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2009年12月29日

過去があるから今がある、そして未来は・・

みなさま、こんにちわ!
今回初めてコラムを担当させていただきます、高井さゆです。

今年もあと3日となりましたね^^
2009年、みなさまにとっては、どのような1年でしたでしょうか?
もうすでに1年を振り返られた方もいれば、来年の計を立てている方もいらっしゃるのではないでしょうか。


私にとって2009年は、まさに“変化”の年でした。

中でも、こうしてカウンセリングサービスのカウンセラーの一員となれたこと、そして大好きな彼と結婚したことは、本当に大きな、そしてものすごく嬉しくてしあわせな変化でした。

どちらも、夢だったのです。

カウンセラーになることは、中学生のときからの夢でした。
テレビに出ていた心理学者さんに憧れたことがきっかけです。ひとのこころがわかるなんてすごい!という、おそろしいくらいとってもシンプルな理由ですが、私の目にはすごく魅力的にうつったのでした。
高校のころ、学校の人間関係に悩み、苦しみ、追い詰められる日々が続きました。どうやっても、人間関係がうまくいかない、楽になれない、そのころには人間不信、果ては自分のことさえ信じられなくなっていました。そして、もっとひとのこころが知りたいと、改めて思ったことを覚えています。自分が楽になりたい、そんな想いでいっぱいでした。
いざ心理系の大学に進み、学んでいる心理学が、知識として頭に入っていても、実生活で応用できないことに愕然としました。理論は身についているものの、リアルな日常で使えないなんて・・とショックを受けました。目の前に悩んでいるひとがいる、自分は心理学を知っているのに、目の前のひとにかける言葉が見つからない・・こんなに悲しくて虚しいことはありませんでした。
もっと日常に即した心理学を見につけたい、そう思って探し出したのが、カウンセリングサービスの母体である神戸メンタルサービスでした。大学のころからメルマガを読んでいて、簡単でわかりやすい言葉をつかって心理学の理論を説明できるなんてすごい!と感動していたのです。大学卒業後、とうとう門戸を叩きました。私が求めていた世界、学びたかったものが、そこにはありました。
そうして早4年。念願のカウンセラーになることができ、日々カウンセリングをさせていただけることが、本当にしあわせです。関わりあるみなさまに、本当に感謝の気持ちでいっぱいです。

そして、結婚です。
結婚が夢だった、というよりは、だれかと共に生きていく、ということが夢だったように思います。お互い信じ合えて、こころから愛し合えるひとに出逢えたことは、私の人生の奇跡でした。
というのも、ちいさいときからずっと、何かしら人間関係がうまくいかなかったからです。恋愛以前に、友だち関係がうまくいかなかったのです。ひとり浮いたこともありましたし、だれも信じられないような気持ちになったこともありました。
中学校、高校、そして大学と、所属や環境が変わるたびに変わろう、今度こそはうまくやろうと思ってきました。そうするあまり、どれが本当の自分なのか、わからなくなったときもありました。どれも本当の自分じゃない気がして、新しく築きうまくいっているはずの人間関係でさえ、「本当の私を知ったらみんな離れていくんじゃないか」とこころの底では信じていたような気がします。
今でも、その感覚がないかと言ったら・・それは嘘になるような気がします。しかしだからこそ、この私に共に生きるひとができるなんて、それはそれは夢のような出来事だったんです。しかも夫は、絶対私から離れていかないと信じられるひとでした。しかも、なんの根拠もなく、です(根拠のない自信ほど、最強のものはないですよね^^)。
“あぁ、このひとといっしょに生きていくんだなぁ・・”と、とても穏やかに、そしてとても自然にそう感じられたことを思い出します。


