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2016年10月25日

ふと思い出すこと

秋の味覚を楽しむ季節になりましたね。 美味しいものがたくさんあって、食べ過ぎて困っちゃう・・という方も
多いかもしれません。 秋は果物も豊富に出回ると思うのですが、最近、私の好きな果物を使った商品を目にすることが
多い気がしています。

コンビニやファミレスで、飲料やデザートに使われていて、見つけるたびに「あ、いちじく」ととても惹きつけられます。
果物としては、あまりポピュラーではないかもしれませんが、私はとっても好きなんです。 夏から秋くらいに
スーパーなどで見かけますが、私にとっては意外と値が張る果物のひとつで、買うまでにすごく悩んだりもします。
だけど、よく熟れたものは本当に甘くて美味しいんです。 美味しいいちじくを食べていると幸せな気分になります。

そして、いちじくをみると思い出すことがあります。 
私は幼稚園の頃まで大阪に住んでいて、住まいは一軒家の社宅でした。(かなり古い家だったイメージがあります。)
そこに両親、妹、祖母(父方)、そしてクロという犬と暮らしていました。 その家には縁側があり、家の前はけっこう広い庭
(というか地面という感じでした)があり、おなじ敷地に隣の家(社宅)がありました。 
家の裏にいちじくの木が生えていて、いちじくの季節になると、祖母がその実を取ってくれて 「いちじくは血になるから
体にいいんだよ」と言いながら私に渡してくれました。 
なぜその家にいちじくの木があったのか、誰が植えたのかなどはわかりませんが、それが私といちじくの出会いのようです。
「血をつくる。体にいいから。」という言葉(ほんとのことかどうかは知りません)が、小さな私にはそれがとても印象に
残っていて、そして、その果実はとても美味しかったと感じたようで、だから好きになったのかもしれないですね。

私はあまり小さい頃のことはよく覚えてないのですが、いちじくを見るたびに、断片的ではあるのですが、
その当時の暮らしを思い出します。
その社宅は坂を登ったところにあり、坂のふもとにはぶどうを栽培している農家があったようで、ぶどう棚がたくさんありました。
ぶどうがたくさん実った風景を見ながら坂を歩いたことをぼんやり覚えています。 私はぶどうも好きなのですが、
それも小さな頃に身近にあったからかもしれません。

社宅のお風呂場に大きなクモが出て怖くて泣いていたこと、冬の日に雪の積もった中を幼稚園に母と歩いていったこと、
父の勤める工場近くの空き地で転んで大怪我をしたこと、近所の(たぶん)小学生のお兄ちゃんたちに遊んでほしくて、
後を半べそをかきながら追いかけたこと、電車の踏み切りで電車が通り過ぎるのを長い間待ったこと、
そして、社宅から団地に引っ越すときに、幼稚園のクラスメイトにハンカチをあげたなあとか、犬のクロも連れて行くと
泣きながら駄々をこねたことなど、こんなこと、あんなことがあったなあと思い出します。

若い頃は単にそんなことがあったと思い出しただけでしたが、今のこの年齢(50代)になり思い出すと、
なつかしさや切なさがいっぱいこみあげてきます。 カウンセラーと仕事をしているせいなのか、あるいは、
年齢を重ねたからなのか、その当時の私がなんだかとても愛おしく感じたりもします。

その昔に引っ越して以降、そこへ行ったことはないけれど、このコラムを書いているとその当時のことをもっと
知りたくなってしまいました。
母もまだそれなりに元気ではいてくれるけど80代半ば、今度帰ったらそんな昔話を聞いてみようかな。
思い切ってその場所を訪ねてみようかなあ。 そんな気持ちが湧いてきました。
どんな自分に出会うのか、ちょっとドキドキだけど、小さい頃の自分を訪ねてみるのもいいかもしれませんね。

松尾たかのプロフィールへ>>>

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2016年10月18日

今が青春

みなさんには、今、燃えるものがありますか?
大人になると、なかなかそういうものって、なくなってきますよね。

学生時代、バンド活動をしながら、メジャーデビューを目指していた!
スポーツに毎日明け暮れていた!
ブラスバンドで全国大会を目指していた!
彼や彼女と熱い恋愛をして、青春を謳歌していた!

みなさん、それぞれに、いろいろな青春があったのではないでしょうか?

