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2012年9月25日

母のこと

最近、私の周りでは、母親が大病を患ったという友人が、一人、二人と立て続けに出てきました。
私も友人も40代、やがて50代ともなると、親も体力が衰えてきたり、病気や介護という時期に差しかかるので、何も特別なことではないとはわかっています。
しかし、子どもにとって、親、特に母親の存在は大きなもので、母親の大病を知って、どうしようもなくうろたえたり、押しつぶされそうな不安を感じたり、これまでを振り返り後悔したり、自分の行いを強く責めたりと、心が大きく揺さぶられるものだと思います。

私の母は、十数年前に亡くなりました。
母は、リュウマチと目の病気を患い、40代後半から手足の痛みがはじまり、視野も徐々に狭くなっていきました。
その頃、私は高校生で、反抗期の真っ盛りでした。
母に反抗的な態度をとっていたので、母自身のことは、気にとめてもいなかったのか、その頃の母をあまり覚えていません。
50代後半になると、母の手の指は大きく曲がり、足の裏も凸凹としていて、何をするにも不自由になっていました。
目もほとんど見えないような状態だったので、何処へ行くにも、誰かが手を引き、目の代わりとなる介助が必要でした。
社会人になっていた私は、母に頼まれて一緒に外出したり、母の代わりに用事を済ませる事が多くなっていきました。

母の曲がった、手をみるのが、とてもつらかった。
いまでも思い出すと、涙が出てくることもあります。
あまりに痛々しかったので、母が生きている時に、その手を取って撫でてあげたことはないように思います。
母が死ぬ半年前、病状が急変してICUに入ることになりました。
人工呼吸器をつけ、意識がなく、寝たきりになった時、しげしげとその手を眺め、意識が戻るようにと祈りながら、その手を握りしめました。

母が病気になったのは、私のせいではない。
手足をさすりながら、「痛い、痛い」と言っていたのも、ただ痛かったからで、私を責めてのことではない。
だけど、母のそばにいて、私は自分でも自覚はありませんでしたが、罪悪感を感じ、自分を責めていたのだと思います。

母は、父と話し合って、万が一の可能性にかけて、積極的な治療をすることにしました。
人工呼吸器をはめると、いや、もう生きて話すことは出来ないと思ったのかもしれません。
人工呼吸器をはめる直前に、母は私たち家族に向かって、「幸せでした」と一言いいました。
罪悪感にどっぷりと漬かっていたその当時の私には、その一言が真実とは思えませんでした。
自由に動けずリビングのソファーにいつも一人ぽつんと座っている母、手足が痛み暗い表情の母、そんな母だけをみてきたので、とても幸せだったとは思えなかったのです。

母の死後も、大きな罪悪感を抱えたままの私は、人生に行き詰ってしまいました。
自分は罪深く悪い人間だと無意識的に思っているので、自分を責めたり、呵責に耐えかねると人を責めたりして、心が苦しい。
自分がいけない駄目な人間だと思っているので、犠牲的に仕事をしたり、責任を過剰に感じたりして役割を抱え込み、身体も疲れる。
仕事でも、プライベートでも、悪循環にはまっていました。

そんな時、アロハシャツがはちきれんばかりに太った心理学の先生に出会います。
当社の社長、平準司です。
セミナー会場の部屋を、熊のようにノソノソ歩きながら平が話をします。
「お母さんが台所で一人、白菜漬けでお昼を済ましていたのは、あなたたちのことを思って辛抱していたからではありません。お昼を作るのが面倒だったからです。」という話に大笑いをしました。
そして、私の母に対する罪悪感も、大笑いした話と同じような側面があるかもしれないなと思ったのです。

