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2013年10月29日

出会いと仲間

私たちは生まれてからいろんな人と出会います。 近所に住む人や学校で出会った人、大人になれば職場や仕事の関係の人など、いろんな人と出会っては近づいたり離れたりを繰り返します。
私にも小学校時代からの心の友と思える人もいれば、あれだけ親しかったのにいつの間にか疎遠になってしまった人もいます。 
大人になると、職場や仕事関係などで出会う人の数は多くなるけれど、なかなか本音で付き合えないかったり、いろいろと気を遣ってしまうのは私だけではないでしょう。
もちろん、すごく尊敬できる人に出会ったり、自分にとって切磋琢磨できる人と出会うこともあります。
だけど年齢を重ねるにつれ、出会う人は増えたとしても、気楽につきあえる居心地の良い仲間と知り合うのは難しいと思っていたし、どこか諦めていました。
ところが、そんなことがあったんです。

私は心理学を学び始めてから産業カウンセラーというものを知り、心理学をもっと勉強したくてその講座を受けてみようと思いました。
実技と理論を半年かけて学ぶのですが、実技は小クラスで同じメンバーと共に勉強します。 私のクラスは11名。30代から60代までの男性4名女性7名のクラスでした。そこに毎回指導をしてくれる先生が3名ついてくれるのです。
平日、しかも月曜の夜という時間帯のせいか授業を受けたら早々に皆が帰っていき、なかなか親しくなれない日が続きました。 3ヶ月も半ばを過ぎたある時、土曜で1日授業の日があり、その後に皆で飲み会をすることになりました。
するとそこで今までの分を取り戻すかのように一気に話が盛り上がり、気づいたら旅行に行こうという話になっていました。 その場のノリになるどころか次の月曜には誰かが行先や宿の候補まで考えてプリントしてくる始末。びっくりするような展開でした。
先生たちにもそのまとまりの良さに驚かれながら、その後は結束もより固くなり、全員が実技試験免除となった次第でした。 半年の講座が終了してからも筆記試験までの間は毎週みんなでマックに集まって勉強会。全員が揃うことはなくても、気持ちは11人でやっているという感覚でした。
勉強会と言いながら、実はその後の飲み会がメインだったり、思い思いが口々に自分の言いたいことだけを言っていたりと、傍から見ると全然統率がとれていないように見えたでしょうね。
そして いつもKさんが「みんな勝手にしゃべって誰も人の話を聞いてない。傾聴はどこいったの。これがカウンセラーの集まりなの」と呆れながらも嬉しそうに言います。 でも、これがけっこう居心地がよかったりするんですよね。皆もそう思っているようです。
人が数名集まると、どこかで「○○さんは、こうだから・・・」とか「あの人はいつもああなのよね」なんてことが始ったり、グループのように分かれたりすることが多いように思うのですが、ここの居心地がいいのは、好き勝手なことを言っても誰も仲間の批判や悪口を言わないことなんだろうなあ、と最近よく思います。

知り合ってまだ2年半(もう2年半)ですが、もっと長く一緒に過ごしてきたような気もします。 そして今年は結婚をしたIさん、仙台へ転勤したHさん、もうすぐ赤ちゃんが生まれるYさんと色んな変化がありました。
それでもなお、一声かければ集まる仲間です。先日も、季節到来ということでKさんおススメの店で「河豚の会」をしたところです。酒好きのメンバーたちとひれ酒をしっかり飲み、ふぐをたらふく食べて、いつものように話したり笑ったりと
思いっきり盛り上がった会でした。
個性的なメンバーが揃っていて、いろんな考えもあるのだけれど、お互いが尊重しあっている素敵な仲間たちです。 出会ってくれてありがとう!

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2013年10月22日

夢や希望や願望を叶えることよりも楽しいこと

「人生は夢や希望や願望を叶えることも素晴らしい
けれどそれらは想定内。

人生で一番楽しいのは
この自分の知らない想定外の世界へ連れて行かれること
なんじゃないのかな、なんて思います。」


初めてこの言葉を聴いたとき、「は?( ゚д゚)」と、時が止まりました。

夢を叶えるのが、一番良いんじゃないの…?
っていうか、わたし今まで、それを目指して生きてきたのに…。


なんで目の前のこの人は、このことをこんなに楽しそうに語るんだろう?!


