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2010年6月29日

夫をアイドルにする

夫をアイドルに、というのは、40代も半ばを過ぎたわが夫をシニアアイドルとして今さら売り出そうと目論んでいる妻の話、
・・ではございません。
わが家の中で、夫をアイドルに、という非常にささやかなお話です。

うちは、夫、妻である私、大学生と高校生の子供ふたりの4人家族です。
結婚して22年、夫と出会ったのが大学生の頃ですから、もう相当長い付き合いになります。

思うのですが、家の中でお父さんは、家族のために一生懸命働いているかも知れないのに、お母さんと子供とのがっちりしたつながりに比べて、うっかりすると仲間はずれ的な、蚊帳(かや)の外的な存在になりがちだと思いませんか?

私は学生の頃から曾野綾子さんのエッセイが好きでよく読んでいます。
18歳の頃に読んだエッセイに、次のような文章があります。

「愚痴っぽくない夫でも、外側(社会)から受けた傷はかなり不愉快なものであろう。多くの家庭の夫は毎日満身創痍で帰ってくるのだ。彼らを働かせてはいけないというのではない。
(中略)妻は夫の傷つき方をよく自覚していて、疲れている夫に対して看護婦の役目こそするべきなのである。正直なところ、仕事というものは家庭にだけいる妻が想像できないほど厳しいものだということを私は良く知っている」
『誰のために愛するか』曾野綾子著

18そこそこの心には、この文章は衝撃的というか、しかし何故か素直に理解できるところがありました。
(このエッセイは昭和50年代に書かれたものなので、いまの時代から見ると多少古い部分もあるかと思います。いまは女性も働いている人が多いですし、男性だけの話ではないでしょう。そして現代は家族の形態も様々ですから、このコラムはあくまで“ある主婦のひとりごと”として読んでくださると有り難いです。)

若い頃に読んだ本の影響というものは根強いのか、いまでも私は「その通りである」とどこかで思っています。それは私が実際にOLとして会社で働いていた時に感じたことでもあるのです。


私は結婚前に3年半、結婚してからも少しの間OLとして会社勤めをしていました。結婚前は正社員としてある企業に勤めており、結婚退職した後は派遣社員として、いくつかの会社で働きました。
会社によって雰囲気もそれぞれ違うのですが、最初に正社員で勤めた会社では、男性社員が苦労する様子を様々な場面で見てきたように感じます。

例えば、飲み会でも上司にすごく気を遣っている男性、とか、上司に別室に呼び出されて怒鳴られている男性、とか。
もしかすると、そんなことは些細なことかもしれないですね、もっともっと本質的な部分で男性社会の厳しさを感じていたのかもしれません。女性だって大変と言えば大変でしたが、当時は、女性は結婚退職が多い時代だったので「いざとなったら女の人は家庭に入ったり仕事を変えるなど方向転換しやすいけれど、男性はそうそう簡単にできないもの。男の人ってやはり大変なんだ」と思いました。
心理学に則って考えると「仕事は大変な苦労を伴うもの」とか「社会は厳しい」と信じてしまうことは決して良いことではないのですが、当時そう感じたことは事実です。

そのような経緯もあって、私は、結婚したら温かくてくつろげる家庭をつくろうと心に誓っていました。
では、実際に結婚してどうだったかというと、他人だったふたりが一緒に生活していくわけですから、残念ながら初めのうちは理想とはかけ離れた生活だったように思います。結婚当初は「こんな人だったの!?」と思ったこともありました。きっと夫も思ったことでしょう。それでも、どうにかこうにかお互いに歩み寄り、振り返ってみれば22年もの月日が経ち、今に至るわけです。