すると徐々に、母の陽気で明るかったところや、天然で面白いエピソード、鼻歌を歌って楽しそうにしていたことなどが思い出されてきました。
そして、母によく話を聴いてもらったり、母の明るさにつられて気分が晴れたり、目新しいことを教えてくれたり、一緒にいて楽しかったという母の友人の話も、故人を懐かしむ感傷的な思いからではなく、実際にそうだったのだろうと思えてきたのです。
だから、いまでは、母が最後に言った「幸せでした」という言葉も、母は本当にそう思い私たちに言ったのであろうと思えるようになりました。

私は、母と似ています。
母の様々な長所や友人たちから慕われた面を、私も持ち合わせていることに気づいた時、母はいつまでも私の中で生きているんだなと思えました。

いまでも時折、ふと母のことがよぎる瞬間、誰もいない空間に向かって、小さな声で母を呼んでみます。
すると、ちょっと切ない気持の後、暖かい気持ちで満たされるのを感じます。


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2012年9月18日

ここに来て変わったこと。

こんにちは。宮古島から五十嵐かおるです。
9月になり、内地は少しずつ夏の勢いが落ち着いてきた頃でしょうか。
宮古島もやっと落ち着き・・・と書きたいところですが、まだまだとっても暑い夏のままです。10月中旬くらいまで海にも入れる気候なので夏を満喫しきれなかった方、ぜひ日本の南の島へいらしてくださいね。

季節感も時間の感覚も以前とはだいぶ違う生活
気づいたらあっという間にここに来てから1年が過ぎていました。
思ったよりも便利で、生活するには十分な環境。
毎日見える青い海と大きくて澄んだ空があまりにもきれいで、感覚は充分に研ぎ澄まされています。

「人生ごと変わったでしょう」
たくさんの人が言ってくれます。私も自分じゃなかったらそう思うでしょう。
でもここに来ることを決めて、実際に今までと全く違う環境に身を置いたからこそ自信を持って言えること。
「何も、変わらないんです。」
見える景色が変わっても、仕事が変わっても、友達が変わっても。
ある部分では何も、変わってないんです。

気づけば以前の生活のコピーのような環境が出来上がっていて、その中で以前と同じ状態の自分自身に他人事のように感心しています。
ついつい頑張りすぎてしまう仕事。期待はされるのに、そこまではたどりつけないこと。どこか浮いてしまうこと。人は好きなのにグループに属せなくて、それでも寂しがり屋なこと。仲良くなれる人、助けてくれる人、苦手な人、誤解されやすい外見と内面。気に言ってもらえる男性、好きになる人との関係までも。
そこに居る人達は全く違うのに、よくこんなに同じ環境ができるものだなと笑ってしまうくらい。
もちろん、私という世界観の中でモノの見方や役割分担ができていて、そこに人間関係を当てはめているからなのはよくわかります。場所が変わったからと言って、簡単に人間まで変わることはないんですよね。アタマではわかっていても、しっかりと経験して実感しました。

ただ、それに対して今までは「こうしなきゃいけないから」「ここに居なきゃいけないから」「あと少しの我慢だから」がたくさんあったので、それだけ仕事やお金や時間や環境や両親や友達や恋人や・・・「たくさんの何か」のせいにすることができていました。

でも今は「やりたいこと」「居たい場所」の中にいる。期限すら自分で決められる。なんといってもそれは全部自分が一番望んだ状態。自分が選択したことの結果がまるごと自分に返ってきているだけ。どこを探しても言い訳する対象がないんです。
何かのせいにすることができないんです。
嫌なら辞めてもいい、いつ帰ってもいい。誰にも何も言われない。
あれ、それって幸せなことじゃないのかしら?
もちろんそのはず。。。

ふと立ち止まることがあったら自問自答し、反省してどうするかをまた選択する。
変わりたいことは「否を認めて変わる」ことを決めます。
もしくは「こうである。」ことに腹をくくると決めます。
それは結構な覚悟がいることもありました。
今の選択がそのまま、未来の自分に直結します。
全部が自由な中での選択。後悔しても全部自分に返ってきます。
もしかしたらそれが「大きく変わったこと」なのかもしれません。

結局は「自分自身」なんだ。
ここに来て一番ふっきれた気がするのは、「言い訳できない環境」に身をおいているからかもしれないな、と思う今日この頃なのです。

五十嵐かおるのプロフィールへ>>>

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2012年9月11日

相変わらずで、やってます!

