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2013年4月30日

息を吸って悶絶した経験ありますか

春ですね。
春って、入学式とか新学期という印象があるせいか、私の中では“始まりの季節”というイメージです。
皆さんはいかがでしょうか。
私はその影響なのか、習い事や趣味など新しい挑戦は、春に始めることがよくあります。
今年の春は、ヨガを始めました。
といっても、ヨガをするのは、初めての挑戦ではありません。再挑戦というのが正しい。

初めてヨガに挑戦したのは、2年前の春でした。
身体が異常に固く、腹筋がどこにも見当たらないのが、悩みのワタクシ。
前屈しても膝くらいまでしか指が届かず、腹筋は1回もできませんでした。
このままでは、アシカさんかトドちゃんになっちゃう・・・!と危機感を募らせた私は、ちょうど当時勤めていた会社を辞めて夢の無職生活を始めたこともあり、有り余った時間を有効に使おうと決心したのです。(しかし、働く気はない)。
しなやかな体とひきしまったお腹を手に入れるためには、ヨガしかない。
勝手な思い込みから、やる気満々でした。

しかしながら、夢の無職生活を続けるには、1銭のお金も無駄にはできません。
一人暮らしの私は、生きているだけで家賃と生活費という出費に痛めつけられるのです。
ヨガ教室に通うなんて、そんな余裕はありません。インドで修業することもできません。
そんな試行錯誤の結果、貧坊ちゃまな私の強い味方、図書館さんからヨガの本を借りてきました。
さっそくパラパラめくってみましたが、いまいちよくわかりません。
しかし、そこは適当に流すのが、我流のあるべき姿というもの。我流に正確性を求めるのは禁物です。
我流に必要なのは、気合と見た目です。見た目から入って何が悪い。
とは言いつつも、ヨガウェアを買うほどの資金的余裕はないので、普通のジャージの上からスカートをはいて、ヨガっぽくしました。
さらに、完璧なシチュエーションを求めて、その日は早朝5時に起きました。
いざ、参らん。早朝の朝陽の中へ! That’s 太陽礼拝!
気合いも十分です。

まず、効果別に分かれているページの中から、『下腹ぽっこりに効く』というページから挑戦することにしました。
なんといっても、タヌキさんもびっくりのぽっこりお腹ですからね。
しかし本の説明では、ヨガのポーズをとる前に、準備運動として腹式呼吸を10回するらしいです。

腹式ぃ?
めんどっちいのう。
はしょったろかい。
・・・仕方ないのう。
とやってみました。

『5秒間息を吸う』と書いてありますが、どうも1秒くらいしか吸えません。
おりゃあ!と力いっぱい吸いこみました。
すると、突然衝撃が・・・・。
ピッキーーーーーーーン!!
助骨の下(肺のあたり?)の筋肉がつったのです!

あまりの痛さに声を出すこともできずに悶絶。
体をひねることも、横たわることも、立ち上がることもできない。息を吸うことも、吐くこともできない。
肺がつったらどうしたらいいの。
死んでしまう・・・死んでしまうーーー!!

・・・と思った頃に、なんとか治りました。

しかし、あまりの痛さに、準備段階の腹式呼吸にて越えられない大きな壁を感じました。
3日坊主どころか、最初の5分くらいで挫折。
聖なるスポーツに、うかつに手をだしてはいけない、という教訓だけを得ました。

この『息を吸っただけで悶絶ヨガ』事件から2年。
なんの手立ても講じなかった私の身体は、ますます固く、お腹はますますプヨプヨに。
そこで今春、ふたたび時間に余裕ができたことを機に、今度こそ夢のボディを手に入れるため、ヨガに再挑戦することにしたのです。

今度は、大丈夫。
なぜなら、お金を出してヨガ教室に通うから♪
もう我流じゃありません。プロの手による適切な指導があれば、きっと腹式呼吸もできるようになるはず。

るんるるる~ん♪と行ってきました。
結果。
できましたよ、腹式呼吸!
正確には、腹式呼吸というか「鼻から息を吸って~」と優しい声で言われただけでしたけど。
何はともあれ、肺はつらなかったのです。
見よ、お金の威力!!

