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2011年10月25日

私のこと大事にしてくれないお母さんなんて大っキライ!

いきなり、とんでもないタイトルですみません。
驚かせてしまったのではないでしょうか?!

実はこの言葉、突然私の心の中にやってきて、思い浮かんだとたん、心がスッキリ軽くなったんです。

心理学では、自分癒しを進めていって、最後に残るのが罪悪感だと言われています。
多くの方の中にある罪悪感を一緒に見つめ、自分の中にある罪悪感についても日々考察を続けてきたんですね。
仕事、と言うよりも、単なる趣味でもあるんですけど。

自分の心をマニアックに見つめて行って、自分の罪悪感に深く入り込んで行って、言葉にできる範囲でわかったのは、

「私は両親の役に立たない悪い子だった」

という罪悪感と、そこからもたらされる「私は役に立つことに失敗してしまったんだから、成功できるわけがない。失敗することが私にはお似合いだ」という自己概念がずっと自分を苦しめている、ということでした。

少し詳しく書かせていただくと、以前のコラムでも書いたのですが、私の実家は、小さな食堂を営んでいました。(今も現役で営業中です♪)
そして、自営業の常だと思うのですが、私が小さい頃は、お金のことやお店のこと(メニューや接客や、新しく購入する機材の事etc…)で、常に二人が喧嘩をしていたり、困っているところをよく見ていました。

それは、正しい子供のあり方(笑)として、当時の私は両親の役に立ちたい、助けたい、そして褒められたい、という気持ちを持ちやすい環境でもありました。

小学生の2~3年生の時からお店のお手伝いをするようになったんですが、どんなにお手伝いを頑張っても、そこのことについては褒めてもらえるけど、両親の喧嘩はなくならないし、お金の問題も解決しない。
だから、私は失敗している、ダメな子なんだ、っていう意識があったようでした。
当然、その当時の私にそんな自覚はありませんでしたが、「失敗してるんじゃないか?」「自分のやり方が間違ってるんじゃないか」「正しいやり方が自分の外側にあるから、それを探さなきゃ」という変な焦りの気持ちはこの頃には既に持っていることに気がつきました。

この自己概念は私の人生の大きなパターンを作り出していました。

それは、いつもいざという時に必ず失敗する、大きな結果を出せない、というものでした。

大きいところでは、
仕事で良い評価を得られそうになったらなぜか失敗してしまう。
恋愛では、お付き合いしている彼と結婚話が出たとたん破局させてしまう。

小さいところでは、遅刻が多い(それも、1分、2分の遅刻)、なんでこんなところで?っていうケアレスミス等。

そして、この自己概念の目的は

『だから、私は愛されないんだ』

ということを自分の中で正当化することにあったようにも思います。

最近、私もアラフォーと言われる年齢になり、周りの友人たちが親になり始め、また、多くのクライアントさんと関わることで、「親側の気持ち・悩み」そして、子供への思いをリアルに知り、感じる事ができるようになってきました。

私はずっと、「目に見える形で」役に立たなきゃいけない、って思っていたんですね。

極端な話、自分が打ち出の小槌を探す旅に出て持って帰ってくることが、私のやるべきことなんだ!というくらい、荒唐無稽な助け方・役に立ち方を望んでいました。

それが、親側の方々の話を聞いていると、親は、子供に守ってもらおう、頼りにしよう、なんて考えてもいない、そんな発想もないんですよね。最初は、それは私の自己概念の土台を崩す言葉なので、あんまり耳に入っていなかったんです。
もちろん、ある程度の理性と社会性を持つ「大人」の私は、そんなの当たり前でしょ?と、頭で理解はしていたんです。
でも、私の中の「子供」の部分では全く納得できていなかったんですね。

けれど、親側の人たちが異口同音に、
子供が無防備でいてくれることが嬉しい。
無邪気な笑顔で笑っていてくれるから頑張れる。
わがままを言ってくれることで助けられる。
って、言うのを聞いたし、

