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2005年3月28日

ふたりだからできること 

先日、ともだちと焼肉を食べに行きました。

そこで彼女は、私に一冊の本をプレゼントしてくれました。

その本は、

『ふたりだからできること』
(文・ほしばゆみこ、絵・くさまなおみ、監修・伊藤守、Discover社)

というタイトルで、まさに脱・ピン芸人のための本です、笑。

ここでちょっと解説しておきましょう。
「脱・ピン芸人」というのは、なんでもかんでも一人で行動してしまう、内向的体育会系な自分から卒業するために立ち上げました、つくいさとこの今年の目標のことです。

それは、ほんの数十ページの絵本なんですが、
「ふたりだからできること」が、たくさん描かれています。
「ふたりだからできること」というのは、裏を返せば、
「ひとりではできないこと」です。

そのプレゼントがすごく嬉しかったので、もらったその場で読みました。
更に帰りの列車の中でも読んで、そうだよなー、って・・・

ともだちも言ってましたが、この本のいいところは
「ひとりを否定していない」ってことです。
ひとりでできることもあるけど、ふたりだからできることもあるよね、って。
パートナーシップの本でもあるんですが、これは、パートナーだけじゃなくて、あらゆる人間関係にもあてはまるなー、って思いながら読みました。

**********

私ね、昔は人に頼るのが苦手で、なんでもかんでも一人でできるから、一人でやっちゃおうとしてたんですよ。
人のことアテにするより、その方がラクだから、って。
信じて裏切られるより一人でやっちゃう方が、裏切られる心配しなくてもいいから、って。

パートナーシップにしても、ふたりの問題をひとりで抱えて、ひとりで悩んで、相手のこと全然信頼していませんでした。

昔、男ともだちに、

「彼女に信頼されない、ってことは、男にとって本当にきついことだよ」

って言われて、その時はピンとこなかったけれど、今ならわかるんですよね。

私は誰とつきあっている時でも、「きっとこの人は、最終的には自分以外の別の女といっしょになるに違いない」ということを信じて疑わず、彼が私のことを好きで、私といっしょにやって行きたいっていう気持ちは、悲しいくらいに完全否定でした。「今はそんなこと言ってるけど、どうせ人の気持ちなんて変わるから」って・・・・・・

ま、私が信頼してなかったのは、相手というよりも自分ですね。

当時の私が「信頼」だと思っていたものは、今にして思えば、「信頼」ではなく「期待」ではないかと思います。

この人だったらきっとこうしてくれるだろう、
この人だったらきっとこんなことはしないだろう、
って、自分の頭の中で勝手にその人を決めつけて、その自分の思い込みととちょっとでも違うことをしようものなら、「裏切られた!」「信じていたのに!」って、その人のことを責める・・・

期待して決めつけることは、自分がもうこれ以上傷つかないための防御なのかもしれません。防御すれば望み通り、これ以上傷つかなくて済みます。だけど、その人との距離が縮まらないので、結局、更なる疑いのスパイラルへと巻き込まれてしまいます。

本当の信頼っていうの は、たぶん、たとえその人がどんなことをしても、自分は傷つかないのではないかと思います。

男女関係でも家族でもともだちでも、一番そばにいる相手に信頼されないって、本当に悲しいことだろうな、って思います。だって、自分は本当にその人が好きで、その人といっしょに歩んでいくことを望んでいたとしても、相手は自分のことを疑っているわけですから。

一番そばにいるはずなのに、その人の存在が本当に遠く感じてしまうのではないでしょうか。ふたりでいるのにその人が遠くて孤独を感じるなんて、ひとりでいるよりもはるかに悲しいんじゃないでしょうか。

・・・・・・ただね、私思うんですけど、信頼、ってね、「よし、信頼しよう」って思ってするものではないような気がします。

ふたりの関係性の種を土に植えて、
ゆっくりとゆっくりと
ふたりで水をあげて、
ふたりで日の光にあてて、
ふたりですくすくと育てていくものじゃないかな、
って思います。

日照りつづきの日も雨の日も風の日も雪の日も、春も夏も秋も冬も、「ふたりで」「いっしょに」「育てていくもの」なんだろうな、って。

だから、初めから100%完全な形で存在するものではなくて、ふたりの中で色んな形でコミュニケーションをとりながら、「この人とだったら乗り越えていけるんだなあ」っていう経験を何度も何度も何度も何度も繰り返して、結果として、それが強い信頼関係になっているんじゃないかな、って思います。

少なくとも、私に本をプレゼントしてくれたともだちとの信頼関係は、そのようにして育ててきたものだと、私は思っています。

そう、信頼関係を育てることも、「ふたりだからできること」ですね、笑。

みなさんにとっての「ふたりだからできること」は何ですか?