一度挫折したけれど、諦めきれないものがあるならば、やり方を変えて再挑戦してみませんか?
諦めきれないところには、自分の“こだわり”があるはず。
“こだわり”は、自分の人生の大切なポイントです。
私の場合、ヨガはそこまで人生にとって大切かと聞かれると難しいところですが、少なくとも自分の生活の新たな楽しみにはなっています。

楽しくいきましょう、春!

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2013年4月23日

『大好き!』を伝えていますか?

ゴールデンウィークがもうすぐやってきますね。
皆さんは、春の大型連休はいかがお過ごしになられるのでしょうか。

レジャーや帰省や、自分自身を振り返る時間等々、皆さんオリジナルのステキな時間を過ごされるかな、と思いながらいまコラムを書いております。

また、機会がありましたら皆さんのゴールデンウィークの過ごし方についてお伝えいただけると嬉しいです。


さて、皆さんは『大好き!』っていう気持ちを伝えていますか?

私は『大好き!』と思った時にそれを伝えたり、表現するように心がけております。

でも、昔は『大好き!』という気持ちを全く持って表現出来なかった、というタイプだったんです。

私なんかが『大好き!』って言うのはアレかな・・・なんて思って、『大好き!』とか『アレが欲しい!』とか、自分の思っている事をほとんど表現する事が出来ませんでした。
というか、表現するのがとても怖かったんですよね。

『大好き!』を表現して笑われたらどうしよう・・・
みんなと違う所で『大好き!』を表現し、その場に冷たい空気が通ったらどうしよう・・・

等、自分自身のココロの中では『大好き!』を表現する事はとてもいけないような感じがして、どうしても自分の気持ちを表現する事が出来なかったんですね。
そして、ココロの中で『大好き!』表現したいけど出来ないって凄く葛藤したりしておりました。
元々、色々な気持ちを表現する事が苦手だった事もあり『大好き!』と表現する事をあきらめてた節もあったかもしれません。

しかし、よく考えてみたら自分のココロの中にある『大好き!』を表現しない事って自分自身を大切にしていないんじゃないかな、という気持ちにふとなった瞬間があったんですね。
その切っ掛けは
『自分自身がもし誰かに嘘をつかれたらショックに感じるという事は、自分自身が自分の気持ちに嘘を作って言う事もショック受けちゃうよね』
という自分の中のココロの方程式を見つけてしまった事でした。

まあ、その事に気づいたときは
“嗚呼なんて、自分を大切にしなかったんだーっ!!”
と、今まで自分の気持ちに素直になれなかった自分を悔やみました。
しかし、素直になりたくても、その勇気が持てなかった事や、怖くて表現できなかった自分もいたよね、と『大好き!』を表現したくても出来なかった自分自身のそれまでチャレンジしようとしていた気持ちを認めて、少しずつでも良いから『大好き!』を表現しようというチャレンジをしてみました。

そして『大好き!』を伝えるチャレンジをする事によって、私の周りに色んな変化というモノがやってきました。

それは、自分自身が大好きなモノや興味のあるモノが自然と自分の周りにやってきた事でした。

例えば、今私の趣味の一つに手づくり石けんを作る事があります。
しかし、初めは手づくり石けんの存在も知らなかったのです。
でも、『大好き!』を外に発信していく中で、手づくり石けんを売っているお店の情報が入ってきたり。
手づくり石けんを教えてくれるスクールがあるという情報を教えてもらったり。
石けんの作り方に色々な種類があるという情報がやってきたり。
手づくり石けんを作るのが『大好き!』と発信する中で、新しいお友達が出来たり。

『大好き!』や興味がある事を表現する事で、周りの人達がそれならばと情報を教えてくれたり。
『大好き!』という気持ちと、他の誰かの『大好き!』という気持ちがリンクして新しい交流が芽生えたり。

『大好き!』を表現する事で、ココロの中もすっきりして、自分自身に優しくなれて、大好きなモノや人に囲まれて、日々を気持ちよく過ごせるようになってきたな、と実感しております。

でも、その『大好き!』を表現できるようになったのも、『大好き!』と表現できずに苦しんでいた自分がいたからこそかもと感じたりもするんですね。
そうじゃなかったら、ここまで『大好き!』を表現できる楽しさを味わえなかったかもしれません。
だから、本当にあの頃の自分に
“頑張って、『大好き!』という気持ちを温め続けてくれてありがとう!”
と、伝えてあげたい気持ちでいっぱいです。

もし、今『大好き!』が表現するのが怖いなって感じられてたらまずは
“『大好き!』って思ってもいいんだわ”
と、自分の中にある『大好き!』を認めてあげてくださいね。

私も、初めはそこからのスタートでしたから。

そして、そのスタートから徐々に『大好き!』が表現できるようになりましたから。

皆さんの中にある『大好き!』を大切にしてあげてくださいね。


最後までお読みいただきましてありがとうございました。

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2013年4月16日

おめでとうの嵐!

