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2011年11月29日

私の中の怖いヤツ

三島桃子です。いつもコラムを読んでいただいてありがとうございます!

私は基本優しいお母さんだと思うのですが、時々息子(9才)に「コラッ!!!」って怒ることはあります。まあちょっとしたことですよね。朝、パジャマを着替えずにだらだらしているとか、学校から帰ってきてランドセルを投げだしたままにしているとか。

怒ると、この頃息子に言われるんです。「ちょっとのことで怒り方が怖すぎる」って。でも、よそのお母さんだってけっこう怖いと思うんです。よそのお母さんが我が子を叱る姿を見るといつも、「おー迫力あるなー」って思うんですよね。だから私も少しはびしっと叱らないと、って思ってきたんですが…

でも、この頃、ちょっと考え方が変わってきました。

よそのお母さんは、確かに一見厳しく見えます。言葉も荒かったりするんですよ、かわいいママでも。でも、そこんちの子どもはちょっと叱られたぐらいじゃケロッとしているんですよね。そしてお母さんは「ほんと言うこときかんわー」とつぶやいたりしています。

それを見て、私は、きっといつも厳しいから、子どもも慣れているんだ、たくましくなっているんだ、と思っていました。だからうちの子も、たくましくするためにも少々は叱り飛ばさないと、と。

だけど、ふと感じたんです。よそのお母さんと私とでは、怒る時の内面的な雰囲気が違うのではないか?と。

説明が難しいのですが…

よそのお母さんは、ぱっと見は怖いけど、内面的には、単純に目の前のことを叱っている。例えば、ランドセルを投げだしたままにしてはダメ!と。

ところが私がきつくなる時というのは、背後にもっと大きな否定感が潜んでいるのかもしれません。「ランドセルをちゃんと片付けなさい!」の言葉の背後に、「ほら、あんたはいつもこう!何度言ってもダメ!このままじゃ将来どうするの!仕事なんかできないわよ!」みたいな、人格否定とも言っていいようなものがあるとしたら…

ふとそう思った時、怒る自分の背後に、まるで、怖~い閻魔さまがぼわ~んと立ってて、私と一緒に息子を睨みつけている、みたいなイメージが浮かんだのです。

こういうのって、意外に相手に伝わるんです。相手も頭でわかるわけではないのですが、感覚的に伝わります。

これでは怒られる方はたまったもんじゃありません。ちょっとしたことで閻魔さまが出てきて、舌を引っこ抜かんばかりの勢いでプレッシャーをかけられ、人格否定されるんですから。

私はずっとこんな閻魔様を自分の中に持っていて、息子や夫に対して腹を立てた時には、この閻魔様と共に責め立てていたようです。

まだ若かりし十代の頃、ささいなことで母と言い合いになり、私が正論をつきつけた時、母が「あんたは優しくない、お姉ちゃんは優しいのに」と言われたことがありました。姉も母に対してけっこうな文句をよく言っていたんです。しかも私よりも頻繁に。なのに、たまに刃向った私に「お姉ちゃんは優しいのに」って。何だそれは!お母さんはお姉ちゃんの方が可愛いんだ!って傷ついたりしてたんですが。

でも、あの時も、私の背後に閻魔様がいたとしたら。それが母を怖がらせたのだとしたら…。

ああ、何かもう、タメイキ…。

ところで、この閻魔様の正体、わかります?

これは、私自身を責めるもう一人の私なんです。ちょっとしたことで「おまえはダメ!」と決めつけ、簡単には許してくれない怖い存在。自分責め、自己虐待の権化。

ですから、そもそも、私は自分のことをひどく責めてきたわけです。少しのミスで自分の人格を否定し、おまえに未来はないと自分を追い詰めてきたのです。人は、自分を責めた分だけ人を責めます。家族など自分に近い人に対しては特にそうなります。

そもそも、かつてはこの閻魔様、ものすごく巨大だったんだと思います。それが、私の心が癒されるにつれ小型化してきて、以前は怖さのあまり泣くしかなかった息子が、「これだけのことで怖すぎるで」と文句を言えるぐらいになってきたのではないかと。