投稿者 csadmin : 12:00

2005年3月26日

◇『大好きなものに癒される』

先日2ヶ月ぶりにスターダストレビューのライブに行って来ました。
「2ヶ月」なんて久しぶりというわけではないのですが・・・

その前の週には体調を崩してしまったり
忙しかったこともあって、
頭の中ではこの日のライブが迫っていることを
理解しているのですが、
心の中では、どこか遠い事の様に感じていたようです。
それだけ、いっぱいいっぱいだったんでしょうね。

彼らが登場してくる前にステージ上では
今回のアルバムをイメージしたビデオが流されるのですが
それだけでもドキドキしてきます(^^)

メンバーが登場して、最後に根本要氏が元気に足を上げながら
登場すると、今までいっぱいいっぱいだった自分から
す〜っと力が抜けていくようで
なんだかホッとしました。

ステージ衣装が白ということもあり
心の中では、
天国で「普通の人間っぽい」神様というのが居たら
きっとこんな感じなのかなぁ(笑)
という感じの安らぎと温かさを感じました。

彼らのステージに初めて参加してから17年。
毎回ツアーに参加するたびに、自分にとってはなくてはならないもの
となっていくんですよね。

ここに行けば、楽しさや幸せ、生きるエネルギーを得られる。
悲しみも、辛さも抜けていく。
きっと全面的にそれを信頼できているから
見ただけで、癒されるのでしょうね(^^;

彼らが、彼らそのままを受け入れていて
自分自身を好きでいて
自然に生きているからなのでしょうか。

何もしなくてそのままで良いんだよ〜
というエネルギーと
自然に生きていくこと、
かつ、自分の目標にまっすぐに進んでいくことの大切さ、
まっすぐに進んでいける勇気。
そして、家族を友人・仲間を、
自分自身を愛することの大切さを
いつも教えてくれます。

大好きなものをただ見に行っただけなのに、
ものすご〜く癒される。
なんてラッキーなんでしょう。

そして、一緒に行った友人にこのことをメールすると、
俺もそう感じていた。その気持ちを共有できて嬉しい。
というメールが返ってきました。

素晴らしい友人にも出会える事が出来てるんですよね。
その友人とは毎回、スタレビに会えたこと
お互いに知り合えて
一緒にライブを楽しめることに感謝しているのですが。(^^)

思い返せば小学生のときラジオから流れる「夢伝説」
あの時はこんなにたくさんのギフトが
スタレビからやってくるとは
思いもしなかったんですよね・・・・
好きなものを心から好きと感じる事は
たくさんのギフトを自分に運んできてくれますね。


渡辺晴美のプロフィールへ>>>

投稿者 csadmin : 12:17

2005年3月21日

●私の嫌いな嫌いな一部分

ごんにぢわ〜〜〜〜きのかずよです
コラム担当だというのに、なんのネタもふって来ません(><)

なので、私の一番嫌いな感情をシェアしようと思います。

さて、私の一番嫌いな感情とはなんでしょう?
皆さんも嫌いだと思いますよ。
自分の中に、こんな感情を持っている部分があるなんて!!!
そう気づき、また気づきだすと、24時間365日この感情に襲われて、気持ち悪くなっているような気がします。。。

というわけで、今も気持ち悪いです。その感情がムクムクと私を襲いだしたから。そんなものに襲われていないで、いい男に襲われたらいいのに・・・(T-T)

という訳で、今私が苦しんでいるのは、『嫉妬』という感情です。

この感情は本当に長いお友達です。

子供の頃(今でもかな)、妹に嫉妬してました。
小さい頃の妹は可愛いかったのです。これがすごく。
姉が言うのもなんですが、超キュート。
しかも、恥ずかしがりで、人見知りで、泣き虫。
悔しいけど、可愛かった。