春、4月。
4月は私の誕生月でもあり、
花粉症(スギとヒノキ、両方持っているのです!!)で
辛いにもかかわらず一番大好きな月でもあります。
そして5年ほど前からこの時期に毎年やっている事があります。
それは………
長く続けている個人的なブログに
その日が自分の誕生日である事を告知し、
出会ってくれた方達に感謝を述べたり、
両親に産んでくれた事、
育ててくれた事を感謝する言葉を綴った後に
次の一文を添えて投稿するのです。

「以下、おめでとうの嵐!」

やり続けて5年も経っているのですが、
毎年投稿ボタンを押す瞬間は
生まれたての子鹿のように脚ががくがく震え、
緊張から来る吐き気におえおえしています。
そしてその日が終わる頃に
これまたおえおえしながらコメントをチェックするのですが、
毎年本当に沢山の祝辞コメントが続いているのです。
最近ではそのおめでとうを受け取るツールに
TwitterとFacebookが増え、
「以下、(略」と投稿しなくても
色んな方向からおめでとうの爆弾を
受ける様になりました。

そもそも、これをやろうと思い立った切っ掛けは、
仕事での行き詰まりからでした。
もともとミジンコほどもない自信を
覆い隠すために頑張って来た仕事。
その最後の砦で立て続けに起こったミスや事件に
自分の精神力の弱さが露呈して………
なけなしの自信は粉々に砕け散り、
自分の価値を毛の筋ほども見いだせなくなったのです。

31歳の誕生日から2週間ほど前のことでした。
当時のブログには、追い込まれた私の叫びがあります。

「逃げたい。
 死にたくはないけど、消えてしまいたい。
 疲れた。
 息切れしてるのよ。
 息が出来ない。
 人間、どの辺りまで我慢したら、幸せになるんですかね。
 どの辺りまで頑張ったら、幸せになるんですかね。
 仕事中、動悸が激しくなって
 考えが全くまとまらなくなることが多発し始めた。
 急に不安になって、胸が押し潰されそうになることも。
 また、わし、ダメになるんかなあ。 」
※当時、自分の事を「わし」と呼んでいました。

心理学を学び始めたばかりの頃です。
我慢しても、無理して頑張っても幸せになれない事は
頭で知っていました。
そうして書き込んでから一晩経って冷静になり、
「こんな泣き言を投稿していたら
 友達がいなくなっちゃう」と思い直し、
投稿を消そうと再度ブログにアクセスすると
すでにその日記には4件ものコメントが付いていました。
こんな泣き言を投稿するな!と
怒りのコメントが付いているんじゃないか…
そう思って肝が心底冷えた事を思い出します。
(もう、当時は自己攻撃が酷かったのです!)
実際付いていたコメントは、
「無理は禁物!」「辛いときは休む事が必要だよ」など、
どれも温かいものばかりでした。
コメントの表示された携帯を握りしめ、背中を丸めて泣きました。
これを切っ掛けに心がゆるみ始めたのか、
オンラインの友達限定でしたが助けを求めて
「私の良い所ってどこですか?」と呼びかけています。
今度は5件もコメントがありました。
「人ってやっぱり温かいんだ」とゆるゆる自信を取り戻し、
だいぶ前向きな思考が出来るまでに回復しました。
そして迎えた誕生日、自分は生まれてきて良かったのか
思い切って聞いてみたのです。
少し照れ隠しに大げさな表現で。

「31歳になりました。以下おめでとうの嵐。」

10件のおめでとうコメントと、中にはわざわざ電話して
おめでとうを伝えようとしてくれた友人もいました。
(仕事中で出られなかったのはとても残念!)