それまでの、私のちっぽけな概念が吹っ飛んだ瞬間でした。笑

そして私は今年、想定外の人生を生きている実感があります。

去年の私からしたら、自分の人生がこんな風に動いていくなんて、とてもじゃないけど想像できませんでした。


このコラムの読者さまに一番わかりやすいであろう変化例は、私のブログの変化かもしれません。

今年に入って、私の中で明確にスイッチが切り替わった瞬間がありました。
そこから、私のブログの「文体」や「表現方法」、「言葉遣い」が変わりました。

でも、実は私としては、伝えたいことは以前と大して変わっていません。
ただ、「表現」や「魅せ方」を変えただけなのです。


以前の私は、批判や攻撃されること、私の書いた文章で誰かが傷つくことを、とても恐れていました。

だから、なるべく刺激の少ないように、誰が読んでも傷つくことのないように、細心の注意を払って、できる限りやわらかくやわらかく書くことを一番に考えていました。

けれど、本当は、仲良くなればなるほどストレートに物を言うタイプだし、もともとは体育会系の性格なので(笑)、
そんな私がやわらかくて優しい表現をしようと意識すると、本文を書くよりも、過剰にエネルギーを消耗してしまっていたのです。

書くのは好きだけど、本文を書くこと以外のところで疲れ果ててしまっていたので、必ずたびたび、“書けなくなる時期”というのがありました。


そんな中、今年に入って、私の中で明確にスイッチが入る少し前に、氣づいたことがあったのです。


私は、『誰かが“必ず”私を批判し、攻撃し、私の文章で傷つく』という前提でブログを書いてしまっていたんだ、と。
だから、刺激の少ないように…、傷つけないように…、という思考になるわけです。

そして、その批判や攻撃から自分の身を守ることを一番に考えてしまっていたんだなぁ…、読者さまを全然信頼していなかったんだ、ということに思い至りました。猛烈に反省モノです。

また、私には、私のファンでいてくださる人たちもいるのに、その方たちを全然見ていなかったと。確実にいると分かっているファンの姿よりも、いるかいないか分からない批判者たちを信じてしまっていた自分に氣づきました。


そして、その氣づきを得た瞬間に、それらのことが“どぉでもよく”なりました。私のスイッチが入った瞬間です。


批判されようが、攻撃されようが、それはどうでもいい。
それよりも大切なのは、読者さまの人生にプラスを与えること。

もし私の文章を読んで傷つく方がいても、それはそれで良し。意味がある。ここで「傷つく」という経験が、その方にとってプラスに働くかもしれないし、現実世界(生の社会)の中でリアルに傷つく体験をするよりはマシだろう、と。

一番は、

“一見ネガティブに見える出来事でも、その後の長い人生まで考えたときに、本当の意味でマイナスになる出来事なんてない”という感覚が腑に落ちたからかもしれません。

人は、変化によって悪くなることはない。“いいふうに”しか、ならないと。
そして、人にとって現状維持=衰退なので、どんどん変化して、人生“いいふうに”なっていった方が楽しいじゃん!と心から思えたこと。

だから今は、何でもストレートに物事を書きますし、その文章に対してどんなご意見があっても、まるごと受け容れられる自信と覚悟があります^^


すると、不思議なのですが、


私に対するネガティブな反応というのは、ほとんど、いや、全くと言っていいほど私の耳には入ってきません。

私のブログの雰囲気が変わった当初は、少し、ありました。
でも、それも「起こりうる事だ」と分かっていたので、冷静に対処でき、結果いまの“良い状態”に落ち着いています。

ブログを書くときに、不必要な遠慮がなくなり、自分が良いと思うことをストレートに書けているので、とても書いていて心地がいいし、
読者さまからの反応やコメントも、より濃いものになっていて、やりとりできることが私の歓びのひとつとなっています。

さて、私にとっての変化、「想定外の世界」に入る前後の変化をいろいろと書いてきましたが、ここで冒頭の内容に戻りたいと思います♪

そして、ここからが本題です(前置き長っ!笑)。


「人生は夢や希望や願望を叶えることも素晴らしい
けれどそれらは想定内。

人生で一番楽しいのは
この自分の知らない想定外の世界へ連れて行かれること
なんじゃないのかな、なんて思います。」


この言葉が、私の人生を変える契機(きっかけ)となったわけですが、

最後に、『自分の知らない想定外の世界へ連れて行かれる』ためにはどうしたらいいのか、という話をしたいと思います。


私のホヤホヤの記憶をさかのぼると、ポイントはふたつあります。


◇自分が「この人いいな~!」、「この人の生き方、憧れるな」、「この人の影響を受けたい」、「この人、楽しい!」などど感じる人に、“わざわざ”会いに行く。一回ではなく、何回も。チャンスがあれば、いつでも。