なので、よく一緒に遊んでいじめていました。
ジャイアンと同じく「お前のものは、私のもの。私のものは私のもの」
妹に適用する私の法則。

2人でお使いやお買い物に行った時、道に迷ったり、買いたいものが見つけられず、困った時は、ぜ〜んぶ妹の責任。
「お前が、聞きにいけー」
「お前が見つけへんから悪いんじゃー」

私は、おぎゃーと産まれた時から(?)そこそこ体格がいいので、2歳年下のさらに体格も小さい妹には脅威。

その私が、妹を全力で殴って蹴って階段から突き落としていました。
妹は、私に立ち向かう為には、武器を使うしかないし。

そんな私を姉に持ち、妹は思春期に大きな変化を遂げました。
妹は、精神的にかなり強くなっておりました。
人見知りなんて可愛いものは何処に行ったのか、面と向かって身内でも他人でも、ギター侍もびっくりなくらい、ザクザク気持ちよく斬っていました。
また、英語もろくに喋れないのに、海外もしょっちゅう長い期間、単独で行くし。

それはそれで、その部分を私は嫉妬します。

それを感じるとまたケンカを吹っかけます。

その日のケンカは、妹の背中にアザを残しました。
階段の上からイスが私の頭めがけて降ってきました。
とても情熱的なケンカです。2人ともいい歳して。

それから数日して妹は家を出ました。
私と一緒の空気を吸いたくないから。

かれこれ2年。妹と会っていない・・・。

嫉妬するほど好きだったんだけどね。

しょちゅう2人でカラオケや買い物に行ってたし。
一緒のバイトもしてたし。
2人で旅行も行ったりしてたし・・・。

でも今は、接触すら断たれております(><)

嫉妬と上手く付き合えなかった私のミスですね。

で今、私は嫉妬の感情に襲われています。
自分以外のすべてに嫉妬しているようです。

さて、どうしたものか。。。

まさか、殴るわけにもいくまい。蹴るわけにもいくまい。
大事なものをこれ以上無くせないしね。

そんな自分を消したくなり。。。

と、かなり暗くなるものです。

ここで、シェアできたことは、私にとってはかなりの成長です。今までの私は、その感情を一人でどうにかしようとしました。そして、隠すので必死でした。あ、これでもまだまだ多くは隠してるんだけどね(^^;

もともと、嫉妬しぃの気質があります。
かつて、彼氏の犬に嫉妬したり、車に嫉妬したり、仕事に嫉妬したり、おばあちゃんに嫉妬したり。親友が友達連れて遊びにきたら、それに嫉妬するし。
そりゃもう、人間・動物・生き物・その他、いまでも世の中すべてが嫉妬の対象です。

嫉妬の裏には何があるか?

自分の無価値観ですか・・・。

嫉妬と上手く付き合えるように、もう少し勉強します(^^;

きの かずよ のプロフィールへ>>>

投稿者 csadmin : 08:29

2005年3月20日

◇さらば、藤井寺球場

プロ野球のプレシーズンマッチ・オープン戦も終わりに近づきました。パリー
グは、来週3月26日(土)から。セリーグは4月1日(金)から公式戦が始
まります。

そんな中、今年の1月いっぱいで静かに幕をおろし、閉鎖された球場がありま
した。藤井寺球場です。

大阪市の南東部、大阪府藤井寺市に位置するスタジアム。大阪の都心、JR天
王寺駅の真向い、近鉄南大阪線の始発駅「あべのばし」から準急で二つ目の停
車駅「藤井寺」から、歩いてすぐのところにあります。

昭和のはじめに開場したと言われるこの球場。僕らが知ってる風景は、金剛の
山々を仰ぎ見る、静かな住宅街の中のスタジアムの印象が強かったです。

ホームチームファン・ビジターチームファンの別なく、カネ・太鼓・トランペ
ットを使わない、声と手拍子、プラスチックメガホンを打ち鳴らす応援がメイ
ンでした。

僕も、仕事が終わってから駆けつけたものです。泊りがけ仕事の後に会社でヒ
ゲをそり、歯を磨いて、髪をとかし、デーゲームに行った事もあります。チケ
ットを手に入れ、スタンドに入ると、やきそばとビールを買って。一球一打の
スリルとサスペンスにのめりこむうちに、眠気も吹っ飛んだものです。

