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2013年7月30日

幸せを許可する

こんにちは。堀池典代です。

私には、とっても可愛い姪がいます。
普段は違う所に住んでいるので、めったに会うことはありません。

春、彼女は狙っていた希望の大学には行けなかったため、浪人をすることを決めたと私に伝えてくれました。
彼女の頑張りは、たまに会って話を聞いているだけで分かっていたので、悔しかっただろうなと慮りました。

ある日、二人で、今回のための受験お守りを一旦お納めしようと、戴いた神社に詣りに行きました。姪は、頑張り屋さんなので、表情も明るく、私の気持ちを配慮しているかのように見えました。
その道中、これから一年のこと、塾のこと、お友達のこと、行きたい大学のことなど、いろいろ話をしながら詣りました。

私は考えていました。これから一年というのは、モチベーションを保ち続けるのは大変だろうな~と。
もし私が彼女だったら、浪人するんだから、親にも負担をかけるし、いろいろ我慢して過ごさなきゃいけない。楽しいことは大学に行ってからにしよう、これから一年は苦行期間だ…なんて思うだろうな。
しかし私なら、そんなテンションで、気分よく勉強が続けられるとは、どう考えても思えません。さらに、彼女にテンションを上げて次の受験に挑んでもらうためには、私に何がしてあげられるだろうか?と考えました。
話の中で、電車の定期券を初めて買って、塾通いをするということを聞きました。
そうだ!カワイイ定期券入れを買ってあげよう!
もう、ついでだ!定期券入れとお揃いの財布も買ってあげよう!!
私は、散財しても、来年のお祝いが出来なくても、今の彼女のテンションを上げることの方が大事に感じていました。

彼女にそのことを伝えると、とっても複雑な表情です。遠慮をしているのがとてもよく分かりました。彼女の気持ちも分かります。合格した時のご褒美はいっぺんに受け取りたいってことも。しかし、もし今、買ってもらえるとなるとそれはそれで嬉しいんだろうなという気持ちがチラチラ伝わってきます。
私の思いも彼女に伝え、それでは気に入るのを探そうということになり、あれでもないこれでもないと時間をかけて探し回りました。
そうして素敵なかわいい定期入れと財布が見つかりました。
彼女は、とっても気に入っているようです。
私もやってあげられることがあって嬉しかったです。

その夜、彼女からメールが届きました。
「今日はありがとう。めっちゃ楽しかった。嬉しすぎてやばいです。枕元に置いて寝るわ。ほんとに幸せな一日やった。」
と、ありました。
枕元に置いて寝てくれるなんて、なんと可愛いことでしょう!!
「やばい」は流行り言葉の最大級の褒め言葉。
彼女が心から私のしてあげられたことを受け取り、この状態が幸せだと言ってくれた。
私までも幸せな気分になることが出来ました。


ついつい私たちは、自分の喜ぶことを後回しにしてしまいます。
みなさんもひょっとして、手を伸ばせば届く幸せを自分が作ってしまったノルマで、隠したり後回しにしてしまっていませんか?
時には、先に手に入る幸せを自分に与えてあげるのもテンションが上がって次の意欲へとなりますよ。


最後までお読みいただき、ありがとうございました。

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2013年7月23日

コンプレックスは魅力の種

こんにちは。清原小夜子です。

はじめてビビットなカラーでマットな質感のオレンジの口紅を購入した時のこと。
それまではピンクやベージュなど無難な色を好んで使っていたのですが、コスメコーナーの販売員のお姉さまが、「ぜひお試しくださいませ!」と塗ってくださったものがとても素敵で、そんな自分の顔を眺めるているととてもとても新鮮で、お財布の中身がピンチにもかかわらず、勧められるままに買ってしまっていました。

私は唇の薄さと左右の厚さのバランスの悪さがずーっと長い間コンプレックスでした。写真に撮った自分の顔を見るといつも自分の唇の薄さが際立ってみえて、プルンとしてモッチリ厚くて柔らかそうな女性の唇をいつも心から羨ましく、そして恨めしく思っていたものです。。。

過去形なのはお化粧をするような年になって、口紅を自分のくちびるよりちょっと広めに塗ったりグロスを使ったりして、薄さや左右の厚さのバランスの悪さをなんとか必死に頑張ってカバーすることができるようになったから。

その時は口紅を塗ることでコンプレックスの唇を隠せた!とホッと胸をなでおろしたものです。これで誰にも薄くてバランスの悪い唇を見せなくてすむと。でも自分では分かっているんです。私の唇は薄いんだよね、と。。。

むかしどこかで誰かから聞いた「唇が薄い人は情も薄い」という言葉がずっとずっと頭の片隅にあって、私は自分のことをどこかで薄情な女性だと思い込み、そんな自分を最低最悪なひとだわっと心底嫌っていました。


薄情な自分は隠さなくていけません!
薄情な女性は友達もできなそうだし、きっと男性からもモテない!!!


