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2002年9月27日

◇人の価値は何で決まるのか?

 あなたは自分にどんな価値、長所、いいところがありますか?
 
 何も見つからないという方。
 あることはあるんだろうけどもっとすばらしい人がいる、と思う方。
 いいところはあるけど、何の役にも立ってないな・・・という方。
 
 先のような質問を急に投げかけられてすらすらと答えられる方って少ないものです。
 当然のように僕達には自己嫌悪があって、遠慮や恥ずかしさもあるでしょう。
 人に対しては謙虚にしなきゃ、とも思うかもしれません。
 でも、自分自身に対してだけでも『ほんまはこんな価値が俺にはあんねん』て思って
 おきたいものですね。もちろん、それが表現できたら満点だけど。
 
 自己嫌悪がとっても強い方。
 それは僕に言わせれば未開発の金鉱脈のような方です。
 僕達には心の痛みが作り出すエゴという部分があります。
 それは自分を幸せにしないように、自分を嫌うように差し向けてくる輩ですし、
 自分を依存の塊、欲求の塊のように感じさせるものです。
 
 だから、エゴはあなたに価値があったら困るんです。
 幸せになっちゃうから。
 だから、あなたの心に価値がある分だけ、何層も何層も自己嫌悪という土をかぶせて
 隠してしまいます。
 だから、あなたの自己嫌悪が強い分だけ、価値があるといえるわけです。
 
 根「あなたはとても誠実で、信頼できる方ですね」
 ク「でも、それが何の役に立つというんです?会社は結果しか見てくれないんですよ」
 その方は「仕事の結果」が自分の価値を決めると感じてらっしゃるようです。
 
 根「素直だし、一生懸命だし、勇気もある。あなたにはそんな価値がありますよ」
 「でも、誰も愛してくれないじゃないですか!」
 この方は「愛されること」が自分の価値を決めてるみたいです。
 
 根「あなたはとても情熱的ですから、あなたに愛される彼は幸せものですね」
 ク「でもね、彼に何でも欲しい欲しいって求めてしまって重たくなるんです」
 この方の場合は、価値を上手に使えていないのかもしれません。
 そして、自分が満たされることを基準にしているのかもしれませんね。
 
                    ※ク=クライアントさん、根=根本
 
 どの方にもそれぞれ事情があって、自分の価値を素直に受け入れることが出来なく
 なってしまっているようです。
 
 でも、そこで気づいてみませんか?
 自分が何を評価の基準にしているのか?を。
 その評価・尺度によって、自分の価値や才能が受け入れられたり、大したことが
 無いように思ってしまったりするものです。
 
 その評価基準を変えてみる。
 これもあなたが自分の価値に気付いて楽になる一つの方法かもしれません。

by 根本裕幸

投稿者 csadmin : 11:06

2002年9月24日

●人の幸

ふと、目の前を走るトラックに目をやると、”海の幸、山の幸”の文字。
何を運んでいるのか、どこの会社なのかもわからない、ただそれだけが書かれたトラックでした。
変なの〜と思いながらも、そこから思わず連想してしまったサンマ・・・
朝食を食べていなかった私は、不覚にも空腹感を感じてしまいました。
さぁ、大変です。
時間がなく、急いでいたので、コンビニに立ち寄っているヒマはありません。持っていた水でなんとか、しのぐことにしました。
しばらくして、淀川を渡る橋にさしかかります。
橋の上からは、川下の方にはビル群が、川上の方には遠く京都方面への山が見えます。
目の前に現れる自然に運転中、和まされる場所。大きな水鳥が飛んでいたりすると、ついつい見つめてしまいます。危ない、危ない。

サンマは、海がもたらしてくれる恵み”海の幸”か・・・
おいしい=幸せ、だから、海の”幸”なんだろうな・・・
もしかしたら、満足できる、満たされる、で”幸せ”なのかな・・・
昔は、あまり食べ物がなかったから、食べられること自体が”幸せ”だったのかも・・・

淀川を越えても、トラックの文字に捉われている頭を、そのまま放っておくことにしました。
なにか、意識的に考えたりすると、お腹が空いていることを思い出してしまうからです。

