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2015年7月28日

補償行為についてのお話。

なんとなくやっているけど、何のメリットも無いといますか、ちっとも報われないと思う事ってありませんか?
もしかしたらそれは、補償行為というやつかもしれません。

補償行為というのは、なにかを補おうとする、埋め合わそうとする行為です。

例えばなんですが、補償行為と聞いて、私がパッと思いつくのは、「ごんぎつね」です。
ごんぎつねのお話は知っていますか?

このお話の中で、いたずら好きのごんが、兵十の捕まえたうなぎを逃してしまったしばらく後に、兵十のおっかあが亡くなってしまった事から、自分の事を悪いきつねだと思い込んでしまい、それから、自分のした悪い事を埋め合わせる為に、果物やら野菜やらを兵十の元に届けるというお話ですね。

ここでいう「果物やら野菜やらを兵十の元に届ける。」という行為が補償行為です。

そもそも、このごんきつね、自分の悪い行いを埋め合わせる為に果物やら野菜やらを兵十の元に届けるのですが、なんとそれらは畑から盗んできたもの。。。
補償行為というのは、「埋め合わせはするけど、自分の行いは悔い改めない。(自分は変わらない)」というのも、どうも特徴のようです。

ところでなんですが、私はよくドリップでコーヒーを飲む事があり、自分のブログなどで何度か「コーヒーが好きです。」なんて書いてたりするのですが、最近気が付いたんですが、私、そんなにコーヒー好きじゃないんです!?

なんというか、そもそも苦いのが好きじゃないし。。。

じゃあなんで好きでもないのに飲んでるんだろうと考えると、どうも私、自分の事を「子供っぽい。」と思っており、それを埋め合わせる為に、コーヒーを飲んでたみたいです^^

甘い物好きを子供っぽいと感じ、そんな子供っぽい気分を感じないように埋め合わせる為にコーヒーを飲んでたなんて。。。
発想が子供っぽい!!!

あと、補償行為をするというのは、もう一つ特徴がありまして、それは、やってる本人になんのメリットも無いという事です。

そりゃそうですね。
子供っぽい自分を隠す為にコーヒーを飲むなんて、なんのメリットもありません。

子供っぽい自分が嫌なら、コーヒーを飲むんじゃなくて、自分を振り返って、節度ある行動を心がけるとか、何かしら価値のある事を探してそれに取り組んだり、もっと他に大事な事はいくらでもありますね。

他にも、振り返って考えると、補償行為はいくらでもやっています。
例えば、大学時代が、軽音楽部に入って洋楽のコピーバンドのドラムをやっていたりしたんですが、そもそも私、洋楽好きじゃないというか、ほとんど興味無いんです。

これも、当時自分の事を男っぽくないと感じ、それを埋め合わせる為にやっていた補償行為です。
補償行為なので、たいして上達もしなかったし、社会人になったと同時にドラムどころか洋楽すら一切聞かなくなりました。

音楽と言えば、J-POPを中心とした流行りの音楽ばかりです。

みなさんも、なんとなくやっているけど、何のメリットも無い。ちっとも報われないと感じる事は無いでしょうか?
それは、もしかしたら補償行為かもしれません。

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2015年7月21日

制限と才能は、ココロが織りなす創作物 ~モノの価値は誰が決めるの?~

こんにちは、建部かずのぶです。

少し前のことです。
知人からお誘いをいただいて、【イグジット・スルー・ザ・ギフトショップ】という映画を夫婦で観ました。

ただ私たちが予め聞いていたのは、アートに関するイベントの一環での上映会ということと、
映画を通して、来場した皆さまと社会について語り合うコンセプトを持っているということ。

実のところ2人とも良く分からないまま、ちょっとした好奇心を感じて参加したんですね。

知人は他の方も誘っていたようで、アートで新しい企画を仕掛けていたり、ニューヨークと日本を往復している話などで盛り上がる中を、ワールドワイドな話について行けない私たち。
さらに、たまたま来られていたお知り合いの絵描きさん、挙げ句は主催者の方までも輪の中に集まって、ますます芸術的な会話で盛り上がっていきます。
という中で、司会の方の挨拶が始まり、そして映画【イグジット・スルー・ザ・ギフトショップ】がスタートしました。

