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2003年2月25日

●心の窓

見えないもの、触れられないものを信じることが出来ない、と言う人がいます。
私自身、五感で感じられないものは果たして本当にあるのか?とずっと思っていました。
よく言われるのが霊魂の存在であったり、シックスセンスいわゆる第六感ですね。
何かぴん!と来る感じだとか、ふとした時に降りてくるインスピレーションであるとか、虫の知らせ、のような感覚を本当は感じていたのに気づいてなかったり、気づかなかったことにしたり。
少なくとも、私はそうでした。

「でもな、それやったら空気はなんであるとわかるん?見えへんし、臭いも無い。感じるわけでも味があるわけでもないやん。」…多分中学生の頃だったと思うんですが、これがずっと心に引っかかっていました。
まあ、もっとしっかり勉強していれば、「それはね、例えばこういう実験をしたらこんな反応があるじゃない、だから空気はあるとわかるのよ」とか酸素がどうの、窒素が水素が…と言う話も出来たのでしょうが、妙に納得してしまったわけです。それに何より私たちの身体に本当に酸素を取り入れて二酸化炭素を排出していることは簡単な実験でもわかることだし、体の中では常に色んな化学反応が起こっていることも事実ですよね。
私の「見えない(聞こえない、触れられない、におわない…)ものは存在し得ない」という概念をぶち壊すきっかけになった言葉でした。

私にとって、「見えないもの」のと言えば、まず「心」なんです。
人の心なんて、見えもしなければにおいも音も無く、手で実際に触れるのはかなわないことです。
でも、存在については否定できませんね。心は一体身体のどこにあるのか、なんていうことを考える子供だったので、大人になってからは脳と心のつながりを知りたくて、そういった本を探したり読んでみたこともあります。
本に書いてあることと言えば、主に脳のどの辺りにどんな働きがあり、どの部分がこんな感情をつかさどっている、だとか、脳内物質がどうだとかそういったことなんですね。
でも、結局は解剖してみたところでこの人の心の動きは生前どうだった、とか、この人の脳はこんなだからこんな人柄なのだ、なんていうことはきっとわからないでしょうね。
でも、心は間違いなくあります。だって、ほんとに小さな時代から、泣く、笑う、と言うようなことを何も脳で考えるまでもなくしてきたわけですから。

心は手や顔、胃や肝臓といった臓器のように実際に目に見えたり、働いている実感がある器官とは違いますが、口調、しぐさ、表情、と言ったところに「心は見ることができる」と思います。
直接顔を合わさないときでも電話の向こうの声のトーンであるとか、手紙やメールのちょっとした行間なんかに、「心」を感じることができますね。
そして、このごろ思うのは「目は口ほどに」本当に物を言うな、ということです。
もちろん、声が出るわけではありませんが。

人間だけではないんですね、目という器官のある生き物の全てがきっとそうなんでしょう。(とはいえ、ミミズの目はどれ?とか、そういう問題はありますが)
目は、位置的にも脳に一番近いところにあります。そして、私たちの情報の8割は視覚…目から入るものだともいいます。でも私たち自身の情報を発している、と考えたらまた違う見方ができそうですよね。

視覚に障害のある方は、視覚以外の感覚が発達していると言われます。
そう言った方にお会いすることがあるのですが、確かにすごく勘がよく、慣れた所なら本当にスタスタと歩いていくんですね。
そして、視力はなくてもどういうわけか「目が合う」方がおられます。
声のする方に顔を向けられるので、自然とそんな表情になるのでしょうが、目の表情を感じるんです。
まさに、「心の窓」ですね。

大好きな人の前に行った時、あなたの瞳はどんな表情をしているでしょう。
悲しいとき、嬉しいとき、怒っているとき。涙にもいろんな色があるように思えたりしませんか?
あなたの大切に思う人の「心の窓」を、ちょっとそんな目で見てみたら、また違った一面に出会えるのではないでしょうか。

中村ともみ

投稿者 csadmin : 01:27

2003年2月21日

◇言葉の大切さ

 カウンセリングの仕事をしていると、言葉って大切なんだなぁと改めて
 思うことが本当に多いんです。
 
 例えば、ちょっとした言葉の行き違いや言葉足らずから人間関係が気まずく
 なってしまったり、言おうとしたけど「ま、いっか」と思って言わなかった
 が為にそこから恋人関係や夫婦関係が悪化していったり・・・。
 