私は、最近、幸せです。
というより、ずっと以前から幸せだったことを認識できるようになったというか、今までの積み重ねが、そう感じられるようになったというか、とにかく、幸せです。
お腹は空いたままで、時間がないのには変わりはありませんでしたが、やっぱりその時も幸せでした。
理由は、お腹に赤ちゃんを身ごもったからです。
イライラし、吐き気もしますが、なぜか幸せでした。

妊娠すると、情緒不安定になる方が結構いると聞きます。
なるほど、確かに”あまのじゃく”が激しさを増したように感じます。
でも、でもなんです。
やっぱり、基本的には幸せなんですね、不思議なんですが。
そして、その幸せは、さらに大きくなることに、心のどこかで不安を感じながらも、本能的に・・・

人を幸せにする、様々なおいしいものや景色。
栗にも、サンマにも、きのこにも、目がありませんが、いやいや”人の幸”には勝るまい・・・
と、私は勝手に思うのです。
「おめでとう!」と言われる度に、喜びと不安が同時にこみ上げ、いつもと変わらないダンナの顔を見ては、一緒にいることに震えるほどの幸せと、ムカムカが同時にこみ上げる。
客観的に見ると、ただのわがまま妊婦ですが、そんな自分になっていることすら、なんだかうれしい。

正直、”幸せ”を定義することは難しい、と感じていました。だって、たくさんの、そして人それぞれの幸せがあるから。
だから、曖昧なまま”幸せ”と表現し、その人にとっての幸せに耳を傾けてきました。
でも、なんだか得体の知れない、泣いても笑っても消える事のないこの”幸せ”の存在を、黙ってはいられません。

理解しあえたり、心から相手のことを思えたり、人との関係で感じる事のできる”幸せ”は、こうして終わることなくくり返されて、大きくなり続ける。
そうだったら、いいな・・・と、どんどん大きくなっていく”人の幸”。
大切に育てていきたいと思います。

源河 はるみ

投稿者 csadmin : 11:06

2002年9月17日

●欲しいものを手に入れるには?

ちょっと時期ハズレの話題ですが、僕の田舎(静岡県浜北市)には遠州大念仏と言って、初盆を迎えた家庭を回って、念仏を唱え、笛や太鼓に合わせて踊りながら、死者の霊を慰める伝統行事があります。子ども心に楽しくて、かっこよくて、遠くからでもこの太鼓やドラの音が聞こえてくると家を飛び出して見に行っていたものですが、大阪に住んでいるがゆえに、なかなか見に行くこともできず、毎年お盆の時期になるたびに懐かしい思いを抱いてました。

今年の夏も終わりの頃に「生で見られなくともビデオならばあるんじゃないか?」と突然思い立って、その捜索を始めたんです。懐かしさも手伝い、絶対欲しい!という気持ちになって、連日インターネットをさぐり、知り合いにメールを送っていました。
僕は欲しい!!と思うと短期間で是が非でも手に入れようとするタイプ(これもなんだかパターンなのですが)なので、この場合も必死にあちこち手を尽くしたつもりでした。

「伝統行事で無形文化財にもなってるくらいだからNHKで紹介してるかもしれない」と思って当たってみたり、「日本の伝統行事」なるビデオライブラリがあるんじゃないかと思い検索エンジンを走らせて見たり、また、地元に詳しい友達に連絡してアテを聞いてみたり、法事で実家に帰った際に「地元の文化財なんだから、きっと何かあるだろう」と市の図書館で訪ねてみたり。
でも、not found。

お祭りならまだしも、霊を慰める行事だし、取材というのも難しいか・・・と思いつつ、でも、諦めきれないので、遠州大念仏を紹介するホームページを友達から聞いて何かの情報は無いか尋ねて見ることにしました。
そしたら、見つかったんです。ホームビデオものが!!
しかも、親切なことにダビングして送ってくださると・・・。
感動しました。
めっちゃうれしかったです。
ホームビデオな分、リアルで至近距離で撮影されていますから、ほんとに久々に昔の感動を思い出しました。
ありがとうございました。

