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2003年3月25日

●親友について

毎週のように週末のミーティングの後、原や山本、妻を始め仲間達と飲みに出かけます。
最近は閉店時間が1時とか2時の店をわざと選ぶんです。
なぜかというと、閉店時間=解散時間なので、朝の5時までやってる店にいくと、やっぱり5時まで飲んでしまって翌日(というか当日)に大いに差し支えてしまうんですね。

ストレスが溜まってるってこともあるのかもしれないけれど、そうして気の置けない仲間とわいわい飲むのはめちゃくちゃ楽しいし、話も尽きないから、気がつけばお店のスタッフがやってきて「そろそろ閉店なのですが・・・」と言われる始末です。
他愛ない話題も多いのですが、何と言っても将来の夢や野望、今考えてることを語り合うのは体中の細胞が喜びまくるくらい大好きなんですね。

僕は幸いずっと人との出会いには恵まれてると思ってるのですが、実際にそんな“朝までトーク”は高校時代からその時々の友と続いている習慣です。
大学院の頃には、何度も語り合いを繰り返した親友と1対1で“24時間トーク”なるものを企画して、ファミレスを転々として、へろへろになりながら24時間語り合いを続けたこともありました。(←アホですね〜)

そんな親友達の一人に高校の頃からずっとそんな語り合いを続けてきた奴がいました。
彼とはお互いに「こいつと俺とは性格がまったく違う」と堅く信じながらも、お互いを良く知る友人の中には「こいつら、ほんまに良く似てる」と言う奴もいる不思議な関係だったんです。

ただ、お互いに思ってたのは、パズルの隣り合ったピースのような関係だったということ。
形は違うけれど、そこに描かれている図柄は繋がっているような。
そして、その図柄というのは、やっぱり将来の夢やビジョンで、「いつか一緒に何かをやろう」ということでした。

「こいつと何か始めたら絶対面白いことができる」とお互いに確信はしてました。
それまでは別々の道で、それぞれのやり方で色んな世界を見ておこうと約束してました。
それは会社を起こすことだったり、政治家になることだったり、ガキだった分、夢は大きかったです。(まあ、今でも僕はアホなビジョンを追い続けているのかもしれないけど)

彼はいわゆる美丈夫で、常に付き合っている女性が複数いるようなプレイボーイ君でした。
大阪や神戸によく彼女連れで遊びに来てましたけどいつも違う女の子を連れてましたね。
(僕はいつも同じ女の子と一緒だったけど)
それでも、女の子にはもちろん、同性にもとても好かれるタイプでした。

行動も大胆かつ繊細に計算していて、例えば、婚約者の家に行ったときにわざと靴を脱ぎ散らかしてあがり、帰りにきちんと揃えているかどうかで、その家の躾や教養を見極めようとしたこともありました。(嫌な奴でしょ?)
その一方で、どこで繋がっているのか学生の身分であちこちの土地の名士と付き合いがあったり不思議な人徳があったものです。

そんな一方で「松葉ガニのいいのをもらったから、明日持って行くわ。鍋しようぜ」と突然電話をかけてきて、朝早くバイクで日本海側の町を出発したらしいのですが、「福知山で右に曲がって大阪に向かうはずが、なぜか気がついたら舞鶴まであと5kmとかいう看板が出てきておかしーなーと思ってたんよ。でも、間違いないと思ってそのまま行ったら日本海でさー、まいった、まいった」と、3,4時間で着くはずのところを10時間以上かけて届けてくれたこともありました。
ま、どこか抜けてて周りの人をちょっと心配させて面倒見させてしまう不思議な魅力があったのでしょう。(そんな奴の魅力を認めるのは今でも悔しいからちょっと嫌なんです(笑))

そんな彼がある夜電話をかけてきたんです。
「俺なあ、色々がんばってんけどなあ、あかんかもしれへんわ」と蚊の泣くような声でした。
ちょうど卒業が間近に迫った頃で、彼が論文に苦しんでるのは知っていましたが、なかなか連絡も取れずにいたところです。
「明日実家に戻るつもり」というから、「ほんなら、うちに寄ってしばらく遊ぼーや」というと「そうやな。そうしようかな」と言って電話は切れました。

