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2005年8月29日

●夏の思い出

夏真っ盛りで暑い日が続いていますね。
このコラムを読まれる方の中には、お盆に長期のお休みを取られた後に読んでくださる方も多いと思います。
お休みは、どのように過ごされましたか?
そして、この夏は、どんな思い出ができましたか?

先日僕は、夏ならではのイベントである、海水浴に行ってきました。
僕と、奥さんと、友達3人というメンバーで行く、”大人の海水浴”でした。

「海行こうよー」と友達からのお誘いがあり、「そういえば、長い間海水浴には行ってないなー」「久しぶりに行ってみようかな〜」と軽い気持ちでOKしたのですが、行く準備をしているうちに、だんだんウキウキワクワクしてきて気分が盛り上がり、前の日の夜は興奮して眠れないくらいでした。

当日は、海辺に近づくにつれて潮風がそよぎ、海の匂いが強くなるほどに、ドキドキワクワクも強くなっていきました。

海岸に着いて、着替えて、みんなで手分けをして荷物を運んで、場所取りして、パラソル広げて、マットをしいて、はやる気持ちを押さえて浮き輪を膨らませて……

やることの全てがもう楽しくて楽しくて仕方がありません♪

そして、準備が整ったところで、みんなで一斉に海に入ります。

海に入ってワーワーキャーキャー騒いで、水の感触を楽しんで、浮き輪でプカプカ漂って…

その時、「楽しい〜〜♪」とそれを楽しんでいる自分がいるのと同時に、「いい大人が何をやってるんだろう」と冷静に客観的に少し離れて見ている自分がいました。

元々、僕の中には、「海水浴は子供がすること」「浮き輪は泳げない人が使うもの」「大人ははしゃいじゃいけない」という思い込みがあったんですね。

「せっかく来たんだから楽しまなきゃもったいない」とばかりに、この思い込みを一旦リセットして、「楽しい〜〜♪」モードで、その楽しさを満喫していました。

浮き輪でプカプカすることが、こんなに楽しくて気持ちいいことだなんて、知りませんでした。
イルカの浮き輪に乗るのがこんなに難しいなんて、知りませんでした。
大人だけの海水浴がこんなに楽しいなんて、知りませんでした (≧▽≦)

海からあがり、みんなでお弁当を囲みながら話をしていると、妙に昔の記憶がよみがえってきました。

家族で海水浴に行った時のこと。
海の家で買ってもらった焼きイカやかき氷がおいしかったこと。
父親が海が好きで、やたらと素潜りをしていたこと。それを自慢していたこと。
ある時、僕が父親よりも長く潜っていることが出来た時があって、その時の父親の驚きや焦りや寂しさと喜びが混じりあった複雑な表情。。

ずっと長い間忘れていたことが次々と思い出されると共に、胸が熱くなります。


僕の中では

「お父さん=遊んでくれない人」

になっていたのですが、実際はそうではなかったことに気づきました。
思い出せなかっただけで、無かった訳ではなかったんです。

父親が遊んでくれた思い出をひとつ思い出すと、次々と別の思い出も思い出します。

釣りに連れて行ってもらったこと。
近所の山に一緒に登りに行ったこと。
宝塚ファミリーランドという遊園地の中にある電車館が大好きで、連れて行ってもらっては100円をもらって鉄道模型を走らせたこと。。

いっぱいありました〜(*^_^*)

これらのことを思い出す前は、父親に遊びに連れて行ってもらった思い出や、それが楽しかったという印象は、僕の中にはほとんどありませんでした。

なぜだか父親が遊びに連れて行ってくれなかったことは覚えていて、そこから

「父親=遊んでくれない人」

 になっていたんです。

僕の父親はサービス業の仕事をしているので、平日が休みで、仕事の時は、昼に出掛けて夜中に帰ってくる生活をしていて、土日祝や盆や正月といった世間が休みの時が忙しい、という感じでした。

子供の頃の僕にとっての「お父さん」は、朝学校に行く時には寝ていて、学校から帰ってくると家にはいなくて、日曜日も祝日も、夏休みや冬休みも寝ているか、家にいない… そんな人でした。

そして、まわりの友達が「今度の休みにお父さんにプールに連れて行ってもらうんだ〜」とか、「今度の夏休みに家族みんなで旅行に行くんだ〜」と話すのを、とってもうらやましく聞いていました。

子供時代の出来事や、当時のお父さんなりの事情や、できなかった理由などを頭では把握して理解していました。
しかし、「遊んでくれなかった」「連れて行ってくれなかった」「いなかった」という印象が強く残っていて、自分を寂しくさせたり悲しくさせたたりしたお父さんへの不満や怒りや憎しみといった感情が残ったままになっていました。