これはほんの小さなことなのかもしれないけれど、僕にとっては久々の感動でした。
こんな風に僕は「欲しい!!」と思えば、ほんとに労力を惜しまず、恥を省みずに手に入れようとするところがあります。
もちろん、誰かから奪ったり、誰かを困らせてでも、なんてことはしていないつもりです。それでは喜びは半減どころか、一片も手に入れられないと思いますしね。

以前、僕の尊敬する方の講演があって「扉はいつでも開けておきますから、興味のある人は僕に連絡ください」とおっしゃっていたので、社交辞令?などと感じつつも、知り合いになりたいし、色々な話を聞きたいからと思い切って連絡してみたんです。
そしたら、大変喜んで下さって、一緒に食事をする機会を得ることも出来ました。
いまだにその時のお話のインパクトや成功者の持つオーラのようなものは僕の心の中で強い影響力をもっています。

敢えて先ほど「恥」と書いたのですが、例えば今回の例でも知らない方にいきなり「もし手元にあれば譲って欲しい」というメールを送ったり、図書館の方に聞いたりするのは少々勇気の要ることでした。恥ずかしいしね。
でも、結果的にそれで情報が手に入り、現物を手に入れられたわけですから、恥ずかしい思いよりも、手に入れたい気持ちの方が上回っていたのでしょう。

講演会の出来事にしても、折角そうおっしゃってくれるのなら、一度直接お話を聞いてみたい!という気持ちが、断られたり、恥ずかしい気持ちを越えていたんだと思います。
電話をかける前はどきどきものでしたが、後は案外すらすらと要件を伝えていました。

CDショップの店頭で音楽を口ずさんで店員に教えてもらった事(これは定番ですね〜)もありますし、僕の師匠の言う「絶対お勧め」の本を探し回って絶版になっていることを知り、図書館で見つけて数百ページのコピーを取ったこともあります。

もちろん、欲しいもの全てを手に入れられたわけではなく、むしろ失敗談の方が多いかもしれません。
女性に振られたことも数多くありますし、仕事に関してはほんと手に入れられないことの方が多いのかもしれません。

失敗したときは、納得感があるケースと後悔が残るケースに別れますね。
ある程度手を尽くした場合は「やるだけのことはやったし」と案外さばさばしています。
しかもその過程で色んなことが勉強できますので、必ず無駄になることはないな、と思うんです。
例えば、必死に営業資料を作って提案しても、受諾できないケースも多くあります。でも、そのとき手元には資料も残れば、こちらが一生懸命やった分だけ、新しい人間関係が築かれているものですね。そうするとその資料から案外いいアイデアが浮かんだり、新しく知り合った方から別の仕事を紹介してもらったり、失敗なのか成功なのかが分からなくなるときだってあります。

でも、どこか腰が引け気味だったり、恐れや恥の方が勝ってしまった場合は、後悔しか残らないもの。資料を読み返す気にすらなれなかったり、「あ、こんな方法もあったのに」と思ってしまったり、自分のふがいなさを責めてしまったり。
好きな人に恥ずかしくて声をかけられなかったときには結構後を引きずりましたね。


そんな風に欲しいものを手に入れたり、手に入れられなくとも納得感が残るコツというのは、まずは欲しい!という情熱とちょっとした勇気ではないかと思っています。
恥ずかしさや恐れよりも、手に入れたい情熱が上回れば、多くの場合、自分にとってより良い結果がやってくるものです。
その情熱が、恐れを乗り越えさせる勇気を与えてくれるのかもしれません。

そして、欲しいものを欲しいと言ってみることも大切でしょう。
実は今回、友達からホームページの存在を教えてもらったんです。
自分でもいつかは気付けたかもしれないけれど、友達に聞いた分、時期は確実に早まりましたね。

最後に、諦めないこと。
これは前回の「ま、いいか、が招くもの」にも通じるお話ですが、無理だ、出来ない、と思って手を止めてしまえば、欲しいものを手にすることはとても難しくなってしまうと思います。
僕がよくカウンセリングの場で「諦めないで下さいね」という表現を使うのは、諦めさえしなければ、手に入るものもたくさんあるからです。

欲しいものは必ず手に入ります。
(そういえば、うちの奥様もこの思いの熱心な信者です(笑))