次の朝、セミナーに出かけるために準備をしているとまた電話が鳴ったんです。
彼のお母さんからでした。
「根本君は無事卒業して就職が決まったのよね?どんなところに行くの?」と世間話をし始めるのですが、ちょっと様子がおかしい。
すると「あの子ね。今朝、亡くなったの。」と。
「朝早くね、友達(それは彼女でしたが)が尋ねて来てくれて見つけてくれたんだけど、寝巻きのまま、近くにあった紐で。とりあえず、誰かに言わなきゃいけないと思って根本君に電話したんだけど、あの子の友達に伝えてくれないかしら・・・」
淡々とした声でした。

その声の調子に乗ってしまったのか、僕の中でも「あ、そうなのか・・・」と思っただけでした。
そのまま何人かの繋がりのある友達に電話をかけて、でも、みんな留守電だったので(朝早いからね)、そのことを伝えてセミナーに出かけたんです。
その道すがら、何故か奴が近くにいて、ふーっと僕の心の中にちょこんと収まったような感覚を覚えました。
奴は今、ここにいるのか・・・と漠然と思ったことを今もはっきり覚えています。
それは新大阪のとある牛丼屋さんの前でした。

僕自身、そのときは悲しいとか寂しいとかの感情ってほどんと感じていなかったと思います。
ただ、その週末がセミナーだったということが災い?幸い?して、今までに味わったことのないくらい強烈な感情を体験したんですけどね。
体がばらばらに破裂しそうなくらいのものでした。
今ならば、強烈過ぎる喪失感だったり、分離感だったり、と分析はできるけど、当時はひよっこで、訳もわからず、その感情に翻弄されていました。
でも、涙はほとんど出ませんでしたね。
悲しみを感じられるほどに心の準備が出来ていなかったのでしょう。

辛い経験をされた方は体験されたことがあると思いますが、心の防衛機能が働いてヒューズが飛んだように何も感じられなくなってしまっていたんです。
(だから、セミナーなどでその感情に触れると無意識的な反応として上のような感覚が出てくるんです)
それはお葬式の間も、その後もしばらく続きました。
仲の良かった友達はみんな「なんでやねん・・・」と悔しさをにじませて号泣してました。
ずっと。

僕はただ、彼らを抱きしめることしかできませんでした。
「言ってくれたら良かったのに」
「なんで、俺らに電話してくれなかったんだ」
「俺はどうして、あいつがそんなに苦しんでいることに気付けなかったんだ」
「奴が苦しんでる間、俺はのうのうと生きてた。悔しすぎるわ」

そして、大好きだった奴の死をみんな理解しようとしていたんです。
考えて考えて自分なりに理解できなければ、それぞれもまた破壊の道を選びそうになっていたからかもしれません。
お葬式が終わっても、一晩中、奴のことを語り合いました。
理解するために、忘れないために。
でも、最後は「何で、死んだんだよ・・・」というところで詰まって涙するだけでした。

僕は相変わらずすっかり麻痺していました。
「お前はやっぱり強いな」と口々に色んな連れが声をかけてくれたけど、強かったわけじゃなくて、何も感じられなかっただけなんですよ。

お葬式の前に、ご両親に挨拶に行き、冷たくなった奴に会わせていただきました。
何も言えなかったです。
悔しすぎて。
無力過ぎて。

そして、それはご両親や弟たちももっとずっと強く感じていたようでした。
奴のお父さんはただ息子を理解しようとしてました。
「しんどかったんやな?これでもう楽になったんか。ごめんな」と声をずっとかけていました。
お母さんは、能面のような表情をされて、ずっと押し黙っていました。
言葉には決してしないけど「この子がこんなになってしまったのは私のせい」とものすごく自分を責めていらっしゃるのが痛すぎるほど伝わってきました。
事実、お母さんが「あの子がこうなったのは私のせい」と言い、泣き叫んだのはそれから数週間を待たなければなりませんでした。

