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2002年3月29日

◇「今を生きる」ということ

 春になると色んなものが芽を出し、大地のエネルギーがぐーんと高くなって
 いきます。それが人間にも波及して「新しいことを始めたい」気持ちに
 させてくれるのも春のパワーですね。
 (その一方で、ひどく抑うつ的な気分になる人が多いのも特徴です。
  このエネルギーに乗りきれないと周りの元気と比べて自分のしんどさが
  目立ってしまうのかもしれません。実は僕も数年前までそうでした)

 新しい門出を迎える人も多くいらっしゃるのかもしれませんね。

 皆さんはどんな気分で「今」を送ってらっしゃるのでしょうか。
 
 大人になるにつれて「今」を感じることを忘れてしまいがちかもしれません。
 夜、仲間とわいわい飲んでいるときに「お、もうこんな時間だ。明日会社が
 あるからもう帰らな」なんて思ったりします。
 
 これは大人としての分別の一つのように言われることもありますが、
 敢えて穿ってみれば「今を楽しんでる」とは言いがたいですね。
 「明日会社だあ」と思うとき、もう心は明日の仕事のことをイメージ
 しています。そのために今の楽しみがひゅ〜んと沈んでしまうかも
 知れません。
 
 他にも学生時代であれば「明日、テストだぁ・・・」とブルーになる日も
 多かったかもしれませんね。
 
 「彼に愛想つかされるかも・・・」と不安になってるとき。
 あなたは彼に愛想つかされたそのときの感情をもう今感じていると言える
 のかもしれません。
 
 もちろん、その逆もありますね。
 「バリへ行こう!」と旅行代理店からバリのパンフレットを持ちかえった
 その日から、あなたの心はもうバリに飛んでいることでしょう。
 「どこに泊まって、どこでマッサージ受けて、どこのレストランに行って、
 買い物して、泳いで・・・」もう既にお土産リストの作成に着手してしまう
 かもしれません。これならば「今」も楽しめます。
 
 当り前のことかもしれませんが、僕たちは「今」にしか生きられませんね。
 でも、意識は過去を向いていたり、遠い未来を向いていたりします。
 過去に執着し、未来に不安や恐れを感じ、それを「今」と感じてしまうのかも
 知れません。痛みがあればそれも仕方ないとはいえ、これではちょっと
 しんどいかなあって思うんです。
 
 僕たちは過去から学ぶことができます。
 そして、未来を創造することができます。
 というか、それ以外に過去も未来も使いようが無いのかもしれません。
 
 ま、これは理屈です。これを実践できる人、している人は稀でしょう。
 でも、こんな生き方が出来たら、楽に肩の力を抜いて生きられるんじゃ
 ないかなあって思います。
 
 「今をどう生きようか?」
 皆さんならどうされるでしょうか。

by 根本裕幸

投稿者 csadmin : 10:01

2002年3月26日

●自分を責めるよりも大切なことは・・・

心理学やカウンセリング用語にはなかなか難しい言葉も多いのですが、一方では心に染みるような、また、身が引き締まるような『格言』みたいなものも多くあります。フロイトが哲学者の系譜にも登場するように心理学も一部の流れは哲学に属するので、なお更、そんな言葉は多いのかもしれません。

さてさて、昔の僕の話。
罪悪感のレクチャーを持たせていただいたのも、僕は自分では全然意識しないところでこの罪悪感をいっぱい持っていたからです。まあ何かあると全部自分が悪いと思っていたんですね。彼女とケンカするのも、仕事がうまくいかないのも、自転車が壊れるのも、友達が待ち合わせに遅れるのも、コンパがイケてないのも、ぜーんぶ僕が悪いって思っていました。もちろん、何かミスをしたり、人様に迷惑をかけようものなら打ち首獄門の刑に処さんばかりの勢いで自分を責めていたんです。だから、ミスをしないようにしないように繊細に繊細に気を使って物事を考え、進めていました。もちろん、そんな自分を責めてるなんてことはあまり意識したことはなかったんです。気付いたとしても、当然の罰と思っていました。

