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2011年4月26日

36年目の出会い

3月半ばに本州の一番端にある山口県に行ってきました。山口県といえば幕末が好きな人からすれば、特別な場所として感じる人もいるかもしれません。
かつては長州と呼ばれ、吉田松陰、伊藤博文、桂小五郎、高杉晋作やその他の様々な人たちが自分達の未来を信じて戦い明治維新に向けて突き進みました。
僕も歴史の中でも特に幕末が好きなので過去2回、山口県に足を運びました。そして今回で3回目となります。
ですが、今までとは目的が違いました。
今回は母方の本家のお墓参りがメインです。
僕は今まで一度もお墓を参ったことはなく、母自身にもお墓参りをしない事情を聞いても積極的な答えが返ってくることはありませんでした。ただ「本家と祖父に色々あったから」と言うだけです。母にしても30年以上前に1度おまいりをしているだけでした。
そもそも僕がお墓参りをしたいと思ったのは
「両親のことで過去を含めて詳しく知りたいから」が原点になります。
カウンセラーの仕事を初めてから常に自分の感情と向き合う癖がつきました。そのたびに自分の原点に両親という存在が大きく影響をしているなと感じています。
そして「両親のことを知るには祖父母やさらに先祖を遡ることでわかることもあるのではないか?」と考え、その一つの流れの中で今回のお墓参りもしてみたいと思うに至ります。
僕が両親から影響を受けているように、両親もまた僕からいえば祖父や祖母からの影響を受け、祖父や祖母も曽祖父、曾祖母の影響をうけて育っているわけですから。
そして、その場所の行き雰囲気を感じることで祖父や曽祖父や先祖の気分に浸れたらなと思いながお墓参りに向かいました。
そして現地に着き、本家のお墓には親戚の方に案内していただきました。お会いするのは初めてでした。そこで少しお話を聞き、自分が調べたことと総合していくと今まで断片的な情報だったのがジクソーパズルを組み立てるように色々なことがわかってきました。

僕の先祖のお話は平安時代まで遡り、学問の神様で有名な菅原道真に関係しています。
「菅原道真が福岡県の大宰府に都落ちするときに、一緒にお供としてついていった」
という話を昔に母から聞いていたので、この部分を軸にまずは考えていくことにしました。

① 家にはそれぞれの家紋があります。母方の家紋は梅紋といい加賀で有名な「前田家」も使用しています。そしてこの前田家は菅原家の子孫として称していました。また天神様といえば菅原道真を指しますが、ここの紋も梅紋を使用しています。

② 祖父の家には牛の置物が沢山あり不思議に思っていた記憶があるのですが、牛は天満宮では神使といい神の使いとしてあがめられています。

③ 祖父が住んでいた所の目の前には天満宮があり小さいときに祖父の家に遊びに行く
たびに御参りしてました。

④ 山口県は大宰府のある福岡県の隣にあり、その山口県の防府という所に日本で一番古いと言われる防府天満宮があります。

⑤ 曽祖父が国学者で過去に京都の大学で学長をしており、その他の親戚の方々も学者肌の人が多かったようです。

もちろん推測な部分もありますが僕としては満足できる内容でした。
この様に調べていくうちに今までは無関心に近い存在だった母方の先祖がすごく近くに感じ、母のいじっぱりな部分や性格や趣味や色々な部分が祖父や曽祖父や地域の影響もあって作られていったものではないかとわかり、それが当たり前だと思って育ってきたこと母が僕にしてきたのだとあらためて納得できました。
この調べたことを母に伝えると非常に喜んでくれています。母もまたこの様なことは全然知らなかったからです。

そして僕はこのお墓参りをしたことである計画を立てやすくなりました。
それは以前から練っている
「家族旅行」
ということです。
父、母、僕、妻の4人で計画しています。そしてその口説き文句は
父には 「おかんの故郷を詳しくみてみーひん?前から興味あったやん」と口説き
母には 「お墓参りしたいやろ?」と口説き
僕と妻は案内役として同行です。

