« 2012年9月 | メイン | 2012年11月 »

2012年10月30日

言葉の真実

「あ~、あんたとお兄ちゃんは男と女、逆やったらよかったのに・・・」
私が昔、両親によく言われた言葉です。

両親は商売をしていたので、小学生の頃からよく仕事の手伝いをしていました。
店の手が足りなくなると、二歳上の兄・私・四歳下の妹の順番にかり出されます。
といっても、妹までかりだされることは滅多にありませんでしたが。

早朝4時とか5時に起こされるのですが、私は一度名前を呼ばれたらすぐに起きます。
兄は何回起こしても何回起こしてもなかなか起きてきません。
私は、さっさと店の手伝いを終わらせようとテキパキ動いていたようです。
今、自分で思い出してもテキパキ働く少女だったと記憶しています。
そして、そんなさっさと起きてテキパキ働く妹となかなか起きてこない兄を見て
「あんたとお兄ちゃんは男と女が逆やったらよかったのにな~」
と両親は幾度となく呟いたのだと思います。

そして、その呟きを幾度となく聞くうちに私の心は
「へっ?!私は男に産まれた方が良かったの?」
と軽いショックと疑問に始まり
「そうか・・・私は男に産まれたらよかったんだ」
と、あらぬ勘違いをし
「なぜ、男に産まれなかったんだろう」
と、自分を責め
「いくらがんばっても男の子にはなれないじゃないか!」
と、自分に腹を立て
「ふん!男はいいよな~」
と、そのうちに世の男性諸氏に軽く八つ当たり的な思いを抱き
「こうなったら男の様に強く生きてやるぅ~~~」
と、女である自分を否定する誓いを立てる。
もちろん無意識的に、ですが。
どうも長きに渡り、男らしく強く生きることにある種の美徳すら感じていたようです。


高校生の頃だったか、細かくは覚えていませんがジャーナリストの渋いおじさんが、ウィスキーロックのグラス片手に
「男の優しさなんてものはパンチラみたいなものでいいんだよ。そんなにしょっちゅう見せるものじゃないんだ」
的なセリフと共に男性が女性のわがままに振り回されている映像が流れるコマーシャルがありました。
これを見たとき、「おぉ~~かっちょいいー!」「そうだ!なんでもかんでも言うことをきいてあげることがその人の為になるわけじゃないのだ。本当の優しさとは!たとえ厳しかろうが、恨まれようがその人の為になる言動をとることではないか!私もそんな風に硬派に生きてゆこう!!」 と、やけに感動・共感し決意も新たに、もっと自分を鍛え上げねば、と、さらなる自主トレに励んでいたようです。
これもまた無意識的に、ですが。
そうなると “女の子らしさ” とか “可愛らしさ” という要素はどんどん排除してゆきます。
なので、『可愛いわがまま』 などもってのホカ、そんな女子を見ようものなら、「そんなに可愛い子ぶって人を利用するとは、なんたる悪女!」 と斜に構えてみたり、かと思えば本当に大人しくて気の弱そうな人を見れば 「私が守らねば!!」 と勝手に妙な使命感に燃えてみたり、そして時には男性との競争の罠にどっぷり浸かっていた時期もあります。
が、よく考えれば “男の優しさ” とジャーナリストの渋いおじさんは言っていたのです。
そしてどう頑張っても、私は男性にはなり得ないのです。
ある種の自分への厳しさや鍛える時期は必要ですが、あるがままの自分を否定して何者かになろうとするよりは、そのままの自分にどう磨きをかけるか?に勤しんだ方が楽で簡単です。
あまり言いたくはないのですが今となっては「それでいいのか?自分」と疑うほど自堕落な気もしますが、まいっか、と思えるようになりました(笑)
私が悪女に感じた女子はただ可愛くお願いしていただけかもしれないし、守らねば!と私が勝手に使命感を燃やさずともその人は自分でなんとでもする力を持っていたかもしれません。


きっと深く考えずに言っていたであろう両親の  
「あんたとお兄ちゃんは男と女が逆やったらよかったのに・・・」。

どうやら私たちは思いつきや単純にそう思って発せられたその言葉を、楽観的に解釈するよりも自分を否定し責めたりすることに使ってしまうことの方が多いようです。
両親は 「女の子がダメ」 とか 「男っぽく生きなさい」 と言いたかったわけではないし、私にとってもそれは真実ではありません。