いきなり街に落書きするシーンが映し出されました。また警官に追われている場面も。
物語はストリートアートのアーティストたちと、そんな彼らを四六時中カメラを回しながら追いかけ続ける、何でもビデオに撮り続ける癖を持った、カメラオタクの主人公ティエリー。

「一体何が始まるの?」
少々危なっかしい世界観からスタートしたお話は、誰もが想像もしないような方向に展開していきます。

ティエリーの素直で、少年のようにピュアで、コミットメント力がある彼の独特な価値や方法は、今までのアートの世界には皆無だったのかも知れません。
「こんなのアリ!?」と思うような、常識外れのサクセスストーリーでした。

上映後に主催者の方から解説があり、これはどうやら実話らしい、ということでますます不可思議な趣を感じました。

その後に5人程度のグループに分かれて、感想を言い合う時間がありましたが、観た人の感想があまりに違っていてそれも興味深かったです。
さらに主催者の方がグループにマイクを回して意見を聞くと、アーティスト目線に事業家的な目線、学生目線だったり、評論家的な目線だったり、遵法からの目線だったりと、出てくる答えがこの映画の面白さを表していたかのよう。

場が温まったところで、パネルディスカッションもあり、アートなお話が続きます。
知らないだけで、こんな活動をしている方もいるのだなぁと感嘆してました。

その後、お茶に誘っていただきました。
皆さんのアートへの情熱に少々引け目を感じましたが、一度お話の輪に入ってしまうと、こんな場面でも不思議なシンクロが生まれました。

三重から来られた方は、実は私たちの三重の知人とお会いしたばかりでした。

会場に向かう途中で腹ごなしにと、ふと立ち寄ったカレー屋さん。
そこはネパール人の店長さんで、店を出るときに大地震の募金もしたのですが、たまたまお茶で集まった皆さんは実はネパールに関わっていました。

やや場違いなように感じていた空間にもこんなご縁が隠れていて、シンクロに驚いた後は今まで知らなかった世界が一気に広がったのでした。
あの時感じた場違いな感覚って、自分が作った制限だったのですよね。

ちなみに、私が映画から感じたこと。
どこか話全体が、社会の縮図を表しているように思えたんです。

世の中にはさまざまな常識に有名無名、モノの価値や値段があって、そこに人の感情やお金が絡んできます。

自分で見て、自分で決めているようでいて、実のところ何かに踊らされていることもある。
自分では真実だと思っていたことが、自分や誰かが作り上げた幻想であり、誤解でもある。

人にはいろんな観念があって、そのルールで日々を過ごすけれど、「それでいいの?」という問いを観客に突きつけているような内容でした。
リアルとフィクションが交錯する不思議な感覚の映画でしたが、社会の虚構と、またそれを軽々と追い風にしてしまうティエリーに、とんでもない天才性と少しの嫉妬を感じさせられるのです。

ストリートアートも、ただの壁の落書きだったのに、社会の流行によってはオークションで莫大なお金が動いたりする“芸術品”に生まれ変わります。
人の可能性って、本当に分からないものですよね。
私もそんな方々をいっぱい応援したいし、もちろん自分の可能性も追求してみたい!

語ればキリが無いような作品なのですが、最後に、ティエリーが開いた初の個展の名前で締めたく思います。
『LIFE IS BEATIFUL!!』

心からそう言って自分らしく輝いている人たちが、1人でも多い世の中に!