家族旅行に良い思い出のない僕はこの旅行を一生の良い思い出にしたいと思っています。
父と母には夫婦一緒の旅行というものの良さを思いだしてもらいたいと思っています。
妻にはその姿を見届けてもらいたいと思います。
僕がどのような過程をたどってこの様な気持ちや行動に至ったかということをすべて知っているので、その集大成としてもう大丈夫だと安心させてあげたいと思います。
おそらく時間的にも体力的にもこれが最初で最後の家族旅行になりそうです。
必ず実現をして、共通の思い出を作るつもりです。
それが両親と息子とそして嫁いでくれた妻との記憶の繋がりであり僕たちが一番求めているものですから。

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2011年4月19日

ビッグマザー、そして愛だけが残る

こんにちは、三島桃子です。
いつもコラムを読んでいただいてありがとうございます。

こちらのコラムには時々母のことを書かせていただいています。母への思いの変化は、私自身の内面的な成長のプロセスの記録にもなっていると思います。(コラムのページの右にある、執筆カウンセラー一覧の名前をクリックすると、私がこれまでに書いたコラムを読んでいただけます。)

母親の存在は、人にとってやはり大きなものなのだとこの頃実感しています。おなかの中にいるころ、私たちはへその緒でお母さんとつながっていました。その頃の母子は文字通り一心同体、お母さんの置かれている状況や、お母さんの感情を、赤ちゃんは共有していると考えた方が自然なように感じます。

その後生まれてからも、多くの場合は生みの母にめんどうを見てもらいます。母乳を飲ませてもらい、おむつを替えてもらい、抱っこしてもらい…。その時も、へその緒は切れたとはいえ、赤ちゃんにとってはお母さんは自分と切っても切り離せないもの、お母さんの存在が自分の命を守っているのですから、お母さんは自分の命の一部です。

そうであれば、お母さんの状態には敏感にならざるを得ません。自分のおなかが空いて不快になることも、お母さんの元気がなくて心配になってしまうのも、赤ちゃんや小さな子どもにとっては同レベルの話なのかもしれません。

それでも成長とともに、私たちは自立していき、少しずつ心のへその緒も切れていきます。でも、この心のへその緒は、最後の最後まで、細いけれども確かな強い絆として残るのではないかとも思うのです。そんな人間は母親の他にはあり得ませんから、やはりお母さんは特別な存在なのではないでしょうか。

でも、お母さんに対して複雑な思い―愛されていないという気持ち、憎しみ、嫌悪感など―があると、この絆が見えなくなったり、絆の存在を否定したくなるのではないでしょうか。あの人とのつながりなんてないんだ、つながりなんかない方がいい、つながりなんかいらない、そんな気持ちになるのではないかと思うのです。

実は、私自身がそうだったのです。ほんの少し前まで。

いいもんね、別に。お姉ちゃんの方がかわいいんでしょ。人間だからそういうこともあるでしょ。私なんか、やりにくい子って思っているんでしょ。私の気持ちなんかわかろうとしてくれないもんね。

そんな気持ちを感じると、母から生まれたということも認めたくない気分になっていました。へその緒でつながっていた?なんかやだ。あの人のおっぱいをもらった?うえー、なんか気持ち悪い。

正直、そんな感覚をずっと持っていました。自分も我が子におっぱいをあげたし、息子に将来そんなことを言われたら、きっとぐさっときてしまいますが…。

でも、私の体には、心地よくおっぱいをもらっていた記憶がしみついているのです。これも長年認めたくないことの一つだったんですが、私は眠たくなってトローンとしてくると、何と今でも、おっぱいを吸う時のちゅうちゅうを口の中でやってしまうのです。そうすると安心して、心地よくなるのです…。これ、多分一生変わらないと思います。