ところが、自分がカウンセリングやセラピーを受け始めることになって、色んな言葉が耳に入ってきました。その中には何度聞いても理解できない言葉もありました。今までの自分の発想にない言葉であればあるほど、日本語の意味は理解できても、その言葉を受け入れることができないんですね。
例えばそんな言葉の一つに「自分を責めるよりも偉大なこと。それは誰かのために自分のすばらしさを受け取ること」というのがありました。

罪悪感があったり、無価値感(自分は愛される価値などないという感情)があると、自分のすばらしさなんてのは受け取れません。そもそも自分にそんな部分があることなんて信じられないものです。

「じゃあ、ミスしたときは?失敗したときは?」って思われるかもしれませんね。
実はそういう場面にも格言は存在していて「ミスは訂正を求められるだけ」というわけです。「失敗も何かを学ぶためにのみ存在している」という言葉もあります。
ミスや失敗に応じて謝罪することももちろん必要でしょうし、人が絡む場面では色々と問題が複雑化してしまうことも確かにありますが、その気持ちと自己攻撃とはちょっと違うと思うんですね。
つまり「申し訳無い」と思うな!「ごめん」って謝るな!ってわけではありません。それを使って「俺は馬鹿だ、ダメな奴だ」と自分を責めるのは違うんじゃないかな?ということです。

話がちょっと横に逸れました。
僕も自分にすばらしいところがあるなんて思いませんでしたし、そもそも自分を責めてることすら気付かなかったわけですので、最初に聞いたときには「ふーん、そうか・・・。でも、俺には関係無いことやな」でした。当時の僕にとっては自分を責めるというのは文字通り、自殺願望があったり、自傷行為があったりっていうイメージでしたから。でも、実際は自分が悪いと思って「こんなんじゃダメやろ?」って自己攻撃するのも立派な自分を責めてる行為なわけです。

その後、運悪く(?)自己攻撃をしていることに気付いた後で再びその言葉を聞いたときは「そんなん言うたかて、自分のすばらしさなんてなんやねん?そんなんあるわけないやんけ」でした。
その期間はとても長かったですねー。
天狗になってしまうのが嫌だったし(そもそも僕はそういう傾向があるのでなお更・・・)、不思議なことに楽になってしまうことも嫌悪してました。まだまだ修行の身って意識が強すぎたのかもしれません。あとは自分を責めることに一種の喜びを感じているところもありました。変な話ですけどね。そうやって敢えて自分に厳しくしようとしてたのかもしれません。

でも、僕も自分でカウンセリングを学び始めて初めて気付いたんですが、カウンセリングやセラピーってその人の価値を見ながら話をするんですね。どんなにひどい状況の人にも30分も話せば価値の一つや二つは簡単に見つかります。だから、何か提案するときは「あなたにはこんな価値があるから、○○できるはずですよ」って話し方をするんです。僕はこの経験があるから尚更このことにこだわりを持ってカウンセリングをしてます。

そんなわけで、セラピーを受けるたびに「あなたにはこんな価値があります」みたいなことを言われ続けるんです。グループセラピーを受けるに至っては、下手すると何十人って人からそんな言葉をかけられるわけですから、はっきりいってとても恥ずかしいです。
「お前ら、偽善者やろー」って怒ってるときもありました。

ま、ホントはうれしいんですけどね(笑)
素直になれないわけです。

でも、いざ受け取ろうとすると・・・これが、また難しい。
頭の中で天使君と悪魔君が戦いはじめます。
天使君曰く「素直に受け入れて楽になろうよ。そのほうが楽しいし、うれしいじゃん」
悪魔君曰く「そんな言葉に乗ってみろ。嘘に決まってるやろ?後からお調子ものとかみんなに叩かれるに決まってるやろー」
そんな言い争いが始まります。しかも、大抵は悪魔君が圧倒的に優勢だったりもします。

大人になってしまうとなかなか「自分のために受け取る」ことが難しくなるものです。
だから敢えてこの格言には「誰かのために」って一言がさりげなく入ってるわけです。(良く出来ているものです)

自分自身を責めたところで誰も喜ばないし、幸せになれるわけでもありません。
実は理加も自己嫌悪が激しく、自分を責め続けている人でした。だから、その側にいる者として自己攻撃をしている人の周りにいる人たちの気持ちも嫌って言うほど分かります。
うれしくないどころか、哀しいし、むかつくし、とても寂しいものです。

