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2004年8月28日

◇人生の楽しみ方

今回は「秋を楽しむ」をテーマにオリジナルエクササイズを創らせていただい
たのですが、夏への心残りを手放して、秋をどう楽しむかというのは、実は、
人生のいろんな場面におきかえることができるんですね。

別れた恋愛相手や、結婚相手への思い、辞めた会社への思い、子ども時代の家
族への思い、古くなってしまったやり方などを手放す場面です。本当は新しい
出会いや、新しい活躍の場、新しいやり方を求めていくことができれば、今度
は新しく、新鮮な、楽しさを上手に実現していくチャンスもありますよね。

夏にしがみつく気持ちがあると、秋への切り替えも遅くなってしまうように、
過去にしがみつけば、しがみつくほど、今、現在の状況で遅れをとってしまい
ます。

ただ、それは充分わかっていても、コントロールがきかないのが、心の難しい
ところでもあるんですね。

そんなときに、手放しを上手にする方法のひとつが、未来に目を向けるという
やり方です。いきなり具体的なことは考えにくいですから、はじめは漠然とし
たものや、空想のようなことでOKです。

ぼんやりと想いをめぐらせてもいいですし、イメージが湧かなければ、映画や
ドラマ、小説、偉人のエピソードや、友達の話の中で、共感できる人生観やラ
イフスタイルがあれば、それをモデルにとりいれてもよいですし、もっとシン
プルに幸せそうなカップルや美しい花嫁さんや、幸せそうな家族を見かけたら
、自分もそうなりたいな、そう思うだけでも、未来をイメージする習慣になる
ものです。

心理学では投影といいまして、人は自分の心の中にあるものを外側の世界に映
しだして、とらえているという考え方がありますが、「あっいいな!」と思っ
た、それも、実は、自分の心の中にある要素を映しだしているんですね。です
から、単なる真似でもなく、自分の心の中の一部を発見したようなものなんで
すよ。

そして、実は、そんな体験って、子どもの頃に私たちはよくやっていたんじゃ
ないかと思います。おもちゃ屋さんの前を通ると、あれ欲しい!お友達がかわ
いいお洋服を着ていると、私も欲しい!かわいい絵本を見ると、その登場人物
に自分もなりたくなったり、自然に私たちは、心理学でいうところの現実を創
り出すテクニックを使っていたんですね。

そして、さらに未来に目をむけたその先には、「じゃぁどうやったら手に入る
んだろう?」と今、どうすればいいのかという現実に目を向けることにつなが
るんです。

ここが肝心なところで、未来のことだけに思いをめぐらせているだけでも、う
まくいかないんですね。一度、思いっきり未来に、想いをめぐらせたら、しっ
かり現実に戻ってきて下さいね(^^) 

こうして現実に戻ってきた頃には、未来に想いをめぐらせた分だけ、心が変化
していますから、過去へのしがみつきの度合いは少なくなっているはずなんで
す。それでも過去への思いが強い場合にはうまくいかないこともあります。(
そんなときは自分を責めずにカウンセリングを利用してみて下さいね)

そして実際にどうやったら手に入るのか、考えてみましょう。子ども時代なら
、すぐほしいものに近づいていきます。そして、ほしいなぁとよく見ていたり
、誰かに欲しがったり、どうやったら手に入るのか聞いたりとコミュニケーシ
ョンしますよね。

手に入れるところまで方法が思いつかなくてもOKです。今すぐとりあえずでき
そうな方法が浮かんだら、それをまず実行してみましょう。

理想的なライフスタイルの第一歩として、高級食器をひとつ買って、いい気分
で紅茶をいただくというのは、よくあるやり方です。やがて、食器を買い揃え
たりおいしいお茶を集めたり、それに見合った、テーブルやソファーをそろえ
たり、ついには持ち家が欲しくなったりと、気づいたら、未来につながってい
くものなんです。