 特に日本人は言わなくても通じているだろうと思ってしまうことが多いよう
 ですね。
 でも、実は言葉にしなければ伝わらない事がたくさんあります。
 なんとなくは伝わっていても、言葉にすることでより良い関係になっていく
 ということは、間違いありません。
 
 例えば、「おはよう」「ありがとう」「ごめんなさい」「気をつけてね」
 「お帰りなさい」「お疲れ様」etc・・・。
 
 当たり前の言葉なんだけど、言うのと言わないのでは大違いです。
 言う方は何でもない言葉だとしても、言われた方はとってもうれしいです。
 
 もっと言うなら、言う際に気持ちをのせていうと、もっと相手に伝わります。
 日本では昔から<言霊>と言う言葉があるように、言葉を大切にしていたん
 ですね。
 現代の私達が忘れてしまっている言葉の大切さ。言葉を使うときのちょっとした
 気持ち。
 忘れてはいけないなと思いました。
 
 このちょこっとしたことが大きな違いを作り出していくような気がします。


 by 根本理加

投稿者 csadmin : 01:26

2003年2月18日

●見えない糸

先日、電話のカウンセリングを終えて一服しているときに、妻が部屋に飲み物を持って入ってきました。
そのとき彼女は「わー、何だか悲しい気持ちがする」と言い出しました。
その電話カウンセリングでは、ご家族の死に関する深い悲しみを伺っていたんですね。
僕自身もカウンセリングの途中から、そんな悲しい感情をひたひたと感じていました。
まるで電話線を通じて、感情が言葉と一緒に流れてくるような。
妻が部屋に入ってきたとき、その残像のようなものがカウンセリングルームに残っていたようです。

面談のカウンセリングをしていると、もっとストレートにお客様の気持ちが伝わってきます。
笑顔で話をしてくださっているのに、何だか悲しい気持ちがしてくるんです。
そのときにふと「何だかすごい悲しみを抱えていらっしゃいませんか?」とお聞きすると、笑顔がたちまち崩れて「わぁ」と泣き崩れられた方もいらっしゃいました。

何かのきっかけでお客様の孤独感がぱっと流れ出してくるときもあります。
あったかい部屋にいるはずなのに、急に寒気がしてきたり、何だかものすごく寂しい気持ちになったりするんです。

深い罪悪感を扱うシーンでは、カウンセリングルーム全体がどんよりと暗く、重たい空気に支配されたような感覚になることもあります。
「こんな苦しいところにいらっしゃるんだな。まるで牢獄みたいやな・・・」と僕は思うんです。
隣を見ると、妻がまた苦しそうな顔をしていたりします。
目の前のお客様も同じように苦しそうな表情をしています。
そして、徐々にその痛みが癒されていくにつれて、お客様や妻の表情も、僕の心も、部屋の空気も軽く明るいものになっていくんです。
壁の白さが際立って明るく見えたり、きらきらと光が舞っているような感じがするときだってあるんです。
ほんとに!

妻はもともと感情に敏感なタイプなのですが、かといって小さい頃から何かが見えたとか(笑)、そんなこともない普通の女の子です。
僕はもともと感情に鈍いタイプなので、感情よりも感覚的なものや直感に頼ることが多いんです。
だから、お互いずっとセラピーを受けてきたから、という部分はあれど、至ってその辺は普通だと思ってます。

僕らは夫婦でカウンセリングをさせていただいていますから、浮気やセックスレスなどの夫婦・カップルの問題を扱う機会がとても多いんですね。
そのときの僕は「今よりももっと魅力的になって、もう一度ご主人(奥様)を振り向かせましょうね」と提案するんです。
それを頑張ってやってくださった方から色々な報告を頂くんですけど、その中にはこんなお話をしてくださる方が実は多いんですね。
「あの・・・。とっても不思議なんですけどね。根本さんがおっしゃるように頑張ってみたんですね。そしたら、周りの人から『きれいになってね』って言われるんです。それはうれしいし、時々顔を合わせる人達ですから分かるんですけど、その後、別居中で全然会ってない主人から電話があって、それが今までに聞いたこと無いくらい優しい声なんです。私、思わず警戒して何かあるんじゃないかと思ってしまったくらいで・・・。どうしてなんでしょう?」と。

