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2008年7月29日

●この歳になって今さら親に感謝の言葉なんてはずかしくて言えねえよ!ってわけでもないのかな、という話

 「もし悔いが残っていることがあるとしたら、生きている時に「ありがとう」って言えなかったことでしょうかね」

 知人の美容室オーナーが、お父さんが亡くなったことを話してくれた時のことだ。
 
 お父さんが病気で入院したのは最近のことで、けれど、先月、病状は悪化し危篤となり、
1週間後に、亡くなれたのだ。
 その1週間、オーナーはずっと病床で父親を看病していた。
 兄弟の中で、唯一、自由が利く職業だったから、それは本当に幸運だったと言いながら
 その時間は本当に貴重な1週間だったと話してくれた。

 父親は彼の父親は、自ら事業を興した人だった。
 とても苦労をした人だったという。
 そして、一心に仕事をする人だったという。
 オーナーもまた、自ら事業を興し、仕事を一生懸命やってきた。
 その原点は、やはり父親だった。

 1週間の間、あらためてそれを思い出した。
 そして、父親が今までしてくれたこと、自分達にかけてくれた愛情について、思い出し、どれほど父が愛を持って接してくれたかを感じた。

 それは、父親にお礼がいいたいとう思いになっていった。
 けれど、なぜか言えない。どうしてか言葉にできない。

 「ありがとう」
 それが言えたのは、心音が消えたその瞬間だった。


 オーナーの話を聴きながら、もし、自分の父親が倒れて、その最期を看取ることになったらどうするだろうと思った。
 そんなこと、具体的に考えたことがなかったことに気がついた。

 僕の父親は、愉快な人だし、話す時は大変饒舌になるが、自分の真の心の内を語ることは少ない人だ。
 
 父親が今まで苦労してきたこと、本当に辛かったこと、そして、僕自身が今まで生きてきて辛かったこと、してほしかったこと。
 そうした会話をきちんとしたことは一度もなかった。
 
 結婚式で、両親に感謝の手紙を読むかどうかについて、花嫁はいろんな意味で迷うというが、そうした何かに背中を押してもらう機会がないと、感謝の言葉というのは、なかなか言えないのだと改めて感じた。
 
 こんなに言いたいと思っているのに。
 
 熱い熱い何にも例えられないほどの思いなのに
 どんなに心の奥深くにしまってあっても、それに気づいてしまったら
 どうしようもなくなるほどの思いなのに
 
 それを表に出すことが怖いのだ。
 
 そんなことをしてしまったら、今まで恨み辛みだと思い込もうとしていたものが
 崩れてしまう。
 誰もが、自分が辛い現状を誰かのせいにしたいと思う。
 そのために、誰かのことを恨んでいたいと思う。
 
 けれど、その誰かだって、その時のしかたのない状況や心情があるかもしれないのだ。
 ましてや、それが親ならば。
 子を愛していない人などいないのだから。
 
 僕達は、誰もが両親に文句を言いながら生きているのかもしれない。
 そうすることで、今の自分でいられるから。
 でも、本当は、そうしているのは他でもない自分自身だ。
 文句は他の誰でもない、実は、自分自身に向かっての言葉なのだ。
 
 そして、そんな理屈をつけて、本当に大切なこと
 「愛されていたのだ」ということを感じないようにしているのだ。
 
 死の間際というギリギリの瞬間がこなければ言えないほどに
 その思いは深い。
 
 けれど、文句を感謝に変えたとき、それは両親だけでなく、自分自身をも救う。
 
 
 「亡くなった瞬間であったとしても、「ありがとう」の言葉は、きっとお父さんに伝わりましたよ」
 僕はオーナーにそう伝えた。
 オーナーは、笑顔でうなずいてくれた。
 
 ひとつのメイクが、ひとつのカットが、その人の人生を変えることがある。
 「美」と通して人々の心を豊かにすること。
 それを自分の人生の使命と語るオーナーは、それも父親の意志を継いでいるということなんでしょうね、と語った。
 お父さんの力を得て、そのビジョンは、ますます実現に近づいていくだろう。
 
