は思わされているのですが)生
徒役が解答を間違えるとスイッチを押し電気ショックを与える、と言うもの。
間違えるたびに電圧を上げる事になっているのだけど実際には通電はなく、サ
クラ役は演技を行うわけです。間違いが続き電圧が高くなる状況になるとサク
ラである生徒役は解答拒否をしたり抗議をします。この実験には「監督者(主
催者側の人)」がおり、監督者の指示どおりにスイッチを押さなければいけな
いと言うルールがあるのですが、どの強さで被験者が電気ショックを与えるこ
とを拒否するか、が実験の本当の狙いだったのですが・・・結果を言うと細か
い条件をいくつか変えてはみるものの、予測をはるかに上回る高確率で最高電
圧までスイッチを押すと言う結果が出たそうです。

 壁の向こう側ではサクラが叫んだり壁を叩いていて(実際は演技なんだけど)
電圧の高さにともない苦痛を感じているであろうことが予測されますから、教
師役の被験者はその苦痛と指示との葛藤で苦しみ、大多数は心理的葛藤の身体
的兆候・・・たとえばうめく、発汗、舌がもつれる、神経発作性の笑いなどが
見られたそうです。そうまでして、くじで引いた役割に人はどうして忠実にな
ってしまうんでしょう。これはあくまでも実験ですが、社会や家庭、学校など
でこんな風に感じることが多いと思うのは私だけでしょうか。

 この実験よりはるかに恐い、と思ったのが「模擬監獄」実験です。これはと
ても有名な研究で映画の題材にもなったらしいのですが、当初2週間の予定だ
った実験の期間が6日で中止されるくらい役割による人格の変わり方が極端だ
ったということなのですが、その実験の内容は・・・やはり実験の助手を募集
し、集まった中からもっともあらゆる意味で安定していて反社会的な行動とは
無縁の人ばかりを21人(24人などの説もあるようですが)採用し、ランダ
ムに囚人と看守の二つのグループに分け、2週間を過ごすと言う計画で、被験
者たちは実験の内容を知っていました。

 実験は、囚人が(協力した市警により)逮捕され、取調べを受け模擬監獄へ
収監されると言う本格的?なもの。囚人は背中とお腹に番号不だのついた囚人
服を着せられ、番号で呼ばれ、足には鉄製の鎖、24時間の「拘束」。方や看
守は制服、警棒、警笛を持ち、8時間交代で「勤務」をします。看守には囚人
への懲罰や暴力を厳禁とし、細かい指示は特になし。そう言った状況で実験は
進みました。この実験の囚人と看守のグループはくじで決まっており、サクラ
などはいない形。つまり全く同条件で選ばれた被験者が公正なくじで「囚人」
「看守」に振り分けられているのです。

 時の経過と共に二つのグループのメンバーの言動に差異が見られ出しました。
つまり囚人は受動的に、看守は命令的に話し、時には肉体的な懲罰の変わりに
言葉による侮辱が増加。反抗的態度だけでなく囚人の質問や冗談にも懲罰を与
えだしたので、囚人グループは反応しなくなり、看守の攻撃的行動はさらにエ
スカレート。看守役グループは交代時間に遅刻することはなく、最も攻撃的な
人が自然とリーダーシップをとり、仕切っていく。2日目には囚人の半数が抑
うつ、不安、怒りなど病的な兆候を呈し、「釈放」。治療を要する人も。そし
て・・・6日目には実験を中止。

 実験で、同じ条件で振り分けられていても、こんなに短期間で大きな影響が
起こったわけです。個人的には被験者のその後の心配などをするわけですが、
こんなこと、身の周りを見て見ると案外多いぞ、と思いました。こういった状
態を「役割の内面化」と言うらしいのですが、この実験においては看守は無制
限な権力を持ち、拡大解釈さえし始めます。食事などの当たり前の権利さえ懲
罰に使っていたということ。権威を持つ看守はそうではない囚人を軽蔑し始め、
囚人自身も自分への軽蔑を感じていたと言うから、恐ろしいことです。

