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2015年9月29日

カミングアウトした話

ひた隠しにしている秘密ってありませんか?

今日は、そんなお話です。

私は、システムエンジニアの仕事をしながら、心理カウンセラーをしています。

今まで、心理カウンセラーをしている事は、職場の方々には、言い出すタイミングが無かったというのもありますが、ずっと内緒にしてきていました。

ただ、隠しているのは非常に辛いといいますか、忙しくなってきますと、だんだん隠すのも限界がきまして、ついにカミングアウトしたんです。

理系の方達の職場ですので、あまり理解は示してもらえないかもと思っていたのですが、言ってみると、そんなにびっくりされるような感じでも無く、案外、好意的に受け入れて下さったという感じで、さほど波風も立たず、「なんだ、こんな事ならもっと早く言えばよかった。」という感じでした。

ちなみになんですが、システムエンジニアというのは、いろんな会社の方と打ち合わせをしたりする機会があります。

ある、取引先の担当の方で、仕事の話意外にも、私の事をいろいろ聞いてこられる、ものすごくフレンドリーな方がいらっしゃったんですが、その方、私が心理カウンセラーと言う事を打ち明けたら、しばらくして、「心理カウンセラー、頑張って下さいね。」と、心理学の本をプレゼントして下さったんです。(なぜかアドラー心理学の本でした。)

もしかしたら、この方、僕の事好きだったのかもしれません。(男性の方です。)

また、あるときは、こんな事もありました。

ある会社の社長さんで、仕事の打ち合わせをした後、しばらく雑談っぽくなったんですが、その際、唐突にこう言い出されたんです。
「小倉さんは、心理カウンセラーなんですよね?実は、私、そっちの方にも興味がありまして。。。」

と言われるので、「心理学などに興味をお持ちですか?」と聞いてみたら、

「いえ、その、小倉さん、ラブレターの書き方、教えていらっしゃるんですよね?」

との事。

どうも、ちょうど見て下さったブログに、今年の8月に行った、ラブレターの書き方講座の宣伝が書いてあったのを見て下さったようで、とても興味を持たれていました。

次の打ち合わせでは、ラブレターの書き方のレクチャーなど、その社長さんに頼まれるのかなと思いきや、それ以来、一切話が出ませんので、もう興味は薄れてしまったのかもしれません。

ちょっと安心、かなり残念です。

カミングアウトと言うのは、言うまではドキドキしたりするかもしれませんが、言ってしまえば、気持ちも楽になり、周囲の応援も得られたりで、いいもんだなと思いました。

みなさんも、人に言えなくて心苦しくなってしまっている事ってありませんか?

言えばすっきり出来るかもしれません。

小倉健太郎のプロフィールへ>>>

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2015年9月22日

娘のキラキラ「おめめ」をくもらせた母(私)の失敗

おみやげにいただいた「チャイ」は超本格派でした。

もちろんティーバックなんかではなく、ホールスパイスと紅茶が入っていて
自分で小鍋を使って煮て作るのです。
しかも、「しょうがや牛乳は自分で用意してね!」ときたもんだ。
これが美味しくないわけがない!

「こんなに高級で手間のかかるものは、ひとりでこっそり作るに限るよね~♪」とたくらむ私。

ということで、上の子が学校に行き、赤ちゃんがお昼寝中という
私ひとりの優雅な時間。(こういう時間って大事ですよね~。)

おもむろにチャイを作ります。
牛乳は豆乳に変えて、量は少な目。糖分はなしで。
当然自分好みのカスタマイズ。

部屋中にスパイスの良い香りがただよいます。
スパイス好きにはたまりません。
ついでにシナモンまで追加しちゃいました。

「ふぅ~。おいしい。」「はぁ~。ほっとする。」
至福の時間でございます。


そんなにおいしいチャイだったので、
私の影響でいつの間にかチャイ好きに育っていた娘(小2)にも
幸せのおすそ分けをしようと思い立ちました。
(いいえ、正直に白状します。一煎で捨ててしまうのが惜しいお茶だったので
2煎目を入れたのです(笑))


