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2011年7月26日

誇れる仕事

あらためて、カウンセラーという職業につけてよかったと思える出来事がありました。

先月の中頃に実家で「家族会議」があり、話の内容といえば昔からの問題である、
「父親のアルコールに関する問題をどうするか?」ということ。

今回は、特に母の忍耐が我慢の限界ということで、今後の離婚を含めた二人の生活をどうしていくかという踏み込んだ内容までいきそうな雰囲気の中での話し合い。

でも、内容自体は今まで一番ハードではあったけど、一番良い結果落ち着いたのではないかと思います。

なぜそのような結果を生み出すことができたのか?
それは僕が「感情的にならずに父と話ができたこと」に尽きます。
今まで、話しあいの初めは感情を抑えていたとしても、父が逃げるような発言をした瞬間から、
「またか!!」と感情のボルテージが一気にあがり、それに共鳴するかのように父も感情が高ぶり問題の解決の糸口もみえずに会話は平行線のまま。
でも今回は2時間の話し合いの中でほとんど感情的にならずに対処できました。

そうすると不思議なもので父もあまり感情的にならずに話しあいが進み、
今までに何度もお願いしても首を縦にふってくれなかったことに初めて首を縦にふりました。
それは「アルコールの問題のことで病院に行く」というもの。

お酒が好きな方ならわかるかもしれませんが、自分自身がお酒に溺れていたとしても認めたくないものだと思います。
僕も20代の中頃は少しお酒に溺れていた時期があり、当時付き合っていた妻から指摘されるたびに反発をしていたものです。
認めてしまうと自分の弱さを肯定してしまう思いもあったので。

しかし、ここまで来るのは本当に長かった(笑)

幼少期からこの問題でずっと心が痛い思いをしてきましたから。
家族の絆をとり戻したい思い、まずは僕自身が父、母、姉との関係を修復するために
向き合い、行動し、ぶつかりながらも少しずつ理解を深めました。

このような行動ができ、個々の関係が目に見えて変化しだしたのが、結果論かもしれませんがカウンセラーのお仕事を本格的にしようと思い、
10年間勤めていた会社を辞めて時間的に余裕ができたこと。会社勤めのときは通勤だけで片道約2時間かかっていましたから。

そして、様々なクライアント様と出会い、真剣に人生に立ち向かっている姿に接していると自然と「僕も頑張ろう」と毎日のように感じれたこと。
それに、クライアント様にどのようにしたらわかりやすく説明でき、理解してもらえるかと常に考える癖がついたことで、
父にもわかりやすく説明ができたことなどあげられます。

今回の出来事であらためて「あきらめずに、持続することの大切さ」を痛感しました。

何度も「なんで俺だけがんばらんとあかんねん!もうしんどいわ」と投げ出したくなったことは数え切れません。
実際にあきらめて距離をとった時期もありました。

でもクライアント様に「少しずつでも前を向けば変化するのであきらめずに頑張りましょう!」とカウンセリングで言っている僕が問題から諦めることって、
何か違うと思いません(笑)? 言葉の説得力にかけますよね。

だからいつもしんどいときは自問自答します。

「辞めるん?立ち止まるのはいいけど、逃げんとこ。僕が前を向いて頑張って成長すればクライアント様にも還元できるやん!」と。
だから、今回のことは一人で頑張ったのではなくて、身近な人やクライアント様に助けてもらってできたことだと思っています。
本当にありがとうございました。

僕自身がそうであるように、誰かが見てくれていたり、信じてくれていると思えたときに
ほんのわずかでも前に進める原動力になると思います。その積み重ねが大きな結果に繋がると確信しています。
そして僕は皆様の縁の下の力もちとなれることが誇りであり喜びです。

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投稿者 cseditor : 00:00 | コメント (1)

2011年7月19日

どんな顔が好き?

みなさんはどんな顔が好きですか?
といっても、イケメンとか美人とかそういうのではなく。

わが子が小学生だった時、ある先生が「子どもたちが冷たいプールに入った瞬間の泣きそうにも見える何とも言えない表情が好き」と話されていて、子どもたちをとても可愛がってくれるその先生らしいなと思ったのを覚えています。

子どもの寝顔ってかわいいですよね。
子どもの寝顔を見て「昼間は怒っちゃってごめんね」と謝っているというお母さんの話を聞く事がありますが、私も子どもたちが幼いころはよく寝顔に謝っていた気がします。