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2015年7月14日

祖母の優しさに触れた話

20代最初の頃、私は大きな失恋をしました。

長く付き合っていた彼に、『他に好きな人ができた』と言われ、ある日突然振られてしまいました。
当時は結婚に憧れて夢を見ていた頃だったので、それはもう青天の霹靂で、ご飯も食べれなくなり仕事に行くことが精一杯でした。

そんなこんなで、とうとう体調を崩してしまい、ある日病院へ駆け込んだのです。
待合室は結構な混み具合で、暇を持て余していたのですが、ふと前を見るとドラえもんの漫画本が置いてありました。
何気なく手にとってページをパラパラめくってみると、のび太とおばあちゃんのストーリーが目に入りました。
よくは覚えていませんが、
『ダルマさんは何回転んでも起き上がるよ。転んでも転んでも立ち上がるよ』
と、おばあちゃんがのび太に言っている。そんなことが描いてあったように思います。
それを見て、私も優しい祖母のことを思い出して涙が出そうになったことを覚えています。

失恋してしばらくは、寝ても覚めて心臓がチクチクと痛む感覚がして、『これから私はどうなるのだろう』と、とても不安でやるせない思いでいっぱいでした。
そのことを話せる友達は周りにもいましたが、当時は強がりだったせいか、あまり人に言う気にもなれないのが実際の話で完全に気力を失っていたように思います。。

そんなある日、離れて暮らしている実家に用があって電話をしました。
たまたま私の祖母が電話にでました。
数日前に、のび太とおばあちゃんのストーリーを読んだばっかりだったので、何げなく失恋してやる気がでない話をしてみました。

すると、
「あんたは田舎から1人で東京に行った子やから根性ある子やで。だからもっと良い人がまた見つかるで。おばあちゃんがお祈りしとくわな」
と何度も何度も言ってくれました。

祖母の優しい励ましの声を聴いて、それまで我慢していた涙が流れました。
それと同時に、とても温かい気持ちにもなりました。
おかげ様で、少しずつではありますが元気を取り戻していくことができました。

生まれてからずっと関西の田舎に住んでいる祖母からしたら、東京が外国のようなイメージが出来上がっているのか、よく『東京に行ったこと』を褒めてくれました。
そんな凄いことじゃないのにな~、と毎度思っていますが(笑)、祖母の価値観からしたら凄いことなのでしょう。
そして事あるごとに、「上手くいくようにお祈りしといたるからな」と言います。
一体何に対して祈るのかは謎ですが……笑(予想ではご先祖様かな)。
しかし、祖母の祈りのパワーは絶大のような気がしています。

私たちは、「○○が幸せでありますように」と誰かの幸せを願うとき、自分の中にある愛に気付かされます。

子どもが幸せでありますように。
孫が幸せでありますように。
両親が幸せでありますように。
彼が幸せにありますうに。
親友が幸せでありまうように。

幸せを祈る、というのは宗教的な意味ではなく、人間に自然と備わっている力だと思うのです。
その大きな愛や想いは、いつかその人に届くかもしれません。
その想いが届いたとき、愛されて生きてることに気付かされるかもしれません。
私の場合は、『どこかで祖母が私のために祈ってくれている』と思うと、何故か元気や勇気が湧いてくるものです。

そんな祖母も今では随分な高齢で、今では「私が誰か」顔を見せてもわからなくなってしまっています。
しかし祖母からもらった愛情はずっと消えることはありません。
遠く離れて暮らしていますが、躓いたときや壁にぶつかったとき、いつもあの優しい声を思い出します。

祖母がずっと元気でいられるように、次は私が祈っておこうと思います。

野村香英のプロフィールへ>>>

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2015年7月 7日

自分の持っているものを見直した日

こんにちは、大みぞなおみです。今日は私の、むかしばなしから始まります。
よかったらお付き合いくださいね。

私は20代の頃、お洋服屋さんで働いていました。場所は、横浜と銀座。
おしゃれで洗練された街…ショップスタッフとして、アパレル業界で働く私。

憧れいっぱいでその職についた私でしたが、そこはまさに競争の世界、そして女の世界でした。
売上のためにはかけひきあり、辛坊あり…素朴でどんくさい田舎娘の私はその波に、飲まれもまれて、毎日が四苦八苦でした。

毎日終電、休みの日も疲れて寝てるだけだったなあ…せっかく都会に住んでても、遊びに出かけるエネルギーもなくて、疲弊してました。

そうこうするうち、先輩スタッフとの折り合いが難しくなり、私はうつを患い、悩みながらも仕事をつづけ、結婚を機に退職、逃げるようにして、地元茨城に帰ってきたのでした。