さらにこのふたつの夢の成就には、ある共通点があります。

それは、「なにかを気づかせてくれる、支えてくれる、励ましてくれる友だち・仲間・先生」に恵まれた、ということです。

かつては人間関係に悩み苦しんだ自分でしたので、今こんな風に書けるなんて、昔の自分が知ったらとてもじゃないけれど信じられないと思います。環境が変わるたびに変わろうとしたことは無駄じゃなかったようで、かつて死にたいくらい苦しんだからこそ、今ひととの御縁を大切にできる自分になれたのかも、しれません。

私が迷ったとき、気づきをくれる友だちがいました。
私が悩んだとき、だいじょうぶだよ、と支えてくれる仲間がいました。
私がどつぼに嵌ったとき、ほらほらそこだよ、と教えてくれる先生がいました。

今まで関わったどのひとも、だれかひとりでも欠けていたとしたら、今の私はありえません。
(私が人間関係に苦しむ原因になったひとですら、もしいなかったとしたら、こんなにひととの御縁を大切にしようと思える自分には、出会えなかったことでしょう。)

かつての私がしてもらったように、だれかにとっての私が、何かを気づかせる、そのかたを支える、そして励ますような存在になることが、人生の目標のひとつになりました。それが、かつて私がしてもらった方々に対する一番の恩返しになるような気がするからです^^もちろん、カウンセラーという職業も、その目標を叶える手段のひとつとなっています。


そして来年以降は、この夢をどう拡大・拡張・影響させていこうかな・・そう考えるとわくわくしてきます!
『ひととひととのつながりをつくる』、そんな1年になりそうな予感です♪

みなさまは、来年、どのような自分になりたいですか?
どのような自分でありたいですか?
そして、どんな風に毎日を生きていきたいですか??

みなさまの次の1年が、しあわせで楽しくて、日々キラキラ充実していて、たくさんのわくわくに包まれた1年になりますように!!


お読みいただき、本当にありがとうございました^^
みなさま、よいお年をお過ごしください♪♪


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2009年12月22日

イベントで愛と感謝をプレゼント! ~奥さん誕生日秘話より~

いよいよクリスマスが近づいてきましたね!
色とりどりの美しいイルミネーションが、街や住宅街でキラキラと輝いていて、
見ているだけでも自然とワクワクしてきます。

クリスマスに限らず、一年のうち何か一つはイベントってありますよね。
誕生日、バレンタイン、結婚記念日、○婚式、etc・・・。
私たち夫婦の場合、二人がお付き合いした最初のころには、
つきあって○ヶ月記念、○年○ヶ月記念というものを作ってました。
今でも、時々そう言えば今日だよね~ってプチイベントになったりします。
そんな風にマイ記念日を作ってみると、日常に楽しみができますね。

記念日ということで、私ごとですが、奥さんの誕生日の話を。


「ねぇ、その日はどうするの~(^^)」
と奥さんから満面の笑みで聞かれていましたが、
私はといえば、なかなか誕生日プランを作り出せずにいました。

前々年は、私たちの好きな雰囲気のお店に、お祝いのことは内緒で連れてきて、
私とスタッフで、サプライズケーキとハッピーバースディを歌いました。
そのときの、ものすごくびっくりした奥さんの顔は、今でもハッキリと思い出せます。

昨年は、日にちがズレたものの、それでもお祝いOKだということを知り、
同じお店で再び、サプライズとしてみんなでハッピーバースディを歌いました。
さらにそのとき答えたアンケートで、来日アーティストのライブのチケットが、
ペアで当たってしまいました。

そういう事が続いたので、さて今回はどうしよう・・・
と自分でハードルをあげてしまい、あれこれと考えすぎていたようです。

そんな私に、奥さんから王道デート企画が出ました。それは、
「観覧車に乗りたい!!」
おおっ。確かに何度か近くで見る事はあっても、実際に乗ったことはありませんでした。
じゃあそれを可能にするプランを・・・と場所を探し始めました。

見つけたのは、関西では最近何かと話題のWTCビルのお店。
美しい夜景を見ながら食事ができる、という評判で、
しかも、誕生日のお客さんにはケーキまで出してくれるとのこと。

