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2014年10月28日

母の優しさに気が付いたとき

私の母はどちらかといえば男っぽいといいますか、優しいというよりは、たくましい感じの母でした。
小学校や中学校では、家庭訪問と言うのがありますが、家庭訪問の翌日、先生から、「お前の母ちゃん怖いな。」と言われたことが2度もあります。

ちなみに母の見た目はといいますと、私が幼い頃、若いころの母の写真を見たときに、思わず「妖怪人間のベラそっくり!」と思った事もあるような感じですから、確かに、第一印象であまり優しそうな印象は持たれないかと思います。

幼心に、「もっと優しいお母さんだったらよかったのに。」と思うことも何度もあったのですが、今思えば、それは全くの失礼な話で、実際には、誰よりも優しい母だったと、今なら素直にそう思えます。

そんな私の母が、一体どんな母なのか、よくわかるエピソードがあります。
これはまだ私が小さかった頃の話ですが、家族4人で車で旅行に行った時の話です。

その時は父が運転し助手席に母、そして後部座席に私と妹が座っていました。
移動の途中、信号で止まったときに、隣の車線には大きなトラックが並んでいて、そのトラックの運ちゃん(トラックの場合はなぜか運ちゃんと言ってしまうのは私だけでしょうか?)が、父に"いちゃもん"のような事を言いだしたのです。

一体何があったのかはわかりません。
でもきっと、運ちゃんにとって、文句の一つも言いたくなるような事があったのでしょう。
私は、意味よくわからないまでも、その雰囲気を怖いなと感じていました。
そして、それに対して、父は何も言い返さず、黙って事が過ぎるのを待っているような感じでした。

けれども、そんな時ほど信号機もなかなか青に変わってくれません。
そして、そんな状況に業を煮やした母は、助手席から一言、「おい!そんな高いところから何ごちゃごちゃ言うとるんや!言いたい事あったら、ここまで降りてこんかい!」と言い放ったのです。

私は、運ちゃんよりも、母の一言の方が怖いなと思ったのですが、それを聞いた運ちゃんは、「おう!降りていったるわ!待っとれ!」と、なんとトラックのドアを開けて、こっちに向かってきたのです。
そして、運転手側から顔をのぞかせるようにした運ちゃんに対して、母は、顎を突き出すようにして、今度は こう言い放ちました。

「おい!」

私は、なんて言うんだろうと思いました。
ゴクリと唾をのみ込み、次の言葉を待ちました。

「おう、なんや?」

運ちゃんも、母の言葉を待ちました。
そして、次の瞬間、母は言いました。

「信号、青になっとるぞ。はよ行いかんかい。」

私は、思わず顎が落ちそうになりました。
自分から降りて来いと呼んでおいて、実際に降りてきたら、はよ行けと言う訳ですから、さすがにこれでは運ちゃんを余計に怒らせてしまったなと思いました。

しかしながら、運ちゃんも、実はそれほど悪い人ではなかったようで、母の言葉を聞いて、「おう!わかったとるわ。今行こうと思ったところや。」と捨て台詞を吐きながら、トラックに戻っていき、そのまま発進していきました。

今思えば、まるで吉本のコントだなと思えるようなエピソードなのですが、母だって、その運ちゃんが怖く無かった訳では無いと思うんです。
でも、家族を守るためだったら、自分よりもうんと強そうな人でも、果敢に立ち向かって、追い払おうとするのですから、こんなに優しい人はいないなって思うんです。

今回は、内面的な性質(今回の場合は、優しさ)は、表面的な、見た目や、態度ではわからないよというお話でした。

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2014年10月21日

秋と言えば・・

秋も深まってきましたね。秋と言えば、勉強の秋、食欲の秋、スポーツの秋、行楽の秋、芸術の秋、といろんな秋がありますが、みなさんにとって、今年の秋はどんな秋でしょうか。

私はこの数年、運動する機会がなくて、とっても運動不足の毎日。(運動をしない、したくないというのが正しい?)
そう、体重は増加の一途のため、なんとかこのあたりで食い止めたいところ。 
そう考えると、今年の秋はスポーツ(というか運動)の秋にしなくては!と強く思っています。