だから、もし僕が自分を責めている姿を彼女や家族や友達が見たらどんな気持ちになるんだろう?天国にいる親父や親友が見たらどんな気持ちになるだろう?って。
そう考えたときに、彼らに対して今までもずっと申し訳無いことをしてきたんだなあ・・・ってじわっと感じてしまったんです。そういうときに限って、僕が好きな人たちの笑顔が次々に浮かんでくるものです。なんだかいたたまれないような切ないような気持ちになりました。

そうして「やめなきゃなあ、やめたいなあ、できるんかなあ、とりあえずやってみよう」って僕の新しいチャレンジが始まったわけです。新しいことにチャンレジするときは不安で、自信がないものです。

そしたら早速新たな葛藤がやってきました。やや天使君が劣勢を跳ね返して力を付けて来たって感じでしょうか。今までは悪魔君の圧勝で終わっていたのが、五分五分ぐらいになってきてなかなか熱戦が繰り広げられたのです。
「受け取りたい・・・でも・・・うーん、うーん、うーん。・・・できひん」みたいな。
で、またうまく出来ない自分を責めてみたりもしました。
「ほんまにもう、ひねくれてるんやから。そんなことしててもしゃあないやろ?なんとかせいや」って。

もちろん諦めたくもなりました。
僕より遥かに上手に受け取る奴もいて、嫉妬もしました。

でも、でも、そういうときにもこの「誰か」を思ってしまうとやるしかなくなってきます。
「うまいことやられたーっ!」て感じです。

さて、その結果どうなったか・・・。
すばらしさを受け取ること。今もやっぱり恥ずかしいし、やっぱり照れます。
悪魔君も劣勢ながらもまだまだ頑張って抵抗してくれます。
でも、それを伝えられたときは「うれしい」とか「ありがとう」って言葉はお返しできるようになってきましたし、自分でもそういう言葉をなるべく忘れないように、自分でも自分の価値を探すようになってきました。
例えば「俺ってよく頑張ってるよなあ」って思えるようになったりね。
今まで「まだまだダメやなあ」としか思えなかったのにね。


そして、やっぱり受け取れた分だけ幸せを感じられるようになったような気がします。

これを読まれた方。
もしかしたらもう既にあなたの頭の中で悪魔君と天使君が争いを始めてるのかもしれません。
自分を責めるよりも大切なこと。
それは、誰かのために自分のすばらしさを受け取ってみることです。
がんばりましょうね。


根本裕幸

投稿者 csadmin : 10:00

2002年3月19日

●愛する者同士の本音

ドラマ「婚外恋愛」見ましたか?
私にとって、久しぶりにはまったドラマでした。
見ていなかったみなさんに、簡単に要点だけストーリーを説明しますね。

主人公のみつるは仕事をバリバリこなすキャリアウーマン。性格も男っぽく、あっさりとしています。
弱音は一切吐かず、胸のうちにしまっていて旦那さんにさえ頼らない、一見とても強い女性です。

一方、その夫のタクはやさしくて、繊細で、仕事もしていますがどちらかといえば、主夫向きの男性です。

そんな夫に対してみつるは少し物足りなさを感じていて、本当は頼りたいのですが、気持ちを言えないでいました。
逆に夫のタクは、もっと自分を頼りにして欲しいし、弱音を吐いて欲しいと思っていました。
お互いとても大事に思っているのですが、相手を尊重するあまり遠慮があって、いつしかそれがすれ違いへと発展していきます。
素直になれないまま、向き合う機会も作らず、互いの中に不満がどんどん積もっていきます。

そんな時、タクのことを昔から想っていた女性、静と出会います。
静はとても弱い女性で、誰かに頼らずには生きていけないタイプ。みつるとは正反対です。

不満の積もっていたタクは、自分を頼りにしてくれる静と恋に落ちてしまいます。。。

私がこのドラマを見ていて一番ジレンマを感じていたことは、主人公のみつるが強がって一切自分の本音を 、タクにさらけ出さない事でした。どうしても自分を崩せないんですね。全部自分の胸のうちにしまっていて、ある意味グチや弱音を吐かないことは、 かっこいいし、美しいのですが、でもそれによって大切な人を失ってしまうような立場に追い込まれても なお、本音を言わないというのは。。。
思わず画面に向かって何度も叫んでしまいそうでした。「今だ!今、全部言うのよ〜!! タクに甘えるのよ〜!」 って。