思い出せなかったことを思い出したことで、「もう大人だから」「過去の出来事だから」とそのままにしておいた自分の中のそのドロドロとした醜い感情が、その過去の記憶と「うれしかった」「楽しかった」というポジティブな感情で、洗い流されたような感じです。

洗い流されてきれいになった心の中のその部分は、やわらかさとあたたかさを取り戻し、そこから、父親への感謝の気持ちが次々と溢れ出てきます。

そして、

「子供と遊んであげられなくて、一緒に過ごす時間が少なくて悪いな」
その申し訳なさ。

『子供の好きなこと、喜ぶことをしてあげたいな」
不器用でヘタクソだけど、それでも与える姿勢。

「まだまだ子供だと思っていたけど、いつの間にか成長しているんだな」
寂しかったり悔しかったりするけれど、それでも心から僕の成長を願う、純粋で強い想い。

「そしていつかは自分を超えていくんだな」
成長を感じた時の寂しさと喜び。

「自分を超えるような立派な男になって欲しい」
一緒に過ごす時間は少ないけれど、それでもいつも僕を見守ってくれているその眼差し。

といった、僕が子供の頃の父親が感じていたことや持っていた想いというのが、頭での理解を遥かに超えて、ハートで感じて、本当にわかることができました。

この「本当にわかったこと」というのは、僕にとっての大切な大切な宝物です。
海水浴に行くだけで、こんなに大切な宝物を手に入れることができるなんて夢にも思わなかった僕にとっては、本当に大きな驚きと喜びでした。

さらに、今度はこの宝物を持って父親に会うという、新たな楽しみもオマケとしてついてきたのでした(^^)v

海水浴に行って楽しかったこと。
とてもとても大切な宝物を手に入れたことと、胸のあたたかさ。
そして、日焼けして火照った体。

これが僕の、この夏の思い出なのでした。


みなさんには、どんな夏の思い出ができましたか?


投稿者 csadmin : 12:00

2005年8月27日

◇計画性

今皆さんがお読みくださっているこのメルマガは、たくさんのカウンセラーの
原稿によって成り立っているのはお分かりかと思いますが、当然、毎週ちゃん
と発行するために、この日までに原稿をあげてください、という「締め切り」
が存在します。

まぁ、当然と言えば、当然の話です(笑)

今までたまに投稿させていただいていますが、今のところ僕は、締め切り前ま
でにちゃんと提出しているんです。
…1度だけ、締め切り30分前ということはありましたが(-_-;)

僕もそんなに意識していなかったし、皆さんにしてみたら「当たり前だろう」
と思われる方も多くいらっしゃるかもしれませんが、昔の自分を振り返ると、
それはとても大きな変化だったんですね。
それは、この夏休みの季節だったからこそ、ふと思い出したのだと思います。

投稿者 csadmin : 09:48

2005年8月22日

●『エミール・ガレ展』にて

エミール・ガレ展に行って来ました。
以前にも行ったことがあるのですが、それ以来すっかりガレのファンになってしまったんです。
そんな私にとって、またガレの作品を観られるということは、とても嬉しいことでした。

今回の展覧会の中で、色の美しさが印象に残った作品がいくつかありました。
そのひとつがシュガーポットとグラスがセットになった「テーブルウエア」です。
透明ガラスに白と空色で花網と羽虫が描かれています。
模様がとても繊細で、色使いの美しさが模様をよりいっそうきれいに見せています。
シュガーポットには、ねじり模様入りの透明ガラス製スプーンが付いています。
私から見ると、あんまり素敵すぎてとても贅沢なテーブルウエアです。
観ていると心まで透明になりそうな作品です。
一度観たら忘れられません。
そして、優しい色使いが印象的だったのが「花器(モクレン)」です。
器全体に広がった乳白色と淡いピンク色のモクレンがとてもきれいです。
ほわんとして優しい感じがします。
観ていると、穏やかな気持ちになれそうです。

ガレの発想の素晴らしさに改めて感心させられた作品もいくつかありました。
ひとつは、マスを釣り上げるニンフ(妖精)が彫刻された「花器」です。
透明ガラスにマスを釣り上げるニンフとコウホネの花が彫刻されています。
紫色の泡が涼しげで、とても幻想的な感じがする作品です。
この作品には、「積極的な水のニンフ、うぶなマス、恋の駆け引きにおいて常に捕まってしまうだろう・・・」という刻銘があります。
恋の駆け引きの妙をテーマにした面白い作品です。
もうひとつは、折り紙で作った鳥を陶器のオブジェにした「折り紙の鳥(ココット)」です。
鴨と楽譜が描かれていて、楽譜の下には「家鴨たちは<岸から岸へと>うまく渡ったティルリル リル」の引用句が入っています。
私はガレがこうやって引用句を入れるのがとても好きなんです。
子供の頃、折り紙がとても好きだった私にとって、ガレが折り紙の鳥を題材に選んだということは、とても嬉しいことです。
それに、とてもかわいらしくて、部屋に飾っておきたいと思うくらいとても好きな作品です。