誕生日当日になり、仕事を終えてから、奥さんを乗せて現地へドライブ。
夕暮れの街並みを見ながら走るのは、ちょっと得した気分でした。

お店に着き、案内された席に座ると、窓から見える夜景の素晴らしさに、二人してウットリです。
大阪のベイエリアを一望でき、神戸方面にまで延びる長い光の列にカラフルなネオン。
後で乗る世界最大級という観覧車も、下の方に小さく輝いています。

食事もおいしく、ムードも満点。もうここまでくると、
「これは君のために用意したんだよ」なんてクサい言葉も、
ロマンスモードでさらりと言えたりします(笑)

サプライズケーキは、私の怪しい態度であっさりバレましたが、それでも奥さんは大喜び。
そして夜景を惜しみつつ、次の観覧車にダッシュで行きました。
最終時間が迫っていたましたが、何とか間に合いました。

すでに何人か並んでいて、段々近づいてきたあのシースルーに乗るの?と思っていたら、
それは、前もってずっと待っていたカップルが乗って、
私たちは、通常のキャビンに乗りました。

私にとっては久々の観覧車ですが、もういつか分からないくらい前に乗っただけでした。
外を見ると闇夜に吸い込まれる景色。そして大きな観覧車だけに、動きがまたゆっくり・・・。
思った以上にビビッてしまい、気づけば背中も手のひらも汗びっしょり。

そして私は固まりました。

最初シースルーでないのは残念かな?って思いましたが、
今はあのカップルに感謝したい心境で、高まってくる恐怖のやり場を考えました。

予定では、目の前に広がる夜景に目を奪われるのでしょうが、
どれだけそう意識を向けようとしても、さっきまで見ていたのと同じ景色では・・・
結局気持ちのやり場を見つける事さえできないまま、
観覧車が一周するまで、恐怖の時間を過ごす事となってしまいました。

ふと隣の奥さんを見ると、夢が全部叶い、鼻息も荒く超ハイテンション!
この二人の温度差の違いに、二重に落胆していた私ですが、
地上に戻り、私の異変に気づいた奥さんの介抱のおかげでなんとか元気になり、
ベイエリアの美しい夜景ドライブを楽しみながら帰りました。

こうして、いろんな意味で刺激的な面もありましたが、
いつもと違う楽しみができるのは、やっぱり記念日ならではですね。


特別な記念日にこそ、パートナーに日頃できない事をしてみたり、
照れくさくて言えなかった事を、あえて言ってみてはいかがでしょうか?

こんな日は、お互いに自分の気持ちに素直になりやすいので、
愛情を与えたり受け取ったり、ということがしやすかったりします。
恥ずかしいから、という人は、手紙やカードに書いてみてもいいですね。


もうすぐクリスマス。
この一大イベントに乗って、あなたはパートナーに何をしたいですか?
言葉でも食事でもプレゼントでも、たとえそれがどんなに小さなことでも、
そのことが二人の絆を深め、お互いの愛情を確かめ合うことになるでしょう。

建部かずのぶのプロフィールへ>>>

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2009年12月15日

花開く瞬間 ~こころのもたらすもの~

先日、フィギュアスケートの高橋選手の試合をTVで見ていました。
去年の怪我による手術・リハビリからの復帰のため、2年ぶりのスケートです。
フィギュアは芸術性も兼ね備えているスポーツなだけに、プライベートからくる精神面が、演技に影響を及ぼしたりすることがよく見えるので、見ていて応援したくなるし、すごく励まされるんですよね。
NHK杯に継ぐ2戦目ですが、前回はまずは舞台復帰という感じだったので、今回はどんな滑りなのかドキドキしながら見たのでした。