心理学を活かす方法は他にもたくさんあります。どうぞ、心理学を使って、こ
の秋を楽しんでいただいて、人生を楽しむコツをつかんで下さいね♪

清水三季央

投稿者 csadmin : 11:58

2004年8月23日

●緊張と緩和

カウンセリングでお話する方の中には、「とっても緊張しているなぁ」とか
「常に緊張しているみたい」と感じる方がいらっしゃいます。
過度の緊張は、肩こりや頭痛、不眠などの原因にもなりますし、何より本人
がしんどいですよね。
そこで、「これはかなり緊張してるなぁ」と感じた方には、緊張を緩めるこ
と・・・リゾートでのんびりする、ゆっくり温泉に入る、マッサージしても
らう、自然の中に入るなどをお勧めしています。

今の世の中って、仕事や人間関係など緊張する機会がすごく多いですよね。
ウィークデーは常に緊張を強いられ、休みの日はぐったり疲れて寝てる・・
・以前は私もそんな日々を送っていました。
そして、それにうんざりした私は、ここ数年、ずっと「緩和」を求めてきま
した。
外見では、スーツを着なくなったし、ハイヒールをはかなくなったし、「〜
すべき」が口ぐせだったのに「まぁいっか〜」と流せるようにもなってきま
した。バリ島に旅行してのんびりしたし、温泉好きにもなったし・・・
数年前に比べるとすっかり「ゆるゆる」です。
そしてそれがとっても快適だと思っていたはずなのですが・・・

先日、「自分が求めているもの」は何かについて話し合う機会がありました。
そのとき私の中から出てきたのは、「緊張感」だったのです。
スポーツの試合での息を呑む感じや、歌やお芝居のステージでの完璧な演出、
レストランや料亭で出される繊細な味わいの料理・・・そんな微妙なものを
支える緊張感に憧れていることに気づきました。
緊張感=しんどいこと、と思ってきたのですが、実は緊張感の中にあるすば
らしさや美しさ、おもしろさを見落としていたみたいです。
ひたすらリラックスを追及してきた自分の中に、緊張感を求める部分がある
ことは大発見でした。
また、いつも緩んでばかりでは、リラックスのありがたみがないことにも気
づきました。緊張があるからこそ、緩んだときの開放感・快感も大きいんで
しょうね。

そんなことを考えていたら、「笑いは緊張の緩和である」という落語家の桂
枝雀さんの言葉を思い出しました。
緊張ばかりではしんどいし、緩和ばかりでもつまらない。
緊張と緩和の両方がバランスよくあったときに、笑いや充実感が生まれるん
だと改めて気づきました。

いつも緊張していた頃と、いつも緩んでいる今、両極端を経験してみて、こ
れからはその真ん中でバランスをとっていきたいと思っています。
今の課題は、いい意味の緊張感が持てるようになること。それができたら本
当の意味で人生を楽しめるんじゃないかなぁと思っています。

前田紀美子

投稿者 csadmin : 12:10

2004年8月21日

◇怒りと愛のエネルギー

皆さんは、『怒り』に対して、どんなイメージがありますか?

“なんだか怖いイメージ”
“怒る人には近づきたくない”
“人前では絶対に怒ってはいけない”
“怒りっぽい自分は最低!”
“怒りを出すと嫌われちゃう”

今では年を取り好々爺のようになってしまいましたが、
私の父はその昔とても怒りっぽい人だったんです。
普段の会話も怒鳴り口調だったので、子供の頃は怯えていたと思います。
とても悲しかったし、心底嫌だったので、
父のような怒った言い方は絶対しない!と幼いながらも心に誓っていました。

ところが、月日がたって大人になり気がついてみると、
まるで父の怒鳴り方にそっくりになっていたんですね。
自分が嫌っていた言い方を自分がやってしまっているわけですから、
怒りモードに入ると自己嫌悪の塊です。
“なんで怒った物の言い方しかできないの!?”とずっと自分を責めて、
人に優しくできない自分に対してもすごく腹が立っていました。
加えて『女が怒るのは可愛くない』という観念にも捕らわれていたので、
怒るたびに、“私って女性失格だわ・・”と女性性も傷ついていました。
怒りっぽい気質は遺伝だから諦めないといけないのかな・・
と絶望していたようにも思います。