お化粧をするようになり口紅を塗り薄い唇を隠すようになって、私は自分を隠すということを、どんどんどんどん覚えて上手くなっていったように思います。

そんな私は、自分を隠して生きていく人生を歩んで行く予定でした。

こちらも予定でしたと過去形なのは、今の私は色つきの薬用リップで外出することも多くてグロスもたまーに塗るという感じになってきたのです。ご近所のコンビニに行くときは何も塗らずにそのまんま、なんてことも時々あったりします。。

薄い唇はどうしたの?整形でもしたのかしら?と思われる方もいるかもしれませんが、私の唇は天然のそのまま、相変わらず薄くて左右のバランスが悪い不格好なままです。


「そうか、もう開き直ってしまったんですね!」と思われた方。
ピンポーン!そうです、ある意味正解です!!!


心理学を学びはじめて自分の欠点やコンプレックスを隠すよりも、それを周りの皆に伝えて受け入れてもらいましょう!それがあなたの愛されるポイントですよ!!
と講座で教えてもらった時、私はとても抵抗を感じました。

えーーー、そんなの絶対に嫌!
唇が薄いなんて皆にばれたら恥ずかしすぎるーーー!!!


講座で愛されるテクニックを教えていただいた時は、それをそこでやってみなくても良かったので、その効果は分からなかったのですが、ヒーリングワークでグループワークの時に自分で自分を嫌っている部分や欠点を伝えるワークがあり、逃げられない状況に追い込まれた時がありました。

私は根が真面目なので、ちゃんとやらなくてはっ!という気持ちになり開き直って恐る恐る「私は唇が薄いのがコンプレックスで。。左右の厚さのバランスも整ってないし。。」と告白してみると。。


【そこが可愛い~♪】と皆さん言ってくれるではないですか!!!
(そういう実習があるのです!)


あれ?もしかして、私の唇ってそんなに隠さなくても良いものなのかも?
一度そのような視点を持つことができたら、なんだか今まですごーく気にして隠していたことが、もうあまり隠す必要がないような気もしてくるので不思議です。
自分の嫌いな部分を他の人が受け入れてくれることの心地よさは格別ですね!

女性として楽しく過ごすひとつの方法を今から皆さんと分かち合いたいと思います。

女性として生まれてきたことを楽しむオーソドックスなやり方はメイク、髪型、ファッションなど色々と楽しむこと。

まずはやっぱり色々な口紅を試してみたり、髪を伸ばしてパーマをかけたりバッサリ切ってショートカットにしてみたり、ヘアカラーをして雰囲気を変えてみたりするのは楽しいですし、お薦めです♪

洋服も可愛いガーリーなピンク色のふわふわスカートから、ブラック&ホワイトのコンサバなモード系、そしてやっぱり日本人だからたまにはお着物を着て静々と歩いてみるのも素敵ですよね♪

15センチのピンヒールなんかもたまーにはいいかもしれません。ですがくれぐれも転んで足首をひねったりしないように気を付けてくださいね。

私がこれは皆さんにぜひともお伝えして、できれば経験して実感してほしいこと。

それは、コンプレックスはあなたの魅力の一部になりえるものだということ。
自分ではこんなところ嫌い!と思っているあなたのその部分を隠さなくても大丈夫ということです。

欠点(だと思っている)もあなたの一部でそこを受け入れたときに、自分を隠そうとすごく頑張ることから解放されたりします。ありのままで良いんだなと体の力が抜けて楽になってきます。

私は今でも鏡で自分の唇をみると、「薄くてなんかバランスが悪いよね。。」と思うことはしょっちゅうです。でもこの唇は私の唇。これも可愛い♪と暗示をかけると自然と笑顔になっている私と出会います。

コンプレックスはあなたの魅力の種にもなりえるもの。
日当たりの良い場所でお水や肥料も充分に与えて、その種を育ててみませんか?
そこが、可愛い~♪

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2013年7月16日

父と夏

7月も中旬になり、学校でも職場でも夏休みが話題になる時期ですね。
みなさんは、夏休みの計画はどんなものでしょうか?
夏と言えば、どんなイメージや思い出がありますか?