●意外な過去

今、振り返ってみると、私には「青春」と呼べるものがなかったと思います。
意外に思われるかもしれませんが、私は運動が得意でした。駆け足もクラスで一番でしたし、市内でも上位に入っていたんですよ。(私の出身地、千葉県北西部は陸上が盛んでレベルも高かったのです)
球技でもリーダーになることが多く、中心的な存在でした(ちょっと、自慢(^^))

だから、中学までは、毎日野球に明け暮れて。朝、誰よりも早く、校庭に行って、ひとりで練習をしたり、数人で夜遅くまで秘密の練習をしたりしていました^^
そんな姿を見て、クラスメイトにも「高校に行ったら、絶対に甲子園行きなよ」「タッちゃんみたいになってね(漫画のタッチの主人公)」と応援してもらい(笑)
私も実力不足は認めながらも、甲子園に行けたらいいなと本気で思っていたのです。

そして、春になり、野球部に入りました。私が入学した高校は、私が中学3年生の時、千葉県でベスト4に入った強豪校で。県立高校だったのですが、当時は野球に力を入れていました。近隣の有力選手が集まってきて、本当に甲子園を目指そうという雰囲気が漂っていました。

●いきなり、辞めた

ただ、私は入部して3日で野球部を辞めてしまいました。理由は正直なところ、ちょっと、遊びたかったんですよね(><)
入部したその日から、22時過ぎまで練習をして。私が通っていた高校は市内でも田舎の地域にあったので、真っ暗なのです。だから、気持ちが暗くなってしまい、「こんなの3年間も無理、もっと明るい街で過ごしたい」って(笑)
それでも、数日は続けたのですが、やっぱり気持ちが晴れなくて(><)

そして、辞めようという気持ちが決定的になったのは、3日目の練習後、部員の友人3人との帰宅途中、みんなで話していたら、パタッと、ひとりの声も存在も消えてしまったのです。その時は、びっくりして神隠しにでもあったのかなと怖かったのですが...
何のことはない、あまりにも暗すぎて、田んぼの中に落ちてしまったのです(笑)彼は泥だらけで...

その光景を見たときに、私の心がプツンと切れて、「やっぱり、辞めるわ」って。私の良いところは何にでも、粘り強く、耐えて頑張るところだったのですが、その時は、本当にあっさりと辞めてしまいました。

●同じ夢を何十回も...

それから、数ヶ月が経ち、半年が経ち、1年が経ち。
それでも、チームメートが時々、「また、戻って来いよ」と声をかけてくれました。彼らは本気で甲子園を目指し、真っ黒に日焼けをして精悍な顔立ちになって。一方の私は、毎日バイトもせず、ただ、ボーっと過ごして。
彼らは高3の春、千葉県大会でベスト4になり、複数の選手がドラフトの候補に挙がるくらいの強豪校になっていました。ただ、Aシードで迎えた夏の大会は健闘虚しく、甲子園には手が届かなかったのです。

そして、私が退部してから、2年半の月日が経った高校3年生の8月20日過ぎ。私と同級生の球児たちが甲子園で決勝を戦い、ゲームセットを迎えました。その時になって、「もう、僕は高校野球はできないのだな」って。もの凄く、後悔したのです。
「やっぱり、やっておけば良かったな」って
「どうして、チャレンジしなかったのだろう?」って

それから、何十回と同じ夢を見ました。
それは、「チームメートが、また(野球部に)戻って来いよ。一緒にやろうと誘ってくれる」夢です。あれから、何度も何度も見ました。そして、我に返って布団の中からハッと起きて...

ずっと、ずっと、後悔していたのです。心残りだったのです。

●新たなチャレンジ

ただ、私は、高3の夏の甲子園大会決勝の日から、もう一度、体を動き出し始めました。それは、野球ではなく、ジョギングだったのですが、すぐに成果が出て、数か月後の全校マラソン大会ではクラスで2番になれるくらいまで、運動能力が回復していました。
そして、その年にソフトボール大会があって。私のクラスは野球部の主力選手がたくさんいたのですが、練習中の私のプレーを見て、その野球部のメンバーから「土肥君のところに飛べば、エラーがないから、安心だよな」って言ってもらえ、私は1番バッターで出場したのですが、運も良かったのか、満塁ホームランを打ったのです。その時にクラスみんなが喜んでくれて、野球部のメンバーにも「やっぱり、一緒に野球、やりたかったな」って。

今でも、あの時の感触、ボールがバットに当たった時の衝撃(感覚)を覚えています。でも、私にとって、それはほろ苦い思い出で。
本当は、そんな思いを高校3年間で、もっともっと感じたかったのです。
でも、時(とき)は戻らないんですよね(><)

●今が青春

それからの私は、燃えられるものを見つけ、海外を彷徨ったり、いろいろなことをしました。そして、やっと見つけたのが、カウンセラーとして生きることで。これなら、一生、情熱を捧げると思ったのです。
クライアントの方々が本気で私達、カウンセラーに思いを伝えてくれて、それに私達、カウンセラーが本気で応えて。