ついさっきまで、八方塞がりでもう打つ手がない、どうしていいのか分からない、なんておっしゃって、下を向いて絶望的な顔をしていたクライアントさんが、お子さんの話題が出たとたん、背筋をしゃんとさせて、きりりとした顔つきで問題可決に向かおうとされる姿もたくさん見せていただきました。

そんな経験が少しづつ溜まってきたのだと思います。

あるセッションの中で、そんな風に溜まってきたものがイメージになって現れたことがありました。

それは、私の後ろに続く、たくさんの人たちの姿。
それは、ご先祖様や、その他の、今の私の礎になってきたたくさんの方々。
そして、私の前には同じように長く長く続くたくさんの人たちの姿。
それは、私の子や孫…と言う存在であり、私の色々な部分を継承してくれる後輩たち。

ずっとずっと続いていく1本の川の流れのようなもの。
その中に自分がいること。
そこにある、たくさんの言葉にならない、温かい愛情。

そういうものが、さぁっと、イメージとなって現れました。

と、同時に、「あんたらの学費稼がなあかんと思ってた時期は気張って働けたわ!」と豪快に笑ういつかの母の顔が浮かびました。

ああ、私は、私の思う方法で親の助けにならなくても良かったんだ。
自分ではわからない部分で十分親の助けになれていたんだ。

そして、私は十分に親からの愛されていたし、その愛情を遠慮せずに受取ってもいいんだ、って、どこかで許可が出たんですね。


それから数日後、散歩の途中で突然出てきた言葉が、タイトルの

私のこと大事にしてくれないお母さんなんて大っキライ!

という言葉でした。

なぜ、母限定なのか?という理由はまだ分からないのですが、

自分の自己概念を作る大きな土台が揺らいで、自分は愛されてるんだって体感できた時に、出てきた私は、とっても駄々っ子でした。

お母さん、もっと私を見て~!
私のことかまってよ~!
ぷうぷう!

って、わがままを言っている、心の中の子供の自分がいました。

自分の中にこんな自分がいたんだ、ってことがわかって、感動の涙を流す、と言うよりも、なんだか苦笑いしながらも、自分自身がとっても可愛く思えました。
そして、びっくりするくらい、心が軽くなったんです。

機会があれば、大きなぬいぐるみを買って、抱いて眠ってみようかと思います。
もうアラフォーだけど、私の心の中にいる、小さい子供のために。

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2011年10月18日

セルフイメージを書き換える

「最近の若い人はすごいよなぁ」

そんな声が、自分の中から聞こえ始めてきたのはいつ頃からだったでしょうか。
確か、アテネ五輪で競泳の北島康介選手が、見るからに"楽しみ"ながら金メダルを獲得した直後、「チョー気持ちいい」と笑顔で語った映像を観たとき、初めて明確にそう意識したように記憶しています。

だって、オリンピックですよ。
アマチュアスポーツ界の最高峰ですよ。

もし、自分が代表選手だったら(呆れ顔しないでくださいね、あくまでも仮定の話)、あんなに楽しそうに競技できないだろうし、メダルを獲った後もきっと控えめに、「ありがとうございます。まだ、信じられません。こうしてこれまで頑張ってこれたのも応援してくれた皆さんのおかげッス」みたいな発言をド緊張しながら話しただろうな、って思うのです。

その後も、物怖じせずに英語でインタビューに答えるゴルフの石川遼選手や、ワールドカップで活躍するサッカー代表を見るたびに、ホント最近の若い人は世界を相手にしても堂々としてるなって思うのです。

そんな彼らを見ていると、世界大会だからと特別視しすぎていないというか、どうも私たち世代よりも"自分と世界"との距離感が近い、そんな感じがします。

私たちにはそれぞれ、セルフイメージという「自分に対する思い込み」があるといわれていますが、
自分と世界の距離感が近いというのもこのセルフイメージのひとつかもしれません。

