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2012年7月31日

息子と自転車と密かな決意

最近、休日になると息子とサイクリングに出かけています。息子は、どこに行くにも「自転車で行きたい!!」と言ってくるのです。「遠いぞ」「今日は途中で雨が降るかもしれないぞ」と言っても、「自転車がいい~」と主張します。

昨年まで、補助輪なしの自転車に乗ることのできなかった息子。友達は自転車で走り回っているのに・・という気持ちはあったのかもしれませんが、「怖いなぁ」「転びそうだなぁ」「上手に乗れる自信がないなぁ」という不安の方が大きかったようで、「練習してみるか?」と声をかけても、なかなか乗り気になりませんでした。

1日で自転車に乗れるように教えてくれるところがあるという話を聞いたわたしは、「また、ええねんっていうかなぁ?言ってもムダかなぁ?」と思いつつも、息子に「1日で自転車に乗れるように教えてくれるところがあるけど、行ってみるか?」と聞いてみました。予想に反して息子は「行ってみる!!」と即答。自転車練習にチャレンジすることになりました。今年の1月のことです。
息子は一人では全く自転車に乗れなかったですが、指導員さんのアドバイスに従って練習するうちに、走り始める前に補助があれば、なんとか自転車を走らせることができるようになっていました。でも、補助が必要なので「合格」はもらえず、再チャレンジしてね、といわれ練習場を後にしました。
合格をもらえずしょんぼりしている息子に「どうする?もう一回来るか?」と尋ねると、息子は「もう一回やる!!」と強い口調で言います。失敗すると、恥ずかしくって「もうやらない」と言うことが多かった息子の口から、「もう1回やる」という言葉が出てきたこと、正直驚きました。「あきらめない」という姿勢をはじめてみた気がしました。

2月に再度練習に行くと指導員さんは息子を覚えていてくれて「前回はもう少しやったな、今回で一人で乗れるようになるで!」と声をかけてくれました。息子はすごく嬉しかったようで、前回以上に練習していました。そして、最後は隣接している公園内を一人で自転車に乗って1時間ほど指導員とサイクリングに出かけるほどになりました。もちろん「合格」です。家に帰ると、今日のできごとを自慢そうに母親に語り続ける姿を見て、よっぽどうれしかったんだなぁと思いました。

自信を生み出すのは「成功体験」です。でも、何事であっても、最初から「成功」することは難しいです。息子も、何度も失敗したり、時には転んだり・・を繰り返しました。指導員さんは、失敗したことよりも、「もっとこうしたらよくなるよ」、「さっきよりいいよ」、「もうちょっとだよ」というように教えてくれていました。こんなふうに、そばで励ましたり、アドバイスをしたり、成長を認めてもらうことで、わたしたちは「がんばれる」のだなぁと改めて感じました。また、自転車練習場では、上手に乗れるようになっていく他の子どもたちがいたので、「ボクもああなりたい!!」そんな思いもあったのかもしれません。「ああなりたい!!」と思う姿というのは、言い換えれば「ヴィジョン」ということになると思います。わかりやすいヴィジョンを持つこと、教えてくれる人がいること、励ましてくれる人がいること・・これって、大人になっても大切なことだなぁって思います。
失敗しても、そこから学べばいいだけなのです。失敗が多かった分、成功の喜びも大きいのです。息子をみていて、そんなことを思いました。

2回の練習で自転車に乗れるようになった息子。
鉄は熱いうちに打てとも言います。息子が乗り方を忘れないうちに自転車を買うことにしました。息子は赤いマウンテンバイクに一目惚れ。「これがいい!!」と言います。マウンテンバイクはハンドルバーが一直線になっているのでバランスが取りにくく扱いが難しいので、うちの奥さんは、言葉巧みに他の自転車を薦めようとしましたが、わたしは、息子の「これがいい!!」という気持ちを大切にしたいと思いました。はじめての自転車、自分の心がウキウキするような「かっこいい」と思えるような自転車に乗らせてやりたい、と思ったのです。「男」にとって、自分が「かっこいい」と感じるものを手に入れるということは、意外と重要なのです。かっこいい自分でありたい!!わたしたち男はどこかでそう思っているのです。