また、怒鳴り口調で親に伝えようとするので、
本当に言いたいことが伝わるはずがありません。
ケンカになって気分は悪くなるし、
ちっともわかってもらえないし(当たり前ですよね・・)
金属バットで家中の家具をめちゃくちゃに壊してしまいたい自分もいました。
怒鳴ることでとりあえず表に怒りの感情は出していたものの、
まだまだたくさん抑圧していたんでしょうね。

そんなある日、目の前がパーっと開ける言葉に出会いました。
『感情にいい悪いはない』

それまでの私は“怒る”気持ちについて、
感じてはいけないものだと思い込んでいたんです。
だから怒ってしまう自分は人間としてダメだ・・と考えていました。
でもこの言葉に知ってからというもの、
怒りを始めとするネガティブな感情もポジティブな感情と同じくらい
大事にしていいんだと少しずつ許可できるようになったんですね。

人間不思議なもので、怒鳴る自分がいて状況は変わらなくても
怒りを感じてもいいんだと許可してあげると、とても楽になってきたんです。
そうすると余裕が出てきて、
“どうして怒ってしまうのか?”
“本当に伝えたいことは怒りだったのか?”
ということも見え出したようにも思います。
そして、怒鳴ることでしか気持ちを伝えることができなかった
父の気持ちもだんだん見ることができるようになったんですね。

皆さんは『超人ハルク』という映画をご覧になりましたか?
怒ると恐ろしい破壊力を持った緑の怪物に変身してしまう主人公の話なんですが、
怒りのエネルギーは、どんな感情よりも凄まじいパワーがあるんですね。
でもその人から出るエネルギーには変わりないのだから、
その怒りを認めてあげて、癒してあげると、
人に与える大きな愛のエネルギーに変えることもできると思いませんか。

怒りを抱えたまま生きていきますか?
それとも愛の人になりますか?

ながのひろみ

投稿者 csadmin : 11:09

2004年8月16日

●友達 −想いを伝える−

「友達っていったい何なのだろう・・・。」

これは、三年前まで私がずっと不思議に感じていたことです。
私には友達がいませんでした。
会社の人。
役者をしていたので、劇団の人。
高校の同級生。
こんな見方はしていましたが、「友達」という感じはありませんでした。
どの人に対しても・・・。
私が「友達」という認識をしていなかったんです。
だから、会社内でも話の中に、「友達がね・・・」という言葉があると、
「ああ、この人友達いるんだ。」といつも思いながら聞いていました。

私の中で、「友達」とは・・・?の定義がなかったんです。
「だって友達っていいものなんでしょう? 私はそう思えないから。」
「だって友達って裏切らないんでしょう? 私はいじめられてたから。」
「だって友達って利用しないでしょう? 私は利用されてたから。」
だからそんなふうに思っていた私には、
「いいものではく、いじめられ、利用されるなら、友達はいらない。」
これが答えだったんです。そして同時に
「私に友達呼ばわりされる人は、きっと迷惑に感じるに違いない。」
そう感じていました。

麻痺してましたね。さびしいと思いませんでしたから。
友達いなくても生きていけるし、わずらわしいし・・・って。
だけどドラマ見るとむなしくなることが多かったです。
ドラマって、結構2人、3人の仲のいい女性って出てくることが多いです
からね。
「ああ、友達がいるとこんなふうに付き合うんだ。私は一生関係ない世
界だからいいけど。」
一生友達を作ることなく一人で生きていく寂しさに、気づきたくなかっ
たんだと思っています。

そんな私が「友達」と呼べる相手が出来たのが2年ほど前。
私自身がそのころカウンセリングやセラピーを受けていたんですけど、
それから「友達」ということを、改めていっぱい考えました。
「友達って何?」
「皆どうやって付き合ってるの?」
「ご飯食べて、おしゃべりして、それが友達なの?」

