« 2009年3月 | メイン | 2009年5月 »

2009年4月28日

親父になって父を思う

娘が生まれて4ヶ月。
ということは、僕が父親になって4ヶ月なわけです。

3日会わない間に大きくなっていてびっくりしたり、声を上げて笑うその姿に天にも昇るような気持ちになったり、ちっちゃなちっちゃな手で僕の指をギュッと握りしめられてハートをズキュン☆と撃ち抜かれたり… と、日々楽しませてもらっています。

もう、彼女の全てが愛くるしいのです。

「ここがもうちょっとこうだったらなぁ…」とか、「ここがダメだ」というような、否定したり責めたりする要素がないんです。

親バカなのは重々承知しています、ハイ(汗)

もとい。

彼女のおかげで「幸せとーちゃん」させてもらってますが、父親になってから、自分の父のことを思うことが多くなりました。

子供の頃、僕と父との間には距離がありました。

父の仕事柄一緒に過ごす時間が少なかったという環境や、父が表立って感情表現をすることが多くなかったことなどから、父がなんだか遠い存在のように感じていたのです。


小さい頃、僕は父に対して不満がありました。

僕は、父に誉めてもらった記憶がないのです。

誉めてもらうだけでなく、「ああした方がいい」「こうしちゃだめだ」と、意見されたこともほとんどありません。

父に言われたのは、「好きにしたらえぇ」「祥典やったら大丈夫や」くらいのものです。

僕にはそれが父から見放されているような感じがして、1人ぼっちで心細く、寂しくて惨めな気持ちを感じ、「誉めてほしい」「教えてほしい」「支えてほしい」といった思いが満たされることはありませんでした。

そして、こんなふうに思っていました。

「お父さんは僕のことがあんまり好きじゃないんだ、だから夜も日曜日も家にいないんだ」
「お父さんが誉めてくれないのは、僕がダメだからなんだ」


大人になった今では、それが真実ではないことを頭で理解することができますが、それでも、心では「愛されていたんだ」と感じて納得するまでには至っていませんでした。

ところがです。

すごく重大なことに気づいたのです。

僕はこれまで父に誉められたことがないと腐っていました。

でも、誉められたことがなかったかもしれないけど、否定されたこともなかったのです。

結構な放蕩息子であると自覚があるくらいですから、父にとって、眉をひそめるようなことが何回もあったことでしょう。
意見したかったこともたくさんあったでしょう。

それにもかかわらず、一度もないと断言してもいいくらい、否定されたことがないのです。

僕に言うのは、「好きにしたらえぇ」だけ。


「否定されていなかった」

それは、「僕を傷つけた」「僕に寂しい思いをさせた」「僕に自信がないのはお父さんのせいだ」「僕の求めるお父さんではない」と、心の中で何百回何千回とさんざん父のことを否定し責め続けてきた僕にとって、雷に撃たれるくらいの大きな衝撃でした。

「否定しない」

それが、父の愛だったのです。

頭頂から足先まで駆け抜けた電流のような衝撃と共に、父に対する否定の気持ちや責める気持ちが心の中から消えてなくなっていました。

否定せずに全てを丸ごと受け入れてくれる。
信頼して自由にさせてくれる。
僕の気持ちを尊重してくれる。

否定しまくり、コントロールしまくりの僕にとって、それは欲しいものであると同時に、あり得ないものでした。

でも、それがあったんです!
欲しい欲しいと臨んでいたものを、僕はもう手にしていたんです!!


こうして、僕の心の中の一つの戦争が、終わりを迎えました。

僕に気づきをもたらしてくれ、この戦争を終わらせてくれたのは、否定するところを一つも持ち合わせておらず、愛さずにはいられないところしかない、僕の娘です。

うちの娘、すごいでしょ!?(笑)


娘よ、君があふれるほどの幸せと喜びの人生をスキップしながら進めるように、とーちゃんが一足先に幸せ街道をまっしぐらに進んで、道を作っておくからね!


