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2011年6月28日

私の応援団

カウンセラーといえども、落ち込むことがあるのです(苦笑)。
他の人との関係が上手くいかなくて、ということもありますが、もっぱら自分自身で撃沈するという感じです。
自分のことを駄目だと思ったり、何にも良いところがないなと思ったり、あるいは、自分のしていることが無意味に思えたり、役に立ってないように思えたり、人に迷惑をかけているように感じたり。
そんな気持ちになると、もう何もしたくなくなり・・・
「もう何もかも嫌になりました。でも、それは、あなたのことではなく、私の自身のことです。というわけで、何もしたくありません。夕ごはんは、帰りがけに買ってきて、自分で用意してください。」
と、絵文字も一切使わない、愛想のないメールを旦那に送るのです。
そして、寝室に行き、ふて寝するのです。

しばらくして、目が覚めると、ネコたちがベットの上に寝転がっています。
どうやら、私と一緒に寝ていたようです。
気持良さそうに寝ているネコたちの寝顔に、沈んでいた心が、ほんのちょっと緩みます。
そして、寝ぼけながら、とぼとぼと歩いてリビングへ行くと、夜勤から帰ってきた夫がテレビを見ています。
その横に、抜け殻のようにボーッとして座ると、何も言わずに、ただ黙って、私の頭を撫でてくれます。
よしよし、よしよし・・・と。ただ、ただ黙って。
そして、頭を撫でられながら、「あぁ、ネコたちを寝室によこしたのは、この人かぁ。」と、気づくのです。

ネコと旦那は、私の小さな応援団です。
彼らが、私の自己嫌悪や罪悪感を、直接、埋めてくれるわけではありません。
彼らがしているのは、「ただ傍に居る」、それだけのことです。
しかし、彼らが傍にいて、自己嫌悪まみれの私を受け入れてくれていることを思うと、「私は、このままでもいいのかな?受け入れてくれているようだから、もしかしたら、このままでもいいのかも!?一緒にいてくれるということは、私にもいいところがあるってことだから、このままでいいんだね。」と思えて、徐々に心が浮上しはじめるのです。
ラブラブで楽しいパートナーシップも素敵ですが、落ち込んでいる時、自分を受け入れられない時、そんなネガティブな時ほど、パートナーシップの有難さを感じさせられます。

現在、パートナーがいらっしゃらない方、パートナーと上手くいかない方、私たちカウンセラーが、あなたの応援団になりますからね。
共に手を携えて歩むことができるようなパートナーが、あなたの横に落ち着くまで、あなたを応援させてくださいね。


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2011年6月21日

I Love 名古屋 その2 ~仲間と共に~

最近、「いつも楽しそうだね」と言われることが多くなりました。

そう言われると、うれしいと思う気持ちと一緒に、ちょっと驚きます。

以前の僕は、そんな風に言われる事がなかったからなんですね。
そして、そもそも、心から楽しい!と思えることが少なかったように思います。

でも、確かに、今、毎日楽しいと思っているな、と感じます。
もちろん、落ち込むこともあるし、うまくいかないこともあるし、悩みだってたくさんあります。
けれど、それでも、気がつくと楽しいと思えるようになっているんです。

どうして最近、楽しいと思えるようになってきたのかと考えると、いろんな理由があるのですが、その中のひとつの大きなものは、今、活動している東海地区で、志を同じくする仲間がたくさんいるということがあると思います。


去年、僕のコラム「I love 名古屋 ~地元を愛することは、自分を愛すること~」(http://www.counselingservice.jp/column/2010/11/i_love.html)の中で、昔は地元が嫌いだったという話を書かせていただきました。

地元が嫌いなのは、自分が嫌いだったから。
自分を愛せるようになったから、地元を愛する事ができるようになり、地元を基盤に活動しようと思えた、という話です。


今から6年程前、僕がカウンセラーを目指してカウンセリングサービスの母体である「神戸メンタルサービス」のカウンセラー養成コースに入った時には、カリキュラムにある講座やセミナーは大阪と東京でしか受講できませんでしたので、大阪まで通っていました。

当時は、東海地区の受講生は少なく、また、何よりも、コラムにも書いた地元を避けたかったという思いも強く、僕自身が心を閉ざして通っていたので、東海地区の仲間というものを全く意識していなかったし、作ろうとしていなかったように思います。