自分にとってより良い未来を作るために、欲しいものを欲しい!と言い、後はちょっとした勇気を持つことを自分に許してあげてください。
きっと素敵なものがたくさん手に入ると思います。

根本裕幸

投稿者 csadmin : 11:05

2002年9月13日

◇アボカド

 たま〜に、サラダなんかに紛れ込んでいるものを、
 口にしたことはあったんですが、食べず嫌いが長持ちし、
 私は今日、アボカドを始めて、そのまま食べました。
 「だから、なんなんだ・・・」という声が聞こえてきそうですが、
 あまりにもその食べ物に対する見方が、180度見事にひっくり返ったので、
 ここに書いている次第です。

 こんなにマズイもの、そりゃサラダにでもしなきゃ、
 食べらんないわ・・・と一口目は思いました。
 でもまぁ、なんと、醤油をかけて食べた二口目は、
 「うまい!!」のひとこと。
 我ながら、自分の反応に気まずさを感じながらも、
 お醤油がスゴイのか、それともアボカドが実はおいしいのか、
 考えずにはいられませんでした。

 感情は、たとえば悲しくなって泣いたとしても、
 それだけでは、ただの生理機能にも見えてしまう・・・
 喜怒哀楽というのは、感情の波というのは、
 そこに一定した、その人の人生を通しての”なにか”があるから、
 色合いとして、花として、心の景色として、
 私たちに生きてるっていう実感をもたらしてくれるのかもしれない、
 ふと、そんなことを思ったのでした。

 だって泣いても笑っても、怒っても、
 それは長続きせず、気がつけば気分は変わるもの。
 それでも、自分が自分でいられるのは、
 マズイながらも、見ようによっては、
 うまくもなるのが人間だからなのかもしれないし、
 マズイからこそ、なんとかしようとすること自体が、
 楽しいのかもしれません。
 そんな、あまり自分では認めたくないようなところに、
 その”なにか”があるような気がして、
 さて、これがなんなのかが解かれば、こんなコラムも
 書いてはいないんですが・・・(笑)
 
 なんなんでしょうね。これから見つけていきたいと思います。


 by 源河はるみ

投稿者 csadmin : 11:04

2002年9月10日

●親の愛情

もう知って頂いている方もたくさんいらっしゃると思いますが、7月16日我が家にわん子がやってきました。
私は犬・猫を飼った経験がなく、うさぎをかつて飼っていただけでした。

「犬と暮らす生活」というのは昔から憧れていました。
「犬」と聞くと、道端で散歩している愛らしい姿や、車の助手席にちょこんと座ってドライブのお供をしている姿や、果てはアニメの名犬ラッシーやフランダースの犬まで想像して、犬ってなんて飼い主に忠実でおりこうなんだろう・・と感心していました。
犬を飼おう!と決めた時、私も犬とお互い堅い絆で結ばれたステキな関係を築きたい!と思い、私の横にいつも忠実な犬がちょこんとくっついている姿や、おりこうそうなつぶらな瞳で私を見上げる姿を想像して胸を膨らませていました。

ものすごく気合いが入っていた私は、連日インターネットや犬の育て方なる本を買ってきては、ふんふん、そっかーと感心しながら勉強に励んでいました。
まだどの子を飼うかもわからないうちから、頭の中で犬と接している自分をシミュレーションするあり様です・・。
何度も何度も本を読んで、頭の中に躾の仕方がインプットされました。
「よし、この通りすれば完璧。」と思っていました。

私と夫の生活スタイルを考え、我が家にピッタリな性質だろうなと思われたパピヨンを飼うことに決めました。

手続きも済ませ、あとは我が家にやってくる日を待っている間に、飼育に必要なサークルや餌、餌や水の器、トイレシート、おもちゃ等一つ一つを揃えるのも、一生懸命名前を考えるのも、またとても楽しいものでした。

待ちに待ったわん子がブリーダーさんの家からやって来る日、前日までにもう既に全ての物をセッティングし終えていた私は朝からそわそわ待っていました。
運悪く台風がやってきている日と重なり一時は延期か!?とドキドキしていましたが、無事到着しました。