 
 僕もこの夏、父と飲みにいこうと思う。
 言えるかどうかはわからないけれど、「ありがとう」の言葉を胸に。
 
 
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2008年7月22日

●私の挑戦~~母へ、感謝と愛をこめて~~

 私にとって、文章を書くこと自体はそんなに苦労を要することではないように、思われがちです。現に、いろんな文章を、皆さんに読んでいただく機会をいただいているのですが、それでも時には悶々とすることが有るのです。
 言ってみれば、毎回が挑戦なんです。

 私が書けなくなる時には、どうやらいくつかの条件が重なっているな、と気がつきました。それは、仕事以外の私信でも同じようです。
要するに、ムラが出てしまうのですが、これは自分にとってリスクでもあり、自己嫌悪の対象になるひとつでもあるので、ぜひこの機会に改めよう、と思って今回のコラムの内容にしよう、と思い至りました。

 そういう時は、外側からでは、あまりわからない変化が、私の中で起こっていることが多いのです。

 たとえば・・・

 題材そのものを選べない。 選んだ(決まった)題材に心がなじまない。
 書いていることと心がずれている。等々。

 そう言ったとき、ピタっと手が止まってしまうことがあるのです。とは言え、締め切りを守らなければいけないし、守れないことでまた、自責の堂々巡りに入っていきます。
 これは、文章を書くときに喩えましたが、日常生活や対人関係などでも、小さく起こっている、と感じることがあります。

 これは本当に苦しいものなのです。

 なので、時には注意してくださる方がいることで、この連鎖が外れたときには、感謝に尽きません。でも、できることなら、しないで済むほうが楽なんですよね、これはお互いに。

 注意される=否定と感じる心があって、これがつらく、未だ未成熟な気がします。
 でも、どこか懐かしい感触・・・私に昔、何があったのだろう、と考えてみました。

 すると母との記憶で、いくつかあった鮮烈なもののひとつが浮上しました。それは、戦争を題材にした文章に対する感想文で、母に、否定されたという記憶なのですが、私はその主人公がとてもしっかりしている、と感じたままに書きました。

 すると母は血相を変えて、私を叱り飛ばしたのです。
 「違うでしょ!!戦争は恐ろしい、これしかないやないのっ!」

 あまりの言葉の烈しさに、ただ驚くだけの私。でも、私は確かにこの主人公はえらい、と思ったんだけど。そう言えず飲み込んでしまった私。
 この飲み込んだ言葉が今も、消化不良のままのような気がします。

 確かに、戦争は恐ろしいのです。二度と有ってはならないことでもあります。その文章の中身は忘れましたが、確かにそのことを一番伝えたかったのでしょう。

 でも、そんな環境で頑張る(当時の私と)同年代の女の子を本当にしっかりしている、と感じたからそう書いたことを、頭ごなしに否定された。文章や感性だけではなく、人格も否定された。
 小学生だった私は、そう感じたのだと思います。

私はとっても傷つきました。これ以外にも、母は母なりの良かれと思うことで、私への(私から見れば)制限をしてきました。
 でも、そのおかげで守られてきたとも・・・今だから言えるのですが。

 だから~~~
 書くと言う作業の度に、あの日の母が居るような気がする、のはもう最後にしよう。
 いつまでも私が心の棘にしてしまうことは、もうやめよう。
 これが私の、挑戦の核になっているのです。

 こんな小さな一つずつが良くも悪くも私を作っています。そんな中で、これはやめたい、と思っていることがあります。

 ひとつは、どうしても苦手なことを後回しにしてしまう、悪い癖です。早い方が楽に決まっているにもかかわらず、ましはなったとは言え、未だにしてしまっています。
 どうやら、反復強迫(言ってみれば、昔の悪い癖のフォームが不意に再出する、という感じでしょうか)という心理的な機制の仕業でもあるのでしょうが、これを改めていくために、何があればいいんだろう?と考えてみたら、何かメリットがあると良いのかな、と思うにいたりました。