最近、なぜか、その当時のことをよく思い出します。

大阪のセミナーに通い始めた当時は、何もかもが行き詰まっていた感じで、毎日が霧の中にいるようでした。

セミナーはたいてい、週末にあるのですが、土曜日の早朝に電車に乗って、一人、大阪まで通っていた時間。
そして、セミナー会場でも、たくさんの人が声をかけてくれるのに、一人心を閉ざしていた時間。
宿泊先の小さなシングルベッドで、天井を見つめていた時間。

その時のことを思うと、今でも、少し哀しくなります。
自分はひとりぼっちなんだ、という感じをいつも思っていたんだな、と思います。

けれど、セミナーに参加する間に、たくさんの人が温かく関わってくれ、そのうち友達もできて、心も開いていきました。
そのうちに、学びと癒しが進み、プロカウンセラーとしてデビューすることができたのです。


僕が学び始める前から、カウンセリングサービスの心理学ワークショップは毎月、名古屋で開催されていました。
ところが、地元に心を閉ざしていた僕は、名古屋での講座には全く参加しようと思いませんでした。
初めて、名古屋の講座に顔を出すのは、プロカウンセラーになってからのことです。

その時初めて、これまで、この東海地区を支えてくれた講師の先輩カウンセラーや地元のスタッフがいてくれたことを知ったのです。
自分が知らなかっただけで、こんな風に、地元の癒しのために努力していた人がいたんだ。
今更ながら、という思いはありましたが、
僕がこの地元を基盤に活動しようと意識することができたのは、この方達の存在が本当に大きかったと思います。

今、名古屋ではプロカウンセラー4人が活動しています。
この4人と、また、アシスタントをしてくれる地元のスクール受講生さん達とで、カウンセリングサービスの心理学ワークショップや1DAYワークショップのスタッフとしてお手伝いできるようになっていきました。

また、ワークショップに受講される方で顔なじみになっていく方も、月日を重ねるうちに、どんどん増えていきました。

大阪のスタッフや先輩講師と共に、こうした地元のいろんな人と、みんなで関わりあい、つながりあいながら、進んでいるうちに、地元を盛り上げていこう、という流れができてきたのだと思います。

僕は、『地元、東海地区の幸せのお手伝いがしたい。そして、そこから癒しを発信し、全国にその流れを伝えたい。』というビジョンを掲げています。
これは、その流れをいただいて、持つ事ができたものでした。


先に紹介させていただいた昨年11月に書いたコラムは、ちょうど初めて名古屋で「神戸メンタルサービス」のカリキュラムセミナーでもある「ヒーリングワーク」が開催された時でした。
そのコラムの最後に、僕はこんな言葉を書かせていただきました。

「今回だけでなく、これから定期的に名古屋でヒーリングワークが開催できることを、新しいビジョンに加え、この思いを胸に、『地元、東海地区の元気と幸せのお手伝いがしたい、そこから全国に癒しを発信したいという』ビジョンを改めて決意しなおした、この秋でした。」

名古屋ヒーリングワークは、今年4月に2回目が、そして、この7月2日、3日には、3回目が開催されます。
以前は、想像もできなかった、地元での開催が定期的に開催されるようになり始めています。

このワークを作るアシスタントも、地元の受講生が中心になっています。
そして、名古屋での開催を受けて、地元でカウンセラー養成コースを受講くださる方も増えてきました。
地元の、そして全国の仲間とともに、こうして名古屋のヒーリングワークのお手伝いができることを、本当にうれしく思っています。


最近、カウンセラー養成スクールに通い始めた時のことをこのことを思い出すと書かせていただきました。
その理由は、今は、あの時と違い、「地元で志を同じくする仲間がいる」ことを実感できているからだと思うのです。