いろいろとイメージするのが好きな私にとって、一番面白かったのは、彫刻「手」です。
この作品は、手に海藻が絡みついていて、指には貝殻が付いています。
この作品に関する文書記録がないので解釈ができないそうなのですが、私だったら「この手は人魚たちの間で伝説となっている人魚のもので、復活する時を待っている」そんなふうに考えます。
そして、「復活する時には、人魚の歌が聞こえ、指に付いた貝殻は指輪に、海藻は羽衣になる」のではないかと思います。
この「手」を観ていると、人魚が復活するイメージが浮かんできました。

ガレの作品作りに対するこだわりを強く感じたのは、教会の尖塔が見える集落や、麦を収穫する農夫たちが表現された「食器戸棚」です。
麦を収穫する農夫たちを見て、ミレーの絵を思い出しました。
この食器戸棚には、大麦の穂をかたどった飾り金具が装着されています。
作品の全てを作品作りに活かしてしまう、ガレの徹底した姿勢に感心してしまいます。
こうやってガレの作品に刺激を受けたせいか、最近書道で今までとは違った面白い字を書けるようになってきました。
私は、これまでガレが見せてくれた作品を書道の作品作りに活かしたいと思っています。
そうやって私なりに吸収し作品作りに活かすことで、ガレへの感謝の気持ちを表現したいと思っています。

上田 紘美のプロフィールへ>>>

投稿者 csadmin : 12:00

2005年8月20日

◇感情的なリスクを犯すこと〜変化が魅力を生み出す〜

我が愛娘は1歳5ヶ月に入りました。
生まれて丸1年5ヶ月が過ぎたわけですけど、その間、ずーっとうちら夫婦や
おばあちゃん達、おばちゃん達に「かわいい、かわいい」と言われながら
育ってきています。
(うちは夫婦共々父親がいないので、彼女にはおじいちゃんがいないんです)

親バカなのは大目に見ていただくとして、普通、同じものを1年以上も同じ
気持ちで、あるいは、その気持ちを成長させながら持ち続けることは難しい
ものです。

美人は3日で飽きる・・・なんて言葉もあるように、どれだけ良いものでも、
単一的な見方ではどんなに良いものでも必ず飽きが来て退屈してしまいます。

でも、子どもの成長はすごく早いんです。
昨日まで出来なかったことが、ある日突然出来るんです。
その変化に驚かされ、そして、その変化に「すごいなあ」と「かわいいな〜
(デレ)」が続いていきます。

あなたがパートナーから「もっと愛されたい」と思うことは自然なことだと
思います。
もっと愛して欲しい、もっと必要とされたい、という気持ちも。

同時に、もっと愛してあげたい、もっといい関係を作りたいと思うことも自然な
ことだと思います。
この気持ちが無くなったら、それは大問題ですもんね。

「どうしたらもっと愛せるんだろう?」
「どうしたらもっと愛されるんだろう?」
と考えてみると、子どもの成長がとっても分かりやすいヒントを与えてくれる
ように思うのです。

親から言えば、早く成長してくれるのは嬉しいけれど、このかわいらしさが
変わってしまうのも惜しいと思います。

2歳になる子どもを持つ友人がしみじみ言ってました。
「歩き始めて色んなことを自分でし始めるとな、なんか無性に寂しくなるねん」

もっと大きい子どもを持つ友人が言ってました。
「初めて幼稚園に子どもが行った日は、こっちが寂しくて泣かされたわ」

子どもの成長を見ていると「今、この瞬間」に対する思いは深まります。
最近僕がよく思うのは「1歳5ヶ月の娘は今しかいないんだな」ということ。
それと同時にうちの奥さんに対しても、周りの人たちに対しても、自分自身に
対しても、
「今の○○は“今”しかいないんだな」
ということに気付かされます。

先述のお母さんは幼稚園から帰ってきた子どもを見て、思わずぎゅーっと抱き
締めてしまったそうです。
こんなにいとおしいと思ったことはなかった・・・というくらいにね。

大人になれば、子どものような成長スピードを保つことは難しいです。
でも、スピードこそ違えど、大人も変化していくことは可能です。

カウンセリングではだいたい3、4週間に1回くらいのペースでスタート
される方が多いんです。
ということは、僕は月に1度くらいしかお目にかからないわけですが、
それゆえに、その間の変化というのに気付きやすいんですよね。