客観的に見ていると、夫のタクが求めていることは明白でした。
「強がらないで、僕を頼ってほしい」「弱いところも何もかも、僕に見せて欲しい」

だからと言って不倫をするのは問題を複雑にするのですが、心理学的にみれば不倫のメカニズムはまさに、こうなんですね。
パートナーから欲しいものをもらえない!!と諦めてしまった時、よそに求めてしまうのです。

ドラマではこの三人の登場人物以外にも色んなキャラクターが出てくるのですが、このドラマのみんなに共通していることは、「本音が言えない」ということで、問題を起こして苦しんでいる事でした。

このドラマが見せてくれるように、大人になると私たちはなかなか本音が言えませんよね。色んな感情が邪魔をしてしまいます。
どんな感情が邪魔するのでしょう?
プライド?本音を言ったら嫌われてしまう恐れ?ケンカをしたくないから?相手を傷つけたくないから?
理由は色々あると思います。たぶん、今挙げた全部が当てはまるのでしょう。
本音を言った時、情けない自分が出てくるかもしれません。確かにケンカは起こるかもしれません。相手を傷つけてしまう場合もあるでしょう。
でも、本音を言わないままでいても、遅かれ早かれ今言ったことは起こってきます。
しかもその時には大抵、もっとしんどい形で、もっとお互い傷つく形で起こってしまうのです。

本音を言えない時、私たちは本当にたくさん無駄な時間と労力を費やしてしまうのです。

このドラマの場合は、不倫という形で問題が起こりました。
もし、不満をずーっと溜めないで、事前にコミュニケーションができていれば、不倫は起こらなかったのではないかと私は思うのです。

ドラマの最後の方では、やっとみつるとタクが本音で向き合います。みつるはやっと自分の弱味を見せることができました。                                             
お互い言いたかったことを言えた時、二人の仲は修復されたのでした。

実は「本音」をいう時にはちょっとしたコツがいります。
私たちは「本音を言う」と聞くと、まるで怒りをぶつけ合う事のように聞こえますが、そうではないんですね。
確かに言い始めにはまず、怒りや不満がでてきます。でも、こればっかりを相手にぶつけてしまうと、相手は嫌なのでうまくコミュニケーションが進みません。
注目して欲しいのは、その次に出てくる感情なんです。
不満や怒りの下には必ず何かしらの感情が隠れているので、それに注目して欲しいのです。
大抵の場合は、寂しさや悲しみが潜んでいます。

例えば、このドラマを例にとると、タクがみつるにあった不満→「強がり過ぎ、本音を言わない」を怒りのままぶつけたとしたら
「強がりすぎなんだよ!カッコつけんなよ!本当は弱いところあるくせに、もっと弱音を吐けよ!!」
と言ったところで、みつるは「そんなことないわよ!!」というような反発を返してしまいますよね?

では、不満や怒りの下の感情に注目して伝えると。。。
「どうしてそんなに強がるの?もっと本音を見せてくれよ。じゃないと僕は君の役に全然立っていないようで、すごく寂しいんだ。一人で頑張らないで、もっと頼ってよ。力になりたいんだよ。」
どうでしょう?こう言われたとしたら、頼ってみたくなりませんか?

ドラマはハッピーエンドで終わって胸を撫で下ろしたのですが、 改めてこのドラマに私たちが本音をコミュニケーションしない時、どれ程周り道をしてしまうか教えられました。

みさなんも、ちょっと勇気が要りますが、本音でコミュニケーションしてみませんか?