どんな選手も、ほんのちょっとのメンタルの乱れが演技に反映されます。
恐れもあるでしょうが、なんとか実力を出してほしい、そう思いながらフリーの演技が開まるのを見ました。
緊張感が張り詰め、最初はハラハラして見ていたのですが、そのうち、言葉がなくなりました。
気づくと、食い入るように彼の演技に見入ってしまいました。
実際の、技術的な評価がどうか細かいことは分かりませんが、だんだん心が無になるというか、次第に、まるでゆっくりと花開くように心を奪われたのでした。
復帰後まもない心もとなさはあるものの、彼の演技は怪我をする前よりも、ずっとのびのびしていて、柔らかく、身体全体を通して滑らかさ、流れるような美しさが伝わってくるんです。
演技が進めば進むほど、見ていて、スケートが本当に好きなんだろうなあ、スケートを滑ることを楽しんでいるんだろうなあ、というのが確信として伝わってくるんですね。
そういうときの演技、って説得力があるんですよね。


以前、リハビリ中の取材番組で、高橋選手と同じ怪我をして過去に復帰した選手はいないということを言っていました。
手術をしても、リハビリをしても、本当に元の通りに復帰できるか分からない不安に、押しつぶされそうになり、練習をサボったこともあったそうです。
「スケートがやめられないのも分かっている」
そう彼自身も語っていて、止めることができないからこそ、不確かなものに対する恐れは、おそらく私の想像などはるかに超えるほどの大きさだったのではないかと思います。
その思いを越えての復帰でした。


彼の演技を見ているうちに、思うことがありました。
私たちが今していること、というのはかつて自分が選んだことなんですよね。
仕事にしても、パートナーにしても、自分がこれがいいと選んだはずなんです。
ところが、私たちはいつしか、ルーティンになればなるほど、やらなくてはならないこと、できなくてはならないこと、のように扱ってしまうようなところがあるようです。
もしくは、好きで努力して結果も出たけれど、一方で、よくなればなるほど、今の立場を失いたくなくて、ちゃんとしなければと保守的になってしまうところがあるような気がしたのでした。


演技の間、彼のイキイキとしたすべりを見ているうちに、
「好きなことをするのと、それを楽しむというのは別のことなんだ」
そんな風に感じたのでした。


フィギュアは好きなので、どの選手も応援しています。
リンクの上で、一人、さまざまな思いを抱えながら演技をしているのだと思います。
今までの努力や、よりよい得点を出したいという思い、いい演技をしたいという思い。
それらがかえってプレッシャーになってしまい、ちゃんとやろうと思うほど縮こまってしまうことも、時としてあるように見えます。
そんな中で、滑ることを楽しんでいる心の状態というのは、見るものにものすごく訴えるものがあるんですよね。


そして、それは自分にもいえるよなあ、と思うのです。
ちゃんとやろうとする姿勢も大切。
でも、正しくあろう、きちんとやろうとするあまりに保守的になってしまい、自分を出し切れない時ほど、私たちは後悔することが多いようです。
選手たちも、難易度の高い技にチャレンジして失敗したとき、
「自分の滑りたいように滑れたからよかったです」
「自分がやりたいことに挑戦できたのでよかったです」
と言っていたりするんですよね。


自分が選んだことを、ただ、心から楽しむということ。
簡単でありながら、つい、忘れてしまいがちなこころの状態。


どんな状況であったとしても、どんなものごとも、自分がしていることを楽しむことができたとき、私たちは本当に満たされるのかもしれません。
そして、本当の自分らしさでキラキラ輝くものなのかもしれません。


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2009年12月 8日

豊穣の土、木々は育み、そして花を咲かせる

「あら、ご存知なかったの?」

その人は静かに僕に向かって微笑んだ。

薔薇の栽培を趣味にしている、その人とは久しぶりの再会だった。
いつしか話題は、薔薇の花を咲かせる話題になっていった。

「薔薇を育て始めた頃はね、花を観るためにやっていたのよ」

薔薇はとてもデリケートな植物で、
美しい花を咲かせるためには、周囲の環境を整えないといけない。
土の状態、日当り、気温、風の向き
しかも、それは季節折々に違ってくる。

