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2011年12月27日

ある日の出来事

娘が学校からの帰り道に電話をくれました。

「冷蔵庫のドレッシングが残りわずかだったけど、
もし買ってないようだったら帰りに買っていくよ」という内容。
「さっき買ってきたから、大丈夫、あるよ^^」と私が答えたら
「わかった」と言う返事のあと、
「もう今日は疲れたよ。午前中で帰るつもりが、結局夕方までずっと
ゼミの調べ物で細かい字を読んでいたから」とずいぶん疲労した様子。

目を酷使すると神経も疲れるので、
身体的に疲れた心地よさとは違う疲れ方をしたのでしょう。
電話の向こうで「あ、バスが来てる」とダッシュしたものの
「え~目の前でドア閉まったし!信じられない!」と娘。
行ってしまったバスに落胆する娘に
「まあ、ゆっくり帰っておいで」と私は電話を切りました。

しばらくして娘が帰ってきました。

娘が、聞いてくれる?!と言わんばかりに話すことには、
昨日夜更かししたせいで今日は朝から眠い上に、
予定外の夕方まで根を詰めた1日だったらしい。
おまけに朝学校へ行く時に慌てていたせいか、どこかでお気に入りの白い手袋を片っぽなくしてしまったそう。

私「え~!どんな手袋?」
娘「白くてかわいい手袋。お母さんも見ればわかるよ」
私「そうなんだ・・」
そして、さきほどの電話での実況中継よろしく、
乗ろうとしたバスが目の前で発車してしまったので、
しばらく待って次に来たバスに乗ったとのこと。

ところが、座席についたところ、
なんと足元に見覚えのある手袋が落ちているではないか!

そうです。娘は朝バスの中で気づかぬ間に手袋を片方落としたのだが、その手袋は他の誰かに拾われることはなく、ずっとそのままその場所でほぼ1日中バスに揺られながら娘を待っていたのです^^

そしてひとつ前のバスに乗りそこねたからこそ、手袋がまた戻ってくることになったと、ひょんなところでつじつまがあったのです。

話す娘の顔は笑顔でした。

弱り目にたたり目の話だと思って聞いていた私ですが、
娘の話は「思わぬ偶然のうれしい話」だったのです。

ほんとうに、私たちの身の周りで起こるすべてのできごと、
何が幸いするかわかりませんね。

こんな偶然、あなたにもありませんか?

うえの道子のプロフィールへ>>>

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2011年12月20日

クリスマスに祈る思い

 はじめにお断りさせていただきたいのですが、今回のコラムに書かせていただいたのは、僕が個人的に感じたことであって、宗教についての善し悪し等について書いたものではありません。
 その点について、ご理解いただきお読みいただければと思います。

 もうすぐクリスマスですね。
 この季節になると、僕は必ず思い出す歌があります。
 それは、随分昔の歌なんですが、「Very Merry Christmas」(ミュージシャン:原みどり)という歌です。

 部分的に取り出すと歌の持っている本質が損なわれてしまうと思いますし、僕の個人的な解釈が入ってしまうので、歌の主旨と違ってしまうかもしれないのですが、あえて書かせていただきますと、その歌詞の中に、クリスマスといっても、誰が神様のために祝ってるのだろう、みたいに僕が感じるフレーズが出てきます。
 この感覚は、僕がずっと昔から感じていたものだったので、特に印象に残っている歌だったんですね。

 以前、何度かこのコラムで書かせていただいたことがありますが、僕は昔は、神様というものを信じていませんでした。
 僕は、日本ではとてもオーソドックスな仏教の家に生まれて、
けれども、周囲に様々な宗教がらみのトラブルを抱えて育ったために、
いつしか、神や仏、また、それを信じる人達が語る「愛」というものに不信感を持つようになっていきました。
 今も、特定の宗教を信仰していない、という意味では神様を信じていないということになるのかもしれません。

 そんな僕は、愛というものが本当にあるらしい、と感じるようになったのは、カウンセリングに出会ったからでした。
 
 愛がないという思いは、世の中にない、というよりも、自分の中には愛というものが存在していない、という感覚なんだと思います。

 以前の僕は自分が大嫌いで、そんな自分に愛というものがそなわっていると思っていなかったのだと思います。
 ところが、自分がカウンセリングを受けて行く中で、自分自身の心と向き合っていくと、愛という感覚が出て来てしまったのです。
 
