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2010年11月30日

苦くて幸せな記憶。

■12月。街がクリスマスイルミネーションで彩られるこの季節になると、僕にとっていつも思い出すことがあるんです。


今から12年前・・・。

とある駅近く。カフェの一角。そこにはただ一点を見つめて呆然とする僕がいました。

耳元で流れるラウンジと呼ばれる音楽。

その当時の彼女が好きだったひどくお洒落な音楽を聴きながら、ただ目の前を流れる街を眺めている僕。

街はクリスマスムード一色。楽しそうな恋人たちが溢れる街の片隅で、僕は言葉に出来ない空しさを感じていたんです。

その当時の僕はまだ学生で、ただ毎日を快楽的に過ごしては、後ろから襲ってくる漠然とした空しさから逃げ延びる毎日。彼女と呼べる人はいたけれど・・・でもそれは昨日までの話。

「サヨナラ。」

その言葉にただ呆然とするだけでした。

その言葉の意味は徐々に痛みとなって効きはじめ。いつの間にかどこか自分の未来までも蝕み、これからどう生きていこうか?という壮大な学生の苦悩を刺激したものです。

その時見上げた透明な夜空は、とても冷たく見えたことを今でもよく覚えています。

■そして、今から3年前・・・。

とある駅近く。カフェの一角。ただ一点を見つめてまどろむ僕。耳元で流れるのはクラブジャズ。

この10年でどこか変わってしまった街並みを眺めながら、手元のコーヒーカップを引き寄せてみる。


・・・それまでの僕は何故か遠距離恋愛ばかりしていました。そして何度もダメになる恋愛を目の前にして、訳のわからない不安に襲われ、いつしか自信を失っていたんですね。

自分なりに頑張ってるつもり。けど上手く行かないことの連続でどうしたらいいか、途方にくれていたんです。

女性には優しく!だから、とことん彼女に優しくしたこともありました。

男は強さだ!だから、目いっぱい背伸びをしていたこともありましたっけ。

でも、上手く行かない・・・。

今となってはその理由が分かるけれど、かつての僕はそんな経験をするたびに自信を失っていきました。

励ましてくれる友人の声も、僕には届かず。いつも一人で悩んでは、忘れるための努力だけは惜しまぬ毎日。そんなにカッコいいもんじゃありません。ただ痛くて辛くて必死だっただけなんです。

だからもう遠距離恋愛はコリゴリ。そう誓ったはずなのに、それでもまた同じことを続ける自分がいて、ホント「懲りないヤツ」と自分自身思っていましたっけ。


しかし、今回ばかりは違ったんですよね。

その彼女とは遠距離恋愛でしたが何故か長く続いた。それはいろんな人の応援があったということも大きいけれど、何よりの違いは・・・2人が同じ距離だけ詰めていたこと。

「またダメになるかも・・・」

そんな心の声が聞こえても、2人が諦めずに会おうとしていたこと。不安よりも信頼が大きくなった、そんな感覚がずっとあったんですよね。

■カフェの中から雑踏の中に彼女を見つけ、目で追う僕。

10年前の自分には想像できなかった未来。あの時の僕に今を見せたとしたらどんな顔をするだろうか?