 メリット、要するに、ご褒美がほしい、ってことですね。うまくいかないときに何らかのペナルティが課されることは当たり前なのですが、どんな社会ででも、できて当たり前のことには、賛辞はありません。ただ、結果のひとつとして、気がつくととても大きな承認を受けていることに気づくことはあるのですが、くさってる時って気づかなかったりします。
 
 あぁ~困ったもんだ、いくつになってもこれですからね。成長があるんだか、ないんだか、と言う話です。まったく。

 でも、こういったことは私に限らず多いのかもなぁ、と思います。

 もうひとつは、慢性化している、恐れとの戦いです。恐れ、と言っても色々ありますが、私の場合は少々強迫的な感じがあり、誰かに否定されるのではないか、という恐れです。

 なぜ自分がそんな感覚を持つのか、あまりにも自覚がないまま今まで48年も生きてきたのですが、否定されないように、相当の努力をしていた模様です(まるでヒトゴトだ・・・)。
 そのルーツを考えていくと、やはり母との関係が浮き上がってきました。

 私の母は、昭和一桁最後の生まれです。母は兄が3人、妹が1人の5人きょうだいで、兄(私にとっては伯父)たちの世話もしながら、家事を手伝うことは当たり前で、お母さん(私にとっては祖母)を少しでも助けたい、と小さな頃から頑張ってきたようです。

 ところが・・・、同じ女の子なのに、妹(私にとっては叔母)は、何もしなくて良かった。洋服も、自分のように兄貴のお下がりではなかったし、上の学校にも行かせてもらっているじゃないか。理不尽だ!

 こんなことを、子供の頃に何度か聞きました。母の人生にはこんなルサンチマン(※)がたくさんあるのです。

 (※(註)ルサンチマンとは※
嫉妬や羨望と結びついた、負の感情。憤りや怨恨を一般的には弱者から強者へ向けるとされる。キェルケゴールにより確立された。(Wikiぺディアを参照しました。)) 

 こんなことが、母の涙を見る機会を減らしていたのかもしれません、
 
 でも、ある時母は、私と話をしながら、私があんたを追い込んだ、と言いながら、顔が腫れるほど泣いていた。
 別の時には、父の妹(幼い頃に生き別れたと言うのです)の話や、父が両親を早く亡くし苦労した話をして、涙ぐんでいた・・・。

 年のせいなのでしょうか、それとも今までの利子なのでしょうか、母の優しい涙を見ることが増えました。 
 子供の頃から、母に泣き虫だと責められることが多かった私にとって、母の涙は、衝撃でした。

 私の涙が、母の罪悪感を引っかくのだ、と気づいたのはほんの最近です。母は、幼い私に自分がついていながら大怪我を負わせた、とずっと責めてきたのです。
私の涙や弱った姿は、あの頃の私や母自身を想起するものだったのかもしれません。

 母に比べて破格の泣き虫である私、母は殊更に私に厳しく、泣くことを嫌がり、できることを増やすように育ててきたのは、その罪悪感の裏打ちがあったからかも知れません。
 あるいは、痛みのために泣き叫んだであろう3歳の私を想起するのが嫌だったのかもしれません。

 一方で私は、といえば、私なりに、母に沿うように頑張ったつもり。でも、いつもいつも、そこには届かない。そう思っていました。

 母は、自分自身にかつて課せられたのと同じように、私に接していたのかもしれません。

 私はどこかで、母のルサンチマンを受け継いでしまったようです。家族への想いの中で、歪んでいる何かを感じることがあります。それは、母の持つ、こんな想いに似ているのかもしれません。