この22年の中にはたくさんの出来事が詰まっています。
1人目の子供が生まれるまで、私はパワフルな行動派でした。子供がお腹にいる間はマタニティスイミングに通い、そこで知り合ったお母さんたちとは子供が生まれてからもお付き合いしたり、他にも良い仲間をたくさん作ることにとても積極的でした。
そして子供がお腹にいる期間は、ゆったりと時間が流れる、いま思い出してもとても幸せな時でした。
子供が生まれてきてくれて、可愛くて可愛くて、可愛いあまり、私はたぶん子供のために完璧なお母さんを目指したのでしょう。
まさかの産後うつになりました。
しばらく私の体調が悪く、夫は多忙な仕事に育児の手伝いまで加わり、さぞかし大変だったと思います。だいぶ回復した後、2人目の子供を授かり、産まれてからは、もう毎日がドタバタと過ぎて行きました。もともとそれほど手際がよくないので、2人の子供の育児は、可愛くて幸せだなと思う瞬間もありましたが、子供の世話と家事にてんてこまい、子供を通じての人間関係にも神経を遣いすぎて、くたくたに疲れていました。
ですから、仕事から帰ってきた夫に対して、とても不機嫌に接したりしていました。
「私は昼間すごく大変だったのよ、わかってよ」という気持ちが、素直じゃない形で表現されていたのだと思います。

下の子供が小学校に上がってだいぶ楽になり、おかげさまで、中学生になった頃には本当に自由な時間が増えました。

やっとその頃から、私は夫との関係を大事にしたいと感じ始めてきました。カウンセリングの勉強を始めたのもこの頃で、そこでパートナーシップの大切さをとことん学びました。カウンセラーになるためには、自らクライアントとなりカウンセリングを受けるのですが、「だんなさんを男性として意識してみましょう」という宿題を出されたこともありました。初めは正直なところ「え~!いまさら・・・」という感じでした。

どんな夫婦も、いま別れずに一緒にいるということは、心の奥底で、お互いをかけがえのない存在として愛おしく思っているからだと思います。私から夫へのふつふつとした愛情に気付いていくと、家族のために雨の日も風の日も真面目に働いてくれた夫に感謝の気持ちが湧いてくると同時に、私から夫にこれから出来ることは何かな…と改めて考え始めました。

その時に思いついたことが、家の中をすごくあったかくしよう、みんながお父さんのこと大好きな雰囲気を作っていこう!ということです。家族に絶対的な影響力のあるお母さん(わたしデス)が、「夫のことを大好き」だったら、子供たちもお父さんのことが大好きになるはず。そういう家庭は夫にとっても居心地が良いのではないかと思ったのです。

その想いが功を奏して、気がつくと子供と私との間で「夫の話題」がものすごく多くなっていきました。といっても、ほめてほめて褒めまくっているわけではありません。大体生意気ざかりの子供たちにそれを求めるのは酷というものです。
私は、家族の中で言われる他愛のない悪口ほど「犬も食わない」ものはないと思うのですが・・・まさに好意の裏返し、親密感の表れ、そう思いませんか?
ですから、夫をアイドルにといっても、子供が本人のモノマネをしたり、要はイジッている状態、かまってる状態、一言で言うと「いない間も忘れないよ」という感覚です。根底には愛情があるからこその、すべて本人につつぬけの悪口です。
もちろん、誰かが悪く言うと、必ず誰かがフォローするという抜群のコンビネーションもできてきたこの頃です。


先日嬉しいことがありました。
夜遅く、娘と私の会話です。
娘「お母さん、お父さんはもう寝たの?」
私「もう寝たよ」
娘「さっきネ、
  お父さんがテーブルでチョコレートのお菓子を食べてる姿を見たら、
  なんか可愛かった。
  だからお母さん、お父さんのこと大事にしてあげてね」
私「うん、大丈夫だよ。大事にしてるから^^」

普段は、照れもあって優しい言葉を夫にかけることなどしない娘から、この言葉・・・!
その日は夫の寝顔を見ながら、ちょっとした幸福感で眠りにつきました。


夫の仕事のことは、私には事細かにはわかりません。
それでも、仕事の中では批判されることや認められないこともあるでしょうしそういう素振りは見せなくても、悲しい気持ちで帰ってくる日だってあるのではと思います。だから、私はいつでも味方、パパかっこいいよ!と応援できる最高の友でありたいです。
長い年月を共に過ごして得ることのできた、かけがえのない親友です。
そんな夫をいたわりつつ、感謝しつつ、これからも夫アイドル大作戦で行こうと思う妻なのでした。

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2010年6月22日

人はいつでも恋してる?