そんな独りよがりな空想を抱きながら、コーヒーを少し口にしてみる。熱ちっ・。軽く火傷する。

大きく息をついてみる。微妙にムセる・・・。

ん~。とにかく落ち着かない・・・。

いつも通り、待ち合わせの場所に来る彼女。

「待った?」彼女の決まり台詞。

「いや、待ってないよ。」僕の決まり台詞。

そんな予定調和から、他愛もない雑談が始まり・・・一気にコーヒーを飲み干す僕。

いつもと違う僕に気付いているのか?それとも分からないのか?平然とアールグレイを飲む彼女。

・・・ぐっと拳を握り締め、緊張で空気が読めなくなった僕は、いきなりこう切り出します。


「ねぇ・・・そろそろ、一緒に住まない?」


不器用極まりない僕の言葉に、彼女は驚いた顔一つ見せず

「いいよ」

笑顔でこう答えてくれました。

■12月になるといつも思い出すこと。

それはとても苦い記憶と同じ場所にある、とても不器用で幸せな記憶。

その数ヵ月後、僕たちは夫婦になるんです。

そして今、僕の横ですやすやと寝息を立てている妻。

彼女があの時、どんな想いで僕の言葉を聞いていたのか?は分からないけれど。

僕が今、見上げる透明な夜空は、とても温かく見えるのでした。

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2010年11月23日

オープンマインド

 何年か前ー 私の娘は イギリスに留学しました。
イギリスの大学に入りヨーロッパの経済と歴史を学ぶためです。
1年間の間にロンドン大学とリーズ大学に通いました。

各大学内にある寮に入り ドイツ、イタリア、シンガポール、台湾、スイス、日本の幾つかの国から来た学生との生活です。

一つのフロアーに6室ほどある中、共同でバストイレ、キッチンの生活でした。
いろんな国の言葉や食べ物にあふれた毎日だったと思います。

1年後 迎えもかねて 私はイギリスに行きました。

「お母さん 何処に行きたい? パリ? パリは私の庭だから案内するよ
手配も私がするから~」

航空チケットもホテルも手配してくれ、イギリスのヒースロー空港での再会です。

 語学勉強や観光でたびたび英国に訪れていた娘は
 「私はヒースローの空港が大好き!
 あそこにいるといろんな人の出会いと別れを見ることができて そんな人たちを見てると楽しくなる」

以前からよく言っていました。

「きゃ~ 元気にしてた? 会いたかったよ!!」
ウエルカムボードか花を持ち 待っていてくれる 娘と抱き合い 久しぶりの再会・・・のはずが

  出口向こうに娘の姿は無くー 

あわてて、イギリスで使えるようにした携帯電話で電話するとー
「え~ もう着いたの? 友達は入国に手間取って時間掛かったからお母さんもそうかと思って・・・ まだ向かってる電車の中!」

私の 描いていた 感動的な再会は無しー

そのままロンドンに1泊しユーロスターでパリに向かい買い物や美術館めぐりの観光を楽しんだ数日後


娘の生活をしていた寮に二人で戻りました。

「帰ったよ~」の娘の声に
「お・か・え・りー」と返事。

いつも娘が言っていたらしく他の国の友達が学んだ日本語でお出迎えでした。

帰るための荷物をまとめていると
たくさん友達が集まってきました。
お別れを兼ねて わいわいがやがや
英語やら日本語やら国際色豊かな時間の後

 どうやらその中の一人が翌日提出しなければいけないレポートがあるらしい事が分かり

「もう帰ってレポートやったら~」といわれたその友人は
「今重要なのは 明日日本に帰る友達と過ごすことで、レポートを書く事では無い」(という意味の事)

 ああ 何て素敵な 友でしょう~

一晩中語りあかし 一晩中笑い とても楽しそうでした。

マンチェスター空港で帰国の搭乗手続きをしていたとき
彼らから電話がありました

 「お母さん、みんな まだ部屋に残っていて泣いてるんだって」

みんなは娘との 別れを惜しんで泣いていました


でも
娘の中では 永遠の別れではなかったのでしょう
いつでも会える
いつでも電話できる いつでもメールできる
会おうと思ったら いつでも何処でも出かければいいさ
別れは特別な事でなく 一時の事
心が繋がっていれば たとえ離れていても いつも一緒でいられる
多分 娘はそんな風に思っているような気がしました

帰国後もメールのやり取りを欠かさず
イタリアの友を訪ねたり
イギリスのローズやスイスのマッティーナが我が家に来たり
結婚した娘にお祝いが、あちこちの国から届きました
4歳からのバレエの友達も
小 、中学校の親友も
高校や大学の友達もいつも会っているわけではないのに
なぜか 自然です。

