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2013年9月24日

いい子はつらいよ

先日、講座で感情と行動のパターンのお話をしました。
事例に挙げたのは、本を読んでいて目にとまった「男はつらいよ」の寅さんの話でした。

ご存知の方が多いと思いたいところですが、“昭和”の映画なので、少し解説をしますね。
渥美清さんが演じるフーテンの寅さんこと車寅次郎は、祭りや縁日の屋台を出店するテキ的屋稼を営んでいます。
全国を渡り鳥のごとく飛び歩いては、時々ふらっと異母妹さくらと叔父夫婦が住む、東京の下町、葛飾区柴又の草団子屋に戻ってきます。

寅さんは、旅先や柴又で美しいマドンナに出会い、いつも惚れ入ってしまいます。
マドンナも寅さんに好意を抱くのですが、「寅さんって、いい人」で終わり、恋愛感情には至りません。
やがて、マドンナに恋人が現れて、寅さんはふられてしまいます。
「やっぱり俺じゃぁな」、「俺は駄目な奴だからな」と、ひどく落ち込む寅さん。
正月前や盆前の家族団らんの時期を目前に、また独りテキ屋稼業の旅に出て行くというお話です。

話がパターン化しているので、映画をみる観客は、前作同様、マドンナが現れて、寅さんが失恋して、ふらっと旅に出る、という結末が分かっているのだけれど、ついつい見てしまうのです。
スリリングで展開の早い最近の映画と違い、そこには予定調和的な安心感があって、それも人々を魅了した要因の一つではないかなと、私は思っています。

さて、なぜ寅さんを引き合いに出したかというと、最近また、私自身のパターンに気づいたからです。
それは、「いい子はつらいよ」といパターンです。

そもそも、“いい子”を演じてしまう背景には、「私は悪い子だから、嫌われる。愛されないのだ。」という気持ちがあります。
だから、嫌われないように、愛されるように“いい子”であろうと努めるのですが、それをやっていると、本来の自分を偽っているようで非常に息苦しく、窮屈な感じがしますし、とても疲れます。
ほとほと疲れ果てると、「もう自分を偽るのをやめて、本来の自分に戻ろう」と思うのです。

そして、いい子の“子”に相対する存在は“親”ですから、私のこのパターンは、実の親に対してはもちろんのこと、親に当たるような存在、仕事では上司、社会では権威者の間で展開されます。
カウンセリングサービスのカウンセリングを受け始めて、自身もカウンセラーになり、かれこれ10年が経ち、よく解かっているつもりが、またこのパターンをやらかしている自分に気がついたのです。

ご存知かと思いますが、私は10月末をもって、カウンセリングサービスを退会いたします。
退会することは、私にとっては、親元を離れるようなものです。
そのような“分離する”を感じるような心理状態にあるとき、いい子は思うのです。
「私は異端児のようだ」と思ってみたり、「悪いのは親だ」と自分を被害者の立場において相手を非難してみたり、「何か悪いことをしているみたいだ」と自分を極悪非道の加害者のように感じたり、「私は親を裏切っているのではないだろうか」と自責してみたり。
いろんなネガティブな感情が次々と湧き出てきます。

そんな感情を感じている時、「あっ、そうだった。そもそも、“離れる”と決めたのは私じゃないか。」と思えた時、笑いが出てきました。
しかも、10年間もかけて、このパターンを踏襲して学びなおしたのかと思うと、自分で自分に呆れもしました。

振り返ってみると、初めて恋をした時も、結婚する時も、社会人となる時も、転職する時も、いろんな節目で同じようなパターンを、まるで寅さんのように繰り返していたのかもしれません。
また、ただ“離れる”それだけのことなのに、よくよくいろんな事をやらかしては、ネガティブな感情を感じるように、自分自身に仕向けているものです。
親の側から見れば、いい子も悪い子もなく、ただ愛情をかけた子であり、それは生まれてからずっと変わりがないことなのに。

今回は、いままでよりも更に奥深い自分の意識に気づくことができましたし、渦中にあって気づいたので、だてに心理学を10年間も学んできたわけではないなと、少しは成長できたかなと思っています。
また、今後同じような状況になったら、パターンにはまってしまう前に気づくようになれればいいかなと思っています。
おそらく、これから先も、私自身の学びは続くことでしょう。

私は、神戸メンタルサービス(カウンセリングサービスの母体)で、自分を癒しながら心理学を学んできて、本当によかったなと思っています。
自分が試していいと思ったことなので、みなさんの今抱えていらっしゃる悩みや課題にも、カウンセリングサービスのカウンセリングは、お役に立てるのではないかなと思います。