そして、それこそが、今、僕が「いつも楽しい」理由だと思うのです。

あの頃のひとりぼっちだと思っていた僕は、もうここにはいません。

僕の家族と、そして、仲間達と一緒に、地元の、そして全国の皆さんに癒しを発信していきたい。

もう一度、決意した初夏でした。

池尾昌紀のプロフィールへ>>>

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2011年6月14日

義父の日記~秘めたる想い~

■僕は以前に、こんなコラムを書かせていただきました。

【僕と妻と、もう一人の父の話】

2年前に執筆したこのテキストを僕自身が読み返し懐かしみながら、今日このコラムを書いています。

そして今日、過去のコラムを完了させます。


義父が旅立ちました。

色鮮やかに桜が咲き誇る季節に、彼は風と共に天に帰っていきました。

その日、真夜中に妻から連絡があったんです。普段なら夢の中であるはずの時間に。

何故か僕は起きていました。

人は時として不思議な力を発揮することがあるようです。虫の知らせともいうのでしょうか。

今年の冬。

僕が義父と最後に会ったときのこと。

彼の体は既に病魔に犯され、体を起こすことさえ難しい。そんな毎日を送っていたんです。

見るからに痩せ衰えた義父の姿。それは必死に生きようとする懸命な姿でもありました。

傍にいて、何もできない自分を感じながら、僕はただ、今そこにいる義父の存在を感じようとしていた記憶があります。


僕達夫婦の帰郷を誰よりも待ち焦がれ、そして喜んでくれた義父。

「心配するな」そう気丈に振舞う義父。

大好きなお酒を敢えて僕の前で飲んでみせる義父。

既に彼の体はお酒を受け付けるどころか、気丈に振舞うだけの力も残していなかったはずです。

歩くだけで精一杯だったことは、家族の誰もが知っていた事実。

それでも苦しい顔一つ見せず家の中を歩き回る父の姿に、僕は愛を感じながら、同時に「彼の旅立ち」を予感しました。

「お義父さん、無理しなくていいですよ。」

その一言が口から出そうになりましたが、また飲み込みました。

「今、無理をしたいんだ。」

そんな彼の気持ちを感じた気がしたからです。


義父はどこか無頼な生き方を好む人で、妻も義母も随分苦労をしたという話を僕は結婚前に聞いていたんです。

実際に彼とあってみると、なるほどその生き方が彼の体に染み付いていることはよく分かりました。

自分の生き方を曲げられない。

自分の思いを貫き通したい。

分かっているけど、愛してるが口から出ない。

出てくる言葉は憎まれ口や、素直じゃない言葉ばかり。


だから彼は自分の思いを文字にして残す。そんな習慣を持っていたのでしょう。

随分前から義父は日記をつけていたのです。

彼が天に帰った後、その日記を読み返すと、その中にこんな一文がありました。

○月○日

・よかったこと

娘が自立し、自分の人生を歩み始めたこと。

妻が生きがいを見つけ、生き生きと毎日を過ごしていること。

・悪かったこと

俺が稼げなくなったこと。

娘に父親らしいことを何一つしてやれなかった、悪い父親であったこと。

決して誰にも口にすることのなかった義父の本音。

日常の彼の姿や言動からは想像することのできないこの想いに触れたとき。

妻も、そして義母も、ただ涙していました。

「どうして何も言ってくれなかったの?」

しかし言えない。生き方は変えられない。愛が伝えられない。

悶えるほどの葛藤の中で義父は孤独に老いと衰えを感じつつ。

最後まで家族を愛していたのでしょう。


不器用にもほどがあります。

でも、最後まで貫いたその不器用さが、いい。

今はそう感じるのです。


どこか無頼な生き方を好む人ほど、心に大きな愛情を持っているではないか。そう僕は思います。

ただ、その愛情の表現方法を知らないが故にもどかしく苦々しい思いを多々味わってきたのかもしれません。

しかし、心のど真ん中にある真心や愛は、きっといつか伝わるものなのでしょう。


・・・確かに受け取りましたよ、父上。


そして最後。

義父は僕達に最大の勇気と愛を見せていったのだと思います。

誰もが慄く死の恐怖にたった一人で向かい合い。

そして、家族の中の誰よりも先にその恐れを超えていった。

その時、彼は間違いなく勇者であった。

同じ男として、僕はそう思うのです。


そして遠い未来、僕達夫婦が天に旅立つ時がきたならば。

彼はきっとまた満面の笑みで迎えてくれるのでしょう。

「よく来たな。まぁ、あがりなさい。」

たとえ姿は見えなくとも、彼の愛はこれからもずっと続いていくのでしょう。


そう思うと、僕は今を懸命に生きよう。

そして、義父が残した最大の贈り物、妻と共に生き続けようと強く思うのでした。

浅野寿和のプロフィールへ>>>

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2011年6月 7日

上を向いて

大型連休中に、北摂(大阪北部)の山にハイキングに行ってきました。
「東海自然歩道」という道があるのですが、その道を歩いて大阪近郊の名勝や山を巡ってきました。

私は最近まで知らなかったのですが、その「東海自然歩道」という道は、大阪の箕面からなんと東京の高尾まで、実に約1,700キロメートルにも及ぶ自然歩道なのだそうで、すべてを歩くと40~50日はかかるそうです。
自分の住んでいるところの近くに、自然に親しめるステキな道が整備されていたことにとても驚くとともに、ちょっとしたお得感というのでしょうか、なんだかうれしさがこみ上げてきました。