国の隔たりや 時間の経過 いろんなこと全て 彼女には“垣根”が無いように思えます


娘の心はいつも他の人に開かれています

素直な心をみせています 
みんなを受け入れています
友もそれを感じているのでしょう

これが 
“オープンマインド”そのもの
オープンマインドの力は周りを温かな気持ちにさせ 優しさや思いやりや楽しさをもたらします

もしかして

私にそれを教えるために 娘は生まれてきたのかも知れません・・・

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2010年11月16日

I love 名古屋 ~地元を愛することは、自分を愛すること~

2010年11月20日・21日、名古屋で初めて「ヒーリングワーク」が開催されます。

ヒーリングワークというのは、カウンセリングサービスの母体である「神戸メンタルサービス」が、東京、大阪、福岡で開催している「グループセラピー」と呼ばれるセミナーです。
欧米では知られている、心を癒すことに効果があると言われる手法ですが、それがこの秋、念願の名古屋初開催となったのです。

僕は岐阜県に住んでいて、カウンセリングの活動拠点は名古屋がメインです。
そうしたわけで、地元、東海地区の元気と幸せのお手伝いがしたい、そこから全国に癒しを発信したいというビジョンを持ってやってきましたので、「癒し」を効果的に扱えるヒーリングワークが名古屋で開催され、そのスタッフとして参加できることは、本当にうれしいことでした。

けれど、そうした思いとは別に、地元名古屋でのヒーリングワーク開催は、僕にとって、この開催は、本当に感慨深いものがありました。

今から、6年前、僕は様々な問題を抱え、まるで大きな壁にぶち当たったような苦しみをいだいていました。
そこで、学生時代になりたいと思っていたカウンセラーになろうと、神戸メンタルサービスのカウンセラー養成スクールの門を叩いたのです。

養成スクールのカリキュラムの中には、ヒーリングワークを受講することが入っています。
当時は、大阪と東京しか開催されていなかったため、岐阜から大阪まで通う生活が始まりました。

わざわざ大阪まで通うのは大変、と思われるかもしれませんが、僕にとってはとても都合がよかったのです。

当時の僕は、先に書きましたように、いろんな事に行き詰まりを感じていました。
極端な話、何もかも投げ出して外国にでも行きたいと思うほど、切羽詰まっていたのです。

そんな気持ちだったので、大阪という全くゆかりのない土地に出かけて行くのは、ある意味、その時の苦しみから一時的にでも開放される感覚があったのだと思います。

ですから、もし東海地区でヒーリングワークをはじめとする養成スクールの講座が開催されていたら、いつもの自分を引きずったまま参加するような気分になり、養成スクールのそのものに入らなかったかもしれません。

その証拠に、名古屋では、養成スクールのカリキュラム講座は開催されていませんでしたが、カウンセリングサービスの心理学ワークショップは、当時から開催されていたのです。
けれど、僕はプロカウンセラーになるまでは、地元のこうした講座には一切、顔をだしませんでした。当時は「カリキュラムに入ってないから」という理由をつけていましたら、後から振り返って、それは、地元で受けるのが嫌だったのだと思いました。

僕は昔から、自分に価値があるとは思う事ができずに人生を生きてきました。
6年前にやってきた、何もかも燃え尽きてしまった感じや、すべて投げ出してしまいたい感じは、結局のところ、こうした「自分には価値がない」思いが積もりに積もって、どうにもならなくなったからでした。

心理学では、よく、「自分を愛しましょう」といいます。
また、「自分を愛すること」が今直面している問題を解決する方法である、と言ったりします。
しかし、この「自分を愛する」という言葉、実際に言われても、どういうことなのかわからないものです。

とても簡単に言えば、自分を愛するとは、自分には価値があると思ってあげることです。
問題が起こるのは、自分に価値を持てないために、自分を過小評価して、自らを傷つける行為を引き寄せたり、逆に、そんなちっぽけな自分を感じたくなくて、外に攻撃的になる。
こうしたことが、問題を引き起こすと言ったりします。

そんな風に、自分に価値を持てていないと、自分の近くにあるものや場所を嫌いになったり、遠ざけてしまったりすることがあるのです。
例えば、生まれ育った町や地域。
その場所にいることが、あるいは、その地域を感じることが、そのまま「自分自身」を感じることにつながってくるからなんですね。

