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2004年3月29日

●♪Sence Of Wonder♪

数年前図書館で偶然手にした本のタイトルなんですが、ふと、思い出していました。その本自体もとても素敵でしたが、タイトルが気になったのにはもう一つ理由があります。

20年ほど前の私は、神戸のとあるライブハウスにしょっちゅう入り浸っていました。よく見に行ってたのは"Sence Of Wonder"という名のバンド。3人編成で、"プログレッシブロック"の流れを汲む実力派で、メンバーは難波弘之さんというキーボーディスト、そうる透さんというドラマー、田辺モットさんという若いベーシスト。大阪のライブにはなかなか行けなくて(帰れなくなるのです、終演が遅いから電車が無くなって)神戸に来るときには必ず行ってました。一番真中のいい席を陣取って、まさにかぶりつき。このライブハウスにはカシオペア、スクェア、憂歌団、大村憲司、etc.知る人は知る大物が来ていたんですね、当時も。中でも Sence Of Wonder もしくはGearというバンドの時にはほとんど欠かさず参加。どちらも難波さんのバンドなんです、これは余談ですが。

この、Sence Of Wonder という言葉を私が知っていたのはこのバンドのことがあったからです。難波弘之さんはミュージシャンとしても幅広く活躍していましたが、SF作家の顔もまた持っていました。私は彼のピアノやシンセサイザーの音色が大好きで、誰かのバックで演奏していてもわかるくらい。独特の温かさと耽美な響きがあるのです。それは今も変わりません。彼のライブで知り合った友達はSFマニア?でした。一方の私はと言うと、当時はご飯より音楽、という時代でした。同じ人を応援している、というところでつながっていて、本当にたくさんの共通点とまったく違う側面の両方を持つ初めての友人だったと思います。そういえば、今一番近い友人はそう言う人やなあ。

彼の音楽はとても文学的で、そして文章はとても音楽的です。一つの才能が更なるほかの才能を呼び起こすということを言いますが、まさにそういう人だと思うんです。相乗効果、というのはこういうことやな、と思っていました。

一方で私は、ごく最近まで自分の「中途半端さ」が好きではありませんでした。どちらかというと器用な方ではあると思うのですが、モノになるものがないということが悩みで、何がしたいのか、何を目指すのか、まったくわからない時期をそれでも社会という地面に足をつけて生活をしてきたな、と思います。

小学校時代はオール3、ただし、音楽と国語と、図工と体育は除く。前者はずっと5で後者はずっと2でした。ちなみに図工は中学生になって美術になったとたんに5。私の描く絵はあんまり整っていないんですね。描きたいと思ったところから始めるので、どうしてもデフォルメした感じになるみたいなのです。このところ、あんまり絵を描く時間をもてないのですが、はがきくらいの画用紙に水彩絵の具や色鉛筆でちょこちょこと手近な野菜や風景の一部を切り取ったように描いていました。あまりうまいとは思えないのだけど、楽しいんですね。

そう言えば、絵を見るのも大好きです。時間があれば展覧会に顔を出すこともあります。これ、と思った絵の前では立ち止まったまま微動だにしない私は挙動不審やろなあ(笑)。まさに絵の中に入り込んでしまっている感じで、怪しい人かもしれません。先日も友人の絵を観に行ったのですが彼の絵の前に行くと、なぜか涙が出てくるのです。数人での展覧会でしたが、ほかの人の作品も素敵だったけど、彼の作品にはなぜか心が共鳴してしまったようでした。

そういえば、思いっきり時間をかけて絵などを観ることがめっきり少なくなりました。好きな作家の画集をいつまでも飽きずに眺めていたり、1枚の絵の中の風景や静物、人物の周りに思いを馳せているといつのまにか時間が…ということが以前は確かによくありました。

私の好きな作家は、まず一番にユトリロ。奥行き感があり、かすかな人影が却って孤独な思いをそそります。ユトリロはアルコール中毒で、外に出られなかったといいます。平面的な絵葉書を元に、奥行きを持たせる絵を描いていたのだそうです。そういった彼の背景を最近まであまりよく知らなかったのですが、そういう目で見るとさらに奥行きのある風景に思えるんですよね。そして、コロー。空や水面、地面の光に心惹かれます。コローの絵の中の森や教会に続く道に立って、風の香りや水の揺らぎ、雲の動きを感じてみた気分になったり。これがまさにSence Of Wonder の入り口かもしれません。

自然に関心を持つ。驚異を感じる。そんなしなやかな感性をいつまでも持っていたいものです。

そうそう、一番身近な自然といったら何だと思いますか?ペット、街路樹、庭先の小鳥、夕焼け、雷や夕立…。そう、たくさんありますよね。でも、私はこう思うんです。私たち自身、だと。

人体は小宇宙などとも言います。子供のころ、不思議でしようがありませんでした。同じようなつくり、でも一人一人形も機能も少しずつ違う、それが親子であっても、双子であってさえも。そんなことを、親友と話していました。体の内外もそうだし、内側つまり心の中で起こっていることはもっともっと複雑で、まさに宇宙のようにブラックホールや銀河や、太陽系があったり…そんな風に感じます。人間って不思議ですよね。見えたり聞こえたり、嗅いだり触れたりするような物理的な刺激以外にも、ぴん!とくると言ってみたり、はっきりとした表現がなくてもキャッチできたり。いわゆる「察する」という一連の行為なんて不思議でたまりません。人の心の動きというか流れというか、これはまさに不思議の世界です。人の心に触れる仕事に携わる私たちにとっては、これこそが Sence Of Wonder だと思うのです。