カウンセリングの現場では、変わりたい、変化したいという声もすごくたくさんお聞きします。

もちろんそれは素晴らしい事だと思いますし、そうやって実際により良くなっていく人達がたくさんいる事も事実です。

でも、私個人としては、変化し、より良くなるだけでなく、変わらない、ずっと一緒ということだって、すごく価値のあることだなと思っています。

例えば、私のおばあちゃんは、私が物心ついたときから優しいおばあちゃんで、90歳で亡くなるまで、ずっと変わらない優しいおばあちゃんでした。

九州にある母方の実家も、何年か前にやや増築された以外は、毎年毎年何にも変わらない、田舎の一軒屋です。

毎年毎年、お盆か正月に行くたびに、何も変わらない風景と、何も変わらないおばあちゃん。何も変わらないから、ほっと安心出来るのではないかとも思いました。

かくゆう私も、小学校、中学校の友人などに言わせると、ずっと変わらないね(天然だね)と言われますし、親戚の人からは、幼稚園の時からずっと変わらないねと言われた事もあります。

そういう意味では、私はものすごく頑固な性格なのかなとも思います。

こんな事を考えておりますと、なんだか昔が懐かしくなり、私が小学2年生まで住んでいた場所にふと行きたくなり、日曜日にふらっと見に行ってきました。

そこは名古屋市にある団地なのですが、よくよく考えたら、引越しをして以来、もう20年以上訪れていませんでした。

ナビで調べると、そこは車でわずか20分ほどで、今まで何度もそばを通り過ぎていたような場所でした。

その場所についてみると、途端に当時の事をたくさん思い出しました。

初めて自転車に乗った場所、猫に追いかけられた場所。

お祭りの時に出店の並んだ場所、友達が登って落ちた桜の木。

それらの場所は、記憶の中でいつのまにか別々の場所になっていたのに、実際に行ってみると、全てが同じ敷地内の一角に過ぎなかっかので、改めてこんな配置になっていたんだなと知ることが出来ました。

当時は巨大に見えた13階建ての建物も、今見ると、やや大きめのビルにしか見えません。

見上げるほど高かった壁も、今となっては顔一つ飛び出すような高さなので、私はまるでミニチュアの模型を見ているような気分でした。

その場所は、3棟の建物が、ロの字(1棟がくの字に折れ曲がっているので、3棟で四方を囲んだ形になっています。)に配置されていて、中央に大きな公園があるのですが、その敷地内と、歩いて3分の小学校までの道のりだけは、はっきりと覚えているのに、それ以外の信号を一つ超えた向こう側は、何の記憶も蘇りませんでした。

当時の私の行動範囲は、団地の敷地内と、小学校までの往復(抜け道ひとつ含む)だけだったんだと思います。

今思えば、本当に小さなわずか500m四方くらいの範囲の中で、明日はこの木の下に行ってみようとか、団地の最上階に行ってみようとか計画を立てながら、大冒険をしていたんだなと思います。

小学校も外から概観だけ見たのですが、小学校の建物としてはお洒落なオレンジ色に塗られた校舎もそのままで、当時の感覚よりもだいぶ小さく感じる意外は、記憶の中の建物とあまり変わってはいませんでした。