たとえば、「オリンピックは夢の夢、憧れの世界」というようなイメージを持っていると、知らず知らずのうちに気負い過ぎてしまったり、ここぞ!というところで硬くなって本来のチカラを出しきれない、ということもあるかもしれません。いっぽう、自分と世界の距離感が近い」、つまり世界を相手に充分戦える自分というものをセルフイメージとして持っていられれば、たとえオリンピックといえども、北島選手のように自分の力を100%発揮することができるのかもしれません。実際、世界レベルで活躍するトップアスリートのほとんどは非常に高いセルフイメージを持っていると言われています。

では、世界に通用するアスリート達は、初めからそんなに高いセルフイメージを持っていたのでしょうか?
みんな思い描いたとおりに活躍し、成功を収めたのでしょうか?

いえ、そんなはずがないことは、アテネに続く北京五輪でプレッシャーに打ち勝って金メダルを獲得した北島選手の安堵の表情を見れば明らか。
どんなに高いセルフイメージを持っているアスリートでも、むしろ、高いセルフイメージを持っていればいるほど、現実とのギャップに苦しみ、時に自信を失い、落ち込み、思い悩むことはやっぱりあるのだと思います。

そんな時の苦しみは、きっと私たちの想像を絶するのではないでしょうか。

セルフイメージを高める、ということは時としてそんな心的リスクを伴うチャレンジなのかもしれません。
けれど、高いセルフイメージを持った先駆者達の存在と彼らの活躍は、それを観る更に若い世代のセルフイメージまでも書き換えていきます。

かつて、出場することが最大関心事であったサッカーワールドカップも、何位に食い込めるか?が大きなテーマとなった現在では、サッカー少年たちの中のセルフイメージは自ずと移り変わり、世界と自分との距離感もはるかに近くなっていることでしょう。
なでしこジャパンの優勝を目の当たりにした少女達にとって、世界はもはや遠い夢ではなく、がんばれば手の届く目標に変わっているのかもしれません。

ロンドン五輪が開幕する2012年。
来年も多くのアスリートがそれぞれのベストを目指してチャレンジをされることでしょう。

それは、選手個人のビジョンを叶えるための挑戦であるとともに、それを見守る子ども達の中のセルフイメージを書き換えていく挑戦でもあるのかもしれません。


と、そんなことを考えている自分。
なんだか、すっかりおじさんのセルフイメージが定着してきているようです。

うーん。
おかしいなぁ。まだまだ若いつもりだったのに。。。

セルフイメージという「自分に対する思い込み」は、知らず知らずのうちに私たちに制限を与え、自分の限界を設定してしまうこともあります。例えは「自分はもう歳だし」というセルフイメージを持っていると、新しく何かを始めようとしたときに一歩踏み出せなかったり、そもそも新しいことを始めようと思うことすらなかったり。

以前、書店で「30代にしておきたい17のこと」という本を、70代くらいの男性が購入されているのを見たことがありますが、私たちの行動を制限するもののひとつは自らが作っているセルフイメージ。

世界と自分との距離感も、自分を制限する年齢も、セルフイメージを書き換えていくことができれば、私たちはいくつになっても今より自由に、制限のない人生を送ることができるのかもしれません。

秋葉秀海のプロフィールへ>>>

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2011年10月11日

新聞記事から考えてみる

先日、新聞にこのような記事が掲載されていました。
「離婚できる男は出世する!?」日刊ゲンダイ8月19日

内容は離婚という大変な状況を乗り越えてきたからこそ、心がタフになり、多少の困難を乗り越えられる自信がつく、だから仕事では「離婚のときのしんどさに比べれば」という気持ちから仕事で力を発揮する、結果として会社側から見て「仕事ができる男」ということになり、出世しやすくなるという趣旨のものでした。