いっしょに感じる。関心を持つ。感動する。働きかけてみる。恩恵として受け取る。カウンセリングの現場では欠かせない感性です。これは、カウンセラー側はもちろんですが、クライアントさんの感性がカウンセリング(セラピー)を成り立たせている、と思うことは少なくありません。一人一人の内側にある宇宙のような感性を、いつも感じていたいと思うのです。 そう思ってみると、自分を中途半端だと思っていたことも、すばらしい才能のように思えます。かじりさし、と言えばそうですが、関心の対象がたくさんあるという事は小さくても入り口がたくさんある、ということではないかな、と。

そんなふうに自分のことも思い直してみたりする今日この頃です。

中村ともみ

投稿者 csadmin : 11:20

2004年3月26日

◇心と空模様

外に出ると今日は雨が降っていました。
少し涼しい感じですが、大阪ではもう“冷たい雨”とは感じない季節に
なってきたようです。

雨が降る音を時折通る車に遮られながらしばらく聴いていました。
少し気分が落ち着くような、安心するような、そんな気持ちになります。

心も天気と同じような動きをします。

雨の日もあれば、スカッと晴れた日もあります。
梅雨の時期のように、少し重たい気分が続くときもあれば、
冬晴れのようにすっきりした気分が続くこともあります。
嵐がやってきて、自暴自棄な気分になることもあれば、
五月晴れのように穏やかで、すごくよい気分がやってくることも。

あなたが情熱の女/男だったとしたら、南の島々のように、
カラッと暑く、元気な日々が続くと思えば、
問題にぶち当たって雨季を迎えてしまうこともあるでしょう。

僕たちは天気とは上手に付き合います。
雨が降っていれば、「やれやれ・・・」と思いながらも傘を手にし、
暑い日ならば薄着をして、寒い日ならばコートを羽織って出かけます。

雨が降っているのに「今日は晴れだ!!」と言って、外に出てしまったら、
きっとずぶ濡れになって、風邪を引いてしまう事だってあるでしょう。

心も天気と同じです。

でも、心が少し重たい空模様なのに、無理に元気な表情を作ろうとしたり、
すごくいい天気なのにクールに振舞ってしまったり、
僕たちは心の天気とお付き合いするのは、あんまりうまくないのかも
知れません。

心には天気予報はありませんから、予め傘(対策)を持って出かけるのも
難しいことです。

でも、ずーっと雨ばかり降るわけではありません。
もちろん、ずーっと晴ればかりでも困ったことが起こります。

嵐が来てしまったら、それをじっとやり過ごすことも大切です。
傘を探して、誰かに聞いてみることもできますね。

心も天気と同じように扱ってあげると、晴れなら晴れなりに、
雨なら雨なりに楽しめるようになるのではないでしょうか。

by 根本裕幸

投稿者 csadmin : 11:19

2004年3月22日

●泣くこと

35歳になる小川はよく泣きます。本当によく泣きます。
「大泣きした」「涙が出た」などの表現を頻繁に出し、コラムを書いていることに、
私自身最近気づきました。

嬉しくてたまらないときも涙が出ますが、
寂しいとき、苦しいとき、思い切り泣きたいと思うことってありますよね。
子供の頃はそれを自然と当たり前のように出来ていました。なのに大人になるにつれ、
それが出来なくなってきます。

「泣いたら親が悲しむ」「泣いたら迷惑がられる」「泣いたら嫌がられる」
など、誰かに対して気遣ったりするとき。

「泣いたら馬鹿にされる」「泣いたら怒られる」「泣いたら弱く見られる」
など、自分を守ろうとするとき。

生きていく中で、「泣くこと」自体が私たちのこころの中に封じ込められてしまいます。
これは誰だって経験あることだと思います。
私がカウンセラーの道を歩み出して、私は自分が今までよりよく泣くことに気づきました。

今では随分楽になりましたが、時々昔のことを思い出すことがあるんですよね。
父が生きていた頃、父の気持ちが分からなくて傷つけるようなことをいっぱい言ってしまったこと。
自分のことしか頭になくて、母がどれだけつらい状態で孤独だったかを考えてしまうとき。
離婚した主人に、相当ひどい態度をとっていたということ。
誰かとこじれたとき、コミュニケーションがうまく行かなくて喧嘩になったとき。
ほとんどの場合が「私が悪かった」という「罪悪感」にまみれたときですが、
そんなときいっぱいいっぱい泣きたくなります。

泣くときは例え一人であっても大声で泣きます。
誰かに聞いて欲しいときは友人に電話して泣きじゃくります。主人に泣きつきます。
誰もいないけど聞いてほしいとき、泣きじゃくりながらメールでたくさんの人に吐き出します。

感情が激しく出ると、エネルギーをとても使うものですから、
ひとしきり泣きじゃくった後は相当疲れます。そしてしばらくぼーっとします。
すると、すっきりするんですよね。それに気持ちの整理が出来るんです。
泣いてるときはほとんどの場合「自分」に意識が集中します。
だから周りのことに頭は働きません。自分のつらさのつぼに入っちゃって、どっぷりつかってる
状態だから、つぼの外側ではどうなのかを見られないんです。
だけど泣くと、つぼの中の涙は全部出ますから、周りを見れるようになるんですね。
そうすると少し冷静になれる自分がいます。
からになったつぼに新しい情報が入る余裕が出来るんですね。
少しでも余裕ができると意識は「自分」に集中せず、「周り」に向かいます。
「もしかしたらあれは実は、こういう事情があったからじゃないか」
「私の誤解かもしれない」
「相手も私と同じようにつらいのかもしれない」
「ああ言われたことって、実はすごく有難いことでもあったかも」
自分の思い違いかもしれないことや、感謝の気持ちなどが次々と出てくるようになります。
なかなか難しいことでもありますが、そうして相手の気持ちが「理解」という形で受け入れることが
出来たなら、すごく自分を誉めてあげたいとも思うんです。

