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2008年12月23日

「ラーモニー・ドゥ・ラ・ルミエール」の思い出

 僕たち夫婦が結婚した時、挙式の写真を撮影してくれたのが縁で親しくなった写真館のカメラマンに「1年に一度、美術館の庭で写真を撮りませんか?」と言われたことがある。
 場所はどこでもいいらしかった。ただ、美術館の庭のオブジェの前のように年月が経っても変わらない風景の前で家族写真を撮れば、年が積み重なる毎に変化する家族の様子がよくわかるから、という提案だった。
 結局、そのカメラマンの転勤によって、このお誘いは実現しなかったのだが、「ラーモニー・ドゥ・ラ・ルミエール」というお店は僕たち夫婦にとって、その「いつまでも変わらぬ場所」のようなものだったのだと思う。

 「ラーモニー・ドゥ・ラ・ルミエール」は、僕たちの住む地元にあるフランス料理屋だ。
 有名な料理評論家も紹介するこの名店が、この年末(2008年12月)をもって25年の歴史に区切りをつけ、店を閉める。

 このお店とのおつきあいは、もう20年にもなる。
 初めて来店したのは、確か21歳の時だった。
 当時から食いしん坊だった僕は、ある雑誌に連載されていた東京を中心とした料理の名店の企画を楽しみにしていた。
 ある時、その連載に突然、自分の住む地元の住所とともにフランス料理屋が掲載された。こんなお店が近くにあるのか!と感激した僕は、その勢いで予約をして来店したのがきっかけだった。
 今思い出しても、食いしん坊にもほどがある自分に笑ってしまう。

 マダムとソムリエを務める女性スタッフさんは、二十歳そこそこの僕たちを他のお客さんと区別することなく、温かく迎えてくれた。

 「おいしく食べられたら、どんな食べ方でもいいのよ」
 テーブルマナーも覚束ない僕たちに、マダムはやさしくそう声をかけてくれた。
 
 すばらしいサービスというのは、なにげない、空気のように人の心を安心させ、包んでくれるものだということを、このお店は教えてくれた。

 この道では有名なシェフも、若い僕らに気さくに声をかけてくれ、それからは、このお店にくるのが大きなイベントのひとつになった。

 年に1、2回しか行くことはできなかったのに、「年が積み重なる毎に」親しさは増し、いつしかこの場所は、僕たちの「いつまでも変わらぬ場所」になっていった。それは、変わっていく僕たちの変化を確かめられる場所でもあった。

 結婚の報告をした時には、待ってましたとばかりに喜んでくれ
 長くできなかった子どもを授かった時には涙をうかべて感激してくれ
 カウンセラーになった時は「困った時に相談する人ができた」と祝ってくれた。

 うれしい気分の時には笑顔で迎えてくれ
 つらい気分の時には笑顔で迎えてくれ
 どんな時も変わらぬ笑顔で迎えてくれた

 そしていつしか、僕たち夫婦は40歳を迎えた
 その今、お店は四半世紀の幕を閉じようとしている

 閉店を知って驚きを隠せず、慌てて来店した時
 あまりに変わらぬ笑顔に出迎えられた僕らは
 悲しみや寂しさでなく、笑顔になっていた
 
 僕たちは毎日なにげなく当たり前のように過ごしている場所がある
 それはなくなって初めて気がつくほど、当たり前の場所だけど
 その場所のおかげで自分たちがあったのだと気がついた時
 その場所は永遠になる
 そして、この先、生きていく僕たちの心の支えとなる
 
 働き詰めだったマダムとシェフは引退を決意し、これから第二の余生を送るという。
 「まずはゆっくり休んで、それから何をして過ごすか考えるわ」
 マダムはいつもの笑顔で答えてくれた。

 いつもと変わらぬ、お客さんとスタッフの絶え間ない笑い声が響く店の中で。
 
 このお店のことは僕たちの心の中に未来永劫生き続けるだろう 
 そして、今度は、僕たちが誰かの「いつもと変わらぬ場所」になっていこうと誓った年末だった。


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2008年12月16日

幸せな生きかた~~一瞬を大切に~~

 年の瀬の近さを感じるものの一つに、街の景色の変化があります。

光を多用する昨今、いつもと違う彩りに染められた、見慣れた景色。街路樹を美しく染め上げる光彩。
何となく心弾む季節でもあるのです。今年もまた、この季節がやってきました。

冬間近の道路は、春の薄紅一色とはまた違った彩りの華やかさ。すっかり静まり返った夜半の路上は、
豪華絢爛な宮殿の廊下の様でもあります。

ひらり、と揺れて落ちた葉っぱを手に取ると、鮮やかな臙脂で描かれた葉脈を中心に、緩やかなグラデーションで色を変えているその一枚一枚が、似ているようで全然違うことに気づきます。