 恨んでいたつもりだった親への愛。
 遠くに感じていた奥さんへの愛。
 そして、周りの人達への愛。

 自分が愛し、また、周りの人からも愛されていると気づいていったのです。

 そうなってくると、愛というものの存在を信じないわけにはいかなくなりました。
 なかったと思っていた自分の心の中に発見してしまったのです。

 今、カウンセラーとして、たくさんの方とお話させていただく中で、たくさんの様々な愛に触れさせていただいています。

 カウンセリングを通じて、自分自身の心と向き合っていく過程で、多くの方が自分の中にある愛、そして、周りにある愛を感じていかれます。

 こうした出会いがあればあるほど、僕は愛というものを感じないではいられません。


 そして、合わせて、実は、ずっと信じていなかったと思っていた、神様や仏様のような存在についても、心のどこかでは、信じていたのだということにも気がつきました。

 特定の、というわけではなくて、ただそこにいる、でも、何か守ってくれているような存在。

 こうした愛の感覚や、神様がいるような感覚というのは、僕たちは生まれながらにして、自然に持っているものなのかもしれないと思います。

 そう思えるようになって、「祈り」というのも自然にできるようになりました。
 

 ただ、大切な人や、愛する人を思い、願う気持ちで祈ること。

 そういう祈りは大切なことのように感じるようになりました。

 
 クリスマス。
 
 僕たちが、クリスマスにお祝いをするのは、もしかしたら、単なるイベントとしてとらえているだけなのかもしれません。

 けれど、どんな理由からであれ、この日には、誰もが何らかの形で、何かに祈りを捧げているように思うのです。

 そこには祈っている人の思いがあります。
 
 一人でそっと祈ること。
 恋人と一緒に祈ること。
 子どもとともに、家族で祈ること。
 
 どこかでひっそりと。
 レストランで、二人で。
 家族でにぎやかに。
 
 たくさんの、そして、様々な形があるでしょう。
 でも、すべての人に、この日はやってきます。

 それが辛いと感じる時も
 それが幸せと感じる時も

 いろいろな形で、僕たちは、何かしらの祈りを捧げたくなり、そして、表面的にはできないときにも、心の奥底では何かに祈り、何かを願っているように思うのです。 


 初めに紹介した曲。
 僕の中で、昔と今とでは、この曲を聴いて感じる思いが変わりました。

 曲全体を聞いていると、この曲を作られた原みどりさんは、その歌の中に、神様とか祈りとかをちりばめているように僕は感じます。
 僕の個人的な解釈ですが、神様を否定している歌ではなく、むしろ、神様の存在を感じながら、この日に自然に自分の周りにある愛や祈りについて歌っている曲のように感じるのです。

 今でも毎年、この歌を聴いてしまうは、僕の心にあるこうした感覚を思い出させてくれる歌だからなのかもしれません。


 この歌には、こんなフレーズがでてきます。

「真っ白な妖精 舞い降りてくる すべての汚れを優しく包みこんで」

 今年のクリスマス。
 僕も祈ります。
 
 僕自身に、そして、僕の家族に。
 僕の周りにいる人たちに。
 日本中に、そして世界中に、真っ白な妖精が舞い降りて、すべての辛い思いや汚れを洗い流し、そして、優しく包み込んでくれるように。

 Very Merry Christmas

池尾昌紀のプロフィールへ>>>

投稿者 cseditor : 12:30 | コメント (0)

2011年12月13日

「生きること」について。

こんにちは、建部かずのぶです。

このコラムをお読みくださっている皆さまは、今どのようにお過ごしでしょうか?
毎日楽しいことがいっぱい!という方もいらっしゃるかもしれませんし、しんどいことがいっぱいで、もうどうしたらいいか全然わからない、という方もいらっしゃるかもしれません。
ですが、「生きている」ということで言えば、もちろん全員が共通していることですよね。
そんなの当たり前だよっ、という声も聞こえてきそうですが、これが至極当たり前なので、私を含めてあえて意識していないなぁと思ったりもするのです。

ただ、特に今年は東日本大震災や原発事故といった、生命に関わる出来事が続けて起こったこと。
私の身近でも、この「生きること」について気になる事が、たびたび起き、
「これも何かの学びなのかなぁ?」と思い、今回のコラムはこのテーマについて書かせていただきます。


私は小さい頃から、生きていることに意味はない。と思っているような子供でした。
そして、「なんで自分は、この世に生まれてきたのだろう?」と、何かにつけてこのことばかり考えていたように感じます。
まあ今では、生まれてきた意味も絶対にある!と思えるようになってきましたが、ずいぶん長い間この気持ちと一緒に過ごしてきたように思います。

ところが、そんな私に大きな転機がきました。
それは、ちょうど15年ほど前の事。特に今の時期になると、はっきり思い出す出来事があります。

当時の大切な恋人が、あっという間に逝ってしまったのです。

彼女とは神戸の震災ボランティアで知り合ったのですが、人一倍気を遣う、とても優しすぎる女性でした。
彼女のご家族や周りの人びととの関係は、良好であったようですが、元々、彼女自身がとても繊細な人だったこと。
そして一番の理解者だった母親を亡くしていたこともあり、いつもどこかで孤独を感じ、人知れず苦しんでいたようでした。