しかし、何気なく発せられた言葉に縛られて無理をしたり、何者かになろうとしたりすることはよくあります。
「生き辛いな」「なんか、物事がうまく進まないな」と言う時は、誰かに言われた言葉が心のどこかに引っかかっているのかもしれません。
もしも、その言葉があなたを苦しめたり、無理をさせるものだとしたらそれは、あなたにとって真実ではありません。

そのような誤解はなるべく早く解いてゆきたいですね。

吉村ひろえのプロフィールへ>>>

投稿者 cseditor : 00:00 | コメント (0)

2012年10月23日

「運動会」嫌い!!~できないボクを感じるとき~

先日、うちの子どもの運動会がありました。うちの子は体は大きいのですが、走るのも、ダンスを踊るのも苦手です。そのせいか、運動会前になると、イライラしたり、眠れなくなったり、わがままになったり・・・かなりストレスを感じている様子でした。
ある日の朝、学校に出かけようとした息子は、「気分が悪い。歩けない」と言って座り込んでしまいました。その日はゆっくり休んで、次の日・・
またしても、前日のように動けなくなった息子。気分が落ち着いてから、「どうしたの?なにかあったの?」と尋ねてみました。すると・・・
「運動会、嫌い!!」そういって、わたしに背を向けるのです。
「なんでイヤなん?」
「リレーがイヤやねん」
「なんで?」
「ボクは一生懸命走っているのに、みんなに本気で走れ~とか、もっと一生懸命に走れって言われるから」としょんぼり顔になりました。
「そうなんや。そらつらいなぁ・・。一生懸命走っているのになぁ。くやしいなぁ」と言ったとたん、息子はワンワン声をあげて泣き出しました。
 大声で泣き続ける息子。
友達に「もっと頑張れ」「もっと本気で」という言葉をかけられるたび、悔しい気持ち・辛い気持ちを口に出すこともできず、ぎゅっと口を結んで、体に力を入れて、ずっと涙をこらえてきた、そんな息子が愛おしく、思わず抱きしめてしましました。
自分は頑張っているのに・・
精一杯頑張っているのに・・
その頑張りに気づいてもらえないときって、ほんとに辛いですよね。
「頑張っているんです!!」と反論したいと思っても、「えーーー、頑張ってこの程度?」とか、「どこが、頑張っているっていうんだ!」と、否定されるかもしれないと思うと「わたしは頑張っているんです」とも言えなくなってしまうかもしれません。
 自分の気持ちや思いを口にすることができず心に溜め込むことは、とても苦しいものなのです。辛いよね、悔しいよね・・心に閉じ込めた思いをわかってもらえたとき、人は泣いてしまうものなのかもしれませんね。
 大人になると、子どもの時以上に「頑張っていても認めてもらえない」ことが増えていきます。コレくらいできて当たり前。コレくらいやって当たり前。「当たり前」という言葉の前では、「頑張っている自分」は塵のように消えてしまうのです。頑張ることは当たり前のことになりすぎてしまって、いちいち褒められることもなければ、認めてもらうこともないのが普通、そんなふうに感じるようになります。
だからこそ、時には頑張っている自分に目を向けて、「よくがんばってるね」と自分のことを褒めてあげることや、「頑張ってるのに,認めてもらえなくて悔しい!」という心の声に耳を傾けてあげることが大事になるんですよね。

大きな声で泣き続けた息子は、涙の分だけ気持ちが軽くなったようで、次の日から元気に登校するようになりました。
 
息子とのやりとりを、夫に話したときのことです。夫がこんなことを言いました。
「あいつが運動会嫌い!!っていうのは、もうひとつ理由がある気がするなぁ。たぶんな、速く走れない自分やかっこ悪い自分を、お前にみられたくないんやで」
「そんなん、一生懸命やったら、それでええやん!!」というわたしに、夫は「お前は男心がわかってないなぁ。」というのです。
男心って、どういうこと??と不思議に思うわたしをみながら、
「男っていうのは、好きな人には、かっこいい自分を見せたいって思うもんなんや。あいつにとって、ママは、一番好きな女性やねんで。本当は、トップで駆け抜ける自分を見せたいのに、頑張ってもいつもビリだったら、やっぱり恥ずかしいし、悔しいと思うんちゃうか?そんな自分、見られたくないとも思うわ。そうは思っても、運動会には来て欲しいしなぁ。複雑な気持ちなんちゃうかな?たぶん、雨で中止になれ~!!って思ってると思うで」と熱く語る夫。
「それ、あんたの子どもの頃の気持ちやろ~?」というと、したり顔で「それもある」と澄まして答え、「たぶん、あいつも同じや」と優しい目をして言いました。

