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2011年5月31日

驚異の受け取り上手!?

 みなさんのご家庭では、地デジの準備は、お済みでしょうか?

 我が家の地デジ化はとっくに済んでいますが、実家の方は、今年に入っても未だ、図体の大きいブラウン管テレビのままだったので、どうするのかなと様子を見守っていました。つい先日、久しぶりに実家に帰ってみると、いつの間にかスッキリとした42型の液晶テレビに変わっていたのです。

 「ついに買い替えたんだ。いいのを買ったね。」と話しかけると、「あっ、それ、お客さんからもらったんだよ。」と、いかにもそれが普通のことのように、父が言うのです。テレビは自分で買うもの、もしくは、運良く懸賞か何かで当たるものと思っている私は、「えっ、お客さんに買ってもらったの!?」と驚愕したのです。私の驚きようをみて父は、「だって、○○さんのところの家族、親戚、みなさんをお世話しているからね。今、何か欲しいものはありますか?と聞かれたので、地デジ化でテレビを買い替えようと思っていますと答えたら、宅配便で届いたんだよ。」と、悪びれることもなく話すのです。

 確かに、父は、お客様のために熱心に仕事をしますが、仕事の対価は常にキッチリといただいていますし、特定の人に特別なサービスをすることもありません。それでも、父がプレゼントをいただくのは、よくあることなので、私もだいぶ慣れていましたが、さすがに新品のテレビには、唖然としてしまいました。

 父は、遠慮するでも、気兼ねするでもなく、素直に「ありがとうございます」と、人の好意を受け取れる“受け取り上手”なのです。一方で、私は、遠慮、気兼ね、恐縮して、人の好意や愛情が嬉しいのだけれど、抵抗を感じて素直に受け取れない“受け取り下手”な人なのです。

 では、好意や愛情を伝えたいと思う人の立場に立って考えてみると・・・。喜んでもらいたいなぁ、想いを伝えたいなぁと思いながら、それを託した物や言葉を差し出した時、相手に受け取ってもらえないと、どんな気持ちになるでしょう?残念に思ったり、がっかりしたり、伝えたいと思った気持の落ち着く先がなくなってしまい、戸惑いを感じるかもしれませんね。遠慮や気兼ねといった自分の気持よりも、相手の気持を考えるならば、“受け取ること”は、相手の気持をちゃんと受け止めるという誠実さ、相手に対する思いやりや優しさとなりますよね。

 そう考えると、“受け取り下手”の私は、いままで相手に寂しい思い、悲しい思いを感じさせてきたのかもしれないと思い、カウンセリングを受けながら意識的に“受け取る”ことに取り組んできました。以前に比べればずいぶんと受け取れるようになったかなと思うのですが、まだまだ父の足元にも及ばないようです。

 そんな実家での話を、家に帰って旦那に話すと、「やっぱ、あんどうパパ、スゲー」と笑います。笑っている旦那の顔みながら、はたと気づいたのです。ここにも、もう一人、驚異の受け取り上手がいた!!と。

 旦那は、私よりも11歳年下ということもあって、私の方が長く働いている分、家や車など、彼のものよりもゆとりのある物を所有していました。したがって、一緒に暮らすことになった時、彼の家や車を処分したのですが、私の所有していた空間に、彼は何の遠慮もなく、違和感もなく、実にすんなりと溶け込み、暮らし始めたのです。おっとり、のんびり、幸せそうにしている彼をみていると、私も、ほのぼのとした気持ちになってくるのですが、よくよく考えてみると、彼も父に負けずとも劣らない、受け取り上手だと私は思うのです。

 父と旦那の共通点を、カウンセラーの視点で考えてみると、“末っ子”ということ。『カウンセラー発!すぐに役立つ心理学講座』で根本カウンセラーが「きょうだいの心理学」というタイトルで執筆していますが、それを読むと“受け取り上手”というのも、末っ子の処世術の一つなのかもしれないなと思わされます。また、私は、そこに書いてある通りの第一子の特徴をもっています。末っ子の父と旦那に、取り囲まれていることは、人間関係のバランス上、必然なのかもしれません。みなさんの周りの人間関係は、いかがですか?きょうだいの関係性をあてはめてみると、面白い発見があるかもしれませんよ。

 かくして、私は、父と旦那、2人の驚異の受け取り上手に囲まれて、“受け取ること”を日々学ばせてもらっています。その一方で、第一子の特徴であるリーダーの資質をいかんなく発揮し、ちゃっかりと頼もしい2人に協力いただいて、楽しく暮らすことを模索しています♪

Thank you for your time.