そんな疑問を持ちながら、ぎこちなく(私自身はそう思ってました)
付き合ってました。あまりにも長い間、「友達」というものを知らなか
った為、どうやって付き合うのか全くわからなかったんです。
ようやく友達が出来そうだと思ったとき、「友達が欲しい」という気持
ちより、「普通の子になりたい」という気持ちのほうが強かったと思い
ます。普通に友達がいる人になりたい。それが夢でした。

自分自身のそんな「わからない」だらけの気持ちを持ったまま、沢山の
人に近づいていきました。ぎこちなくても、恐々であっても、それでも
今の自分が「異常だ」と感じていたから、私を友達として認めてくれる
人を多く求めました。

不安なら、不安な気持ちを伝えました。
怖いなら、怖い気持ちを伝えました。
わからないなら、わからないということを伝えました。
仲良くしたい、仲良くして欲しいことを伝えました。
友達になりたいなら、友達になりたいと伝えました。

そうやって人に近づいて想いを伝えるとね・・・。
私に関心を持ってくれる人が多くなったように感じたんです。
そう感じたらもっともっと関心を寄せて欲しくてもっと近づきたくなっ
って、やがては沢山の「友達」と呼べる人たちが出来ました。
こうやって文章にすると簡単ですが、もちろん本当に怖くて、時間もか
かったし、すごい葛藤がありました。

「友達」を作らなかった、作れなかった私が始めて自分にも友達が出来
たと感じたときは、涙がとまらなかったです。

「友達」って、自分が相手のことをそう思った時点で、すでに「友達」
なのではないかと今の私は思っています。相手がそう思っているか思
っていないかではなく、自分がどう思っているかだと。
一方的ですが、そう考えるととても幸せなんですよね。
いっぱい「友達」がいると感じれますもん。
一方的だけど幸せに感じることが出来ると、沢山の人の前で笑顔でいら
れます。笑顔を沢山向けると人が集まってきます。近づいてきてくれま
す。そうすると愛されていると感じられるので、自分からも近づけるよ
うになりました。

今は忙しくてなかなか会えなかったり、話せなかったりすることも多く
あります。さびしいと感じることも確かにあるけど、不安はありません。
いつでもつながっていると思えるようになったからです。


「あなたにとって友達とは・・・?」

もし、今そう聞かれたら、
自分の沢山の想いを正直に伝えることが出来る人。
そして、自分の想いや考えを沢山伝えたいと思う人。
私が愛したい人。
私が接したい人。
私が仲良くなりたい人。
そんなふうに私は答えたいと思っています。

小川 のりこ

投稿者 csadmin : 01:25

2004年8月13日

◇心の余裕

私は、人観察をよくします。
生きている関係上、周りに多くの人がいるので、この観察が止むことはないか
もしれないですね。

さて、一番のビューポイント(ちょっと意味が違いますか・・・)は、駅・電
車の中です。
まぁ、仕事以外の多くの時間が私の場合、駅・電車の中ということにも関係し
ますが。

ある日、駅の券売機の所で、私の興味を引くおば様を発見!!!

O「ちょっと〜〜〜こんな時、どうしたらいいのよ〜。まったっく・・・」
券売機と券売機の間の窓が、バタンと開いて、駅員さんが顔を出して
駅「いやぁ〜。はい。すいません。はい。」
O「10円お釣りが足らないわよ。早くしてよ〜」
駅「はい。いやぁ〜。あっ、こっ、これですね。はい。はい。すいません」

と、すっと10円を拾って、おば様に渡す駅員さん。
その10円を奪い取るようにして行ったおば様。。。

この様子を見ていた私は、おば様がイタイタしかった(><)

おば様自身も苦しかったのじゃないかな?