何が言いたいか、というと、そこから僕が学ぶのは、みんな気付いていない、意識しないだけで結構、そんな共鳴現象が起きているんじゃないか?ということです。


ちょっと想像してみてください。
会社や身の周りの知り合いでむっとした人を見かけたとします。
あなたはこう聞くんです。
「何を怒ってるの?」と。
でも、たいていその人は「別に」って答えます。
そこでさらに突っ込んで「いやいや、怒ってるんじゃないの?そんな感じするよ」って言うと、「別に。怒ってなんかいないよ」と答えます。
そんな問答を何度か繰り返したと思ってください。
あなたはどんな気持ちになるでしょう?
あなたの方がだんだんイライラしてきませんか?
これをその人の怒りがあなたに共鳴してると見ることもできます。

この逆に、その友達と一緒にいるといつも楽しい気分になる、とか、元気になる、ということもあろうかと思います。
そんな人はきっと皆の人気者でしょう。
だってその人に近づくと楽しくなるんですからね。
これもその人の楽しさや元気の良さがあなたの心に共鳴してるって見ることが出来ますね。

夫婦や家族の問題をお聞きしているときにはよくこの現象に遭遇します。
奥様がご主人の感情を引き受けて必要以上に苦しんでいらしたり、お母さんが家族みんなの苦しみを1人で抱え込んでいたり。
お母さんが抱えてくれている分だけ、他の家族は苦しみが少し緩和されていきます。
それは無意識的に見れば、その感情を引き受けてあげたい優しさや慈愛がすることなんですよね。
そうしてご主人や家族みんなを助けようとするんですね(これも無意識的に)。

これは子ども達もよくやってしまうことです。
お母さんがしんどい思いをしている、と思えば、そのお母さんを助けたい気持ちから、その痛みを吸い取ろうとします。
だいぶ以前の話になりますが、小さい娘さんが二人のいらっしゃるお母さんをカウンセリングしたんです。
お子さん達には隣の部屋でお絵かきをしたりして遊んでいてもらいました。
お母さんが心の痛みに触れて、涙を流し始めると、その子ども達がすぐに飛んできてお母さんを慰めようとします。
隣の部屋とは襖で仕切られていて、お母さんは声もあげずに泣いていらしたにも関わらず。
それはカウンセリングの間に何度も繰り返され、改めて子ども達の親を思う気持ちを感じると共に目に見えない糸のような存在を思い知らされたものです。

お子さんのいらっしゃる方は、子ども達がどんな風に自分達親を見て、そして、どんな思いを持っているのかを感じられる経験が少なからずあるかと思うんですね。
本当に愛情深く、自分達を助けようとしてくれています。
逆にいえば僕達も小さい頃は皆そうだったんですよね。

そういう色んな経験を通じて、人っていうのはホントに見えない糸のようなもので繋がっているんだなあ、と思うんです。
そうすると今あなたの隣でぱちぱちキーを叩いている同僚や、今日一緒にご飯を食べた家族や友人、電話の向こう側の恋人ともそんな見えない糸で繋がっているのでしょう。

もし、それが目に見えたのなら、もう少し皆優しい気持ちで人に接することができるようになるのかもしれませんし、孤独を感じて一人でうずくまったり、自分を傷つける必要もなくなるかもしれません。

もし今余裕があれば、皆さんもちょっと想像してみてください。
今あなたの心から見えない細い糸が出て、色んな人の心へと繋がっている様子を。
どんな気持ちがするでしょうか。
なんだか温かい気持ちになりませんか。

このコラムを読んでくださった皆さんと僕も見えない糸で繋がってしまってるかもしれません。
その糸を伝って、今の僕の安らかな気持ちがちょっとでも伝われば嬉しいです。


根本裕幸

投稿者 csadmin : 01:25

2003年2月11日

●存在

先日、妹と久しぶりに見たいなと思った映画があって見に行ってきました。

その映画は「黄泉がえり」です。
まだ公開中なのでストーリには詳しくは触れないでおこうと思います。

とってもいい映画でした。
生きていることの大切さ、大切な人を見送る人の心情、大切な人を置いて旅立つ人の心情がすごく伝わってきました。
とってもせつなくて、でも美しい話でした。