学校から元気に帰宅した娘。
おやつの時に何の説明もなく、そのチャイを出してあげました。
豆乳も超少なめにしたので、パッと見が普通の茶色のお茶なのです。
ちょっと驚かしてやろう(いや、喜ばせてあげよう)といういたずら心。


すると、そんなタイミングで下の子が泣きだしました。目が覚めたようです。
「呼ばれたので、ちょっと行ってくるね。おやつ食べていて。」
と娘を残し、弟の元へ。そしてそのまま授乳タイムとあいなりました。
と、そこへ娘が息せき切ってかけこんできた!

「お母さん、おかあさん!今日のお茶は何??もしかしてチャイ??」
「うん。そうだよ。チャイだよ。」
「うわぁ。やっぱり???おいしぃ~~」
「あれ?もうおやつ食べ終わったの?」
「うん?まだー。でもね、チャイがおいしかったから言いにきたの~♪」
とっても気に入った様子。目を輝かせて早口で報告してくれました。
いやー、よかったなぁ・・・。
その姿がかわいく、心を打たれた私は思わず
「お母さんのカップにもまだ残っていたと思うから、それも飲んでいいよ。」
と提案。娘は、
「えー!?本当?やった~~。じぁ、自分の分を飲み終わったらのむー。」
と目をキラキラさせてスキップするように戻っていきました。


しばらくするとまた娘がやってきました。今度は食べ終わっているようです。
でも、なんだかさえない顔をしています。まるで世界が終わるかの如く暗い顔。
「どうしたの?」と声をかけると、
「・・・・。だって、お母さんのカップには何も残ってなかったんだもん・・・。」


・・・。

飲み残して席をたったつもりが
どうやら、飲み干してからこっちに来ていたらしいのです。

やってしまった・・・。
「あちゃー。ごめん。悪気はなかったんだけど・・・。」

怒るでもなく、しょんぼりと肩を落とす娘をみて
なんてひどいことをしてしまったんだ・・・と反省しました。

意地悪する気なんてなくて、喜ばせてあげようと思っただけなのに・・・。
これは、大失敗であります。とほほ。

とはいえ、ちゃんとドジな母を許してくれるやさしい娘に感謝です。


子どもって喜ぶのも、へこむのも全身をつかって表現してくれますね。
のびやかだな~と感心します。
(果たして、私は子どもの頃、こんなにまっすぐで純真だったろうか?(笑))
でもでも、こんなにも素直でかわいらしい反応をかえしてくれるからこそ
笑顔にさせてあげたくもなるのかもしれませんね。
この感性をつぶさずにのびのびと育ってほしいと願う日々です。


大丈夫。まだ茶葉はのこっているよ。
また作ってあげるからね。

だって、あなたの笑顔がみたいから。


(了)

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2015年9月15日

私が野球を好きなわけ

「好きなものは何ですか?」
よく質問されることですよね。
私にも好きなものはいろいろありますが、その中のひとつとして“野球観戦”と言うと「へぇ~、意外ですね!」と言われることが多いです。

好きになるには、それなりに理由があります。
私の場合は遥かかなたの中学時代、好きだった人が野球部でエースとして活躍していたことがキッカケです。
放課後、教室の窓から野球部が練習しているのを、よく見ていたものでした。
その人、【くまさん】というあだ名だったんですよ。
ガッチリしていて目は小さめで愛嬌があり、くまのプーさんにちょっと似ていたような気がします。

中学2年生の時の話ですが、たまたま野球部の顧問をしていた先生が担任でした。
夏休み、野球部が合宿をすることになり、食事担当は家庭科の先生だったのですが、サポートが欲しいということで、私ともう一人同じクラスの女子に白羽の矢が当たりました。
彼女も、野球部に好きな子がいたので、願ったりかなったりの状態でした。
こうして、2泊3日の野球部合宿に私達も同行することになりました。