生きているなって、思えるのです。

今でも、時々、同じ夢を見ます。
「チームメートが、また戻って来いよ」って。

でも、今の私には戻る場所があります。それは、カウンセリングの現場だったり、講演や講座の場だったり、セミナー会場であったり。共に情熱を捧げるカウンセラーの仲間や、ひたむきに変わろうとしているクライアントの方々、そのようなチームメートがいます。
高校野球を辞めてしまった。その後悔があるからこそ、あの時の悔しさがバネとなり、今を頑張れているのだと思います。

私にとっては、「今が青春」
これから、もっともっと、燃えていきたいと思っています。

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2016年10月11日

褒められるのは恥ずかしい!?

カウンセラーをしていると、動くことがあまりないので、ついつい運動不足になってしまいます。
そのため、私は週に2回ほどジムに通って、ウェイトトレーニングをしています。
運動をすると頭もスッキリするので、ジムに行くことは、私にとって大切な息抜きの時間になっています。

ウェイトトレーニングでは、トレーニングごとに約1分間の休憩をとります。
この1分間は、特にすることがありません。
なので、私はその間、ボケーっと他の人がトレーニングしている姿を見たりしています。

先日、50代くらいの男性が、女性コーチにトレーニングのフォームを教えてもらっていました。
女性コーチは40代くらいで、元気で明るくハキハキと説明をしていました。
男性の方は、堂々としていて、会社を経営していたり、仕事で重要なポストについている人のような雰囲気を醸し出していました。

「このトレーニングは肩甲骨の動かし方が難しいので、まず、私がやって見せますね。」

自分のフォームを男性に見せながら、女性コーチは分かりやすくトレーニングの要点を説明していました。

「とにかく、肩甲骨を意識することが大切です。それでは、やってみて下さい。」

男性は、女性コーチに教えてもらったように、肩甲骨をしっかり動かしながら、丁寧に動作を行ないました。
それは、正しくて綺麗なフォームでした。

「すごく良いフォームですよ。素晴らしいです!」

女性コーチは嬉しそうに伝えました。
その瞬間、男性が小さな声で言いました。

「バカにしてんのか!」

その言葉を聞いた女性コーチの顔は、凍りついていくように見えました。

心理学的に、人は自己嫌悪が強ければ強いほど、他人から褒められるとバカにされたと感じてしまうことがあるようです。

「こんな自分を褒める人間などいない」

そんな自己認識を持っていると、人は他人から褒められた時、信じることができなかったりします。
そして、疑います。

「なぜ、この人は嘘をついてまで私を褒めようとするのか?」
「私を騙そうとしているのか?」
「それとも、私をバカにしているのか?」

もしかしたら、あの男性はそんな風に感じてしまったのかもしれません。

女性コーチの凍りついた表情を見て、男性はハッとした様子でした。
そして、すぐにバツの悪そうな表情になりました。
2人の間には、恐ろしいくらいの気まずい空気が流れていました。

先に歩み寄ろうとしたのは、男性の方でした。

「いや~、疲れたな~。」

なんとかして笑顔を浮かべながら、男性はそう言いました。
それはまるで、さっきの出来事はなかったのかのような一言でした。
その言葉の裏には、「自分の気持ちをどう説明していいのか分からない」、「あなたを傷つけるつもりではなかったんだ」、そんなニュアンスが含まれているように、私は感じました。

女性コーチも、少しずつ笑顔を取り戻しながら言いました。

「そうですよね、疲れますよね。」

女性コーチのそんな大人な対応によって、2人の空気はゆっくりと緩んでいくように見えました。

カウンセリングをしていて、「心理学系のブログや本を読んで、人を褒めた方が良いと書いてあったので、夫に実践してみたのですが、少し嫌がられました...」というご相談を受けることがあります。

その理由としては、おそらく今回の出来事のように、ご主人が潜在的に自己嫌悪を持っているという可能性が考えられたりします。

そのような場合、褒める熱量を少し下げてあげることは、1つの解決策になります。
大きく褒めるのではなく、小さく褒めてみてあげてもいいのかもしれません。

そして、「どんな言葉なら喜んでもらえるかな」と、色々試してみると、今まで気づかなかった新しい発見があったりします。

「こんな言葉にこの人は喜ぶのか」
「こういう言葉だと嫌がるみたいだな~」

そんな風に彼を理解していくと、2人の関係性がどんどん良くなっていく場合があります。

私個人としては、女性に褒めてもらえることは、すごく嬉しいけど、やっぱり少し恥ずかしい感覚があります。
「もし自分が女性コーチに褒められたら、とりあえずニヤニヤして下を向くだろうな」と思いました(笑)