そして、
「大泣きしてよかった」って私は思えるんですよね。

私にとって、「泣くこと」は、
自分の感情に素直になること。楽になることの他に、誰かを「理解」するための小道具でもあるんです。
思い切り泣いて愚痴った後は、すっきりするし、楽になるし、余裕ももてる。
泣くことをついつい抑えてしまう大人になった今だからこそ、人とのコミュニケーションを大切にしたいとき、
私は大いに泣きます。
「よ〜泣くやつだなぁ」「みっともないなぁ」と思われる方も、もちろん大勢いるとは思いますが、
それでも私は「泣くこと」を我慢しません。
泣くのを我慢するよりも、すっきりと楽になって、楽しく生きることを私は選びたいと思っています。

小川のりこ

投稿者 csadmin : 11:18

2004年3月19日

◇後悔

あなたには大切な人がいますか?
それは家族ですか? パートナーですか? 友人ですか? 仲間ですか?

先日「奇跡体験、アンビリーバボー!」を見ました。私はこの番組が大好きで
いつも見ているんですが、先日はこんなお話でした。

高槻市の元市長である江村さんのお話で、奥さんは結婚当時からとても献身的だっ
たんですが、江村さんはお給料のほとんどを飲み代に使ってしまうほどに好き勝手
をしていたようです。そんな生活が何十年も続いたある日、奥さんは骨粗鬆症で足
が不自由になり、入院。そしてしばらくすると江村さんに「どなたですか?」とい
うようなことを口走るようになったんです。脳の老化現象による痴呆でした。
家族やヘルパーがいたにもかかわらず、江村さんへの反応が一番いいということか
ら、彼は自宅介護を決意し、お昼休みになると自転車で奥さんの介護に帰る生活を
続けるようになりました。もちろん自分は戻ってお昼を食べる時間はありません。
だけど痴呆が進行して、この時はすでに奥さんは江村さんのことがほとんどわから
ない状態にあったんです。だけどある日、
「いつもすみませんねぇ。でも、きっともうお別れですね。ありがとう。」
と江村さんに言いました。結婚50年余りで家庭をかえりみなかった生活を江村さん
は後悔し、
「妻の介護に専念したい。市長の代わりはいるが、夫の代わりはいない。」
と記者会見で宣言し、市長を辞任されたそうです。
この話は当時、とても話題になり、たくさんの人に感動を与えたそうです。

何かあったとき、私たちは多く「後悔」することが多いようです。
「あの時こうしてあげればよかった。」
「あの時、ああしていたらよかったのに。」
後になって悔やむことが多いと思います。
私自身も、そんな思いをたくさんして来ました。
友人に嫌われたと感じたとき、
父が亡くなったとき、
母が入院したとき、
彼と別れたとき、
離婚したとき、
そしてそんな「後悔」は、大切だった人だからこそ、強くそう思います。
「後悔」するようなことがないと、なかなか気づかなかったりします。
「あの時、こうしていたら・・・!!」
そんな思いは誰にだって一度はあると思います。そんなとき、自分をたくさん責めて
しまいます。どうしようもない思いでいっぱいになり、出来なかった自分をたくさん
攻撃してしまいます。

だけど私は、そこからが大事だと思います。

それを「後悔」だけで終わらすのはやめませんか?
このお話の江村さんは、奥さんに今までされてきたことを「後悔」し、自分を責める
だけに終わらせず、そこから
「では、今からどうしたらいいのか・・・」ということを考えて、市長を辞任され、
奥さんの介護に専念するという「学び」に変えて行ったように思います。

そんなふうに、私たちも自分を責めて「後悔」するよりも、「学び」に変えて行っ
てはどうでしょうか?

私の大事な人は主人です。家族です。友人です。仲間です。
どれ一つ欠くことの出来ない、私のそばの大切な人たちです。
だけど時にわがままを言って、彼らを困らせることも何度もあります。
そして自分をいっぱい責めてしまいます。

そんなときその場ですぐに出来なくとも、
「あーあ、またわがまま言っちゃった・・・。言わなきゃよかったよ・・・。」
と思うのなら、
「そのわがままを聞いてくれたんだから、ありがとうを伝えよう。」
「今度はなるべく言わないようにしよう。」
と考えてみてはどうでしょうか?

あなたの大切な人のために。

by 小川のりこ

投稿者 csadmin : 11:18

2004年3月15日

●手放す事と自然の流れ

『手放す事』に関して1本コラムを書いたのですが、さらに、とても良い流れが出来た事を感じたので、その続きのお話しを書いてみたいと思います。

嬉しい戴きモノが手に入り、友人の手放す事に貢献できた私は、心がルンルンになっていたので、すぐにひらめきました。
そして、すぐにそのひらめき通りに実施したら、私自身も長い間
『手放す』事に関して苦労してきた事に関して、嬉しい結果が出ました。

実は、モノに関して執着の強かった私は、結婚前に持っていたモノが不要となっても、手放せず、ここ数年困っていました。
それでも、子供が出きる際には、どうしても空間を創らなければならなかったので、大きいお腹を抱え、冬の寒い日に、初めてフリーマーケットをして、「お店屋さんごっこ」を楽しみ、見事空間を手に入れた経験もありました。