投稿者 cseditor : 00:00 | コメント (3)

2009年4月21日

我が家の決まりごと~1食2膳~

こんにちは、宮本です。
初コラムなので、やや緊張気味ですが、よろしくお願いします。

今回は、私が育った幼少期の宮本家のエピソードをひとつ・・・
厳しさとやんちゃさを兼ね備えた父、穏やかな、どこかお茶目な母の元で育ちました。
家には、色紙に書かれた家訓ならぬ、父のお気に入りの言葉が書かれた色紙が
所狭しと家の壁に貼られていました。
たくさんのことを子どもに残したかった父。
父の教えや決まりごとの意味は、そのときは難しくて分からなくても、
大人になるにつれて理解できるようになっていました。
だけど、一つだけ分からないものがありました。

『1食2膳』
食事1食につき、ご飯を2杯以上食べなさい。
というものでした。

「残さず食べなさい」躾もありましたが、それに追加して、何故「1食2膳」???
思春期の体型などが気になるお年頃の時期は、とても嫌な決まりごとだったのです。
むしろ、ご飯をお茶碗半分にしたい・・・そう感じたことも何度もありました。
2杯食べないことが見つかろうものなら、不機嫌になる父。
「お前らがしっかり食べないと、働いている意味がないだろう(怒)
そんなことなら、働かんぞ!!(怒)」

???

何故、機嫌が悪くなる??
だからって、何故働かなくなる??
当時の私には、怒られていることに気をとられて、父の思いが分かりませんでした。

しかし、少し巻き戻してみると答えは明らかでした。
父は、私たち家族がたくさん食べることで、働く意味を感じてきた人だったのです。
だから、私たちの食欲がないときには、働く意味を感じられなかったのでしょう。
両親は、戦後間もない頃に生まれ育ったので、その時代背景を考えれば、
今のように飽食の時代ではありませんでした。
だからこそ、家族に充分にご飯が食べさせることが出来ること=家族の幸せであり、
父にとって意味あることだったのかもしれません。

生きた時代や育った環境や人が違うと、幸せの形や事がらの持つ意味も変わっていきます。
だから、相手の行動の意図が分からないことやすれ違いもあると思います。
でも、そこには相手なりの思いや表現があります。
「自分」というカテゴリの中にはない思い。
それを感じた我が家の決まりごとでした。

時が経ち、実家を出て自立しました。
今では、「1食2膳」決まりごとではありませんが、この決まりごとを思い出し、
父の思いを感じるときに、怒っていた父の顔ですら、かわいらしく感じる今日この頃です。


宮本恵のプロフィールへ>>>

投稿者 cseditor : 00:00 | コメント (0)

2009年4月14日

毎年、満開の桜を見て思うこと(蕾は満開よりもキレイだということ)

春になると日本列島に桜前線が訪れ桜の花が各地で咲き始めます。
日本列島は縦に長いから、このコラムをお届けする頃には、
関東より南の地域では桜は散っているかもしれません。
でも東北や北海道などでは、今から満開を迎えるのでしょうね。

「桜前線」っていい響きだと思いませんか?
寒冷前線や停滞前線などと聞くとちょっと憂鬱な気持ちになりますが
「桜前線」という響きを聞くと、どことなく温かい明るい気持ちになります。
桜の花というのは、直前の冬が寒ければ寒いほどキレイに咲くのだそうです。
そのことを聞いて私の中でカウンセリングと重ねる部分が多いのです。

今、一生懸命お話を聴かせて下さっているお客様がいる。
その方はとても辛そうで今、どん底にいる。
でも例え、どん底にいてもあきらめていない。
その姿勢は、「いつかきっと満開の花を咲かせるのだろうな」...と
「その花はとてもキレイなのだろうなあ」...と

どうして桜はキレイなのでしょうか?

たぶん、ただただ咲こう!そう思っているからではないでしょうか。
例えばソメイヨシノが自分達より先に花を咲かせる河津桜より自分達が劣っているなんて思わないでしょうし
ソメイヨシノより時期的に少し遅れて満開になるシダレザクラに自分達の方が勝っているなどと優越感を感じることもないでしょう(笑)

ただただ自分の花を咲かせよう!
そう思っているから桜はキレイなのだと思います。
私にとって人生の中で冬の時代というのは4、5年前だったと思います。
会社が潰れてしまったり周りにいた人達とも、どことなく疎遠になっていきました。
たくさんの物を失ったような感覚がありました。
しばらくは、その焦燥感に浸っていたのですが、しだいにこんな風に思う様になったのです。

「人生は自分の思う通りにはいかないんだなあ」
「人は自分の思う通りには動いてくれないのだな」 って
「だから、もう諦めよう!」って

それは人生を諦めてくださいとか、どうせ自分の思ったようには、ならないから頑張っても無駄ですよという意味ではなく
周りに惑わされないこと、
自分が主体となることが大切だということで...