 これは極端な例ですが、立場が違うだけで不当な力関係が生じている事って
ないでしょうか?また、自分はこうだ(この実験だと囚人ですね)と思うまた
は思わされることで振る舞いが変わったり無気力になったりするのですから、
何も選べないような感じになってしまったり、あるいは「私は○○だからこう
であるべき」なので他の事は考えてはいけない、好きなことはできない、など
と感じたこと、あるいは進行形で感じてはいないでしょうか。

 「実験を続けたいのは山々だけど、人間にこんな仕打ちは出来ません!あの
人の心にまで傷をつける事になります。申し訳ないがどうしても出来ないんで
す。」

 これは「教師と生徒」で教師役を買って出て、途中で監督者を拒否した方の
言葉だそうです。全ての人の中にこの部分がある、と私は信じたいのです。自
分の中にはおそらく「教師」も「囚人」も「看守も」いるでしょう。でもこう
も言えると思います、「神様」「天使」もまた自分の中にいると。そのことを
心から信じたい、と私は思います。

 そう、それが私が一番したい事に繋がっています。誰かを疑ったり攻撃した
り自分の中にも様々な感情があり痛みがあり、それでも誰かを大切にしたい、
という気持ちをもう一度感じてみたいと思っています。きれいごとに聞こえる
かもしれませんが、それこそが私たちが人間と言う証である、と言うことのよ
うに、私には思えるのです。
 

★ 参考文献「社会心理学ショートショート・実験でとく心の謎・」
                         岡本浩一著(新曜社)

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投稿者 csadmin : 12:00

2006年1月28日

◇あなたの夢はなんですか?

こんにちわ、上西直美です。
朝が苦手な私には一年で一番厳しい季節です。(>_<)
ああ、このまま私は毛布と一体化できないかしらと毎朝考えてもせんないなぁ
と思いつつベッドからごそごそ這い出しているさまは人から見るとなにかの幼
虫のようかもしれません・・・。(~_~)

今回は皆様に何をお届けしましょうかと考えること数日。
私が長年興味を持っていること事に、人が二人以上集まったときにうまくいく
くにはどうしたらいいのかなぁ、それが組織とかであったとしても・・・とい
う事があるんですね。

どういった集団であったとしてもひとつの目的をもって動いているのにうまく
いく事とうまくいかない事とありますよね。

うまくいっている場合はあまり分析されないですが、うまくいかなくなってい
る事が表面化したとき大概の場合、個人であれ、団体であれ

「だれそれのどこそこが悪かった」
「〜の失敗だった」
「あの時こうしていれば・・・」

言っている事は方法論なんですが、感情レベルで出てくるのは自分へ向かうの
かはさておき、‘責めている’という状態。
責めている、、、心が痛んでいるんですよね。

その事態に関わってる人も、その周囲にいる人も関心事は
「何が悪かったのか・・・」
頭ではどれだけそれが前向きでない、、、と理解していたとしても渦中にいる
時に自分を責めたり、相手を責めたりする悪循環から抜け出てくるのは至難の
技。
誰との間に起こった個人的(大切なだんなさまとか、親とか、友達とか・・)
な争いであったとしても心が痛んでいるのは同じようです。

仕事であれ、パートナーシップであれ、事業であれ、初めから失敗したい人なんて
居ないのに。

問題というものが発生したときに、一番周囲から攻撃されるのはいわゆるリー
ダーといわれる人たち。
世間をてくてく歩いていると時々いわゆる「悪い人」といわれちゃう人たちにも
出くわします。
リーダーといわれる立場にある人たちは周囲の人たちから

「あの人はこういうところがあるから」
「どうせ、こういうことしか考えてないんだよ」
などと評されます。

大人になって‘注目される’というのはかなり覚悟のいることです。
小さいときは‘見てもらいたい’ものなのに不思議ですね。
それも実はこころが感じているのは恥ずかしい・・・という自己嫌悪だったり
悪いところや弱いと自分が感じていることがばれてしまうと見捨てられてしま
うのではという怖さや恐怖だったりしますよね。

人として育っていく中で嫌ってしまう自分の中の要素って本当にたくさんあり
ますもの。それこそ、自分自身を嫌っていることですら押し隠したくなっちゃ
う事もしばしばですよね。

それどんな立場であったとしても
相手を責めても自分を責めても何の解決もしないとき
私たちは、どんな風に苦しい局面から抜け出したらいいのでしょうか?