ここのところ、連続して女性のホルモンバランスの話題を耳にしました。

なんでも、最近のアラサー女子の中には、男性のようにヒゲが生える人がいるとか。仕事中心で男性型の生活パターンになっていると、体まで男性化してしまうことがある、ということらしいです。ホルモンのバランスが変わってしまうということなのでしょう。

それから既婚女性の場合、出産後、「とにかくこの子をしっかり育てなくちゃ」という思いが強くなるあまり、「しばらくはオンナを捨ててがんばるわ!」というようなモードになってしまうと、女性ホルモンが低下してしまうことがあるようです。そうすると、それこそ太いすね毛が生えてきたり、痛風など男性に多い病気にかかってしまったりする、なんてことも実際あるみたいです。

そして身近でもこんなことが。
親しい友人が2年前に出産し、すでに仕事にも復帰しているのですが、このごろ体調がすぐれず、産婦人科で「ホルモンバランスが乱れているのでは」と言われたそうです。彼女はとても責任感が強い人なのですが、産休明けにはがんばりすぎないようにペース配分を考えながら仕事をしていたようです。でも仕事復帰から1年近く経って年度も切り替わったので、「そろそろエンジンかけて仕事もがんばろう!」と思い始めたところでの体調不良、精神的にも少々がっくりしていました。

そんな彼女とお茶しつつあれこれ話しているうちに、「そういえば、一般的にも恋愛感情とホルモン分泌って関係があるって言われているよね」みたいな話になりました。
そして彼女いわく、
「確かに子どものことばかりになってたと思う。
しかも夫は子育てのことでは何かしてくれてもイマイチやり方とか考え方がズレていて、何だかがっかりして、子どもがいればそれでいいや、みたいな感覚になってたかも。
夫のことも、テレビでみる俳優さんとかでも、男には失望、って目で見てて、ここしばらくは恋愛的な感覚なんかまったく感じてなかったわ。
考えてみれば、ものごころついてから後は、好きな人が誰もいないなんてことはなかったのに・・・」

なるほどなるほどと思いつつ聞きながらも、意外だったのは、「ある程度の年齢になってからは好きな人がいない時期なんかなかった」ということでした。子どもの時から(彼女とは長い付き合いです)見た目ボーイッシュだったけど、内面的にはけっこうちゃんと女の子してたんだ!

いや待てよ、自分を振り返ってみると、6歳での初恋以来、私も絶えず誰かにときめいていたな。「誰にもときめいていないフリ」をしていた時期はあったけど、本当のところ、気になる人がいないスキマ期間なんて、なかった!人間って、案外いつも恋しているものなのかも!
と思い至ったのでした。

男性はどうなんでしょうね。女性はけっこう知らず知らず「トキメキ」は持っていて、それがホルモン分泌にも影響し、女性の体を健康に、そして美しく保つことに役だっている、という側面がありそうです。きっと男性も、同じようなところはあるのではないでしょうか。でも微妙な違いはあるでしょうし、面白そうです。これは私の今後の探求課題になるかもしれません(笑)。

友人は、「夫との関係を見直すことも考えなくちゃいけないとは思うけど、まずは恋愛映画とか見て、自分の恋する本能を刺激してみるわ~」なんて言っていました。

私は今はおかげさまで夫とはそれなりに仲良くしていますが、それだけでは飽き足らず(!?)、ふと気がつけばドラマやら映画やら書籍やらで、絶えずキャーキャー言ってます。あまり意識していなかったのですが、これってけっこうホルモンバランスにはいい影響を与えているのかも知れません。