彼はお母さんとうまくいってなかったようで、常々愛された記憶が全然無いと言ってました。
でも、その彼の言葉は真実じゃなかったようです。
それに気付けずに奴は死んでしまったんやな・・・と思いました。
きっと今頃真実に気付いて後悔の一つでもしてるんやろか・・・とも。

お葬式に向かう前、うちの母が厳しい表情をしてこう言ってました。
「息子をこんな形で亡くした母親の顔をよく見てきなさい」と。
きっとうちの母も僕らが仲良かっただけに他人事ではなかったのでしょう。

それから大阪に戻った僕は、しばらく死神に憑かれているような生活でした。
夜が怖くて眠れないんですね。
目を瞑ると自分が死の淵に引きずり込まれそうな感覚がして。
だから、電気とテレビを点けっぱなしにしてました。
眠れないから、と、初めて精神安定剤を飲んだのもこのときです。

そして、僕はその死から1ヶ月以上経った頃からようやく彼の死と向き合うことができるようになっていました。
その頃は会社の研修で横浜にいて、ウィークリーマンションに泊まっていたんです。
そこで毎晩、一人で泣きながら、奴の死を理解しようとしていました。
気がつけば、巨大な喪失感と無力感が僕自身を覆っていたんです。
何故なのか?
死とは何か?
奴はどこへ行ったのか?
自分は何を見逃したのか?
休みの日には横浜の街をあちこち歩きながら、そのことをずっと考えていました。

その中で僕なりに見つけた答えがいくつかありました。
死について、彼について。
それはおかしな話だけれど、彼の死を知った朝に体験したものに由来しました。
「そっか・・・、奴は今ここにいるのか・・・」
そして、自分の心の中に奴の居場所を作り、奴が知らず知らずに教えてくれていた色々なことを自分なりに学び始めました。
そのせいか、その後は僕もプレイボーイになったり、色んな悪知恵を働かせるようになったりしました。

これは今の僕にとっても強烈な原体験になっています。
死を、特に自ら選ぶ死を僕は決して美徳とは思いません。
自分も死にたくなった時期がその後に何度もやってきたけれど、本当に死のうと思ったことは一度もありません。

でも、現実としてそれを選んでしまった奴がいるから、その死を無駄にしないように今も一緒に生きようと思っています。

下手なことをしたら、奴が僕をバカにして笑ってる声が聞こえます。
それは悔しいから、またそこで一歩頑張ることができます。
めちゃくちゃしんどい時には、奴が応援してくれているような気がします。
それに何度も救われました。

そして、いつかは二人でしたかったことの一部でも実現させたいと思うのです。

その後、数年して、心の中の応援者に僕の父親も加わることとなりました。
今でもその二人は強力な援助者として僕の中で生きています。

残された者として、その使命を継ぐとかそんなかっこいいものではなく、ただ、彼らの存在に今日も支えられて僕は、生きています。


根本裕幸

投稿者 csadmin : 10:02

2003年3月21日

◇やりたいことをやってみよう

 自分のやりたいことよりも、やらねばならないことが増えてきて自分を縛り
 付けてしまう。そんなことはありませんか?

 やらねばならないことをやる、このこと自体はお仕事をバリバリできたり、
 何事もテキパキ処理できたりとすばらしいことです。
 でも、やらねばならないことが増えすぎると時おり、窮屈な感じがして
 きます。情熱的になれず、義務と役割で動いてる感じも・・・
 
 義務と役割にはまってしまうと、心が持っている情熱的なエネルギーや
 活き活きさがしおれてて元気が無くなってきます。
 水分が足りずしおれかけたお花のようなに心もしおれてきます。
 