私のイメージは、青空、青い海、そして白い雲、が浮かびます。(ありきたりですね)
そして、日焼けしている父の姿です。

私が育ったのは海がない県。小さい頃から海へ行ったことはほとんどありません。
代わりに夏になると行っていたのが、琵琶湖でした。 両親が滋賀県の出身で祖母がそこに住んでいました。
だから、夏になるとお墓参りや親戚の家に行き、琵琶湖で泳いだものでした。
子どもの私にとってあの広い湖は、水平線も、波もあり、海と同じものというように思っていたし、家族旅行でした。

夏休みにどこかに家族旅行に行くというがなかった我が家ですが、泊まりで出かける里帰り(お墓参り)を心待ちにしていました。
日帰りも出来る距離だったので、お墓参りの時以外にも、突然「琵琶湖、行くぞ」と言い出すことも多々あったのですが、琵琶湖に行くと、私と妹は浮輪を抱えてずっと水の中。 母は日焼けをしないよう長袖を着てパラソルの下。 父は日焼けをするために、サンオイルを塗りひたすらお日様の下で寝そべっていました。
「ねえ、一緒に来て。一緒に(水の中へ)行こうよ。」と声をかけても、却下されるほうが多かったので、水の中で両親と一緒に遊んだ記憶があまりないんですよね。
だから、楽しい思い出というよりは、どこか「つまんない」とか「寂しい」と言う気持ちも一緒に思い出すような気がします。
でも、それが毎年の風物詩でした。

また父は、日焼けをするためによくプールにも1人で出かけていました。 やはり泳ぐというよりは体を焼くため。 朝からフラッと近くのプールに出かけては、日に焼いて帰ってきました。
そして、「どうや、黒くなったやろう」と私たちにその日の成果(?)を見せていました。
なぜ父がそんなに肌を焼きたかったのかはわかりませんが、晴れた日には機嫌よくプールに出かけ、満足そうに帰ってきていました。
私が小学校・中学校の頃も、そして20代になっっていた頃も相変わらず同じでした。
当時の私はそんな父に対して、「何やってんの。1人で好き勝手して・・」と呆れ顔だったり、ちょっぴり腹立たしさも感じたりしていました。
でも、父はそんなことは気にすることもなく、毎年夏になるとせっせと体を焼いていたんです。
今思うと、好きなことを自由にやっていた父が楽しそうで羨ましかったのかなとも思います。

暑い暑い8月に父が亡くなって今年で19年目。 
今となっては、それが父の思い出でもあり、私の夏の思い出です。
もしまだ生きていたなら(かなりの年齢になっていますが)、今も体を焼いていたのかもしれませんね。

さあ、これからが夏本番。 みなさま、楽しい夏を満喫してくださいね。

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2013年7月 9日

自分らしくあるための「育てる」と「認める」

今抱えている問題や悩みの本には、小さな頃からの両親との関係が関わっていることを私は、カウンセリングを学んでいくことで知りました。
自分の親との関係がわかり、子どもと関わる仕事をしたことにより、昔の人の言った「三つ子の魂百まで」って言葉の重さを感じます。
脳の構造も6歳頃までが一番発達する時期ですが、心も同じです。生まれてから体が成長するのと同じように心も成長します。

基本的信頼、共感する力、社会的なルールを守る事等、すべて3歳までに身に付くそうです。それは日常的にママ(もしくは母親がわり 以下略)も意識せず自然にするようなこと、泣いたときにあやすことや笑いかけるといったちょっとしたことから学んでいきます。
成長し大人になって生きづらく感じたり、しんどかったり・・・ということも、ちょっとしたことから学んできたのではと思うことがあります。 

赤ちゃん・子ども時代は実験とチャレンジの時代です。
赤ちゃんの頃はなんでも口に入れたり、少し自分で動きまわれるようになった頃も物を叩いたり落としたり・・・目を離せないことがますます増え大変な時期になっていきます。さらにしゃべるようになると、いろんなことを聞かれたりもするようになります。
この時期、先ほど書いたように心も成長していきます。ママの対応の仕方により何を学ぶかが変わってきます。

たとえば、コップを倒して飲み物をこぼした時、まだ最初の頃は「大丈夫?」なんて接していても、こぼした途端に「気を付けて」とか「もぉー」なんて言葉や態度でしてしまうことってないでしょうか?他のことが気になっていたり、イライラしていたりといったことで、少しきつく接してしまうこともあると思います。
しかし、子どもは悪気があったわけではないはず。