で、そろそろ本題なのですが
ご主人の寝顔って、いかがですか??
これを書いていて、自分でも「私ちょっとヘンかな」と思うのですが
最近夫の寝顔をみていると、ワタシ癒されるんですよ!^^
ちょとしたセラピーのような感覚です。涙が出てきて幸せな気持ちになるのです。
なんなんでしょうかね(笑)
しわもあり、しみもあり、1日中働いて疲れ切ったような寝顔だったりもするのですが
すごい癒されるのです。

よく、どんなに可愛い奥さん、優しい奥さんをもらったとしても
男性にとって奥さんはどこか怖い存在になると聞いたことがあります。
(男性がもともと潜在的に持っている罪悪感に起因するらしいです)
わたしも夫にとってきっとどこか怖い存在だよな~という自覚はあります^^;

しかし夫の寝顔を見ているとき、私の中はあったかい感情に溢れ、まるで自分がどんなことも許すことのできる大いなる母…になったかのような錯覚に陥ることがあります。残念ながら次の日になるとその気持ちはどこかにいってしまい見当たらないのですが。

子供が小さくて手がかかったり、寝る時間帯がずれるなど事情はあると思うのですけれど、私は夫婦はすぐそばで眠るのがいいかも、と思うようになりました。
というのも、あるひとが、だんなさんのそばでおしゃべりしながら久しぶりに寝たら、先にだんなさんが寝息を立てて眠り始めて、その寝顔を見て「なんか幸せだなあ」と感じたと話してくれたんです。

その話に何かを感じたので、私はさっそく我が家の寝室の配置変えをしました。その頃うちは同じ部屋で寝てはいたのですが、部屋のすみとすみに布団を敷いて、間には洋服をかけてあるポールハンガーや本が置いてあって離れて寝ていたんですね。でも、すぐそばで布団を並べて眠るために、部屋の真ん中にあった洋服かけとか、本とかを移動したんです。そうするとかなりホコリがでてきて、それを見ていたら、なんだか忙しさにかまけて、お互いに見ないふりをしてきた年月の象徴のような気がして、片づけながら涙がどんどん出ました。結局寝室を片づけることがセラピーになったという経験があります。

その話を神戸メンタルの平社長に話しときに
「その話ええなあ」と言ってもらえたのを思い出したので、
コラムに書いてみました。

今回も読んでくださってありがとうございました。

追伸:みなさんは誰のどんな顔に癒されますか?

うえの道子のプロフィールへ>>>

投稿者 cseditor : 21:00 | コメント (1)

2011年7月12日

最後にしたいこと (遺書を書いて気付けたこと)

もしも、みなさんが、あと数時間後に亡くなってしまうとしたら...
最後に何をしますか?何を思いますか?

私は、きっと手紙を書くと思います。

最初に頭に浮かんできたのは、「もう一度、あの人に会いたい」とか「あの景色を見てみたいな!」...って
そういうことが頭を過ぎりましたが、会いに行くまでに何時間もかかる人もたくさんいるし、その人達に会いに行ったら、いつもお世話になっている近くの人や家族に会えなくなってしまうし、「ああ、時間がないなあ~」って。

もしも、「あと半年や1年の命」というのなら、最後にやりたいことを一生懸命やって、何かひとつ、「これだというものを築いてみたい」とも思いますが、あと数時間なら、できることが限られていますよね。

だから、私は最後に大切な人たちへ手紙を書くと思います。
今回は実際に、遺書を書いたときのエピソードを書かせていただきますね。

■□■□初めて遺書を書いた日のこと■□■□

プロフィールにも書きましたが、私は20代前半、約2年の月日をかけ、海外を旅していました。その時、ワーキングホリデー制度を利用してオーストラリアにも1年間滞在していましたが、そこでの移動手段は、ほとんどが長距離バスでした。

でも、稀に飛行機も利用していました。いかに貧乏旅行をするかが、モットーの当時、飛行機を利用しての移動は、ちょっとリッチな気分を味わえたのです。

●ラッキーなこと

その飛行機はシドニーのキングスフォード・スミス空港を飛び立ち、ブリスベン国際空港へ向かっていました。フライト時間は長時間ではなかったので軽食が出てくるのを待っていて、私はその間、ブリスベンのガイドブックを読んでいましたが、少ししてから自分が座っているシートがとても広くてゆったりしていることに気づきました。

その時、隣にはオーストラリア人の中年の女性(キャリアウーマン風)が乗っていて、その人に 『この席、広くていいですね』 と声をかけると、その人が言うには 『ここはビジネスクラスだよ』 って

もちろん、バックパッカーの私が買った航空券は格安航空券で...