 そんな時、僕たちは自分のやりたいことを忘れがちになってしまいます。
 やらねばならないことに追われて、自分のやりたいことをほったらかしに
 なっています。
 
 そんな時は、しおれかけたお花にお水をあげて生き返らせるように、
 あなたの心にもお水をあげてみましょう。
 あなたのやりたいこと、してみたいことを思い出してみましょう。
 あなたのやりたいこと、してみたいことをしてみましょう。
 心がもともと持っていた活き活きとしたエネルギをよみがえらせて
 みましょう。
 
 心にみずみずさを取り戻せば、もっともっと輝けるはず。
 心の花を綺麗に咲かせてあげましょうね。

 by 原裕輝

投稿者 csadmin : 10:01

2003年3月18日

●感じる心

あなたは今、いきいきと感情を感じていますか?

例えば天気の良い日に風が気持ち良く吹いている時
その風の匂いの中に春を感じて、うきうきとした気分になりますか?
例えば、一日の中で誰かに笑顔を向けられることがあって
心がぽぉっと温かくなったりしますか?

日常の些細な出来事を感じられる心がある時、私達はとっても
豊かな気分で毎日を過ごすことができるような気がします。

逆に、最近そういう事に鈍くなっているなぁという時、心が疲れて
しまっているのかもしれません。あるいはなんらかの感情のブロックが
感じることを妨げているのかもしれません。

そういう私もつい先日まで、体調不良ということもあり、心にも疲れが
たまっていたのか、感じる心がとっても鈍くなっていたんです。

そういう時は毎日がまるでセピア色のようにたんたんと、過ぎていき
意味の無い同じような日の繰り返しのように感じます。
そして「つまらない・・。」「退屈だなぁ・・・。」と感じてしまいます。

ある意味、心が麻痺している状態なんですね。

ふと外を見ると天気も良く、散歩にでも出掛ければ気持ちいいだろうな
もったいないなぁと感じつつ、でも心の中は「しん・・」と静まりかえって
います。

そういう時は自分で心をノックしてやる必要があるんですね。

私達の心は、実はどんな時でも感情が流れていて何らかの感情を感じています。
でもそれが認識出来ない時は、何かが詰まってしまって滞っている状態だと
思います。あるいは、感情を感じられる線のようなものが切れてしまっている
状態なのかもしれません。
ですので、何らかのきっかけさえあれば、またすぐに生き生きとした心を取り戻す
ことが出来るんです。

そういう時の私のやり方は、本を読む、映画を見る、誰かと会ってしゃべる
音楽を聞く・歌う、外にとにかく出てみて歩く・・。
なんてことをしてみます。

要するに何らかの刺激を心に与えて、滞りを流して、感情を感じられるように
してあげるんです。
すると、ほんの些細な、ふとしたきっかけで、するするとまた感情が蘇ってきます。
特に私の場合は、何か感動するような気持ちになった時に、心が動き出すことが
多いようです。

つい先日の場合、そのきっかけを与えてくれたのは私の愛犬でした。

何か心が滞っていてしんどいなぁ・・。と感じていた時、それを気付いてか
気付かないでか、絶妙なタイミングでショコラがトコトコと私の方へ
歩いてきました。
そして、うるんだ目でじっと私を見つめて、そして目を見つめながら手をペロペロと
舐めてくれたんです。
すると、その時にショコラから何か温かいものが流れてきて、訳もなく私の心が
温かくなりました。
なんだかちょっと疲れていた私は、余りの温かさにポロポロ涙が出てきました。
そういえばいつもこういう時、この子は私の傍に来てくれていたなと
思い返し、こうやってこの子なりに私を元気づけてくれているんだなと
うれしく思いました。
いつもはおバカなことばかりしたり、なーんにもわかっていないようなショコラですが
もしかしてこの子は、私が思っている以上に色んな事をわかっているのかも!と
思いました。
そのうるんだまっすぐな目は、一生懸命何かを物語っているようでした。

