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2015年11月24日

白黒つけたい時に

「白黒つけたい」

そういう台詞が出てくる時、私たちは、「白黒」付けられずにいたりします。
白なのか、黒なのか、迷っている時です。

行くのか、行かないのか。
Aくんなのか、Bくんなのか。
やるのか、やらないのか。
マルなのか、バツなのか。

2つの選択肢の間で、私たちは、大いに揺れるものです。
でも、いつまでも揺れているのは、しんどいので、「白黒」決着をつけたくなるのですね。

それでも、なかなか決められない。
「白」にすると、こんなメリットとデメリットがある。
「黒」にすると、こんなメリットとデメリットがある。
書き出してみたら、同じ数だった。

人に聞いて回ってみた。
「白」っていう人と「黒」っていう人が、同数だった。

決め手に欠ける。

逆に、こんなこともあります。

どう考えても、「白」しかない。
「黒」は、デメリットしかない。
人に聞いてみても、絶対「白」しかない。
「黒」はありえない、と言われる。

こんな状況でも、「白」に決められないのです。「黒」の何かが気になる。捨てきれない。しかし、「黒」にも決められない。

どちらの場合も、長く続けば、辛いですよね。自分だけでもしんどいのに、あの人の意見、この人の助言などに耳を貸すうちに、どんどん人を巻き込んでしまい、それでも「決められない自分」を責めてしまったりして、ますますうまくいきません。

決断するエネルギーが、自分を責めるほうへ回り始めると、疲労するばかりで、「白黒つける」ところからは、離れていってしまうんですね。

そんな時、自分の心の声とか、真実の声なんてものは、聞こえてこないものです。
いえ、本当は、音量が絞られているだけなのですが、ざわざわしている私には、まったく届かないんですね。耳を塞いでいるのと同じなんです。

では、いったいどうしたらよいのでしょう。
「白」か「、黒」か。
しかし、今の時点では、「白」でも、「黒」でもないのですから、第3の選択肢を作るしかありません。

ん???
第3の選択肢?!

そんないい代替案があるのですか? いいえ、代替案ではありません。
「グレーにしておく」のです。

ですから、「グレー」がイヤなんですっ!!
って、怒られそうですが、忘れてはいけない大切なことがあります。

「白」にも、「黒」にも、今はしません。今は、「決めません」と決めるということです。
「決めない」と「決める」とは、ややこしいですが、ここに、私の「意思」があることが大切です。

ふたつの選択肢の間で、なかなか結論が出ない時、どちらに決めたとしても、私は幸せになれる、成功する、という場合が少なくありません。ただ「決め手」を掴んでおきたい、ということなのだと思います。

そこに時間が掛かるのなら、じっくりと時間を掛けたらよいのです。私の「意思」で、「もう少し考える」と決めればいい。「白黒」決められない私を責める必要なんて、ないのですから。

もし、何かに迷っていらしたら、しかも長く、そんな状態の中にいらっしゃるのなら、是非、使ってみてください。「グレー」の間に、きっとよいアイディアが浮かんできますよ。

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2015年11月17日

「大きな変化から6か月」というタイミング

4月末に子供を出産しました。
それから、早くも6か月が経とうとしています。

出産した私は、少々「疲れ」が出てきているように感じます。
いいえ、正確に言いなおしましょう。
「疲れ」を「疲れ」と認識できるようになってきました。

今までは疲れを感じるとる「余裕」すらなく、
突っ走ってきたのですが、ようやくフッと我に返り、
色々と感じられるようになってきた模様です。
 

最初の1カ月はやはり無我夢中ですよね。
それは例え2人目であろうと3人目であろうと、そうなると思います。
産後は「短時間睡眠でも深く眠れる」というホルモンが分泌される
らしいのですが、それでも夜中に何度も授乳し、
昼間だって、抱っこにオムツにと、てんてこまい。
きっと、頭の中も赤ちゃんのことでいっぱいだったはず。


それが3ヶ月をすぎるころから、お世話のコツも覚え
赤ちゃんも首が座り扱いが楽になり、生活リズムらしきものも整ってくるし、
授乳の感覚もあいてくる。こうやって少しずつ楽になっていくのです。

つまり産後3~4か月間は、なんとかなってしまうのです。
身体を酷使している割にはムリがきいてしまうんです。
慣れない事の連続で緊張もするだろうし、
物理的にもやること考えることもたっくさん。
もうなにせ、時間が目まぐるしく過ぎていく・・・。


そして、5か月をすぎ、6か月を過ぎてくると
赤ちゃんとの生活にも慣れてきて、外にも連れ出しやすくなるし、
母自身も自分の好きなことをしたくなってきたりするかもしれません。