 だとしたら、私が一つひとつ気づいてゆくことで、母へ還元できるかもしれない、と思っているのです。

 母には母なりの人生があった。
 良いことも、悪いこともひっくるめての、母の人生。

 それをきちんと認めていることを、改めて思っています。

 私たち三人の子供たちが、母から教えられ、守られたことは数知れずあるでしょう。でも、母にとって私たちの存在は、ただそれだけで心癒されるものだったのかもしれないな。
 そう感じられることは、とっても少なかったけど、少なくとも私は。いつも自分の不足を責めていたようで。

 こんな想いが、母の古いルサンチマンにつながっているのも知れないな。つまるところ、私が一番母に似ているのかも。

 さて母は、二度入院しているのですが、どちらも私が付き添ったり、荷物を持っていったりしていました。
 その二回ともが、母の涙を見る機会になり、日常は見せない母の姿に戸惑ったものです。

 思えば、母が涙を見せる時というのは、よほど弱っている時だけのようです。そう考えると、私は本当に破格に泣き虫です。でも、私と母は似ているところはあれども、別の人間です。
 私はずいぶん幼い頃からそう思っていましたが、どうやら母は、自分と私の境目が曖昧なところがあるようでした。だいぶ変わったのは、父が亡くなってしばらくしてからのような気がします。

 考えてみれば、これも愛情なんですよね。でも、私としては居心地はよくなかったなあ。

 母と私の一番の違いは、人の感情をどう感じるか、自分の中にどう受け入れるか、というところに尽きるのかもしれませんが、母にはそのことがなかなかわからないようでした。

 自分と似たところは受け入れられる。でもそうではないところは、変わっていると思われる。
 これが母の特徴のひとつ、と言えるかと思いますが、そうすると、私は否定される。なぜなら、いつもいつも母に同意できるとは限らないから。

 いつしかこれが私の頭の中に公式のように出来上がっていました。

 私の成長と、この恐れは常に共存していた気がします。母の顔色を見つつ、自分らしくやると、必ず何か言われるんです。今思うと、私が過剰に母の顔色を見ていたからかもしれないのですが。

 でもそのことに段々慣れてきて、そのうちに麻痺にも近くなって。母に言わないで一人でやってしまうことが多くなりました。
 器用に一見従っているように見せることなど、私はできなかった。まして恋愛相談なんて、もってのほか、でした。

 そう思うと、うちの息子たちは私よりはるかに人間ができてるなぁ、と思います。・・・と言いつつ、私が人生から学んだことを少しは活かせてるのかもなぁ、とも思えるようになりました。

 母は、今日も元気です(たぶん)。

 こうして母とのことを振り返り、こうして文章化することがなぜ挑戦なのか、というと、母の目に触れる恐れがあるからなんです。まあその危険は、殆どないのでしょうが、要はそれほどまでに、母の目を私は気にして生きてきたんだ、ということからの訣別にしたい、と思っているのです。

 母との葛藤をいつまでも置いておくことより、私のやり方で一歩進んでみよう、と思ったからです。

 母は、一番弱ったとき、困ったとき、あるいは、私を気にしてくれた時に、連絡をくれるのかもしれません。そう、入院したときのように。
一番近くに住んでいるからこそ、どこかで遠くにしていたいのかもしれない。
 でないと、お互いにべったり一緒に居てしまうかもしれない、と思っているのは母なのか、私なのか。 