その後、生活も変化し、今必要なモノと今まで持ってきたけど不必要となってしまったモノが明確になり、時間を見つけては、整理整頓してきました。
すると、不用品を集めた箱が、大きな箱が7箱と大きなキャビネットもあり、家の一部屋を倉庫かわりに使わざる得ない事となり、それを見ていると、憂鬱になってしまうほどでした。
でも、地域のフリーマーケットの日程とも合わず、インターネットオークションに出すほどでもないし…。
でも、でも、モノ執着症候群の私だったので、殆どが新品に近い状態のモノばかり、中にはブランドモノも結構あったりして。
と、考えれば考えるほど、『考え過ぎ症候群』にはまりそうでした。

でも、やっと今日、ある本で見つけた情報をもとに、ある機関に電話をかけ、一気に引き受け手が見つかりました。
その機関は、国内にある厚生省認定の機関のようですが、少ない補助金で細々とやっているというお話しでした。
本による情報では、衣類のみとあったのですが、電話をしてみると、受けたモノの全てを、フリーマーケットに出し、そこで得た収益をとても有益なモノとしており、「使えるものなら何でもいいんです」と、とても感謝を伝えて下さいました。
私も、他の不用品まで、行く手が見つかったので、予定外に嬉しく、なりました。

 「今年どうなっていきたいかな?」と、主人とお茶話した中で出てきたのは、『シンプル』になる事でした。
「本当に気に入ったモノを厳選し、本当に欲しいモノだけのある空間を創りたいね。」と、大きなテーマを、昨年から二人で思い描き始めた中での事です。

共働き、子育て、さらに、互いに仕事を広げたい、子供も増やしたいとなると、全てがシンプルにならないと、欲しい時間と心の豊かさは持てないねという発想があるからです。
やっと『手放し』の道がついた今、今年は、空いて行く空間をそのまま保てる自分になる事と、その中で、モノを厳選していく目を耳を肌、そして心を、さらに育てたいと思う新年の幕開けです。

これからモノを手放す日まで、『手放す』モノに感謝し、その学びとして、もっともっとじっくりモノを選ぼうと、強く強く心に誓う日になりそうです。

そして、今日、私に舞い降りた『手放す』というエッセンスの入った素敵な人間関係の流れを、このコラムを読んで下さる方に、贈りたいと思います。
『手放す』事に、苦労される方々に幸あれ!!

深澤三津子

投稿者 csadmin : 11:17

2004年3月12日

◇映画を通して思う

僕には映画を見る習慣がほとんど無いのですが、
最近、DVDを借りて家で見ることがマイブームになっています。
と言っても、今まで興味が無かった分、映画のことはほとんど知らないので、
タイトル名と表紙で借りるものを決めています。
今回は『CUBE』という映画を借りました。

あらすじを簡単に説明すると、登場人物たちが立方体の部屋の中にいるところから
始まります。四方に同様の部屋があり、扉でつながっているのですが、
部屋によっては残虐な罠があるんですね。

なんでここに入れられたのか?
何が目的なのか?
どうやってここに来たのか?

何もかもが謎の中、登場人物たちは生きるために罠のある部屋を避け、
出口を探していきます・・・。

この映画、見る人によっていろいろな感想が出てくることと思います。
僕が感じた部分は、罠よりも人が人を傷つけている怖さと、あきらめないと
いうこと、そして目的を見失うと人生を損なってしまうということでした。

物語の終盤で、出口を見つけたにもかかわらず外へ行かない人がいます。
外の世界に絶望し、意味を見いだせなくて。
そのひと時のためらいが悲惨な結果を生んでしまいました。
・・・いや、この人にとってはあるいは「悲惨な結果」ではなかったのかも
しれません。それはわからない。
でも一つ言えることは、この人は人生を損なってしまったということです。

理不尽な状況や理解できないことって、人生の中には少なからずあると思います。
でもそれに屈することなく、出口という「光」を求め続けること、
あきらめないことが大切なのかもしれないと思いました。答えは必ずある。

だって、この映画の登場人物たちは、一人一人その人にしかないものを持って
いたから。
それらの一つでも欠けていたら、出口という答えにはたどり着けなかったでしょう。

理想と現実。
運命と信念。

いろいろと考えさせられる映画でした。

映画に限らず、僕は「最新作」とか「流行モノ」というのがあまり好きでは
ないのですが、
今度、最近出たらしい最新作の『CUBE2』を借りようかな、と思いました・・・。

by 高橋大

投稿者 csadmin : 11:16

2004年3月 8日

●When our child was born...

その瞬間は兎にも角にも「ホッとした・・・」というところでした。

子どもが出来たことが分かった昨年7月から、一時は切迫流産などで危ぶまれながらも、無事に会うことができたんです。

実際に妻の陣痛が始まるまでは、
「感動したっ!」
とか
「生まれてきてくれてありがとうぉ!!!(号泣)」
とか、
色んなセリフを考えながら、とてもドラマティックな展開を予想して、一人で感動モードに先走ってた(妄想してた)たり、
また、「釣りバカ日誌」の浜ちゃんのように立会い出産中にぶっ倒れるんじゃないか?という強い不安と恐れを感じていたりしてました・・・。
が、実際は、本当に心から安堵した・・・という静かな、でも、とても深いものでした。

会ったことのある方はご存知かと思うのですが、「遠近法を無視した夫婦」と皆に揶揄されるがごとく、うちの奥さんはとても細いんです。
明らかに骨盤も小さくて、とても普通分娩は難しいんじゃないか?下手を打てば母子ともに命に関わる事態になるんじゃないか?と、子どもが出来た当時からどこかしらに不安を抱えていました。
しかも、妻はもともと生理痛が重く、何回もその痛みから失神したことがあったので、生理痛なんて比じゃないと言われる陣痛に耐えられるのか?という思いもありました。