「真夏のかんかん照りの時なんかに外出してるとね、薔薇のことが気になってしかたがないのよ」

そうして育てているうちに、段々とわかるようになるの。
木の表情というものが。
木の顔色が。
毎日同じではない
木のご機嫌を伺う
年によって夏なら夏のあり方も違う
敏感にそれを感じ取って何をしてあげたらいいかを考えて処置をする。

植物を育てるようになって、
一週間単位で季節の変化を感じるようになったわ。

それからね、いい花を咲かせるためには、やっぱりいい土が必要。

「いい土っていうのはね、まるでショートケーキみたいにふかふかなのよ」

結果的にそれが良い花を咲かせる。
みている期間が長いだけ
手をかけただけきれいな花が咲く

「薔薇は、文句言ってくれないでしょう。ふふふ。」

どれだけ薔薇の木と、土と向き合うことができるか。

そう思うようになってからは、薔薇の木と土を整えることが楽しみになったの。
花はおまけの楽しみ、最後のご褒美みたいなものよ。


まるで、「心」の話を聞いているようだ。
僕はそう思った。

何か問題や課題があるとき、私たちはその直面している問題をなんとかしたいと思う。
例えば、仕事の成果がでない。パートナーができない。
どうして結果が出ないのか、いろいろな手段を使ってみたけど、うまくいかない。

そうしてカウンセリングの扉を叩いてやってこられる方とのお話の中で
原因を考えていく時、今ご相談にこられた時から、過去の出来事に遡っていくことが多い。
それは、生い立ちのところまで戻ることもしばしばだ。

今を薔薇の花に例えるなら、
過去の出来事は、薔薇の木に。
土は生まれた家族のようなものなのかもしれない。

今、花を咲かせようとしたら、花そのものに手をかけるだけでなく、
木に聞いてみる。
土に尋ねてみる。
そして、木が伸びやかに育つよう
木のために土を潤わせるよう
力を使ってみる。

けれど、心と薔薇には最大の違いがある。
それは、今からでも心の木や土は、豊かなものに変えることができる
花を咲かせることができるということだ。

そういう事例をいくつもカウンセリングをやらせていただく中で
伺ってきた。
夫婦の問題で悩まれた方を例に取れば、
自らのルーツを見つめ、癒していく中で、
向き合えなかった夫婦がお互いをきちんとみることができ
結果、
二人で生きていく選択をしても
お互い別々の道を歩いていく選択をしても
お互いが一番幸せな道を選んでいくことができる。
その時には、相手のことを尊重し思いやれる関係になっていることが多い。

そうした幸せという花を咲かせた方々は、必ずこう言われる
「やり直せないことってないのですね。」と。
現在と形は変わることがあっても、もう戻ることはないと思っていた相手への思いやりや、温かい気持ちは、戻ってきているのだ。

そのために必要なことは、
「どれだけ自分の源と向き合うことができるか」
なのだと思う。

僕たちカウンセラーができることは、
自分一人ではなかなかできない、向き合うためのお手伝いをさせていただくことなのだと思う。


誰もが、花のつぼみを持っている
冬の寒い中、なかなか咲かない花を待っている
もしかしたら咲かないかもしれない
そんな不安になる
けれど、その花は咲かせることができる
自分の葉に、幹に、土に
そこには止めるものもあれば
咲かせるものもあるのだ
誰にだって
もちろん、あなたも