朝ごはんが終わったら、練習。
昼ごはんの後、少し休憩してまた練習。
食事係りの私たちは、その練習の合間に家庭科の先生の指導の下、まるで炊き出しのように食事を用意するのですが、これを【くまさん】に食べてもらえるかと思うと、何だかとても嬉しくてウキウキしていました。
その頃の中学生のお付き合いなんて、目が合っただけで喜んでいるような純情さでしたが、あんなに純粋なトキメキは大人になるとともに忘れてしまったかもしれません。

少し話が脱線してしまいました^^;
その合宿の期間中に、顧問の先生に野球の基本的なルールを教えてもらったり、スコアブックを見せてもらったりしているうちに野球と言うスポーツの面白さを知るようになりました。
私は一つのことをやりだすと、かなりの凝り性なんです。
ピッチャーの投げる1球1球には意味があり、ピンチに陥った時などには、どれほど落ち着いて状況を見ながら投げることが出来るかが大事だということが解ってきました。

淡い初恋は学年が変わる頃、ほどなく終わってしまいましたが、【くまさん】を好きになったおかげで私は野球を観戦する楽しさを知りました。

高校は甲子園球場に近いところにありましたから、自然と野球に親しみました。
高校野球もよく見に行きましたよ。
私は自然と阪神ファンになりましたが、好きなものを好きだと言っていると、いろいろと良いことがあるのは本当のようです。
「そんなに好きなんなら、見に連れて行ったろか?」という人が現れたり、「球場の年間指定席、使えるのがあるからあげるよ。」と言ってもらったりしました。
そんな時、私が言うのはたった一言。
「本当!嬉しいわ~、ありがとう!」

野球は、よく人生に例えられることがあります。
9回のウラ、3点差で負けていて二死満塁、次のバッターがホームランを打てば、劇的な逆転満塁サヨナラホームランという場面。
これは、相手のピッチャーから見れば9回まで抑えて勝ち進んできて、「あと一人」の状態です。

1球1球、固唾をのんで見守る観客。
打席に立っているバッターは、もちろん緊張しているはずですが、ピッチャーにしてもプレッシャーは相当なものです。
苦しいのは自分だけじゃない、相手だって苦しいのです。
それならば、“今ここ”にいかに集中できるかが勝負の分かれ目です。
野球は、「打たれるか」「抑えるか」のどちらかになるわけですが、人生においては、たとえ望まない結果であったとしても「ベストを尽くした。」と思えたことは必ずや、その経験を今後に生かせるのではないかなと思います。

勝負が決まった時、そんな極限の緊張感から、解放される瞬間が大好きです。

今から12年前の、2003年9月15日。
それまで下位を低迷していた阪神タイガースが、当時の星野監督の元、甲子園球場でリーグ優勝を決めました。
あの歓喜に包まれるまでには、シーズン中何度も極限状態が訪れていたのを、よく覚えています。
それを乗り越えてこそ得られた喜びに、私も酔いしれた一人です。

こんな楽しみを教えてくれた初恋の人【くまさん】。

今はきっと良いお父さん(もしかしたらおじいちゃん?)になっているかもしれませんが、心の中で今改めて“ありがとう!”の気持ちをを伝えたいなと思います。

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2015年9月 8日

状況が変わらなくても、問題は解決するかもしれない

私たちは、なにか問題に直面した時に、その問題を解決しようとすることが多いですね。例えば、病気にかかってしまったらその病気を治したいと思いますし、パートナーが欲しいけれど今はいないとしたら、パートナーを見つけたいと思います。

また、就職活動をしているけれど、なかなか就職先が見つからないという場合は、就職することが問題解決になるのかもしれませんし、ご主人が浮気しているという奥様がいたとしたら、ご主人を取り戻すことが問題解決になるのかもしれません。