それ以来、私は人の誕生日を我が事のように喜び、
自分の誕生日もこんなに素晴らしい人たちに囲まれている事を
感謝する日に決めたのでした。

その思いは毎年強くなり、
皆さんとお会い出来るのは本当に素晴らしい偶然と決断と勇気と…
その他もろもろの思いが重なって出来た
貴重なものだと思っております。

1年366日、全てのお誕生日の人へ。
お誕生日おめでとう。
生まれてきてくれてありがとう。
そして、出会ってくれてありがとう。

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2013年4月 9日

“あたりまえ”を見つめてみよう

「ママ~、次どんなクラスになるやろ~~~」

3月の中旬あたりから、娘はそのことばかりが気になっているようでした。
娘は4月から中学3年生になります。

小学校からその中学校に進学したのは娘だけで、友達が一人も居ずなかなか学校に馴染めなかった中学1年生の頃はよく学校を休んでいました。
そして、2年生には随分学校にも慣れてきてはいましたが、まだ学校を休む日がちょこちょこありました。

そんな時、私は
「この子はこんなに度々学校を休んで大丈夫か?」
「大人になった時、ちゃんと社会生活を送れるだろうか?」
という心配から
「なんで学校行かないの?朝ちゃんと起きて学校に行くのは“あたりまえ”のことやん」
「みんな、いろいろあるけどフツーに朝起きてフツーに学校行ってるよ?」
ということを幾度となく言ってきました。

「次はどんなクラスか?」ばかりを気にする娘に「そんなに気になる?なにがそんなに気になるの?」と聞いてみたら、一番の関心ごとは、『気の合う友達と同じクラスになるかどうか?』ということだったようです。
そして、自分が友達に対してどんな風に感じてどんな風に振る舞いどうありたいと思っているかを話してくれました。
けれど、それが上手くいかなかったり、色々考えるとよく分からなくなり面倒くさくなって学校への足が遠のくのだと。

そんな話を聞きながら、“あたりまえ”の事って結構難しいのだな、と改めて感じました。
私たちが当たり前と感じていることはたくさんあります。

・学生は学校へ行く
・社会人は仕事へ行く
・母親は家事をする
・父親は働いてお金を家に入れる
・彼はデートのプランを練る
・彼女はいつも優しく
・男は強く
・女は愛嬌よく
・子供は無邪気
・大人は堅実

挙げ出すとキリがないですね。

学生が学校へ行くのは“あたりまえ”のことですが、行けない時はなにか理由があります。
社会人でも「今日は会社休みた~い」と思うこともあるし、母親でも「今日は料理を作る気分になれない」こともあるし、彼氏だってたまにはデートのコースをお任せしたい時もあるかもしれませんし、彼女の機嫌が悪い時もありますよね。

“あたりまえ”と普段思っていてもそのことを継続することや、そうあり続ける事はすごいことだと思うのです。
しかし、自分に厳しく 『私は母親だから毎日キッチリ美味しいご飯を作るのが“あたりまえ”』 と思っていたとしたら、娘が学校に行かない時に 『ママはいつも美味しいご飯を作っているのに、なぜあなたは学校に行くという“あたりまえ”のことが出来ないのか?!』 となりやすいのですね。

“あたりまえ”に縛られるよりも、『学校にいくのは“あたりまえ”のことだけど、キチンと行って偉いね』 『いつも働いてお金を入れてくれてありがとう』 など、“あたりまえ”なことだとしても、認めたり褒めたり感謝を伝えると、伝えられた方は嬉しいですし「またがんばろう」という気持ちになりやすいですね。

良かったらそんな“あたりまえ”を見つめて自分や人を認めたり、誰かに感謝を伝えてみて下さい。
きっと気分が良くなります。

因みに、娘のクラス替えの発表は春休み前にあり、気の合う友達と同じクラスで担任の先生も好きな先生に持ってもらえることになりました。
「あ~~、これで毎日学校行って勉強に集中できる~~♪」
と言った娘に
「それってフツーで“あたりまえ”のことやん?」
と、つい言ってしまったことも正直に書き添えておきます^^;

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2013年4月 2日

伝えるって難しい

こんにちは、永瀬玲子です。

ずいぶん前の出来事になりまが、この春から中学生になった息子が、5歳の幼稚園児だった頃の出来事をお話したいと思います。

当時の私が、5歳児である息子を前にぶち切れした時の話です。
息子の「つまんなかった。」という一言で。

ここで少しさかのぼって、ぶち切れるまでの経緯をお話したいと思います。

幼稚園の春の遠足で、遊園地に行った時のことです。
遠足自体は、14時前に現地で解散になりました。

解散後はもちろん自由なので、私達親子は、他の親子と一緒に遊園地で閉園の17時まで遊んで行くことにしました。
仲のいいお友達と、おおはしゃぎしながら乗り物に乗っている姿は、本当に楽しそうに見えました。