お気に入りのマウンテンバイクを手にした息子は、案の上、ハンドル操作とバランスの取り方の違いに苦労はしていましたが、「この自転車に乗って遠くに行きたい」という一心で、暇があれば練習していました。
そして、最近では、今度の休みはどこに行く?と息子の方から話しかけてきます。
1時間近くかけて、USJに行ったり、半日かけて大阪市内をサイクリングしたり・・
休みになると男二人で、あっちこっちにでかけるようになりました。家に帰ると、疲れ果てて、二人してうたた寝する始末。

これからどんどんたくましくなっていく息子と一緒に走り続けるために、「体力づくり」をしようと密かに誓うわたし・・であります。

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2012年7月24日

積極的に待つ ~園長先生がくれた言葉~

最近、うちの息子は、看板やテレビに出てくる「単語」を読むことがマイブームです。
「あ、今の字、なんて読むの?」
「『大阪』って、書いてあったで!!」
「これ、『ハンバーグ』って書いてあるんやろ?」
文字を読む度、自慢そうな顔をします。今まで、どんなにすすめても手に取ろうとしなかった「絵本」を手にして、時々つまりながら、自慢げに読んでくれたりもします。

息子は小学校3年生。
文字を読んだり、書いたりするのが苦手な子どもです。
原因はいろいろあるようですが、(見え方が違う、記憶するときに使う脳の場所が違う・・等々)、同じ学年の子どもに比べると、発達がゆっくりしているみたいです。
文字の読み書きが苦手なので、足し算や引き算はできても、文章題はちんぷんかんぷん。会話は普通にできるので、まさか、ひらがなをたどたどしく読んでいるとは思ってもらえず、「そこに書いているでしょ!」と大人に叱られることも何度もありました。
小学生とはいえ、プライドがありますから「ボク、字、まだ、読めないんです」とも言い返せず、家に帰ってきてからしょんぼりしているときもあります。

息子が保育園の頃、周りの子どもたちが、字を覚え、自慢そうに読み上げるのを目にする度に、わたしは、息子の将来が不安になりました。
「この子、小学校に入って、みんなと一緒にやっていけるのかしら?」
「なんとかしなくっちゃ」と焦れば焦るほど、息子は、「読む」ことを嫌がるようになっていったりもしました。

夫は、そんなわたしをみて「焦っちゃダメだよ」「心配しすぎだよ」と言ってくれましたが、その頃のわたしは、いつも
「母親が子どもを心配するのは、当たり前のことじゃない!!」
「この子のことがかわいいから、何かあったらどうしようって不安にもなるし、心配もするのよ!!」
そう言って、彼の言葉に耳を貸すこともありませんでした。

読めないからっていじめられたらどうしよう?
できないって思い込んで自信をなくしてしまったらどうしよう?
どうしよう? どうしよう? どうしよう・・・・

焦ってばかりのわたしの姿は周りから見ていてもわかったのでしょう。
卒園を控えたある日、保育園の園長先生に声をかけられました。
「不安なのは、息子さんじゃなくて、お母さんのほうね」
「大丈夫よ。あの子は誰よりも優しくて強い子。保育園で1日を過ごしていれば、できないといって友達にバカにされることもあるけれど、あの子は一度だって、暴力をふるったことはありませんでした。ちゃんと、言葉で『そんなこと言われたら、嫌な気持ちがする。悲しくなる。だから、言わんといて』って伝えることができていたのよ。できなくて、自信をなくして、やらなくなるときもあるけれど、「やりたい!」気持ちを持ち続けてるから、できるようになったら、いつも、もう一回チャレンジしてきてたよ。あの子のペースが、少し他のお友達と違っているだけ・・・。だからね、お母さん。わたしたちは、積極的に待ってあげましょう。あの子が「自分から『やりたい』」と思う瞬間を見逃さないようにね。」 

