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2010年04月13日

人生の棚卸し

先日、母とケンカになりました。理由はささいなことです。ケンカはすぐに収まりましたが、それがきっかけになったのか、私の心の中で、もう解消したはずのわだかまりが一気に噴き出してきて、悶々とする日々を送るはめに・・・。「ミイラ捕りがミイラになる」とはこのことか・・・、と、苦笑しつつ、あれこれと考え事が続きました。

そしてふっと気がつきました。自分がどんなに重い荷物を持っていたのか。わかっているようでわかっていなかったことにびっくり、ですが、改めて、よくまああんな重い荷物を持っていたなあ、と。そりゃあしんどかったよなあ、と、自分をねぎらうような気持ちが湧いてきたのです。

同時に、弟のことを思いました。数年前に弟に、「姉ちゃんは何もわかっていない。オレがどれだけ姉ちゃんのことを心配していたか!」と、えらい責められたことがありました。その場はともかく「ごめんね」と謝りましたが、どこかピンときていませんでした。頭ではわかっていたんですよ、優しい弟だから、私がつらそうな時は心配してくれていただろうなあ、と。

でも、弟がどんなに苦しい思いで私を心配してくれたか、ということは、どうもわかっていなかったようです。

今回、過去の自分の「つらかった気持ち」を素直に受け止めることができた感があったとき、「あ、弟も、本当にすごくつらかったんだな」と、つくづく思ったのでした。その数日後、たまたま弟に会う機会があったので、「心配してくれてありがとう、長いこと気がつかなくてごめん」ということを話しました。

弟には、「うんまあ、オレ的には今はもうわだかまりはないよ、姉ちゃんもこれでひと段落ということでいいんじゃない」みたいなことを言われました。自分の気持ちがよくわかったら、父や母、姉、家族みんなの気持ちもわかる感じがして、自分でもひと段落、ああ、人生の棚卸しをした気分だ、と思ったのですが・・・。これは棚卸しパート1に過ぎなかったのでした。

すぐに棚卸しパート2はやってきました。私には小学生の息子がいますが、軽いハンディがありまして、そのために療育的な指導というのを受けているんですね。その指導でお世話になっている方とゆっくりお話しする機会がありました。その時に、「子どものことで何か困っていることはない?」と聞かれ、思ったのが、「学校の参観とか行くと、どうも切ない気持ちになる」ということでした。

「どうしてそういう気持ちになるのかな?」と聞かれ私が答えたことは・・・

「子どものハンディは受け入れたつもりだけど、やっぱり他の子どもたちと比べてしまうから切ないのかな、いやーでも・・・」

答えながら、「うん?なんかしっくりこないなあ、本当の私の気持ちはどこにある?」という感覚になりました。そしてしばし黙って考えました。それから私は、涙の予感を感じ、ハンカチをカバンから取り出し、目に当て・・・

「・・・う~ん、なんか自分が小学生の時、教室ですごい孤独で・・・。教室にいる時、私は本当に孤立無援な感覚でいつもいたんだなって、今、気がつきました・・・」
と、話している自分がいました。

だから、机の並んだ教室を見ると、どこからともなく切ない気持ちが湧きあがってきた、ということのようです。孤独で、寂しくて、誰からも助けてもらえないと思い込んでいる小学生の私の気持ちが、「つらいよ~、私の気持ちに気付いてよ~」と、心の中から訴えてきていた・・・ようです。

学校で何かつらいことがあったというわけではないのです。それなりにいろいろありましたが、普通の小学生生活でした。それに、そういう「誰にも助けてもらえない」感覚は、保育園に通っていた頃から、いや、もしかしたらそのもっと前からあったんですね~、よく考えてみると。で、じゃあそれはどうしてなのかというと、まあいくつかの事情が重なっていて、誰のせいでもないし、何かのせいでもないという気がします。

誰にも助けてもらえないと思い込んでいた私は誰にも助けを求めず、結果、周りからは「しっかりしていて、助けのいらない子」に見えていたらしく、逆に頼られてしまうという、ちょっとキツイ状況が生まれたのかな、と思います。頼られると、自分が危機的にしんどいということが自分でもイマイチわかっていないので、ついつい引き受けてしまい、さらにしんどくなっても「しんどいから助けて」と誰にも言えず、どんどん抱える荷物が増え・・・という悪循環だったんですね。

ハイ、心理学の基本でございますね(笑)。すでに頭ではわかっていたことなんですが、今回の棚卸しで、本当に腑に落ちました。

さてさて、さらに棚卸しパート3が待っていました。

子どもの療育指導をしてくれている方とのお話の続きの中で親子関係の話も出てきて、その方が、「私も最近やっと親に支えられてきたんだなあってわかったんですよ」とおっしゃったんですね。私は、「う~ん、私は支えられてきたっていうより、自分が支えてきたっていう気分ですね」と正直に答えると、その方はニヤッと笑って、「あと10年やね、三島さん」と言われたのです。

帰宅してから思いました。あと10年?あと10年も何か気持ちのしこりを抱えていくの?う~ん、それはイヤ・・・。

そう思った次の瞬間には、「そうやんね、そうそう、そうだよ、親に支えられてる、うんうん」とあっさりと思えたのでした。何かゲンキンな私~と感じながらも、気持ちがほっこりして、そして、母とのケンカ以来10日ばかり続いた考え事が、やっと終わったように感じました。

やはりどこかで、「支えてあげたやん!!!」と恩に着せるような気持ちがあったんですね~。それが、「愛してもらったし、支えてもらったな、それに、私も支えてあげられたんだとしたら、よかったなあ」という、穏やかな気持ちに変わったわけで、これも大きな棚卸しだったと思います。

あ~疲れた!(笑)

棚卸しをして思ったことは、これからは、もっと素直に自分がしんどいときは「しんどい」と周りに伝えよう、そして助けを求めよう、ということでした。(基本ですよね~、これ。ほんと苦笑してしまいます。)

自分の気持ちともろに向かい合うことはけっこうキツイことだということも改めて実感しました。でも、棚卸しパート2とパート3は人の助けを借りたからか、わりとすんなりいったんですよね。人に助けてもらうと、一人でやるよりずっとラクなんだなあとつくづく思います。何事もそうなんでしょうね。

今の気持ちを句に詠むと・・・
ミイラ捕り ミイラになったが 復活だ!

ん~、いやいや、
ありがとう 助け合って 生きてます
使い古された標語のようですが、結局のところ、答えはシンプルなんですね。

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投稿者 cseditor : 2010年04月13日 00:00

コメント

分かりやすいお話で、プロセスを進めていく参考になりました!私もまだまだ棚卸を進めたいと思います。

投稿者 まみこ : 2010年04月13日 02:07

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