そして迎えた運動会の前日の夜。奇しくも台風がやってくるらしいという情報が・・・
それを聞いた息子が一言。
「やったー!明日、雨や!!」
・・・どうやら、夫の言ったことはビンゴ!!みたいです。

雨で延期になった運動会は、2日後無事に終わりました。
家に帰って来た息子に「やっぱり、まぁちゃんがいっちばんかっこよかったわ!!!」とハグすると、照れくさそうに笑っていました。
そんな息子をみながら、「いつまで、この子の『一番好きな女性』でいられるのかな~」そんなことをふと思う、わたしなのです。

那賀まきのプロフィールへ>>>

投稿者 cseditor : 00:00 | コメント (0)

2012年10月16日

感情的に怒らないために

先日、外出先から帰宅する電車の中での出来事。
夕方、ちょうど帰宅ラッシュの時間帯で、車内は80%ほどの混雑でした。

その車内に小さな子供泣き声が響き渡りました。
「マァマ~!おしっこもれちゃう、もれちゃう!」
「マァマ~!おしっこ~!うわ~ん!」

車内一人一人の神経は、一斉にその子のに集中したように思えました。
それはそうです、この混雑している車内で「お漏らし」があっては一大事ですから。
そして、その子のお母さんはこう思ったかもしれません。
「もう、なんでよりにもよってこのタイミングでおしっこなの?もうちょっと
我慢してよ!」
そしてその電車は駅のホームに滑り込んでほどなくドアが開きました。
私も含めた多くの乗客が降り、その親子も降りたようです。

ホームに降りたとたん、泣きわめく男の子に向かってお母さんが怒ってます。
「なんでトイレに行っておかなかったのよ!ママは恥ずかしい!」
それでも男の子は泣きわめいていました。
「マァマ~!おしっこもれちゃう~!」
お母さんは無言でズンズン駅の階段に向かい、男の子の手をぐいぐい引っ張ってい
ました。
私は後ろから歩いて「あんなに小走りで漏れてしまわないかなぁ・・。
大丈夫かな~。どうか間に合いますように!」と心配しながらも見守っていました。

そして何とか間に合ったのか、ズボンを濡らすことなく、駅構内のトイレに入って
行くのが見えました。

ほっとした時、私は2つの思いが交錯していました。

私にも2人の息子がいるので、
「わかるなぁ、このお母さんの気持ち。」
と、「お母さんの気持ちもわかるけれど、生理現象だし、怒られた男の子はどんな気
持ちだっただろう・・きっと悲しくて仕方なかっただろうなぁ・・。」

こんな2つの思いが。

少し前なのですが、新聞の読者投書欄にやはり子供の駅での「おしっこ」に関する
投書が載っていました。

駅のホームでの待合室での出来事。
ベンチにお父さんと思われる男性と、4歳と2歳くらいの女の子と3人で座っていま
した。
長い間待った末、後2,3分で電車が来るという時、2歳くらいの女の子が
「パパ、おしっこ」と言いだしました。
父親は「え、おしっこ?」と一瞬困った様子でした。
この投書をした人は”次に続く言葉は「なんでもっと早く言わないの!」だろうと
勝手に予測をしていたと書いています。もちろん、私も大きく頷いて読み進めまし
た。
ところが、この父親が発した言葉は、
「パパが乗る前に『おしっこは?』って聞いてあげなかったのがいけなかったね。」
だったそうです。もちろん、この親子は電車には乗れず、次の30分先の電車を待た
ねばならなくなったのですが。

前者のお母さんはとんでもない性格の悪い鬼婆で、後者のお父さんは素晴らしい神の
心を持った人なのでしょうか?