最後になりましたが、みなさんのご多幸とご健勝をお祈りいたしております。
永い間、ご愛顧いただき、ありがとうございました。


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2013年9月17日

出会いは必然。

こんにちは。
真っ青な青空の下で洗濯物を干していたら、一瞬のスコールで台無しになった宮古島から五十嵐です。
ほとんど乾いていたのでそのままにして、また乾くのを待つことにしました(笑)

みなさんは「習い事」ってまず「やりたいなー」と思ってからスクールや先生を探しますよね。
私もよくインターネットで調べたり、雑誌を見てお稽古に行ったことがあります。
そうそう、カウンセリングサービスに出会ったのもインターネット検索からでした。

夜中になんとなく検索していたら、「私の探していたものはこれかも!」と飛びついたのを覚えています。
しかもその次の月はワークが半額キャンペーン。
「SALE」に目のなかった私はすぐに申し込んだのを覚えています。


早いものであれから6年・・・いや、7年でしょうか。
忘れてしまうほど年月がたち、それすら気にならないほど脳みそが溶けて・・・じゃない、癒されたのかもしれません。
もちろん、まさか宮古島に行く選択をするなんて当時は思ってもみませんでした。


今日は「習い事」のお話。
五十嵐、ペン習字に続いて英会話も始めることになりました。

ここでは「スクールやってます!」「○○の講師です。生徒募集!」とか大々的な宣伝にほとんどお目にかかりません
島民性なのでしょうか、みなさん控えめで自分からPRすることが得意ではないというか、とくに欲もないみたいで。
ホームページもほとんどないですし。

そのため「○○がやりたい」と思った時に探すのは少し大変ですが、別のやり方があるんです。

何人かの友達に「○○がやりたいのだけど、先生知ってたら紹介して~」って言っておくこと。
そうすれば数日中に、ここでやってるみたい、今は産休だけど復活するらしいよ~、友達に聞いておいたよってみんなが教えてくれます。
実際に知っている人同士の情報なので、宣伝広告やホームページよりも信頼できるというメリットもあります。

もうひとつの方法は、友達になってからその人が「フラダンス」の先生だったり。「お習字」や「ヨガ」の先生だったりして、それをきっかけに始める人も多いです。
今回も仲のよい友達から、「私の娘が英語をならっているんだけどね、先生がすっごく面白いの。教え方も上手だし、お話も上手で隣で聞いているだけでも夢中になっちゃうのよ。」という話を聞いたんです。
前々から「英会話をやり直したい。」と思っいながらテキストを買ってきては挫折ばかりだった五十嵐、すぐに「私もやりたい!」と飛びつきました。

「教室」という形はとっていなくて、趣味で教えているみたいよ。
毎週木曜の夜、うちに先生が来てくれてるからまずはそれに混じって聞いてみたら?

友達の好意ですぐに招待してもらったのですが、それからがなぜかタイミングが合わず。
私に予定が入ってしまったり、行こうとした日はお休みだったり。明日こそは!と思っていたのにうっかり忘れてしまったりして。
「なんて縁がないんだろう~(泣)」
仕方ないので、今回はやめておこうかなと。


タイミングを逃す日々とは逆に、その2、3カ月の間に友達から「私、英語やりたいんだよねー」という話を聞く機会が何回もありました。
その度に「私もやる予定だから、体験レッスンしてよかったら一緒にやろうよ」と答えていました。
初めは3人くらい。
それなのに先生のレッスンにはタイミングが合わなくて行けないまま。
その次の月は新しく友達になった3人からも「やってみたいと思ってるんだ」との話。
さすがに言いだした私が動かないと。

これなら体験レッスン行くよりも、直接会って話をまとめたほうが早いわ。
紹介してくれる友達にお願いして、先生と連絡をとってまずは打合せをお願いすることにしました。

快くお返事頂いて、まずは1度会ってからレッスンの内容と予定を決定しましょうとのこと。
場所と時間を決めてみんなに連絡をすると、全員そろうのは無理だと思っていたのに予定がぴったり。