だから、帝王切開になってもいいから、母子共に無事に生まれてくれたらそれだけで良い・・・っていうか、とりあえず生きていてくれさえすれば、何でも良い・・・というのが、僕の偽らざる本音だったんです。

子どもが生まれた次の日に早速、原と“祝いと称して”飲みに出かけたのですが、彼曰く「2月ごろのねむねむ(僕のニックネーム)はやたらピリピリしてたことがあったもんなあ・・・」とのこと。
実際、ここ数週間は誕生が近いことを悟ってか、うちの奥さんも僕も、どこか忙しなく、眠れない日や逆に起きられない日が続き、情緒不安定なところもあったのかもしれません。
自覚は無かったんですけどね。
今から思い返してみれば、仕事も立て込んでいて確かに平常心はどこかしら見失いがちだったかもしれません。

だから、子どもの体が妻の体から出てきたとき、何よりもただただ安堵を覚えたのでした。
あまりに安心しすぎたせいか、最初頭が出たときの記憶はあるものの、体から出た瞬間の記憶は飛んでいてないんですよね。
必死にいきんでいる妻の顔を見てたのかもしれません。
そんなちょっとした記憶の隙間に娘は生れ落ち、そして、父となった僕は思い切り安堵の息をついたのでした。

1週間の早産で、体重が1964グラムしかなく、数日はNICU(保育器)で過ごすことになったのですが、そんなことは関係ないですね。
無事に生まれ、元気に泣いてる声を聞いたら、それだけで十分、と思いました。

むしろ、妻の細い体を潜り抜けてくるんだから、それくらい小さくないと出られなかったのかもしれません。
それに、時間的にも僕の仕事をキャンセルさせることもなかったわけですから、何とも親孝行な娘です。

名前は“深希(みずき)”って付けました。
深希の誕生には色んな不思議、偶然が付きまとっています。

妻の先週のコラム(たまたま、妻、僕と続くコラムウィークに生まれてくるのも、また、憎い演出をするものです)でも、触れられているところですが、僕の目からも描いてみたいと思いました。

*−−−−*−−−−*−−−−*−−−−*−−−−*

僕らはここ数年ずっと子どもが欲しくて、でも、なかなか出来なくてヤキモキしてたんです。
それで「まあ、そのうち出来るんちゃう?」なんて思って、特に排卵日とかも意識しなくなった途端、出来たんです。
『「欲を手放せば、手に入る」ってほんまやねんなあ・・・』と妻と笑いあったものです。

でも、そんなすぐに出来るとは思っていませんでしたから、妻もいつもどおり家事をしたり、遊びに行ったりしていたんです。
ところが生理が遅れてるなあ・・・と思っていたら、ある夜、ひどい腰痛になって動けなくなる、という事態が発生しました。
僕はその時一人で東京出張中で、妻は実家に帰っていたのですが、仕方なく、妻はそこで安静にしてなきゃいけなくなったんです。
でも、もし、そこで腰痛がなく、いつもどおりに色々動き回っていたとしたら、深希はそこで流れてしまっていたのかもしれません。

自分が生まれるために、母親の体を動けないようにした???

その後、妊娠が分かって数週間は実家で安静にしていたのですが「体調も安定してきたし、定期健診終えたら江坂の二人の家に戻るわ」という、まさにその日に出血。
切迫流産とのことで、そのまま入院することになりました。

病名を聞いたとき、びびりましたよ。
「流産に切迫した状態」なんですけど、まるで「流産しちゃった状態」のように聞こえるじゃないですか・・・。

そこから妻は3週間入院。

これも、深希が自分が生まれるために取った策なのか???
もしくは、早速、僕から切り離して、お母さんを独り占めか???くそーっ!(笑)

確かに、そのまま江坂に帰ってきてしまえば、ついつい家事に動いてしまう妻のことですから、流れる可能性は高かったわけです。

妻は入院して退屈しきっていた3週間が終わり、それから後、我が家では急ピッチに準備が進んでいきます。

5ヶ月目に入った10月にはもう性別も分からないのに名前だけ決まっていました。
名前の由来は漢字を見ると「深い希望を持って欲しい」という願いを込めたことに見えるのですが、実際はちょっと違います。

5ヶ月目くらいになると少し出てきた妻のお腹を触るとビリビリするんですね。
それが面白くて「そろそろ名前決めなきゃね」なんて言いながら、びりびりするお腹を時々さすってたんです。
妻:「男だったら“晴明”がいいっ!」(おい、お前、陰陽師読みすぎ)
僕:「女の子だったら“真葛”がいいなあ」(おい、あんたも陰陽師の影響受けすぎ)
とか色々遊んでたんですけど、あるとき、お腹に「お前、なんて名前がいいんだ?」って半分ふざけて聞いてたんですね。

そしたら「みずき」って名前がピンと頭に浮かんだんです。

ん?そんな名前、俺のボキャブラリには無いぞ・・・と思いながら、妻に
「こいつ、“みずき”て名前がいいって」
て言うと、妻も
「!!!!私もそれいいと思う。“みずき”にしよ、“みずき”」

それが由来です。
だから、本人には「あんたが選んだ名前なんだよ」と伝えるつもり。

漢字は画数とかもあるので、後々「たまひよ名付けサービス」というのに申し込んで、その中から“根本”にあう画数のものを選びました。
二人とも「深い希望」の「深希」が気に入ったんですね。

ちなみにこのサービス、800種類も“根本”に合う名前を選んでくれるんで、ありがたいのですが、800もあったら選べねーぞ・・・と。
(たぶん、次の子どもの名前は、この中から選ばれるんだろうな・・・(笑))