「積極的に待つ」
いい言葉だな、と思いました。

「待つ」ということは、自分からは特に行動しないので、「何もしない」ことのようにも感じてしまったりもします。相手に対して何もしてあげられなくて自分がとても無力な存在のように感じられたり、時には、相手を見捨てるような気持ちになることもあるかもしれません。でも、そうじゃないんだなと、園長先生の言葉を聞いて思ったのです。
目に見える行動は何もしていなくても、いつも見守って、気にかけていること、そして、「ここいちばん!!」というときには、声をかけたり、一緒に喜んだり。認めてあげたり・・そんな反応を返すこと
「待つ」ということはそういうことなんですよね。
「積極的に待つ」とは、「愛」と「信頼」そのものなのかもしれません。

いじめられて帰ってきた息子にどうしてあげたらいいのか?
できなくて自信をなくした息子をどう扱っていいのか?
どうすればいいのかわからなくて、自信がなかったのは「わたし」でした。
何かが起こったら、わたしは、息子を助けられない、わたしにはそんな力はない・・そんなふうに思っていたのです。

そんなわたしに、園長先生は、「あなたの息子はあなたが思っている以上に強いのよ。小さくても、自分の人生を自分の足で生きていこうとしているのよ。あなたの仕事は『助け』ことじゃなく、『信じて、待って、認める』」ことなのよ」そう教えてくれたのだと思います。

小学校に入った息子は、予想通り、文字の読み書きが苦手なことでずいぶんと苦労はしていますが、それでも、「勉強がいやだ」とは一度も言ったことがありません。できないことが多い分、できた時の喜びは人一倍に感じるみたいで、ちょっとしたことでも、うまくできたことがあると家に帰ってきてから自慢します。最近では、理科で習ったあおむしの成長の仕方を事細かに話してくれたりもします。
「あんた、なんでそんなに詳しいの?」と聞くと、「育てたから」とVサイン。
確かに、あおむしを育てるのは、読み書き・・なんてあんまり関係ないですものね。

国語の教科書には見向きもしない息子ですが、男友達の間で流行っているゲームの話題についていけないのはいやなのか、ゲーム画面に出てくる文章を読みたいと思ったのでしょう。今年の初め頃から、ゲーム機を片手に「こ・こ・は・・・」と自分で読もうとし始めました。そんなことをしているうちに、「○○に行くと・・」と時折、すらすらっと読む時が出てきて・・・・

どんなにがんばっても、「ことば」として読めずにいた息子をみていた時間が長かった分、「すごいやん!!!いつの間にそんなの読めるようになったの?」と驚きつつ、大喜びするわたしを横目に、
「これくらい読めるって・・。もっと読んだろか?」と照れくさそうに、でも、少し偉そうに言う息子。 その自信に満ちた顔を見て、「おやばかだなぁ・・」と思いつつも、「この子すごいわ~」と勝手に思うわたしたち夫婦。

子どもの成長を「待っている」と、子どものちょっとした変化に気づいただけで、なんだかうれしくなります。「できた!」という喜びを子どもと共有することもできます。そして「待った時間」が長いほど、その喜びは大きくなるようです。

「積極的に待つ」
園長先生の言葉を思い出しながら、今日も息子と「知ってる言葉探し」を楽しんでいる、わたしたち家族なのです。

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2012年7月17日

被災地を訪れてみて

私は、カウンセラーのお仕事のかたわら、熊本県の女性相談室の相談員をしています。
そこではカウンセリングというよりも、ご相談内容によって行政の窓口や他の専門機関を紹介するのが主なお仕事です。
そんな行政のお仕事をお手伝いしているご縁で、内閣府の東北大震災の被災者女性相談業務のために宮城県へ行ってきました。

私の住んでいる熊本から宮城まで約1,500㎞。相談業務を行う気仙沼までは、さらに150km。飛行機と新幹線を乗り継いで約10時間の大移動でした。
そして、その距離と時間の分だけ、被災地と私の間には、心理的にも隔たりがありました。

被災地から遠い九州に住んでいる私は、震災の様子を映像や報道でしか知りませんし、被災地に親戚や知り合いもいませんでした。
あれだけ大きな震災だったにもかかわらず、正直言って、私にはリアリティが乏しかったのです。
その一方で、震災から一年が経ち、この一年間の復興を伝える、テレビの報道番組を見ては、被災者の方々の言葉や歩んだ道のりに、胸が詰まり涙していました。
だから、被災地に立って、被災者と対面した時、いったい私はどんな感情を感じ、どんな言動を取るのだろうと、自分でも全く想像がつきませんでした。
そして、3日間という短い滞在期間で、一体私に何が出来るのだろうと、様々な不安を抱えていました。