「シーサーみたくて面白い」と聞いていたその先生は
いざ会ってみると、還暦近いといういのにとても若々しくてマイペース、穏やかな男性。

5歳の頃、田舎で初めて会った「青い目の外人、しかもプロレスラー」にとても興味を持ったことがきっかけで、とにかく英語を話したいと強く思ったこと。
海外生活が長く、英語が大好きで、生きた英語を教えたいと試行錯誤しながら講師をしてきたこと。
「単語を山ほど知っていても、会話にはならないでしょう。コミュニケーションをとるには動詞を覚えることのほうが早いですよ。」
学校で習う英語ではなくて、自分が生活して身につけた英語とその使い方を教える方針。
なぜか全く関係ない土地から、縁あって全てを置いて車と身ひとつで宮古島までやってきたという先生の話を聞いているだけであっという間の1時間。

噂通り、「話を聞いているだけでも夢中」になってました。
それはみんな同じだったらしく、「毎週はちょっと負担だから隔週くらいがいいかな」と言うつもりが「先生の話をもっと聞きたい、ぜひ毎週!」と目を輝かせてお願いしてました。
あっという間に話がまとまり、全員の予定も合わせることができて早速次の週から始めることが決まりました。


今までのタイミングの悪さが嘘みたい。

ここ数カ月のすれ違いを考えていたら、話の最後に先生がこんなことを教えてくれました。

「私は人との出会いは全て必然だと思っているんです。偶然はありません。全て大切なご縁なんです。だからみなさん大切な出会いです。」

それを聞いてはっとする私。


そうか、私の役目は「みんなを先生に会わせることだったんだ」
先生とのご縁をつくって一緒にレッスンを始める準備期間だったんだと思えば、今までのタイミングの悪さと今回のスタートの早さも納得できます。
ここにいる全員と先生をつなぐきっかけが必要だったのかもしれないな、と。


ちなみに先生が初めて宮古島に来た時に案内をしてくれた女性が、私と同じ建物に住んでいたとのこと。
同郷のご縁で来る時に紹介してもらったそうです。
なんとその女性とは、私が気にいって通っていたアロママッサージのセラピストさんでした。
いまは帰郷してしまったけど、そのサロンから見える景色が大好きで五十嵐は同じ建物の今の部屋に引っ越して来たのです。
ここでも偶然の(いえ、必然だそうです。)のご縁がありました。


アラサー女子6人も生徒希望者を引き連れて、目の前に現れた私にびっくりされたでしょうが、先生は全部受け入れて引き受けてくれました。

先生を紹介してくれた友達いわく、
「そのレッスン、生徒がみんな30代の女性でしょう。60歳の先生からしたら、きっとぴったり(?)の年齢よ。20代は若すぎるもの。6人も女性に囲まれて先生は嬉しいはずよ~(笑)」
なるほど、そう思っていいですかね。遠慮なく質問攻め、理解力はちょっと衰えぎみの自由奔放なメンバーですが。

先週からレッスンが始まって、いきなり目からウロコのお話がたくさん。
「それ、中学校で教えてくれたら英語嫌いにならなかったのにー」と嘆きあり。
「これならわかるー、納得。学生の時に無駄に英語の勉強しなくてよかったぁ」と思いきり開き直って学びなおし宣言あり。

週に1度が待ち遠しいくらいです。友達が揃って集まれるのも楽しみの一つに。
さて五十嵐、来年くらいはペラペ~ラに?!

五十嵐かおるのプロフィールへ>>>

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2013年9月10日

登山に行ってきます

この原稿を書いているのは、8月17日なのですが、明日の8月18日から3日間、私は白馬岳まで登山に行ってきます。
登山に行くなら、その登山の内容をコラムにしたほうがいいのではないかと思われる方もいらっしゃるかもしれませんが、このコラムの原稿の締め切りが8月20日であり、登山から帰った後だと締め切りに間に合わない為、出発前の心境などをコラムに書く事にしました。

それなら、締め切りを1日延ばしてもらえないかお願いして、やっぱり登山の内容をコラムのネタにしたほうがいいのではないかとも考えたのですが、そうすると、「登山をネタにした、いいコラムを書かなければ。」という事が、プレッシャーになってしまったら嫌だなと思いあきらめました。
なんとも消極的に思われる方もいらっしゃるかもしれませんが、そんな事もありません。よく、「遠足は、準備が一番楽しい。」なんてこと、私が小学生の頃はよく聞いておりましたし、明日からの登山への準備には、それなりの苦労話などもあります。

まず、今回の登山に行くにあたり、一番苦労したのはその日程です。
私は、カウンセラーをする傍ら、会社員としてシステムエンジニアの仕事もしております。普通の会社員にとって、8月はお盆休みと言って、13~15日は休みの場合も多く、今年は17日、18日が土日の為、大型連休になった方も多かったかもしれません。
さらに、私が勤める会社が定めたお盆休みは、10日から18日の9日間。しかも、今年は特に8月が忙しい月だってことは、だいぶ前からわかっていた事でした。