この映画を見て、病気で亡くなった父の最後をふと思い出しました。

私の父はガンで亡くなったのですが、亡くなる前の最後の1週間をホスピスで過ごしていたんです。
この時はガンが脳にまで転移していたようで、意識が混濁していました。
そして、うっすらと意識が戻るとすごく苦しい表情をするので
お医者さんと相談して、意識のレベルを落として眠っていられるようにしてもらっていたんです。
ですから容態がおかしくなってからの一週間は、意識が無い状態だったんですね。
当然意志の疎通はできないし、私達家族は、ただ眠っている父の傍に居続けることしかできませんでした。

「一見、意志の疎通が出来ていないように見える状態ですが、耳は聞こえているんですよ。話しかけてあげて下さいね。」と看護婦さんに教えてもらいました。

内心本当に聞こえているんだろうか?と当時の私は疑ってしまったんですが、でも、もし聞こえていたら・・・と思い、出来るだけ話しかけてみました。

父の傍で何にもしてあげることが出来ないので、家族で思い出話をしたりして過ごしました。
聞こえているのか、いないのか、もちろん父は何の反応も示しません。
それでも家族で思い出話なんかをして、笑いあったりしている時はまるで家族で団欒をしているかのような雰囲気でした。

亡くなる4・5日前だったでしょうか。
母と妹が用事で家に何時間か帰るので、私だけが傍についていてあげる時間がありました。

二人きりでいるなんて、何年ぶりだろう?と思いました。
外はもうすっかり日が暮れて、寒そうな風が吹いています。
そして病室の中はうっすらと枕元のライトの明かりで照らされていました。

私は一人で聞いていたウォークマンの片方のイヤホンを「お父さんも聴く?」と父の耳につけてあげました。
その時聴いていたのは、「Misty」というJazzの曲でした。
とっても美しいピアノの音色がゆっくりと私達の耳に流れてきます。
ここが病室であることを忘れてしまいそうな、ゆったりとした時間が流れていました。

何気なく父の手を見ると私の手の形とそっくりでびっくりしました。
今までそんなことに気付いたことがなかったんです。
(へぇー私の手はお父さん似だったんだ・・。)と感心しているうちにふと、父に触れたいと思いました。
誰も見ていないのにそんな考えが浮かんだだけで、何か恥ずかしい気持ちになりました。
でももうこんな機会はないかもしれないと思い、寝ている父の胸にそっと抱きついてみました。
とっても恥ずかしがり屋の親子だったので、大きくなってから父に触れたことなんてありませんでした。
何だか自分が小さい女の子になったような不思議な気分でした。
そして懐かしい気持ちがしました。

そして数日後、父は逝ってしまいました。

最後の一週間は意志の疎通もできなくて、ただ横たわっていた父でしたが、ただそこにいてくれているだけで良かったんです。
ただ存在してくれているそれだけで・・・。

そこに居てくれているのと、いなくなってしまったのでは本当に大違いでした。
ただそこに存在してくれていることの存在感。有難さ。
父が亡くなった後にそのことを思い知りました。

私達は普段多かれ少なかれ、自分が何かをしているから、例えば働いてお金を稼いだり社会に貢献しているから、家のことをきちんとしているから、誰かの面倒をみているから、誰かの期待に答えているから価値があるって考えがちですよね。

でも、父を亡くした時に私が知ったのは、ただ私達が私達として生きている存在しているというだけで、もうそれはすごく価値があることなんだと知りました。
何かの役に立っていなくても、何かが出来るからではなくても・・・。
存在しているだけで、既に誰かを幸せにしているんです。
私達が思っている以上に私達には価値があるんですね。

それを本当に感じられるようになったとしたら、もっと楽にもっと幸せになれるような気がします。
カウンセリングをしていると、自分になんて価値がないと感じてらっしゃる方にたくさん出会います。
でも本当はそうではないんですね。
自分の本当の価値に気付いていって欲しいなといつも願っています。


根本理加

投稿者 csadmin : 01:24

2003年2月 7日

◇ワンちゃんに学ぶ貢献

 先日、『盲導犬についてもっと知ろう』という公演を見させてもらう機会が
 あり見てまいりました。
 盲導犬を育てるまでのビデオを見させていただいたり、盲導犬の飼い主の
 お話しを聞かせてもらったりしました。
 その公演の中に盲導犬と飼い主が一緒に歩いてる様子を見せてくれるコー
 ナーがあったんですね。
 