でも、逆に言えば、地元を大切にできるように方向を向けることで、それは、自分を好きになれる道につながっていくとも言えます。
また、地元を好きになっていけば、それは、自分を好きになる、自分の価値を取り戻してきた証拠になるとも言えると思うのです。

こうして振り返ってみると、僕は、地元東海地区や名古屋という地域を、無意識に避けて嫌っていたのだと、後から気がつきました。
それは、すなわち、自分に価値がないと思っていた、そして、自分を好きではなかったということを表していたと気がついたのです。

そんな僕でしたが、カウンセラーを目指して自分自身の心に向き合い、家族やパートナーと向き合っていくなかで、自分自身を癒し、許し、カウンセラーになることができました。
すると、あんなに避けていた地元名古屋に逆に愛着を感じるようになっていったのです。

名古屋で開催される心理学ワークショップには毎回参加するようになり、今まで名古屋のこうした講座を支えてくれた仲間と交流を深め、感謝できるようになりました。

そして、この11月、ついに名古屋でヒーリングワークが開催されることになったのです。

この開催は、東海地区の皆さんが熱い思いで開催を願ってくれた結果です。
そして、この開催は、僕自身の変化をも感じさせてくださることにもなりました。

こんなにも地元を愛することができるようになった自分を改めて知ることができたこと。
そして、それは、自分で自分の価値を認め、自分を愛せるようになった証だと思うのです。

そんな東海地区の皆さんに、そして、地元東海地区という地域に
深く深く感謝しています。
ありがとうございました。

今回だけでなく、これから定期的に名古屋でヒーリングワークが開催できることを、新しいビジョンに加え、

この思いを胸に、「地元、東海地区の元気と幸せのお手伝いがしたい、そこから全国に癒しを発信したいという」ビジョンを改めて決意しなおした、この秋でした。

池尾昌紀のプロフィールへ>>>

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2010年11月 9日

追えば逃げる、自分らしさ

「あなたらしさって何ですか?」と尋ねられて、みなさんは、すぐに答えることができるでしょうか?

「あなたらしくふるまってください」と言われたなら、みなさんは、どうふるまわれますか?

可愛らしく?優しく?それとも、カッコよくクールに?

実は、ほんの少し前まで、私は、自分らしさというものがさっぱり分からずにいたんです。

「自分らしくと言われても、何が自分らしさなの?」って。

幼いころから思春期にかけての私は、神経質で、怖がりで、弱虫で、頼りなくて、いつまで経っても子供っぽさの抜けない女の子でした。

でも、大人になって、いろんな悔しい経験、自分に腹の立つ経験を経て、「こんな自分じゃダメだ」と思い、頑張った結果、男顔負けなくらいに強くて、なんでも自分でできて、サバサバした女性になりました。

「頑張って強くはなったけれど、それは表面上の姿。もともとは神経質で怖がりで弱虫な人間なんだ」と、最初のうちは思っていました。

でも、周りの人たちから、「あなたは、強くてたくましい人」という目で見られ、弱さを少しでも見せると「どうしたの?あなたらしくないっ!?そんなの似合わないわっ!!」と、ものすごく戸惑われたりしたので、やがて、私も、「強い人間、それが私なんだ」と思うようになったんですね。

ところが、心理学の講座やワークショップに通うようになって、そこで知り合った人たちからは、「あなたは、ふんわりと優しい雰囲気を持った、純粋で女性らしい人ね」と言われたのです。

「え?私が!?ふんわりと優しい?女性らしい?あり得ない!そんなの似合わない!それは私じゃない!!」
私はそう思いました。

家族や仕事関係の人たちは、依然として、私のことを「強くてたくましい人」という目で見ていたので、「いったい、どちらが本当の自分?」と混乱もしました。

でも、どんなに否定をしても、みんな口々に、優しいとか女性らしいとか言うので、そのうち信じるようになったんですね。

そうか、強くてたくましいのが私なのではなくて、優しくて女性らしいのが私なのかって。

しかも、「ふんわりと優しくて、女性らしいところが、あなたの魅力よ」なんて言われたものだから、極端というか単純な私は、「そうか、強いとかたくましいとか、そういうところは、魅力じゃないんだ」とせっかく頑張って手に入れたはずの強さ、たくましさを欠点として捉えるようにもなってしまったんです。