当時のゴールデンカードは、近鉄VS西武戦。3万2千人収容の場内に、立ち
見が出ました。自由席通路の階段まで、すわれないファンの方でいっぱいの盛
況ぶりでした。野茂英雄(現:タンパベイ・デビルレイズ)投手が活躍した頃
もそうでした。

ただ、夢の球宴・オールスターゲームや、年間チャンピオン決定戦の日本シリ
ーズが開かれる、華やかな舞台の場となったのは、かなりあとでした。

オールスターゲームや、日本シリーズなどの特別興行試合は、ルールがあり、
収容人員3万人以上で、ナイター設備がある球場で開催する事とされていまし
た。当時の日本シリーズは全部デーゲームで、日没後の延長戦を想定した上の
ことでした。

藤井寺球場に、ナイター設備が出来るまでには時間がかかりました。それまで
は、近鉄バファローズが優勝した場合でも、日本シリーズをやる時は、別の球
場を借りていたものです。

1979(昭和54)年の、日本シリーズ第7戦で、江夏豊投手が、自軍・広
島東洋カープ最終回1点差リードで、バファローズには大チャンスだった、ノ
ーアウト満塁のピンチを21球で、かわしたシーンは有名です。

その時のスタジアムは、残念ながら藤井寺ではありませんでした。今は亡き、
繁華街・なんばにある、南海(現:ソフトバンク)ホークスの本拠地、大阪球
場を間借りしていました。

藤井寺でオールスターゲームがはじめて行われたのは、それからまだあと。日
本シリーズ・近鉄VS巨人が開かれるのも、平成になってからでした。

その後、藤井寺球場は、近鉄バファローズ2軍の球場として、あるいは、夏の
高校野球大阪府予選の会場として、続いてきました。そして、昨年、オリック
スブルーウェーブと近鉄バファローズが合併し、オリックスバファローズ誕生
に伴い、閉鎖が決まって、今に至ります。

いろんな企業さんが、球団の親会社さんとして参入しては、退出していかれま
した。それに伴い、身売り、本拠地移転などで新しく球場が出来たり、取り壊
しに、、、。

それは、各々の時代を代表する企業さんの顔ぶれが変わっていく歴史でもあり
ました。まるで、世の中の動きを映し出す鏡のように。

野球の世界の出来事は、僕たちの日常生活の中でも見受けられるような身近な
出来事と、似てるような気がします。

例えば、みなさんのお勤め先や、学校でもそんなことはありませんか?会社や
学校を、先輩達が定年や卒業で去っていく。それは寂しいことですよね。

しかし、ある意味それは、終わりではなく再生と言う新しいスタートなのかも
しれませんね。

今シーズンは、新規参入球団やセ・パ交流戦、四国独立リーグ誕生など、新し
い時代の訪れを感じさせる動きがいっぱいあります。

このスタジアムの幕ひきは、ひとつの時代が終わり、また新たな時代の入れ替
わりを示す象徴なのかもしれませんね。

いろんな思い出を野球ファンに与えてくれた、スタジアムよ。長い間、本当に
ありがとう。藤井寺球場、、、あなたの名前は、永遠に球史に名を刻みつづけ
ることでしょう。

向井 康浩のプロフィールへ>>>

投稿者 csadmin : 12:00

2005年3月14日

●ホワイトデー?

前回のコラム「バレンタインの思い出」にたくさんの反響をいただきました。ありがとうございます。

カウンセラーの中でも受けが良く、「ホワイトデーも書かない?」といわれて書くことになりました。

しかし、もともともらったことがあまりない私です。
ホワイトデーのネタがあるわけがありません。

ですので、もう一つバレンタインのネタでいきます。

これは震災の年の2月のバレンタインのことでした。
当時付き合っていた彼女がバレンタインをくれるといってきたんです。
しかし、震災の直後でしたので、無理はしないようにいったのですが、彼女は
「だからこそバレンタインあげる意味があるんじゃないの!」
とかなり意気込んでいました。