もちろん、これらのように、ある明確な希望が実現して問題が解決するということもありますし、それはとても素晴らしいことだと思います。

でも、私は、状況が何も変わらなくても、問題が解決することがあるのではないかと思っています。それを、私自身の体験を踏まえてお伝えしたいと思います。


私は、23歳のときに、とても重いインフルエンザにかかってしまいました。一週間以上40度近い熱を出し続け、熱が下がった後も、ふらつき感がずっと残っていました。

動いている電車の中で、例えば車両を移動しようと思って歩くと、普通に歩くのと違って、どうしてもフラフラしてしまいますよね。私は、極端に言うと、動いている電車に乗りながら生活しているような感覚を、いつも感じてしまうようになったのです。

もちろん、私は、この症状を治したい、完治させたいと思って病院に行きました。めまいかと思って調べましたが、めまいではありませんでした。そして、医師から、「そういう病気はありません」と言われてしまいました。

病院を変えて何度も調べましたが、結果は同じでした。私は、医師に、「全身のあらゆるところが心臓の鼓動に合わせてピクピクって動くんです。それが原因で、結果的に歩くとふらつき感があるんです。」と訴えました。

そう訴えたら、ある病院で、心療内科を紹介されたこともありました。そのときは、本当に悔しかったのと共に、もうダメだ、というような絶望感すら感じました。

私は今43歳ですが、実は、状況は何も変わっていないんです。つまり、20年間も状況は変わらないのです。

しかし、私は、20年間苦しみ続けたわけではありません。20年間この症状と共に歩んできたというような感覚です。この症状は長年のお友達というような感じです。

症状はなくならなくても、発症して数年たった頃には、この症状のことがほとんど気にならなくなっていました。


私が学んだカウンセリングスクールでは、数多くの受講生の前で、自分が解決したい問題を先生に相談する場合があります。あるとき、私がみんなの前で話すことになったとき、私は、思い切って、この症状について先生に相談しました。

私自身は症状についてほとんど気にしていないわけですが、さすがに、こんな問題をみんなに聞いてもらったら、私のことを変な目で見る人もいるかもしれないと思いました。

しかし、私が感じる限りにおいて、私の症状の話しを聞いて、私に対する態度を変えた人は全くいませんでした。もともと仲のいい友達に、「あんな話しをしてしまって、やっぱりイメージよくないよね」と話したら、「なに言ってんの、そんなこと思ってるの本人だけだよ!」と、むしろ怒られてしまいました。


私がこの症状の話しをしたときに、私にはパートナーがいなかったんですが、その2か月後に、縁あって、ある女性をお付き合いをはじめました。たまたまなんですが、その女性は、私が症状の話しをした時に、ワークショップに受講生として参加していました。つまり、その場で私の症状の話しを聞いていたのです。

お付き合いを始める時に、私の症状の話しは全く出ませんでした。相手も気にしていないか、忘れていたのだと思います。いずれにしても、私の症状について問題視していなかったということだと思います。


また、症状をみんなに話した後には、こんな出来事もありました。カウンセリングスクールのワークショップでは、講座中に音楽を流すことがあって、あるとき私は、アシスタントとして、その音楽を流すためのメカの担当をしていました。そのときに、大勢の受講生の前で、ワークショップの先生がこんなことを言ったんです。

「彼は、自律神経失調症で手が震えるんです。でも、意外とメカの操作できるんですよ」

これを聞いた瞬間は、少し恥ずかしいなと思いました。でも、すぐにこう思いました。

「ああ、この問題は、既に解決しているんだな」と。

もし私が症状を問題ととらえていて、そんな症状がある自分を責めているとしたら、先生のセリフに対して、「そんなこと言わなくてもいいじゃないですか」と怒っていたかもしれません。しかし、私には、先生に対しての怒りは微塵も浮かびませんでした。これは、私自身が、症状がある自分をダメだとは思っていないということの証拠なのだと私は思っています。