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2011年5月24日

自立というキラキラした言葉は・・・

こんにちは、山田耕治です。この5月からプロカウンセラー2年目に入りました。
コラム初登場、よろしくお願いします。

今回、私に影響を与えてくれた人シリーズ[名もなき編1]として、書かせていただきます。
みなさんにもそんな人がいらっしゃるかと思います。名前とか覚えてないけど、なんだか印象に残るすごい発言をしてくれた人が・・・・。

その人は私が高校の時の数ヶ月だけいらっしゃった臨時の先生でした。申し訳ないことに、名前も、何の教科の先生だったかさえも覚えていません。社会だったかな。でもこの先生の風貌と言葉だけはなぜか覚えていたのです。

目がギョロっとして、髪もぼさぼさで、襟がよれよれでしらけたような紺か、緑のシャツを着ていて、何だかうだつのあがらない感じ。そう、刑事コロンボみたいな感じです。しゃきっとした体育担当の担任やスマートな生物の副担任とは、明らかに違う世界から来た感じの先生でした。

「自立なんか、くそくらえ、そんなキラキラした言葉なんか、くそくらえなんです。」その先生が最後の日にそんな言葉を残して教室を出ていくのです。どんな文脈だったかも覚えていません。「教師だからと言って、夜の街に飲みにも行くし、教師だってただの人間なんです。」そんな話もあったかな。きっと衝撃だったのだと思います。だからいまだに覚えていた。でもその時はその先生の言っていることがよくわかりませんでした。

「自立というキラキラした言葉」。確かに、私たち生徒にとって「自立」という言葉はとてもキラキラしていたと思います。一刀両断で迷いがなく、魅力的なかっこいい言葉だったと思います。

その頃の私自身、中学で、今思えば依存的だった恋に破れた後で、厳しい父親からの距離も取り始めていたと思います。高校に入り、自立というものに目覚め、憧れ、自立することを目指していたと思います。そんな状況ですから、それをくそくらえと言われてもわかるわけもなかったと思います。

その後、当然のように、所謂、キラキラした自立の階段を上っていくことになります。自分の力でやること、ひたすら勝つことをめざしていたような気がします。

高校では中学に続いて、バスケットボールのキャプテンでした。浪人時代には、予備校には行かず、町の図書館で孤高の戦いでした。大学では、故郷を離れ、一人暮らしです。サークル活動はわいわいやっていましたが、どこか距離をおき、一人で生活することに拘っている自分がいました。

そして就職。自立のパワーの炸裂です。故郷には帰らず、父とは遠くかけ離れた仕事につき、その分、「成功しなければ!」とハードワーカーになっていきます。絵に描いたような超自立です。ずっと負けないようにやってきたわけです。ここで負けるわけにはいきません。ただただ自分で立つことを目指し、どんどん一人で行っていたと思います。GWも毎日のように仕事に出かけ、正月も返上。他社に出し抜かれないこと、同僚に負けないこと、ノルマを超えること、勝負に勝つこと、結果を出すことに力を注いでいたと思います。暴走していたと今は思います。

おかげで多くの人々に出会い、多くの経験を踏むことができました。ノルマも達成し、選ばれてリーダーとなり、新人教育も任され、部長になり、部下も持ちました。役員にもなりました。結果もついてきたとは思います。経済的な自立はできていたのだと思います。そのおかげ家族も養えてきたことも事実です。でもはたしてそれが本当の自立でしょうか?