先ず、おば様の最初の一言が怖かった、お釣りが足らず、絶対に駅員さんに否
があるに決まっているという勢いで、「まったく・・冗談じゃないわよ」
しかし、ちゃんとお釣りは出てきてて、コイン受けの端っこにある10円をお
ば様は、見落としていて・・・。

ここで、最初にどんな姿勢で駅員さんに言えばいいかを考えてみた。
「すいませ〜ん。おつりが10円足らないみたいなんですけど???」
すごく普通だ。しかも平和的だ。これ以上言い方は無いと思われる。

次に、10円を見落としていたのを、駅員さんは不満顔一つ無く、どちらかと
いうと笑顔で手渡してくれた時の、おば様の行動も怖かった。「馬鹿にすんじゃ
ないわよ」顔で、奪い取るようにして行ったおば様。。。

ここで、どう対応すればいいか考えてみた。
駅「こ、これですね。はい。」
少し照れながら、「すいません。見えてませんでした。ありがとうございます」
さらに、「えへっ」なんてつけたら、場もなごむつーもんだ。
かなり平和的だ。

どうしてこんな普通なことが、あのおば様は出来なかったのだろうと考える。
自分の否を認めるのが、そんなにも嫌なことなのだろうか?
否というほどのたいした出来事でも無いじゃん。
こんな簡単なことで、「ごめん」って言えないと、世の中大変じゃないか?と
ついつい思ってしまう。

でも、よく考えると、私も自分の否を認めたくない時って、かなり意固地になっ
てたりする。認めたくないというより、認めすぎてるからこそ、今更変更が利
かない感じかな。素直さに欠ける。。。
う〜ん。人のふり見てなんとやら。

よく、歩いていて前から来る人に道を譲ろうとしてよけると、同じ方向に相手も
(意識的にかどうかはおいといて)よけて、結果的に通せんぼした感じになるこ
とがありますよね。
人によってはそんな時「邪魔すんな、よけろよ」と思いながら通る人もいるで
しょう。
でも平和を選択する時は、「すいません。どうぞ」と、先に譲ったり、「私た
ち気が合うのね。うふ」とウィンクして、恋に発展したり・・・て、無いか
(^^;

車の割り込み、ちょこっと「すいませ〜ん」て感じで手を上げるだけで、譲る
方のムカツキがなかったり。
また、逆に、当然のように割り込まれても、「いいわよ〜」ってその場は、や
り過ごしたいですね。

心に余裕を持って、いつでも平和を選択したいですね(^-^)
心の余裕は、慣れるまでは意識して持つものだとも思いますね。


きのかずよ

投稿者 csadmin : 12:48

2004年8月 9日

●手料理

東京の出張でで2日連続のオフがありました。

しかし、オフといってもすることがありません。
雨も降っているし。

そこで、今回の東京ではまった料理作りをしようと思い立ち、ただ作ってもしょうが
ないので、偶然その場にいた竹田に「食事作りましょうか?」と言ってみました。

「作って作って〜」と喜ばれればがぜんやる気も出ます。

何を作ろうかと思ったときに、やはり自分の得意料理をふるまおうと思うじゃないで
すか。

そうして決まったメニューが「そばめし」です。

ただ、食材を買ってくると意外と量が多かったので、東京のカウンセラーでも仲のい
い寺島や北上も誘って、食べてもらおうと計画しました。

皆さんもご存じだと思いますが、そばめしは神戸発祥の料理で、私は子どものころか
ら食べていました。
簡単に言えば焼きそばにひやめしを混ぜて炒めたものなんですけど、東京で売ってい
るそばめしって、麺が結構短いんですよ。
私がよく食べていたそばめしは、結構麺の長さがばらばらで、時々なが〜い麺が混
じっていたりして、それがなんとなくラッキーな気分になったりするんですよ。
中華炒めにうずらが2こ入っていた気分ですね。

竹田は昔神戸に住んでいたことがあったので、じゃあ、なつかしの料理でも作ろうか
ということで、さらに寺島や北上は本場のそばめしを食べたことが無い感じだったの
で、できるだけおいしいそばめしを作ってあげようと、かなりがんばりました。

結果、評判は上場で、このまま料理にはまってしまいそうでちょっとうきうき気分で
す。

おいしそうに食べてくれる誰かがいると、作りがいがありますよね。
でも、このときふと感じたことがあります。
今まで、母親や妻に作ってもらった料理で、こんなに喜んで食べたことがあっただろ
うか?