そしてバレンタインの日。
彼女からバレンタインを受け取りました。
ところが、彼女がうかない顔をしているんですよ。
普通だったら心配になるじゃないですか。
で、きいてみたんですね。
「どしたの?失敗でもしたの?」
「いや、そんなわけじゃ、ないんだけどね・・・。」

何か言いにくそうな表情が、不安をかき立てます。
とりあえず、あけてみました。
そしたら、中にはチーズスティックが入っていました。
でも、見た目は普通です。
そしたら、彼女が言います。
「本に書いてある通りに作ったんだけどね。なんでかね〜?」
「何?」
「24本作れるはずが、12本しかできなかったのよ。」
「あの、それって、材料が途中で無駄になったとか・・・。」
「ない!」
「消耗したとか・・・。」
「それもない!」

まさか、まさか・・・。
恐る恐る口に入れてみます。
そして、食べてみた私の第一声は、
「あの、これ、カ○リーメイト?」
でした。

「あ、やっぱり濃い?」
濃いなんてもんじゃありません!
はっきり言って2本食べる気にならないくらい、とてつもなく「重い」味です。
「あの、もしかして、思いっきり、こねた?」
そしたら彼女が身を乗り出していってきます。
「だって、本に書いてある通りに作ったんだよ!
体重を乗せて、しっかりこねましょうって。
もしかしたら腰も入っていたかもしれないけど・・・。
机もみしみしいってたし、20分くらいやったし・・・。」

私はあぜんとなりました。
なぜなら、彼女は普通の人とちょっと違い、背筋と胸筋が以上に強いんですよ。
彼女はその昔、柔道をしていたし、陸上部で男子用の砲丸を投げていたし、高校の時は弓道部でがんがん弓を引いていて、私の友人が彼女を見て、「剛腕ね〜ちゃん」とあだ名を付けたくらいですから、はっきり言って「鉄の胸筋」といってもおかしくありません!

私は言いました。
「あのね、本に書いてあることは、普通の女の人用に書いてあることで、君が同じことしたら圧縮されるに決まってるやないかい!」
「だって〜〜。」

あとで父親に食べさせたら、1本も食べることができませんでした。
まさに「おそるべし」カロリーメイ・・・もとい、チーズスティック!

いやあ、自覚がないって怖いですね。
彼女は自分が相当力持ちであることに全く自覚がありませんでした。
悪気があったわけではないので、もちろん怒ったりはしませんでしたけど、さすがに震災直後でしたので「非常食?」とまで思いましたね。

皆さんの中でも、自分が普段していることに自覚がない場合、相手に驚かれたり引かれたりすることはありませんか?
これは、自分の価値や評価を正しくしていないからこんなことがおきるんですよ。

皆さんも、しっかりと自分というものの自覚を持ちましょうね。
自分を過小評価してしまうと、こんな面白くてわけのわからないトラブルが起きるかもしれませんからね。

ちなみに、この彼女は、現在の私の妻です。

投稿者 csadmin : 12:00

2005年3月13日

◇「お願いしたお金が必ず手に入るとしたら?」 

先日、ある友達と会っていた時のこと。
彼女はいろんなことを試して体験するのが好きで、こういうところに行った
ら運気が良くなるよ、と言えば直行し、こんなパワーストーンが恋愛に効く
よ!と効けば即効買いに走るし、そういう好奇心の塊の友達がこんなことを
話してました。
こまかい話は長くなるので省きますが、本当に不思議で怪しい(笑)話です
けど、宝くじにでも当たるような感覚のもので、「いつまでに○○円お願い
します」という風にお願いみたいなものをするとあることをやっていた人た
ちは確実にお金を手に出来る!という話を耳にしたそうなんです。

彼女自身、ものすごく興味津々でワクワクしながらも試すことにしたようで
、それで本当に手に入るんやったらいくらがいいかな??といろいろ考えた
挙句、100万円にしたそうなんです。

ん?100万???
・・・それだけ??
手に入るんだったら1億円ぐらいにするでしょ??