きっと安心して、心地よさを感じながら母のおっぱいを吸っていたのでしょうね。

10年ほど前、私自身がカウンセリングのクライアントの立場でした。カウンセリングを受け始めた理由は何と言っても母のことでした。当時の私はカウンセラーさんに毎度毎度「お母さんが…」と泣きながらうらみつらみを話していました。週に一回、約1年間。話して話して、それでも尽きず、2年目は月に一度ぐらいでしたが、母が、と話し続けていた私。

そんな自分の姿を、今、遠くから眺めると、そこにいるのは子どもの私です。「お母さん、お母さん」と、迷子になって母親の姿を求めてさまよう不安いっぱいの子どもが見えるのです。

そして、今も、こうやってコラムに母のことを何度も書く私。

どうでもいい人であれば、こんなにこだわるわけもありません。どうでもよくないんです。大切なんです。母の子どもとしての私は、やっぱり「お母さん大好き!」なんですね。

そのことを抵抗を感じつつも認め始めると、心の中で不思議なことが起きるようになりました。

長年私の中にあった私を責めるような(と私が感じていたのですね)母のきつい目が、「私は苦しい」ということを訴える悲しそうな目に変わり、そしてその下に、私を生んだ喜びを感じている母の目が見えるようになりました。

また、私の心の中にだだっぴろく広がる空間が見え、そこにたくさんの母の象が立っているのが見えてきました。その多くは、体調が悪くて不機嫌な母、八つ当たりできついことを言う母、私の気持ちをわかってくれない母など、私を愛してくれていると思えない母の姿でした。でもその中に、数は少ないけれど、体調がいい日に優しかった母、おやつをたくさん作ってくれた母、帰りが遅くなった私を途中まで迎えに来てくれた母もいます。

そしてそこに、優しい風が吹いてきて、私を愛してくれないと思っていた母の姿は、砂の城が崩れていくように、風に吹かれてさらさらと消えていくのです。そして後に残るのは…私を愛してくれた母の姿だけ。

優しい風は、私が認めることにした母への愛。その風に吹かれた心に残るのは、私に向けられた母の愛。

「私は愛されない子なのだ」と誤解し、その誤解の上に積み上げられた「私を愛してくれない母」の姿。誤解が幻想であるならば、その誤解の上に積み上がった母の姿もまた、幻想だったのかもしれません。

そこまで考えが至った私ですが、煩悩の多い人間のこと、ふとしたはずみで、これまで見ていた幻想が再びよみがえることもよくあります。愛ではない風が吹き戻してくると、「愛してくれない母」の象も、うっすらと影を取り戻します。

でも、影以上に濃い姿にはならないようです。そしてすぐ、また優しい風が吹いてきて、影たちは静かに姿を消します。

母は、子どもにとってビッグなもののようです。どんな母も、我が子にとってはビッグマザーなのです。でも、そのことを母親自身が知らず、母である自分を小さく扱ってしまった時、母親としての愛を上手に表現できなくなるのではないでしょうか。

う~ん、書いてから気付く。母もそうだったのだろうと。さらに気付く。私も我が子に対してそうなっていることがいかに多いかと(苦笑)。

私もしっかりと心に刻みたい。自分はビッグマザーなのだと。


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2011年4月12日

話すということ

先日友達と電話で話をしていた時のことです。
その友達(以下彼女と書きます)が「実は、聞いてほしいことがあるんだけど今話しても大丈夫?」と言ってきました。
彼女の話を聞いていくと、人間関係でとても疲れてしまっているとのこと。
職場の人間関係で気持ちが落ち込んでいるらしいのです。
時間に余裕もあったので、私はただただ詳しい話を聞いていきました。彼女は話に出てくる人たちに気を遣いながらも「でも私はこう感じた」と自分のその時の気持ちをいろいろしゃべってくれました。
すると、ある程度話した時点で
「あ~なんだか楽になった!ありがとう。」と彼女が言いました。
そして続けて「・・・でも私、・・・職場のことではもう悩みたくない!
このことでエネルギーを使うなら、もっと他のことにエネルギーを使いたい!」と明るく言い放ち、くすくす笑い出しました。
その瞬間私も笑って「ははは、そうよね。」と、気分が入れ替わる感じの楽しい気持ちになりました。そうなんですよね。「ま、いっか」と思えたら気持ちは楽になります。