妻に対しては、結婚当初あまり得意ではなかった料理をいっしょうけんめい作ってい
る姿を見て、「自分のためにこんなにがんばってくれているんだなぁ」と感じていた
時期がありました。

でも、それも1年もしないうちに、それが当たり前のように感じていて、いつの間に
か作ってくれることのありがたさを忘れてしまっていた気がします。

それどころか、もともと妻の実家は仕事の関係上外食が多い家だったので、1年のう
ち大半が外食になってしまい、「作ってくれない」ということで相当怒っていた時期
もありました。

最近では、引越しを期にお互い健康に留意するようになって、外食はほとんどなくな
りました。

それと同時に、仕事から帰ってきて暖かい食事を出してくれる妻に対して、結婚当初
のような「ありがたさ」を感じられるようになって来た感じがします。

だから、今回のように「誰かに作ってあげよう」なんて思えるようになったのかもし
れませんね。

では、母に対してはどうだろう?

母に対しては、なんか料理を作ってくれて当然、それを毎日普通に食べることができ
て当たり前みたいな感覚があり、やっぱり、ありがたさをぜんぜん感じてなかったよ
うな気がします。

もしかしたら、ありがたさはどこかで感じていたこともあったかもしれません。

でも、その「感謝」の気持ちをうまく伝えることが恥ずかしくてしてなかったのかも
しれません。

それでも母は、毎日何も言わずに家族のために今日も料理を作っています。

いつもどんな気持ちで料理を作っているんだろう。
私たちが食べているのを見て、母はいつも何を感じていたんだろう。

そんな風に感じながら、みんなに料理を作ってみると、竹田や寺島、北上のおいしそ
うに食べている姿が、まるで久しぶりに実家に帰ってきた彼女たちに料理を振舞って
いる親のような感覚になり、ちょっとうれしくなりました。

皆さんは、誰かが作ってくれた料理を、当たり前のように食べてませんか?

たとえばそれがファーストフード店の料理であったとしても。

「自分のために作ってくれる」

これって、実はすごく素敵なことなんですよね。
私も忘れてました。
誰かの作ってくれた料理を食べることができる幸せ。
そして、作ってくれた人たちへの感謝の気持ち。

「今度は妻のために何か作ってあげよう」

今はこれを実行するのがすごく楽しみです。

妻と一緒になってもうすぐ丸6年。
彼女に、言葉ではないたくさんの「ありがとう」を送ってみたいな。
そして、いつも心配ばかりかけている母にも。
たとえけなされようが小言を言われようが、「自分の気持ち」を伝えていきたいな。
そして、また東京にきたら今度はみんなに何を作ってあげようかな。

料理を作りながら、ふとそんなことを感じた2日間でした。

中原 謙一

投稿者 csadmin : 12:10

2004年8月 7日

◇家

僕には色んな師匠がいます
仕事の師匠 成功の師匠 人生の師匠 遊びの師匠・・・

今日は 釣りの師匠 の話

今まで師匠とは、結構ご近所だったので
ことある度に、釣り 野菜作り 男の料理を語り
やっぱり男は自然の中で生きなきゃなあ って
夜遅くまで 語り合ってました。

その師匠が、今年 田舎に古家を買って引っ越されたんですね
正直 あ〜 先越されたぁ って気持ちで悔しかったんですけど
先日 そのお宅に伺わせてもらいました

田んぼの中に ぽつりとあるそのお家
確かに 古い家 なんです
購入された時には、まだ カマド があって
さすがに奥さんが不便と言うことで 
それを壊してシステムキッチンを入れられたんですけど

今 僕達が普段住んでいる家とは 全然違うんですね
庭は結構広いのだけど 全部 土! 当たり前だけど 
土 ってキャンプに行った時ぐらいしか触らなくて
その土の所々に 奥さんが育てている 花や野菜

大きな広い玄関の奥には 玄関と同じ高さの台所
居間は がらんとしていて、だけど床が結構高いので
ソファーに座りながらも、窓の外の遠くの景色まで見えて
黒光りしている柱は 見た事も無いぐらい太く