そして私が感じたことは、「あぁ、動物は複雑な事は何もわからないかもしれないけど
愛だけは知っているんだな」と思いました。

動物達は、人間から見れば毎日単調な日々を、ただひたすら過ごしているように
見えますが、もしかしたらこの子達の生活は、私達が思う以上に喜びに溢れている
のかもしれないとも思いました。
きっとそんな事はなーんにも考えてなんていないんでしょうけど、毎日毎日精一杯
一生懸命生きている姿には、頭が下がる思いです。
「ショコラは偉いんだね。」と撫でてやると、うれしそうな顔をしたように感じました。
そうして私の心が動き出すと、その前と時間は全く同じように過ぎていくんですが
急に景色に色が付いたような感じがします。
そして全く同じような日常なのに、ちょっとした事でうれしくなったり
やさしい気持ちになれたりします。

毎日をいかに過ごすかは、本当に自分の感じる心次第なんだなと、身を持って体験した
出来事でした。

根本理加

chocola1.jpg←ショコラ

投稿者 csadmin : 10:00

2003年3月11日

●わかりやすさ

先日、もうすぐ小学1年生になる僕の娘が、なにか一生懸命お絵かきしたり、セロファンテープをつかったりしていました。

僕が何気に
「なに作ってるの?」
と聞いたら娘は、
「おとうちゃんにあげるからまってね」
とにっこり笑います。

僕の娘は、いつも僕に手紙をくれたり、絵を書いてくれたり、時々おもちゃのお金をくれたり(僕がまたお金にこまっているときにくれたします)、それはもう、娘からのいただき物は数限りがございません。
この間はのいただき物は、びっくりばこでした。まさにびっくりです。
数年前は渦巻きの殴り書きの絵(お子さんのいる方ならイメージできるでしょう?)ばっかりだったのが、本当に大きくなっていくものです。。。。

でも、大人の目から見て、娘がくれたものに、おおよそ役に立ったものはありません。
正直、やり場にこまってしまうものばかりです。
しかし!
その一つ一つは、本当に、そのときの僕をよく表してくれているものばかりだから、結構びっくりしたりするときもあります。

たとえば、先のびっくりばこ。
僕がなにか刺激的なことはないかなぁとか、たいくつだなぁと考えていたときにくれたものでした。
僕は趣味でプラモデルを作るんですが、以前に、「タイガー戦車がほしいなぁ」と思っていたときに、娘は、戦車で遊んでいる僕の絵を書いてくれました。
僕をちゃんとみているんだなぁと、本当に感心したものです。
子供は親の姿を見て育つと言いますが、そのときは、妙にその言葉に納得してしまいました。
僕や、僕の奥さんの姿をみて育つ娘はどんな女性になるんだろう・・・
その部分ではすこし遠い目に僕ら夫婦はなってしまいますが、本当に楽しみです。

と、そんなことを考えつつ、また何をくれるんだろう?と期待と不安(?)をいり混ぜながら、僕は待っていたのでした。


出来上がって、「おとうちゃん、あげる!はいっ!」と、娘がくれたのは、ちゃんと本になってある絵本なのでした。

所要時間、約2時間30分。
のぞみなら新大阪から東京までいってしまえる時間です。
ご飯を食べて、布団にはいって眠るまでの貴重な1日最後の遊びタイム・・・。
娘はその貴重な時間を、大好きなテレビアニメも見ずに、わざわざ僕にくれるもののために裂いてくれたのです。
感激しつつ、内心、「本当にそれでいいのかおまえ?」と思いながら、「ありがとう」と受け取って表紙をみると、

「おとうちゃんへ。どうぞみてください。とってもおもしろいよあははてわらうよ。」

と、覚えたての字で書かれていました。

たったその1文だけで、僕は撃沈、あははと笑ってしまいました。

中身はといえば、ディズニーのキャラクターとか、僕の好きなプラモデルの絵とかが乱舞していて、とても内容を説明できそうにないような、精神世界の研究者も真っ青のものでしたが、僕はそれがもう、可笑しくてたまらず、げらげら笑ってしまいました。

で、それを先のびっくりばこの件と照らし合わせてみると、ちょうど僕が、カウンセリングでも、もっとおもしろ可笑しく、楽しく、僕が取り組めれば、クライアントさんももっと元気になれるかもしれないなぁ。。。と考えていたときでした。