どうしてだろう?と思っていましたが航空会社によっては空席がたくさんあったり、逆に予約を取りすぎてオーバーブッキングになってしまった時などに、サービスとしてビジネスクラスに乗せてくれることもあるみたいですね。

私はその朝、ブリスベンに行くのでワクワクしていて、すごく早い時間にシドニー空港へ行ったのです。その時、搭乗券の控えを渡した受付カウンターの人に 『フライトを楽しみにしていてね』 と最高の笑顔で言われたので、何のことだろう?と思っていましたが、たぶん搭乗者の中で、私が一番最初にチェック・インしたのだと思います。だからご褒美としてビジネスクラスに乗せてくれたのかもしれませんね(^^)v

その隣の女性はいろいろと話しかけてくれました。その人は仕事で頻繁に飛行機を利用し、オーストラリア中を飛び回っていること・年に250回くらいは飛行機に乗り、その時もこれから仕事でブリスベンに行くんだと言っていました。ブリスベンの観光スポットなども丁寧に教えてくれて私も覚えたてのつたない英語でしたが一生懸命、知っている単語を使いながら、なんとか会話は成立していたと思います。

●異変!?

そして、どれくらい話したでしょうか?

はっきりは覚えていないのですが 確かその日は雨が降っていて、あまりいい天気ではなかったような気がします。飛行機が急降下したので 『たぶん、乱気流に突入したのだろう』 と思っていました。やがてシートベルト着用のサインが出て、シートベルトを着用。そこまでは、いつもの機内と変わりはありませんでした。

でも、激しい揺れが何度か続き、私自身もそのときまでに3、40回は飛行機に乗ったことがありましたが、 『かなり回数も揺れるし、いつもより揺れが激しいな』 と感じていたのです。そのような揺れが何度も続き、少しづつ不安な気持ちになっていったのです。

その時、隣のオーストラリア人の女性に 『かなり揺れますね』 って言ったら、その人も顔がこわばっていて、『もしかしたら墜ちるかもしれない』 と言うのです(><)

その人は、過去に何百回と飛行機に乗ったけれど、『今まで、こんなに揺れたことはない』 と言うのです。

それを聞いたとき、まさか?とは思いましたが、先ほどまで冗談を言いながら話をしていたその人が真剣な口調で 『遺書を書いた方がいい』 というので事態はシリアスなのだなと思いました。
私自身も今までのフライトとは、どこか違うなと感じていました。

●不思議なもので...

不思議なもので、その時、それ程、怖くはなかったのです。正直、まさかここで死ぬわけないだろう?と心のどこかで思っていました。でも確かに大きな揺れでしたし、隣の女性にもシリアスな表情で言われたので遺書を残した方がいいのかな?...って

そして、生まれて初めて遺書を書いたのです。

その時、ビジネスクラスなんかに座れてラッキーなことがあったから、その次には、こうやって不幸なことが起きてしまうのかな?そんなことを思いながら書いたのを、今でもよく憶えていますが、結局出てくる言葉は「ありがとう」なんですよね。リアルな話、揺れていて、うまく書けないということもありましたが、出てくる単語は「ありがとう」だけでした。

家族や大切な人たちを思い出しながら、顔が浮かんできた人の名前をひとりずつ書き綴り、最後にみんなに向けて 「どうもありがとう」と書いたのを憶えています。

隣の女性は一生懸命、お祈りをしていました。それを見て私も、あとは祈るだけなのだなと思っていました。それからも激しい揺れが続きましたがパニックになることはありませんでした。

だって私に出来ることは、祈ることしかなかったんですもんね(^^ゞ

●無事、着陸... そして今を大切に生きること

ただ、いくら揺れるといっても、やはり飛行機は、そんなにかんたんには墜ちないものですね。私達が乗っていた飛行機もブリスベンに近づき、少しづつ高度を下げていきました。その時、機内の多くの人達が身体を強張らせていたと思います。

私も隣の女性もすごく緊張していましたが、飛行機は無事、ブリスベン国際空港に着陸したのです。

普段、飛行機が着陸したときに拍手をする人がいますが、その時は本当にすごかったです。無事、着陸すると、みんな拍手をしたり隣の人とハグをしたり、大歓声でした。みんな同じように怖かったのだと思います。

今、振り返ってみると、あの時のことは不思議な感覚で、本当にあった出来事なのだろうか?と思うこともありますが、ただ、あの隣の女性が真剣な顔で 『墜落するかもしれない』 と言った時...