話す前の彼女は、かなり多忙な生活の中で心身共に疲れていて気持ちに余裕がなくなっていたようです。本来の彼女らしさである自由さや無邪気さがどこかへ消えてしまい、「こうしなければ」「こうであらねば」という考えにとらわれているようにも見えました。「こうしなければ」と考えるのは、彼女が真面目で他人を思いやっているからに他ならないのですが、苦しくなるほど我慢する必要もないように感じました。

そして、「他のことにエネルギーを使いたい!」と言った彼女からは本来の彼女らしいお茶目なエネルギーが感じられました。

東日本での地震があり、彼女は被災地在住ではないものの、普段の生活がずいぶん変わってしまい、それに仕事の忙しさが加わり疲労困憊しているようでした。それは彼女だけではなく、一緒に働く人たちも同じだったのかもしれません。いま日本中の人たちが何らかの痛みをもち、それでもなおかつ頑張っているような気がします。

新聞に載っている専門家の意見や、様々なところで見聞きするのが、
「こんなときこそ、人とつながりましょう。コミュニケーションをとりましょう」という言葉です。
人に自分の悩みを話す時、一見自分が相手にお世話になるかのような印象がありますが、本当は聞いているほうも助けられていることが多いのかもしれませんよ。今回の彼女との会話で、「そうよね。私も悩むことにエネルギーを使うより、もっと周りも自分も元気になれることにエネルギーを使おう。」と思えたんです。
こちらこそ、ありがとうね、なのです。
(友だち本人の了承を得て書かせて頂きました。)

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2011年4月 5日

頼ってもいいですか??

こんにちは。吉見太一です。

今回、こうしてコラムを出させていただく事になりましたが、その書いているさなか、とてもショッキングな災害が起こりました。
改めて、東北地方太平洋沖地震により、被災された皆様には心よりお見舞い申し上げます。

地震と津波、そして原発事故と、TVやネットでの映像でしか拝見できませんが、少なくとも阪神大震災を経験し、ライフラインを絶たれた経験をした私としましても、非常に心が痛みました。

1日も早い復興を願うばかりです。

先日、近くの図書館に立ち寄った際に、

『助けてと言えない いま30代に何が』    (NHKクローズアップ現代取材班:編著者)

という本を見つけました。

もともと、TVで放映されたものが本になって出版されたようです。

すごく反響があったようですので、もしかしたらご覧になった方もおられるかもしれませんね。

内容紹介
「今年4月、福岡県北九州市の住宅で39歳男性の遺体が発見された。男性は死の数日前から何も食べず、孤独死していたとみられる。しかし、男性は、困窮する自分の生活について、誰にも相談していなかった。いま、こうした命に危険を及ぼしかねない状況に陥っても、助けを求めない30代が増えている。彼らは「家族に迷惑をかけられない」「自分で仕事を見つけ、何とかする」と誰にも相談できずにいる。家族、友人、地域との繋がりを断ち切り、社会から孤立する30代。番組では、厳しい雇用情勢で先行きが見えないなか、静かに広がる「助けて」と言えない30代の実像に迫る。」
(クローズアップ現代HPより)