結婚は幸せだったけれど…病気で仕事をやめたことで、夢に破れたような気持ちをいつもどこかで引きずっていました。
それはコンプレックスとなって、私の中にくすぶり続けました。

楽しかった思い出もあります。流行最先端のファッションで店に立つ私。
月末は、予算達成に向けて接客にも力が入ったな。
売上上位に入って、スタッフ同士飲みにでかけて盛り上がったり。
そして何より、お客様に喜んでいただけたこと。

大変だったけど、華やかだったな…もう、あんな想いをすることは、私の人生にないかもなあ…でも、あの世界では、私は通用しなかったんだよなあ…
華やかな思い出の裏に、そんな情けない思いや自分を諦めた寂しさが、いつも隠れていたように思います。

さて、これは最近のことなのですが、好きなブランドのお店で、素敵なスタッフさんに出会いました。
色々おしゃべりしていると、羨ましさがわいてきて…自分の打ち明け話をしてみました。

「私もすごく前に、お洋服のお仕事をしていたけど、大変でやめちゃったんだ。
でも、もし、ずっと続けてうまく行ってたら、あなたみたいになれていたのかな、
だとしたら、すご~く気持ちいいだろうな~って思ったの。いいな、素敵だよ~」って。

そしたら、彼女も、意外なことを打ち明けてくれたんです。

「私も仕事続けたくて、結婚逃しちゃったことがあったんで…
今お客様(わたくしのことです)と話してて、結婚してたら今頃は、だんなさんと生活しながら、好きなお洋服を買いにくる、奥さんになってる人生もあったのかなって思ってたんですよ~」…って。

(アパレル販売は、帰宅時間が遅くなることもあり、結婚して続けるのは、なかなか難しいのです)

へええ、びっくりです…彼女は、主婦に憧れがあるそうなんですね。
私はあんまり意外で、「あなたは主婦に、どんなイメージがあるの?」って聞いてみたんです。

彼女曰く、

「エプロンつけて、鍋がコトコトコトって…(煮物やスープを丁寧につくっているらしい)
で、ピンポーン、あっ、おかえりなさーい、バタバタ…みたいな…
(だんなさんを玄関に迎えにいっているらしい)」

言ったあと、恥かしい!って、くにゃくにゃしてたのが、とっても可愛かったです(笑)


私:
「実際の主婦って、中にはそういう人もいるかもしれないけど、私なんかは、料理はフライパンでじゃじゃ~とか、まぜまぜのっけて丼ぶりでハイ!とか、そんな慌しいのばっかりよ、おかえりなさーいも、結構声だけで、あんまりお出迎えしてないなあ…」

彼女:
「そうなんですかあ…でも、それも楽しそうですよ」

そう言って想いを馳せ、笑う彼女の表情は…元販売スタッフで現カウンセラーの私の感覚からして…お世辞が3、本音が7、くらいであるように感じました(笑)

お買い物を終えて、彼女に丁寧に見送られて、お店から出て思いました。
自分では当たり前に思っている日常、自分が持っているもの…捨てたもんじゃないのかな、いや、結構いいものなのかもね…もっと大切にしよう…まずは主人のお出迎えだね、ちゃんとやることにしようっと…

そんなことを思いながら、通りの角を曲がるとき、ふとお店の方を振り返ると、丁寧で美しいお辞儀を終えた彼女がお店に戻るところでした。
その背筋の伸びた、凛とした後ろ姿から、華やかで厳しい業界で、自分を通して働き続けてきた女性の、確かな自信とプライドを感じました。

うん、やっぱりステキ、憧れる…でも、私も結構、いいのかも…

自分では、気付けなかったり、つい忘れがちだけど、自分の境遇、世界にも、ちゃんと価値や光はあるのだと思います。
自分のステージを大切にして、もっと誇りを持っていいのかもしれないですね。
それを忘れず大切に磨いていけば、誰もがもっと、輝けるんじゃないかな、そんなことを思ったのでした。

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