息子の言葉でハッとした私は、つくづく考え込みました。考え込んだものの、どうしたらいいかはわからず、ただ、何とかしないとな~…と思うばかりだったんですが…。

でも、そうやってハッと気付いたことで、私の中の閻魔様は、自然にまた少し小さくなったようです。というのは、その後何となく気持ちが軽いんです。自分責めというのは無意識にいつもあるものなのですが、その度合いが小さくなればなるほど、日常生活がラクになるんですよね。

そして、なんと夫に不思議な変化が。

今まで、夫のちょっとした一言で私が不機嫌になった時、「ごめん」と言ってくれることなんて絶対なくて、ただむっとした顔をして私のことなんかシャットダウン、って感じだったんですが、この頃そういう場面ですぐに「ごめん」って言ってくれるんです。最初は聞き間違いかと思いました(笑)。

怒った時はすぐに閻魔様が背後に現れる怖い妻だったのが、「ただのいじけた奥さん」になったのかもしれません。閻魔様が出てきたら、コミュニケーションするより逃げたくなりますよね。シャットダウンされていたのも無理はなかったなと今は思います。

私の中の怖いヤツ。いつかゴマ粒ぐらいに小さくなってくれるかな。


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2011年11月22日

優しさについて

こんにちは、山田耕治です。コラムは2回目の登場です。
前回に引き続き、私に影響を与えてくれた人シリーズ[名もなき編2]として、書かせていただきます。

みなさんにもそんな人がいらっしゃるかと思います。名前とか覚えてないけど、なんだか印象に残るすごい発言をしてくれた人が・・・・。
今回のその人は私が高校の時に出会った方です。ある病院の看護婦さんを束ねる総婦長さんでした。

病院の総婦長室。
彼女は机の上にあるメモ紙ケースから一枚、白い紙を取り出します。
そばにあった黒のボールペンを手に取ります。
静かな部屋にボールペンの筆圧の音が響きます。
まず「憂」と漢字を書いてくれました。
次に「憂」という字の左隣に「人」という漢字を書いてくれました。
そしてボールペンを静かに置いて、彼女がこう言うのです。
「憂いのある人のそばに立つ。わかるかしら?優しい人になってね。」
とんがった黒い縁取りの眼鏡、そのレンズの中の奥に強くて優しい女性の瞳があったのです。

優しさって何だろう?って考えたことないですか。

私がそんなことを初めて考えるようになったのは高校に入ったばかりの頃だったと思います。
当時、私は中学の時の失恋を引きずっていました。
通学のバスの中で、別の高校に行くその彼女のことを時々見かけることがありました。
その度に、情けない思いでいたことを思い出します。

中学生ですから、とても一生懸命でかわいい恋でもありました。
夕方はお互いにクラブ活動があるので、朝早く学校に行って話をしていました。
彼女はバス、自分は徒歩通学。できるだけ一緒にいる時間がとりたくて彼女が乗っているバスに遅れないように、がんばって走っていたことも思い出します。
交換日記もしていました。夜な夜な布団の中で隠れて彼女に渡すための日記を書いたりしていました。

でも依存的なところが強い恋愛だったと思います。
もっと話をしたい。こっちを見てほしい。それから嫉妬も強かったと思います。彼女の周りにいる同級生や先輩のことがすごく気になっていました。
すごく自信がなかったんだなあと思うのです。

私としてはその彼女にとても優しい対応をしていたつもりでした。
でも今思うとそれは、嫌われたくないための表面的な優しさであり、優しさの押し売りだったような気がします。
甘えたい気持ちを満たすため、自信を彼女からもらうため、そのために一生懸命、優しくしていた感じです。
それなのに何でくれないの?って感じで、どこか見返りを要求している、どこか傲慢な態度でもあったなと今は思います。

そんなわけですから、うまくいくわけもありません。うまくいかずに時々教室の自分の席でうずくまったりもしていました。
今思い出しても、穴を掘って消えてしまいたくなります。