ずっと、赤ちゃん中心だった目線が少し外を向く時期とも言えそうです。

動けちゃうからうごいちゃうし、
お世話が楽になってきたと思うからこそ、
色々と自分のこともやりたくなる、そんな時期。

でも、ハッと気が付いたのです。

動けちゃうくせに、
身体は正直に、そして私の予想以上に"疲れている"ということに。

とはいえ、冷静に考えてみたら当然ですよね。
長い時間をかけて、身体の中で自分の命を削りながら命を作り上げて、
それをこの世の中に生み出すために、身体中を緩めて
赤ちゃんのための道を作り出す。
そして、またそれを元の身体に戻していく作業。
変化の連続です。


目に見えない部分でも、働きずめに働いてきたうえに
最低限の休養を取る時間しか与えられていなかったのですから。


生後6か月で母親からもらう赤ちゃんの免疫も切れると言われています。
これは「もう免疫に守られなくても変な病気や菌にはおかされずに
生きていけるだけの抵抗力を身に付けた」ということなのかもしれませんよね。
つまり、子育ても一つの区切りの時期と言えそうです。


そしてそれは同時にお母さんもじっくりゆっくり自分をいたわって
あげる時期でもあるのだと思います。


でも、多分、これは「出産」だけではないと思うのです。

例えば、仕事を辞める。
ハードワークだった人は特に、3ヶ月以上たたないと、
仕事をしていたころの疲れすらが出てこないそうです。
そして、半年以上休まないとリセットできないと言われています。

例えば、大切な人を失う。
直後はやらなければならない煩雑な作業が多すぎて、
色々と感じたりすることはできないものです。
でも、だからこそやり過ごせたのかもしれませんが、
ホッと一息つける半年ごろ、急にガクッとなる方も多いのだとか。

例えば、離婚する。
環境が大きく変わるのです。
生活リズムがかわり、今までの当り前が変わっていく。
日々変化についていくこと、または引っ越しやその他の手続など
やること、考えることが山づみな場合もありますよね。
婚姻期間が長ければ長いほど、その変化には戸惑うことでしょう。
やはり、知らないうちに気をはって生活しているのです。


みーーんな一緒です。
半年は、大きな区切り。
5か月、6か月たって、ふぅ~と一息つける。
自分で自覚しているよりも、
心も身体もずっと緊張状態が続いていて、
ものすごく疲れをためこんているのです。


ここは、がんばる時期ではなく、
ゆったりと過ごす時期。

知っておくことで、意識してペースダウンしてほしい時期です!

でも、アドレナリンが出たままだと、本人は気づかぬままに
走り続けてしまい、急にガクッとくる場合もありますよね。
どうぞ、そんな時には周りの人が声をかけてあげてくださいね。

大きな変化から半年、
そんなタイミングにピンとくる人はいませんか??

あなたは、休むべき時に差し掛かりましたよ?
ぜひぜひ、ゆっくりしてくださいね。


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2015年11月10日

地上の天使たちへ~愛を選択するということ~

カウンセリングの現場や、グループセミナーでアシスタントをしていると、いろんな方との出会いがあります。
そしてあれこれと深いお話を聴かせていただく機会もあるのですが、やはり心の問題の根幹ともいうべき親と子の在り方については、いろいろ考えさせられるものがあります。
私たちがカウンセリングを学んでいるスクールでは、毎月ヒーリングワークと呼ばれるグループセミナーを行っているのですが、つい先日、10月のヒーリングワークの中でもやはり私は、家族の絆や、親子の愛憎について深く考えさせられたのでした。

「親」と「子」「家族」、わけても「母子関係」は、罪悪感や自己嫌悪、自己攻撃といったネガティブな感情とともに、カウンセラーとしての私にとっての得意分野であり、ライフワークともいうべき重要なテーマです。
私自身、自分と両親との関係についてはいろいろ悩むところが多かったですし、お恥ずかしい話ですが、未だにまだ癒せていない部分もあるように思います。
そして私と私の娘たちの間にも、様々な問題や葛藤がありました。
ですから私は、この先も、そんな問題をお持ちのお客様のお役に立ちたいな、立てたらいいなと願いながら、今日もカウンセリングをしています。

さて、実は私は常々「私にはいつも三人の強力な守護天使がついてくれている♪」と勝手に思っているのですが、今日はそんな私の大切な天使のひとり、私をカウンセリングの道へと導いてくれた長女の話をしたいと思います。
(ちなみにあとの二人は、以前このコラムにも書かせていただいた、次女と十一年前に他界した弟だったりします)
と、いうわけで。
皆様、よろしければしばらくの間、お付き合いくださいね。