 いろんな思いが入り混じるけど、それでも母のことを思わない日はありません。母にとってもたぶんそうなのでしょう。

 これからも、自分らしく生きるために、こんな形で私は母と一緒にいます。

 母のくれたものの偉大さに気づきつつ。母の愛の大きさに感謝しつつ。

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2008年7月15日

●息子15歳の誕生日

6/27にうちの下の子。長男の15歳のお誕生日でした。

当日は、仕事の帰りに小さなホールケーキを買い
お誕生日プレートと15本のろうそくをつけてもらいました。
一旦帰宅後

近所のカジュアルフレンチのチェーン店へ予約をしていたので
家族で出かけて行きました。

家族の誰かのお誕生日には、みんなでお祝いをする習慣を持つ我が家は
別れた元の夫も呼び、娘と息子と私と4人でごはんを食べます。

離婚をしてから、かれこれ10年となりますが、
これは10年変わらず続けている習慣となります。
最初のころこそ、ぎこちなかったイベントですが、今ではすっかり定番化し
娘や息子も楽しげに参加をしてくれるものになります。

お誕生日の人が行きたいお店を決める事となっていますので
今回も、長男のリクエストでお店を選びました。

お誕生日の特別コースを4人前注文し、
スープにサラダに前菜。魚料理。お肉料理と
焼きたてのパンは食べ放題です(笑)
次々に運ばれてくるお料理を、おしゃべりと共に楽しみました。

子ども達は、長男が15歳。長女が18歳。
長男は、今年、受験生です。長女はこの春から、接客やサービスの
専門学校へ通っています。

子どもも大きくなると、まるで大人同士の話をしているような感じです。

もともと、みな、話をするのが好きな同士ですし
おちゃらけて笑い話にしたり、からかったりするのが好きな家族なので
息子の成績が芳しく無いものですから、元夫と2人拝んでみたり(笑)

息子の遅刻王の話やら、2年生の際の体育の成績が1だったのが何故か?
体操服を持っていかなかったからなんだよぉ~と話して
えええ?!と、突っ込まれ、からかわれてるにも関わらず
息子も笑いの中心でまんざらでもなさそうだったり。

長女の学校の話で、お酒の授業の話を聞いたり、
お皿を運ぶ実習があるのだが、上手くできないと長女が言うので
私が、みんなのお皿を4枚、手のひらに乗せると
おおお!と、賞賛してもらったり(笑)
(以前、ファミリーレストランで働いていましたので)

長女のアルバイトで、彼女は、某大手ハンバーガーショップで
長く勤めていますので、「マネージャー」と言う立場だそうで
バイトの話を聞いたり。彼女の彼氏の話をしたり。
バイト先での失敗談。夏の授業の実習でリゾートホテルでバイトをすること
などなど、たくさん話してくれました。

元夫と、私の仕事の話をしたり。友達と遊びに行った話しをしたり。
お店のお兄さんが、焼きたてのパンを持って来てくれるのに
長女と一緒に、お店のお兄さんをいじって遊んでみたり(笑)

本当に次々と、会話が尽きないのです。

本当に楽しい!!

数年前まで、長女が登校拒否をしていた頃などは、食事へ行っても
長女は押し黙り、話を振っても顔もあげなかったり
元夫と私だけがしゃべって、子ども達はつまらなそうにしていたり
なんだか、食事へ行っても、形だけのものと言う感じでした。

だけど、そんなときも経て、でも、楽しくしたいなぁ~
みんなで、笑って話せる日がきたらいいなぁ~と
続けて来たイベントでしたが、本当に、笑い合い、からかい合い
それでも、いたわりの言葉をかけたりしながら。
それぞれが、自分を表現できる状態を持てることに
ものすごく幸せだなぁ~と感じました。

子どもが大きくなるって、素敵です。

いつも思うことですが、こんな幸せな状態が持てることを、
数年前の私は夢にも思いませんでした。
こんな日が来ることは、想像もできませんでした。
自分の子どもが、大きくなっていくのは、頭でわかっていても
実感として体験すると、こんなにもすばらしいものである。
こんなにも楽しいものである。と言うのは、なってみないと解りませんでした

また、この今の長女と私の関係性は、私自身が自分の母と持てなかったもの
私の若いときに「こんな親子になりたい」と思っていた通りに・・・
成ってるのかもしれない?!とも思います。
若いときの私が思い描いた「こんなお母さんが良かった」と言う形を
今の私は、表現することが出来ているな・・・と、とても感慨深く思います。
長女が、私を見て満足してるかどうかは、別の話ですが(笑)