その後、6ヶ月目にはほんとに偶然エコーで「たぶん、女の子だろう」ということが分かり(普通は8ヶ月目くらいにならないと教えてくれない)、7ヶ月目には早くも妻の入院準備が整い、そして、いよいよ生まれるのを待つばかりとなりました。

因みに源河の家からベビーベッドを引き取ったのはまだ5ヶ月目の頃です(笑)

しかも、実際に予定日よりも4週間も早く生まれてくるなんて、ほんま、先走った家族ですな・・・。
(ま、切迫流産すると早産する可能性も高いらしく、早め早めに準備してたんですけどね)

そして、実際に生まれる数日前にも軽い陣痛が来て朝早く病院に向かったんです。
結局その時は、入院した途端、陣痛が収まったんですけど、それもまた、深希が生まれるために仕組んだ手立てなんじゃないかと思えるんです。
だって、普通は10分置きの陣痛が起きてから病院に電話し、指示を仰ぎ、出産となったらそこから病院に向かうんです。

でも、その間に破水したり、陣痛が強くなって動けなくなったり、トラブルも起きやすい時間帯でもあるんですね。
ところが、うちの妻はもうその時には入院しているわけですから・・・余程のことが無い限り安全なわけです。

深希が仕組んだのか、それとも、理加が無意識で仕組んだものなのか、一連の流れがすべていい方向にいい方向に、無事に生まれるように向いていたように思えます。

*−−−−*−−−−*−−−−*−−−−*−−−−*

そんな中で、5日の夜、その日の仕事を終えた頃に妻から連絡が入り、病院に向かったのは21時ごろでした。
陣痛は18時ごろから始まっていたようで、長い夜が始まりました。

病院に向かうタクシーの中で、不安と期待が入り混じった気持ちで窓の外を眺めていたんですね。
腹はだいぶ括れてましたが、実際は初めてのことですから、何がどうなるのか、全然分かりません。
けっこう緊張もしてたと思います。
テンションも高かったですし(笑)

そして、陣痛室にいる妻に付き添い、だんだん強くなる陣痛に合わせて、背中をさすり、腰をマッサージし、頭をなで、抱きしめ、手を繋ぎ、瞑想をし(笑)、“その時”がやってくるのを待ちます。
待つ、というのは本当に辛い作業で、最初の数時間はあっという間に過ぎたものの、眠気が強くなる午前3時過ぎぐらいから、だんだん意識が不思議な方向に向かっているのが分かります。

眠気と疲れと気疲れと心配と不安と恐れが重なって、薄暗い部屋の中で、何か神聖な儀式が執り行われているような、ある種、幻想的な気分になっていきます。
妻は痛みでそれどころではなかっただろうけど・・・。

意識も朦朧としてきて、だんだんイライラもし始めた午前6時に子宮口が全開となり、いよいよ、出産の本番ですね。
だんだん痛みが強くなるようで、妻の声も大きくなります。
僕はどうすることもできずに、ひたすら励まし、背中をさすっていたように思います。
少しずつ明るくなるのが感じられる部屋の中で、トランス状態になってたのかもしれません。

ただ、このセラピーの世界にかれこれ6,7年以上はいる僕ら二人のこと、そんなつもりはないけど妻は呼吸法を自然と身につけているようで(助産婦さん達に、すごく上手、なんでそんな上手なの?と言われてた)、また、妻の叫び声にも慣れてる僕はそれに臆することもなく、このプロセスに向き合っていけたんです。

まあ、妻の感じている痛みなど、それどころじゃないものなんでしょう。
分娩室に移って2,3時間の間、本当によく耐えたと思いますし、女の本能、女の強さというのをまざまざと見せてもらいました。

こんな痛みを乗り越えられるんだから、男が女に敵うわけが無いわな・・・と後から深く深く実感したものです。

よくカウンセリングやセラピーでも「痛みを乗り越えて与える」なんてことを言うのですが、この出産のプロセスこそ、まさにその極みなのかもしれません。
今までの僕の考えや、アドバイスなど単に浮ついたもののように思えるくらい、その現場の持つパワーはすごいものがありました。

でも、そこは修羅場というか、戦場というか、やはり、人が一人生まれるというのは、並大抵のことではないんだ、ということを思い知らされます。
お医者さん、助産婦さんが何人も集まってきて、出産のプロセスをそれぞれの役割を通してサポートしてくれます。
妻は必死に産もうとしています。
苦痛にゆがみながらも、呼吸を深め、強くいきんでいます。
僕はそこでは背中をさすり、頭をなで、手を握ることしか出来ないのだけれど。

そして、長い格闘を経て、そこにいるみんなの
「頑張れ、もうちょっと、もうちょっと、もう一息。もう生まれるぞ。もうすぐだぞ!頑張れ」
「もうちょっと。はい、今、いきんで。うん。上手上手、すごく上手だわ。もうちょっとよ。」
という声に押されるように、11時6分、深希はこの世に生まれ落ちたのでした。

すぐに泣き出して、処置をされ、ベッドに寝かされた深希を見て、本当にホッとしました。
その時の妻の目からは自然と涙があふれ出ていて、でも、その表情というのが、なんだか、ものすごく神々しく見えました。
そこで僕も初めて、じーんと胸に感動を覚えたんです。

「みんなの力が無かったら、絶対こんな風に産めなかった。本当にありがとう」

これが妻の第一声でした。

そして、今、生きている人は、みんなが形こそ違えど、このプロセスを通してきているんですよね。
帝王切開でも、早産でも、何でも。

母になった妻を見て、そして、自分の母親を感じました。
僕の母親の愛情深さは超一流なのですが、それも深く納得させられます。

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深希が生まれた病院ではカンガルーケアというのをしてくれます。
生まれたばかりの子どもを、お母さんが実際胸に抱いて1時間あまりを一緒に過ごさせてくれるんです。
今ではけっこうメジャーらしいのですが、母と子の絆が深まる大切な儀式です。