その恋を失ってしまった自分は自分自身をどこか責めていたと思います。
「優しいとか言ったって、その人に好意を持ってもらいたかっただけじゃないのか」、
「嫌われたくないから、そんな態度をしていただけなんじゃないのか」、
「お前は優しくなんかないんだ」、
そんな声が耳元とで絶えず聞こえている感じです。

自分の優しさ、そして「優しさとは何なんだろう?」と言う疑問の形で、高校に入ってからも、ずっとそんな自分への責めが続いていたように思います。
「じゃあ、一体どうすれば良かったんだろう?」考えても答えはでませんでした。
朝、通学バスが彼女が乗ってくるバス停に止まるたびに、そんなどうにもならない思いが繰り返し出てきては、日常の生活の中に消えて行きました。

今でもとても不思議に思うのですが、その疑問への答えは突然にやってきていたのです。

それは高校の2年の終わりのある日のことです。私はおなかが痛くなり、盲腸ということで、近くの病院に入院することになりました。
そこは看護士だった母が長年勤めていた病院でした。
母は私を産んだ後、家事・育児に専念するために退職していたのですが、同僚や後輩が残っており、その中の一人が総婦長さんでした。

私が無事退院する日にどういうわけか、総婦長さんの部屋に行くことになります。
総婦長さんが「優しさとは何だろう?」と自分の心の中のどこかにずっと抱えていた疑問への答えをそっと私に伝えてくれていたのです。
その時はぴんと来ませんでした。でも、総婦長さんは優しさについて私に伝えてくれるために登場してくれたんだ。今はそう思うのです。

総婦長さんのことを今も時々考えます。

総婦長さんはきっとこれまで、来る日も来る日もたくさんの憂いのある人を目の前にして、その人のそばに立つことを選択し続けたのだと思います。
しんどい時もあったと思います。でもそのしんどさや自分の憂いよりも、憂いのある人のそばに立つことを選択し続けたのだと思います。
目の前にある憂いのある人から目をそむけることなく、しっかりと見て、しっかりと向き合うことを決意して、
「おはようございます。今日はいかがですか?」と明るい笑顔で病室の中に一歩、足を進めたんだと思うのです。
それは愛だと思うのです。そして総婦長さんの姿は私の母の姿とも繋がっていきます。

「優しさは憂いのそばに立つこと。」
そこには強さや厳しさも感じます。
そこにはコミットメントがあったんだと思うのです。
それは「憂いのそばに立つ」という自らの愛を選択することでもあると思うのです。

優しさとは憂いのそばに立つ覚悟、コミットメント。
優しさとは自らの愛を選択するコミットメント。

そして私はもう一つ思うのです。
それは自分自身の憂いです。自分には何の問題もないと思いながら、自分自身の憂いからずっと逃げていた自分がいたんだなということです。
逃げないで自分の憂いのそばに立つ。自分の憂いに気づいて、そんな自分を理解する、そんな自分を愛することから始めてみる。その優しさから始めてみる。
そこを乗り越えることで、今度は誰かのそばにしっかりと立つことができる強い優しさが持てるのじゃないかと思うのです。

中学の引きずった恋愛も、バスでの思いも、そして突然の総婦長さんの言葉も、すべては繋がっていて、今の私をつくってくれている感覚があります。
やっと最近になって、高校のころに思った「優しさとは何だろう?」という疑問に少しは答えることができた感じがします。

「優しい人になってね」と、総婦長さんの声が時々聞こえています。
「優しさ」は私にとってとても特別な大切な言葉です。それは母の声でもあり、私への愛の言葉でもある。
あの時、伝えてくれて、ありがとう、総婦長さん。
「優しさとは憂いのそばに立つこと。」その言葉を胸に、今日も明るい笑顔で、私も一歩、足を進めたいと思います。