助け合いながら、支え合いながら、自分も立っていることに気づいていたでしょうか。自立というようなキラキラした言葉を使ってもう二度と傷つきたくないと人から逃げていただけだったのではないかと思うのです。競争心を燃やし、勝ち負けに拘り、孤立していたと思います。人にも厳しくなっていきます。

そして誰かに依存したい気持ちを抑圧していたのだと思います。気がつかないうちに、その抑圧された依存が、暴走をしていたのだと思います。人を振り回し、傷つけあい、疲れ果てて、夜の街に溺れ、孤独にもなりました。行き過ぎた自立から行き過ぎた依存の反動、そこには幸せはありませんでした。

折角めぐりあえた妻とも、それぞれが自分でたっていることがベースであるとの思いが強く、婚姻の籍も入れることはありませんでした。もちろん結婚式も挙げることはありませんでした。超自立の主導権争いが続き、ひどい喧嘩の毎日もありました。臨月で息子を亡くし、気づきを得るまでそれが続きます。しかもそれに気づいてからもその暴走は簡単には止まるものではありませんでした。

心理学を学び始め、夫となり、父となり、会社を退職し、カウンセラーになって、やっと、そう言えば、あの先生の言っていた言葉はこのことなんじゃないか、とわかるようになった気がします。きっと自分でとことんやってみて、やっとのことで理解できるようになったのだと思います。

「きっと自立をめざすのだろうけど、いつかは気づくだろう。だからその時にしっかり認識できるように伝えるだけ伝えておくよ。」と、あの先生はこれからの僕たちに向けて、先生なりのやり方で、真実を伝えようとしてくれたのだと思います。愛だったのだと思うのです。その時は受け取れませんでしたが私の心の深いところに確かにひっかかりました。

刑事コロンボのようなその先生の顔が浮かびます。その時は受け取れなかったこと、それはそれで仕方がなかった。でも受け取れなかった愛を受け取ることに、遅すぎることはないと思うのです。時間がかかったけれど、確実に成長した自分を感じるとともに、どこかで愛を与えてくれていた誰かがいてくれたんだなと思えることは生きるエネルギーにもなります。

会うことはないかもしれないけれど、あの時、伝えてくれて、ありがとう、名もなき先生。今度はしっかり受け取って、先生がしてくれたように愛をもって誰かに伝えたいと思います。
「自立なんか、くそくらえなんです。」


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2011年5月17日

泣きたい日もあるさ ~~笑顔の向こう~~

 生きている限り、必ずその日はやって来る。

 頭ではわかっていることですが、日々考えてしまうこの1年でした。

 病院中を、今では我が物顔で闊歩していますが、迷子になっていつも親切なクリーンスタッフに助けてもらったことも多々。
 
 これまでも、いろんな方との出逢いがありましたが、日々自分の命や時間と向き合っている方との出逢いは当然、今までになく多くなりました。

 病室に入り、手を取ったり、背中や足をさすり、思い出話や悲しみ、怒り、悔しさ、パートナーや子どもたちに対する愛情など、言葉でも、言葉以外でも(その時が近づくと、その方が多いのですが)伝えてくださった方も多く。