枝から離れる前には、樹全体をあでやかに色づけ、光さえ感じさせていた一枚一枚は、手に取るとまたさらに個々の美しさが際立ちます。

 そして・・・路上に広がった模様は一瞬の風で舞い上がり、弧を描いて緩やかに舞い落ち、また違った顔を見せてくれます。

 一瞬として同じ時は無い、と感じる瞬間です。


 さて。言い古された言葉なのですが、時間は、誰にとっても平等であると言います。

 本当にそうなのかな。

 友人が空へ帰っていったり、昨今のニュースを見たり、やるせない想いと共に、そう感じることが以前に増して多くなりました。

 「秒」、「分」と言った単位で見ればそうなのかもしれないのですが・・・、平等だな、と思えるときもあれば、そんな風にはとても感じられないときもあります。

 楽しい時間を過ごしている時や、やらなければいけないことが多かったりすると、時間の動きは魔法のように早いし、仕事が無かったり、退屈なときの時間は、澱んだ河のようになかなか動かないように感じます。

 時間を数字で計ってみると、例えば1日と言う単位の中で与えられている時間数は同じなのかもしれないのですが、そのときに必要だと感じている時間自体はやはり、その人・その時で違うのだろうな。


例えば。

 明日も明後日もずっと続くと思って生きていたのに、一瞬の事故や事件に巻き込まれてしまう命。

誰にもあるはずの、時間制限。でもその残り時間がはっきりと示されてしまった命。


そこにも同じ刻みで時は動いているけど・・・。

「それは本当に平等なんやろか?絶対に平等なんかやない、と俺は思う。こんな平等なんてない、って思う。」

先日、そう言ったのは、やるせないニュースを一緒に見ていた長男です。

そう言っている彼は、私の記憶の中にいる、笑顔のかわいい小さな男の子とはもう、重ならないことも多くなりました。

彼らとこんな話を真剣にする日が来ることを夢に見ていましたが、うれしい気持ちもあり、あの頃の彼らの姿が懐かしくもあり、重ねてきた時は確実にここにもあることを実感します。


今日の夕陽は、とてもきれいでした。いや、今日「も」夕陽がきれいでした。こちらが正しいです。

 西の空、下の方から少しずつ赤の分量が増えていきます。

 まだ青さが勝っている空では、口を開いた龍が通り過ぎたあとに唐突に現れた、宵の明星。その右側ではまるで絵筆をなぞったような雲が、背骨のように空を伸びています。

 背骨のすそが広がり、翼を広げた大きな鳥のように変わり、その際を二羽の鳥が我関せずとゆったりと、仲良く並んで飛んで行きました。

 この、今日の夕陽も、もう二度と逢うことはない。でもまた明日には、違う夕陽に逢えるんです。

 いや・・・夕陽、太陽そのものには変わりはありません。ただそれを色なす光景や、その景色を見る私の気持ちが、今日とは違うだけなのです。

 すべてのことは、永遠ではない。一つ場所にとどまることはない、のかも知れません。

 でも、そんなことを考える心、美しいと感じる人の気持ち、大切なものを愛する気持ち、誰かを想う気持ち・・・変わっていくように思えても、奥深くで息づいているものは変わらないな、とも思います。

 好きなものは好き。大切なものは誰がなんと言っても大切。たった一つ、大切なものがあるとしたら・・・そんなことを感じられる自分の心、なのかな。

 そして、そんな私を大切に思ってくれる人たち。私の「とき」を彩りながら、そんな人たちがここにいてくれる幸せ。

 私もまた、誰かのときを彩る景色です。


 互いを彩りながら生きる。
 
 それって本当に、素敵に幸せな生きかただな、と心に深く刻む、今年のこの季節の私、です。



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2008年12月 9日

新しい環境へのステップ~お引越しに想う~

この11月。お引越しをしました。
数年前より、大阪府営の住宅募集に応募をしており
今回、5年越しの念願が叶い、当選したのです。

募集申し込みは年に2回、5月と11月にあります。
落選回数が多いと、その分考慮していただけるらしく
何回落選したら、確立があがる・・・などの決まりがあるようです
詳しくは、あまり、よく解らないのですが
「いつかは、当たるのかもねぇ~」などと、とっても
ノンビリした気持ちで、毎回応募をし続けていました。

この5月の応募の際にも、あまり深くは考えずに
いつものように、落選しても倍率がいつか上がるから
なんていう気楽な気持ちでの応募でした。

まさか・・・当たるとは想っていませんでしたから(笑)

ところがところが、まさか当たるはずが無いと想っていた抽選が
この夏に「当選」の知らせを受けた際には
私が大驚きしまして・・・・第1声は・・・
「うわぁ~・・・当たっちゃったよ~どうしよう~」でした。

当選の文字を見た瞬間に、引越しの段取りですとか
仕事の都合ですとか、お金の算段ですとか
その他もろもろの、引越しに関わる色んな雑ごとの煩雑さを想い

そうして、引っ越した後の、掃除当番やら自治会やらの役割り
新しい環境でなじめるだろうか?人間関係は?
などなど・・・色んな考えが頭をめぐったのであります。

申し込みをしていた、住宅は、旧の自宅からも非常に近く
下の中学校へ通うわが子の学区も変わらずに済む
自宅の電話番号も変わらずに済む。それこそ、
「住所だけが変わった」と言う環境の変化
「ここに当たれば、住環境が変わらず
あまりストレスも無いかも?」と気楽に応募をしたのでした。