箱からわん子が取り出され、初めて対面した時のかわいさといったら・・。
うちにやって来た「ショコラ」は、もの珍しそうにトコトコと少しよろけながら部屋の中を探索し始めました。
「か、かわいい〜」と見ていると、うちの自慢の和室に歩いていって、そして・・・「ジャ〜」。
さっそくおしっこを粗相しました。

それからが子犬との奮闘の日々の幕開けでした。

私の頭の中には既にトイレの躾の仕方がインプットされていました。『子犬が粗相をしても叱らないように。叱ると排泄行為自体が悪いと考えるようになるので、隠れて排泄をするようになってしまいます。』
「そう、叱っちゃダメダメ。」と始めは黙々とその処理をしていました。
でも余りにもあちこちで粗相はするは、サークルの中にいてもトイレ以外の場所でおしっこもうんちもして、体中が汚れたり、ちょっと留守をするとサークルの外にうんちが飛び散っていたり、いい加減我慢の限界です。
何度も何度も教えても、私なりに工夫をしても全然わかってくれません。
「何で??飼育書にはあんなに簡単にできるようになるって書いてあるのに〜!!」
「私の教え方が悪いのかな?」「この子がバカなんだろうか?」「どうしてできないんだろう??」
こんな考えがぐるぐる常に頭をまわります。
おまけに夜鳴きで寝かしてもくれないし、始めの一週間は夫婦共々くたくたでした。

こんなに子犬の躾が大変だなんて、本当に想像もしていませんでした。

かわいい姿を見ていると、ついつい甘やかしてしまいそうになる気持ちを押さえて
「ダメ!この子の将来の事を考えると今が大事な時期なんだから、しっかり躾しなくっちゃ」と思う時もあれば、「でもそう言っても新しい家に来たばかりで、この子はまだ不安で一杯だろうし、何を言ってもまだ赤ちゃんなんだし・・。」という思いもでてきます。どこまで躾をして、どこまで可愛がってあげたらいいのか?この境目が難しい・・・。
どうしていいかわからなくなると、インターネットの子犬育てのコーナーを見ながら、「こういう風にすればいいのか」と感心したり、この方法はやってみたけどショコラにはうまくいかないなぁと悩んでみたり。
躾の方法はわかっていても実際にうまくいかないと、自分に自信をなくしてしまったり、試行錯誤の連続でした。

犬でこれだけ大変なのですから、人間の赤ちゃんだったらどれだけ大変なことか・・・。と感じました。

よく子育ての真っ最中のお母さん方が育児書と睨めっこをして、ああでもない、こうでもない。と悩まれている気持ちが本当に良くわかりました。
育児ノイローゼになる気持ちも、大人が本気になって小さい子に腹が立つ気持ちもわかるような気がしました。
皆こうやって悩みながら、手探りで一生懸命「育てる」ということをしているんだな。
そうか、私の母もこうやって色々悩みながら私を一生懸命育ててくれたんだな・・・。と身に染みました。
と、同時に悪いことばかりして怒り狂っていた私も、すやすやと寝息を立てて可愛い顔をして眠る姿を見ている時は、本当にいとおしい気持ちが込み上げてきたり。
手がかかって大変な反面、ただ無邪気に一生懸命生きている姿を見る度に、大人に無上の喜びを与えてくれる小さな存在に、すごく癒され救われる自分がいます。
そういえば、母も「怒った後にすやすや眠る姿をみたら、ちょっと怒りすぎたかなってよく反省したものよ。」と言っていたな・・・。

私達に自立心が芽生え初めて思春期を通って大人になり始める頃、親に対して文句が一杯でてきます。「私のことなんて、ちっともわかってくれてない!」「親なんだからこうするべきよ!」「もっとこうして欲しい、ああして欲しい!」etc・・・。
確かに子供には子供の言い分があります。そして、親も人間なので完璧ではありません。出来ないことも間違っていることもあります。
でも親なりに一生懸命努力してくれたこと、私達の知らないところで悩みながら精一杯与えてくれた愛情が確かにあると思います。