そして、そうやって小学校の建物を眺めてみると、また、この学校の中で起こった様々な出来事が蘇ります。

例えば先生が企画して、教室で行った駒回し大会とか、この学校での最後の日の事とか。

ありきたりなんですが、夢中になった経験は、どれだけ経っても色褪せないものなのですね。

ところで私は、8月のお盆に、本当に久しぶり(10年以上ぶり)にお会する事が出来た方がいました。

さすがに10年も経っていると、もう私の事は忘れているのではないかとか、大きく変わってしまって、もう私とは合わない人になってしまっているのではないかとか、不安で一杯になったりもしたのですが、10年経も経っているのに、見た目もさほど変わりないし、優しくて、明るい人柄なんかも全然変わっていなかったりしました。

10年たっても変わらないから、会ってすぐに話が弾んで、昔の気持ちに戻れたりもしました。

本当は、もちろん成長して変わっている部分もあると思いますが、何かしら本質のようなものは何も変わらないか、もしくはより磨きがかかって、よりその人らしさが発揮されるのかもしれません。

何も変わらない。

ずっと変わらない。

変化の激しい世の中で、変わらないことの価値も見直したいなと思いました。

小倉健太郎のプロフィールへ>>>

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2012年9月 4日

親のせいにできなくなった日

三島桃子です。いつもコラムを読んでいただいてありがとうございます!

今年の春頃のことです。私はうろたえていました。

「どうしよう…、困った、困った…」

何が困ったのかというと、「自分の様々なことを親のせいにできなくなった」のでした。

長いこと、自分の身に起きたことや、自分の考え方や感じ方のことを、親のせいにしてきました。「親がああだったからこうなったのだ」と。ここ数年、親を責める気持ちは小さくなってきていましたが、それでも「もし別の親に育てられていたら」などと思う気持ちはありました。

それが、まあ私なりのプロセスを経て、「父も母もよくがんばってくれたな~」「大事なお父さんお母さんだな~」「私は二人にとても愛されているんだな~」などと感じるようになり、同時に、「あの時親がああいうことをしたから」とか「あんなことを言われたから」とあれこれ考えていたのが、すうーっとどこかへ消えていってしまったのです。

もちろん、ひとつひとつの記憶をたどると、「あれは子どもにとってつらかったな」と思うことは数々ありました。けれども、私の親も余裕のないぎりぎりの精神状態の中で、あれが精一杯だったんだろうな、と思うと、責める気にもならないし、そのことにこだわるだけのものを見いだせなくなったのです。

そして、ずいぶん気持ちがラクになりました。親のことを思い出しては心の中でいろいろな気持ちがからみあってなんだかモヤモヤ~、ということがほぼなくなったのですから。

いつかこんな日がくることを待ち望んでいました。その時が来たら、どんなに気持ちが晴れ晴れするだろう。そしてその時の自分は才能にあふれ、周りの人と豊かなつながりを持ち、輝いているのではないか。そう思っていました。

ところが、気持ちはラクになったものの、私はうろたえていました。

だって、私は相変わらず天然で、へなちょこタイプで、一度にひとつのことしかできない不器用なタチで、デリケートで、取り柄といったら心理オタクということぐらいで…。もちろん、ずっと以前の「恨みます~」だった頃と比べると、体調を崩すことは少なくなったし、血色は良くなったし、もやがかかったようだった頭もスッキリしているし、人前でガチガチになることもなくなったし、なんとなく幸せな毎日だし、「30代の頃より若い!」とみんなに言われるし…(30代の頃が老け過ぎてたんでしょうけど)。だけどやっぱり、別人になったわけではないのです。苦手なことはやっぱり苦手。デリケートなところはやっぱりデリケート。まあこのデリケートさが私の才能なんでしょうけど…。

今までうまくいかないことがあると親のせいにしてきた私。でも今、親のせいにするという発想がなくなってしまって、ということは、うむむ、すべては自分が引き受ける感じになるのかな?苦手なこともたくさんあるこの私が自分なのだ、というリアルさを受け入れなくてはならないのかな?