39歳の方の孤独死から、その背景や気持ちに迫るとともに、いまの30代の人たちは、本当に助けてが言えないのか?なぜ、助けてが言えないのか?に迫っていました。

私は、この本を読んで、非常に衝撃を受けました。
もちろん、私自身が30代ということもあります。しかし、もし私が人生においてピンチになったり、窮地に立たされたりしたら、本当に助けてが言えるだろうか?と考えたときに、
「自分で、なんとかする。」
「家族に迷惑をかけたくない。」
「こうなってしまったのは、自分の責任だ」
と、この本に出てこられる方たちと同じことを考えただろうと思ったからです。

そして、この本を読んだときに、そのように考えるのは、私だけではないんだ。周りの30代の人たちも同じように考えているということに、衝撃を受けました。
もちろん、人には持って生まれた本来の性格もあります。さまざまな背景がありますので、30代の方全員が、そのように思ったり感じたりするものではありませんが、少なくとも、私と同じように感じたり、思ったりされる方がいるのだと思いました。

『なんとかして欲しい、助けてほしい・・・。』

そんなふうに思うことありませんか?
精神的に辛かったり、人の何気ない一言に傷ついたり、自分だけひとりぼっちのように感じたり。誰とも繋がれていないように感じたり。
そんなとき、なんとかしてほしい。助けて欲しいと思うことがあるかもしれません。

でも、それを人に伝えることは、非常に勇気のいることだと思うんです。
自分の本当の気持ちを伝えることは、本当に勇気がいることです。自分の本心をさらけ出すという行為ということでは、誰か好きな人に告白するのと同じかもしれませんね。
それくらい、勇気のいることだと思うんです。

勇気と一言で言いますが、いろんな気持ちが渦巻きます。
「迷惑にならないかな?」「嫌がられないかな?」「弱いやつだな??」
などなど。
もしかしたら、決して弱みをみせないぞ!と頑なに心を閉ざして、助けを求めないのかもしれません。
また、そんなことを人に伝えたところで、どうなるんだ??なにが変わるんだ??と思われるかもしれません。

確かに、そうですよね。
でも、いま自分が苦しんでいるとしたら、そこには必ず感情や気持ちがあると思うんです。
私が心理学を学び始めたときに、私の師匠にこんなことを言われました。
「愛して欲しい」
「わかって欲しい」
「助けて欲しい」
の3つが言えない代わりに、怒るんだよって。
それは、自分が怒ってるとこを想像してみると、確かにそうかもしれないと目からうろこの言葉でした。

この本の中にもありますが、30代の人の多くは、良い大学に進学して、良い会社に就職すると幸せになれるという教えがあったように思います。それは、親からの教えなのか、社会一般的な風潮なのかはわかりません。
ただ、私自身も少なからず、そのような考えがあったと思います。
そして、中学受験し、大学に進学し、良い就職先を求めたと思います。
そのたびに、あらゆる競争があり、そしてうまくいかないことがあれば、自分の責任として自分を責める節があると思うのです。中学受験が終われば、そこで終わりません。すぐに一流大学への競争があり、そして、一流企業への競争が。。。まるでエンドレスですよね。
気が休まらなくても当然だと思うのです。
誰かに頼りたい、甘えたいと思っても仕方がないんじゃないかな?って思うんです。
でも、我々大人はがんばっちゃう。誰にも弱音を吐かずに、できるだけ見栄を張って、負けないようにしているように思うんです。
その考えは、なかなか払拭できるものではありませんが、人に頼ることを自分に許してもいいのではないかと思うんです。
自立していくにつれて、依存を嫌うかもしれません。
自分でなんとかしていこうと頑張るかもしれません。しかし、それでは燃え尽きてしまいます。
この本の中で、39歳の孤独死された男性の友人の母親が、
「もっと頼ってくれたらよかったのに。」
といったようなことが書かれてありました。

「信頼」って、信じて頼るって書きますよね。
もしかしたら、誰かを信頼することを通して、最終的に自分を信頼する「自信」へのプロセスをたどっているのかもしれませんね。
最近、そんなことを何気なく思うのです。
最後まで、読んで下さってありがとうございました(^^)

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