全部偶然かも知れません。
また、これも、あれこれ難しく考える僕の悪い癖の表れかもしれません。

でも、なんだか、娘にずっと見られている、見てくれているという感じがして、それもうれしいんです。

子供は僕たち夫婦にとって、本当にすばらしい「援助者」だと思えます。
しかもその援助の方法には、無用な技も恥じも衒いもありません。
すべてが正確でわかりやすいものです。

僕たち大人にも、そういった子供の時代があったはずです。
そして、素直に気持ちを表現することが、こんなにも難しくなってしまうなんて、あのころ、想像もしていなかったはずでした。

僕も、多分、これを読まれているあなたも、辛いことや苦しいこともありましたけど、あのころは、辛ければ泣くし、楽しければ、あははって笑っていたはずなんですよね。

僕は、僕の2人の娘が、それをいつも、僕に教えてくれているような気がしてならないんです。
「むずかしくしているのは、ほんとうはおとうちゃんだよね。」
娘たちの笑顔が、僕にいつもそうやって教えてくれているような、そんな気がしてならないんです。

どこかで技や恥を優先してしまって、本当の気持ちをうまく伝えれないとき。

それが、問題を大きくしてしまう原因なのかもしれません。

自分の気持ちをいかにわかりやすく相手に伝えるか。
どうせこだわるなら、技や恥ではなく、この部分にこだわってみたい。

最近の僕はそう思うわけです。

田村厚志

投稿者 csadmin : 09:59

2003年3月 7日

◇自分を隠すこと

 最近、浮気やセックスについてのご相談を頂くことが多いんです。
 悩んでいてもなかなか人に話しづらいというのと、自分でもなかなか客観的に
 今の状態が分からないから、思いきっていらっしゃって下さるんですね。
 (そのほとんどが女性ですね)
 
 結構ね、キレイな方が多いんですよ。
 旦那はなんで浮気するんだろう?とか、なんでセックスレスなんだろう?とか、
 客観的に思ってしまうくらいに。
 
 でも、皆さんに共通していることがあるとすると、どこかしら自分自身を
 否定して「女らしさ」「男らしさ」を隠してしまっているようなんですね。
 むしろ、心のどこかで「女」であることを嫌っていたりもします。
 浮気されたり、セックスレスになってしまったりすると自信がなくなって
 しまいますし、自分がセックス依存症だと思うと自己嫌悪も強くなって
 なおさら「女」の部分を隠そうとしてしまうみたいなんです。
 
 そんな女性とお話していると「鶏と卵とどっちが先か?」ではないのですが、
 果たして浮気されたから自信が無くなってしまったのか、自信が無くて
 自分を隠してしまったから浮気されてしまったのか、が分からなくなります。
 
 僕の感覚ではどうも後者のようですよ。
 
 ある女性は結婚してから徐々に化粧気も女らしい格好もしなくなってしまいました。
 別の女性はまるで自分を嫌いになるために色んな男性とベッドを共にしていました。
 またある女性は、女の部分を嫌悪するあまり男性に心も体も開くことが出来ない
 状態が続いていました。
 別の女性は性的ないたずらを受けた経験を、自分が悪い、とずっと思っていました。
 
 だから、今の状況は「どこかで、仕方ない。あたしが悪いんだもの」という
 思いがあって、それが何よりも苦しいみたいなんですね。
 中にはその思いが強すぎて「旦那が悪い」って思い込もうとされてる方も
 時々見うけられるんですけど。
 
 この問題に限らず、僕達は自信がない分、自分を隠してしまうみたいです。
 この「自分」というのは、自分らしさで、男ならば男らしさ、女ならば女らしさに
 繋がるものです。
 最近はそういうご相談が多いから、尚更その自分をオープンに魅力的になることを
 目標にしていただくようにしています。
 