こんなふうに、私の「自分らしさ」のイメージが変わるのとリンクするように、洋服の趣味も変わりました。

昔は、シンプルでカッコいい服、活動的な感じの服を着ることが多かったのですが、ふんわりとした乙女チックな服を着るようになりました。

もちろん、乙女チックな服も、好きだったんですけどね。でも、そればっかり・・・となると、飽きてくるんですよね。
しかも、結婚して、一児のママとなり、40歳に手が届きかけている今となっては、ちょっと可愛らしすぎない?という気もします。

なのに、それでもまだ、「こっちが私らしいスタイルなんだから」と、洋服を買いにいくと、ふんわり乙女チックな服ばかりを探していました。

本当は、今の私は、シンプルでカッコいい服や大人っぽい服のほうが着たい気分なのに、「こんなのは、私らしくないんだ。」と思って。

今、好きで、着たいのは、シンプルでカッコいい服、大人っぽい服。
でも、選ぶのは、ふんわり乙女チックな服。

つまり、私は、「これが自分らしいから」と、着たくもない服ばかりを選んでいたんです。

そんな買い物って、楽しいと思いますか?

やがて、私の中で、「自分らしさ=自分の自由を奪うもの、窮屈なもの」という理不尽なイメージが出来上がってしまいました。

そんな、ある日。仕事の関係で、あるフォトスタジオで写真を撮ってもらうことになりました。

そこのカメラマンさんの撮る人物写真は、どれも自然で、被写体の内面が透けて見えるようで、まとっている空気までもリアルに感じさせてくれる気がしたんですね。

なので、ぜひ、この人に撮ってほしい!と思い、お願いしたのです。

撮影が始まったとたんに、びっくりしましたよ。

他のカメラマンさんなら、「はい、ここで、こういう風に斜めに構えて、手はこの位置で、はい、ニッコリ笑って~」なんて、ポーズの指示などがあって、あとは、「いいね、いいね~」くらいの声かけとともに、カシャカシャと撮るじゃないですか。目をつぶったりしたら、ダメ出しなんかも出たりしてw

でも、このカメラマンさんは違ったんですね。

私と向かい合わせに立って、カメラを構えた状態で、いろんなことを質問してくるんです。

どんな仕事をしてるのか、とか、どんなお客さんにどんなサービスをしてあげたいのか、とか、はたまた、仕事とは全く関係のない世間話など・・・。

それに対して、私は、答えていくのです。

彼、ものすごく聞き上手なんですね。上手に共感や相槌を入れてくれるので(カウンセラー顔負けですw)、撮影されていることなんて、すっかり忘れて、会話が盛り上がっていきます。

「自由に手も動かして、しゃべってくれていいですよ」なんて言われたものだから、私は、とてもリラックスして、しゃべりまくりました。

そのあいだ、彼は、私のいろんな表情を捉えて、シャッターを押していくんです。

いや~、2時間近くに及びましたが、あんなに楽しい撮影は初めてでしたね~。

会話が楽しくて、心がウキウキして、子供みたいに無邪気にしゃべりまくっていました。

だから、撮影した写真(100枚近くになりました。)をパソコン上で見せてもらうと、どの私も、伸び伸びと自然で、満面の笑み、どころか、のどの奥まで見えるんじゃないかというくらい大口を開けて笑ってたりもしました。

まあ、なんとも節操のないというか、無防備というか、写真撮影なんだから、ちょっとは構えなさいよ、って言いたくなるくらいです。

中には、変な顔、目をつむってる顔もあったんですけどね。
彼、撮影中に、「あ、今、目をつむっちゃいましたね~」なんてダメ出しをすることもなかったんです。
そうして出来上がった写真を、変な顔、目をつむった顔もひっくるめて全部、「いい顔してますね~」って慈しんでくれました。