3ヶ月くらい経ってくると最初の頃からの変化が現れてくるように感じます。
もちろん個人差はありますけど、僕の目からは変わったように見えるんですね。

玄関を開けてお客さまをお迎えするとき
「えーっと、○○さんでしたよね?(え?こんな雰囲気の方だったっけ?)」
と思わされることもあります。

大人だって成長し、変化することは可能なんですね。

ただ、そこには・・・リスクがあるんですよね。

カウンセリングでは時々「えーっ!?」ということをやらされたりします。
「じゃあ、友達3人に今からヘルプメッセージを送ってね」
「旦那さんの目を見て『愛してる』って言ってね」
「お母さんに『ありがとう』って言ってみましょう」
「元彼に背を向けて、ゆっくり歩き出してください」

宿題にすることもあれば、イメージワークの中でやって頂くこともあります。

「嫌だ・・・」
「無理です」
「できない」
「うそっ・・・」

「それやるくらいなら、ここから飛び降りた方がマシです!」とおっしゃった
ツワモノもいらっしゃいました。

そんな抵抗がたくさん出てきます。
心理的に見れば、自分でやってみてうまく行かなければ、残っている方法は
嫌なことばかりなんですね。
幕の内弁当を食べやすい物から食べれば、後に残るのは苦手な物ばかり、と
いうのと同じです。

でも、怖れや恥ずかしさや嫌悪感や怒りを乗り越えてチャレンジしてみると・・・
あら不思議、最初に思っていたよりも平気だし、すごくホッとしたりします。
思わず全身の力が抜けて「立てませ〜ん」とはにかみながらおっしゃった方も
いらっしゃいました。

そして、チャレンジしたことで、私たちは“自信”を持つことができます。

そのチャレンジの後に
「今、自分がどんな表情してると思います?鏡で見て下さいよ」
って言ってしまうくらい変わる方もいます。
ぱーっと輝いていたり、柔らかくなっていたり、自然だったり。

もちろん、そこまでの変化は一時的で、日常の中で少しずつ戻って行きます。
でも、そのチャレンジが出来たこと、怖れを乗り越えたことで生まれた自信は
失われません。
むしろ、自分の知らないところで少しずつ大きくなっていきます。

それが、何ヶ月かした後の「雰囲気がだいぶ変わりましたよね?」に繋がり、
目に見える変化(パートナーの態度が変わる。周りの人の目が変わる。自分の
趣味嗜好が変わる。普段の気持ちの状態が変わる。)が生み出されてきます。

この嫌だけど必要なこと、大切なことにチャレンジすることを
「感情のリスクを犯す」
と言います。

自分の枠を広げ、新しい世界を創り出す、とてもクリエイティブな作業です。
枠を広げるわけですから、少々の痛み(リスク)を伴うことは避けられないかも
しれません。
でも、その結果、あなたが欲しかったものが手に入るようになるんです。

今、あなたがステップアップするために犯すべき“リスク”は何でしょう?


投稿者 csadmin : 12:00

2005年8月15日

●恋がしたい 〜好きなことをする〜

異性に近づきたいけれど 近づけない時って、こんな感じじゃないですか?

こんな弱々しいぼくではきっと無理だろう・・
私は綺麗じゃないから相手にされない・・
私は魅力的じゃないから・・

こんな声が、素直な自分の気持ちや行動を妨げます。
そして、結局 近づけないまま終わってしまう・・

大人になるにつれて、僕達は自分をすごく厳しい目で見てしまいます。

男性としては、もっと強くないと・・
女性として、もっと綺麗でないと・・
自分をもっともっと磨かないと・・  
今の自分を認められない心になっています。

だから自分を磨いていくというのは、決して悪い事ではないですが、
あまりに強く思いすぎていると、僕達の行動を束縛しています。
好きな人ができて近づきたいのに、
そんな自分への評価が足かせとなって近づけません。

自分を小さく小さく評価してしまうことが、行動を止めてしまうのですね。

カウンセリングでは、そんな自己評価をあげたり、
「自分を好きに、自分を愛せるようになっていく」という取り組みをします。
恋だけでなく、恋愛、夫婦、仕事、人生などなど、
カウンセリングではどんな取り組みをしていても、
根底にはこの「自分を愛する」ということに取り組んでいます。

これは、じっくりと時間をかけて取り組んでいきたいことですが、
好きな人が目の前に現れたら・・取り急ぎ、恋を成就させたいですよね(笑)


そんな時、自分を愛することに取り組みながら、
同時に「自分の好きなこと」にも取り組んでみてください。
自分が好きなことを探して、それに没頭してみる事です。

僕の話を聴いてください(笑)
  最近・・「♪俺の話を聴け〜 二分だけでもい〜い〜」唄:CRAZY KEN BAND
  というフレーズが頭から離れないぼくですが(笑)

僕が大学を中退して、ぼろぼろになっている時に 恋に落ちた 話です・・
僕はもともとある目的を持って二浪もして大学にいったのですが、
人間関係やいろんなことに挫折して中退します。
その目的のことしか取り組んでなかっただけに、
それを失った僕は何もすることがなく、
ただ、仕事をしなければということだけで会社に入ります。