『もっと、今を大切に生きておけばよかった』 って思ったんですよね。

あの飛行機の大きな揺れは、私にそんなことを教えてくれたのかもしれません。

今を大切に生きたいですね。

土肥幸司のプロフィールへ>>>

投稿者 cseditor : 00:00 | コメント (1)

2011年7月 5日

悲しくて悲しくて、そしてその先に見えるもの

その日は、小学生の息子のピアノのお稽古がありました。私は少し体調が悪くて体がだるかったのですが、これくらいで習い事を休ませるのは残念なので、がんばってピアノの先生のお宅まで息子を送って行きました。家から少し遠いので、まだ一人で行かせるわけにもいかないのです。

ピアノの先生は、いつもどおりの笑顔で迎えてくれました。その笑顔は今まで何でも見てきたものです。なのにその日はいつも以上に、先生のあったかい優しさが、私の胸にパーンと入ってきた感じがしたのです。そして、体の不調が少しラクになったような気がしました。

その晩、息子が寝てしまった後、急に涙がこぼれてきました。

もし、もしも、あのピアノの先生のようなお母さんに育てられていたら、私はどんなふうに育っていたんだろう。毎日あんな温かい笑顔で見つめてもらって、あんな優しい穏やかな声で話しかけてもらっていたら、子どもの私の毎日はどんなに安心できるものだっただろう…。大人になった時の私はどんなだっただろう…。

その先生は子どもの心理などにも詳しくて、もともとそちらの関係で出会った方で、ご自分のお子さんたちの子育ても、自分自身が楽しみながらされていたご様子です。「自分の子どものことではいっぱい失敗もしたのよ」とおっしゃいますが、それでも、お子さんたちにとっては安心できるお母さんだったはずですし、落ち着いた日々があったはずです。

そんな育ち方と、自分の育ち方をついつい比較すると、何だかとても悲しくなってきたのです。もっとも、私の母の育ち方と比べれば、私だって母よりずっと落ち着いた環境で育ててもらったのです。だけど、本当に安心できて、落ち着いていて、というのは、もっと違う、と私は思ってきました。

だって、私はいつも本心を話すことができなかった、いつも、母に求められた「元気で問題のない子ども像」に自分を合わせようと四苦八苦していた。「お母さん、今日は一度でも笑ってくれるだろうか」、と切ない願いを思わない日はなかった。

そんな私は、本当に満たされて育ってきた人とは、きっと違う。私は「本当の愛」なんて、感覚的に知らないんじゃないだろうか。そんな私が、親子関係で辛い思いをしてきた人たちの相談を受けて、役に立てるのだろうか?辛い経験を乗り越えて、「愛される自分」を思い出すお手伝いなんてできるんだろうか?

何だか絶望的な気持ちになり、後から後から涙が流れてくるのでした。

幸いその日は夫の帰りが早く、私はパソコン作業をする夫にくっついて泣いたのでした。夫は、「何かあった?」ときいてはくれましたが、説明する元気もなく、ただただ夫の腕にかじりついて泣き続けました。夫がいてくれてよかった、と思いました。夫はずっと作業を続けていましたが、それでもそばにいてくれて、くっついていられて、そのことにとても救われたように感じました。

30分もそうしていたでしょうか。やがて、自然に涙が止まりました。そして、眠たくなり、何も考えずに眠りにつきました。

その後、不思議なことに、あの絶望的な気持ちはもう湧いてきませんでした。

そして、後日、ふとしたはずみに、「ああ、自分は愛されているんだな~」と実感することができたりして、「愛の感覚」みたいなものも自分の中に感じることができるようになりました。(そうすると、息子との関係がぐっと良くなるから不思議なんですよね(笑)。子どもは素直なもので、親が変化すると即座に反応してくれます。)

もちろん、ずっと満たされて育ってきた人が持っている「愛の感覚」と同じなのかどうかはわかりません。でもまあ、我が子に対する私の今の接し方は、自分で言うのもなんですが、あったかくて、安心感のあるものだと思うので、10年近くかけて、きっと私は「愛の感覚」をそこそこ取り戻してきたのでしょう。

自分にカウンセラーなんかできるのか?と思ったことを改めて考えてみると、「『愛されていない』と思ってしまった経験があるからこそ、クライアントさんの気持ちがわかるんだよね」「『愛されているんだ』と実感するまでの道のりにある心のワナだって、自分が経験しているからサポートの仕方が思い浮かぶしね」などと、けっこう気楽に思うことができて、しかも、むしろ自信をつけている自分がいることに気付いて、不思議な気分です。

悲しくて悲しくて涙を流したあの晩。でもその先に見えてきたものは、自分が乞うように求めてきた「愛の感覚」だったようです。あの悲しい夜は、次に進むためのプロセスだったのでしょうね。


投稿者 cseditor : 00:00 | コメント (2)