この記事を読んで、私はふと感じたことがあります。
もちろん離婚した男性がみな出世するわけではありませんし、会社側も離婚を主唱しているわけでもないでしょう。
実際には離婚している人が増えているわけですから、既婚離婚関係なく出世の道が開かれている、と見たほうがいいのでしょうね。

ただ、離婚問題のカウンセリングなどをしておりますと、仕事ができる男性はそのエネルギーのほとんどを仕事に注いでしまって、家庭に向けるエネルギーがほとんどない状態の方が多く見受けられる気がします。
少し意地悪な言い方をすると、仕事ができるからこそ、家庭を二の次にしてしまう結果、離婚に発展してしまうことがあるのではないかと感じてしまいます。

多くの男性にとって、仕事は「自分の価値」を示すことができる数少ない表現の方法のひとつなんですよね。
しかし、女性は家庭や自分に対してどれだけ愛情をかけてくれたか、かまってくれたかが価値基準となりますから、当然ここでは男女の意見が食い違ってしまうわけです。

女性は仕事ができる男、経済力がある男を選ぶのは当然としても、その分だけ「家庭を顧みない可能性」をリスクとして考える必要があるのかもしれませんね。

では、仕事がさほどできない人が家庭を大切にするよい夫といえるのかどうか、と見た場合、やはりそれも女性の立場から見たとき、さまざまな不安や不満を持たせてしまうことになることもあるでしょう。

大切なのは、仕事と家庭のバランスと、お互いの理解ではないかと私は感じます。

仕事と家庭のバランスが取れている人は、仕事もきちんとできるし、家庭もできる限りちゃんと省みることができるわけです。
また、男性の仕事が忙しくなっても、女性がその大変さを理解し、また男性も家事や子育てに孤軍奮闘している妻を理解しておくことができれば、お互いに「ねぎらい」という形でバランスを取ることも不可能ではないと私は感じます。

夫婦という「血のつながらない赤の他人」と生活していく以上、お互いがどれだけ努力をしたかが大切なのではないかと、自分と嫁との関係を見てそう感じています。

仕事もそれなりにできる、そして家庭も大切にできる。
人間として、男性として一番評価が高いのはこのような男性ですよね。

今夫婦間、カップル間で問題を抱えている皆さんは、ちょっと自分を省みてみましょう。

自分自身のバランスが崩れていないかどうか。
そして、相手を理解しようという努力をしているかどうか。

ちなみに、パートナーに対して怒りや不満がある、というのは、バランスが崩れ始めている証拠ですから、そこから自分と向き合ってみるのはいいかもしれませんよ。

カウンセリングでいういい男は「自分の弱さと向き合える、自分から逃げない男」と私は感じています。

そんないい男に、なってみてはいかがでしょうか?

最後まで読んでいただいて、ありがとうございました。


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2011年10月 4日

誰かに腕を差し出す勇気

以前、このコラムで紹介させていただいた「仮面ライダーオーズ」が2011年8月28日で最終回を迎えました。
「正義のためなら、人間はどこまでも残酷になれるんだ」2011.3.8をご参照ください)

息子が毎週観ているので、一緒になって観ていたのですが、子ども向けとは思えない深いものがある番組で、終わってしまうのが残念に思うほどでした。

その最終回で、主人公のこんなセリフがとても印象的でした。

「俺が欲しかった力…どこまでも届く俺の腕。こうすれば手に入ったんだ」


主人公は、世界平和を願い世界中を旅して様々な人と関わっていましたが、そこで大切な人たちを救えなかったという傷を持っていました。
自分には世界を救う事はできないという挫折。

ところが、仮面ライダーという力を手に入れ、最初は無欲に戦っていた主人公にも欲望を取り戻し、終盤には、この力こそが自分の欲しかった力なんだ、と思うようになります。

でも、そうではなかったと最後に気がつきます。
この最後のセリフは、仲間が主人公を助けようと手を差し伸べてくれている時に、つぶやく言葉です。

そのシーンを観て僕は思いました。
主人公は、欲しかった力は自らが手に入れようとするものではなく、「誰かに助けを求める」ことで手に入るのだと知ったのではないかと思ったのです。
彼はずっと誰にも頼らず、自分だけの力で戦い続けようとしてきたのです。
でも、それでは限界がありました。どんな大きな力を手に入れようと、たった一人でできるはずがありません。
そのことに悩み続けていた答えが、手を差し伸べてくれた仲間の手を、自分から求めることだったのではないかと。