気仙沼駅に降り立つと、目の前には海が広がっているのかと思っていました。
しかし、気仙沼駅は、山間にあり、私の泊まった駅前のホテルからも、被災地の様子はうかがいしれません。
地理で習ったリアス式海岸の地形そのもので、海岸沿いのわずかな平地以外は、急な斜面と山地が連なっています。
したがって、現地に到着しても、ここが被災地だとの実感がわかず、明日からの相談業務にどう対応したものか困惑するところでした。

大変有難いことに、友人が私の気仙沼行きを知って、「気仙沼に友達がいるから」とつないでくれました。
現地に前日入りした夕方、気仙沼の友達が、被災地を見ておいたがいいだろうと、車で案内してくれました。
急な斜面を下りていくと、徐々に平地が広がってきます。
すると、突如目の前の交差点の信号の横に、陸上に在るはずのない大きな船が現れました。
みなさんも、テレビの映像などでご覧になったことがあるかと思いますが、330トンもある漁船「第18共徳丸」です。
その光景を目の前にして、息をのみましたが、震災当初の瓦礫はすっかり取り払われて、建物の基礎だけとなった更地に、違和感を感じるものの、まるで夢の中にいるような感じがしました。

気仙沼で2日、南三陸町で1日、電話相談に当たったり、仮設住宅の集会所での茶話会に参加して、被災者の方々とお話しする機会がありました。
また、友達や現地の相談員の方々、移動のために乗ったタクシーの運転手さんなど、様々な人から、話を聞くにつれて、ひしひしと被災の現状が伝わってきました。

震災からやがて一年半が経過しようとしていますが、被災者の状況も様々です。
震災当初に比べると、被災者の経済状況、生活状況、そして心の状態も、個人差が大きくなってきているようです。
特に、対人関係の問題では、この被災により、親戚との同居、ご近所との関係、仮設住宅でのプライバシーの問題など、新たな問題が生じたり、これまで向き合わずにいたこと、やり過ごしていた問題が表面化してきているようです。
それでも、東北の人は、我慢強く、弱音を吐くことも少なく、いまを懸命に生きる姿に、たくましさを感じました。

しかし、ある仮設住宅を訪れた時のことが、私には忘れられません。
仮設住宅の集会所で、ボランティアの方が、自治会長さんに届け物を渡しているのが目にとまりました。
どうやら、関西の方からボランティア団体を通して、プレゼントが届けられたようです。
ボランティアの方が、「写真を1枚いいですか?」と自治会長さんに言っています。
自治会長さんは、あまり気乗りしない顔で「こうやって、後ろ手に持って映ってもいい?」と皮肉っぽく言いながら、しばらくしてから写真撮影に応じていました。
タレントさんがプレゼントを手渡されてニッコリしているような、その写真撮影の光景に、私の心はとても痛みました。
おそらく、この1年間で、自治会長さんは何度となく、このような写真撮影に、繰り返し繰り返し応じてきたのだろうと。

私が滞在したわずかな時間の間だけでも、行政関係者が入れ替わり立ち替わり、仮設住宅を訪れて自治会長さんに現状をたずねます。届け物も、全国から届きます。
それらはみな、被災者の方々をサポートするための善意で行われている事なのですが、その対応に疲弊している様子がうかがえました。

ちょっとお腹立ちの自治会長さんに思い切って、先程の写真撮影の光景に胸が痛んだ事を伝えてみました。
自治会長さんは、「全国のみなさんには、言葉では言い表す事が出来ないほど感謝しているのです。お預かりした皆さんの善意を、確かに渡しましたということで写真を撮っておられるのでしょうが、正直言って、そこに押しつけがましさを感じてしまいます。私たち被災者にも自尊心があるのです。そっとしておいて欲しいと思う時があります。」と話してくださいました。