でもいろいろと不安や悩みが多い時には、トキメキがあってもそれを心置きなく楽しめる気分にはなれないと思います。私にももちろんそういう時はありますし、産後の2~3年は、やはり「子どもだけ」に気持ちが傾いていた時期はあったと思います。

また、「幸せ」を自分に許可できない場合、自分の中で実は起こっている「トキメキ」を感じる許可を出せないこともあります。そうすると、「いつもちょっといいなとは思うけど、本当に好きなのかと言われるとよくわからない」みたいな状態になり、恋愛関係にまで進めない、というような状況も生まれると思います。

いつも恋してる、いつも、小さくても「トキメキ」は心の中にある、というのは、人として実はごく自然な状態なのかもしれません。私たちの体は、それでバランスがとれるようにできているのだとしたら、自分の中の「トキメキ」は大切にしてあげたほうがよさそうです。

外を歩くと、いまどきの若者はオシャレでかっこよくしているし、自分の年齢が上がるにつれ、おじさんの「オトコマエ」の良さもわかってくるし、私は本当に絶えずときめいているかもしれません・・・、うわ~、少々恥ずかしさを感じてしまいます(汗)。ま、ここまでいかなくてもいいと思いますが、みなさんも「小さなトキメキ」を積極的に楽しんでみてはいかがでしょうか?


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2010年6月15日

トトロに隠れていた思わぬ執着

3ヶ月ほど前の話。
甥っ子が3歳の誕生日を迎えようとしていました。
喜怒哀楽も豊かに表現するし、好みもハッキリしてきて、何をもらったら嬉しいのか、何が好きなのか、本人も周りもよく分かっている感じ。
こんなに自分の気持ちがハッキリと言えて、表現することが出来たら、いろんなものを手にすることが出来そうだなぁ~なんて、少し羨ましさも感じながら、甥っ子を見ていまいした。

そんな彼がハマっていたのは、「となりのトトロ」を見ながら、そのアニメに出てくる“メイ”という女の子の探検についていくことでした。
大好きなものに没頭する姿も半端ではなく、「となりのトトロ」のDVDは、朝から晩まで上映され、「好き力」のパワーの凄さを実感していました。

誕生日を間近に迎え、甥っ子に何をあげようかを思いめぐらせていました。
そんななか、私の家にある中トトロと小トトロのぬいぐるみが目に留まりました。

『これをあげれば、きっと甥っ子は喜ぶに違いない!!』

そう確信した私は、甥っ子にトトロのぬいぐるみたちをお誕生日のプレゼントしようと考えました。
しかし、実際、甥っ子にあげようと準備を始めるとなかなか気が進みません。
絶対、甥っ子は喜んでくれるはずなのに、何故か腰が重いのです。

甥っ子にあげようとしていたトトロのぬいぐるみたちは、以前おつき合いしていた人から、おつき合いする前に頂いたものでした。別れた当時は、おつき合いしていたときに頂いたものを持ったまま忘れられるほど器用ではなかったので、おつき合いしていた頃にいただいたものは整理して手放していました。しかし、このトトロのぬいぐるみたちは、私がトトロを好きだったこと、おつき合いする前に頂いたものということから、手放さずに自宅のインテリアの一部となっていました。

もちろん、家にあったものがなくなるという違和感もありました。
それ以上に、気が進まない何かがありました。
考えること、しばし・・・ここに私の隠れた執着があったことに気づきました。
その彼とは別れて10年も経つし、彼のことを思い出すこともなくなっていたので、こんなところに執着があったことに正直びっくりしました。
私が執着していたもの、それは彼への執着というよりは「女性として愛されている自分」への執着でした。
トトロを手放すこと=「女性として愛されていた自分」の存在がなくなってしまう!?
大げさと思われるかもしれませんが、当事者の私の意識は少なくともそういう図式が出来上がっていたようです。