本当に、親子関係と言うのは、やってみないと解らない。
そうして、立場が違えば想いが違う。
また、いつまでも大きな学びを得られるものなのだなぁ・・・・
と、つくづく思いました。

これから、娘が就職をしたり、息子が上の学校へ行きだしたり
結婚をしたり、子どもが出来たり。色んな事があると思います。
でも、これからもきっと、また、家族のお誕生日には
みんなで集まって、笑える話がどんどん増えるんだなぁ~と思うと
本当にワクワク楽しい気分になりました。

たまにしか、こうして一緒にご飯を食べる事もないけど、
でも、この時間を共有できること、みんなが元気で生きててくれる
ただそれだけで、最高に幸せだと感じました。

自宅へ帰宅し、息子のバースデーケーキ。
部屋の灯りを消して、家族みんなでハッピーバースデーソング。
ろうそくを吹き消して。お誕生日おめでと~を祝いました。


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2008年7月 8日

合点!『存在するだけで愛される価値がある』

『あなたには存在するだけで愛される価値がある』
『あなたはありのままで愛される価値がある存在である』

カウンセリングや心理学など、心に興味を持っている方なら一度くらいは耳にしたことがあるのではないでしょうか?

実際僕もカウンセリングの中でそのようなお話をさせていただくことがありますし、それを感じていただくお手伝いもしています。

しかしながら、僕がいつもそのように感じながら生きているか?というと、残念ながら答えはNoです。

自分以外の人には「存在するだけで愛される価値がある」というふうに思えるのですが、それが自分自身のことになると、途端に懐疑的な気持ちになるのです。

仕事を頑張るのも、家のことを頑張るのも、どこかで、それをすることで「認められたい」「評価されたい」「誉められたい」と、愛されるために努力をしているという一面があります。

もちろんそれだけではなく、やりたくてやっていること、頑張りたくて頑張っていることも多いのですが…


さてさて、最近、そんな「存在するだけで愛される価値がある」ということに関して非常に合点がいくことがあったので、今回のコラムでは、それを紹介させていただきます。

木村家は結婚して4年半程になるのですが、最近、大きな変化がありました。

奥さんのおなかに赤ちゃんがやってきたのです。

それはあまりに唐突にやってきた、あまりに大きな変化でした。

妊娠が判明したのが早かったので、超音波写真に写し出された赤ちゃんは、まだ直径1cmくらいの袋に入った、ただの○(マル)の状態でした。

頭も胴体も手も足もない、ただの○(マル)なんです。

ただの○(マル)なんですけどね、これがすごく愛おしいのです。

その写真を見ては大喜びし、奥さんのおなかに耳をあてて様子をうかがってみたり。(聞こえてきたのは、“ギュルル~”という奥さんのおなかの音だけでしたが(笑))

まだ人の形もしていないこの子は、もちろん僕に何かをしてくれるわけもなく、ただ奥さんのおなかの中にいるだけなのです。

なのですが、それがもう理屈抜きにうれしくて、愛おしくて、幸せなのです。

僕はこの子に対して断言することができます。

「君には存在するだけで愛される価値があるよ」って。

それは、他の何にも代え難い尊い価値です。

この子がいつそれを理解できるのかはわかりませんが、理解できるようになった時に「そうなんだ」って思えるように、今からいっぱい浴びせ掛けてやろうと思っています。
(たとえ、「おとんウザっ!」と言われようとも!!)