一番よく体を動かしていた頃っていつだろうと考えてみると、30代後半にさしかかった頃なんですよね。当時、元夫の転勤で海外に住んでいた時、同じアパートに住む方のお誘いでバドミントンを始めました。
バドミントンって、子どもの頃に公園で家族や友達と遊びでしかやったことがなく、そんな感覚でついていったら、けっこう本格的にやっているのでビックリしてしまいました。 
私から見ると、「まるで高校の部活やん」というように、準備運動から始って、基礎練習をし、ダブルスの試合という遊び感覚どころではないという印象です。
年齢層も様々で、中には50代の方もいらっしゃったのですが、たいていの方は学生時代に部活でやった経験をお持ちなので、みなさん上手でタフな方ばかりです。 

私は運動オンチというほどではなかったと思うのですが、スポーツをする=厳しい→ついていけない、というイメージがありました。なぜなら、私は大人しくてほとんど話さない子で、活発な人の中には入れない、私は何も出来ないという気持ちがあり、学生時代もそれまでも
体育の授業以外ではスポーツをすることはなかったんです。その根底には小学校でやったドッジボールで、すぐに狙われて当たってしまう、ボールが飛んできても受けられないし、投げられない、
逃げ切ることも出来ないダメな自分がいました。だから、活動的な自分は想像できなかったんですね。最初から諦めてたようです。 

20代半ばを過ぎたころ、友達が公共施設(若者センターみたいなところだったと思います)で習っていた社交ダンス教室に行く機会がありました。
ある理由からその教室に行こうと思ったんですがが、やってみると意外とおもしろくてすぐに虜になってしまいました。 毎週欠かさずに通い、
もっと上手になりたくて、結局プロの先生に個人レッスンを受けるほどまでのめりこんでしまいました。
大好きなダンスがもっと上手くなりたくて、ダンスの体づくりのためにストレッチ運動やジム、軽いエアロビクスをやり始めたんです。もちろん、どれもそんなに上手に出来るわけではありません。決して上手くはないし、飲み込みが良いわけでもないのですが、
とにかくダンスが上手くなりたい一心だったので、下手だとしても自分にとっては必要なことだから、やめようなんて考えなかったんです。
好きなものの原動力ってそごいですよね。そして、少しでも自分なりに手ごたえを感じられると、苦手だった運動に対しても、自分に対してもダメなんだという意識がいつの間にか変わっていったようでした。

そのおかげで、スポーツにそんなに抵抗はなくなり、異国の地で友達つくりのためにもバドミントンにも行ってみようと思えたわけなんですが、
本当にスポーツをするといのは初めてで、しかも部活のようなこのバドミントンサークルは「場違いなところに来ちゃった」というのが正直な気持ちでした。

でも、どうしたわけか、このバドミントンがその国に滞在している数年の間、ずっと続けてしまったんですね。週に2回、2時間半を運動のためと思って出かけて行って、下手ながらも一生懸命にやっていました。
シャトル打ちから始めるのですが、ジャストミートした時のあの音とうまく飛んでいくシャトルが気持ちよくて、頑張って練習したなあ、と当時のことが蘇ってきます。 
サークル内のダブルスの試合も、私と組んだ人には申し訳ないなあと思いながらも、上手く打てると「やったあ」という喜びも湧き、楽しかったなあ。練習後のみんなで行くランチも楽しみだった。(まさに部活の後ですよね。)
今考えると、よくあれだけ体を動かせたなあと、我ながら感心してしまいます。(もちろん、サークルの中ではいつまでたっても一番下手なままですけど・・)それに加えて、当時は週2回バリダンスを習っていたので、もうずっと体を動かしていたんですよね。
気持ちが落ち込んでいる時でも、一生懸命に体を動かして汗を流していると、最初は固まっていた体がほぐれていくとともに気持ちまでスッキリして気分爽快になります。 そして、ちょっとした悩みなどはいつの間にか吹き飛んでいたりします。
海外生活では、気づかないうちにストレスも溜っていくようで、体を動かしてストレスを発散する意味でも、その地にいる時はずっと続けていました。 本当に心と体って繋がってるんですね。 
日本に戻ってからは、スポーツも運動もほとんどしていなかったけれど、ストレッチのような講座は続けていました。でも、それもやらなくなってからもう3年ほど経ちます。

こうして私の中の運動の歴史(なんて大げさな)を思い出してみると、運動後の気分爽快感を感じたいなあ、と改めて思えてきました。
何か体を動かさなきゃ、とずっと思いながら、やらずにきたけれど、思い切って何か運動らしきものを始めてみよう。
バドミントンのような激しいスポーツはもう出来ないだろうけど、もし体を動かすことを始めたら、半年後に、体も気分もスッキリ出来ている自分に会えるはずです。
そして、さび付いてしまって固まってしまった体をほぐせば、心の凝りもほぐれて、もっといろんなことにもやる気が湧いてきそうです。
食欲の秋に負けないように、スポーツ(運動)の秋にトライしたいと思います。

