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2012年12月25日

クリスマスの思い出

なんて、ベタなタイトルなんだ!と、思われていることでしょう。
この原稿がアップされるのは、いつだろう?とスケジュールを見ると、それは12月25日。
なんと、クリスマスの日じゃないか!!そう思ったとたん、クリスマスというテーマが頭から離れず、縛られてしまいました(笑)。

幼い子供のころから、大人にいたるまで、様々なクリスマスの思い出を、みなさんも、お持ちのことと思います。
私も、原稿のことを考えながら、あの時は、ああだった、こうだったと、様々なことを思い出しました。
総じて、大人になってからのクリスマスは、「あまりパッとしたクリスマスは無かったな。」というのが、振り返っての感想です。
それもこれも、素敵な恋愛というものに縁遠かったからかもしれませんが、それについては、とても1回のコラムで語りつくせないので、いつか場を改めてお伝えできればと思っています。

今回のコラムでは、子供のころの、一番印象深いクリスマスについて、書いてみたいと思います。
幼稚園の2年目から小学2年生の冬まで、父の留学のために、私たち一家は、アメリカのメリーランド州ボルチモアで過ごしました。
ボルチモアの郊外にある、メゾネットタイプの安いアパートに住み、私は普通の公立小学校に通っていました。
子どもの適応力には目を見張るものがありますが、私はすぐに環境になじみ、楽しく過ごしていたようです。

一方、両親たちは、経済的にとても大変な時期だったようです。
これを言うと年齢がばれてしまいますが、その当時は1ドル360円の固定レートの時代だったのです。
本日の為替レートが1ドル82円ですから、現在に比べ日本円は4分の1の価値しかなかったわけです。
留学中は、日本の大学から経済的な支援を受けていたそうですが、日本円で10万円支給されたとしても、アメリカでは280ドルあまりとなり、いくら物価の安いアメリカとはいえ、生活は苦しかったようです。

しかし、子どもの私には、そんなことは理解できませんから、アメリカナイズされた私は、当然のことのように大胆なプレゼントを要求したのです。
その当時、アメリカではバービー人形が人気でした。
アメリカ人のお友達の家へ遊びに行くと、とてもきらびやかで美しいバービーちゃんとそのお家があったのです。
ちょうどその頃、日本ではリカちゃん人形が発売されブームになっていたようですが、リカちゃんすら見たことのない私は、夢のようなひと時を過ごしたのです。
それ以来、寝ても覚めても夢のお家が忘れられず、「お人形さんのお家が欲しい」と、友達の家で遊んだバービーハウスがどんなに素敵だったかを話して、両親に要求したのです。

そして、クリスマスの日の朝、飛び起きるようにして2階の寝室から1階のリビングまでに駆け下りていくと、クリスマスツリーの横に、ダンボールで作られた家が置いてありました。
一応、私が説明したように、2階建てで4つの部屋があり、窓もついていましたが、壁はピンク色ではなく、ダンボール色だし、きれいな家具もなく、あのバービーちゃんのお家とは似ても似つかないものでした。
しかし、クリスマスの数日前から、夜な夜な両親が1階でゴソゴソと何やら作っているのを、階段の一番上に座って耳を澄まして聞いて知っていましたから、おそらく、とても複雑な顔をしていたでしょうね。

しかし、その後も、3月のひな祭りには紙コップを逆さにしてお雛様を作ってくれたり、7月の誕生日パーティーにも手作り感たっぷりゲームが用意されたことを考えると、私はダンボールハウスを前にして、喜んでみせたようです。
あのクリスマスの日、私は、“大人の対応”というものを身につけたのかもしれません。
その頃から、私は、少しずつ自立をし始めたのだと思います。

みなさんは、どんなクリスマスの思い出をお持ちでしょう?
サンタクロースが親だと知った日、思い通りにプレゼントが届かなかった日、そんなクリスマスの日を迎え、大人になり始めるきっかけの一つとなったかもしれませんね。

それでもやっぱりクリスマスは、私たちの心を躍らせます。
素敵なクリスマスツリー、とてもカラフルなギフト、街を美し飾るイルミネーション、そして人の温かい気持ち。
過去に閉じたハートをもう一度開いて、子どもの頃ようにクリスマスを楽しんでみませんか?
みなさんにとって、今日が素敵な一日となりますように。
Merry Christmas ☆