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2011年11月15日

信頼を体感する

以前、介護のセミナーに出席した時、ちょっと面白い実習があったので、それをご紹介したいと思います。

セミナーの講師の方は、実際に介護施設を経営し、現場での経験も豊富な方で、興味深いお話をきくことが出来ました。介護サービスを利用する際には、それぞれの利用者に見合ったサービスを提供するために、サービスを受ける人の身体や意識の状態、生活パターン、家族の状況などを把握するのだそうです。これを利用者アセスメントと呼ぶそうですが、このアセスメントの時点で、どれだけ詳しくその人の状況が理解できるかで、サービスの効果も左右されてくるのだそうです。

アセスメントでは、サービスを受ける人やその家族から聴き取ったこと(バーバルアセスメント)だけではなく、表情、姿勢、動作、距離感など、観察した情報(ノンバーバルアセスメント)も重要なものとなります。熟練した介護士さんは、椅子に座っている姿勢を見れば、利き手、利き足、利き身体がわかるのだそうです。

“利き身体”とは、あまり聞きなれない言葉ですが、私たちは、狭い所を通ろうとする時に身体の左右のどちらか側を前に出して身体を回転させたり、仰向けに寝た姿勢から起き上がるときには左右の肩のどちらかを先に浮かせて起き上がりますが、その動かす体側が利き身体なのだそうです。例えば、歩行の介助をする時に、介護する人が利き身体の側に立つと、動きがブロックされて介護される人は非常に動きにくくなりますし、介護する人も動かない人を介助することになるので、大変になります。

また、介護では、介護する側とされる側の“信頼関係”が大事なのだそうです。信頼関係がないと、介護される人の身体に力が入り硬直して動かしにくく、逆に信頼関係があると、介護される人が力を抜き身体を預けてくれるので、自由度が増して動かしやすくなります。

そこで、セミナーでは、“信頼”を体感する実習をやったのですが、私も実際に行なってみて、目からウロコでした。まず、自分一人で立って背中を反らせます。次に、二人一組で背中合わせになって、一方の人がもう一方の人の背中に身体を預けながら、後ろに反ってみます。どちらが、後ろに大きく反ることができたでしょうか?(みなさんも、実際に行って、体感してみてくださいね。)

ほとんどの方は、二人一組でやった時の方が深く反ることができたことでしょう。それが、その人本来の身体の柔軟性なのだそうです。また、初対面の見ず知らずの人より、よく知っている仲のいい人とやった方が、身体を預けやすく反りも深くなります。

カウンセリングの時に、「信頼してみましょう=人を頼って任せてみましょう」とお話しすることがありますが、“信頼”を身体で表現するとしたら、こんなことかもしれないなと思いました。またそれは、信頼関係が深まるほど、協力し合ってお互いが力を発揮できるパートナーシップを表しているようにも思えました。

私たちは、普段の生活の中で、気づかないうちに身体に力が入っていたり、身体が縮まっている時があります。頭を使って身体や気持を動かしているように思いますが、無意識のうちに気持が身体を動かしていることもあります。私たちの身体は、無意識に心の有り様を、表現しているのかもしれませんね。

頭と気持が一致していれば、何事もスムーズに進みますが、一致していないとストレスや身体の不調に繋がるのだそうです。これから年末に向けて、仕事もプライベートも忙しくなる時期ですが、たまには自分の身体や気持に意識を向けてあげる時間を取って、楽しい時間を過ごしたいものですね。


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2011年11月 8日

ちいさなリクエストがもたらすモノ

父が今年の初めに脳出血で緊急入院しました。
一時、家族の誰もが覚悟しないとな、と感じる場面もありましたが、父は一命を取り留め、今は元気にしております。

父が入院中、一番気になった事がありました。
それは、母の事。

毎月、父の様子を見に実家に帰った時に気づいた事がありました。
それは、母の食生活が父と一緒にご飯を食べていた時よりもさらりとした物になっていたのです。
母は、自分の事は横に置き、誰かの為に頑張ってしまうタイプです。
特に、父の為という気持ちがとても強く、いつも
「お父さんは・・・」
「お父さんが・・・」
が、口癖なのです。
毎日、朝と晩は父の食事の介助に病院に向かう毎日です。
自分の睡眠時間や食事の事はあまり気にせず、父の側に居るという毎日です。