なにものからも黙ってしまえばいいのでしょうか?
考え方を変えたらいいのでしょうか?
その場からこころを閉ざしてしまえばいいのでしょうか?
忘れてしまえばいいのでしょうか?

それがうまくいくときもあると思います。

だけど、もしももしも
本当に自分が痛く苦しい時に相手の痛みをふっとでも気付くことができたとし
たら、、、
相手の中にある自分と同じ絶望を少しでも感じることができたとしたら、、、

始めてその状況に光が射すこともあるかもしれません。
そのときはじめて、その状況に本当に必要なものが分かるかもしれません。

だって、あなたも私も状況を悪くしたい訳ではないんですもの・・・。

星の王子様は、色んな星に旅をして
正しさや数字や決まり事などどれも大切なことだけど、
それらのひとつだけにこだわり続ける事のひととしての不自然さを教えてくれ
ました。

あなたの夢はなんですか?
あなたが幼い頃思い描いた世界はどんな素晴らしい世界だったでしょう。

誰とともに生きたいのでしょうか?
誰を愛したいのでしょうか?

どうか私たちの心にあるやさしさが世界の中でのびのびと生かれますように。
祈りをこめて・・・。


投稿者 csadmin : 02:16

2006年1月23日

●心のケアが必要なとき

うちには、今年3才になる子供がいます。
毎日、家の中を大声で叫びながら走っています。

仕事をしている時も、新聞を読んでいる時も、
掃除をしている時も、静かに瞑想をしている時も(笑)

「お父うた〜〜ん」「ママあ〜〜」「ちょっと来てえ〜」「取って〜〜」
バタバタバタバタ ドン!! バタバタバタバタ バタン!?
一日中この状態です。


思い返せば、規定より(笑)1ヶ月ほど早くこの世に出てきた彼は、
始め、おっぱいも上手に飲むことも出来ず。
1時間おきに授乳をしなければならず。
一日ほとんど泣きっぱなし・・・
父も母も、毎日ふらふらになって生活していました。

「三ヶ月過ぎたら、ちょっとは楽になる見たい」
「半年過ぎたら、ちょっと落ち着く見たい」
毎日、夫婦でそんな言葉を掛け合いながらここまで来ました。

おかげ様で、病院に走る事もほとんどなく、
至って健康で元気な子供になりました。
子供の健康ほどありがたいものは無いものです。


今年、子供の写真を年賀状で見てくれた友人達は、
「大きくなったね〜」「かわいい盛りやな(笑)」って、
口をそろえて言ってくれます。

もちろん、お休みの日、何もすることがない時間、
わが子ながら、かわいいなあ〜としみじみ感じます。

だけど普段、父も母もやらなければいけない事だらけです。
仕事、洗濯、食事、掃除、洗物・・・
時にそんな息子に、声を荒らげて怒鳴りつける事も日々あります。

朝、出かけないといけない時間なのに、
遊びながら、中々ご飯を食べないでいる時に。

夫婦で大切な話をしている時に、あれしてこれしてと言い続ける彼に。

どうしてもやり終えないといけない事があるときに。

「遊んでないで食べなさい!」
「やかましく、し・な・い・で!!」
「もう、あっちに行ってなさ〜〜い!」

(笑)3才の男の子です。無理ですよね。
でも時折、父も母も声を荒げてしまうのです。

僕達がこうして書いているコラムも、一応締め切りがあります(笑)
どうしても文章が思いつかず、締め切り間際にやっとの思い出書き上げた瞬間。
足元で遊んでいたよちよち歩きの息子が、パソコンの緑の光を指で押した時。
お父さんは、「怒り」と言う感情を一瞬で通り抜け、
あまりにも深い「絶望と悲しみ」の感情の海に沈んで行きました。