ところがです。
閉園時間となり、遊園地を後にしながら息子が言った一言は・・・


「つまんなかった。」


私は耳を疑いました。

「あんなに楽しそうだったのに?」
「途中で帰らなくてはいけない子もいる中で、最後まで遊んだのに?」

心の中でそうつぶやきながら、「そう? 楽しそうだったけど。」と息子に言葉をかけて、この話題は終わりました。

そして別のある日。
そう、私がブチ切れしたあの日です。

その日は、親子4組で東京ディズニーランドへ行きました。

みんなで色々なアトラクションに乗って楽しみました。
中には息子ひとりだけが乗りたがらないアトラクションもあり、その時間は別行動をしたりもしましたが、とても楽しい一日を過ごしました。

いえ、楽しい一日を過ごせたと私は思っていました。
と言い換えた方がいいかもしれません。

帰り際、息子が言いました。
「つまんなかった。」

前回の件があったので、私は「またかぁ・・・」と思いましたが、みんなも一緒だったので、「楽しそうだったけどね。」と言ってその場は終わりました。
ところが、帰宅してからまたも息子が言うのです。
「つまんなかった。」と。

そこで、私はブチ切れました!

「この前といい、今日といい、あんなに楽しそうにしていて、一体何がつまらないのよ!(怒)」と。
5歳児を前に、大人げないと思っていても止まりません。

そして、言ってはいけない一言まで言ってしまうのです。
「自分だけ別行動して、やりたいようにやってたくせに」と。

息子は泣き出しました。
こうなると、もう話どころではありません。

私は友人に電話で話を聞いてもらいました。
友人には、うちよりも大きいふたりのお子さんがいて、母としての器の大きさを尊敬すると共に、子どもの目線で物事を見て考えられるということでは、本当にたくさんのことを学ばせてもらっています。

ここまであったことを友人に全て伝えました。
すると友人は一言。

「私は、Sくん(うちの息子)の気持ち、わかる気がするよ。」と言うのです。

私はつかさず聞きました。
「なんで? どんなところが?」

「たぶんだけど、Sくんは、こう言いたいんじゃないかな?
 『本当に楽しくてずっといたいのに、帰らなきゃいけないなんてつまんない』って。」と友人は言うのです。
そして、「Sくん本人に聞いてみたら?」と言ってくれました。

翌日、私は早速息子に聞きました。
「昨日のことだけど、『つまんなかった』って言ってたけど、何がつまらなかったの?」と。

息子は「ただ、つまんなかっただけ。」と答えたので、昨日の友人のアドバイスを織り交ぜてもう一回聞いてみました。
「違ったらごめんねなんだけど、もしかして、すごく楽しい遊園地を帰らないといけないことがつまらなかったの?」と。

すると息子は即答。
「昨日、そう言ったじゃん。」

心の中で、「君はそんなにわかりやすく言ってくれてはいないぞ。」と思いましたが、その瞬間、私は息子を抱きしめていました。
「君が、本当に伝えたかったことを、お母さんはわかってなかったね。」と言いながら。


実は、主人とも似たような出来事がありました。

主人が転職をして、お給料がすごく下がり、我が家が節約をしながら毎月を乗り切っていた頃のことです。
夏休みを前に、「今年の夏休みはどうする?」と夫婦で話をしていました。

私が「楽しい夏休みにしたいな。」と言うと主人が一言「そんなに贅沢がしたいのか!」と怒りながら言うのです。

贅沢がしたいなんて、一言も言ってないのに。
主人の中には、「楽しむ=贅沢をする」という公式があるのかもしれません。

自分が伝えたいことが、伝えたいとおりに相手に伝わるとは限らない。
そう考えると、伝えるための言葉だけれど、表現にはたくさんの工夫と配慮が必要なのかもしれません。

「伝えるって難しい」改めてそう感じた出来事、そして私自身が学んだ出来事でした。

最後までお読みいただき、ありがとうございました。


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