+++++

私には、かつての自分は相当にひどい母親だったという自覚がものすごーーくあるのですが、それは主に長女に対して感じていることが多かったです。
特に次女が生まれてからというもの、私の意識は次女のほうに向いていることが多く、長女にはとても寂しい思いや辛い思いをたくさんさせてしまいました。
子どもは対人関係の基本となるものを母親との関係性の中で学びますが、私との距離が遠かったこと、私がきつく当たったりしたことなどから、元々繊細で怖がりな長女は対人関係を構築することが上手にできなくなってしまいました。

そして、長女は高校二年生の終わりごろから、学校生活や対人関係のストレスもあってか、自傷(リストカット、アームカット)をするようになり、さらには強迫性障害に苦しむようになったのです。
当時、5歳下の私の弟が亡くなってから6年ほどが過ぎていましたが、弟の病気とその死の衝撃はとても大きく、私は娘が弟のように自ら命を絶ってしまうのではという恐怖に苛まれていました。
そうして必死で解決法を探す過程で、カウンセリングサービスのHPに辿り着いたのです。

その後、クライアントとしてカウンセリングを受ける日々を経て、カウンセラー養成コースに入った私は、コース生になって半年くらいたったある日、ヒーリングワークの場で自分の問題を扱ってもらう機会を得ました。
そしてその場で、当社の代表で、私たちの先生でもある平トレーナーは私の話を聴いたあと、「許せない人を許す」というセッションに私を臨ませたのです。
それは、自らのひどい罪悪感と向き合うことすら出来ず、他人を責めてばかりいる私に一番必要な、「許し」という「癒し」を体験させたいという、先生の親心だったのだろうと今ならばわかるのですが、その時の私にはとてもそうは思えませんでした。

フォーカスパーソンスタイルという手法のそのセッションは、ロールプレイ(役柄を演じる)とミュージックセラピーを組み合わせたものですが、たくさんの人のエネルギーが乗るからか、とてもパワフルで効果があります。

私の目の前にはその時、当時絶対に許せないと思っていた相手役の人が立っていました。
私は深く俯いたまま、奥歯をきつく噛み締め、爪が手のひらに食い込むほど握り締めながら、「絶対に許すものか」「お前の所為でこんなことに」と、心の中で何度も何度も、呪詛のように繰り返していました。
けれどいつまでたってもその恨みは消えず、無様な私はそこから一歩も動けず、時間だけがただ過ぎていく――、その時、先生がこう仰ったのです。

「あなたはまた自分のことしか見ていない。今、そこにあなたの娘さんがいることが、ちゃんと見えていますか?」

その言葉に私にとって、信じられないほど大きな衝撃でした。
そうです、その時たしかに私の中から、娘の存在は全く消えていました。
「自分しか見ていないってこういうことだったんだ」と、私は思い知ったのです。

その時、私の後ろには、蒼白な顔でやっと立っている、娘役の受講生さんの姿がありました。
役を演じてくれているだけだというのに、彼女は本当に息も絶え絶えで、今にも倒れてしまいそうなほどに、私には見えました。
先生の仰る通り、あの時私の頭の中には、私自身の怒りや恨み辛みのほか、なにもなかったのです。

私は本当に、自分のことしか考えていませんでした。
心のどこかでいつも「こんなに辛いのに誰もわかってくれない」と、そんな風に思っていました。
あんなにも娘が苦しそうな顔で、私を見つめていてくれたというのに。
そしてそれは、その時だけのことではなかったのです。

まざまざと見せつけられた自分の心の醜さに、そのときの私は愕然としていました。
そんな私に畳みかけるように、さらに先生はこう言われたのです。

「あなたがそこで自分の痛みに入っているのは、あなたの勝手です。でも娘さんはもう保ちませんよ」

そこまで言ってもらわなければ、事実を突きつけられなければ、私はそれに気付けませんでした。
これまでの四十数年、私は自分のことしか考えていなかった。
けれど娘は、そんな私をずっと愛し続けて、待ち続けてくれていたのです。

そして私は、娘のために、一生恨み続けていくはずだったその人を許すために、やっと一歩を踏み出しました。
自分自身のちっぽけで醜い恨み辛みや罪悪感なんかよりも、もっと大事で、もっと尊いものを選ぶと、そう決める事が出来たのです。
長女を産んで二十年近く、ようやく私は本当の意味で母親になれた――、それは私が、自分の人生を本気で変え始めた、最初の一歩でした。