でも良く考えるとどの瞬間の彼も、
ただいつもの様に、無邪気に遊んでいるだけです。
誰が見ても、かわいい小さな男の子です。

そこにあるのは、可愛いい存在をいとおしく思えない心の状態です。

時間に間に合わないと焦る気持ち。
心の中に広がる大きな不安。

僕達は、怖れや不安が心の中を牛耳っているとき、
可愛いものを、いとおしいものを、そう感じれなくなってしまいます。


日々の瞬間々々で子供を怒ってしまうことは、
小さな子供のいる家庭では普通のことですが、
長い時間そう感じ続けるときがあるかも知れません。

可愛い子供が、可愛く感じれない。
いとおしい妻を、いとおしく感じれない。
大好きなはずの彼を、そう感じれない。

それは彼らではなく。
僕達の心の中が、何かの感情でいっぱいになってしまってます。
不安、怖れ、心配 etc.

そしてそんな時こそ、
自分の心に目を向けて、優しくケアしてあげる必要があるのです。

※吉原 直人は2007/6月でカウンセリングサービスを退会しました。

投稿者 csadmin : 12:00

2006年1月21日

◇育むということ

4〜5年前、僕が右も左も知らない駆け出しだった当時、カウンセリングの先
生に僕は、

「お前は、絶っっっ対に、太る!!!」

と宣告されたことがあります。
自らの体験をともなったっぽい見解と確信に満ちたその迫力は有無を言わさぬ
ものがあり、当時の僕には権威をもって耳に響いてきたものです。

なんでそう思うんだろうとか、そういった深いことは考えずに生きてきたので
すが、カウンセラーとして活動させていただくようになり、最近、このことは
僕がカウンセラーである限りあり続ける問題なんだなぁ、という認識はできる
ようになりました。

というのも、気を抜くと太っちゃうんですよね…。
カウンセラーになる前は、こんなにひどくはなかったのですが。

まぁそれはそれとして、この現状をどうしてゆこうかと考えるわけです。ダイ
エット、食事制限、運動などなど、いろいろな方法はあることと思います。

そんな時、ふと思ったんです。
贅肉になる分を筋肉にすればいいんじゃないか、と。
というわけで最近、筋トレをしています。

この時期に偶然知り合いから重さを変えられるダンベルをもらったりと、今の
ところ良い感じです。ただ、筋肉が付くと以前よりお腹がすくような気がする
のですが…、きっと気のせいでしょう、いやそう思いたい(笑)。

投稿者 csadmin : 08:59

2006年1月16日

●何も出来なかった。

「直美、そっちは大丈夫?!」

まさかと思うような朝はやく、電話の向こうからただならぬ雰囲気を漂わせている母の声。ああ、そういえば今大きく揺れたなぁ、地震のことかしら。
母の心配性はいつものことで、少しばかりうっとうしくかんじながらも、今日は会社で会議だから資料をまだ作っていたの、大丈夫よとだけ伝え電話を切り、また、ちょっと朦朧としながら気の乗らない仕事に向かいだす。
私にとっては日常的な一日が始まる。
厳しい寒さのせいで、車のフロントガラスは白く凍り遅刻しそうな私は少しいらいらする。

親元から離れてほぼ1年。

まだまだ新米と呼ばれ「おまえ、なんか言えよー」などと先輩からつつかれながら会議はいつものように進んでいく。

休憩時間に入りいつも優しく接してくれる、受付のオネーサンがなにやら心配げに私を見つめ「うえにしさん、確か実家って兵庫県だったよね?」と。
同じく休憩時間に朝刊紙の号外をを読んでいた先輩たちもやおら私の周囲に集まってきた。

なんのことだか、さっぱりわからずに呆けていると「神戸で地震があったらしい」と。

やっとそこで合点がいき、朝の母からの電話の意味を理解した。

はっとした私は
どういうことですか?
大きい地震なのですか?と先輩の見ている新聞をのぞきこむ。

その時点ではまだ、死者十数名の模様だ・・・と。
心配する先輩たちに、明け方母とは話をしましたから、と会議へ戻る。

本社と工場や流通機能を神戸にもっているためそこら中に電話をかけだす営業所のスタッフたち。

つながらない・・・。
関西方面への電話がほぼ不通となっている事態にやっとのことで事の重大さを感じだし緊張感が走り出す。
工場にダメージが出れば、薬剤が流通に乗らなくなる。