もともと自分に自信も持ってないし、誇れるものも何もありません。
本当に人生に何も希望も持てない時間でした。
会社に行っても、何の自信もない自分が女性に近づけるわけでもなく、
ただただ与えられた仕事をこなし、家に帰って寝るだけの日々・・

そんな日々を過している僕に、唯一 心に感情を感じさせてくれたのが”唄”でした。
毎日毎日、そんな好きなアーティストの”唄”を聴きながら過すうち、
かすかな気持ちが動き始めます。僕もこんな唄を歌いたいなあ・・
そんな気持ちに従うがまま、押入れにしまいこんだギターを取り出し歌いはじめます。

そして、毎日毎日 仕事を終えた僕は家の部屋にこもって夜中まで唄をうたう日々、
唄を歌っているときだけが、自分が存在している と感じれる時間でした。
そのうち 僕のギターの技術が歌いたい唄についてこなくなります。
そしてあるギター教室に通いはじめます。
そこで出会った先生が、そんな僕をすごく優しく迎えてくれました。

ある日、レッスンの後その先生があるライブハウスに連れて行ってくれます。
そこは普段、色んなアーティストが音楽を演奏していますが、
週に一度素人にその舞台を開放してくれます。
「飛び込みDAY」と名がついていましたが・・(笑)

毎週 そんな舞台で唄を歌うのが僕の楽しみになりました。
決して上手だったりかっこよくはないですが・・
唯一自分を感じれる場所です。自分を表現できる場所です。

そんな生活をしている時に、ある幼馴染の女の子と偶然再会します。
彼女も大学でバンド活動をしていたようです。
すぐにそのライブハウスの話で盛り上がって、翌週私も行ってみたいと言います。

次の週、彼女は同じ大学のバンド仲間の女性とそのライブハウスにやって来ました。
その彼女が連れてきた女性が僕の始めての 妻 となる人でした。

激しい恋を三年間過し、やがて結婚するのですが・・
どうして、彼女との恋が成立したのか? 
自分に自信が持てていないのは、ずっと一緒です。
それなのにどうして、彼女に僕の想いを伝えられたのか?
それは、唄が上手く僕がかっこ良かったわけではないのですね。
付き合ってから、最初に僕を見た印象を彼女に聞いたのですが、
「・・・・なんて、暗い唄をうたう人なんだろう 」でしたから(笑)


自信のない、自己攻撃のきつい僕がなぜ素直に彼女に「好き」と伝えられたのか?

それを 今の僕が分析してみるとこういうことです。
好きなことに没頭しているとき、僕達は自分に対する攻撃や観念をなくします。
もともと、そんな自分に対する観念は誤解から生まれています。
こうじゃないといけない とか、こうあるべきだから とか・・
自分はダメだ という気持ちも・・

本当に好きなことをしているとき、
それは唄でなくても、スポーツでも趣味でも、自分が本当に楽しんでいるとき、
僕達は、そんな過去の痛みや自分に対する観念をはずす事が出来ます。

スポーツやカラオケを楽しんだ後、すがすがしく思いますよね。

それが、あなたそのものです。
何も汚れる事無く、何も足りないこともなく、素直なあなたです。
好きなことに没頭している時、そんな自分のままでいられます。
僕達は今存在するそのままで、求め愛されそれを受け取ることに値する存在です。

そして、あなたが手にする幸せの始まりは、遠いところにあるのではなく。
今あなたのそばに必ず有ります。
そして、今それが何も関係しないと感じたとしても、
あなたが今、心を惹かれるものは必ずあなたを幸せに導きます。

今のあなたの心に従ってください。

※吉原 直人は2007/6月でカウンセリングサービスを退会しました。

投稿者 csadmin : 12:00

2005年8月13日

◇「平和」って、エエなぁ、、、。

今年・2005(平成17)年は、先の大戦・太平洋戦争(第2次世界大戦)
の終結から60年を迎えます。

と、言っても僕は、その時代に生きていた訳ではありませんので、ドラマや映
画・ドキュメンタリー・コミックスで「たぶん、そうだったんだろうなあ。」
と想像を膨らませたり