私、昔からずっと、自分の写真ってどれも好きになれなかったんですけどね。
彼がそんなふうに、どの写真も愛してくれたので、私もまた、撮ってもらった写真すべてを好きになれました。
「どれも私らしいな~」って。

ついでに、彼が以前撮った他の写真も見せてもらったんですけどね。その中に、ある男性の写真があったんです。
その男性は、講演中で、緊張しているのか表情がめちゃめちゃ固かったんですね。

「なんだか、表情が固いですね」と私が言うと、彼はこう言ったんです。

「そうですねえ。でも、これも彼らしさなんですよね」って。

あ、そうか☆
私は、自分の中のモヤモヤが一気に消えたような気がしました。

自分らしさを出すというのは、「これが自分よ」と自分らしさというものを自分で決めて固定させて、そこにこだわることではないんですね。

あらゆる自分を「これも私」と肯定し、愛し、素直に表現した先に、トータルとして顕れるもの、それが、「自分らしさ」なのかもしれません。

20代のころに、「その服、あなたに似合うわね」なんて言われた服にこだわって、40代になっても同じようなものを着つづけていたとしたら・・・。
私たちは、時々刻々と、体型も、好みも、表情も、変わりますよね。なのに、服は20代のころのままだとしたら、ちょっと似合わないんじゃないかなあ、って思いませんか?

「自分らしさ」も同じなんですね。時々刻々と変化をするうえに、私たちの中には、いろんな自分がいます。なのに、「私らしさはコレ」なんて、ある一面だけに限定して固定して、そこに自分を縛りつけたとしたら、かえって、自分らしさを失うことになるのかもしれません。

つまり、逆説的かもしれませんが、「自分らしさ」にこだわると、自分らしくなくなってしまう、ということなのでしょう。

ふんわりと優しく、女性らしい私も、強くて、たくましくて、サバサバした私も、神経質で、怖がりで、頼りない私も、どれも、み~んな、私。

ふんわり乙女チックな服が着たければ着ればいいし、シンプルでカッコいい服が着たければ着ればいい、どれも、み~んな、私。

自分の好きなようにふるまえば、「自分らしさ」なんて後からついてくる☆
大事なのは、どの自分も肯定し、愛してあげること。

そう考えたら、自分らしさって、本当は、自由で楽なものなんだって思えてきませんか?

あなたが自由にふるまっているとき、もしかしたら、「それって、あなたらしくないわ」と言う人がいるかもしれません。

でも、大丈夫。あなたが「そうしたい」と望んでのふるまいであるなら、それは間違いなく、あなたらしさの一部なのです。

つまり、「自分らしさ」は、他人が決めるものではないのですね。

「自分らしさ」というのは、他人にも、そしてあなた自身にも、決められたり縛られたりすることのない、変幻自在で自由なものなのかもしれませんね。


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2010年11月 2日

母を超えて。最高の親孝行を。

「あなたにとってお母さんは、目標だったのかもしれませんね」

つい最近、社長(当社代表:平)から言ってもらった言葉です。
これを聴いたとき、私は、ぽかーんとしていました。びっくり、というか、そんな風に考えたこともなかったため、です。


たしかに、私にとって母は、すごい人でした。

祖母(お母さんにとってはお姑)との中は最悪だったにも関わらず、祖母が痴呆になってしまったり、徘徊するようになってしまったり、日常生活を送ることが難しくなってしまったりしても、最後まで丁寧に面倒を見ていました。
当時、祖母が自分の息子(私にとっての父)の名前を忘れてしまっても尚、母の名前は最後まで覚えていたことからも、その関わり方のすごさを感じていました。
更にそれだけではなく、祖母への介護が長じて、介護の資格を取り、外のおばあちゃんのお世話までしていたのです。自分の家での介護だけでいっぱいいっぱいになってしまいそうなのに、母はそれを外の世界へつなげ、更に「外にはもっと大変なおばあちゃんがたくさんいるってわかったわ。だから、うちはまだ大丈夫な方よー^^」なんて言っていたのです。我が母ながら、“なんだ、この超ポジティブな感じは?!”と不思議に思っていたことを思い出します。