いつも誰かのために、一生懸命になる。
でも、いつも自分のことは後回し。
誰にも頼らないで、何とかしようとする。

これは、この主人公のキャラクターを書いたものですが、それはドラマの主人公だから、できることなのでしょうか。

それは、今、このコラムを読んでくださっている、あなたにも当てはまるということはないでしょうか。


僕はカウンセラーとして、たくさんの方とお話させていただいていますが、その中で、こうした方がとても多いように思います。
本当に多くの方が、「自分を後回し」にし、「誰にも頼らない」ような生き方をしておられるように思うのです。


「自分のことは後回し」にして、育児や家事に取り組む方
「自分のことは後回し」にして、残業やハードワークにめげずに仕事を続ける方

あるいは、
今までがんばり続けてきて、そのことで疲れきってしまい、今は休んでおられる方
期待を一身に背負って、その重圧にあえぎながら、なんとか今日までやってこられた方

どの方も、みんな「自分のことは後回し」にして「誰にも頼らない」で今日までこられているように思うのです。
そして、それは多くの場合、「誰かのために」やっていることのように思います。

親のため、兄弟姉妹のため、夫のため、妻のため、子どものため、家族のため、社会のため

もしかしたら、そんな意識はしたことがない、と言われる方もおられるかもしれません。

けれど、こうした方は、「自分のことは後回し」にして「誰にも頼らない」ことが当たり前になりすぎていて、それがどれだけ大変なことか、あるいは、それが「誰かのために」やっていることなのかどうかを、気がついていないことも多いのです。

でも、そうしたやり方では、疲れてしまいます。
そして、そうしたやり方では、誰もその人を助けることができなくなってしまいます。

その目的は、「自分のことを後回し」にすることでも、「誰にも頼らない」ことでもないはずです。
それは、「幸せになる」こと。
そのはずなんです。

自分の大切な誰かが幸せになること
そして、自分自身が幸せになること

それが目的のはずなんです。

その目的を達成する方法はこそ、「誰かに助けを求めること」なんです。

周りを見回してみましょう。
あなたを応援したいという思い、力を貸したいという思い、大切に思う気持ち、愛する気持ち。
そんな思いを持っている人がきっといます。

もしかしたら、自分では気がついていないだけかもしれません。
けれど、もう一度、自分の周りを見回してみましょう。
思いを巡らしてみましょう。

その人たちを見つけたら、その思いに応えてあげたい、それだけを思ってみましょう。
そして、ひとりの時でいいのです。小さな声で、「助けて欲しい」とつぶやいてみましょう。
それが、「誰かに助けを求める」第一歩です。

自分ではできないことも、自分一人では大変なことも、誰かと一緒なら、もっと楽にやることができます。


仮面ライダーオーズの最終回での主人公のセリフの話に戻らせてください。

最後に、主人公が言ったセリフ。
「俺が欲しかった力…どこまでも届く俺の腕。こうすれば手に入ったんだ」
このセリフとともに、主人公は、自分の仲間が伸ばしてくれた腕の中に入っていきます。

どこまでも届く腕は、自分ではなく、誰かの腕、だったんです。

誰かに助けを求めることは、実は、とても勇気のいることです。
けれど、その勇気を持った時、その力は一人分ではなく、助けを求めた人の数だけ広がります。


その広がりが世界中に広がった時、世界平和というのは訪れるのかもしれません。

池尾昌紀のプロフィールへ>>>

投稿者 cseditor : 00:10 | コメント (0)