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2012年12月18日

信じることをあきらめない。

こんにちは。宮古島から五十嵐かおるです。

みなさん、ご存知でしょうか。
朝の連続テレビ小説「純と愛」
ドラマの舞台が大阪とここ宮古島なんです。
真っ直ぐな心を持った女性「純」と、ちょっと不思議な力を持った男の子「愛(いとし)」がたくさんの人たちと出会い波乱万丈の出来事を通して成長していくというストーリー。
「愛」の望まないのに人の本性が見えてしまうという力は、ここをご覧の皆さんなら興味を持つ方も多いかもしれませんね。

もちろん宮古島も島をあげて応援しています。
小さな島なので、何か大きなことがあると話題が集まるのも早い。
ドラマのポスターがスーパーや土産物店、飲食店までいたるところにA1サイズで貼ってあるし、「純」の出身である宮古島の回想シーンには、島の現役高校生がしっかり出演しています。
お土産にも「純と愛」のロゴ入グッズが登場しました。
テレビの効果は絶大です。もちろん私も見ています。
ここに遊びに来た友達は「懐かしい」と、来たことのない友達は「こんなところなんだね」とイメージしてくれるそう。実家の家族は「宮古島の景色を見る」⇒「かおるを見る」ような感覚になっているらしく、欠かさず見てくれているとのこと。旅行で来てくれたことがあるので「あのシーンは一緒に行ったところだよね」とよく連絡をしてきてくれます。気づけば私のも宣伝効果というか充分に恩恵を受けているみたいです。

ドラマにちなんだイベントもいくつか開催されていて、先日は出演者の「トークショー」があったのでさっそく行ってみました。
主演の2人と、純の両親役の森下愛子さんと武田鉄也さん、音楽監修の荻野清子さんという豪華ゲスト。チケットはあっという間に完売・・・と思いきや前日でもしっかり購入できました。島のこういうところが好きなんですけどね。

さすがに出演者4人がずらっと舞台に並ぶとちょっとした迫力。
ドラマのイメージとは違って、みんな笑顔でキレイだしカッコいい。
なんかわからないけど「すごーーい」テンションも上がる。
話題は脚本家が「家政婦のミタ」も手がけた遊川和彦さんだけあって、連ドラらしい純粋なヒューマンドラマではないこと、ドロドロした汚い部分もありきの人間模様を包み隠さず描こうとしていること。
ピアノソロで聞こえてくる音楽は宮古島の「なりやまあやぐ」という民謡をモチーフにつくられているとか。
そんな裏話を聞くと、さらにドラマにも親近感が湧いてきます。

中でも印象に残ったのは「このドラマで伝えたいこと」
純粋で無鉄砲、ちょっと空気が読めないこところもある「純」と、多くの才能を持ちながら望まない力のせいで人と目を合わせることが苦痛になってしまった「愛」が結婚して一緒に人生を歩みながらお互いの家族や友達、職場の人たちなど多くの「人」と関わってもまれながらも成長していく。
まだ若い2人が叱られたり励まされたり、教えてもらったりしながら大きくなっていくこと。
「純」のいいところは、その真っ直ぐな心で不器用ながらも「それぞれの人のいいところ」を見つけて吸収して進んで行こうとする姿勢。

人間は他人と関わりながら傷ついたり思い通りにならないことがあると、心を閉ざしてしまったり、諦めて関わりから逃げようとしがちです。そのほうがもう2度と同じ痛みを味わうことはしなくていいから簡単かもしれません。私もそうすることを選んだことがあります。わかってもらえない、受け入れてもらえないなら最初から望まなければいいこと。
ただ、そうしていたら感情は成長を止めてしまいます。

真っ直ぐなむき出しの心では、人の言葉や行動で傷つくことはダメージが大きい。
でもそこで「純」は「あきらめない」のです。どうにかしてこの人を笑顔にしよう、裏切られても何度でも相手を信じようとする。そこで達成感やつながり、感動を感じることが成長につながっていくのでしょう。
初めからうまくいっているにこしたことはありませんが、喧嘩や衝突を乗り越えて繋がれた人間関係は深みも増します。何かあってもまたやりなおせる、つながれるという信頼と自信になってくれます。
「あきらめない」とは簡単に言っても、わかっていてもうまくできない。
だからこそ「純」が教えてくれることは大きいのかもしれません。