いえいえ、そんなことは恐らくないのでしょう。

前者のお母さんはきっと、夕方で疲れていたのかもしれませんし、「満員電車で泣
かれた」という、ちょっと恥ずかしさを感じてしまう境遇にいました。
つまり、「心が冷静な良い状態」ではなかった訳です。

人は心が「良い状態」つまり、平穏な状態の時、怒る前に、
「どうして今、この人はこういう行動をとっているのだろう?」と考えることができ
ます。
ところが、自分に余裕が無くなると、つい頭に血が上って歯止めが利かなくなる・・
ということが往々にして起こります。

私の場合はこれが子育ての場面で顕著に出てきます。
仕事から帰宅した時、リビングがお菓子の袋やら、ランドセルが置き去りで散らかり
放題なのに、そこで寝そべってゲームをしているの息子を見ると
「いつまでゲームやってるのよ~~(怒!)何この部屋は~!?」
と怒ってしまいがちなのですが、
「毎日勉強、勉強で息抜きをしたいのかなぁ。」
「家ではやっぱりほっとしちゃうのかな。」
などと”今なぜ彼らはこの行動をとっているのか?”という動機を冷静に考えられ
れば、ついカッとなって感情的には怒らなくなります。

どうすれば「心が良い状態」に保てるのでしょうか?
私がよくやっていることなのですが、簡単な方法の一つに「今日は笑顔でいよう」と
決めているだけで、怒る回数は減ってきます。からだと感情は密接につながっている
ので、表面的にでもいいので、笑顔にしていると、腹が立つことが減ってくるように
思います。

感情的に怒って、「あ~、いい気持ち!」とすがすがしい気分を味わえる人はいませ
ん。

笑顔を使って「心を良い状態に保っておく」ということ。
そしてちょっと立ち止まって相手の行動動機に思いを巡らせてみること。
是非お試しくださいね。

沼田みえ子のプロフィールへ>>>

投稿者 cseditor : 00:00 | コメント (0)

2012年10月 9日

1人の時間を大切にするコト

暑い夏が過ぎ、徐々に秋色に染まる今日この頃。
皆さんいかがお過ごしでしょうか。

私は、毎度ながら月に1回父の介護の為、実家に帰っております。
父と向き合う事は本当に色々な学びがあり、そして今まで気づかなかった色々なモノに出会いったり、気づいたりなどなど、実家に帰るたび、新しい発見があります。

介護という目的で帰っておりますが、今回はどんな気づきと出会えるんだろう。
そんな愉しみも月1回の帰省の中に含まれてるようにも思います。
そして、その気づきや学びの場を提供してくれる家族に感謝だな、と感じるんですよね。

さて、今日はその新しい気づきというか、実家に帰って再確認したコトをお伝えしたいと思います、


とある日のでした。
いつものように、実家で色々と家の事をしてバタバタとした1日を過ごしておりました。
日も落ちて、ホッと一息ついた途端何故だかウズウズとしてきたんですね。
そして、はっと気づいた事があったのです。

私は普段、何かしらの用事があり1日家に居るという事があまり無いのです。
しかし、家の用事に集中し、その日は全く一歩も外に出ていなくて、なんだかウズウズしてしまってたみたいです。
家の用事も、最後の辺りは注意散漫で、集中できず、なんでかなって思いながらやっていたんですね。

まあ、家の用事も一段落ついた事だし、という事で運動がてら少し夜から近所を散歩する事にました。

まだ、残暑が厳しい時期の散歩だったので、丁度夜になり気温も下がり、良い感じでの散歩を楽しむ事ができました。

そして、散歩の途中に近所にあるカフェにぶらり入り、夜中にも関わらず今日1日頑張った自分自身へのご褒美にケーキセットを頼み、ぼーっとしておりました。
ケーキセットが来るまで、外を歩いている人を見てみたり、道路を走る車に目を向けてみたり、お店の雰囲気や空気を楽しんでいました。
そうしてるだけで、家に居た時のウズウズした感覚がすーっと抜けて、とてもリラックスした気持ちになれたんですね。

そして、ケーキセットを美味しく頂き、そのケーキのおいしさの余韻に浸るその時間もとってもゆったりとした気分で、幸せな感覚だったんですね。
しばらくの間、ただただその感覚を味わって、楽しんでおりました。