既に震災が起きてからこの時点で数時間が経過していた。

昼間での会議から開放され、やっとTVのニュースを見れる環境へ。
「火の手があがっているもよう、死者は100名を越すのではないか・・・」
同じようなヘリコプターからの遠景の映像と、いわゆる突然に引っ張り出されたであろうコメンテーターのかたの解説ばかり。

神戸近郊の出身者たちの家族の安否をまず確認するように伝える所長。

家に帰るか、と聞く上司に「今帰っても・・・」と通常通り得意先へとむかう。
ほぼ毎日得意先でばか話をしてもりあがる同郷の同業者は真っ青な顔をしていた。
私は、事態が飲み込めてないのではないかと思われるくらいにはしゃいでいておかしかったと、後から聞かされた。

陽が落ちてからやっとアパートへ戻りTVをつける。
既に亡くなられたからの名簿がずっとテロップで流れていた。

芦屋の友人、長田の同級生、実家近くのともだち、大学の恩師。
誰とも連絡がつかぬまま、ただ夜が過ぎていく。
TVからは、よく訓練されたアナウンサーの、亡くなられたであろう方の名前を読み上げる声だけが異様に耳につき、青い画面が脳裏刻まれていく。

なにもできない。

見慣れた風景が壊れているのを見る。

なにをすればいい?
なにをすればいい?

なにもできなかった。

たった300キロ程度しか離れていないのに土地私からは郵便局でせめて救援物資を送れるようになるまで数週間。
学生時代のクラスメートの全員の安否を取りまとめ、担任へ知らせるまでに1ヶ月以上を要した。

長田に住まう友人の安否がわからぬと電話の向こうですすり泣く友人に
「もうじききっと私たちが役に立つ時も来るよ、それまで元気でいようね」
と伝える。
あの言葉は他の誰でもなく自分自身に言っていたと気がついたのはもう少し後のことだった。

幸いにして親しい方に不幸はなく半年後、仕事上の転勤で神戸近郊へ戻る。

大阪と神戸の間にある西宮の海寄りの道は、まだ舗装されておらず 途中割れ目ともいえるような盛り上がりで車両が揺れる。
以前であれば高速道路を使わずとも1時間もあれば到着する大阪−神戸間。
車の移動で2、3時間はかかる状態がそれから半年以上も続いた。

芦屋に住む友人が「怖かった・・・」と涙を流すことが出来たのは震災から1年以上が経過した彼女の結婚式まちかの暖かい日だった。

今、神戸の中心である三宮駅前にはガラス張りのきらきらひかる美しいビルが、また 建設されているようだ。

そして10年以上が経過した昨年、道すがらであったおばあさん。どうやら、私を誰かと間違っているらしく一方的に話を続けられている。
「震災で鼻頭を砕き、それ以来どの病院へ行っても鼻の状態がおかしくなるばかりで・・・」確かに鼻から頬へかけて何度も処置したのであろう、傷跡が見られる。
ひたすらに話し掛けられるその様子は少しばかり目が宙を仰いでいて、身の上話からいかに震災の後彼女のこころにもおおきな傷が残っているのかが私にも伺えた。

ああ 終わってない・・・。

あのとき何も出来なかった。
今もただ、話を聞くことしか出来ないけれど・・・。
忘れ去られていると感じているのであれば、覚えているとしか伝えられないけれど・・・。

あれから10年以上が経ち、歴史に残ると言われる大きな天災・人災のニュースも世界から日本から何度も飛び込んでくる。
その度に、底に関わる人たちのさらに周囲にその人たちを愛している人たちがいる事を想う。

もしかすると、多くの物事が対岸の火事ではないのかもしれない。

私が震災から学べたのはたったそういう感じ方をするようになったくらいかもしれない。

なにもできない
なにもできない
いろんな場面で、誰もが感じる無力感。
それでも前にむかう人たちが居たからこそ、何も出来ないと感じても歩みをとめない人たちが居たからこそ、教訓や学びがそこかしこで形になるのかもしれないなと思う。

そう思うとき、今のひとりだけの能力や力よりも人の心の強さや偉大さを思う。

そして、、、。
誰の心の中にも、そんな偉大さや強さがあることを信じたいと思う。

2006年1月16日
阪神大震災に寄せて

投稿者 csadmin : 12:00

2006年1月13日

◇男所帯

こんにちは。きのです。
2006年、皆さんはどんな年明けを迎えられましたか?