 最初は勇気が要るんだけど、面談などを通じてちょっと経験したり、
 練習を積み重ねていくと、本来の自分に戻っていくことは意外と難しくありません。
 中には1ヶ月で近所の方から「キレイになったね〜」と評判になった方も少なく
 無いくらい、この部分での変化って大きいみたいです。
 
 もし、自分が隠してしまっているところ、人に見せちゃいけないと思っているところ、
 そんなところがあったとしたら、ちょっとずつオープンにしてみたらいかがでしょう?
 意外なほど短期間で自分の変化に気付けるかもしれませんよ。


 by 根本裕幸

投稿者 csadmin : 09:56

2003年3月 4日

●朝日は昇る

カウンセリングをしているとクライアントさんに
「原さんでも、悩みなんてあったんですか?」
と聞かれることがあります。しかもよく聞かれます。
「いっぱい、悩みましたよ」というとだいたいは驚かれます。
まぁ顔つきも、のほほ〜んとしてるからそうは思えないかもしれませんね。
自分で鏡を見てもそんな感じがするなと思います。

でも、人に歴史有りというか僕もいっぱい悩んだ時期があったんですね。
今回は、ちょっと僕自身、悩んでいた時期を振り返ってみたいと思います。
そして、悩んでいた一部をご紹介!

僕はカウンセラーになる前はコンピュータ関係の会社に勤めるサラリー
マンをしていました。
残業時間が月100時間程の月が連続で続くくらい働いていたこともあり
ました。今から思ってもサラリーマン時代はよく働いたなと思います。
(まぁ、今も似たようなもんですが(笑))

学生から社会人になって初めて会社にはいって3年くらいした頃、
徐々に仕事を覚えてきて、それなりに戦力としてみてもらえ始めて仕事が
忙しくなっていきました。
僕の中で仕事を覚えて会社の上司や先輩に1人前としてみてもらえるよう
になってくれば仕事に対しての充実感が得られるだろうと思っていたとこ
ろがあったのですが・・・
実際仕事を覚え始め戦力としても見てもらえはじめたはずなのに僕の予想
に反して充実感ではなく“仕事への疲れ”ばかりが得られるようになって
いきました。
やりたい仕事というよりも、やらなければならないことばかりが毎日増え
ていき義務と役割で仕事をしていくようになり、徐々に燃え尽きる感覚が
残っていくようになっていきました。

その頃、同時にある疑問が毎日毎日浮かぶようになっていきました。

「僕のしたい仕事って本当はなんだろう?」
「僕のほしいものは仕事で得られるんだろうか?」
「なんの為に生まれてきたんだろう?」
「誰に必要とされてるんだろう?」

この疑問はその後数年間悩む天職への悩みや、幸せについての悩みになっ
ていくのですが、その当時は
朝起きて→会社→帰ってご飯→寝る→朝起きて→会社・・・・・
の生活をしており疲れて考え抜く余裕もなく、悩みは宙ぶらりんのまま時
間だけが過ぎていきました。

入社して数年後、職場が変わる機会があり
朝起きて→会社→帰ってご飯→寝る→朝起きて→会社・・・・・
の生活からプライベートの時間が生まれるようになり、ほったらかしにして
いた
「僕のしたい仕事って本当はなんだろう?」
「僕のほしいものは仕事で得られるんだろうか?」
という疑問について考える時間が得られるようになっていきました。
しかし、その頃は義務と役割で仕事をしてたツケがたたってすっかり燃え尽き
ており、考えても考えて答えはでてこず、でてくる答えは
「なんかわからんけど、もうしんどい」
「なんかわからんけど、もう死んでしまいたい」
という感じだけだったんですね。

今、思えばあの当時は、疲れており心に答えを見つける力が無かったんですね。
今だったら、つかれきった心をケアーして余裕をもたせてあげて力をつけれる
ようになれるようにというのが必要だったんだとわかるんですが、あの当時は
わからなかったんですね。