そう、ほんと儀式なんです。

さっきのトランス状態から抜け出して、全身ぼーっとなってるところでしたから余計、じーっとその姿に見とれてしまいました。
やはり神々しさを感じてしまいます。

身を正して向き合わなければいけない神聖な儀式のように感じます。
ちょうど聖書の世界を描いた絵画を思い出しました。
聖母マリアが赤ちゃんのイエス・キリストを抱いている絵。
そんな風景が目に浮かびました。

人間ってこんな凄いことをしてしまうんやな・・・なんて思ってました。
妻を本当に尊敬するし、生まれてきた子どもにも深い感謝の念が生まれます。

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その日の夕方の面談に合わせ、カウンセリングルームに向かったのですが、その頃からひっきりなしに「おめでとうメール」が入り始めました。
カウンセリングルームではみんなに「おめでとう」と言われた後、「なんかスッキリした顔してるなー。あんたは何を産んで来たんや?」と何ともカウンセラーらしいツッコミも頂きました。

何を産んだんだろう・・・???
今はまだ分からないですね。。。
でも、何か変わったよ。本当に。
また、一つステップを上ったよ、確実に。

深希が生まれたことで、その出産に立ち会えたことで、妻との絆はとても深まり、また、お腹の奥のほうで、またデンとした土台が出来たように感じています。
それが最初に実感した変化でした。

妻も、その瞬間から母の顔になり、母の態度になっていました。
翌日顔を見たとき
「もー、朝から体がめっちゃ軽くてスッキリー!嬉しくて、あちこち歩き回ってたら助産婦さんに『安静にしててね』って怒られちゃった・・・」
「あの痛みに比べたら、もうその他のことなんてヘッて感じやわ」
とのたまっておりました・・・。

女は強い・・・。
元々強いが、また強くなっちゃった・・・。

これからはもっと過酷な日々が続きますよね。
田村や山本、うちの先生ら、子育て経験者からは、とてもありがたく、そして、背筋が寒くなる(笑)講義をたくさん頂きました。

「これからが大変やでー。夜中に・・・」
「俺もどんだけしんどかったか・・・」
「嫁さん変わるでぇー・・・」
「もう、ひたすら耐え、頑張る、これだけやな」

先輩方よ、お願いだから、もう少しいい夢見させてよ・・・。


最後になりましたが、お客さまや仲間達から色んな励ましや応援、冷やかしの言葉、そしてたくさんの安産のお守りをありがとうございました。
生まれるのも、産むのも本当に一人じゃないんですよね。
妻もみなさんのその思いを受けて、無事、出産を終えることが出来ました。
本当にありがとうございました。

非常に長くなりましたけど・・・読んでくださってありがとうございます。


根本裕幸

投稿者 csadmin : 11:15

2004年3月 1日

●妊婦体験記

お久しぶりです♪
せっかく貴重な体験をしている最中なので、記しておきたくなって久々にコラムを書いてみました。

私達夫婦にとって、この妊娠は待ちに待ったものでした。
「赤ちゃんが欲しい・・・。」
そう思い出してから丸々2年間のチャレンジの末でした。
毎月体温計と睨めっこしながら、ガッカリし続けるというのが続いていたんです。2年も経つと、そろそろ不妊かどうかの検査とか受けに行かないとダメなのかなぁ・・。などと夫婦共々思い始めた頃でした。
「私は妊娠できないんだろうか?」
そんな不安が続きすぎて疲れて、しばらく子供の事は諦めて子供がいないからこそ楽しめることを探そう・・。と諦めモードに突入した途端の妊娠だったんです!
まさしく心理学で言うところの[執着を手放した]心境だったんだと思います。
物事って何でもそんなものなのかもしれません。(苦笑)

妊娠検査薬で陽性反応が出たときはうれしすぎて、陽性ということをなかなか信じられなかったくらいでした。本当にうれしくて、もったいなくて(!?)その陽性反応がでた妊娠検査薬をなかなか捨てられませんでした。

そして病院の診察も受けて晴れて妊婦になることができたんですが・・・。
今度は別の不安が・・・。

生理痛のような下腹部痛が、妊娠が分かってからずっとあったんです。
でもこれは妊娠によるものかもしれないと思ってみたり、友人に聞いてみたり、本で調べてみたりしたんですが、何か一抹の不安が拭いきれないんです。
本能が「これは正常じゃない!」と言っているような感じです。
案の定、お医者さんに聞くと「普通そんな痛みはない」との事。
でもまだ妊娠の初期すぎて、手のほどこしようがない状態だったんですね。お医者さんも「今は受精卵の生命力に頼るしかないね」と言うことしかできなかったんです。

それからしばらくして、出血をしてしまいました。診断は切迫流産。
流産しかかっている状態ということでした。
その時もまだ週数が浅すぎて安静にしている以外、手の施しようはありませんでした。

妊娠ってもっと簡単にするものだと思っていた私は、まず受精する確率、無事しかるべき場所に着床する確率、その受精卵が育っていく確率、無事出産まで育つ確率を考えると気が遠くなるのでした。
確率で考えると無理に等しい・・・。
本当に生まれてくることって奇跡なんだな・・と思い知りました。

折角宿った命を失いたくないという思いが強くて、夜も不安で眠れない日が続きました。朝まで生きていてくれるだろうか?
そんな考えても仕方がない考えがぐるぐる頭の中を回ってしまいました。
当たり前だけど、生きるも死ぬも自分達ではどうしようもないことなんだ・・・って鮮烈に感じました。
そう思えば、今日まで自分が生きてこられた事も奇跡なんだと改めて感じました。