あなたの周りに「純」みたいな人はいませんか。
そんな真っ直ぐさから学べることをぜひ見つけてみてくださいね。

五十嵐かおるのプロフィールへ>>>

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2012年12月11日

お母さん、助けて

私の子供時代というのは、とても臆病で、怖がっているというそういう子供でした。
私が物心ついたのは幼稚園の時なのですが、その最初の記憶から、私はとても臆病で、怖がっていました。
ある時、同じ幼稚園の同級生に砂を投げつけられたことがあるのですが、そんな時も、臆病な私は、文句も言えず、ただ嫌だなぁと思っていただけ、そんな子供でした。
家に帰って、自分の母に「今日、幼稚園で○○君に砂をぶつけられた。」と話すと、母は、慰めてくれるとか、抱きしめてくれるとかをする訳ではなく、「なんでやり返してこないの!」と怒鳴ってくるような母でした。
私は、そんな経験から、自分は臆病で弱い。そして、臆病で弱いと人から攻撃されると考えるようになり、弱くて臆病な自分は隠さなければいけないと思うようになりました。

そんな私もだんだんと成長し、人付き合いもうまくなっていくと、友人が出来たり彼女が出来たりするようになったりして、あんなにも臆病だった幼稚園の頃の自分は、普段は全く意識することは無くなりました。
けれども、何かのきっかけで自分が臆病になったり、怖くなったりした時は、そんな不安な気持ちを友人たちに打ち明けることも出来ず、とにかく上手に隠し、一人で何とかしようとすることがパターンとなっていました。
けれども、上手に隠せれば隠せるほど、何故かそんな時ほど孤独な気持ちでいっぱいになっていました。

私は、そもそも幼稚園の頃、物心ついたとき既に、臆病で不安な気持ちでいっぱいだったので、「自分は臆病で怖がりな人間である。」と思い込んでいます。
なので、臆病な気持ちをなんとかしようとする発想が出ないんです。
そして、そんな臆病だった自分が、友人から砂をかけられ、母にも怒鳴られたという経験から、そんなにも臆病な自分は絶対に愛されないと思い込んでいました。

ところで、私がまだカウンセラーになる前、勉強のために心理学のセミナーに参加した時の事ですが、先生が参加者の悩みにその場で答えるという公開カウンセリングを行っていた時、ある方の相談が、今の自分の状況ととても重なり、心に響き、まさに自分も同じ状況だなと思った事がありました。

そして、その時先生がその相談者に伝えたアドバイスというのは「家族に助けてと言いましょう。」というものでした。
私は、それを聞いたとき、家族に助けてと言うのなんて本当に嫌だなと思いましたが、その時の自分は人生に行き詰っている感覚もあり、思い切って、このようなメールを母に打ちました。

「お母さん、もう疲れました。助けて。」

その時の自分は、実際に助けて欲しいことがあったわけではなく、セミナーでの話を真に受けてメールを打っただけでした。
このようにメールを打つと、すぐに実家から電話がかかってきました。
さっきのメールのことだなと思っているので、私は出たくないなと思ってその電話を無視したら、今度は母からすぐにメールが来ました。

そのメールというのは、「健太郎、すぐに連絡してきなさい。」という内容でした。
その時の私は、そこではっと気が付きました。

「さっきのメール、自殺するとでも思われてしまったかもしれないな。。。」

そこで私は、急いで母にメールを返しました。

「さっきのはなんでもありません。ちょっと疲れただけです。」

そうしたら、今度は妹からメールが来ました。

「お兄ちゃん、何があったの?借金でもした?」

私は妹に対しても、「ちょっと疲れただけで、なんでもないです。さっきのメールの事だったらすいません。」と返事をしました。
翌日になると、今度は九州に住んでいる、いとこからメールが来ました。

「健太郎君、たまには九州に遊びにきんさい。」

私はそれにも、「ありがとう、また遊びに行きます。」と返事をしました。
そして、その日の昼に、今度は父から電話がかかってきました。

「健太郎、何があった?お父さんに話してみなさい。」

その頃には、もうなんでもないというのにもうんざりするほどでしたが、私は、その時、家族から、めいっぱい愛されているだなという感覚になっていました。

そして、今までどことなく、家族から愛されていないのじゃないか、とりわけ母から愛されていないのじゃないのかなという恐れのあった私ですが、その日を境に、自分が家族から愛されいないなんて、微塵も思わなくなりました。