諦めたと言うのは今までのやり方を止めて新しいやり方・新しい生き方をするという意味です。

「人生は自分の思う通りにはいかない」
「なら自分が悔いの残らないように一日一日、やれることを一生懸命やっていこう!」って

そして、その直後にカウンセラーになろうと決めました。
反対する人もたくさんいました。
「わざわざサラリーマンを辞めてやることないじゃない」とか
「会社にいれば成功するかしないか分からないカウンセラーの仕事よりも安定しているよ」
そう言って反対する人が、ほとんどでした。

でもサクラは、なぜ美しく咲くか知っていますか?

サクラは例え散ることが分かっていても咲くのをあきらめないのです。
4月下旬、5月には散ることが分かっているのに満開の花を咲かせよう!
ただただ、それだけを思い一生懸命咲こうとするのです。
だから美しくキレイなのですよね。

未来のことは正直分かりません(笑)
でも私は今、幸せです。

カウンセラーとしては、まだまだ大木【たいぼく】には、なれていません。
太い幹は周りの方には見えないかもしれません。
でも、とても強い根が大地に張っているということは
自分自身が一番分かっています。

そして私の周りには大きな太い幹を持った、たくさんのカウンセラーの仲間がいます。
その人たちのいい所を吸収し自分自身でも成長し
いつか大きな太い幹を作って行こうと思っているのです。

そして満開の花を咲かせよう!と思っています。

人生の冬の時代から4、5年が過ぎ、今、私が思っていることは
「もしかしたら一番キレイなのは蕾の時期ではないかな」と言うことです。

満開の花を咲かせようと一生懸命、努力し何かを追い求めているとき、
毎日をコツコツと頑張っているとき、
それはサクラであっても人であっても魅力的なのではないかな...と感じるのです。

毎年、サクラの花が満開になるこの時期、
みなさんが一生懸命、花を咲かせようとしている姿をより鮮明に思い浮かべます。

寒い冬ほど、キレイな花を咲かせることができます。
どんなに長い冬であっても、あきらめなければ必ず花は咲くと信じています。

一緒に満開の花を咲かせていきましょうね。
きっと素敵な花が咲くでしょう!


土肥幸司のプロフィールへ>>>

投稿者 cseditor : 00:00 | コメント (0)

2009年4月 7日

新生活に向けて

今年は桜の開花が例年より早かったそうですね。
入学式には既に散っていた、そんな地域もあったのではないでしょうか。

さて、この時期、「入学した」「入社した」方はもちろん、異動や引越し等々、環境の変化のあった方もたくさんいらっしゃると思います。
引越しや昇進などの環境の変化が心にも変化を与えることは広く知られています。毎日のたくさんの出来事に忙殺される時期ではありますが、意識的に、普段よりもずっと自分を大切にするために、ゆっくりする時間を作ったり、好きなことをしたり、ストレスを溜めないために話したり、遊んだりすることも忘れないでくださいね。

ところで、私が新入社員だった頃、上司にあたる方から言われた言葉があります。
それは、「毎朝、元気よく挨拶さえすればいいから」というものでした。
「すればいいから」というのは、「それだけしてればいい」というようなネガティブな意味ではなく、「それだけでもやってみなさい」という、応援の意味だったんだろうな、と今は理解しています。
「毎朝、元気よく挨拶すること」
最初は、簡単だと思ったんですよねえ・・・。
でも、やってみると・・・。
最初の3日くらいはいいんです。
特に私は5年ぶりにその部署に入社した新人だったので、色々気にかけてもらえて、笑顔で「おはようございます」と挨拶してから室内に入ると「おはよー」と、目を見て挨拶を返してもらえるんです。ところが、3日もすると先輩方も慣れてきて、挨拶しても返してくれなかったり、「おはよー」という言葉だけだったり。
すると、私のやる気はぐんぐんダウンです。
「一人だけ張り切って挨拶するのも恥ずかしいなあ」「この部署はこういう所なんだし、私も合わせた方が良いよな」なんて考えて、挨拶は、小さな声で入室前にして、後は、仲のいい先輩と上司にだけ挨拶するようになってしまいました。