これを甥っ子にあげれば、間違いなく喜んでくれるはずなのに・・・自宅で、一人悶えておりました。
たかが、トトロのぬいぐるみ・・・。
されど、トトロのぬいぐるみ。
トトロのぬいぐるみにそんな執着が隠れていたとは・・・。
執着は手放した方がいいとは、分かっていてもなかなか手放す気にはなれない、それでこそ執着というものよね。
なんて、自分をなだめたり、透かしたりしながら、半ば飛び降りるような気分で、「えいっ」と甥っ子にあげることを決めたのでした。

一方、甥っ子は、そんな私の葛藤をよそに、お届けしたトトロのぬいぐるみに「うわぁ~、うわぁ~」と歓喜の声をあげ、愛おしそうな目でぬいぐるみたちを見て、布団をかけてあげ、ぬいぐるみたちを寝かしつけておりました。

甥っ子のそんな姿を見せられたら、私もすごく嬉しくなり、執着と甥っ子の笑顔の狭間で悶えていた自分が馬鹿らしくなりました。執着よりも、絶対的に甥っ子の笑顔の方が大切だと感じました。
半ば強制的でしたが、執着を手放せてよかったと思った出来事でした。

この経験を通して、喜びを表現することが、周りの人を幸せな気持ちにすることも体験できました。

このコラムの更新日は、縁あって、私の誕生日。
甥っ子のように「好き」をいっぱい感じて、たくさんの喜びを表現する時間を過ごしていきたいと思うのでした。

宮本恵のプロフィールへ>>>

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2010年6月 8日

心とからだ~~私たちは最高のデザイン~~

 人の体は、何にも勝るすばらしいデザインである、という話を聞いたことがありますか?

 それは外観だけではなく、内臓や骨格といった大きなものから、組織・細胞にいたるまで・・・私たちが母の胎内でこの世界に順応できるような体になって生まれてくるそのプロセスも、誰一人として同じものが無い。

そのこと自体が既にすばらしい自然である、と思うのです。

進化を重ねた私たちの身体は、どんなに優れたヒューマノイド(ヒト型ロボット)でも再現することは不可能、とも言われているのですが、そんな身体を持っていることに、普段はなかなか気づくことはありません。これは、何かの機能が低下していたり無かったりする場合も同じで、普段から実に巧妙なバランスを持っているな、と私は思うんです。

私の愛読書?の中に、「からだの地図帳」「病気の地図帳」(共に講談社)という本があります。

目次や索引を含んで180ページほどあるこれらの本には、細密できれいで、わかりやすいカラーの写真や図が、ほとんどすべてのページに載っているのですが、自分の身体がこんな風になっている、と普段は自覚していないだけに、感心して眺めていたりするのです。

ときおり書いたり話したりしているのですが、私自身、左の足には幼児期の怪我の治癒痕があり、そのことに伴い、少々の不自由さがあるんですが、身体はその不自由さを実に上手にカバーしていて、私の左右のあし(脚・足)のサイズや形に結構な差があることは一見わかりにくいようになっています。

ですが、長年の気づいていない「微調整」は、少々身体に齟齬をきたしていて、その意味でも身体は絶妙なバランスを持っているとも思います。

私だけではなく、何らかのハンディを持っておられる方はどうも、全身のバランスをとても巧妙に保つようになっていたり、足りない機能をほかの器官で(たとえば視覚が不自由な場合には、耳が鋭いといったような)感覚を補っていることも多いようです。

また、身体の感覚や機能だけではなく、すべてそろっているとはいえない状態においての、心の状態は、時に美しい奇跡も生み出すようですね。

そんなことを想起させるような言葉を見つけました。

「私の左のポケットには手を入れることはできないが、ここには支えてくれた人たちのハートが詰まっている。」

片腕を事故で失くしたサッカー選手、フリオ・ゴンザレスの言葉です。

そう言えば最近のニュースでは、ベトナムのもとシャム双生児、ドクさんがやはり、リハビリ医になると報道されていました。ドクさんの義足つくりに関わった先生が実は、私の幼児期の主治医であったので、ずっと関心を持っていたのですが(それ故にまた、思うこともあるのですが、それはまた別の機会に)、無いこと、もしくは失くした事で、気づくことをさらに大きく育てているように、私は思いました。