私も彼女につい言ってしまいました。
「なんでそんな金額にするの〜!もっと大きく言うでしょ??」
彼女曰く、
そうなんだけどね、やっぱり考えたらそのくらいが妥当かと・・」
そう笑いながら答えていました。

はて?妥当って・・なんなのでしょう。

本当に確実に絶対に手に入れられるんだと思うと、考えて考え抜いた結果、
不思議なものであまり多くない金額を結論として出してしまうみたいです。


実際、そんな簡単な話あるはずがないという気持ちが強いと、どうしても小
額しか考えられないでしょう。それに、まさか、万が一、何かの間違いがあ
ったとして・・・もしかしたらこれぐらいだったら・・・その可能性はいく
らぐらいか?といったように、あまりにも大きすぎる金額は有り得ない!っ
て思っているんですよね。

そして、自己嫌悪や罪悪感を持っていると、「私にはそれだけのお金をもら
える価値はない・・・」といった無意識の働きが動いてしまい、どうも自分
に見合った金額を最後には思ってしまうようです。

例えば、毎日毎日いろんなプレゼントを誰かからもらっているとします。最
初はとても嬉しいんだけど、あまりにも続いてしまうとなんだか変な気がし
てきますよね。
もしかしたら何か魂胆があるんじゃないか?とか、私をだまそうとしている
んじゃないか?など、いろんな疑いが出てきて妙な気持ちになってきます。
受け取り続けることが苦痛に感じてきて、これだけプレゼントをもらうのは
申し訳ない、って気がしてきます。

逆に水商売などのホステスさん、ホストさんなどは、高価なものを頂いたら
「嬉しい〜ありがとう♪」なんて、簡単に受け取れたりしますね。
この点は学びたいな、と思ってしまいます。

私はといえば・・・家に帰ってそのことをじっくり考えてみたら、やっぱり
一億円!と無邪気に思うこともありますが、でもそんな大金はおこがましい
よね・・やっぱり少ない金額の方が落ち着くなあ〜なんて思ってしまいまし
た。。
う〜ん・・お金って深いものですね。


中野知枝のプロフィールへ>>>

投稿者 csadmin : 12:00

2005年3月 7日

●信じることの行く末〜プラシーボとノーシーボの話から〜

 あなたが何らかの病気や怪我で病院に行き、ドクターが「このお薬は、本当
に良く効きますよ!」と処方箋を切り、それを持参して薬局に行くと処方箋に
書かれた薬剤が薬袋に入れられ、「お大事に〜」と手渡される。袋の中身はあ
なたにとって有効な薬剤が適量入っている。それは血圧を適正にしたり血糖値
を安定させたり、痛み止めや咳止め、皮膚の炎症が軽くなるものだったりする。

 薬を使用していると、あなたの症状はもちろん軽くなる。あれだけ苦しかっ
たのに・・・と思う症状が新しいお薬で楽になる。今度の薬は本当にすごいわ。
あの先生は名医だわ、なんて思ったりする。

 ところが・・・この新しいお薬がただのビタミンだったとしたら・・・。で
もあなたの症状は紛れもなく軽快しているとしたら。

 この、渡された新しいお薬(ここではただのビタミン剤)を偽薬(ぎやく)と
言い、偽薬で症状が軽快している事をプラシーボ効果という・・・と言うのは結
構有名なお話ですね。言ってみれば暗示なのですが、心から信じると言うことは、
病気の症状に限らず絶大な効果がある、と私は思っています。まあ、私自身、根
が素直と言うか単純と言うか、そう言う事なんかも知れないけど(笑)。

 こういった効果の違った側面として思うのは信じることが状況や人を変えてい
くことが本当にあるのだと言うことです。あまり学業成績を期待されないタイプ
の子供に、「君にはたくさんの可能性がある」と伝え続けたら一年後劇的に成績
が伸びた、とか、そういった類の話も少なくありません。ピグマリオン効果、と
言うのがこれに当たりますが、ちなみにピグマリオン効果の名前の由来は、キプ
ロス島の若き王、ピグマリオンの物語なのだそうです。

ピグマリオンは大理石に理想の女性像を彫刻し、とても大切にしていました。そ
のうちいつか人間になって自分の妻になってくれたら・・・と思うほど大切にし
たのだそうです。その様子を見た女神アフロディテが像に命を吹き込み、二人は
結婚したと言うギリシャ神話からのものです。その愛の深さを思ったアフロディ
テがピグマリオンの想いをかなえた、と言うところから、ポジティブな信念や思
いが期待通りの結果をもたらすことを言います。