妊娠を知った友人達や家族からは、「おめでとう!」「かわいいんだろうね~」「早く会わせてね♪」という数十通の祝福メッセージが次々と届きました。

まだ会ったこともない、ただの○(マル)が、多くの人にめちゃくちゃ愛されているんですよね。

それは、ただの○(マル)のくせにパパ(僕)より人気があることに嫉妬してスネてしまうほどの愛されようであり、「想像妊娠だったらどうしよう…」と夫婦2人で心配になったほどのたくさんの愛と祝福が、この子に贈られているのです。

「存在するだけで愛される」を体現してくれているこの子は、ただの○(マル)なのに、多くの人を幸せにして、多くの人に愛されて、本人がその幸せを感じているかどうかは甚だ怪しいのですが、ともかく、木村家にやってきてくれて、ほんとによかったとつくづく思うのであります。


そして、この子が僕にもたらせてくれた大きなギフトというのがあります。

それは、この子がそうであるのと同じように、僕がまだ○(マル)だった時代、もちろん僕には全く記憶がないのだけれど、僕がただの○(マル)だったにもかかわらず、そんな僕を多くの人が愛してくれていたのかもしれない、というインスピレーションをもたらせてくれたのです。

自分が知っているずっと前から、自分が思うよりもたくさんの愛情や祝福が僕に与えられていたんだと思うと、胸が熱くなります。

『存在するだけで愛される価値がある』
『あなたはありのままで愛される価値がある存在である』

“あぁ、確かに自分もそうなんだな”と合点がいったのでした。


おかげで、今の僕は、前よりも確信と愛と祝福を持ってお伝えすることができるようになりました。

「あなたは、存在するだけで愛される価値があるんですよ」
「あなたはありのままで愛される価値がある存在なんですよ」

って。


そんな尊い価値を持った愛される存在が集まってできているこの世の中って、愛情や祝福でできているのかもしれませんね。



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2008年7月 1日

●スティーブン・キングは自分のことを大好き!と言うか

 「ミザリー」等のホラー小説の作家で、「スタンド・バイ・ミー」「グリーンマイル」といった小説の作者であり、たくさんの映画の原作にもなっている世界的作家、スティーブン・キング。

彼のことを、「小説を書き続けなければ死んでしまうに違いない」と評したのを読んだのは、随分昔の話で、多分、よしもとばななのエッセイだった気がする。
それほど彼は、たくさんの量の小説を、信じられないようなスピードで書いている作家だという。
 
 それを象徴するようなエピソードがキングにはある。
かつて、アメリカの出版業界では、1作家は1年に1作という風習があったが、そのペースでは自らの創作意欲を満たす事ができず、別のペンネームを使ってまで作品を書き、出版したという。

 この話は、「スティーブン・キング」という名前にとらわれない作品を書きたかったとか、別の名前でどれだけ評価されるかを試したかったとか、いろいろな話が語られているようだが、僕にとっては、小説を書き続けることを止める事ができないほどの情熱、という説明が一番しっくりくるものだった。

  僕のその思いは、ひとえに、「そこまで人生を打ち込める何かがあることがうらやましい」ということに起因する。

 キングのその話を知った当時は、僕には全身全霊を込めて打ち込めるものは何もなかった。いや、ないと思っていた。
 進学した大学も、就いた仕事も、毎日の生活も、何もかもが中途半端な気がしていた。
 そして、心の底では、自分が全力で生きているすべてをかけてやり遂げられる何かを探し求めていた。
 
そんな時に前述のキングの話を知り、書かなければ生きていきていけないほどの、文字通りの天職を持っている人のことを、すごいと思う反面、うらやましくてしかたないと思ったのだ。

 この初夏、突然、この話を思い出した。
 その時、とても大きな発見があった。
 それは、今の自分には「やり続けなければ生きていけない」と思えるものに出会っているのだ、ということだった。

 そう、カウンセラーという仕事がそれだった。

 中途半端だと感じていた僕にも、転機が訪れた。
 それが心理学との出会いであり、カウンセリングとの出会いだった。

 はじめは、行き詰まりを感じていた職場からの転職先として考えたことだった。
 カウンセラーになるための勉強をするということは、一番身近な心、つまり自分の内面を深く見ていく作業がつきまとう。