幻肢という症状がありますがこれは、失くした手足の感覚があり続けることを言います。無いはずなのですが、脳が認知し続けるわけです。

これはイメージだけの問題とはいえないと思いますが、説明し得ないことのひとつだと思います。無いものをあるように感じてしまうし、たとえば痛みや痒みがあってもどうしようもないのでとても苦痛であると聞きます。

身体だけではなく、自分にとって大切なものを失くしてしまったとき・・・喪失感は、とても大きいものかもしれません。そして、失くしたものの大切さや存在の大きさを思い知るのでしょうね。

でもそれ以上に、すばらしい何かが手に入っている事に気づくチャンスなのかもしれない。

 手の中にあるときには、当たり前すぎることの多くはこんな風に、失ってそのすばらしさに気づくだけではなく、形を変えて私たちの手の中に戻ってくるものなのかもしれません。

 ちょっと忘れていたことを思い出しました(息子の買ったサッカー雑誌に感謝)。

 こんな風に感じたり伝えられることさえも、優れたデザインである証かもしれない、と思うのです。


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2010年6月 1日

緑はげしき国

「緑はげしき国」
ある本で、戦後に夢を求めて米国に移住した著者が、日本のことをこんな風に表現していました。
降水量が多く、湿気の多い日本の緑濃いさまを懐かしく思う気持ちが伝わってくるようではないでしょうか。


雨というと、ジメジメして洗濯物が乾かなかったり、電車やバスが混んでしかも濡れてしまうなどといったように、あまりいいイメージがないようです。
それに、お日様が出ない日は薄暗く、昼間から電気をつけなければならないし、厚みのある雲は重く、なんだかどんよりした気持ちになるものです。
恵みの雨ともいいますが、普段都会で働いているひとにとってみると、いまひとつピンとこないのかもしれません。


それよりも、舞い上がったホコリなどを取り除き、空気をキレイにしてくれる作用があるという方が、身近な「恩恵」を感じられるのではないでしょうか。
雨の日の空気は、雨上がりの空気よりも澄んでいて、マイナスイオンを多く含むのでリフレッシュするのに最適といわれているんですね。


うっとおしいと毛嫌いすることの多い雨。
そう思うようになったのはいつからでしょうか。


思い返すと、子供のころは、わざと水溜りを長靴ではいってぴしゃぴしゃしたり、カタツムリがたくさんいるのを見つけてはしゃいだり、雨の日ならではの楽しいことを発見していたような気がします。
それに、雨の景色は普段の景気を普段とは違うものに変えてくれて、それは何か特別なものを感じさせてくれるようです。
私は、心の中で言葉で尽くしがたいさまざまな感覚がうごめくことがあります。
それらは、決して悪いものではなく、どこか落ち着くような、優しい子守唄の調べにも似た優しいものだったように思うのです。


たまには雨の日を、楽しんでみませんか。
日本では古来から、五月雨、梅雨、小雨、霧雨など、さまざまな雨にあわせた呼び名が数多くあり、先人たちは多くの雨を感じ分けていました。
こうした風情を愛でる心に、日本のゆかしさを感じます。


雨の音を聞きながら、お気に入りの音楽をかけてぼんやりとこの「空気」を感じるのが私は好きです。
雨の日は浮ついた心を鎮めて穏やかにしてくれる作用があるように思います。
上から下に流れていく、そんなエネルギーだからでしょうか。
雨の粒がきらめくさまや、道行くひとの傘の彩りを見ていると、なんだか優しい気持ちになってきます。
私にとって、心をうるおす豊かな時間でもあります。


日常の中の、特別。
いつもと違う自分に出会えるかもしれません。


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