そ、それはなんか抵抗がある…。と、私はうろたえていたようです。

カウンセリングの中などで、「痛みの下には才能がある」とよく言われます。初めて聞いた時にはたいていの人が「はあ?意味がよくわからない…」とか、「ピンとこないけどそうなの?」と感じると思います。でも同時に、カウンセラーがそう言うのだから、自分の痛みが癒された後にはその痛みの下に隠れていた輝かしい才能が花開き、素晴らしい理想的な自分になれるのでは、という思いを抱くことも多いようです。

私自身そうでした。だから、あれこれ親のせいにしなくなったものの、以前と変わらない自分自身をどう受け止めたものかとうろたえたのです。

でも、実際は「痛みの下には才能がある」というのは、そういうことではないようです。

確かに、痛みと才能には結びつきがあると思います。人を助けるということに関してセンスのある人は、「うまく助けられなかった」と感じた経験を痛みとして抱えてしまうことがありますし、話すことに才能がある人が思う存分しゃべることを許されない状況で過ごす経験をした時に、ひどく苦しい思いが記憶に刻まれてしまうという場合もあります。教える才能がある人が教師を目指しながらいろいろな事情で夢がかなわなかった時に、病気になるほど落ち込むこともあります。

「やるべきことをできなかった」「やるべきことをやっていない」という感覚が、私たちにとっては意外と強い痛みになるんですね。

では、その痛みが癒された時、才能がぱあーっと開いて素晴らしいことになるか、と言えば、そういうドラマチックなものではないようです。才能や魅力はもともとその人にそなわっていて、その人が自然に生きている時、自然に発揮されるものなのです。

また、自分の才能や魅力は、自分にとっては当たり前のところがあって、「え?これが私の才能?魅力?そんなたいしたものではないと思うけど…」という場合も多いわけです。才能とか魅力とかいうものは、周りの人が勝手に感じてくれるものなのです。自分では何の実感もない場合も多々ありますし、それでいいんです。

痛みが癒されると、肩の力が抜けて、自然で素直な自分になれます。その時、確かにあなたの才能や魅力は痛みを抱えていた時より発揮されやすくなるでしょう。でもそれはやはり自然な流れの中で静かにじわ~っと起こること。けっこう地味なんです。でもちゃんと幸せや充実感を感じられるのも確かです。

癒された瞬間に才能や魅力が開花するというよりは、もともと自分の中に咲いていた才能や魅力―欠点だと思っていた部分も含めて―が生き生きとしてくる、という感じかもしれません。

うろたえた春が過ぎ、初夏から真夏へとめぐる日々の中で、私の心は少しずつ次のプロセスへとシフトしていきました。

私には苦手なこともあるし、すぐしょんぼりしてしまうし、体は丈夫な方ではないし、だらだら過ごすことも多い。あわてん坊でおっちょこちょいでミスだってする。でも、それでいいじゃん。

こういう私の中にも、ちゃんと光はあるし、その光の輝きは、誰に劣るものでもない。どの人の中にある光も、同じだけの輝きを持っているんだろうな。

私が、神様に与えられた自分を素直に受け入れ、深く考えずに単純に「自分」でいる時、周りの人たちは私の中に「才能」や「輝き」を見てくれるのだろう。そして、自然に私から何かを受け取ってくれる。私は自然に与えていることになる。そして自分もまた、周りの人からいつの間にか何かを与えられている状態になるんだろう。

こんな感覚が次第に私の中で結ばれていき、親のせいにできなくなったことにも慣れてきた今日この頃。

もちろん、日々の小さな悩みはたくさんあります。小さくない悩みもあります。眠れない夜もあります。だけど、やっぱりいろいろなことを「親のせい」にしていた頃とは安定感が全然違います。得体の知れない怖れと不安。愛されていないという絶望感や足元が崩れそうな孤独。息ができなくなりそうな苦しさ。今はその代わりに、自分の足で立っている感覚と、でも一人ぼっちではない心強さがあります。

さあこの先には何が見えてくるのでしょうか。楽しみです。


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