私には不釣り合いと思えるぐらいにキレイな人でしたし、震災という非常時に恋愛なんてとんでもない!なんて思っていた私ですが、彼女から突然告白されて、そのまま半信半疑で付きあい始めたのでした。

私たちは息がぴったりだったみたいで、毎晩のように長電話をし、何でも話せるような関係になっていきました。
やがて関係が進み、先方の親父さんのご意向もあって、翌夏にはそろそろ結婚も・・・という話も出るようになっていったのです。
親父さんも一緒に、新居のマンション探しをしたり、白無垢を着るんだ~なんて話が出てくる中で、何だか調子のよくない彼女。
夏先に1回検診を受けて、彼女の信頼していた医師の見解も、特に問題がないと思う。とのことです。

でも、やっぱり優れないしと、1月ほど経ってもう1度検診を受けた後に親父さんがこっそりと私に告げました。
末期ガンで余命1か月と言われた・・・と。

それから、彼女のご家族と同居しながらの看病が始まりました。
看病と言っても、彼女には病状を知らせないというご家族の方針でしたので、結婚指輪を買ったり、転院先の病院のそばにマンョンを借り、これからの2人の新居だよ、なんて彼女に伝えたりしていました。

私も、彼女が死ぬなんて考えもつかなかったので、「絶対死なせてたまるか!」と、だんだん腹水で膨らむ彼女のお腹を、それこそ全霊を込めてさすっていました。
私にできることはたったそれだけのことでしたが、私がさすると少し楽になるという彼女の言葉を励みにしていたのです。

彼女の親父さんは、「君に出会ってからとても幸せそうだった」と言ってくれました。
彼女も、私との出会いをとても喜んでくれたようです。
ついに意識がなくなってしまった中で、ふと意識を取り戻し、私に感謝の言葉を伝えてくれました。
その言葉は、私に大きな大きな愛を送ってくれたように感じています。
悲しみを押し殺して、一生懸命彼女のためにと踏ん張る中で、ホッと一息付けるような気持ちになれたのでした。

最後まで看取る!と言い張る私に、親父さんは、あんたには将来があるからと、帰された数日後。彼女が亡くなったと知らされました。
なかなか実感ができない中、彷徨うな気持ちでおりました。
道を歩いていても、仕事中でも、音楽を聴いていても、不意に泣き出したり、ドーンと沈んだ気持ちになったり・・・。

誰にも伝わらない気持ちを抱えながら、この先自分はどうなって、どこに向かえば良いのだろう?。
それ以降、私の中では、1つのルールができました。
それは、「とにかく生きる」ということです。そうでないと、あれだけ幸せに思いを馳せていた彼女に失礼だと。

実は、その後に出会った女性とも結婚という話になった先に、これ以上きつい事がないであろうと思っていた、彼女の死以上に精神的にきつい状況になってしまったのです。
また、そのことで過呼吸になったりもしました。
行き場のない状況の中で、いろいろ彷徨いつつ、フラフラになりながら、このカウンセリングという世界に出会い、お世話になるうちに今の幸せを見つけることができました。

当時は、もうパートナーシップなんてコリゴリなんて思っていた私が、今の奥さまと出会って結婚し、しかもカウンセラーにまでなりました。

全く想像もしていなかった未来が私に待っていた。
当時の私に今の私が教える機会があっても、絶対信じないだろうなぁと思ってしまうぐらいなのです。


カウンセラーとして様々な方と出会う中で、笑顔になっていく人が増えたように思うことが多くなりました。
それぞれのペースもありますが、ご縁があった方の雰囲気がいい感じに変わっていくのを見つけると、それだけでとてもうれしくなってしまいますね。

私は小さい頃から、生きる意味って何だろう?と思っているような子供でした。
ですが、今は違います。あえて生きる意味を求める必要はないのでは?と思っています。

後戻りはできない、一度きりの人生の意味を見出すよりも、後悔することなく毎日を楽しく生きていたいのです。
理想は、過去を自分なりに消化し、未来への希望を抱きながら、今を大切に過ごすことなのですが、現実はこんな簡単にいかないこともあると思います。

「痛い!」と思うとき、それは癒しや訂正を求めるサインです。
その痛みに気づき、時には信頼できる誰かと一緒にじっくりと見つめながら癒していくと、その痛みは知恵や思いやり、学びやパワーに形を変え、人生の道しるべにまでなってくれるのです。

乗り越えられない問題はやってきません。
ですので、今抱えている問題は、持てるだけの知恵を全部使って更なる成長を促そうとしているキッカケとも言えるのです。
あとは、一歩前進するために問題と向き合う勇気と意欲だけですね。