今思えば私の弟もまた、本当は両親を助けたかったのだろうと思います。
彼の死後の父と母、姉、そして私――、家族それぞれが辿った道筋を思えば、もしかしたら彼は命を賭して、両親を救うための役割を果たし、自らの人生を全うして、天に還っていったのかもしれない。
弟の後、三年ほど経って亡くなった父も、長い年月と時間を経て、最期には心から母を想い、気にかけながら旅立っていきましたから。
不仲な時期が長かった父と母でしたから、かつて私たち姉弟は、そんな風に両親が心を結び合わせる時が来るだなんて、想像もしていませんでした。
弟の病気と死、家族の諍い、不和、それらひとつひとつは悲しい出来事だったかもしれないけれど、そのどれ一つが欠けても、あの結末にはならなかった。
苦しいこともたくさんあったであろう生涯を、そんな風に終えることができた父は、たぶん幸せだったのだろうと私は思います。


弟や私の娘がそうだったように、子どもは親を愛していて、その愛ゆえに、親がどんなにひどい状況にあっても、なかなか諦めてはくれません。
その身や心を削ってまでも、親を助けよう、愛そうとしてくれます。
生まれてきてくれた、ただそれだけでも尊いことで、ありがたいことなのにね。

そういえば、私がコース生になってからのある日、こんなことがありました。
まだまだ重苦しくしんどい気持ちを抱えたまま、滅入って横になっていた時のこと、娘が何も言わずそっとそばに来て、私の手を取りました。
そうして、ただ黙って私の手を握っていてくれました。
自分のほうがどうしようもなく苦しかったはずなのに、それでも私を思って、静かに寄り添って、黙って手を握ってくれた。
どうしてこの子はこんなにも優しいのだろう、どうしてこれほど尊いものがこの世に存在するのだろうと流したあのときの涙の熱さを、私の頬は未だ鮮明に憶えています。
この子の存在は、私にとっての奇跡で、どんなものにも代えられない、得難い宝石です。

あれから4年以上が経ちますが、今でも娘の左腕は、肩のあたりから手首まで隙間なく、たくさんの傷で埋め尽くされています。
一生消えることのない傷ではあるけれど、彼女の腕の傷、そのひとつひとつをどんなものよりも美しいと、誇らしいと心から思える今の自分が、私には誇らしいです。
そして、この思いを私にくれた娘を自分自身よりも愛おしいと思う事が出来て、本当にしあわせだと思っています。


かつての私のように、ひどい親だと自分を責めることは心には辛く感じられますし、自己罰としてはいい方法かもしれません。
けれどそれは、自分以外の誰かにとってはあまりに簡単で安易で、時には卑怯にも見えるのではないでしょうか?

何故って、その時そのひとは、自分を責める以外のことは何もしないで済むからです。
その自責の念、自己否定や自己攻撃は今思えば、私にとってはただの甘ったるい自己憐憫であり、ある種の自己陶酔でした。
だからこそ、かつての私のようにそこにハマってしまうと、なかなか抜け出すことは出来ません。
そこから抜け出すということは、自分自身の罪悪感や痛みよりも、子どもたちを、愛するものを選ぶ、という選択をするということ。
彼らの愛を受け取ろうという強い意思を持ち、罪悪感を手放すこと、彼らの愛にふさわしい自分になろうと、腹を括ること。
それはとても勇気が要ることだけど、どんなに大きく険しい壁があるように思えたとしても、そうしたいと願ってさえいれば、いつか必ず飛び越えられると私は知りました。


今、娘たちと、弟と、彼らの愛を思い出せれば、どんなときも私は至上の喜びの中に在ることができます。
彼らがくれた愛への感謝と、彼らへの愛おしさで胸がいっぱいになり、私の心は完全な喜びで満たされ、何をも求める必要もなくなり、ただただ「愛」だけになる――、それがどれほどしあわせなことなのか、わかっていただけるでしょうか?
それがただの幸福な勘違いや錯覚だったとしても、たとえ今、この瞬間に命が尽きたとしても悔いなどないと想像できるくらいに、目の前の誰かを心から愛することができる喜びは、私にとって大きなものです。
カウンセリングの現場や、ヒーリングワークの中でよく感じるこの感覚、これが好きだからこそ、私はカウンセラーをやっているのかもしれません。
ちょっと大げさに聴こえるかもしれませんけどね(笑)。
でも、これを読んでくださっている皆様の中にも、この感覚を知っている方はきっといらっしゃることと、私は思うんです。