私は、幼稚園の頃の経験があってから、自分の弱さや、臆病な気持ちを隠して生きてきました。
そして、母は、臆病な私を愛してくれていないと思い込んでいました。
そんな、自分は愛されていないのではないかという思いは、自分がもっと強くなったり、よくなったりしても、全く消えないどころか、よけいに孤独に感じました。
なのに、助けてという声にこたえてもらえて初めて、私は、愛されいる気持ちでいっぱいになりました。

ところで、私の母というのは、幼稚園の頃に、砂をかけられて泣いた私に、「やり返してこい!」なんて怒鳴るような母なのですが、この母がなぜこんな風なのかは、今はなんとなく理解できる気がします。
私の母の生まれは九州です。
そして、就職のために名古屋に来たそうです。
そんな母は、きっと心細くて、不安で、仕方が無かったのかもしれません。
そして、そんな心細い状態の時に、誰も頼る人がおらず、どうしようもなくて、自分ひとりで頑張ってきた人なのかもしれません。

心理学を学んでいると、「人は誰でもその家族を選んで生まれてくる。」「両親を助けるために生まれてくる。」という話を聞いたことが何回かありました。
もしかしたら私は、そんな母の臆病で不安な気持ちを引き継いで、それを何とかするために、生まれてきたのかもしれません。
そして、不安で臆病な気持ちを何とかする方法、それは、誰かに助けを求めるという事なのかもしれないなと思いました。

小倉健太郎のプロフィールへ>>>

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2012年12月 4日

仮面ライダーウィザードに思う、絶望を希望に変えること

息子が、「仮面ライダーウィザード」にハマっているので、よく一緒に観ています。
今回の仮面ライダーは、魔法使いという設定。
その初回放送で、とても興味深いセリフがありました。

仮面ライダーに変身して、脅威の存在から人々を守る主人公と、登場人物の一人である女性刑事の会話です。
敵には、人の力では太刀打ちできない。魔法使いでなければ無理だ、と言う主人公に対し、女性刑事は、こう反論します。

「(警察なのに)人々の脅威に何もしないで絶望してろって言うの?」
「そりゃ、魔法使いはいいわよね。魔法で何でもできるから。絶望することもないんでしょ?」

それに対して、主人公はこう答えます。
「魔法があるから絶望しないんじゃない。絶望しなかったから、魔法を手に入れることができたんだ。」

そして、最後に主人公は、彼女にこういいます。
「俺があんたの希望になってやるよ」


絶望、と言えるほど、辛い事があった時、「もし何でも解決できるような魔法が使えたら」。
そう考えたことはありませんか?

私は幼い頃から、ずっとそう思っていました。
それは時には魔法だったり、超能力だったり、変身する力だったり。
圧倒的な何かの力さえあれば、今の苦しい状況を変えられるのに、と思い、
そうした力が欲しいと願い、だからこそ、テレビや漫画のヒーローに強い憧れを持っていました。

それは、大人になってからも、ずっと持ち続けていたと思います。

でも、それは物語の世界の力でしかありませんでした。
当然ながら、現実社会では、魔法のような力は存在していません。
欲しいと願いながらも、実は、絶対に手に入らないと諦めてもいたのですね。

でも、今は魔法は使えなくても、絶望を希望に変えていくことはできる。
私はそう思うようになりました。

そう思えるようになったのは、実際のカウンセリングの中で、辛い状況や困難を乗り越えたり、願いを叶えたりする方にたくさんお会いしてきたからです。

こうした方に共通しているものがあるとしたら、それは、絶望しなかったこと、つまり「あきらめなかった」ことではないかと思います。

「あきらめない」という言葉は、一般的には「目標達成のために、あきらめない」といった、努力せねば、がんばらねばならない、というイメージがあるように思います。

けれど、私が感じる「あきらめない」とは、そうした「がんばり」のこととは少し違います。

それは「私には幸せになる価値がある」という思いにたどり着くこと。
そして、「私が幸せになるってどういうことだろう?」と考え、「ドキドキワクワク」したり「楽しかったり、うれしかったり」する思い。
そうした思いを見つけることを「あきらめない」ことであると思っています。


例えば、離婚という問題が起こって、それを解決したくてカウンセリングを受けられた方がいたとします。
その原因は、パートナーが浮気をしていたり、相手が仕事にしか興味を持たずに家に帰ってこない状況だったりと、パートナーが問題を起こしている場合があります。

そうすると、当然ながら、相手が悪いから、相手に問題があるから、と思うものですよね。
せっかく幸せになりたかったのに、相手が悪いから私が幸せになれなくなった、と感じます。
事実、相手に原因があるのだから、私の不幸は相手のせいになってくるわけです。