疲れきっていた自分がいたのですが、同時に疲れてるというのを認めたくない
自分がいて「まだまだ、頑張れる」と自分にいい聞かせて踏ん張っていました。
でも、心のどっかで思ってたんですね、
“この疲れをなんとかしたい、楽になりたい”って。
今思えば自分に正直になって、疲れてるって認めてしまえばよかったなと思いま
す。(笑)

心のどっかで“この疲れをなんとかしたい、楽になりたい”と思っていた頃
友達から「僕今心理学勉強してるねん、面白いよ。」という誘いでであったのが
カウンセリング、セラピーとの出会いでした。

カウンセリング、セラピーとの出会って
自分自身カウンセリングやセラピーを受けていきいろいろな問題に取り組んで、
自分を癒すということをしていったんですね。
自分の心を見つめていき心のケアーを始めると、今までほったらかしにしていた
問題がいっぱいでてきました。
仕事、恋愛、両親の問題etc・・・こんなにもあったんかという感じでしたね。
(そりゃしんどくもなるわな・・・と思いました。)

カウンセリングやセラピーで心に余裕を取り戻していった僕は、自分がしたい仕事
や、自分の幸せについて感える力もつけていけることができました。
そしてでた答えが
「カウンセラーになる!」
という答えでした。自分が楽になっていた経験や、死んでしまいたいと思ってたこと
から抜けられたこと、幸せを感じれること、活き活きとした自分を感じれること、
友達との繋がりを感じられるようになっていったこと、パートナーのありがたさを感
じられるようになったこと、親への感謝、なによりも愛を感じられるようになってい
ったことこの体験を多くの人たちに伝えたいという想いが僕のカウンセラーになり
たいという思いのはじまりでした。

そこから、カウンセラーになる為に猛勉強でした。
7年間勤めた会社を辞めてプライベートな時間をとれる会社に転職して、
(まあそれでも、数十時間残業はしてましたけどね。)
会社が終わってからカウンセラー/セラピスト養成講座に通って勉強してボランティアの
カウンセリングをさせてもらえるようになっていきました。
朝起きて→会社→帰ってカウンセリング→ご飯→寝る→朝起きて→会社
の生活に変わっていきました。
忙しくて1日4、5時間の睡眠でしたけど自分の夢に向かって走っていたのでとても幸せ
でした。
「なんせ、カウンセラーになれるのなら死んでもいい」という訳のわからないことを言っ
いてましたから・・・死んだらカウンセラーになっても意味ないですよね。(笑)

まあ、それぐらい情熱を燃やしてたんですね。
これを聞いた友達に、「好きな女と一緒になれるなら死んでもいいといっしょやな」と笑
われていました。

そんな、こんなで転職して数年たった時今度はサラリーマンのお仕事よりも、
カウンセラーとしてのお仕事が忙しくなってきて1日30時間くらいないと時間がたらな
ないなと思うようなことが多々あり、もうサラリーマンを続けていくのは難しいなと思い
夢であったプロカウンセラー一本でやっていくことを決心して会社を辞めることになりま
した。
会社を辞めるときは辞める時はその時で問題が発生したんですが、「がんばれよ」と応援
してくれて送り出してくれた会社の方々には今でも感謝をしています。

そして今は、何年間も悩んできた自分のしたいことの答えを見つけてカウンセラーとして
働いています。
僕はこれが天職だと信じています。
カウンセリングというお仕事をしている昔、コンピュータ会社に入った頃に想像していた
充実感を感じます。それが例え忙しくても!
大好きな人と24時間デートしても疲れないような感じだなと思ったりもします。

僕は今、自分が悩んでいたことを振り返ってこう思います。
雨がずっと続くと感じる時もあるでしょう、でも必ず晴れの日がやってきます。
夜が永遠に続くと思う日もあるでしょう、でも必ず朝日が昇ります。
やまない雨がないように、明けない夜がないように
悩みは解決していけるとそう信じます。
どんなに困難でも癒しは起こるとそう信じます。
人生に光は必ずやってくるとそう信じます。
僕はそう思います。

原 裕輝

投稿者 csadmin : 09:55