その後、なぜか先生は、この私の症状の話しを、たまにワークショップ中に大勢の人の前で言うんです。そして、そのたびに私は、この問題が解決していることを確認できるんですね。なので、先生が症状の話しをするたびに、「先生、本当にありがとうございます。」と心の中で感謝しています。


私がお伝えしたいポイントは、「症状自体が問題なのではなく、その症状を自分自身がどうとらえているか」ということが重要なのかもしれないということです。症状があることが問題なのではなくて、それをダメなものとしてしまって、自己攻撃していることが問題なのかもしれませんね。

私は、症状が改善しなくても、問題を解決することが出来ました。この私の経験が、みなさんの参考になったとしたら、こんなにうれしいことはないですね。それこそ、「症状さん、ずっとお友達でいてくれて、ありがとう」という感じですね。

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2015年9月 1日

駄々っ子のススメ

「もうやだ~」
「なんで私ばっかり」
「我慢しても、頑張っても、ちっともいいことなんてないじゃない」

そんな風に思うことって、長い人生の中では割とあることなんじゃないかなって、私は思います。
少なくとも以前の、いえ、つい最近までの私には、本当によくあることでした。
そして、そんな風に思う人って大抵、すごく「いい子」、もしくは「いい人」だったりするんじゃないでしょうか?

私自身、自分がかなりの「いい子ちゃん」だったのだと知ったのは、心理学を学んでからのことです。
それまでの私は、自分をごく普通の人間だと思っていたのですが、じつはものすごーーく「いい子」であり、「いい人」だった(というより「いい人」を演じていた)ということを、心理学と学ぶことによって知りました。
それまでは私の中では「いい子」というと、優等生で、はきはきしていて、勉強もスポーツもできて、お手伝いも人一倍、というイメージだったので、じぶんがそこまで「いい子」だとは思えなかったのです。
でも今思えばやはり、私はかなりいい子だったようです。

そんな「いい子」の私には、気付いていなかったけれど、我慢をたくさんして、「いい子」でいることで得たいものがあったのです。
悪い人や悪い子になったら、きっと手に入れられないだろうと思っていて、だから頑張っていたんだなと、今ならよくわかります。

でもそれって、ずっと長いことやっていると疲れてしまうんですね。
だから、「もうやだ!」って地団太踏めれば少しは楽になるんだろうなと思うんですが、なかなかそれが出来なかったんです。
いい子の振りが板につきすぎちゃって、悪い子ができなかったのね。
たぶん、ずっと――、ちいさいころから。

じゃあ本当は何が欲しかったのかというと、「認めて欲しい」「褒めて欲しい」「もっと構って欲しい」「愛してほしい」「一番大事だよって言って欲しい」――、そんな風に思っていたんですね。
両親や、周りの大人たちからそう思われたい、言われたい、それが私の望みだったようです。

でも、そういう気持ちって、あなたの中にもないでしょうか?
子どもにとって、いえ、大人にとっても、そういう気持ちって有ってふつうのものなのではないかと、私は思うんです。
だからと言って必ずしも、求めたものを満足できるほどに与えられる、ということもないのですけど。


我慢してきたこと、抑えつけてきた思いは、決して私たちの中から、消えてなくなりはしません。
消えて、無くなってもらうためには、もう一度それを取り出して、じっくり眺めて労ってあげないと、残念ながら想いは成仏してはくれないんですよね。
感情は感じ尽くすことですっきり綺麗に無くなっていく、と言われていますから。

でも本当は、そっと無かったコトになってくれれば、どんなに楽か……。
自分の中にそんなものがあることを認めたくないからこそ、今まで無理やり押さえつけてきたんですものね。


成長する過程で欲しかった親からの愛や関心を諦めるために、私たちはとても大きな「怒り」を使います。
そういえば誰から聴いたか忘れてしまったのですが、「『絶望』とは、『諦め』という名の『怒り』である」という言葉を聴いたとき、私は「いい得て妙だな」と思ったものです。
だからもう一度、かつて自分が求めていて諦めたそれらと向き合おうとすると、怒りが出てくるのかも知れませんね。