直に経験した人の話を聞いて、想いをよせてさしあげるのが、やっと、と言っ
た所です。

そう言えば、太平洋戦争当時を題材にした映画で、こんな作品を見たのを思い
出しましたっけ。

タイトルは「TOMORROW(明日)」だったと思います。三越劇場で見た
と思います。

三越劇場とは、今年のG・W後に閉店した、大阪・北浜の百貨店、三越さんの
8Fか9Fにあった映画館です。

洋の東西、国内外を越えた、通の人向けの映画を中心に上映した劇場として

当時、東は東京の「岩波ホール」、西は大阪の「三越劇場」として知られてい
たものでした。

さて「TOMORROW(明日)」は、仙道敦子さんや、南果歩さんが主演さ
れ、長崎を舞台としてストーリーが展開していきます。

昭和20年8月9日に、原子爆弾が投下され、炸裂する、その瞬間までの、人
々の暮らしを描いています。

登場人物は、僕達と同じ、静かに日常生活を送る人たちでした。まるで、日記
帳のひとコマのように

スローなテンポで、ゆっくり、ゆっくりと、静かにストーリーが展開して行き
ます。

戦時統制下に、物資の足りない中で、それでも、未来を信じ、明日を信じ、質
素に、つつましやかに祝言がとりおこなわれるシーンとか。

工場に働きにいく人たちや、学校で軍事教練を受ける若い子たち、、、。

この映画には、激しい戦闘シーンとか、後世に名を残すような登場人物は、い
っさい出てきませんでした。

物語は、「あの日」を迎えます。その日も、いつもと同じような1日の、、、
はずでした。

映画を見てる観客は、彼らの運命を知ってるので、一瞬にして、続いた日常が
途切れる、そのやるせなさや、言葉にならない思いが、スクリーン越しに叫び
として伝わるような、静かで、インパクトの強い演出でした。

意味深なタイトル「TOMORROW(明日)」には、その瞬間によって「希
望や未来へ続く明日」が途切れた悲劇を強調していたように思います。

上空に、1機の爆撃機が現れ、ひとつの爆弾を投下し、主人公達が、それを眺
めつつ、落下した瞬間、画面が真っ白になりながら終わります。

その後、幾多の月日が流れ、今では国と国同士が争い、戦うことはほとんどな
くなりました。

ある地域の争いごとが、世界大戦へ発展するようなことも、まず考えられない
でしょう。

しかし、民族紛争とか、形を変えて今なお、この世界のどこかで揉め事は続い
てます。

僕のいとこのシゲオ君(仮名)、いやシゲオさんは、実は自衛隊で眼科医をし
てて、海外へ隊員さんたちが派遣される時には、そのお世話で同伴することも
あるんです。

哨戒(しょうかい・・・襲撃警戒)業務は、目が命なので。

目は、気温差や時差、気候など環境の激しい変化と、それに伴う疲労で大きく
左右されます。

どうやら、あの砂嵐吹く地域の派遣も、交代で無事終わったようです。よくぞ
御無事で帰国されましたね、シゲオさん、いや、シゲオ先生。

でも、派遣期間が延長されたり、行く場所が増えたら、またお世話で海外へ出
て行くのでしょう、、、ね。

僕は、シゲオ先生の結婚式にも呼ばれたことがあったので、う〜ん、奥様はさ
ぞ気が気ではなかったと思います。

身近な所から、紛争や、きな臭い国際情勢の話を聞き、それに従事する人たち
の噂が聞こえると

この国で、当たり前のように思ってる、静かで平和に暮らせることのありがた
さを、かみしめずにはいられませんでした。

僕達カウンセラーが、お客様のお話を伺うことができるのは、大袈裟かもしれ
ませんが、「平和」な世の中が続くおかげなんですね。

「平和」って、エエなぁ、、、って。

その喜びをかみ締めながら、この夏をすごせたらと思います。

シゲオ先生に敬意を表しながら。

投稿者 csadmin : 12:00

2005年8月 8日

●生まれた日が誕生日

こんにちは、吉見太一です。

8月ですねぇ〜。
いやぁ〜暑いですねぇ〜^_^;

8月は、僕にとって非常に思い入れの強い月です。

なぜかと言うと、8月は僕の誕生月なんですね(^o^)

皆さんにとっては、クソ暑い日々の中の1日でも、
僕にとって誕生日の日は

『真夏のクリスマス!!』

なんか、そんな感じです(笑)

それくらい、一大イベントの日です。

皆さんは、ご自身の誕生日をどのようにお考えですか??

投稿者 csadmin : 12:00 | コメント (0)

2005年8月 6日

◇ニコニコ電車(^-^) 

私は毎日電車を乗り継いで通勤しています。
通勤ラッシュからは少しずれた時間帯なので、比較的楽な通勤だとは思うの
ですが、それでもメールをしたり、本を読んだりなんとか楽しく過ごそうと
工夫しています。

さて、そんな私が電車でぼーっとしているときに、ときどきふと心に浮かん
でくる光景があります。

それは、車両に乗っている人たちがお互いにニコニコと話し合っている光景
です。

「お子さんおいくつですか」
「3歳なんですよ」
「かわいいですね〜」
「実は、うちの子も同じ年くらいなんですよ」
「じゃあ、今度一緒に遊びましょうよ」
とか、
「今日は暑いですね」
「ほんとですね。こんな日はビールが飲みたいですね〜」
「よかったら、帰りに一緒にどうですか?」
「あ〜 いいですねぇ。○○駅の前のビアホールなんてどうですか?」
「いいですねぇ。うちよりちょっと先だけど、乗り越しちゃおうっかな?」
と隣あわせて座った人が意気投合したり、

「ニコニコしてますね。何かいいことがあったんですか?」
「えぇ、実は、さっきプロポーズしたらOKしてくれたんですよ」
「うわぁ、それはよかったですね。おめでとうございます」
「えっなになに、プロポーズのOKもらったの?おめでとう」
「おめでとう!」「おめでとう!」「いやぁ、よかったねぇ」
と車両中が盛り上がったり

そんな電車っていいと思いませんか?