ハイキング中、山の中で他のハイカーとすれ違うときは、どちらからともなく「こんにちは~。」とお互いに挨拶をします。
山の中で挨拶をするのはハイカーのマナーと言ってしまえばそれまでなのかも知れませんが、でも、それだけではないような気がしています。
すれ違う時にたった一言の挨拶を交わすだけなのですが、人気のない山道でお互いに挨拶をすると、なんとなく落ち着くような気がするからかなと思っています。

一人で山の中を歩いていると、山道の中に自分だけ。前後左右、周りに誰もいないということがよくあります。
スギやヒノキの木立に囲まれたハイキング道、聴こえてくるのは鳥のさえずりと渓流の水の音だけ。
それ以外の音はなく、しーんと静まり返っている。
都会の喧噪から離れて自然を味わうにはもってこいです。

それでも、道の向こうから別のハイカーが近づいてきたときは、なんとなくホッとした気持ちを感じます。
自分の進んでいる道が正しいのかどうなのか自信がないときはなおさらだったりします。
「こんにちは~」と挨拶をすることで気持ちがより落ち着きますし、ハイキング中にたまたますれ違った人に対してさえも「出会い」の不思議さを感じたりもします。


ハイキングって、ちょっぴり人生にたとえられる部分もあるのかなと思います。

地図や案内板があったとしても、やはり初めての道を進むのは不安を感じるものですよね。
人生も日々、新しいこととの出会い、未知への挑戦という場面もありますね。

地図と言っても、市街地図のように詳しく書かれているわけではありません。
自分の人生ですから、時には自分で道を切り拓いて行くことも必要かも知れません。

案内板の字が薄れていたり、少し見つけにくいところに立っていたりすることもあります。
人生の転機というのも、普段なら見落としてしまうようなちょっとした変化やサインに導かれることもあるように思います。

たまたますれ違った人にこの先の道のことを尋ねると、いろいろ教えてもらえてとても安心できます。
袖触れ合うも他生の縁、出会いを大切に、出会った人からいろいろ教えてもらえると、人生をとても楽に進んで行けますね。

進んでいる道に自信がないとき、それから道に迷いそうなとき、大切なことは何でしょうか。

それは、ひとまず「上を向く」ということなのだろうと思います。
そして、「回りを見る。」

当たり前のことかも知れませんが、上を向くことで回りの情報が目に入りやすくなります。
案内板や標識を見落とすことも減ってきます。
すれ違う人に声をかけるタイミングを失うこともなく、必要な情報を教えてもらえるかも知れません。

今回のハイキングでも、私が進んできた方向からは標識が裏向きになっているところがあって、あやうく見落とすところでした。
下を向いて歩いていたら・・・、おそらく標識を見落としてものすごい遠回りの道を歩くことになっていたと思います。

それから、ハイキングの終盤にサプライズがありました。
本山寺という毘沙門天を祀るお寺からの下山途中、私とは逆に上り坂を一所懸命登ってきたご夫婦とふと目が合ったときに、「あとどれくらいで本堂に着きますか」と尋ねられました。
「あ~、ここからだと・・・」と言いかけて、旦那さんの顔をよくみると、なんと、以前勤めていた会社でお世話になった別部署の管理職の方だったんです!!
実に11年ぶりの再会でした。

 「もしかして、◯◯会社の・・・?」
 「そう。鈴木(仮名)ですよ!どこかで見たことある人だなと思ったんだよ。」
 「やっぱりそうだったんですね!中山です!」

話をきけば、これまたお互い同じ自治会の住人で、家から歩いて10分くらいのところにお住まいとのこと。
二重のサプライズでした。

もし、どちらかが上を向かず、目を合わせることもないままだったとしたら。
今回は再会することなくお互いすれ違っていただけだったのかもしれないと思うと、上を向いて歩くことでいいことに巡り会えたと言えるのかも知れません。


しんどいとき、自分に自信がないとき、回りを見る余裕を失っているときは、ともすれば下を向きがちになります。
そんなときは、少し立ち止まって、ひとまず上を向いてみるというのはどうでしょうか。
きっと何か役に立つことや手助けをしてくれる人が目に入ってくると思います。

梅雨の季節。
日本の美しい自然を再発見したり、新たな出会いに巡り会うため、梅雨の合間を縫って自然の中へでかけようと思っています。


中山けんたろうのプロフィールへ>>>

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