 「私も人を癒したい!元気になったら一緒のチームに入れてね!」

 今日から3人(上西カウンセラーと一緒に仕事をしています)でチームだよ、と話すと、満足げに優しい微笑みを。
 
彼女は、数日後に空に帰っていきました。
 
 気づいたときには手遅れで、脳にも転移があり、日々意識が低下していく中、紙とペンを、と願い、ようやく起こしてもらった身体で、1枚の紙に書かれたご家族への想い。

 その最後に「役に立ちたい」と記した方は、いつ訪れても優しい、本当に女神のような笑顔を向けてくださいました。

 時々、うまく話せないもどかしさを籠めながら、
「役に立ちたい!誰かの役に立ちたいの!」
そう、いつも話してくれました。

「次の人生でも、私(中村)のお友達になってね。」
と話した1時間後に、家族に見守られ帰っていきましたが、もう苦しくなくなった身体に会うことが出来ました。

 「よくしてもらって、ありがとう。でも僕にはもう時間が・・・。」

 同世代で、仕事と奥様をこよなく愛された男性から聞いた最後の言葉です。

そろそろ、妻と二人で色んなところに旅をしようと考えていた矢先、と悔しげに話された方は、この方以外にも何人かおられ、言葉を失ったことが何度かあります。

年は私よりも20も上、でも、入院直前まで働いていた素敵な女性は、コスモスが大好きで、コスモスの花畑の写真を、緩和ケアチームの仲間で部屋に飾ってあげました。

「こんなふうに(病気に)なる前に、友達になりたかったわ。」

そう言ってくれた彼女は、転院先のホスピスで彼女らしく、凛とした最期だったようです。

夕飯の時間に、訪れるようになった男性は、研究職の仕事の一線を退く頃に発病。家族・親族が毎週集まり賑やかな病室でした。

夕飯時に訪れる理由は、奥様が帰ってしまわれるということと、ご飯が食べられないから、と言う理由。時に、「あんたら、食べていきなはれ」と勧める気前のよさ。

意識が遠くなっても、しっかり聞こえていて状況がわかっていることを教えてくれたのはこの方。

水分を含んだ綿棒で、唇を湿してあげるのですが、奥様の時だけ、噛み付くんです。その様子に、病室は和やかな時間を持てたといいます。

まだ若く、幼い子どもと多忙なご主人がいる女性は、病気が身体の元気を損ねていても、それに負けない美貌の持ち主。

ある時こう言いました。

「私、今まで幸せすぎたのよ。あの人と結婚できて、子どもも持てて。一番の幸せは、あの人と結婚できたこと。」

 段々弱ってきて、急に状態が悪くなったのは、単身赴任のご主人がまた戻ってしまった直後。

 リザーバマスクの下からこちらを向いて
「中村さん、私全部聞こえてます。全部わかってます。」
「わかったわ。私たちには返事しなくてもいいよ、わかったからね。」

 小さくうなずいた彼女。

ご主人が到着した時には私も近くにいたので、ご主人に手を握ってもらい、話しかけてもらいました。躊躇うご主人に、
「結婚できたことが一番の幸せ、とおっしゃってましたよ。」
と。

 「俺や。わかるか?おるぞ、一緒におるからな。お前の言うてること、ようわかる。」

 話せなくなり、瞬きする力もなかった彼女の目から涙が一筋。ご家族の時間を、と退室した直後に彼女は最期の息を終えました。
 
一生懸命覚えた、折り紙のくす玉。
「はい、赤いのと青いの作ったよ。喧嘩しないでね。」

上西と私に一つずつ。時間をかけた小ぶりのくす玉を残して、帰っていかれた方は、病気の増悪の自覚が、女性としては若い男性医師に伝えにくいところにあり、一番最初に相談してくれました。

会いに行くたびに、冗談を言ったり、闘病仲間と過ごしていた陽気な女性でしたが、自分の身体のことはよく解っていて、主人は母親と妻をがんで奪われることになる、と。

美味しいものを提供するお仕事の、40代の男性は、食べ物とお酒の話で盛り上がりました。むくみがきつくなった足のマッサージをしながら、
「中村さん、結構イケるくちなんでしょ?」
なんて話してたのですが、
「俺にとって、食べられることが生きること。」
と言う気持ちが強く、亡くなる日までアイスを口に入れていた彼。