そして、

◇その人が言っていること、やっていることをコピーして実践する。特に、その人から薦められたことは、“素直に、アホになって、笑顔で即・実践”する。


「やってみて上手くいかなかったら…」とか
「そんなこと出来ない…」とか考えている余裕があったら、

その間にも“実践”する。
それくらいの氣合いと勢いで“行動”してみてくださいね。

そして、そういう憧れるような人物がいないという場合には、


◇常に目の前の人の心に火を灯すことを考え行動していく


カウンセラーとしての言葉で言い換えると、
常に目の前の人に対して、『与えるに徹する』、という感じです。

“目の前の人”というのがポイントです。

私たちはついつい、目の前の人や近しい人ほど、そんな意識はなかったとしても、ないがしろにしてしまいやすいですから。

ぜひぜひ、あなたも、あなたの「想定外」ワールドへGO!です^^

この世界は、まるで子ども時代に戻ったかのように、出来事すべてが斬新で、シンクロや奇跡が普通に起こるようになり、人生がものすごく楽しく、毎日が彩り豊かに、とってもカラフルになりますよ♪♪

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2013年10月15日

私がランチョンマットを購入した理由

この頃、秋の空気を感じながら過ごす時間を大切にしております。

季節が移り行く中で、その四季折々の風景や空気やごちそうなどを愉しむ事って、本当にステキな事だな、と実感しております。


さて、私つい最近にランチョンマットを購入いたしました。

ランチョンマットを使って食事をしてみようと、ふと思い立ったのです。

今年に入って、色々と食に興味を持ち、色々な食材やいただき方、そしていただく順序などにこだわってみたり。

自分自身で色々味噌や梅酒・梅干しを作り、手作りを愉しんでおりました。

そして、色々と食と向き合う事で、感じた事がありました。

この一つ一つの食材は色々な人達の愛情や想いが込められて、今私の目の前にやってきてくれたんだな、とそう感じたのです。

自分自身、手作りの食材を作るにあたり色々と調べたり、詳しい人に質問したりと苦労しましたが、その手作りの一つ一つに対してとても愛情を込めて作ってきたんだと、熟成中の瓶や保存瓶を眺めてそう感じたんですね。

そうすると、家にある一つ一つの食材が今ココにやって来たという過程で色々な人の手がかかってたんだな思うと、その一つ一つの食材達を丁寧に扱いたいという気持ちがムクムクと出てきました。

そして、その一つ一つの食材を丁寧に扱うようになったのです。

一番始めに行なった事は、以前に比べて使える所は使い切り、なるだけ無駄にしないよう心がけてお料理をする事でした。

とても簡単でシンプルな事なのですが、いざ使い切ろうと思ったら色々毎日の食事に対して何を作れば良いのか、と考えてみたり、外食が多かったランチの時間も、お弁当を準備し、おかず等にほんの小さな変化を加えながら愉しむ方法を見つけました。

次に、食材や調味料を購入する際、色々とこだわりを持って購入するようになりました。

特に、お野菜は季節のお野菜をいただくようになり、食事から四季を感じる愉しさを実感できるようになりました。

そして、それが出来るようになった頃から、一つ一つのお料理に対してじっくりと味わいそして時間をかけて食事を取るようになりました。

じっくりと味わう事で、このいただいているご馳走一つ一つが自分の身体を作っているんだな、と感じました。

そして、自分自身をもっと愛をもって大切に扱おうという気持ちが一層強くなりました。

そして、今回ランチョンマットを購入しました。

理由は、ご馳走をいただく時に、食材にも自分自身にも愛情をもって接する為に、食事するという時間を持つという気持ちをしっかり持とうと感じたからです。

一つ一つのお料理の過程、そして食事をいただいてから身体の栄養となっていく過程を感謝してありがたいな、という気持ちを持つ為に、食事をする時間を丁寧に過ごそうと思ったからです。

ランチョンマット一枚を敷いてお食事をいただくと、何故か一層ご馳走が美味しく感じられるのです。

目の前にある食材をここまで運ぶ過程で携わってくれた人達、そして食材達に対して感謝する気持ちが一層強まりました。

食事の時間を丁寧に扱うという事で、自分自身を一層大切に扱っていこうという想いが強まりました。

そして、ランチョンマットを敷いて食事する事で、「食事の時間」と「それ以外」の時間が区別できるようになり、食事をいただく時に、今まで以上に食に対して意識して食事が出来るようになりました。