こぼしたこと(失敗)とママの態度を結びつけていくことになり、失敗したらダメということになり、ひいては他のことでもママの機嫌をそこなわないようにということを学ぶのではないかと思います。
それよりは、こぼしてしまった時、「こぼれたね。どうしようか?」一緒に考えて、さらに拭いたらきれいになるということを、子ども自身が理解しできるようになる為の言葉をかけていくようにする方が大切だと思うのです。

それはただ単に“拭いたらきれいになる”だけでなく、“何かが起こっても自分で対処できる”ということを実践的に学んでいき、そういった積み重ねが自信をつけることになると思います。親だからといって、教えるという立場ではなく一緒に考えることがとても大切なことなんだと思います。
それは子どもだからではなく、子どもでも1人の人として認めているということになるのだと思います。
親から全面的に認められ受け入れられた子どもは、人に対しても自分に対しても信頼でき、知りたいなどの自分の好奇心や面白いといった気持ちに素直に従い、いつでも自分らしくいられるようになるのだと思います。

先ほども書いたようにママの機嫌を気にすると、成長し世界が広がるとそれは周りの人の機嫌になります。そうして自分の望んでいることがあったとしても、相手に気にいられることを優先してしまうことにつながります。

子ども時代は実験とチャレンジと書きました。ママにとっては「やめてー」と言いたくなるようなこと、たとえば泥まみれになるようなこと、机の上に乗って飛んだりすること等怒りたくなるようなことも多々あると思います。
しかし、子どもにしてみればどんな感じがするのか、どれだけ跳ねるのかといったことをただ試してみたいだけではないのかなと思うのです。

もちろん、どうしてもダメな場合もあるかもしれませんが、できる範囲でさせてあげたり、場所や時間をかえて興味や好奇心を満足させてあげてはどうかと思います。そこを叱るもしくは表情やしぐさで制してしまうようなことをすれば、興味や好奇心を持っても行動に移す前に、周りの態度を気にしてしまうようになると思うのです。
少し飛躍しているかも知れませんが、人が潜在的に恐れているものは『幸せになること』です。ひいてはそれを強めることになるのではとも思います。

子ども時代が大切って思っていても、ついつい怒ってしまう、言い過ぎてしまうママもいると思います。その理由の一つとして、言い過ぎたと自分を責めたり、これをしなきゃって思ってたのにできなかった・ちゃんとできなかったとママが日常の中でたくさん自分自身を責めていることがあげられます。

そんな時目の前の子どもはママの分身になっています。いわば自分と子どもを重ねて見ています。いつも自分に対してダメだと叱っていたり、ダメだししたりしているから言い過ぎてしまうのだと思うのです。親としての自信はなく不安を感じてもいるのもあるかもしれませんが、わからないことや不安はあって当たり前だと思います。

でも、つい怒りすぎたりすることがあっても、かわいいと思う瞬間はたくさんあるはずです。まだ子どもが赤ちゃんの時に少しうまくできなくって失敗したりした時に、思わず微笑んでしまうことはなかったでしょうか?
そういう時はうまくできないからこそ余計に可愛く思った時もあったと思います。その目 そういった目で自分のことも見てあげる。
親だって(大人だって)しんどくてできない時や、失敗だってします。そんな時に、そういうこともあるよ 仕方ないよ って自分に言ってほしいと思います。それは子どもがいる・いないに限らずにしてほしいことです。

失敗は悪いものではく、ただそのままだとうまくいかないよ、しんどくなるよって気づかせてくれる事でしかないと思います。人と本当に信頼し合えるようになる為のコミュニケーションとか、子ども時代に戻らなくても、少しやり方や考え方を変えることで、もっと楽な気持ちになることは出来ます。その為にはまず今の自分を認めることが大切だと思います。

長所・短所はただ出方が違うだけだと思うのです。
良い悪いと判断することなく、ただありのままの自分を認めること、受け入れることだと思います。
少し子どもの頃に誤解して学んだものをやり直す、それは自分で自分を育てるということになるのだと思うのです。

難しく考える必要はなく、癖と同じで習慣だと思うのです。癖をなおすのと同じで繰り返すのみ。どんな自分がいても良い悪いの判断をするのではなくて、全て受け入れるまで繰り返すのみです。
小さな子どもがなかなかうまくできない時にできるまで見守ってあげるのと同じ、自分自身を見守る、待ってあげることだと思います。

私にとって「認める」と「受け取る」はセットです。ありのままを認めたときに、どんな自分も私らしいという形で受け取ることができるようになるのだと思うのです。

いくつであってもやり直せばいい。
認めるその過程で、過去のわからなかったこととつながっていき、あーそうだったのかともっとわかってくる時がきます。
それは経験した数あると思うからです。たとえ今嫌な部分を感じていても、その嫌な気持ちになっている自分をも「認める」ことが、自分らしく生きることの中心となるのだと思います。