 飼い主と一緒に歩く盲導犬は、ずっと尻尾を大きく横に振りながら歩いて
 いました。
 僕はそれを見て、あのワンちゃんは飼い主の役にたててるのが嬉しいんだ
 ろうなと思いました。
 
 誰かの役に立ちたい
 誰でも1回くらいは思ったことがあるんじゃないでしょうか?
 たとえ、実際に実行できた、実行していないは別にしても。
 
 何か機会あって、なにかに貢献したり、誰かの為に役に立つということが
 できた時、あのワンちゃんが尻尾を大きく横に振って喜んでいたように、
 僕たちも満足感や充実感や、喜びというものが得られるんじゃないかなと
 “ふ”と思いました。
 

 嫌々仕事をしているのではなく、喜んでお仕事をしているワンちゃんの 
 姿はすばらしいと思いました。

 僕も、このカウンセリングサービス情報便の原稿を書く時、締め切りに追
 われて焦りながら書くのではなく、読んでくださる方のお役に少しでもた
 てることができればということに原稿を書く喜びを感じながら原稿を仕上
 げようと思いました。
 
 ホント、ワンちゃんに頭が下がります。(笑)


 by 原裕輝

投稿者 csadmin : 01:23

2003年2月 4日

●絆

先日私たち夫婦は、19回目の結婚記念日を迎えました。
出逢ってから22年、結婚して19年。
あーっという間に過ぎてきたような、とても長かったような。。
20歳だった彼が39歳に、18歳だった私が37歳になります。
いつものようにお酒を呑みながら、大好きなカレー味せんべいをほうばる主人を横目に
"長い付き合いだよな〜" としみじみ感じました。

初めて彼と出会ったのは、私が15歳で主人が17歳でした。
あの頃の私はとっても意地悪で、主人を困らせてばかりの付き合いでした。
足が痛いと言っては異人館デートを途中で引き返したり、友達の誘いを優先させて
は、約束をキャンセルしたり。。
恥ずかしながら、"こんな私をいつまで好きでいてくれるの〜〜〜〜"というテストのオンパレードでした。
そして見事に耐え忍んだ彼は(笑)、私のテストに合格しました。(なんてえらそうな。。。)

それからの19年間、本当にいろんなことがありました。
依存しては傷ついて、もう頼らな〜〜いと悲しくなったり、、甘えられては重たくなって、
あんたのお母さんじゃな〜〜〜いと拒絶したり。
主人のリベンジのテスト攻撃に耐え切れず、大嫌いになりかけたり。。
そんなこんなを乗り越えながら、そして何度も何度もお互いを選び続けながら、19年という月日が流れました。

18歳という若さで子供を身ごもり、本当に私に育てられるのかと葛藤しているときに、
「子供と一緒に、1歳ずつ、一緒にオレらも成長していけばいいねん」とさりげなく勇気づけてくれた言葉を、今でも私の心の中で、しっかりと生きています。
阪神大震災のときに、とっさに私のことを守ろうと覆いかぶさってくれていた彼。
(私は子供の部屋に行きたくてもがいていたのですが・・)
19年という年月が流れて、今、私の中には主人に対するたくさんの感謝があります。

父親が亡くなって悲しみのどん底にいた時、初めての出産で怖くて怖くてたまらなかった時、北海道の満天の星空に大感激した時、私の中の激動の体験にいつも彼はただ横にいてくれました。
とても不器用だったけど、決して当たり前のことではないのですよね。

私の人生は彼なしでは語れないし、彼の人生は私なしでは語れません。
いろんな痛みにぶち当たりながらも、それでもお互いを選び続けたときに、絆が生まれるものだということを、今体感しています。

「カレーせんべい、床にこぼしすぎ〜!!」

19年間同じことを叫びながら、20年目のスタートです。
たかが20年、されど20年です。
これからもいろんな感情のやり取りをしながらも、感謝の気持ちは持ち続けていきたいと心から思います。
19年前と変わらない横顔に、いとおしさを感じながら。。。

山本真規子

投稿者 csadmin : 01:22