 「カウンセリングサービス」の母体である「神戸メンタルサービス」のカウンセラー養成コースに入った僕は、
勉強を始めたとたん、自らの心の中に気づくことになってしまった。

 まさか、自分の中に、こんなに傷ついて助けを求めている部分があったなんて。
そう気づいたら、カウンセラーになることよりも、それを癒す事に全力をかけることになっていった。
 一心に自分をなんとか楽にしてやりたいという思いがそうさせたのだ。

 だから、カウンセラーになろうとした、というよりも、自分を癒す道をひたすらに歩んだ過程で、カウンセラーになった、という表現のほうが正しいのかもしれない。

 けれど、その思いが、今までの僕の人生の中になかった、ある方向性を生み出すことになった。

 それは、一言で表現するなら「自分をどれだけ好きになるか」ということだった。

 人は、普段は意識していないけれど、実は、自分自身に対して信じられないほどの攻撃を加えて生きていることが多い。
 それを例えて「自分にしていることを他人にしたら、すぐさま警察に捕まって裁かれるだろう」と言われるほどだ。
 それほど、自分をぞんざいに扱っているし、様々な場面で自分を責めている。

 「癒し」という言葉が最近では頻繁に使われるようになったけれど、それは、簡単に言えば、こうした自己攻撃を辞めることを指している。

 考えてみれば、自分のことを好きだと大声で言える人はとても少ない。
 言える人がいたとしても、それは自分を良く見せたいという思いや、
 強がりで言えているだけで、真に自分のことを好きだといえる人は、とても少ないと思う。

 けれど、時々、本当に自分のことが好きだから、大切にすることができるという人がいる。そうした人は、自分のことをぞんざいに扱わないから、心から好きなことに真摯に取り組むことができるし、そのまっすぐな思いが社会に通じて、成功している人になっているケースが多い。
 今、社会で成功している人の自叙伝や考え方を聴いてみると、そうした「自分のことを大切にしている」話がたくさん語られている。

 これは僕自身にも言えることだ。
 以前のブログ「家族が集まる日」でも書いたが、僕は自分に愛される価値がないと思いながら生きてきたが、心理学やカウンセリングとの出会いから、それが誤解であると気づき、自分を愛すること、大切にすることこそ、本当に大切なことだ、と気づいたことで、大きく人生が変わった。

 中途半端だと思っていた自分の人生も、実は、今まで生きてきた、学歴、職場、プライベートのすべてが、僕自身を作り上げてくれた大切な要因(ファクター)だったのだ。

 その延長線上にあったのが、「カウンセラー」という職業だったのだ。

 今、こうして昔のことを振り返ってみると、辞めてしまったら生きていけないと思える「やるべきこと」に出会えたことが本当に不思議でならない。

 それは、僕の場合は、たまたま「カウンセラー」だっただけだと思う。
 誰にでも、必ず「やるべきこと」がある。
 でも、それは容易に見つからないと誰もが思っている。
 けれど、もし、それを見つける方法があるとしたら。

 それは、「自分を好きになる、大切にする」こと追求することが答えだと僕は自らの経験から思う。


 スティーブン・キングは、とても苦労人で、作家として成功するまでには、様々な困難を乗り越えてきたという。
 彼が自分を好きなのか、大切にしているのかについて、僕は知らないけれど
 もし、彼にこの質問をしたら、きっとこう答えるだろう。
 だからこそ、あれだけの作品を世に送り続けているのではないかと思うのだ。

 「もちろん、大好きさ!」

 誰にも見つけられることなのだ。
 僕にも、あなたにも、世界中の誰にだって。

 そのために、まずは、自分から初めてみよう。
 自分を好きになることを。

 そのお手伝いをさせていただくことが
 僕が見つけた、人生をかけてやるべきこと
 そう、改めて感じ、決意した初夏だった。


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