そうそう、心理学を学んで、自分を癒すことを進めていくと、いい意味で、どんどん「いい子」や「いいひと」が剥がれ落ちてきます。
「いい人」と思われたいがために今までしてきた「無理」をやり続けること(補償行為といいます)が、だんだん出来なくなってくるんですね。
そして、「悪い子」の自分にも「OK」が出せるようになってきます。
だからと言って、急に極悪人になるわけでもなく、「めっちゃいい子」だったのが、「普通のいい子」になるだけなのですが。


と、まあ、ちょっと話がずれましたけど、そんな「良い子」のあなたにお勧めしたいのが、「駄々っ子」になること(笑)。
でも、誰も見ていないところで「駄々っ子」になることは、お勧めできません。
誰か受け止めてくれる人の前で、うんと駄々を捏ねてみて欲しいなと、私は思っているのです。

だって、誰も見ていてくれないなんて、駄々の捏ね甲斐がないってモンでしょ?
グチグチ言って、拗ねて、泣き言や、文句を言って、それでも受け止めてくれる人の前でやれてこそ、かつての「想い」もちゃんと成仏するってものです(笑)。
だからどうか、本当ならずっとちいさいころ、お父さんやお母さんに受け止めて欲しかったはずのささやかで、だけど大切なワガママや望みを、今、しっかり受け止めてくれる人の前でぶつけてみてください。

そうするとね、不思議なもので、いつの間にか楽になっていきます。
本来、受け止めてくれるはずだった相手でなくても、誰かが受け止めてくれた、見届けてくれたというだけで、かなり楽になれるんですね。
もちろんコレ、私の経験談なんですけどね。

そうなんです。
上級者になると、自分自身で受け止めて、楽にリリースできるようになるのだと思いますが、私もまだまだそこまでの境地には至れていないので、よく友人に受け止めてもらっています。
いつもありがとう、心の友よ(笑)!

でもね、たとえ自分で処理できるようになったとしても、受け止めてくれる人がいるなら、甘えてみるのもいいんじゃないって思いませんか?
だって、誰かを甘やかしてあげるのって、意外と楽しいものなんです。
だから私も、私の大事な友人たちに、私を甘やかすという楽しみを与えてあげよう!というのは、ちょっと苦しい言い訳でしょうか(笑)

何故ってね、痛みに入って浸り込んでしまったり、落ち込んでしまうよりは、思い切って駄々を捏ねて、受け止めてもらって、「はい、すっきり!」となったほうが、いいんじゃないかなと私は思うから。
私もそうでしたからね。

深刻になりきらず、でも思いっきり駄々を捏ねてみると、ふっと笑えてきます。
「私っておバカさんね、でも可愛いかも」って思えてきます。
そして、同じように誰かを受け止めてあげられるようになります。
「そっかあ、よしよし、寂しかったんだね。頑張ったね。そんな○○ちゃんって、とっても健気で可愛いよね」って。

そうしたらそのひとはそんなあなたに癒されて、いずれ誰かを受け止めてあげられるようになるでしょう。
それって、とっても素敵なことじゃないでしょうか?

「優しさ」や「愛」って、邪魔するものさえなければ、水面に落ちた一滴の水のように波紋を広げ、どこまでも伝わっていくものだと、私は信じています。
そう――、あなたの愛が伝わって、広がって、遠くまで拡散していく、それがいつか誰かを救ってくれるとしたら?
駄々っ子になってみるのも、悪くないって、そう思いませんか(笑)?


ただ、そう簡単にリリースできないほど「怒り」が大きいときには、そこにまだ大きな「痛み」が眠っているはず。
その場合はまず、それを優しくケアしてあげることが必要です。
その際は私たちカウンセラーに、遠慮なくご相談くださいね。

お読みいただいて、ありがとうございました!
あなたがもっと楽になって、毎日を楽しく、しあわせに過ごしていけますように☆彡

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