そんなことを考えたりしながら、私は今日もジムに通っています。

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2016年10月 4日

もっと自由に、より軽やかに♪

「あなたの本質は、自由人だと思う」

この発言は、私にとって今年一番の衝撃でした。


「え!?そうなんですか??
 ずっと、人に寄り添うように、
 誰かの、何かの役に立つように生きてきたのですが。」

「うーん。それは・・・後天的なものだと思う。」

その場ですぐには納得こそできなかったものの、
とっても信頼している方に言われたことだったので
「そうなのかなぁ。」「そうなのかも・・」と思いながら帰宅。


数日、いいえ数週間、言われたことを反芻してみて
だんだんと腑に落ちてきました。


「あぁ、そうかもしれない。いや、きっとそうだ!」

  *  *  *


ところで、言われた瞬間に全く意味がわからなかったセリフといえば、
うちの代表の平に初めて会った時にいただいた言葉を思い出します。

「だって、右脳派でしょう??」と突然言われて

「え!!!!違います!ずっと一生懸命左脳を使って生きてきましたから!」

と思わず力を入れて反論してしまったということがありました。

でも、"一生懸命(頑張って)使っている"
という時点で"左脳は苦手です"と
告白しているに等しいということに
当時は気づいていませんでしたね。


もしかしたら私の中に、
左脳を使っている=頭がいい
右脳を使っている=あまり何も考えていない
そんなおかしな思い込みがあったのかもしれませんが、
この部分に対する抵抗は激しく(!?)
右脳派であることを受け入れるまでには長い時間を要しました。
(2年?いや3年??)


やっと納得して、私のカウンセラーさんに
「自分が右脳派だって、やっと納得しました~」と報告した時には
「え?ともみちゃん、今頃なにいってるの??」とあきれらるほど。


そう考えると、今回は「私は自由人である」ということを
数日から1か月以内で納得できたのは、成長したという事かもしれません。
いやむしろ、すでに右脳派だということを認めていたという
下地があったからこそ簡単に受け入れられたのかもしれませんね。


そんな訳で、私は長い間、自分が無意識に作り上げた
理想のキャラクターを生きていたことに気付きました。


おかしいですよね。
自分自身でも気づいていなかったのです。

自分自身すら欺いて、これが「本当の私」と思って
それなりに楽しく生きてきたのです。
しかも、自分では完璧にそのキャラクターを
演じ切れていると信じていたのでしょう。
だけど、見る人からみれば「この人の本質ではない」
と丸わかりだったということです。


なんて、恥ずかしいのでしょう・・・。
それくらい、自分自身の事って
本当にわからないことなのかもしれません。

とはいえ、同時に他人からはよくわかるようです。
例え、上手に隠したと思っていても、隠しれていないということですね。
これは、つまらない抵抗はとっととやめた方がよさそうです。


ただ、振り返ってみるとやはり自分の中にも自覚があったようです。
ずっと、「自分で自分に制限をかけなかったら、自由にやりすぎて
どこまでも飛んで行って帰ってこなくなりそう・・・」
という怖さがどこかにあったのです。

つまりは、
自分を解放したら、
自由にやらせたら、「危険」

そんな認識があったということですものね。
自分でも自由人だと感じていた証拠です。

だからこそ、
「こうするべき」とか、
「あれはしない方がいい」とか
いろいろなルールを自分に課していたようです。


さてはて、自分までも気づいてしまったのなら
もう本質を生きるしかありませんよね。


自分で自分を縛っていた重たーい鎖をぶちぶちと引きちぎって
もっと自由に、もっとわがままに生きていきます!


直感という名の思い付きで行動しまくっちゃうかも~。
疲れた時には、いろいろ放り出してでも寝てしまうかも~。
苦手なことは、向き合わずに極力避けちゃうかも~。
遅刻や締め切りなどにも固執しないかも~。
(といいつつ、この原稿も締め切り2週間前に仕上げていますけど(笑))

そんなこんなで
この度、40年近くやってきた、
優等生を廃業することにいたしました。


しばらくは、ちゃらんぽらんを謳歌したいと思う今日この頃です。

さーて、みさなんは
自分の本質を生きているでしょうーーか??


ドキッとしたあなたは、
立ち止まってみるべきタイミングが来ているのかもしれませんよー。

以上、中村が最後のコラムをお届けいたしましたっ!
ご清聴、ありがとうございました。

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