食事の時間を意識してみる事は、もしかしたら自分自身を大切に扱ってあげる一つのやり方なのかもしれません。

食事を丁寧にいただく事だけでも、色々な気づきや想いを発見する可能性があるのではないかな、と感じております。

皆さまももしよろしければ、食に対して小さな変化をつけてみて、自分自身を丁寧に扱う事で、ステキな気づきが得られる一つの切っ掛けになれば幸いです。

最後までお読みくださいましてありがとうございました。

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2013年10月 8日

「今の自分にできること」は光の入り口 ~佐藤真海さんのプレゼンテーションに思う~

2020年東京オリンピック開催が決まりましたね。
オリンピック招致の最終プレゼンの素晴らしさは、テレビ等でも話題になりました。
プレゼンの様子もTVやYouTubeで流れていて、わたしも遅ればせながら、観ることができました。
プレゼンテーションの最初に登場したパラリンピアンの「佐藤真海」さん。

「わたしがここにいるのはスポーツに救われたからです」という言葉から始まったスピーチの中で、19才で骨肉腫という病気のために片足を失ったこと、絶望の中にいた自分をもう一度奮い立たせてくれたのが陸上であったこと、3.11の震災で家族の安否がわからなかったこと、家族の無事を知ったとき、家族の幸せとはくらべものにならないほど大きな悲しみが国にあふれていたこと、その悲しみの地にたくさんのアスリートが訪れたことが多くの子供たちを「インスパイア(激励)」したこと、スポーツには、そういった影響力があることなどを語ってくれました。
終始笑顔で語ったスピーチ。
その中で、彼女自身の体験を語るとき、時折見せる感情の波。
その表情の影に、この人はどれだけの絶望を感じたのだろう・・と思うと、聞いているわたしの心も揺れました。

19才、夢と希望に満ちあふれる時代、病気を知ってたった数週間で片足を切断することになった時、彼女の世界は一変したことでしょう。

昨日まで同じように笑い、同じように未来を語った友が、全く別世界の人間のように感じることもあったでしょうし、自分の運命を嘆く日もあったでしょう。
描いていた未来が一瞬にして消えてしまう・・そんな体験だったのかもしれません。

彼女の病気がわかったとき、佐藤さんのお母さんは、こう言ったそうです。「神様は乗り越えられない試練を与えない」

絶望のまっただ中にいる娘にこの言葉を語った母。
(推測ではありますが、この言葉を娘に伝えながら、お母さんもまた、絶望の中の「光」をみようとしておられたのかもしれません)

佐藤さんはスピーチで「私にとって大切なのは、私が持っているものであって、私が失ったものではないということを学びました。」と語っています。
この言葉を聞いたとき、わたしは、胸が熱くなりました。

「失った足」、「失った未来」19才の佐藤真海さんにとって「失ったもの」の大きさははかりしれません。
そんな状況の中で「今私が持っているもの」に目を向けることは、どれほど難しく、どれほどの勇気のいることでしょう。並大抵の心の強さではない、と思うのです。そうして、絶望の中から顔をあげ、「自分の持っているもの」に目を向けたときに、今のわたしにもできることがある。まだ、走れる。まだ、競技者として生きる道がある。という世界が見えてきたのだと思います。それが、スポーツ用の義肢を装着して行う、陸上競技であり、「パラリンピック」であったのでしょう。
義足のアスリートとして生きること、それが彼女の選択した生き方であり、生きる目標になっていったのです。

ところが、その生き方や目標の意味を見失う出来事が彼女を襲いました。3.11の震災です。
個人の力など無に等しく感じられるほどの未曾有の災害の爪痕。アスリートとしての存在の意味すら見失いかけていたのかもしれません。
けれど、彼女は「スポーツの真の力を目の当たり」にした、といいます。自分が走ることで勇気づけられる人がいる。アスリートたちの競技する姿が、人々に希望と笑顔を与える。これこそが「スポーツの真の力」だと・・・
佐藤真海さんのプレゼンでは以下のように表現されています。
「そのとき初めて、私はスポーツの真の力を目の当たりにしたのです。新たな夢と笑顔を育む力。希望をもたらす力。人々を結びつける力。200人を超えるアスリートたちが、日本そして世界から、被災地におよそ1000回も足を運びながら5万人以上の子どもたちをインスパイア(激励)しています。」