私はときどき、車両に乗ってるみんなの顔を見回して、
この人はむすっとしてるけど、笑ったらどんな感じなんだろう?
怖そうな人だけど、どんな話題に乗ってくるのかなぁ?
などと一人で考えて、楽しんだりしています。

ただ、現実には、目の前にいる人たちは(私も含めて)なるべくまわりの人
とは関わらないように自分の世界にこもっている感じ。
余計なことには巻き込まれないように、まわりとの壁を高〜くそびえ立たせ
ているようなそんな感じがします。

この壁を崩すのは、かなり難しそう(^_^;)
私が気軽に話しかけたとしてもまったくたち打ちできそうにありません。
私がかろうじてできるのは、目の前に座った子供と親の目を盗んでこっそり
遊ぶことくらい。
まだまだ度胸がありません(>_<)

でも、たまたま席を譲ったおばあちゃんが喜んでくれたり、小さな子供を
介して周りの人が話したりというのに出会うと、すごくうれしくなるのです。
本当は、私だけじゃなくきっと多くの人がそんな電車に、そしてそんな世の
中になるといいなぁと思ってるんじゃないでしょうか?
こんな電車いいなぁ、こんな世の中になったらいいなぁって意識する人が
たくさん増えたら、車両中が笑いでいっぱい!なんていうことになるのかも
しれませんね。

あなたも乗り合わせた電車が楽しげな雰囲気だったら、それをますます盛り
上げるのに協力してくださいねo(^-^)o

と、こんなことを考えながら電車に乗っていると、ついつい一人でニコニコ
してしまいます。
電車の中に、妙にニコニコしている人がいたら、その人は、こんなことを
考えているのかもしれません。
そして、もしかしたら、私かもしれません。決して危ない人ではありません
ので逃げないでくださいね(笑)


投稿者 csadmin : 12:25

2005年8月 1日

●既婚者VS独身者−環境の違う友人とのつながり−

皆さんの知り合い、仲間、友達の中で、
「自分とは違う環境で生きているなあ」・・・と思う人はおられますでしょうか。

私は3年前、友達と呼べる人たちとの関係を、自ら絶っていたときがありました。
今から思えばとても失礼なことになりますが、私自身に「友達」という認識はあの頃ありませんでした。だけど寂しさからとりあえずは時々会っていた人たち・・・と思っていた頃のことです。

自ら絶っていたという一番の理由は、彼女たちの話題に私がついていけなくなった・・・と感じたことが原因でした。
高校時代の部活の仲間で、皆結婚と共にすぐに妊娠し、子供が出来ました。その頃私は元夫との距離に悩み、Sexlessでもあり、妊娠の可能性も低いとお医者様から判断され、妊婦さんからおよそ遠い場所にいたんですよね。そんな状態の中、その仲間の一人から、「皆と久々に会おう」というお話が出てきたんです。
その頃の私は「面倒くさい。。。」という気持ちもあったんです。自分が壁を作って人と接していましたし、親しみから私のことで盛り上がっていても、私自身には「馬鹿にされている」という感覚しか持てなかったですから。それでもひとりぼっちになる恐れがあったため、重い腰をあげて会っていました。
そして、その時も何年かぶりに出会って、皆が楽しそうに笑っていました。
今はもちろん、本当に楽しくて、私にも抵抗なく関わってくれていたんだということが分かりますが、あの頃私は彼女たちの話題に全くついていけなかったんです。

理由は話題の違い。

仲間は私を入れて5人。
4人は結婚し子供がいる。私は結婚してはいても子供がいません。
話の話題は子供が中心。私はなんだか蚊帳の外にいるように感じていました。そしてあの頃は、
「そんなに子供の話をしたきゃ、あんたたちだけで会えばいいじゃん!私は必要ないじゃん!!」
そんな寂しさと怒りを感じてたんです。だから私から会おうという提案は一度もしたことがありませんでした。会えば寂しさを感じる。疎外感がある。仲間はずれにされているような気持ちになる。だから関われば関わるほど苦しくなってしまって、自分からは関係を絶っていました。