それから、10年以上の時間が過ぎて、あの頃のことを思い出してみると、色々なことが見えてくる気がします。

自分が先輩になってみてわかったことですが、新人って、目立つんですよね!
新入社員や、新しく異動してきた方。
古株側から見ると、「変化」をもたらす方々です。
人間が持っている、奥深い「恐怖」。それが「変化への恐れ」だといわれています。
それまでの安定した場所(この場合は職場ですね)に「変化をもたらす者」。
怖がりな先輩たちは(少なくとも私はこのタイプの先輩でした)、戦々恐々としながら新しい闖入者の行動を観察しています。「コイツは自分たちの生活にどう変化をもたらすのかな?」と、怖がりつつも「良い変化をもたらしてくれる人なのかな?」と期待もします。
そうして、少しづつ、お互いに良い距離で安定していく。

でも、だからこそ、あのときの上司の言葉の意味が分かるような気がするんですよね。
「毎朝、元気よく挨拶すること」を続けることで、私はどんな風に新しい職場に変化をもたらすことができたんだろう?と、思います。私が与えた変化は、必ず自分の変化や成長となって返ってきますから、どんなギフトを受け取ることができたんでしょう?
単純なことだけど、誰もができることでもないんですよね。
熟練した技術も、専門的な訓練もいらない、ただの「挨拶」なんですけどね。


さて、話は少し長くなるのですが、心理学的なお話も少し。

自分自身を変化させたい、日常をよりよくしたい、人生を今よりもっと良くしたい、って思った時、一番何が必要だと思いますか?
ここまで読んでくださった方は「挨拶」と、思われるかも知れませんが、それだと、半分だけの正解です!

本当の正解は、「コミュニケーションをとること」なんです。

人は、人間関係の中で傷つきます。
でも、同じく、人間関係の中で癒されます。
極端な話、成功も失敗も、コミュニケーションの中にあるのです。
そのコミュニケーションの中でも特に大切なことは、
 ・自分から伝える勇気を持つこと
 ・本当に感じている感情を伝えること
の2つです。

まず、一つ目。
「自分から伝える勇気を持つこと」
これが「挨拶」ですね。
新人でなくても、初めての場所、知らない人ばかりの場所でも、「恥ずかしいから」って、誰かに挨拶してもらうのを待っているよりも、少し勇気を出して自分から挨拶をする方がずっといいですよね。あなたに挨拶された人は、あなたに好感を持つでしょう。周りから見ていていても、自分から伝える勇気のある人は応援したくなります。
挨拶だけではありません。当たり前のことですが自分以外の他人が、貴方の欲求をエスパーのように察知してくれるわけでもないですし、あなたを幸せにするために細心の注意を払っているわけでもありません。
あなた自身が行動して、コミュニケーションを取ってゆく勇気を持つことで、人生は大きく変わってゆきます。

もうひとつは、「本当に感じている感情を伝えること」
残念なんですが、本当に感じている感情を避けて話すことは、失敗感を強める結果を生みます。
自分の感じていること、心の声、身体の声に耳を傾けて、まずは自分に伝えてみてください。
「頑張らなきゃいけないけど、身体はずいぶん疲れてるから少し休もうよ」「うれしい!」「コレが好き!」
それができたら、近くにいる人に。
「ありがとう!」「ごめんね」「好きだよ」
天邪鬼さんは、なかなか自分の気持ちを伝えることができません。それは、照れくさかったり、もしかしたら過去になにか大きな傷があるのかもしれません。本気であればあるだけ、言えなくなってしまう。勇気が必要になりますよね。
でも、自分の中の恥ずかしさや、傷を越えて、自分の本心を伝えること。
やってみるとわかりますが、その勇気を持てると、自信にもつながります。

せっかくの春、新生活の季節です。
あなたの人生も、是非、バージョンアップしてみてくださいね。

伊藤歌奈子のプロフィールへ>>>

投稿者 cseditor : 00:00 | コメント (0)