家の中に最愛の人であり生き甲斐である父が入院して居ないといことは母にとっての家というものは、どこかぽっかりと穴があいたような感覚を持っているのかもしれないな、と娘視点で母を見る事もありました。

そこで、
『・・・母をサポートする方法ってないかな?』
と考えてみました。
そして、実家に帰省した時に“何を食べたいか”を母にリクエストするという事をしてみたのです。

それまでは、ご飯のリクエストをするのは母に負担かけるかな?と思って母の味をふと食べたいと思った時もリクエストを控えていたのです。

しかし、
「お母さんが作ってくれたきんぴらごぼうが食べたいっ!!」
とリクエストをすると母の顔がパァっと明るくなりスーパーに行くではりませんか。
そして、いそいそと台所に立ち料理をしてくれました。
その時に母と一緒に食べたきんぴらごぼうの味は今でも覚えています。
それは、嬉しさと美味しさが混じった忘れられない味でした。

そして帰省の度、何度かご飯のおかずリクエストをして行く中で、母の中からもからも私に
『あれも食べさせたい!』
『これを食べさせたい!!』
という気持ちが出てきたみたいです。
実家に帰る連絡をする時に母からも
「これ食べたい?」
と伝え作ってくれるようになりました。
私の大好物を作ってくれるので食べるときは満面の笑顔で母と食事をします。

そういうやり取りをして行く中で、普段の母の食生活もさらりとした物でなくなりしっかりとした食事をとるようになったみたいです。


普段の生活の中でちょっとしたリクエストをする事、そしてそのリクエストをしてくれた事を素直に感謝の気持ちと共に受け取る事って大切なんですよね。

相手を想ってこそのリクエスト。
お願いした相手も自分自身にも負担にならない程度のリクエストをする事、受ける事。
それはお願いした相手にとって、自分は役に立っている、必要とされているという嬉しさを感じる事になるかもしれません。
そして、お願いする方は、独りで頑張らず頼るというチャレンジをしてみたり、お願いを受けてくれたときの嬉しさを味わうステキな切っ掛けになるかもしれません。

「お願いします」
「ありがとう」

そのちいさなリクエストから産まれる想いやりの気持ちやそれぞれの想いが循環になり、生き甲斐や、やり甲斐になったりするのかもしれません。

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2011年11月 1日

こどもの心はピュアなのです

私には兄と妹がいます。
兄には3人の男の子、妹には3人の女の子の子供がいます。
兄は実家の商売を継いで、新聞の販売所をしています。

新聞の販売店というのは休みがほとんど無く、丸一日休めるのはお正月の一月二日だけです。
ふだんも朝がとても早く、午前3時前には朝刊の新聞が販売所に届き、前日に用意された折り込み広告を新聞の間に挟んでから配達します。
そして、午後3時前には夕刊の新聞が届きます。
夕刊の配達が終わると、翌日の折り込み広告の準備をします。
月末、月初めには集金もあるので、さらに忙しくなります。

私と兄の家はすぐ近所で、夕方私が 「ごはんの用意でもしよっかな~」 と台所に立つ頃玄関の方から 「チッチー(犬の名前)、ひろえ~~」 と口々に叫ぶ男児の声が時々聞こえてきます。

兄嫁が忙しいとき、そっとウチの玄関に3兄弟を放ちます。
一番上は小1、保育園の年中さん2人(下は男の子の双子です)がドタバタと入ってきて、チッチと遊ぼうとしますがチッチはこの突然の乱入者たちに若干引き気味です。

今はもう言葉が通じる歳になりましたが、もう少し小さい頃は大変でした。
「ママは今からお仕事なのでちょっと待っててね」
と言っても彼らには通じません。

兄嫁も一緒にやって来てしばらく一緒に遊んで、3兄弟を油断させます。
ママ(兄嫁)も一緒に遊んでいる、と安心し遊びに夢中になったころ兄嫁がそ~~っと仕事へと戻ります。
しばらくすると、一人が気づきます。