だけどそんな時、彼女たちの思いはいっさい考えなかったんです。
私を誘ってくれた。この事実を見ようとはしなかったんですよね。

自分が好きな人は誘いたいと思うのが一般的に思うことかもしれません。中には
「後で何を言われるか分からないから・・・。」
という恐怖感で、誰かを誘うこともあると思いますが、もしそうだとすると、自分も含め、他の人が会っていて当然違和感を感じると思うんです。
だけど私は彼女たちに会うしんどさはありましたが、お義理で仕方なく誘われた感じは受けませんでした。なぜなら彼女たちは楽しんでいたし、私にも満面の笑顔で対応してくれていたからです。ということは、彼女たちは私を誘わなかったら後で面倒だ・・・という考えで誘っていた訳ではないんですよね。でなければ、あんな顔で私に笑顔は向けられないと今は思います。

カウンセラーとして、子供がおられる方のお話を聞いていると、彼女たちの生活は本当に自分を犠牲にするほどに子供が中心なんですよね。だから久々に会った、しかも同じように子供を持った友人に出会ったとき、子供の話題を中心にした方がつながりやすいとは思うんです。日頃の子供を育ててる中でのしんどさや大変さ。それを分かってもらえるのは同じ子供を持った友人。だからついつい話題がそっちに行っちゃっても当然だと思うんです。

これと同じように、今度は独身の人が結婚した人とどうやって付き合っているか考えてみますね。たくさんのお話を聞く中では、一番多いのは「嫉妬」の部分のようですね。結婚している友達と会うと、ご主人のお話が出てくることもあると思います。そうすると、「いいなー。私も早く結婚したいなー。頑張ろうー!」と思う人ももちろんおられますが、「自慢話したいわけ!?」と、自分自身がみじめになってしまう感覚を持つ方もおられるようです。
そうなると、ただ自慢話を聞かされているようで、とても苦痛に感じる方もおられると思うんです。そう思ってしまうには、
「どうして彼がいないの!?」「どうして私はうまくいかないの!?」
という、彼女たちなりに努力した、今までの頑張りに対しての悔しさや、苦しさの部分がいっぱい出てくるからだと思うんです。

既婚者と独身者。どちらも自分の生活とは違う人ですよね。

これらの理由から、どちらかがどちらかに対してつながりをもてなくなって、距離を空けてしまうことが多いようですが、
既婚者は、
「家のことでなかなか皆に会えなくて寂しいなあ。。」
「旦那がいるし、早々遊びにも行けないよなあ。。」
「子供が大変だから、友達と遊びになんてほとんどいけないよ。。」
「・・・また誘われたのに断ることになっちゃった。。。
だって、今日は地域活動に参加しなきゃいけないんだもん。。」
など理由はまだまだありますが、とにかく結婚すると自分のことだけではなくなってしまうだろうし、近所づきあいや夫や両家のつきあいと、自分のしたいことを我慢せざるを得なくなってしまうことは多いと思います。

独身者は
「結婚してるし、旦那さんにも悪いし頻繁に誘えないな。。」
「子供いたら大変だろうから、誘っても迷惑がかかるだけかもしれない。。。」
などの理由から結婚している友達を誘うのに抵抗があるようですね。

既婚者は誘って欲しい。だけど皆に避けられてるの?
・・との誤解があり、
独身者は、迷惑なだけかも・・・と思ってしまうことも多いようです。

お互いに、相手を思うがゆえの行動なんですよね。
お互いに寂しいんです。
だけど誘うことは迷惑じゃないか。誘われてもなかなか参加出来ない。
そんなすれ違いから距離を置いてしまう。。。

結婚を祝福してくれたお友達ですもの。結婚した方にとって、その友達はとても大切で大事なはずです。彼女の幸せを願って祝福したんですもの。その友達にとって、結婚した方は同じように大切で大事なはずです。
会いたいと思って当然、たまには一緒に遊びたいと思って当然だと思います。

誘うことは迷惑なんかじゃありません。断られたとしても、あなたを避けているのでも、嫌いなわけでも全くないと思います。
誘われた方、に断ってしまうことがあってもいいと思います。
私も誘われたとき、断ることも多い既婚者です。だけど誘ってくれたその気持ちはとても嬉しいです。
だとしたら・・・。
誘う方は勇気を持って例え日にちが開こうとも、何度も誘って見ませんか?
誘われる方は断ることがあったとしても、その気持ちを「ごめん・・・」という言葉で伝えるのではなく、「今回は行けないけれど、誘ってくれてすごく嬉しかった! また誘ってください! 本当にありがとう!」と感謝を伝えてみませんか?そうすれば断られた方も嬉しいですし、又誘ってくれると思います。

独身者と既婚者。立場や環境は違っていても、あなたが大切だと思うお友達とは、勇気を持って近づいてみてはいかがですか?
会いたいと思うからには、あなたにとっても相手にとってもとても大切に思っている友達には違いないと思いますよ。

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投稿者 csadmin : 12:00