根本 理加

投稿者 csadmin : 09:59

2002年3月15日

◇温泉好き

 私と夫は何を隠そう、「温泉好き」なんですね。
 
 私は体があまり強い方ではないんです。それもあってか、いつの頃からか
 大の温泉好きになっていました。
 これが、効くんですよねー。
 私は特に胃腸が丈夫じゃないのですが、温泉につかった途端!「ぎゅる
 ぎゅる〜」と音がして、おなかが急激に空いてくるんです。
 本当に嘘のように。
 なので、温泉に行くと食欲が増して元気になって帰ってきます。
 
 この1月下旬にも、夫と行って来ました。
 やっぱり、お腹が空いて元気になりました。

 その旅館には露天風呂があって、海がそこから見えて、とても気持ちのいい風が
 吹いてきます。また時間帯が夕方だったので、ピンクやオレンジや紫がかった雲
 が見えて、それはもう最高でした。大自然のごちそうをたらふく頂きました。
 温泉につかりながら、ひたすら「幸せ〜」とうっとりしていました。
 「そっかー、温泉が効くのは効能のせいもあるけど、何と行ってもこの自然の力
 なんだろうな」と思いました。

 考えてみれば、都会に住んでいると季節感も薄れて「自然の力」というものを
 感じる機会がとても少ないです。
 「自然治癒力」というものが引き出される機会が少ないように思うのです。
 都会育ちの私はそういう自然の力とか素晴らしさに、今頃になって驚かされています。
 最近、結局私にとって自然の中にいる時の自分というのが、とても伸びやかで
 私の中の元気の源に繋がりやすい状態なんだな、と気付きました。

 それからは、実際に出かけるのが一番なんですが、行けない時にはイメージを
 使って自分を自然の中にいる時の状態に置いてやることにしました。
 その甲斐あってか、最近とても調子がいいんです♪
 イメージの威力にも、再度気付かされている今日このごろです。
 
 皆さんにとって、自分が一番リラックスできるシチュエーションはどんな時ですか?
 たまには、忙しい日常の合い間に時間をとって、ゆっくりと自分をくつろがせてあげて
 下さいね。

 私達も皆さんが「ホッ」とできるような空間作りをこれからもお手伝いさせて頂けたら
 なと願っています。

by 根本理加

投稿者 csadmin : 09:58

2002年3月12日

●Wedding song

10年来の友人の結婚式に招待していただき、披露宴にいってきました。
披露宴の会場で、花婿と花嫁の入場を待っていると, 音楽が流れてきました。そして音楽が流れると同時に
幸せそうな笑顔でいっぱいの二人が入場してきました。

入場曲からはじまって、ウェディンングケーキの入刀、キャンドルサービス、 イベントのたびに素敵な歌が次々とかかってきました。
音楽がかかるたびに、会場がもりあがるのはもちろん、花婿と花嫁の表情も笑顔になったり、涙をうかべたり、いろんな表情になっていました。
いろいろな表情を浮かべてましたが、どれも幸せそうでした。
そして、その幸せそうな顔をみていると、僕も幸せな気分になっていました。

花婿と花嫁の表情を幸せそうにいざなった曲の一つ一つは, 二人が一曲、一曲選曲して、結婚式用に編集したそうです。
もちろん、二人が一曲、一曲選んだということは、その歌の中に思い出もいっぱいあったことでしょう。
「二人で選曲したWedding songなんだよ」と披露宴前に,花嫁と花婿が僕に教えてくれたいたので
思い出のメロディー、歌詞が聞こえるたび、花婿と花嫁も思い出を浮かべたり、出会えた喜びを感じたり、幸せな気分に
なってるんだろうなと思いながら、一曲、一曲聴いていました。

音楽は不思議なもので人の心を動かします。
自分の気持ちや、思い出、シチュエーションとにている歌詞や曲を聞くと、 その曲に共感して、感情が動きます。
そんな音楽がたくさん流れたハートフルで、すごく素敵な結婚式でした。

僕は二人のWedding songを聞いていて『Thanks To You』という曲を思い出していました。

     あなたは僕に命をくれた そして真心をくれた
     泣きたいときにはすがれる肩を
     絶望したときには     希望を
     そして羽ばたく夢の翼を
     言葉も 思いをつたえる努力も 僕にはたりなかったけれど

     あなたへの愛は僕の心に生きつづける 永遠のその果てまで
     あなたの微笑みは僕の子供にまで引き継がれている
     僕が僕でいられるのは、 お母さん、あなたのおかげです・・・