一旦は、あまり出入りを好まなかったある女性は、徐々に弱っていった頃、ちょっとしたハプニングが起こりました。

痛みが止まらず、鎮痛剤を出してもらうのに手違いがあったのか時間がかかり、薬が届くまでの間(1時間ほどでしたが)ご一緒させていただいたんです。

「あなた、この人が命を助けてくれたのよ!」
と、ご主人に。

そんな、おおげさな。

でも、それくらい痛みで苦しかったらしく、一緒にいることがよほど嬉しかったようです。
 
 私が今いるところは、人間の真理である、「生まれたからには必ず死が訪れる」ということを、感じ続ける場所。

 私は、ここにあげ切れなかった(わずか1年ですが)方たちからも、生きることのメッセージを、バトンのように受け取ったような気がします。

 帰っていくときは一人ではあるけれど、誰かそばに来てくれることが、一人じゃなくなるんじゃないか。

 自分を忘れないでいてくれることを、感じられるんじゃないか。

 ようやく、そんなことを実感しています。

 「私ね、オードリー・ヘップバーンが大好きなの。彼女みたいに、自分に関わった人がみんな仲良くしてくれると嬉しいと思うのよ。」

 そう話した彼女は、同世代でバツイチ、子どもが二人、と言う共通点がありました。でも、彼女は素敵なご主人と再婚し、幸せそうに見えたのですが、やはり、葛藤はあったようです。

 彼女の息子さんに、ヘップバーンの話をしたら、そばにいたご主人が、いつもそう話してた、と。
 ご本人はもう意識がない状態の中でのことでした。

 次の日、娘さんも来られており、やはりその話になったのですが、「義理のお父さん」に当たるご主人との対話が出来たとのことでした。

 人は、人とともに生きています。生まれたときから、それがどんな状況であったとしても、誰かいなかったら、今、こうして生きてはいないんです。

 そして去るときもそうであってほしい、と私は思うようになりました。

 自分は一人でもいいや、って、思ってたんです、ずっと。周りだってすぐに忘れてしまうだろう、って。

 でもそうじゃないんだな。

 少ししか会えなかった方も、残念ながらいるのですが、それでも私たちはよく思い出し、あんなこと言ってたね、なんて話すこともあります。

 面差しが似ている方をみて思い出すこともあります。

 記憶、と言う記念碑がまた一つ増える。出逢うということは、そういうことなんだと思います。

 たくさんの笑顔。思い出話。触れ合った数だけあるのだと思いますが、人生最後の本音を聞かせていただくことも。

 笑顔をたくさんくれた方への感謝とともに、その向こうを、私は想い続けることにします。

 私も、長年コラムを書かせていただきましたが、休会させていただくことになり、コラムの方もお休みとさせていただきます。

 ご愛読戴きありがとうございました。


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2011年5月10日

湯布院のあぜ道

 僕がカウンセラーになろうと思ったのは、以前に務めていた会社で仕事に完全に行き詰まってしまい、仕事を辞めようと考えた時が始まりでした。

 心理学を学んだ今から思えば、仕事を辞めようと思ったのは、当時の仕事から逃げたかったからだと思います。

 でも、その頃の僕に、それがわかるはずもなく、当時は本気で仕事をやめて、新しい何かをはじめるんだ、と思っていました。
 新しい何か、というのがカウンセラーになることでした。
 でも、ただ漠然とカウンセラーになりたい、とだけ思っていて何も目処が立っていませんでした。

 そして、仕事を辞めるという話を奥さんにしたのもこの頃です。
 その頃、僕たち夫婦には子どももいなくて、奥さんと共働きでした。
 そのことも理由だったのでしょう。
 反対されるかと思っていたら、いいよ、とあっさり賛成されて、拍子抜けしたことを思い出します。
 実は、当時の僕の不安定さや苦しみを毎日、直に見ていた奥さんにとっては、「いいよ」と僕の気持ちを受容するしか、方法はなかったのだと思います。

 そんなさなか、僕たちは「湯布院」に旅行に行く事にしたのです。

 なぜ、湯布院だったのか、覚えていないのですが、せっかく旅行に行くのだから、遠方でゆっくりできる素敵なところに行きたいと僕は考えていました。
 湯布院には行ったことがなかったし、雰囲気と温泉のよさをみて、僕が目的地を決めました。

 今から思うと、できるだけ地元から離れて、現実を感じさせないような場所に行きたかったのでしょう。
 それくらい切羽詰まっていたし、その当時の自分を取り巻く状況から離れたかったのだと思います。

 さて、湯布院に到着して、いろんなお店を見て歩いたのですが、その中で、たまたま入ったお店の人と仲良くなりました。

 その人は、地元で昔からお店を開いている方で、なぜか話が盛り上がりました。
 その方から「本当の湯布院の良さは、繁華街にはない。少し離れた何もない自然のあるところを歩いてみて。それがこの町の昔ながらの本当の良いところだから」と言われました。