そんな中、登山に行く話が舞い込んできた時、日程は18日~22日までの5日間と聞きました。つまり、9連休に4日をプラスして、13連休にするという事です。最初にこの話を聞いたときは、今年は特に忙しい上に、ただでさえお盆休みが多いのに、さらにここから有給休暇で休みを増やして登山に行くなんて、いくら私が空気読めないと言っても、「いくらなんでも、そりゃ無理!」って思いました。
最初は何度もあきらめようかと思ったのですが、あきらめきれない私は、なんとか日程を調整し、結局、有給を2日増やして11連休にして、全日程は無理でしたが、前半の2泊3日だけ、登山に行くことが出来ることになった訳です。

その、日程を調整している間と言うのは、「こんなに忙しいのに休むなんて、そんな事許されると思ってるのか?」「周囲への迷惑を考えているのか?」「だから空気読めないなんて言われるんだぞ!」なんていう、頭の中に響き渡る否定的な声との戦いでした。

そんな否定的な声を、掻き分け、押しのけ、やっとの思いで有給を獲得するまでに手にしたのは、上司や同僚、関係者の方々のやさしさでした。
はっきりと、「白馬に登山に行きたい。趣味なんです。」と言うなんとも自分勝手な私の為に、スケジュールを調整したり、私の仕事も引き受けて下さったりした皆様には、頭の下がる思いです。

最初に苦労話があると書きましたが、いや、実際にスケジュールを調整してくれたり、私の仕事を肩代わりしてくれたのは、私ではありませんので、苦労したのは私以外の会社の上司や同僚のみなさんです。
では、私はその間何をしていたかというと、誰が言った訳でもない勝手に頭の中に湧き上がってくる否定的な言葉に、うんうんと苦しんでいたと言う、ほぼ意味の無い苦しみを味わっておりました。

それにしても、準備と言うのは、どうしてこう楽しいのでしょうか。
今日までに準備した登山道具をひとつひとつザックに詰めておりますと、明日からの2泊3日はどんな事になるのだろうとワクワクします。

そんなこんなで、多くの人からのやさしさを受け取って、明日から登山に行って来ます!

小倉健太郎のプロフィールへ>>>

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2013年9月 3日

自分のために、ヒーロー・ヒロインになれますか?

もし、あなたが、映画のヒーローやヒロインのようになれるとしたら。
あなたは、誰のために、ヒーローやヒロインになりたいと思いますか?


先日、子どもがテレビのスーパー戦隊シリーズを観るというので、一緒に観ていました。

番組は、「獣電戦隊キョーリュージャー」[2013年8月4日放送]です。
私の記憶に基づいて、また、私の主観が入って観ているので、実際のストーリーとは少し違っているかもしれません。どうかご了承ください。

この回では、今まで6人だった仲間が、ひとり増えて、7人になる、というお話でした。

もともと7人目のキョーリュージャーは、主人公達の大先輩、すでに結構な年配の男性だったのですが、歳には勝てず、その後を孫娘の少女が継いでくれることになった、みたいなストーリーです。

最初は、仲間達が危機に陥った時に、無心で彼らを助けようとした思いから、キョーリュージャーに変身することができたようでした。

ところが、それ以来、変身しようとしても変身できません。

そのことで悩む、この少女は、変身できないまま敵の怪物に捕まってしまいます。

彼女を助けようとして、仲間達が怪物のところにやってきますが、戦いは苦戦を強いられ、その様子を少女は、ただ、見ているしかありません。

その時、仲間の一人である、紅一点のヒロインが少女にこう言います。

「あなたは、誰のために、キョーリュージャーになりたかったの?」

少女は思い出します。
幼い頃から、キョーリュージャーだった祖父に憧れ、自分がヒロインになることが夢だったこと。
私にとって、誰かを助けるヒロインになるのは、誰のためでもない、自分のためだったのだと。

自分のために変身したい!と決意した時、少女は、再びキョーリュージャーに変身することができたのでした。

私にとっては、仲間のためじゃなく、自分のために、という切り口がとても新鮮でした。


私たちは、自分にとても厳しい、と言われます。

この気持ちは、「自分はだめなんだ」「自分は愛される資格がない」という、心の奥底にある「無価値感」というものが、元になっている場合があります。

自覚している時も、無意識の時もありますが、自分は愛される資格がない、だから自分はだめなんだ、という思いは、それを補うために、努力しなければならない、とか、自分に甘くしていてはすぐ堕落する、という思いを生み、そのために、自分に厳しくなっていってしまうのですね。