 二十代前半の私は、YMCAでボランティアとして子供達と関わっていたのですが、
その時の研修で教えてもらった事で印象強かったのが二つ。ひとつが「子供はほ
めたり関心を持つとその行動が強化される。無視するとその行動は止む。」と言
うことでした。子供さんがいる当時の幹部職員の方のこのお話はリアリティがあ
り、20年以上経った今も私の座右の銘です(大げさか)。もうひとつは「あな
たたちはずるい。私がこんなに時間をかけて学んだ事をたった何時間かで聞いて
帰るのだからね。」と言うもの。こちらの方はまたの機会にします。

で、ほめる事のたとえにこんなのがありました。

 一人で食べることをしだした子供が口の周りをケチャップだらけにして一生懸
命食べている。いじらしさと愛らしさに家族、特に祖父母が喜び、「○○ちゃん、
かわい〜い。」「ばあちゃんの方も見て」「じいちゃんはカメラを・・・。」っ
てなことで大騒ぎ。このことに気を良くした?子供の次の食事からの行動は・・・。
あまり毎回毎回汚したりいろんな事をするので、家族全員で当たり前の事として
大げさな反応をしないように振舞ったら、その行動は止んだ。
 
 無視をすると、強化はされないけれど副作用はあるかもしれません。その話は
またするとして・・・。良い子であろうとするときに、親が喜んだ行動をするの
だけどやがて当たり前になりほめてもらえなくなる。ほめてもらうためにまた次
の事を・・・。と言うのは「補償行為」についてのレクチャーでありますが、ま
ったく同じですね。

 で、効くと信じた薬はなぜ効くか、なんですが、要は良くなりたいという強い
気持ちと、薬そのものよりも、たぶん、ドクターとの信頼関係もあるのかな、と
思いました。社会心理学の実験などで良くやる手法ですが、被験者には内緒でド
クターの振る舞いに条件をつけます。つまり、「信頼のおけるドクター」的ふる
まいと「淡々としたドクター的」ふるまいを条件にすると、両者ではこのプラシ
ーボの効き加減は違う、と言うのです。人の信念や信頼と言うものは、体だけで
なくいろんなものを動かします。疑いが入った時・・・この場合だと、「この先
生大丈夫かな。」「この薬、何だか怪しいわね〜。」と思った人と、何も考えず
大丈夫、と確信している人との違い、と言う感じかな。

 本当に人の心の作用は大きくて、時には命にも関わります。プラシーボの反対を
ノーシーボと言うらしいのですが、「まあ、あんまり効かないかもしれないけど、
気休めに。」と言って薬を出す状態ですね。「そんなもん、飲みたないわっ!」と
私などは思ってしまいますが、そうでなくても多くの方は不安を感じるんじゃない
かな。

 この事については、こんな恐ろしい実験の話があります。

 ヨーロッパのとある国で、死刑囚を相手に医師団がこう言います。「人間の体重
の10パーセントは血液であると言われている。私たちは、本当は10パーセント
以上あると信じており証明をしたいので、この実験に協力してほしい。」死刑囚は
承諾し、実験が行われる事になりました。死刑囚の足指に傷をつけ、目隠しをされ
ます。静寂の中に、血液の落ちる音が響くだけ・・・。定期的に経過報告がされま
す。そして五時間後、医師たちは大喜びで死刑囚に伝えました。「大成功です!体
重の10パーセントを超える量が体外に出た!」死刑囚は死んでいました。ところ
が、事実は体からは一滴の血も抜かれておらず、音はただの水滴でした。こんな状
態をヴードゥー死と言います。ヴードゥー教という宗教はさまざまな儀式を持つの
だそうですが、まあ、日本的な表現で言えば、藁人形に刺した釘のところが痛む、
と言う感じでしょうか。要するに「生きることができない」と言う信念がこの死刑
囚を死に至らしめた、と言うことになると思います。個人的には呪いもこんな実験
も好きじゃない・・・いや、嫌いなんですが(第一、人を呪わば穴二つって言いま
すし(~_~;))、それだけのエネルギーを愛の方向に向けられたら世界はほんまに平
和になるやろなあ、って思うからです。