その人は、冬の街頭で、僕に向かって最後にこう言った。

「真冬に咲く薔薇をご存知ですか?」

真冬に咲く薔薇はとても美しいんですよ。
とても深い色の花を咲かせるんです。


厳しい冬であればあるほど、それを乗り越えた薔薇は
きっと深く美しい花を咲かせるような気がした。
観たことがなかったその花を、今度観に行こうと思う。

special thanks : reiko

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2009年12月 1日

生まれてきてくれて、ありがとう!! ~~いのちの原点~~

 時々、自分の掌を見つめて、人の身体は本当によくできているな、と思うんです。お腹の中にいる時から、絶え間のない成長を続ける身体。

 効率のよい、最高のデザインとも言われる人体。その身体を使うべくして、みんな生まれてくるんですが、命の重みが時に希薄に感じられる、昨今。

 ☆  ☆  ☆  ☆  ☆  ☆  ☆  ☆  ☆  ☆  ☆  ☆  ☆  

私が生まれたのは昭和35年(1960年)。
 
 テレビも電話もそんなに普及していない時代で、車もそう多くはなく、神戸の街には市電が走っていました。市電が廃止されたのは私の記憶では妹が1歳くらいだったので、昭和45年ころかな。

 今はまったくその面影はないですが、電車の軌道が、広い道を往来していました。

 生まれた場所は、知る人は知るその地名、福原。そんな軌道が近くにあった所です。

 今では一大風俗街になっていますが、その当時もやはり花街の香りがあったのではないか、と思います。検番(芸者の置屋)は、まだ最近まであったはずです。・・・今も、あるのかな?

 でもそれよりも、もっと以前は、かの平清盛が福原京を置いた場所でもあります。

 生後半年めには、今いる辺りに越してきたようなので、もちろん記憶らしい記憶ではないのですが、身体でその華やかな空気を覚えているような気がするのは、錯覚かもしれないし、それ以上の何かがあるのかもしれないのですが。

 とにかく、私にとっては本当の意味での故郷なのかもしれません。

 父は、両親を早く亡くしていたため、生まれた目黒を離れ、祖父の姉に当たる大伯母を頼って、神戸に来たようです。

 4人きょうだいと聞いていたのに、話題に登場しない叔母・・・父の妹がいるはずなんですが、幼いころに行方不明になってしまっていたということでした。昭和10年にならないころでしょうか。もしかしたら、女の子なので、売られてしまったかも知れない。そんな話でした。

 大伯母は、女学校を出て(母曰く、インテリばあさん・・・ほんの数冊ですが、それを示すような形見の本が私の手元にあるのです)、地元の古い医師の家系に嫁ぎ、その話を聞いたぼんやりした記憶のかけらを集めると、看護師のような業務もしていたようです。

 その大伯母・・・おばあちゃんは、夫の死後、子供がいなかったために「子なきは去れ」と、婚家を着の身着のままのように追い出されたと言います。大伯母の死後、婚家の方が、一度尋ねてきたのを、うすぼんやりと覚えています。

 おばあちゃんは、家を追い出された後、福原に店を持ちました。たぶん戦後・・・だと思いますが、いわゆる赤線が廃止になり、女の子たちの帰る場所がないので、「ハイボール東京」という名の店を開き、そこで面倒を見ていたと言います。

 なぜ、そんな店を作ったのか。おばあちゃんの、気が強く面倒見がよい性格はあったにせよ・・・。

 私の中ではいまひとつ、繋がらないままだったのですが、つまりは父の妹、私にすれば叔母、おばあちゃんにとっては姪なのですが、さらわれて売られていたとしたなら、こんなところに来るに違いない、その時にいてやりたい。守ってやりたい。そんな想いがあったからだ、と随分たってから聞きました。

 おばあちゃんに私は生き写し、とよく言われました。色白で、しっかりした体格で猫背で丸顔。おばあちゃんは、私のことを「自分の生まれ変わり」と言っていたそうですが・・・自分がまだ生きているというのに。

 それくらい、大切にされていたのだ、と、思い出します。そしてどうやら私は、その気性も継いでしまったような、気がします。

 実は、もう一人の大叔母がいて、このおばあちゃんや祖父の妹なのですが、教師をしていたということ、気難しい人だった印象、私のために作ってくれた七五三用の振袖、そして古い絵が、私の心にある思い出の大部分です。