コインロッカーベイビーの話をご存知でしょうか?
昔外国で、ものすごく残酷な実験がなされたことがありました。生まれた赤ん坊をコインロッカーに入れて、ミルクなど必要な物は与えるのですが、スキンシップなどを与えずにどこまで育つか?という実験がなされました。物理的にはちゃんと生きていけるはずなのですが、やはりスキンシップや愛情というものを与えられない赤ちゃんは、10歳までほとんど生きられなかったそうです。
ということは、現在生きている私達には確かに「愛」があったということになります。私達が望んだ与えられ方ではなかったかもしれません。でも「愛」は確かにあったのです。
私達に後輩ができたり、部下ができたり、親になった時、親の愛情を実感できるようになるのかもしれませんね。

根本理加

投稿者 csadmin : 11:03

2002年9月 3日

●しがみついているものの正体

先日、長年私を苦しめていた "おやしらず" とさよならをしました。
"もう抜きますからね!" という歯医者さんのキラリと光る瞳に負けて、渋々 "はい。。。" 
麻酔を打たれて、恐い恐い・・・ なにやら妖しい音がぐいぐいぎぃー恐い恐い・・ あごがはずれる ギャーーーーーっと思った瞬間、 "終わりましたよ。" という先生のやさしい声。。

えっ  あ、そう。。。

かれこれ10年近く、小さな痛みと戦ってきて、何度も抜こうかなあ〜抜かなきゃなぁ〜と思いながらも、恐くてやっぱまた今度〜という風に先延ばしにしていた長い長い戦争が、たった3分で幕を閉じたというわけです。

終わってみたら確かに痛かったけど、そんなに耐えられないほどのものでもなく、ただただこの "歯を抜かれる〜〜きっと痛い〜〜 すごく痛い〜" という怖れが大きすぎて、その先にある 

・抜いちゃえば、虫歯の痛みに苦しめられることがなくなる 
・歯を気にすることなく何でも食べれる

というメリットに、価値を見ていませんでした。(怖れが強すぎて・・・)

私たちって、いろんな場面で同じような事をやっていませんか?

やったほうがいいってわかってるのに、、恐くてできないことってたくさんあります。きっとやったほうが、今よりもずーっとしあわせになれるし、ずーっと自分が成長出来るはずだってわかっているのに、いろいろないいわけを使って、ただただ
怖れを感じすぎて、怖れを怖れているようなこと。

例えば彼に、ご主人に、かわいく甘えたら、きっともっと仲良くなれるのに、10%でも「どしたん?熱でもあんの??」と言われるかもしれないと思うと、絶対イヤ〜〜とか。。。
90%は、よしよしがもらえるのに、傷つくことの怖れ(傷つかないこと)のほうが、もっとしあわせになることよりも、大切になってしまってはいませんか?

歯を抜くのと同じように、痛みって長くは続かないんですよね。
そして痛みは必ず通り過ぎます。
それよりも、この痛みを乗り越えさえすれば、今まで周期的に襲ってくる憂鬱な痛みと、さよなら出来るはずなのに、痛みを感じることの怖れにしがみついちゃって、先延ばし先延ばし・・・・・(超恐がりの私は、何度もこの罠にひっかかりま
す。。)

歩き始めの赤ちゃんが、何度転んでも、何度も起き上がってママのもとに走ってくる、あのけなげさや、あの純粋に好き〜〜っていう思いって、まったく怖れなどなく、愛されていること、受け入れてくれることを、心から信頼している姿ですよね。

今、みなさんは何にしがみついていますか?

今彼がいない人は、チェックしてみて下さい。
ハートブレイクが100あったとして、前彼(前彼女)に感じたハートブレイクは直感で何パーセントですか?
もし、70%だとしたら、どんなに素敵な男性がいたとしても、30%分しかあなたのハートは開きません。
そして30%分しか、自分のしあわせを受け取れないということです。
そして70%分は、傷つくことの怖れや、男(女)に対する怒りのほうにしがみついています。
(無意識的にですけどね)

痛みを感じることへの怖れを乗り越えて、楽しさや、楽さや、しあわせをシンプルに選んでいきたいなぁ〜〜っと実感させられた、恐怖の抜歯体験でした (笑)

山本 真規子

投稿者 csadmin : 11:02