「今、じぶんにできること」
「今、じぶんが持っているもの」
それを考え、行動に移していくことは、今の自分を受け入れ、許し、信頼することだとわたしは思います。

ちっぽけな自分かもしれない
だめな自分かもしれない
でも、その自分を受け入れて、そんな自分にもできることがあると信じ
そのできることに全力を尽くす
それが、たとえちっぽけなことだとしても、
「今の自分にできること」にベストを尽くすことができたなら、そこに誇りと自信が生まれるのだと思うのです

持っていないものやできないことに目を向けるのではなく、「今持っているもの」「今できること」に目を向けてみませんか?
それがあなたを輝かせる「光」への入り口となるかもしれませんよ。

最後までお読みいただきありがとうございました。
たくさんの幸せが訪れますように・・・


参考資料
佐藤真海さんのIOC総会でのスピーチ全文(読売新聞 9月13日(金)14時35分配信)
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20130913-00000643-yom-spo

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2013年10月 1日

オムライス

とある土曜日。
「冷凍庫にごはんが溜まってきたから夜は、ごはんを解凍してオムライスにしよう~鶏肉も冷蔵庫にあったしな~~」
「あ”~~、でも、ヤツは多分、文句を言うだろうな・・・・・」

“ヤツ”とは、中3の娘である。
このお嬢さんは反抗期真っ只中、というか、もうかれこれ小学校3年生の頃からずっと反抗期らしい。
本人が「私は小3の時に、“もうどうなってもいいわ!好きなようにしたんねん!!”と思った」と言っていた。
彼女が小3の時に、私と元夫は離婚したのである。
それを機に彼女の反骨精神が疼きだしたらしい。

らしい、というのは小学生の時の娘はそれほど手を焼いた記憶が私の中に無いのだ。
いや、上の息子よりは手を焼いただろうが具体的なことは思い出せない。
本格的にややこしくなってきたのは中学生になってから。
なにかと私や学校の先生、時には友達とぶつかるようになってきた。
しかし、中学校生活最後の3年生になり自分以外にぶつけてなんとかやり過ごしてきたものが、自分に向けざるをえなくなりどうにもこうにも苦しんでいる様だ。
難しいお年頃である。

思春期の頃は体の変化も著しく、自分とは何者か?という所謂「アイデンティティの確立」という問題に取り組み、完璧主義に陥りやすい上に、人と自分を比べ劣等感とコンプレックスを感じやすいという、なんともややこしい時期である。
この時期、子供のイライラをまともに受けるのは大体の場合は親、特に母親が引き受けることが多い。

前置きが長くなったが、その日帰宅すると娘が「お腹すいた~」と待っていた。
「今日のご飯ナニ?」 
「オムライス♪」 
「え”~~~~!!いやや~~~~ なんでオムライスなん?!」 
「文句あるなら食べなくてヨシ!」 
「お腹すいた~~ オムライスはいやや~~ 2週間前もオムライスやったや~ん」 
「そうやった?だから嫌なら食べなくていいって言ってるやん!!」
「なんでよ~ ママのアホ~~ いけずぅ~~~」

この時、かなり本気でゴロゴロ転がりながらこの世の終わりかのように嘆き悲しんでいる。
そして、同じことを繰り返す不毛なやり取りを20分は続けただろうか。

「もうなにも作らん!!好きにしなさい!!」
この時は、私もかなり本気で怒りとうんざりが入り混じっている。
「いやや~~作って~~~~」
どないやねん・・・

オムライスを作っている間にヤツは寝てしまっていた。
にしても、オムライスごときにそこまで労力を使うこともなかろうに。
君は3歳児か。


このお嬢とは今までもかなりやりあってきた。
時には取っ組み合いになったこともある。
それはもう怒り心頭である。
しかし、カウンセラーなどをしていると「相手の問題は自分の問題」という、いや~な言葉が時折頭に浮かんでは消えていた。
いや、消していたのか。
彼女がそうであるように、私も色々な言い訳をして感じないようにしてきた「劣等感とコンプレックス」というやつを受け入れ、認めざるを得なくなり自分と向き合った時から徐々に娘の態度が軟化してきたように思う。
心のつながりやパワーは不思議だ。

まだもう少し反抗期は続くかもしれない。
なるべく摩擦は避けたいと思う。
今度、冷凍ご飯が溜まってきたら、チャーハンにしよう。
似たようなものかしら^m^


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