というような内容の歌です。僕には親への感謝を伝えている歌詞に聞こえます。

結婚式は、お父さん、お母さんに、幸せになっていく姿を贈ってあげることができる日でもあり、ある意味、両親から
巣立っていく日でもあります。
そんな晴れ舞台の日にお父さん、お母さんに、日頃は、照れくさくて言いたくても言えないこともいっぱいある
でも、本当はありがとうといいたい気持ちや、いっぱい伝えたい感謝や、伝えきれない気持ちを、ハートフルな気持ちに
させてくれる歌に託して、 Weding songを両親に捧げるというのも素敵だなと思いました。
大切な人に自分の気持ちを伝えることは、とても大事だとおもいます。
それは、言葉という形のコミニケーションだったり、スキンシップという形だったりします。
その表現の一つに歌があると思います。

いろんな表現を使って、自分の思いを大切な人に伝えられたら素敵だなと思います。

投稿者 csadmin : 09:57

2002年3月 5日

●サボテン

私は子供の頃、おなかを壊しては、
「ごめんなさい、もう弟をいじめません。それから、わがままを言いません。それから、給食に出てくる線キャベツも食べるようにします。それから、それから、えっとそれから・・・」
と、よくトイレでう〜〜っとうなりながら、懺悔をしていました。
そうです、”バチが当った”と思い込んでいたんです。
今でこそ、笑い話ですが当時は死に物狂いで、神様に「だから、どうかお腹痛いの治してください!」って、
お願いをしていました。
ところが、やっぱりゲンキンなもので、お腹が痛くなくなると、そんなことすっかり忘れて、
またおなかが痛くなると、「ああ〜、約束やぶってこめんなさ〜い!」ってな感じでした。

”お腹が痛くなる→バチが当ったんだから、謝る→治る”という図式は、
こうして、無意識のうちに繰り返すはめになっていたことに、
つい最近ひしひしと感じる自分に気付きました。

「お腹が痛くなる」というのは、なにか「問題が起きる」ということでもあります。
そして、「なんか悪いものでも食べたかしら?」に思いつくところがなければ、「あ、きっとあの時のあの行為が悪かったんだ」と思う事で、つじつまを合わせようとしてしまっていたんです。
それは、日常のあらゆる場面で、そしてとっても些細なことにも・・・

よくご相談くださる方の中にも、「きっと自分のこういうところがいけないんだと思うんです」と話してくださる方は、たくさんいらっしゃいます。
そして、その「いけない」ところを”治さない限り”、問題は解決しない、というところにスッポリはまってしまって、身動きがとれなくなってしまうんですね。
でも、大概は、その「いけない」ところをどうすることも出来ない状態になってしまって、どうすればいいのか、わからなくなります。
私の子供の頃でいうと、謝っても謝っても、お腹の痛いのが治らない、という状態です。
そうした場合、どうしていたのかというと、実は私はスッポリとふとんにくるまって、じ〜っと動かずに、まるで死んだように固まっていました。
すると、今度は、そのふとんのぬくもりから出る事に、不安を覚えます。
おかげで、どんな季節にも「冷やさない」ようにすることにかけては、ベテランになりました。笑

でも、そもそもの始まりは「問題が起こる」=「自分が悪いから」と、思ってしまうことにあるんですよね。
単純に考えれば、お腹が痛くなるのは、体調が崩れたり、消化不良になっていたからにすぎません。
そのことがわからなかったばっかりに、原因を自分に求めていたんです。
そして、それでも納得がいかないときには、まわりが悪いように感じてしまいます。
「お母さんが、もっとちゃんと私のことを見てくれていたら、こんなはめにならずに済んだのに!」という具合に。

大人になった今でも、よくこの罠にはまることがあります。
つい最近、夫婦喧嘩をしたときも、スッポリとはまってしまいました。
はじめは、自分が悪いと思い、そして相手も悪いと思う・・・そして、じ〜っとお互いの出方を見ながら、動かずにじっとしている・・・
でも、どうなったら一番いいのかというと、喧嘩をする前の、いやいやそれよりもっとパワーアップした、スーパー仲良しになることなのに、この罠の恐いところは、それを忘れてしまうことなんですね。
お腹が痛くなって、懺悔していたのも、要は治ればそれでよかったわけです。そうすれば、また元気に遊びにいけるから。
でも、なまじっかふとんにくるまることを覚えると、まるでぬるま湯に浸かったように、そこから出る事を躊躇してしまいます。
そして、終わりのない夢の中で、その忘れてしまった本来の望みを垣間見ます。でも、それは果敢ない夢で・・・