そして、つくづく実感したんですよね。

“ああ、1人の時間を大切にするコトって大事だよね”という事に。

私たちは、皆で一緒に愉しむ時間もとても大切です。

しかしそれと同じ位、1人でいる時の時間というのも大切だと思うんですよね。

1人で居る時を愉しめるからこそ、皆で居る時も愉しめる。
皆での時間を大切にするには、1人の時間も大切にしないと、愉しめる味わいの深さ違ってくるんじゃないかなって、そう感じるんです。

1人の時間、皆と居る時間って、まるで真逆の空間なんだと思うんですよね。
だからこそ、その真逆の時間や空間をバランスよく取る事で、普段の生活の味わいや愉しみがより一層深く感じられるですよね。

まあ、何事もバランスです。
そのバランスを大きく崩すとそれをモトに戻すのって凄く大変な作業になってしまう事があると思うんです。
だからこそ、小さな事ですが、1人の時間を大切に過ごすコトを意識して、普段の生活の中にある時間のバランスを取る事も大切なんじゃないかな、と感じるんです。

1人の時間で、自分のカラダのメンテナンスをしてみたり。
読書や勉強の時間にし知識を貯えてみたり。
自分自身が心地良い空間でリラックスしてみたり。

そうする事で、自分自身の周りの人達に優しい気持ちで接してみたり。
相手の事を想いやれる気持ちを今までよりも持てたり。
余裕を持って周りを見る事も可能になってくるんじゃないかな、とそう感じるんです。


もちろん、私自身も、その日ゆっくりとケーキセットを愉しんだので、また気持ちに余裕を持つ事ができました。
そして、家族に対しても、もっとこうしてみたらいいかもという気持ちやインスピレーションもでてきたりしました。

それと同時に、家族にも何時もより笑顔であったり、逆に優しくされたりと、なんだかお互いを想いやる気持ちが深くなったような感じもしました。


みなさんは、1人の時間もっていらっしゃいますか?
そして、1人の時間を大切にされていますか?

もし良かったら、ほんの少しの時間からでも、1人の時間持ってみてくださいね。

そこから、また今までと違う自分に出会える切っ掛けってつかめるかと思いますよ。

中村季代乃のプロフィールへ>>>

投稿者 cseditor : 00:00 | コメント (0)

2012年10月 2日

「恩送り」を教えてくれた人

初めての海外旅行は20歳のとき、北イタリア~スペインへ、40日間の一人旅でした。
そのために一生懸命バイトをして、日がな『地球の歩き方』を眺めて、トーマスクックで列車を調べて…。
今みたいに手軽に多様多種な情報が得られる時代ではなかったので、私はもっぱら、個人旅行のアドバイスをしてくれる小さな旅行会社に行って、そこのおじさんからいろんなネタを教えてもらいました。

「えっ、一人で海外?女の子なのに、危ないんじゃない?」
そんなことを言いそうな人には、一切相談しませんでした。

「おっ、一人旅?いいねぇ。若いうちにいろんな世界見といたほうがいいよ!」
そう言って、応援してくれるような人を、本能的に選んで相談していました。

私はもう「行く!」って心に決めてたんですね。下準備をすべて済ませてから、父親に話しました。確信犯です。
当初は旅先をスペインのみに絞っていたのですが、心配した父が、ミラノ郊外に住んでいる知人を紹介してくれて、旅の最初に訪ねていくことを条件に、一人旅を承諾してくれました。

「お前は、言いだしたら聞かないからな…。」
そう言って、父は旅費を少し援助してくれました。
子供にはとても厳しい親で、誰も父には反抗できないほど怖い存在でしたが、私は5人兄弟の末っ子で、兄弟の中ではいつも特例を許してもらえる立場でした。思い返すと、やっぱり私は父に守られていたんだなぁ、信頼してくれていたんだなぁと、親心に感謝します。

ずいぶん前のことなので、旅行中にあった出来事の一つ一つは、もうぼんやりしています。でも、見るものすべてが新鮮に輝いている、あの心の弾むような感覚がよみがえると、顔は自然に上を向き、急に視界が開けてきます。

世界は広い!
今この瞬間も、世界中の人がこうして生きているんだ!
今日は何をしよう?何を見に行こう?
毎日が驚きと感動の連続でした。

バルセロナからバレンシアの火祭りを見て、トレドからアンダルシアを周り、首都マドリッドへ。ガウディ、ミロ、ピカソやダリといった、類まれなる個性を世に出した風土を感じたかったのですが、私はその世界にすっかり魅了されました。
とにかく、圧倒的な光の量!この光こそが万物を育んでいるのだと身体で感じた体験です。