また、父の願いもあって、母は完全に専業主婦でした。私の記憶では、母は毎日家のどこかを掃除していました。私の記憶がある時から今まで、それは変わりありません。今は離れて暮らしていますが、帰省するといつもどこかを掃除しています。
食事は、出来る限り、冷凍食品や出来合いのものを使わない主義でした。ある時、あまりに不思議で、また、面倒くさくはないのかと思い、私は母に言いました。「たまには、冷凍食品使ったら?全然平気だよ^^」と。すると母は、「お母さんが子どもだったころ、お弁当が冷凍食品ばっかりで、それが嫌だったのよ。うちは自営業だったから、仕方ないとはわかっていたけれど、それでも嫌なものは嫌だったのよね。だから、子どもには同じ思いをさせたくなかったのよ~^^」と言っていました。その想いは分かりますが、子ども心に、もっと楽すればいいのにな~と感じていたことを思い出します。でも母は、それを貫き通し、やり続けているのです。本当にすごいなぁと思います。ちなみにこれも、未だ変わっておりません。

それから、私は母が病気で臥せっているところを見た記憶がありません。体調が芳しくなかった日はあったと思います。でも、一日お布団で休んでいる、とか、入院してしまうとか、記憶にありません。記憶にあるのは、「今年も健康診断、オールAだったわぁ^^」という、テンションのあがった、母の声だけです。
そしてこれも、未だに変わりありません。人間ドッグを受けるようになった今も、相変わらず健康です。少なくとも、私を産んでくれた30歳代から60歳を超えた今も、ずっと健康なのです。これって、すごいですよね!

本当に、書けばキリがないのですが、最後にもうひとつ。
おうちでたくさんのこと(家事や介護や家計のやりくり等)をしているにも関わらず、外によく出る母でした。バウンドテニス、気功、吹き矢(スポーツなんですよ、知ってました?)、訪問介護、地域の集まり(田舎によくある集まりです)など。更に家では、心理学の通信学習もしていました。全部、40代・50代になってから始めたものばかりです。
家の中が大変なのに、家に引きこもらず、外に出てバランスを取ることを選んだお母さんは、とてもパワフルな女性だと思います。よく体力あるなー、と子ども心に感心していたことを思い出します。


そんな母を、いつの間にか、無意識的に、私は目標にしていたようです。


その証拠に、社長から言われた言葉は、ぽかーんとしながらも、すっと私の腑に落ちていきました。

そうなんです、ずっと。
私はずっと、母をすごい人だと思っていました。きっと気づかぬうちから、ずっと尊敬しています。母のことを、本当に誇らしく、思います。
そして同時に、そんなすごい母のようには、きっと私にはできない、そんな風に感じていたことにも気がつきました。あんなにパワフルに、ネガティブな出来事すらポジティブに転化させる、そんな母には私は到底及ばない、そんな風に感じていたようです。

だからこそ、一番身近なモデルとして、一番身近な成功者として、母のようになることを目標にしていたのかもしれません。

形は違えど(少なくとも、いま私は専業主婦ではないので)、“母のような”、力強く、美しく、決して人の悪口を言わない、ネガティブすらポジティブに変える、信念を貫く、お父さんのことを一番に愛しているということがわかる、どんなことがあっても総じて幸せに過ごしているとわかる、そんな女性になろうとしていたのかもしれません。


そして、このことに気づいたからこそ、続けて言ってもらった社長の言葉が身に沁みました。

「お母さんにはお母さんの道があるように、あなたにはあなたの道があるんですよ」
「お母さんとつながり、お母さんを超えて、あなたらしく成功した姿をお母さんに見せることができたとしたら、それは最高の親孝行になりますね^^」

本当にそうだな、と思いました。
最高の親孝行、すごくしたいと思いました。

今回書かせて頂いた内容は、本当に最近の出来事で、まだ“私の道、私らしい成功”の形は見えていません。

でも、いつか必ず。
私が私の道を歩き、私らしく成功した姿を母に見せよう、そんな最高の親孝行を成し遂げるのだ!
そう、心から思っています。


投稿者 cseditor : 00:00 | コメント (2)