このことを心理学的には、罪悪感の罠だということをわかってはいるんですが、思いがけず我が家に長い年月いる”サボテン”に、改めて教えられました。
だんなの趣味で、我が家は植物がいっぱいでジャングル状態なんですね。
そして、なぜか最近、私の背丈ほどもある大きなサボテンがよく服にひっかかるんです。
生活動線から外しているのに、妙に気になりだしまして・・・

サボテンは、その生息地域からたくさんの水分を蓄えていますよね。乾いた土地の地中深く深くまで根を伸ばし、雨が降らなくても生きていけるように。
そして、その貴重な体内の水分を動物たちに食べられないように守るべく、たくさんのトゲトゲが生えています。
部屋の中という安全な場所では、無意味かもしれませんが、それは同時にサボテンの持つ個性でもあるわけです。
トゲのないサボテン、どこか違和感がありますよね。

そのサボテン、うまく育てるとどんどん大きくなって、枝打ちをして増やす事も出来るんです。
元気がなくなって、腐りかけていた子も今では元気に空を目指して、どんどん伸びています。
まるで我が子のように世話をしているだんなの夢は、その子たちをいつか大地に帰してやることだそうで。

「自分が悪い」という思いを使って、なんだか私は生きていくための”トゲ”を全部取り払い、”アロエ”にでもなろうとしていたような気がしてきて、もどかしくなってきたんですね。
そして、忘れていたとっても大切なことを、思い出したんです。

それは、「空を目指して生きていきたい」っていう気持ちでした。
トゲが生えていても、「一緒にいてくれるそんな大切な人と一緒に」です。

辛い過去といっしょに、そんな大切なことを忘れてしまうのは、とってももったいないこと。
みなさんも決して悪くはありません。その大切なことを思い出すことに意欲を持つ事ができれば。
”トゲ”ならぬ、あなただけが持つ個性をどうぞ「生かして」ください。

投稿者 csadmin : 09:56

2002年3月 1日

◇縦社会大国・ニッポン

 私たちカウンセラーは、その技量を磨くため、
 欠かさずグループセミナーなどにも積極的に参加しています。
 電化製品が著しく次々と進化していくのと同じように、
 実は、心理学やセラピーの世界でも、
 日々進化は起こっているからです。
 ちょっと目を離した隙に、「え?なに?どうゆうこと?」なんていう、
 深層心理についての新たな発見は、途絶えることを知りません。

 そして先日参加していたセミナーで、ひとつ気付いたことがありました。
 それは「心の世界まで、日本って”縦型”なんだ」ということです。

 目には見えない心をイメージしやすいように、
 私たちはよく深層心理を「海」に例えます。
 そして、才能や、その人が持つ本来の自然さや、愛情などを、
 見つけるべく、その「海」に潜っていくわけです。

 私は、個人的にも海が好きで、海辺で育った経験があるからか、
 よくこの例えを使います。
 若い頃は、スキューバダイビングのインストラクターになろうか、
 と真剣に思っていたぐらいです。
 (人を抱えて何十メートルも泳ぐ体力が無く、断念しましたが。笑)

 ”海女”というのは、私が知る限り日本特有ですよね。
 そして、みなさんご存知でしたか?
 実は、世界一を誇る潜水技術の保有国は、
 この日本なんです。

 私たち人間は、遠く彼方の宇宙のことを知りたがりますが、
 足元に広がる深海の生物や環境については、
 ほとんど研究が進んでいないそうなのです。

 さぁ、日本の腕の見せ所です。

 感情を表現したり、コミュニケーションが、
 比較的苦手な日本人ですが、いやいやなんのその、
 実は、深く理解して物事を突き詰めようとする、
 そして、その理解を通してまわりに関わっていこうとする、
 そんな民族的な才能が、私たちにはあるような気がしました。

 毛嫌いされてきた”縦社会”の中に、
 日本の誇りのようなものを発見できたように感じています。

by 源河はるみ

投稿者 csadmin : 09:55