ところがところが・・・いざ、当たってみると
そこにあるのは、煩雑な雑ごとに関しての「うんざり」する感じ
だったり、新しい環境で、上手く人間関係がやっていけるかな?
なんていう不安感。
子ども達は、環境の変化を上手く受け止めてくれるだろうか?
私の都合ばかりで、子どもの環境を変えてしまって
申し訳ないと想ってしまうような罪悪感。
などなど、それは、それは、たくさんの感情が出てきました。

いっその事、辞退をしてしまえば・・・引越しの煩雑さを
避けることが出来る・・・なんて考えまで浮かびました。

毎年毎年、5年がかりで応募をしていて、当たれば
住宅費が随分助かると思い続けており、当選を夢見ていた
はずなのに!!!人間の心って、本当に面白い・・・って
今更ながらに想ったのでした。

新しい環境へ移行して行くとき、「恐れ」が必ずでます。
それが、欲しいものであればあるほど、恐れは強くなると
言われます。

ああ・・・こういうことなんだよねぇ~と
自分の心を振り返りつつ、思い知ったのでありました。

そうして、幸せを手に入れていくときには、この恐れから逃げず
しっかりと、恐れを感じながらも前に進んでいくしかないと
言われます。

あまりにも怖くて、いっその事、壊してしまえ!と言う感情も
沸いてきたりします。

今回の流れで言うと、当選をして、色んな恐れの感情が出てきて
いっそ辞退してしまえば楽なのかも?と言う私の感情にあたります

恐れを越えて進むとは、怖いなぁ・・・大丈夫かな・・・
うまくやれるかな~と感じつつも、引越しの段取りをして
荷造りをして、各種の届けの作業を終わらせて
ご挨拶に回り、連絡をして、購入するものは買ってなどなど
日常の物事は動かしていく。

この「行動を選択する」事が、とっても大事になってきます。

恐れを越えて進むと、必ず幸せが待っている
自分の欲しいものに向かうときには、必ず恐れが出る。
心理学を学んでいたおかげで、この法則がしっかりと
生かされることとなりました。

おかげさまで、ほとんどの雑ごとを完了することが出来てきて
快適な新生活を満喫しております(^_^)



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2008年12月 2日

産まれる前から子育て…られ

以前にもこのコラムに書きましたが、木村家に赤ちゃんがやってきました。

間もなく臨月を迎える奥さんのおなかは、「これでもかっっ!!」というくらい大きく突き出しています。

時にはムニムニと、時にはボコッと動く、パンパンに張ったおなかを撫で回すのが、最近の楽しみと癒しとなっています。

おなかを撫で回しながら、奥さんと子供のことについて話をするのもまた、僕にとっての楽しみであり、癒しなのであります。

話すといっても、「どっちに似てるのか?」とか、「ここは奥さんに似てるといいな」とか、そんなたわいない話なんですけどね。

そんな話の中で、この子の遺伝子は50%が僕、50%が奥さんでできているという話をしていました。

当たり前といえば当たり前の話なのですが、僕と奥さんの遺伝子を併せ持つ存在なんだということに感心していたのでした。

これまた当たり前の話なのですが、僕と奥さんは夫婦ですが、赤の他人です。
心のつながりはあっても、遺伝子の交わりというのはありません。

その、僕や奥さんではどうがんばっても持てないものを、この子は持っているんだということに感心していたのです。

そこから話が広がりまして、僕の遺伝子を50%引き継いでいるということは、僕の父と母の遺伝子を25%ずつ引き継いでいるということになります。

それと同じように、奥さんのお父さんとお母さんの遺伝子を25%ずつ引き継いでいます。
(計算、合ってますよね!?)

それぞれの両親の父と母の遺伝子も引き継いでいて、僕と奥さんそれぞれの兄弟姉妹とも血がつながっていて… と辿っていくと、そこには本当に多くのつながりがあります。

この子は、それら全てのつながりを受け継いだ「つながりの結晶」なんだということに改めて気づき、それだけで感動と畏敬の念を抱いたのであります。

そして、「さすがはうちの子♪」と、親のバカに磨きがかかるのでありました。

血のつながりだけがつながりの全てではありませんし、血のつながりをこの子に負わせるつもりもありませんが、自分の愛する家族と、自分の愛する人、そして自分の愛する人の家族がこういう形でつながるというのは、うれしいことだなぁと思うのです。


この子のおかげで、家族や親戚という血縁関係のある人達との縁について、そして、奥さんという全くの赤の他人との間にある心のつながりについて改めて目を向け、感謝の気持ちを感じることができました。

こうしてこの子に学ばせてもらえることというのが、これからたくさん増えてくるんでしょうね。

本当にありがたいことです。

さすがはうちの子っ!
世界一っっ!!!


……こんな調子で、無事に元気に産まれてきてくれるのを、楽しみにしているのでありました。



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