しばらく経った検診の日も相変わらず胎児は不安定な状態でした。
その日のベテランの先生が「今入院すれば、まず赤ちゃんはもちこたえられるだろう」と言って下さり、そのまま即入院となりました。
ようやく、点滴やお薬を使って治療できる数週になっていたのです。
(もしかしたら、この子は大丈夫かもしれない!)
やっと、心に安心できるものが芽生えました。

それからまず2週間はトイレ以外絶対安静で、24時間ずっと点滴を受け続けました。その後の1週間は口から薬を飲む治療がなされました。

その間につわりが本格的に始まり、私の場合これがまた想像以上に辛いものでした・・。例えていうなら、ものすごくひどい二日酔いの朝に「神様、もう二度とお酒は口にしません!!だから何とか楽にして下さい!」と祈ってしまうくらい気持ち悪い状態が、ずーっと続くとでもいいましょうか・・。
4ヶ月に入るとつわりは大抵治まるという本の言葉をあっさりと裏切り(程度も期間もものすごく個人差があるようです)、私のつわりは5ヶ月が終わるまで除々に楽にはなりながらも続きました。
今思い返せば、この妊娠前期は果てしなく長く感じられて一番辛かったかもしれません。
6ヶ月以降は赤ちゃんも順調で、食べ物もおいしくなってきて割とあっという間に過ぎていきました。

元来おいしいものに目がなかった私ですが、妊婦になると自分でもびっくりするくらい、頭の中が食べ物の事で一杯なんです。まるで何かにとり憑かれたようです。(笑)
そういえばかつて、元々小食だった源河が妊婦になった途端、ものすごい食欲をみせてビックリしたことを思い出しました。
しかも化学調味料の味とかにすごく敏感になるので(ちなみに、つわりの間は嗅覚も犬並みに敏感!)本当においしい物を体が求めるっていう感じなんですね。
体ってうまくできてるなぁと何度も感心させられました。
つわりで食べられなかった時の反動もあって、随分おいしいものをこの期間に食べさせて頂きました♪
食べ物の恨みは怖い〜・・。
でもその結果、「体重増え過ぎです」と病院でしっかり注意されてしまいましたが・・。
7ヶ月、8ヶ月、9ヶ月、そしてもうまもなく10ヶ月に突入しますが、この頃になってくるとみるみるお腹が大きくなってきて、時々自分でも「このお腹一体どうなるんだろう・・。」と怖くなります。
5ヶ月を過ぎた頃は1週間経つ毎に、「またお腹大きくなったなぁー」と感じていたのですが、今は3日毎にそう感じます。
胎動も始めの頃は、何かがお腹の中でぐるんと動いた?!という感じだったのが、今ではグラッと自分の体が揺れることがあるので「地、地震!?」と思う時が(本当ですよー)あります。
お腹が服の上から見ていても波打っているのがわかるんです・・。
そんなお腹をもちろんいとおしくも感じますが、エイリアンに寄生されているかのように感じることもしばしばです。(笑)
自分の意思とは関係なく動くものがお腹の中にいるっていうのは、何とも不思議な感覚です。

最近はお腹が大きくなったせいで、胃が押し上げられて再びつわりのような症状がでて本当に少ししか食べられなかったり、肺や心臓が圧迫されて息苦しくて夜も眠れなかったりと、色々なマイナートラブルはありますが、それも貴重な体験だしあとちょっとの辛抱です。

でもつくづく、妊婦って大変・・。
母親達はみーんな、これを乗り越えてきたんだなーと尊敬の思いです。
パッと妊娠して、ポンッと産むなんてこと無いんだな、皆色んな大変な思いや気持ちを10ヶ月間味わってきたんだなって思います。(出産した後は忘れてしまうことが多いみたいですが・・。)
こういう時は本当に周りの人のサポートを有難く感じます。
特に夫の精神的な支えや、家事を手伝ってくれることが、どんなに助けになっているか・・・。
始めは余りピンと来てなかった様子でしたが、お腹が大きくなるにつれて積極的に手伝ってくれるようになりました。

でもこんなに大変なのに、「その後の子育てはもっと大変よ〜。もう一度お腹に戻したくなるくらいよ〜。」と先輩ママ達にケロッとした顔で言われている今日この頃です。(汗)

現在は出産に対する不安と、そしてやっとやっと我が子に会える喜びとが入り混じった気持ちです。
でも妊娠初期よりも随分出産に対する不安が減ってきました。
それよりも早く会いたい!!早く出したい!?という気持ちが勝ってきています。
出産に向けてカウントダウンが始まるほど、会える喜びが増していきます。
どんな顔をしているんだろう?初めてこの腕に抱いた時は、どんな気持ちがするだろう?とわくわくします。
夫にも出産のイメージトレーニングの為に、テープを作ってもらって今練習しています。さすがプロだなぁ〜と有難いです♪

一人の人間が生まれてくるのに、どれだけの想いがあるか、どれだけの人の助けが必要か、妊婦になって初めて実感できました。
今自分がここにいる奇跡・・・。それは本当に奇跡なんです。
忘れないようにしなくちゃ・・。

色々と励まして下さった方々、安産のお守りを下さった方々、有難うございます。
皆さんの温かい想いは本当に心強いです。
間もなく迫った出産、がんばってきますね!
夫立会いのもと、赤ちゃんと息を合わせて3人で誕生という体験を味わってきたいと思います。

また機会があれば、今度は出産の体験記も書きたいと思います♪


根本理加

投稿者 csadmin : 11:14