この状態では、とても傷ついてしまっていますから、カウンセリングの中では、最初は、現状の整理や、これまでに蓄積された様々な問題を整理したり、傷ついてきた心を癒したりして、少しずつ進んでいくことになります。

ところが、こうしたケースでカウンセリングが進んでいくと、では、本当にこのパートナーでいいのだろうか?という問いにぶつかっていくことが少なくありません。
そして、この問いにぶつかると、その先にある「私はどうなったら幸せなんだろう」という問いに直面される方が多いようです。
すると、「私には幸せになる価値がない」という、意識の深いところにある思いにたどり着くことがあります。
自分が幸せになっていくことに、自分で許可ができないという、気持ちがあることに気がつくのです。

こうした思いは、幼い頃に親から愛されなかったりした場合にルーツがあったりすると言われます。

また、親との間にそうしたことがなかったとしても、
人は幸せを願いながらも、心の深いところでは、幸せになることを怖れている、と言われます。

こうしたいろいろな心の層にある「自分は幸せになる価値がない」「幸せになってはいけない」という意識が、本当の幸せを追求することを止めてしまっていることがあるようなんですね。

でも、答えはとてもシンプルなんです。
それは、「人は誰もが幸せになる価値がある」ということ。

それは私が心理学を学ぶ中で、そして、たくさんのクライアントさんとお話させていただくなかで実感したことでもあります。

こうした思いにたどり着くと、初めて「自分の幸せ」をまっすぐに考え、「幸せになりたい」と心から思えるようになってくることがあります。

それは、人生を揺るがす大きな問題、このケースでいえば離婚という問題、が起こってはじめて、「私の幸せを見つめる」という本質的な問いができるようになるとも言えるかもしれません。


パートナーシップという視点で私の幸せを考えた時、誰もがどんな人となら幸せになれるか、と考えます。
「この人を選んだ」だから「私は幸せ」
という図式です。

ところが、「私の幸せを見つめる」という視点を得た時、この図式が
「私の幸せ」そのために「この人を選ぶ」
に変わっていくことになっていくのです。

こうした心の視点が変わっていった時、初めて、私の幸せが「相手本位」から「自分本位」に変わります。
逆に言えば、「私の幸せ」を追求していかないと、「本当にこの人を選ぶ」という選択をすることが難しいとも言えるのではないでしょうか。

ここまで決意できたら、この人を選ばないと選択できたとしても、「私の幸せのために」と納得できたり、
あるいは、その時、本当にこの人を選ぶことができたら、この選択はまっすぐに自分の幸せとなり、この人でよかった、この人こそ私のパートナーだ、という思いを感じることができます。

そうなった時、問題だったパートナーも、同じように納得できるようになっているケースが多いんですね。
それは、2人で真摯に向き合うことなしには、ここまでの決意をすることができなかったから、ということが起こっているようなのです。

こうなった時、当初のカウンセリングの目的が、「相手との結婚問題」から、「私の幸せを得る」ためのものに変わっていった、とも言えるのではないかと思います。


現実を考えた時、絶望の中にいる時、「魔法を手に入れ」その力で「絶望を脱する」ことはありません。
ですから、冒頭の仮面ライダーの主人公のセリフのように、「魔法を手に入れたから、絶望しない」ことは起こりえないでしょう。

でも、「絶望しなかったから魔法を手に入れる」ことは、可能かもしれません。
魔法を使って状況が変わる。それは言い換えれば「奇跡が起こる」と言えるかもしれません。

絶望しなかった時、奇跡が起こる。

先に例を出したご夫婦のようなケースに、私はカウンセリングの中で何度も出会ってきました。
それは、夫婦問題だったり、天職といった仕事だったり、家族との絆だったり。
いろいろなケースがありましたが、どれも、当初の状態からしたら考えられないような幸せだったり、楽な気持ちだったり、楽しいうれしいを感じられることだったり、です。
苦しかった分、それは「奇跡が起こった」と言えるほどの変化です。

そう思うと、このセリフは、私の胸に響くものだったのです。


私は、仮面ライダーの主人公が最後に「希望」を語ったようには、とても言えません。

でも、「あなたの希望のお手伝いがしたい」。そう言いたいと思っています。

これからも、ずっとこの思いを大切にしていきたいと思っています。

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