みなさまも、今年の秋は、やってみたいこと、好きなことにチャレンジする、それぞれの「○○の秋」にしてみてくださいね。

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2014年10月14日

蘊蓄(うんちく)の魔法

私は、蘊蓄(うんちく)を聞くのが好き。
誰かが、持っている知識とか
見解とかを知るのは、とてもとても面白い。

例えば、ワイン。

今でこそ、あまり出かけることもなくなってしまいましたが、
こどもが生まれる以前は、よく夫と知人が開催する
「ワインの会」なんてものに出かけたものです。

もちろん、ただの食いしん坊で
ただの、お酒好きだからですけど。

試飲するワインに合うお料理。
試飲するワイン。
そのワインやお料理の説明。
ワインとお料理のバランス。

いえ、簡単に言うと

このワイン、どんな料理と一緒に飲むと旨いか。
この料理、どんなワインと一緒に食べると旨いか。

っていうことなんですけれども(笑)

「ワインの会」という場所では、
たくさんの蘊蓄(うんちく)を聞く、
という楽しみがあるのです。
私は、これが好きで好きで。

あ、専門的なことは、全然わからないので、
情報は右から左に、心地よく流れてゆくわけですが・・

フランスのボルドー地方で、
カルベネ・ソーヴィニヨンという品種の葡萄を使って
ジョージさんちの畑で作った赤ワイン。

で、ジョージさんに会いに行ったという
ワイン屋のご主人が来ていたりするわけです。

実は、このワインは、大手百貨店が買い占めていて、
本当は、なかなか手に入らないものなんだよ。
そこを、特別にオレに、売ってくれた貴重なワイン。
ほら、これがその時の写真。

日焼けした、ジョージさんとご主人が
葡萄畑を背に、にっこり写真におさまっています。

ジョージさんはね、本当にワイン作りに
情熱を注いでいるんだよ。

なんていう話を聞くわけです。
目の前にあるグラスのワインに
こんな物語がくっついてきたら、楽しいったらありません。

芳醇で、深みのあるボディ。
ベリーの香りがするだろう。余韻も長い。
これが、このワインの特徴なんだよ。

ワインが好きな人の
ワインの知識は、果てしない!

でも、好きなものを語る人の話は、
半分くらいわかんなくても(ごめんなさいっ)
聞いていて楽しい。面白い。

グラス1杯のワイン。
美味しいお料理と一緒に、美味しくいただく。
それも、もちろんいいけれど、
そのワインが持つストーリーを知ることで
私は、こんなことをしているようなんです。

「意味付け」

もちろん、私が勝手にしているんですけれど、
ワイン屋のご主人が語ったり、
見せてくれた写真によってイメージしやすい。

ジョージさんが、大切に大切に育てた葡萄。
樽に詰めて、熟成させ、出来上がりを待つ様子。
ジョージさんの熱意。
ワインの色や香り。
その変化や余韻。

ジョージさんを知ったら、
大切に飲もうって思います。

ジョージさんやワイン屋のご主人が
暑く、いえ、熱く語るワインの特徴を
ちゃんと味わいたい!
そう思うわけです。

「意味付け」をするということは、
そこに「価値」が生まれるので、
大切に、丁寧に扱おうと思います。

何も知らずに、ごくごく飲んでも美味しいですが、
1杯のワインが、その何十倍にも美味しく感じられるのです。

私ひとりで、ワインについて、調べてみるより、
ワインを大好きな人が、実際にアシを運んで得た
情報や知識を、こんなふうに聞くことで、
彼らのワイン好きが、伝わってきて、
私のワインが、みるみる美味しくなる。

まるで、魔法みたいなお話。

え?
ただの酔っぱらいですって?

そろそろお開きとさせていただきましょうか。
長らくのおつきあいありがとうございました。

ういっく。

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2014年10月 7日

転機を超えて~幸せなパートナーシップのステージへ~

「本当にこの人でいいの?」
「ずっとこのままでいいの?」
「仕事は?恋愛は?どうする私!?」

人生の転機には、どこともなく、こんな心の声が聴こえてくるものですが、実は最近、私にとっても大きな転機がありました。

長年つきあってきた彼がいたけど、今、別の方との生活を始めています。
(あ、みなさんに内緒で再婚してたとかではないです 汗)