時として、私たちは、そこにどんなに好意や愛情や善意が込められていたとしても、それを受け取る余裕のない時もあります。
また、どんなに好意や愛情や善意を込めて行ったとしても、時には相手を傷つけることもあるのだと。
そんなことを、改めて、そして痛切に思い知らされた瞬間でした。
そして、それでもなお、好意や愛情や善意を止めずに、相手の状況を鑑みながら支援していくことが大事なことではないかと思いました。


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2012年7月10日

心から楽しむこと。

こんにちは。宮古島から五十嵐かおるです。
いよいよ夏も本番。夏休みの予定は決まりましたか。
よかったら「癒しの島」と言われる宮古島も夏休みの候補に入れてみてくださいね。
ちなみにここに来てからは万年夏休み気分の五十嵐です。この生活、もう少し続きそうです。
クライアントさんによく聞かれるのですが、私は沖縄県の出身でもなければ親類がいるわけでもないんです。産まれも育ちも北関東の海なし県。仕事で10年ほど東京にいて、退職をきっかけに「住んでみたい」だけで宮古島に来てしまいました。それからちょうど1年が経ちました。
振り返るとあっという間ですが、思い出は以前に比べて10倍くらいのボリュームがあります。もちろん東京も大好きで、雑誌片手によく出歩いていたんですよ。

この島を1周しようとしても車で3時間ほど。もちろん人口も多くはないです。
ただ観光地ということもあって、島をあげて大きなイベントがよく開催されます。
先日は3日間通しての音楽イベントがありました。昼間は砂浜でたくさんのミュージシャンがライブをして、夜は数件のライブハウス全部が会場となって音楽三昧。
アリーナツアーをしているようなアーティストを目の前で見られるのがここならではの醍醐味です。
地元向けにはテレビで活躍中の有名な学者さんの講演会や、劇団四季も来てくれたり。
都会と違うのは、演者さんたちとの距離がとても近いということ。
あなたは行きたかったライブ、やっとの思いでチケットを取ったのはいいけれど、いざ座席に着いたらアーティストが遠くて小さい、なんて経験ありませんか。私はよくありました。
ここではそんなに大きなホールもライブ会場もないので、表情も視線もわかるくらいの距離で見られるんです。ステージが終わったら、普通に話したり、街中でばったり会ったりなんていうこともしばしば。ミーハーな私にはたまりません。

最近、何気なく行ってみたイベント会場で「目の前で見ること」でステージ上の人たちの表情から共通して強く感じられることがあるのに気付きました。
それは本人たちがものすごく「楽しそう」に表現していること。
歌でも踊りでも、研究していることでも「大好き」で「大切」で仕方ないということがその表情から伝わってきます。自分の大切なものを発信しながら大きなパワーで会場全体を包み込む感じ。生き生きとした表情、キラキラした目ヂカラ。楽しくてしかたないって言葉がなくても伝わってくる。
それが目の前にあったら、見ているほうも影響されないわけがありません。
なんだかとってもウキウキしてきて、ここの場所にいられてよかった、胸が躍ってなんでもできるような気分になってきます。会場みんなの表情もどんどん生き生きしていきます。きっと発信してくれる人のパワーをもらっているんでしょうね。もちろん、その会場のパワーがステージに響いて共鳴していく感覚もまた気持ちがいい。
このステージに立つ人たちの「表情」がたまらなく好きなんです。
本人自身の「楽しさ」が体中からあふれ出すような時間。
見ているほうまで幸せにできる魔法。

私はどんな時だろう。
人によっては表現している時じゃなくて、スポーツだったり、仕事している時かもしれません。好きな人に会っている時や食事をしている時、お洒落をしている時。
本当に心から「大好き」と叫びたくなるくらい好きなこと、あなたはどんなことでしょう。

そんなめいっぱいの気持ちでいられる時間が人生の中でたくさんあったら、それってとても幸せなことだと思いませんか。
すぐには「コレ」というものがなかったとしても、自分のワクワクを虫眼鏡を持つように「探しながら」過ごしてみると自分自身に新しい発見があるかもしれませんよね。