 そこで、僕たちはにぎやかな街を離れたところを歩くことにしたのです。

 しばらくして、僕たちは、一本の田んぼ道を歩いていました。
 ちょうど稲が穂をつけて、収穫を待っているときで、そこを何も考えずに二人並んで、ぼんやり歩いて行きました。

 人が誰もいない、どこまでも続く田んぼ道でした。

 風が頬を触れて通り過ぎ、頭を垂らした稲穂が金色に輝き、空はどこまでも青く。
 
 そのうち、なんだか、金色の稲穂に包まれているような気持ちになりました。
  
 稲穂に包まれているような気持ちのまま歩くうちに、何を悩んでいたのだろう、そんな不思議な感じがしてきました。


 何かに行き詰まったり、大きな問題に直面したりすると、人の心はそのことで一杯になってしまいます。

 そんな時に自分が欲しいのは、当然なんですが、抱えている問題を解決する方法なんですね。

 人の心をコップに例えるなら、そうした状況の時、心のコップには水が一杯になってしまい、今にもあふれそうな状態になっているようなものです。

 そんなあふれんばかりの余裕のない時には、いろんなアドバイスを聞いても、アドバイスすら受け止める余裕がないことがあります。

 そんな時には、解決方法の前に、あふれそうになっている、その余裕のなさを少しでも減らすことが効果的なことがあるのです。
 心のコップの水を減らしてあげると、減った分だけ、心に何かを入れる余裕が生まれます。
 その余裕が、何か現状打破のヒントを思いついたり、誰かのアドバイスを受け止めたりする力を生みます。

 行き詰まった時こそ、自分の心をリラックスさせることに意識を向けてみてください。

 リラックスする方法には、「自然に触れる」「音楽を聴く」「お湯につかる」「匂いをつかう(お香やアロマ)」「掃除をする」など、いろんな方法があります。
 今回は、何もなくてもできる、簡単なイメージを使ったやり方をご紹介したいと思います。

  目を閉じ、深く深呼吸をくり返します。
  息を吸う時にはキラキラした空気を吸い込むようにイメージしてください。
  息を吐く時には辛い思いが出ていくようにイメージして吐き出しましょう。
  
  次に自分の体を光のカーテンが包んでいくようにイメージします。
  温かくて優しい光のカーテンが、あなたの身体を包んでいくところをイメージしてみましょう。
  しばらくの間、ただ、その温かくて優しい光のカーテンに包まれ続けてください。

  自分のタイミングで、元のところに戻って行きます。
  深く深呼吸をくり返し、ゆっくり目を開けましょう。

 心をリラックスさせ、余裕をもたせることで、今まで自分がどれだけがんばってきたか、を知ることにもなります。
 今までこれだけがんばってきた自分をほめてあげましょう。

 こうしたことができると、今までより少しは余裕を持つ事ができます。


 湯布院のあぜ道で、僕が体験したのは、これと同じ事だったように思います。

 あのあぜ道を、何も考えないで歩いたことが、旅行から帰ってきた僕の心に少し余裕を持たせ、結局は仕事を辞めずに働き続ける事ができました。

 そして、実際にカウンセラーになるために行動を起こそうと思いました。
 大学院を受験する方法を調べたり、「カウンセリングサービス」の母体である「神戸メンタルサービス」のカウンセリング養成スクールのパンフを取り寄せたり。
 思い悩んでいるだけでなく、具体的に動き出したことが、今の僕を作るきっかけになりました。

 もしかすると、あの時、湯布院のあぜ道を歩いていなければ、今の僕はなかったかもしれません。

池尾昌紀のプロフィールへ>>>

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2011年5月 3日

大切なのはコア。

この頃、コアトレにはまっています。

ご存知の方も多いと思いますが、コアトレとはコアトレーニング、ここでいうコアとは腹筋など体の幹の部分つまり胴体のことで、コアトレというのは、その胴体の筋肉を鍛えるエクササイズのこと。