毎日、オレンジを買って食べました。
今日は間違えずに地下鉄に乗れた、生ハムのはさんだサンドイッチをちゃんと注文できた、たったそれだけのことが嬉しくて嬉しくて、しかたありませんでした。
水よりも安いワインの美味しさを覚えました。
バルで苦いエスプレッソを立ち飲みすると、一瞬だけ、街に溶け込んだ気分になれました。

私が会ったスペインの人々は、本当に優しくおおらかでイキイキしていました。
私はスペイン語が全くできなくて、身ぶり手ぶりと笑顔で乗り切った、今思うと本当に無謀な旅でした。世界のでっかさと自分のちっぽけさを思い知らされ、「こんな所まで来て、私は何をしているんだろう?」と寂しさに打ちのめされそうになった夜もあります。
それでも、世界はこの未熟な旅人を、そのまま受け入れてくれました。

「旅を楽しんで!」笑顔で言ってくれる人。
公園で一緒に遊んでくれた子供たち。
途中で出逢った日本人にもずいぶんお世話になりました。

ある時、ポルトガルから自転車で旅をしているという日本人の男性に会いました。観光案内所で宿を探している時に知り合い、夕食を一緒に食べることになりました。
どんな顔だったかも、もう思い出せません。でもたしか、「恩送り」という言葉を教えてくれたのはその人でした。

旅人は、その土地の人に助けられて、旅を続けることができる。
自分でできることは限られていて、助けてもらうばかりだ。何かお返しをしたいと思っても、自分には何もあげるものがないし、相手も「そんなのいいよ。」と受け取ってくれなかったりする。
それどころか、「はるばる日本から、私の町まで来てくれてありがとう。」なんて言われちゃうんだ。自分が来たくて来ただけなのに、なんだか恥ずかしくなっちゃうよ。
でも、本人に恩返しをしようと思わず、自分が受けた恩を、次に出逢った人にプレゼントしていくといいんだよ。それを「恩送り」というんだよと。

彼は私に話すというより、まるで自分に言い聞かせるように話していました。
そして、お互いに持っている情報を交換し合って、翌日にはまた次の街へと向かって行きました。

こんなこと、もうすっかり忘れていたエピソードです。
でも先日何かで「恩送り」という言葉に触れて、そう言えばこの言葉を最初に聞いたのは…と、そこから芋づる式にスペインの空気と旅の思い出がよみがえってきました。

あれからずいぶん、長い年月が経ちました。
私はどれだけたくさんの人に助けられてきたか、わかりません。恩返しをしたいと思っても、もうこの世にいない人もいます。そこに虚しさを感じたことも何度もあります。
でも今、「恩送り」という言葉を教えてくれた人の気持ちがわかるような気がします。

「恩送り」って、自分が恵まれていることに感謝する思いなんですね。
もらうばかりでそれが当たり前になっている時は気づかない。満たされない思いばかりに注目してしまうのです。でも、受け取った恩恵を自分から誰かに与えようと意識した時に、自分はこんなにも恩恵を受けていたんだということに気づきます。

あの自転車の人、今ごろどこで何をしているんだろう?
私もずいぶん年を重ねましたから、けっこういいおじさんになってるはずです。お礼を言いたいけど、その代わりにこの思いを記事にすることにしました。
そうして、私が受けた恩恵を次の人に送っていこうと。

私が受けた恩恵、その最たるものは「応援」だと思います。それぞれの人が、それぞれの関わり方で、私の人生を応援してくれました。
相手の想いにうまく気づけなかったり、受け取れなかったりしたことも多々あります。傲慢にも、自分はたった一人で生きてきたように感じてきた時代も長らくあります。

でも、そんな私だからこそ、今、私は人を応援して生きて行きたいと思っています。
孤立無援と感じている人に、私は伝えたいんです。あなたを応援している人はちゃんといるよと。きっと、思っているよりもたくさんいるよ。たしかに、ここにいるんだよと。
それが、私の「恩送り」です。

投稿者 cseditor : 00:00 | コメント (0)