さて、私は、実家に帰るのを後回しに、年末年始はカウントダウンライブも
行き、毎日呑み遊びまわっておりました(^^;
実家を後回し(逃げていたとも言う)にしたのは、先に友達との予定が入って
いたのもあるのですが、
もうひとつ、大きな理由がありました。
それは、今、母親が実家にいないということです。

年末、母方の祖母が脳梗塞で倒れ、田舎に帰っているのです。
幸い意識が戻ったそうですが、またすぐに悪くなる可能性も無くは無いので、
母はしばらく田舎にいるということ。

田舎といってもかなり遠い。。。船なら船上2泊、飛行機でも離島になるの
で鹿児島乗換え1日2便と、
とっても時間とお金がかかる場所です。
なので、そう簡単に、行って帰って出来ないので、現在1ヶ月以上母不在の
実家となっております。

で、実家はただいま男所帯となっています。
60歳前の男と20代前半の男2人住まいの家とはどんなものか・・・。

正月2日にほろ酔いで実家に帰った私。
「ただいま〜」と、玄関を開けると、な〜んか男臭い。
そして、玄関で迎えてくれた弟が、いきなり
「明日、掃除せぇよ」

「セイセイセイ〜何を言うか弟よ。まずは、明けましておめでとう」と、HG
ばりにその言葉を聞かなかった事としたものの、あえなく失敗。
「おめでとう。掃除のために帰ってきたんやろ〜じゃ。」
と、言い放って、自分の部屋に上がっていきやがった。

次の日の朝、
「どうして休みなのに、8時に起きないといけないのか!!」
そんな事をぶつくさ言いながら、片付けて掃除機かけていると、
「じゃー今日遊びに行かんと1日ゆっくり掃除したらいいやないか」
と、父。
「神戸の友達と遊ぶんじゃー。今日しかあかんのじゃー。」
と、30歳の女性とその父との会話とは思えない、なんとも物悲しい言葉使
いとコミニケーション。
もう少しまともな会話は出来ないものかと、この原稿を書きながら反省して
おります。

さて、掃除でビックリした事がひとつ。

それは、お風呂掃除をしていたときお風呂場になぜかごみがいっぱいあるの
です。
試供品の使った空き袋が2・3個ほったらかしになっていたり。。。
それはそれで、シャンプーやリンスが切れて入れ替えるのが面倒なのは分か
るのです。
ただひとつ、どうしても理解できなかったのが、それを見つけた時、数秒そ
の正体について考えさせられたもの。

白い
ロール状に丸まっている
元は長方形?
ふにゃふにゃ。ぷにゃぷにゃ。
牛乳寒?な、わけない。

そんな物体が3つも風呂場に転がっていました。

「生物ではないが、ただのおとなしい物体ではあるまい、お前は何者じゃー」
と、歯ブラシの枝で、ツンツンしてみたり転がしてみたり。
で、ロール状を広げてみると納得しました。

「お父ちゃん、何でシップを風呂場に置きっ放しにするんや〜気持ち悪いわ
!!!」
風呂場から叫ぶと、小さな声で
「あ〜忘れとった」
なんて返事。
「そんなわけ、なかろう。こんな大きな物体を忘れて出ても、次の入る時気
付くやろう。」
と、心で言い返しながら、せっせと、フロ掃除を続けました。

弟は、どちらかとう言うと神経質なのだが、自分の部屋しか気にしない性質。
父は、掃除をしだすとキリが無いので、しないという性質。
私もあんまり掃除が好きじゃない性質。

掃除後、弟作のお雑煮を見た。
おすましのはずなのだけど、茶色すぎる。
「お前も食べるか〜」
と言われたが、
「お腹いっぱいやから、遠慮するよ。」
と、ちょっぴり気を使ってしまった。


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投稿者 csadmin : 11:38

2006年1月 9日

●今年をどんな1年にしますか?