いわゆる筋トレとは違って筋骨隆々なボディを作るのではなく、「くびれを作り美しく体を引き締める」という効果が注目されて女性誌でも話題になってました。

そんなコアトレを始めたきっかけは、知人のパーソナルトレーナーから、「最近ちょっと身体のバランスが崩れてません?」と指摘されたことから。彼曰く、私の身体は前後左右、姿勢のバランスが崩れていて、運動のパフォーマンスが落ちているのだと。もともと姿勢が良くないことを自負する私にとって、それは特段驚くべき指摘ではなく、またアスリートでもないので運動のパフォーマンスにこだわりもないわけですが、「大切なのはコアですよ。コア(体幹)を意識して、崩れた身体のバランスが整うと、日常生活も変わりますよ」と言われ、「それじゃあ」と始めてみたわけですが、コアトレを始めて以来すこぶる身体の調子がいいのです。歩く、ただそれだけを取り上げてみても、以前よりどうも疲れにくいようなのです。

そういえば、あらゆるスポーツで大切なのは「腰」と言われますが、その腰を支えるのは体幹の筋肉。
体幹を鍛え、コアを意識することで、腰が安定して理想的な体の動かし方ができるようになるのかもしれません。

大切なのはコア。

中心を意識すると身体が安定して活動のパフォーマンスがあがる。

これって、身体に限らず、私たちの心にもあてはまりはしないでしょうか。

「ブレる」。気持ちが定まらない、心が決まらない様子を近頃ではそんな風に喩えますが、私たちの心は本来、いつもどこか曖昧で揺れ動きやすいもののように思います。悲しい、
うれしい、腹が立つ。感受性が豊かであればあるほど、心の中は大忙し。
泣いたり、笑ったり、怒ったり、小さな子どもは赴くままに感情を表現しますが、大人の私たちはそういうわけにもいかず、知らず知らずのうちに素直な気持ちを心の奥に押し込んでいるのかもしれません。

最近、思いっきり笑ってますか?
最後に涙を流して泣いたのはいつですか?

素直な気持ちを言葉にして伝えたり、表現したりしていますか?

いっぽう、なぜかイライラする、怒りっぽい。
何につけ興味や関心が持てない、ってことないでしょうか?

心が揺れるというのは時に苦しく、不安なもの。
けれど、揺れる心や感情を無理に押さえ込んでばかりいると、
鬱積した感情がイライラを引き起こしたり、怒りっぽくなることも。

喩えるならそれは、いつ爆発するかわからない時限爆弾を心の中にセットしているようなものかもしれません。

少し前に、クライアントさんから「カウンセラーさんは怒ったりしないんでしょうね?」と、そんなご質問をいただいて驚いたことがあります。なぜ驚いたかというと、以前の私といえば、いつもイライラして誰よりも怒りっぽく、職場では後輩や部下に怒鳴り散らしていたから。

確かに、今の私はイライラを募らせて爆発したり、無闇に怒りを誰かにぶつけることをしなくなりました。じゃあ、怒ったりしないのか、というともちろんそんなことはなく、以前と比べてもむしろ今の方が怒りを感じる機会は多いくらい。

けれど今は、腹が立つこともそのまま素直に感じて抑えようとしない分、心の中に時限爆弾をセットせずに済んでいるようです。

うれしい、悲しい、腹立たしい
そんな感情を、抑えたり、切り離したり、なかったことにしたりしない。

大切なのは、コア。

身体のコアとはぶれない胴体・体幹のことですが、ゆらゆら揺れ動く私たちの心にもコア(核)があるとしたら。
それは、「今、この時に感じている素直な気持ち」ではないでしょうか。

コアトレーニングを通し、コアを意識することで、理想的な体の動かし方ができるように、心のコア「今、この時に感じている感情」をありのまま感じることで揺れやすい心も安定して、
より豊かに感情を感じることができるのかもしれません。

多忙でストレスフルな毎日は、身体だけでなく心もアンバランスになりやすいもの。
時には心のコアに意識を向けて、本来の自分に戻る時間を持つことも大切なのかもしれませんね。

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