どん底から立ち直り、今は全然違う気分で毎日を過ごしている私が心から伝えたいのは、「自分の可能性を信じて欲しい!」ってことです。

自分の人生を諦めなければ、どんなに辛い状況に置かれたとしても、起死回生のチャンスは何度でもやってきます。
なぜなら、人にはかけがえのない価値がたくさんあり、それはどんなときでもずっと輝き続けているのですから。

最後までお読みくださり、ありがとうございました。

建部かずのぶのプロフィールへ>>>

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2011年12月 6日

ガールズ(?)トークの結末

ある日の休日。
昔から、グループでつき合いのある友人たちとメンバーの誕生日を祝うために集まっていました。
そして、私はあることに気づきました。
それは、グループの中で私にだけがパートナーがいないということでした。
パートナーがいないのは、たった今始まったことではないので、今更と言えば今更な気づきでした。
いやいや、パートナーがいなくても、それなりに楽しく生活はしていたので、今までそんなに気にしたことはありませんでした。
「そのうち、私にもパートナーが出来たらいいなぁ。」といったぐらいに感じていました。
今まで気にならなかったのに、何故、今回は気になったかというと、グループの中で、唯一独身仲間に彼女が出来たというのを聞いたからでした。
今までの私個人の状況と変わらないのにもかかわらず、そのグループの私以外のメンバー全員にパートナーが出来たことで、妙に一人身であることを意識してしまったのでした。
そして、その夜は急に寂しさを覚え、自分のこれからに一抹の不安を感じ始めました。

それから、数日経ってから、そのグループのメンバーとの面識のある別の友人と電話で話す機会がありました。彼女も、独身女性の一人でした。私のこの気持ちを理解してくれるに違いないと思い、以前グループで集まったときに、急に寂しさを感じたこと、これからの自分に一抹の不安を感じたことを打ち明けてみました。
そうすると、少なからず似たような経験もあるし、同じような気持ちになったことがあるというのである。私は、同じ気持ちを分かち合えたことに少し安堵していました。

そして、
「グループの人にパートナーが出来たことで、寂しさを覚え、不安を感じていたら、実際、自分以外の皆が結婚してしまったら、こんな寂しさや不安じゃ治まらないよねー」
なんていう話題になっていました。
更に友人は続けます。

友人:そういう状況になったときに、果たして心から祝ってあげることができるだろうか?
   ずっと友人としてつき合ってきたのに、祝ってあげることが出来ないなんて寂しいし、もしそうだとしたら、自分のことを人として器が小さく感じてしまうわー」
私 :確かに…、私もその立場に立ったら、祝ってあげたいけれど、心から祝ってあげることが出来るかというと自信がないわ。
   …ということは、私たちお互いの結婚を祝ってあげることが出来ないかもしれないね(笑)
友人:そうよ。絶対、嫉妬しまくって、顔が引きつってしまうわ。そんな気持ち隠して、にっこり「おめでとう♪」なんていって、結婚式に参加して地獄の時間を過ごすのよ。

おぉ~だんだん、ダークな話になってきたなぁと感じながら、お互いにお互いの結婚を祝えないのは嫌だから、お互いを祝うことが出来る方法はないだろうかと考えてみました。
人の結婚が、何故、苦しく、地獄のような時間になるのか…。
そして、自分の結婚も決まってもいないのに、私は友人にこんな提案をしてみました。

私 :私が結婚するときは、嫉妬してもいいし、寂しーって言ってもいいよ。
   私も、○○が結婚するときは、しっかり羨みながら、祝うから。
   それだったら、心から祝えそうな気がしない?
友人:えー、そうなん。でも、嫉妬してもいいなら、お祝い出来るかも。」
私 :じゃあ、お互いがお互いを祝うことが出来るね。

こうして、久しぶりのガールズ(?)トークは円満(?)に終えることができたのでした。
今回は、結婚と一人身の関係についての話だったけれど、今回の話に限らず、羨ましいとか寂しいとかの自分がネガティブだと感じる要素、お祝いをしたいというポジティブな要素があると、両方が存在しているにもかかわらず、ネガティブな要素をついつい隠そうとか抑えようとしてしまいますよね。けれど、どちらも存在することには変わりないのだから、ネガティブな要素を隠そうとしたり、抑えようとしなくて済むのであれば、その隠そうとしたり、抑えようとしたりしていたエネルギーをポジティブな要素に向けることが出来るのかもしれないなぁと思ったのでした。
そうしたら、友人の中で最後の一人身になったって、友人の結婚式でとびきりの笑顔を見せることが出来るかもしれません(笑)
だからといって、最後の一人身になりたいわけではないです。(念のため)

今度のガールズ(?)トークは、素敵なパートナーシップの築き方について話をしよう(笑)

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投稿者 cseditor : 00:00 | コメント (2)