新年あけましておめでとうございます。
今年もカウンセリングサービスがみなさまのお役に立てる1年にしたいと思いますので、どうぞよろしくお願いします。


年末年始というと、1年を振り返ったり、新しい年の目標を立てたりと、人生や時の節目を感じられる機会が多いですよね。
お正月に行く初詣というのも、そんな機会のひとつかもしれません。

そんな時節柄、心の世界に興味を持っている木村家には、いろいろと怪しい(?)情報がやってきます。
この日のこの時間に神社にお参りすると神様が願い事をきいてくださる、という話や、クネクネと歩くウォーキングドクターがおすすめする、神社でお参りする時の歩き方とか(笑)

その中でみなさまにご紹介させていただきたいなと思ったのが、より達成しやすい目標の立て方や、より叶いやすい願い事の仕方の話です。


目標の立て方や願い事の仕方というのは人それぞれの形があると思いますが、一般的には、目標や願望というのは、今の時点では実現していないものですよね。

だから、立てる目標は「○○になりたい」となり、初詣に行って神様に祈願する時は「○○になれますように」となることが多いと思います。

実現する可能性を高めるには、この「○○に『なりたい』」「○○に『なれますように』」という部分を「○○に『なります』」と言い切る形にしたり、「○○に『なりました』」と完了形にするのがいいらしいのです。

この話を聞いた時、はじめ僕は違和感を感じました。

今までのやり方だと、僕の2006年のテーマの一つが「豊さ」なので、それを例にすると、僕の2006年の目標は、「豊かになりたい」で、初詣に行って神様に「豊かになれますように」とお願いをします。

ところが、より実現性を高めるやり方を使うと、目標は「豊かになります」で、初詣に行って神様に「豊かになりました」というお願いをすることになります。

「豊かになります」というのは「目標」というよりも「宣言」といった感じがしますし、豊かになりたくて神様にお願いするのに、まだなってもいないのに「豊かになりました」と、「お願い」ではないく「報告」をしているような感じがしたのです。

どうしてこれが実現性を高めるのかというのが不思議でいろいろ考えていたのですが、正確な理由ではないかもしれませんが、僕の中では、目標や願望を思ったり言葉にした時の気分に関係があるのでは?というのが一応の理由ということで落ち着きました。

これから具体的に説明しますが、あくまで「僕の場合は」という前提で読んでいただければと思います。


「豊かになりたい」と思う時に感じているのは「今、豊かではない」ということです。
「今、豊かではない」というのを感じるのは、いい気分ではありません。

「今ある豊かさで足りていないのか?もっと多くの豊かさが必要なのか?」というのは少し横に置いておいて、「豊かさが足りない、もっと多くの豊かさが欲しい」という気持ちから「豊かになりたい」という目標や願望が出てくるので、当然といえば当然だと思います。

「豊かになります」と思う時に感じているのは、「今、豊かではない」というのと同時に、「豊かになりたい」という、自分の意志や意欲も感じます。他にも「大丈夫かな?できるかな?」「失敗したらどうしよう…」という疑いや怖れも感じます。

心地が良いような悪いような、複雑で、微妙な感じがします。
そんな感じもするのですが、「豊かになります」と自分で言い切ることで、「言ったからにはならなきゃカッコがつかない」と、前向きで美しい動機ではないかもしれませんが(笑)、そこから「じゃあ、どうしたら豊かになれるのだろう?」という豊かさを手に入れる具体的な方法探しへと意識がシフトします。

「豊かになりました」と思うと、「なってないよ!」というツッコミを入れたくなるので、そのツッコミを入れた後、豊かになったフリをしてみて感じるのは、満たされた感じ、安心感、その豊かさをどうやって楽しもうか?というドキドキワクワク感、余裕等、とても良い気分になります。 

この、「とても良い気分」「自分の意志や意欲」「具体的にどうしたらいいのか?」というのが実現性を高めるカギになっているのではないかと思うのです。

「とても良い気分」は、ただそれを感じているだけでも文字通り、とても良い気分ですし、その「良い気分を得るために」という目的の目的がはっきりしていると、それがモチベーションアップにつながりますし、そのモチベーションが「具体的にどうしたらいいか??」を探したり実際にやってみる原動力になります。

そうして、目標の達成や願望の実現の可能性が高くなるのではないかと思うのです。

そうすると、目標の達成や願望の実現の可能性を高くするのは、他の誰でもない「自分自身」なのかもしれませんね。
(みなさまの中には、それだけの可能性が秘められているんですよ!)