 まず、自分が楽で、幸せである事を信じてみましょう。今どんな状況にいても苦
しくても、幸せになれる、と信じる。あるいは今は幸せだけど先はわからない、な
んて考えてはいませんか?私はつい考えてしまうタイプですが(笑)、私の今年の
テーマは、「信じ続けること」。進み続ける自分や、良い状態でいつもいられるこ
と、それはもちろん自分だけではなく大切なパートナーや家族や、友達や、仲間や
・・・世界中のみんなにまでその想いを拡げていけたら・・・と思っています。

 世界のどこに行っても愛で満たされ・・・なんて言う表現がないくらい当たり前
に温かく優しい世界にしていくこと。今はまだ悲しいニュースも多いけれどきっと
いつかそうなる、と私は信じています。

投稿者 csadmin : 12:00

2005年3月 5日

◇お料理ブーム!!

最近、お料理にはまっています。
きっかけは、家族の病気や夫のダイエットのためだったのですが、ちゃんと
やりはじめると奥が深くて、とうとうお料理教室にも通いはじめました。

それまでも、料理は嫌いではなかったのですが、あまり、上手ではありませ
んでした。
一人暮しが長かったのですが、「自分一人が食べるだけだから…」と思うと、
早く簡単に作れるもの、とか自分の大好きなものに偏ってしまったり、盛り
付けなんかもテキトーで、今から思うとひどい食生活だったなぁと思いま
す。
もちろん、彼がいるときは、はりきってお料理するのですが、何しろ日ごろ
ちゃんとやっていないものですから…いいところを見せようと思ったのに
冷や汗、ということもよくありました(^^;
結婚してからも、最初のころは、「夫においしいものを食べさせてあげよ
う!」とがんばってお料理していましたが、そのうちに、日々の忙しさに追
われて、「毎日作らなくてはならないもの」になってしまい、義務とか負担
ばっかり感じていました。
一時は、夫が料理をしてくれれば楽なんじゃないかと企んで、夫を料理教室
に通わせたりもしたのですが・・・この作戦は、見事に失敗に終わりました(>_<)

ところが、ちゃんとお料理をはじめてみると、これがとってもおもしろいん
です。
ごはんひとつをとっても、白米と玄米ではぜんぜん違うし、炊飯器とお鍋と
圧力鍋で炊いたときでは、調理器具の違いだけでぜんぜん味が違うのです。
調味料も、私は濃い味に慣れていたので、お塩、おしょうゆ、コショウなど
をついつい使いすぎていたのですが、調味料の量を減らしてみると、「お野
菜ってこんなに甘かったんだぁ」と気づきました。
料理を作る度に、発見がいっぱいです。

今では、毎日せっせと、それもとっても楽しんでお料理をしています。

おかげで、私と夫の身体もずいぶん変わりました。
2人とも体重が5Kg減って、今まで着られなかった服が着られるように
なったし、体調もよくなりました。
私は、スパイシーなものが大好きで、何にでも唐辛子をふりかけて食べていた
のですが、今では、スパイスはなくてもだいじょうぶ。あまり辛すぎるものは
食べるのがしんどくなりました。
刺激的な味よりも、素材が本来持っている甘味やうまみの方がおいしいと思え
るようになったみたいです。
以前は、素材が持っている微妙な味には気づけないくらい感覚が麻痺していた
んですね。
今は、鈍った感覚を少しずつ少しずつ少しずつ取り戻している感じです。

料理って、実は、五感をフル稼働させるものなんですね。
野菜を炒めるときは、香りの変化でどれくらい火が通ったかがわかるし、お鍋
の音でも様子がわかります。
お米やマメなどを触っていると不思議と気持ちも落ち着くし、
盛り付けも目に美しく、そして味もおいしく。
そうしていくうちに、料理をすることも楽しいし、食べることも楽しいと感じ
られるようになりました。
以前よりずっとおいしいと思えるようになったし(^-^)


そういえば、料理にだけでなく、私たちの日常生活もどんどん刺激を求めて
いった結果、だんだん感じる力が鈍ってきているのかもしれません。

五感が持っている感じる力を少しずつ取り戻していって、毎日を楽しくてワク
ワクしたものにしたいですね。

私の場合は、まずはお料理から。
もっと上手になって、まわりの人も楽しませてあげられるようになりたいと思
います(*^_^*)


投稿者 csadmin : 12:00