それは 今の家見たく機密性や機能性は少なく
土壁に これまた黒光りの太い はり
いかにも 木 で出来てる家!! って感じ

そのお家で、今度 庭に露天風呂作ろうとか
露天風呂は大変だから、とりあえず
庭で鯉を飼う大きめの池を買ってきて、代用しようとか
久しぶりに夢?を語り明かして過したんですけれど

その日 玄関と同じ高さの台所で、
夕食をごちそうになってた時の事なんですけれど・・

外からは、田んぼの上を通り過してきた 優しい風が入り込み
隣の田んぼからは、しきりに蛙の鳴き声が
その他はなんの音もない静寂
窓からは、山に静かに沈んでいく夕日が赤々と見えて

僕は 不意に ・・家に帰ってきた・・ って思えて
何か本当に涙が出てくるぐらいの何かを感じて
もちろん、僕が生まれて このような家に住んだ経験は無いんですね
生まれてから僕はたぶん10件ぐらいの家に住んだ経験があるのですけど

それまで感じたこと無いぐらい
・・家に帰ってきた・・ って思えて

今でもあれだけ僕を 安心させてくれたのは何だろうと
時々考えてみるんですけど、自然、師匠や奥さん、木・・・
様々なものが、人の帰る ”家”だったんでしょうね

こんな 帰れる家 が、僕達みんなに一つずつあったら
普段悩んでいることの ほとんどが無くなっちゃうんじゃないかって
思えてくるんですよね。

心の中なら、今すぐにでも 建てられるかも知れません

※吉原 直人は2007/6月でカウンセリングサービスを退会しました。

投稿者 csadmin : 01:59

2004年8月 2日

●色の世界

先日「COLORS ファッションと色彩」展を観に行って来ました。
今回は、そこでの面白い体験を皆さんにお話ししたいと思います。

会場では、「黒」「マルチカラー」「青」「赤/黄」「白」という5つのテーマセクションが設定されていました。

「黒」のセクションに入った時、まるで吸い込まれるような感じがしました。
それに、いつのまにか歩調がゆっくりになって、ただ黙ってデザインや質感によって表情が異なる黒を楽しみたい、そんな気持ちになりました。
観ていると、圧倒されるような強さを感じます。
でも、なんとなくミステリアスな感じがして、心惹かれるものがありました。

「マルチカラー」は、とてもにぎやかな感じのセクションでした。
行動的でエネルギッシュで、音符が踊っているような、リズミカルな音楽を思わせます。
身につけると、パワーアップさせてくれそうな感じです。
色の組み合わせやデザイン、素材によって全く違った表情になるのが面白かったです。
それに、こんなこともできるのか、と可能性を感じさせてくれました。
色とりどりの花を使ったアレンジメントの調和した美しさと同じかなあという気がしました。

「青」のセクションに入った時は、ほっとしました。静かで、受け入れてくれるような感じがいいです。
それに、包容力があって、穏やかで、平和な感じがして、まるで、海の底にいるようでした。
海の側で生まれ育った私にとっては、懐かしい色だからかもしれません。
やっぱり一番居心地がいいなあと思っていました。

「赤/黄色」はとても明るいセクションでした。
観ていると、熱が伝わって来るような感じがして、元気づけられそうだな、と思いました。
赤と黄色はチューリップや薔薇など、花の色という感じがします。
子供の頃、母が作ってくれた赤と黄色の花柄のスカートを思い出しました。
忘れてしまっていたけれど、思い出の多い色かもしれません。

「白」のセクションに入った時には、ふわっとした感じがして、まるで雲の中にいるようでした。
心が明るく、軽くなるような感じがしました。
白の持つ純粋さ、美しさ、清らかさに見とれていると、幸せな気持ちになりました。
それは、私にとって白は天使の色だからかもしれません。

全てを観終わった後、まるでいろんな国に旅行してきたような感じがしました。
私にとって、それは初めての体験でした。
きっと、それぞれの色の世界にいたから、いろんな国に行ったような気持ちになったのでしょう。
これから自分がどんな体験をするのか、楽しみになってきました。

上田 紘美

投稿者 csadmin : 12:10