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2013年7月 2日

イルカと泳ぎながら考えた・・

こんにちは。那賀まきです。

少し前になるのですが、「ドルフィンスイミング」というものを体験してきました。
イルカの背びれや前びれに捕まって、一緒に泳ぐ、というものです。
この体験では、「イルカがおなかを見せて背泳ぎするときに、前びれにつかまって泳ぐ」というのと、「イルカの背びれを片手でつかまえて泳ぐ」という、2種類の泳ぎ方を体験。
デモンストレーションで、係のお姉さんとイルカが泳いでいるのをみると、すごく楽しそうで、簡単そうに見えました。これは楽しそう!と期待する息子と私でした。

つかまり方をお姉さんに教わります。
「背びれは軽く握って、イルカの横に浮かんで泳ぐ感じですよ~」
「強く握ると、イルカはスピードアップしますからね、優しく添える感じでね」と教えられ、まずは、背びれにつかまって、イルカを泳ぐ(イルカにつれていってもらう)にチャレンジしました。

ところが・・・・
いざ、一緒に泳ぎ始めると、
イルカの泳ぐ速度が、わたしの思っていた速度よりもずっと早いんです
「わーーー早い!怖い~」と思った私
思わず、イルカの背びれに添えた手にも力が入ります
背びれをつかむ力が強くなると、イルカのスピードは・・上がります
(さっきお姉さんがレクチャーしてくれました)
スピードが上がると、また怖くなって力が入り・・・・

係のお姉さんに
「リラックスして、力抜いて~~~」と声をかけられるまで 
イルカの背びれを「ギュッ」と握っていた私。
そんなわたしの様子を見て大笑いしている息子。

海から上がった私は
「思っていた以上にイルカって早く泳ぐんやで~!」と息子に向かって言いました。
すると、息子が「ママが怖がって強く握るから、イルカがスピードアップしたんやで!」と偉そうに言うんです。そして「ママ、もっとイルカさんを信じたらええのに~」そう言って、自分もイルカと泳ぎに行きました。
息子がイルカと泳いでいるのを見ていると、体の力を抜いて、軽くイルカの背びれに触れて浮かんでいます(体が沈まないようにウエットスーツの上に救命胴衣をつけているので、普通にしていれば浮くんです)
そして、息子は終始笑顔でイルカに連れられて泳いでいました。

人生の流れに乗るコツも同じなのかもしれないなぁ・・ふとそんなことを考えました。

自分が思ってもいなかった幸運や幸せに出会ったとき
私たちって、なぜだか怖くなったりするんですよね

例えば
気になっていた人からつきあって欲しいと言われ、とんとん拍子に話が進んで、結婚。
「え?ほんとにコレでいいの?」「幸せすぎて怖い」「どーーしよー」
こんなラッキーでハッピーなことはないはずなのに、なぜか怖くなる。みたいに・・


人によっては、「怖さ」に耐えきれなくて、自分から手に入れた幸せを手放すように彼とお別れしてしまう、なんてこともあります。それほど、自分のコントロールを超えた幸運やチャンスに恵まれることって怖いんです
だって、コントロールができないから・・・
車の運転席に座って、ハンドルを切ることができないようなものですからね

コントロールできないくらいなら、今のままでいい!そんな気持ちになったりもします
そして、せっかくのチャンスを自分から手放してしまうんです
せっかくチャンスがきた!っていうのに・・ですよ
これってもったいない・・と思いませんか?

こんな時に大切なのは
大切なのは「だいじょうぶ、うまくいく」という信頼。

ちょうど、息子がイルカを信頼して身を任せたように、「幸運」という流れを信頼して、リラックスして身を任せることが大切なんですよね

イルカと泳ぎながら、こんなことを思わず考えてしまう、わたし・・・

「ドルフィンスイミング」って、
わたしみたいに、身を任せるのが苦手な方には、「身を任せる」っていう感覚をつかむのにはオススメな体験だと思います


ちなみに、背泳ぎするイルカの前ひれを両手でつかんで泳ぐのは、まるでお母さんに抱かれているみたいな感じがして、すっごく安心できました。何もない海の中で、自分のすぐ下にイルカがいてくれる、というのは、思っていた以上の「安心感」でした。

すっかり「イルカ」が好きになった息子と私。次は夫も一緒に3人でチャレンジしようと、スケジュール帳を眺めているところです。

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