いえ、そうではないですよね。
私たちは皆、この感覚を、この思いを、知っていたはずです。
だからもう一度、それを味わうために、この地上に降りてきたのではないでしょうか?
少なくとも私は、心からそう信じているのですけれど(笑)。


どうやっても自分を責めてしまう、かつての私のような方へ、私が伝えたいこと。
そしてここ数年、娘がくれたきっかけから私が学んできたことのすべてはたぶん、これらの短い言葉で言い表すことができるはずです。

どんな痛みも、乗り越えることができる。
愛さえ、あれば。
あなたが、誰かを、愛してさえいれば――。

どうか、心の隅に置いておいてくださいね。

読んでくださって、どうもありがとうございました。
あなたがいつも誰かを、心から愛していられますように――。
よろこびの中に、光の中に、あなたの心が在れるよう、心から祈っています。


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2015年11月 3日

たったひとつのアイスクリームが教えてくれたこと

みなさま、こんにちは
岡田郁美(おかだいくみ)です。

私は、カウンセラーであり、看護師でもあります。
まだカウンセラーになっておらず、病棟勤務をしていた頃のお話です。


ある日、スタッフの一人が、ターミナル(末期がん)の患者さんが、
お食事を全然召し上がらないと、相談してくれました。

私は、NST委員(NSTとは栄養サポートチームのことです)でしたので、
このような相談を、たまに受けることがありました。

その患者さまは、嗜好食といって、栄養士が患者さまのところに聞き取りにいき、
患者さまの食べたいものを提供するという食事形態を、すでにとられていました。
それなのに、お食事を召し上がられないので、担当スタッフは困って相談してきたのです。

私たち人間にとって、食事はとても大切なものです。
そして、楽しみのひとつでもあります。

自分で、「これなら食べられそうかな!?」と選んだものでさえ、喉をとおらない。
運ばれてくる食事を前にして、顔を曇らせてしまわれます。
どんなにお辛かったでしょうか・・・

しんどさで、身体のやり場のなさを感じる日々。
毎日、根気よく介護を続けるご家族さま。
心が折れそうなことも、何度もあったと思います。


担当スタッフから相談され、その方の病室に伺い、
「何か食べたいものはありませんか?なんでもいいのでおっしゃってくださいね」
とお尋ねしました。

すると、「アイスクリームが食べたい」と、おっしゃられました。

栄養科に、アイスクリームを提供してもらうよう依頼しました。
そして、その日のおやつの時間に、その患者さまにバニラアイスが届きました。


その後すぐ、担当スタッフから、
患者さまがとても喜ばれ、「おいしい、おいしい」と言って、
アイスクリームをすべて召し上がられたと、報告がありました。


私も、とても嬉しくて、患者さまの病室に伺いました。

すると、笑顔で「おいしかったよ!ありがとう」とおっしゃってくださいました。
ご家族さまも、少しほっとしたような表情をされていました。


その時、「この笑顔のために、この仕事をしているのだ」と感じました。

もちろん、それは、患者さまに関わる人たち、すべての人が想っていることです。


その日、栄養士さんにお礼の電話をした時に、

栄養士さんが、その患者さまのために、
アイスクリームを買いに走ってくれたという話を聞き、心からそう感じました。

このアイスクリームの話は、ナースステーションでも話題になりました。


数日たったある日、
別のターミナルの患者さまが、お母さまが面会に来られている時に、
「シュークリームが食べたい」とおっしゃられたそうです。


その時の担当スタッフが、この件を思い出し、
患者さまに、
「シュークリームが食べたいのですね。提供してもらえるか確認します」
とお伝えしたところ、

面会に来られていたお母さまが、「私が買ってきます!」
とおっしゃられ、買いに行かれたそうです。


そして、その患者さまは、
お母さまが買ってこられたシュークリームを、おいしく召し上がられたそうです。

もちろん、それを買ってきたお母さまも、
とても嬉しそうだったことは言うまでもありません。

人はみな、大切な人の笑顔のために。


今、辛かったとしても、
せめて、ひと時の安らぎや、喜びを感じてもらうために。

その人の「ありがとう!」の一言が聞きたくて、毎日頑張っているのかもしれません。

その笑顔のために、
いろんな人たちが陰で支えてくれていることも、知ることができました。

ひとりでは、難しいことも、
みんなの協力があってこそ、できることが広がると感じました。

私たちカウンセラーは、
あなたが笑顔になるために、
あなたをサポートするひとりになれたら、とても嬉しいです。

また、
あなたが、誰かを笑顔にしたいと思った時に、
それをサポートできたら、とても嬉しいです。


そして、そんな経験をさせていただけることに、感謝しています。


ありがとうございます。

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