この目標の立て方や願い事の仕方がどれだけの効果を持っているのかというのは今の私にはわかりませんが、少なくとも良い気分になれる要素はあるので紹介させていただきました。
よかったら、みさなまも一度試してみてくださいね。


みなさまが年末に1年を振り返った時、そして、年初に描いた「こんな1年になればいいな」という夢や目標を達成できるように、心からお祈りしています。

そして、カウンセリングという形を通してそのお手伝いができれば、と張り切っていますので、今年もどうぞよろしくお願いします。

投稿者 csadmin : 12:00

2006年1月 7日

◇どんな自分でいようか?

僕が毎回、メルマガの執筆で一番困ってしまうのが、この情報便のコラム
です。

ブログなら、自分のページな訳ですから、何を書いても基本的にはいいわ
けですよ。

しかし、この情報便のコラムはそうは行きません。

なにせ、カウンセリングサービス情報便に、カウンセラーとして執筆する
わけですから、ネタが全然ありません。

いや、「無い」というのは不適切です。
「困る」というのが正しい表現でしょう。

コラムとは言え、カウンセラーとして書くわけですから、
カウンセラーとして、日常をどういった視点で生きているのか!?
ということを、おもしろおかしく書く必要があります。

僕にとって、このカウンセラーとして、という部分が悩みの種なんですよ
ね。。。

こういった肩書きに何の魅力も感じない僕としては、このカウンセラーと
してというのは足かせにしかなってくれないと感じることが多々あったり
してしまうのです。

なら、そんなの忘れて自分らしく行けばいいじゃないか!!

という、とても鋭利で鋭い突っ込みを頂いてしまうかもしれませんが、そ
んなことをしたら、大変なことになってしまいます。

カウンセラー情報便ならぬ、第3次スーパーロボット大戦α攻略情報便と
なってしまうことは、僕ならありえない話ではありません。

また、心理学を売りにしたメルマガが、単なる子供観察日記になっている
!なんてことは、やっぱり普通にありえると思うので、これも迂闊にネタ
にできません。

しかも、今回は、お正月、一発目のメルマガです。
正月早々、このメルマガを見てくださっている人々を、うならせるような
ネタを書きたいと思うのもまた、性分というものなのです。

そんな感じで、悶々としながらパソコンに向かい、
日常をおもしろおかしく、カウンセラーとしてだとぉぉぉぉっ!?
なんだそりゃあ!
そんなの簡単にできねぇぇぇ!
うおおおおおおっ!!!

と、さんざん頭をかきむしった挙句、あほらしくなって、ベランダに出ま
す。
そして、奥さんが入れてくれた濃いめのコーヒーをすすりながら、
「やあ、お月さん、あんたは今夜もきれいだねぇ。。。」
なんてしんみりしてしまうのです。


で、もういいや。
と思って、思いついたことを、ただ書くのが今回のコラムです。

エクササイズ的ですが、最近のマイブームは、こんな風な自分への問いかけ
です。

ぼくは、今日、一日、どんな自分でいよう?
ぼくは、今日、努力を忘れないだろう。

ぼくは、どんな顔で奥さんに、行ってきますをいいたいだろう?
ぼくは、自分の何をお客さんに表現したいだろう?

ぼくは、どんな顔で子供たちに、ただいまをいいたいだろう?
ぼくは、今日、眠る時、どんな自分を承認したいだろう?

こういう風に問いかけながら日常を過ごしてみると、ただなんとな
くすごすより、充実感が違うということが最近の発見です。

特に、新しい年になったことですし、今日、という部分を、今年に
置き換えてみると、一年の計になるでしょうね。

おもしろそうだと思ったあなたは、ぜひお試しを。

おお、ちょっとは、「らしく」書けました。
「らしく」行こう、というのは、いいことですね。

投稿者 csadmin : 11:10