この感覚が深層心理にあると、「犠牲」をしやすくなります。

そんな風に自分に厳しいと、自分を大切にできなくなります。
自分のことは後回しにして、誰かのためにがんばることは、やりやすい。
私には価値がないけれど、誰かのために何かをすることで、やっと価値がでる。
役に立たないというのは、自分の存在を、自ら認められなくなってしまうので、必死に、がんばるわけです。

でも、「犠牲」のやり方は、決してうまくいきません。

誰かのために何かをする、というのは、そのこと自体はとても素晴らしいことです。
ところが、「自分には価値がないから、それを補うために」という動機が間違っていると、自分を偽ってやっているようなものですから、苦しくなってきてしまいます。

こうした、自分のよくないところを補うために行動することを心理学で「補償行為」と言ったりしますが、ここには、楽しい、とか、うれしい、という気持ちがありません。

ところが、補償行為でやっていると、どんどん苦しくなってくるのですね。

また、自分が犠牲をして、誰かの役に立つことができたとしても、してもらった人たちは、うれしくありません。

今、自分が楽だったり、助けてもらったことが、誰かの犠牲の上で成り立っているとしたら、やってもらった人が、罪悪感を持ってしまいます。

苦しい顔をしながら、自分たちのために、何かをしてもらっても、ちっともいい気持ちになれませんよね。

逆に、私を助けるために、この人を苦しめてしまった、と自らを責めてしまうことになります。

これでは、せっかく、誰かのために、と思ってやったことが、逆に、その人を苦しめることになってしまうのです。

では、どうしたら、いいのでしょう。

それは、自分のためにやること、がカギなんですね。

自分がやりたい!と強く願う事を、ワクワクドキドキすることをやっている時、それは、そのままの自分でやっていることになります。

誰かのために、何かのために貢献する時、それをするのが、とても楽しい、やりがいがあり、活き活きと、ワクワクドキドキする、のであれば、努力や困難も、苦になりません。

そんな風に、自分の気持ちを感じて、大切にしながら、行動したときには、それをしてもらった人や何かは、してもらったり与えてもらうのが楽なはずです。

行動している人が、うれしそうだと、こちらもうれしいはずですよね。
そして、それを見ている人も、そんな様子をみて、うれしくなったり、応援したくなったり、中には、そんな風にやってみたい、と思う人も出てくるかもしれません。

人の心や行動には影響力があります。

うれしい楽しいを動機に動けば、周りには、うれしい楽しいが伝わっていくのです。

私たちは、誰かを助けたいと思うあまり、「犠牲」をして、苦しみ、そのことで、かえって助けたい誰かを助けられないことも多いように思います。

私たちの心というのは、どうやら、とても優しさや、愛情というものを、根本的に持っているようなんですね。

「犠牲」というのは、こうした優しさや愛情から生まれるものだと私は思います。

でも、その優しさや愛情を活かすためには、「犠牲」ではなく、まず自分が自分の気持ちを大切にして、自分のために、しかも、自分がうれしい、楽しい、やりたい、という気持ちに正直になり、その気持ちを元に、行動に移した時、初めて、誰かのことを救う事ができるのだと思います。

幸せな自分が、その心のゆとりから、行動にうつしたり。
活き活きと楽しそうな姿を見てもらって、あんな風になりたいとモデルになっていったり。

その方法を使えば、自分も、周りの人も、楽に幸せに進んでいくことができます。


ヒーロー物というのは、仲間や守りたい誰かのために、力を発揮する、というストーリーが多いと思います。
それは、もちろん、悪い事ではなくて、そのことが私たちの心を感動させるし、困難を乗り越えたり、幸せを手に入れる大きな原動力になります。

でも、自分のために、という視点も、とても大切なものなのですね。

自分のためにやる。結局は、そのことが誰かの幸せにつながる。

別の表現をすれば、誰かのために、自分を大切にしようと思えると言えるのかもしれません。

今回のキョーリュージャーは、友情や誰かを救う、ということではなく、まっすぐに「自分のために」という思いを大切にすることが、誰かを救えるヒロインに変身できるというストーリーでした。

この21世紀は、心の時代と言われます。

私は、このストーリーが、今の時代に必要な何かを象徴しているような気がしてなりません。

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