新たに始まったパートナーシップのフォーメーションは、これまでの生き方を一変し、また少し違った目で世界を見られるようになってきました。

シングルマザー暦が長く、たぶんこの慣れた生活からの転換が怖くて、親密な男女関係ということから随分と避けてきたのだと思うのですが、内なる愛に導かれて出会いを深めていったら、怖れていたことは何一つ起こっていなくて拍子抜けしてしまうほどです(笑)

今、私の人生にどんどん新しい現実や考え方、生き方が流れ込んできていて、そのすべてを言葉に代えてお届けするのにはもう少しかかりそうですが、今回は私に起きたこの転機について振り返りながら、みなさんと分かち合いたいと思います。

根拠もないのに何でもできる気がして、自分でやることが楽しかった20代の頃。
チームで達成することの難しさと面白さで充実していた30代の頃。
そして、新しい挑戦と新しい形に積極的にトライする!と決めた40代も気がつけば半ば。

一方、離婚を経て、仕事や家族・人間関係に翻弄した20代の頃。
ひとりで生きていくことへの漠然とした不安や自分や家族のための時間を犠牲にした30代の頃。
古い習慣や価値観、今までのやり方を脱皮しながら、目的と目的に使う時間やお金、エネルギーを一致させるための試行錯誤の今。これらはすべて表裏一体だ。

自分が経験したこと、していることの意味を「どう据えるか」は自分次第。

「20代は無駄に時間をもてあましている」と言えるのも、「若い頃の失敗なんてたいしたことないから、何でもやるといい!」と言えるのも過ぎてきた今があるからだ。

「50代になると体力も衰えを感じ始め、やりたいことを全部やるには残された人生は短すぎると感じる」と聞くし、こういったジェネレーションギャップはいつの時代にも続いているもので、リレーションシップを発揮して双方の世代が敬意を持ってお互いのアドバイスを受け入れあうことができたなら、素晴らしい世の中になっている気がするのです。

『自分のことは自分では見えない。だからこそ信頼できる人にみてもらい、そのフィードバックを活かして行きたい』

人生半ばの私が“親密な男女関係へのブレイクスルー”ができたポイントは、ここにありました。

この伏線は、信頼できる専門家や師、そして経験や才能・知恵を出し合える仲間を得られたことにあって、この経験が私にとって実に大きかったと言えます。

(私も、クライアント様にとって信頼できるカウンセラーに入れてもらえているかな?笑)

自分の人生を改めて眺めてみると、一定の周期で変化が訪れていることがわかります。
何らかのきっかけで方向転換や軌道修正している時期ってあなたにもありませんか?

「このとき、私はこう思ったから、こうすることに決めたんだ。」
はっきりした自覚があろうがなかろうが、私たちは、自らの選択によって人生の新しいストーリーを歩んでいます。

魔法をかけられたお姫様が真実の愛で目覚めるという物語があるでしょ?
心理的な次元でいう私の感覚では、この魔法(呪い=封印)は決して魔女や誰かにかけられたものではなくて、自分自身にかけたものです。

今回の転機では、恋愛や男女関係において念入りに見つめ直す時間となりました。
セルフヒーリングで自分にかけた魔法(呪い=封印)が解けたとき、かつて自分が「こんな思いをするくらいなら、出会わなければよかった」と思っていたひとつの記憶と繋がりました。

失恋や失敗経験の数だけ、何層にも渡るその記憶や感情を見つめ直していくと、塗り替えるようにして「この人と出会えて本当によかった!」と感じられたのです。深い痛みや悲しみが喜びや希望へとうねるように塗り換わっていく不思議な感覚であり、大きな許しと癒しの体験でもありました。そうしていくうちに、再び自分を誰かを愛する意欲が体の芯から湧いてきたのです。

一連の癒しのプロセスの後に大切なのは、選択です。

今の自分が本当に望んでいることは何なのか?それに気づいて叶えていく。
私たちにできることは、今の自分にとっての最適な選択を行うこと。
実際それを選ぶことによって、プロセスが新しいステージに運ばれていくんですね。

私の場合、今回、このきっかけをくれた彼からの差し出された手を自らの意思で掴むことでした。受身でもなく、強引に奪い取るのでもなく、そうすることがとっても自然で心穏やかで、タイミングだったのだと思えたのです。

この先にどのような展開が待っているのかわかりませんし、たぶん、読まれる方によっては突っ込みどころ満載な自分ネタでしたが・・・(笑)
続きはカウンセリングで!ということで、これからも等身大の自分と成長過程を分かち合いながら、みなさんの成幸を応援していきたいと思います☆彡

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