「ママは?」  
「あれ?おかしいな。お仕事かな?」 と、とぼけて見せるも
「マーーマーーーッ!」
火が点いたように泣き出し玄関へとダッシュ!!脱走を試みるもあえなく確保され引き戻されます。

兄嫁が仕事を終えて迎えに来ると遊んでいようが、ごはんを食べていようが、「あっ!ママーーーーッ」と3人がわらわらと兄嫁の周りにまとわりつきます。
「ボクもお仕事手伝うのに」 
一番上の子がそう言うと、下の2人も 「ボクも~」 と口々に真似ます。

『あ~、子供はやはり親を助けたいんだな~』 とそれを見てしみじみ感じます。
そして、『私もそうだったな~』 と思い出しました。

小学校4年生のとき、早朝4時頃に突然母に起こされました。

「ちょっと団地の配達手伝って」
「うん」

団地ならば、順番に棟が並んでいて各住戸にも番号がついているので、新聞を配達する号数さえ書いてある紙があれば小学校4年生でも新聞を配ることができるのです。
そんな数字が並んでる紙を渡されまだ暗い早朝、新聞の重さにハンドルを取られそうになりながらも自転車を漕ぐ少女。
階段を昇ったり降りたりしながら、1時間半程で団地の配達は終了します。
その帰り道、冬の早朝の空はまだ暗く、時々流れ星を見れたりもします。
そんなときは、流れ星が消えないうちに願い事を心の中で呟くのです。

『みんなが元気で幸せに暮らせますように!!』

誰に聞いたか、流れ星が消えないうちに3回願いを唱えないと叶わない、というのを信じていたので超早口です。

これを思い出したとき、自分でも結構びっくりしました。
我ながら、『なんて健気で、ピュアな少女!』 と感動したほどです(笑)

私が配達に借り出されるということは、私よりも先に兄(当時小6)が借り出されているわけですが、寝起きは兄よりも私の方が断然良く、そのことを褒めてもらうと嬉しく、少し得意な気持ちになります。
不思議と 「眠いのに」 とか 「面倒くさい」 とかは一切思わず、ただ当たり前のように 「よし、行こう」 と毎朝配達に出掛けていました。

カウンセリングで親子間のお話を伺ったときに、「お母さんを救いたかったんですね」 とお話させていただくことがあります。
大人になった私たちは、そんなことは普段思い出しもしませんが、子供の頃は当たり前のようになんの疑問もなく 『親の役に立ちたい、助けたい』 と思っていたようです。
正確にいうと、『親の役に立ちたい、助けたいと思っていた』 というよりは、あまりにそれが当たり前すぎて気付かないくらい無意識に願い、行動していたのかもしれません。
自分が認められたいという思いもあったのでしょうが、親のしんどそうな顔ではなく、笑顔が見たかったのだなと思わざるを得ないのです。

人手が足りなくなると、次の人が見つかるまで配達要員に借り出されることがしばしばあったのですが、そんなピュアな気持ちで配達を手伝っていたのは私の場合小学校高学年まででした。

中学生になると 「え~~ダッル~~」 と思いつつも怒られるのでしぶしぶ手伝います。
しかし、そのうちに 「幾らで?」 と金銭を要求しだします。
その要求に 「お金をもらわないと手伝えんのか?!」 と無報酬での労働を強いられます。
反抗期の娘に無理強いをすると、よけい反抗的になります。
無理強いをされなくても、反抗はしていたであろうとは思いますが。


けれど、当時を振り返ると両親も辛かったろうな、と思うのです。
冬の寒い、まだ暗いうちから子供に新聞配達をさせるのは余程人手が足りなかったのでしょう。

甥っ子たちが、ピュアな心で 「ボクもお仕事手伝う」 というのは幾つまでだろう?
甥が金銭を要求し出した時にわたしが立つのは、親の立場か?甥の立場か?
多分、甥の立場です。←無報酬を根に持っていますね^^;

因みにウチの子にお手伝いを頼むと 「500円でいいわ 」 となぜか上から目線で言われます。
どうやってタダで手伝ってもらうかという私と子供で交渉が始まります。
昔は、ピュアだったのに・・・(私も子供も)

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