 二人の大おばたちは、結婚や子供の縁に恵まれなかったのですが、晩年を私たち家族と過ごしたことで、少しは寂しさが紛れていたのなら、本当に嬉しいことです。

 気難しい、小さいおばあちゃんが、それでもせっせと私のために晴れ着を縫ってくれていた。言葉での表現が上手ではない分、想いのこもっていたであろうその着物を、私は本当に好きでした。

 実は、その着物に袖を通すのはおばあちゃんの死後なのですが、その日のために伸ばした髪を、母と近くの美容師の資格を持つやさしいおばちゃんが、二人がかりで日本髪に結ってくれた写真が、あります。

 少し頬を紅潮させた私が、すまして写っています。決して鮮やかではない色彩。でも、形には表せない記憶のかけらが、却って鮮明に感じられるような、そんな気がします。

 彼女たちが生まれ成長したのは明治から大正にかけての時代。今の私なんて、非国民でしかないよなぁ・・・。とんでもないヤツに違いありません。それでもおそらくおばあちゃんたちは、当時の女性にしては開けていた方なのでしょう。

 大きいおばあちゃんの形見にはたくさんの書籍がありましたが、その中の「源氏物語」が大正の初期の物でした。注釈さえ・・・私が読むには現代語訳が要りそうなくらい。

 高校生のとき、ちょうど古文で紫式部の、和泉式部の、とやっていたころだと思いますが、国語の先生に頼まれて持っていきました。先生の望まれているものではなかったようですが、しかし・・・大変なものを発見されてしまって!!

 おばあちゃんの旦那様であった医師が、独身時代におばあちゃんにあてた熱烈な恋文が、挟まっていたのでした。今で言うなら、トレース紙のような薄い紙に、万年筆で綿々と恋心を綴っていたようで。それを、人の悪い(!)先生が、授業中に披露されたのですから・・・。

 もう、勘弁してよ!!っていうくらい真っ赤になったのを覚えています。自分のことではなかったのですが、自分のことのように恥ずかしかったなぁ。今でも、恥ずかしいという感情は、私にとって最悪の感情、なんですけど。

 時々こんな風に、自分のルーツを思い出してみたりするのですが、おばあちゃんたちはどうしても欠かせない存在なのです。

 昭和の真ん中あたり、高度成長の只中で、学園紛争の只中でもあった時代に生まれた私。個人の成長と社会の成長が、ある意味一致していたような時代。

 この十年、二十年を思うと、その動きも激しくはあるのですが、子供のころからの変遷を思うと、それほどでもないような。そんな気もします。

 それにしても。

 女に生まれたからには「子供を生むこと」が大切な仕事であった時代に生まれた、二人のおばあちゃんたちは、自分の子供を持たない人生でしたが、私と弟を誕生から、二人それぞれの人生の最後まで見守ってくれた人たちでした。

 時代は、彼女たちの人生を、決して肯定することばかりではなかったと思います。それどころか、理解されることも少なく、もしかしたら生きている意味さえ感じられることが少なかったかもしれない。

 幼子と生活することを、若いころには考えることもなかったのでしょうが、彼女たちのそれぞれなりの愛情を、私たちにゆるりと注いでくれていたことを、今になってわかってきた気がします。

 そして、今だからこそ、言えるんです。

 こうしてどれだけ時を経ても、私の心の中にいてくれて、本当にありがとう。
生まれてきてくれて、ありがとう。私の近くにいてくれて、ありがとう、と。

 ☆  ☆  ☆  ☆  ☆  ☆  ☆  ☆  ☆  ☆  ☆  ☆  ☆

 「生まれてきてくれて、ありがとう。」

 何だか陳腐で、私にとってはとても照れくさい言葉なのですが、だからこそ、言葉にして伝えたいのです。

 大切な人に。大好きな人に。
 自分の人生を見つめてくれた人に。命をくれた人に。
 守ってくれる人に。信じてくれる人に。

 あなたがこの言葉を言うとしたら、誰に伝えるのでしょうか。よかったら、そっと私に教えてくださいね。


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