私は今ある大切なものは磨き続けて、さらに探し続けて行きたいと思います。
あなたの「楽しい」がたくさん見つかりますように。

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2012年7月 3日

出来ないことは仕方ないじゃないですか。

最近、人の魅力とか、人の価値って何なのかなってよく考えます。

「星の王子さま」という本を読む機会があったのですが、今まで題名だけ知っていて、中身はほとんど知らない状態だったのですが、いざ読んで見ると、吸い込まれるように読みふけり、さらに切ない場面が多くて、本当に泣けました。

この話の中には、しゃべるバラの花が登場します。

そのバラは自分の美しさを鼻にかけて、王子様に自分の自慢をしたり、あれこれと要求を出していろんな事をさせるのですが、読んでいてこのバラの花が王子様に愛されているとは信じられない気持ちが伝わってきて、切なくて泣けてきます。

結局王子様は、このバラの花に愛想をつかして一度は星を出るのですが、自分の星が見えなくなるくらい遠い地球から夜空を見上げた時に、「この星のどこかに1本のバラの花が咲いているから、全ての星が綺麗に見える。」と、バラの花を回想するシーンがあるのですが、それがまた泣けてきます。

人を好きになると、その人がどんなであろうと、嫌いにはなれないし、好きなままなんですよね。みなさんも、そんな気持ちってどこかにありませんか?

昔、天空の城のラピュタの主題歌に「あの地平線、輝くのは、どこかに君を隠しているから。」と言う節があって、すごく綺麗な表現だけど意味がよく分からないなぁと思っていました。

でも、私はこの星の王子様を読んで、この歌詞の意味もなんとなくわかった気がします。

多分、好きな人と離れ離れになってしまうと、その人を遠くに感じれば感じるほど、逆に輝きが増したりするんですよね。

それから話が少しそれますが、ドラマや映画のストーリーには、学園物と呼ばれるよな、学校を舞台とする話はよくありますが、多くの人に共通する、「そこで誰かを好きになった。」という経験が、灰色の校舎や、何も無い運動場を輝かせるのかなぁと思いました。

この星の王子様にはいろんな登場人物(しゃべる動物や植物も含めて)がありますが、お話の中で王子様は様々な人を「おとな」とか「こども」と言ったりします。

この話に出てくる「おとな」というのは、「そんな奴いるか!」っていうくらいおかしいというか、ほぼ意味の無い事をしていたりするのですが、確かに子供じゃないっていう感じです(笑)

逆に「こども」というのは、寂しがり屋だったり、時として無邪気に意地悪だったり。

確かに子供っていう感じで、とりわけすごい事が出来る訳でもないのですが(バラやきつねがしゃべるのはお話の設定として)、不思議な事に、その人間臭さが魅力的だったり、愛しく感じられたりするんです。

つまり、何が言いたいのかといいますと、やっぱり人の魅力とか価値って、何か特別に凄い事が出来るとか、人より優れているとかでは無くて、その人らしさ(人間らしさ)なのかなぁと思ったのですね。

で、当の私はどうかと言うと、知らない間にもっと役に立ちたいとか、すごい事が出来るようになりたいとか、この星の王子様に出てくる「おとな」になろうと努力して、またその自分で課したハードルをクリアできないと悩んだりしてしまっていたかなぁと。。。

客観的に考えるとくだらないとか思えても、渦中にいるときはなかなかそうは思えないんですよね。

私は昼間はシステムエンジニアの仕事をしています。

そこでここ1ヶ月、どういてもうまくいかない問題を抱えて原因すら分らない状態が続いていました。

本当に自分でもどうしてうまくいかないのか分らない事が、ちっとも解決できずにスケジュールどんどんと遅れていくのです。

私は責任を感じ、出来ない自分を情けなく思っていましたが、1ヶ月経って、同僚の一人が見かねてこう言ってくれました。

「小倉さん、出来ないものは仕方ないじゃないですか。諦めましょうよ。」

そして、この次が大事なのですが、続けて私はこう言われました。

「別に、出来ない事があっても、小倉さんの事、出来ない人だなんて思いませんよ。」

そこで私ははっとしました。

自分はこの星の王子様に出てくる「おとな」になろうと努力をしていたなぁと。

何か立派な事をしなければならないと思っていたなぁと。

出来ない事は出来ないで仕方がないし、それでその人の魅力や価値が落ちる訳じゃないんですよね。

私は、そんな風に思いました。

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