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2008年5月27日

●初めてのバースデーカード

 今、僕の目の前には、1枚のバースデーカードがあります。
 このカードは、ちょうど20年前に、僕が生まれて初めてもらったバースデーカードです。
 このカードをもらった時、それがあまりにもうれしくて、今でも手元に残してある大切な宝物です。
 それは、今、自分らしく生きていけるようになった、僕の原点になったメッセージでもありました。

 初めてのバースデーカードは、僕が21歳の時につきあっていた彼女がくれた誕生日の贈り物に入っていたものでした。
 当時の僕は、一人暮らしをしており、寂しがり屋のくせに、人に会うほうが辛く感じるほど心を閉ざしていて、ほとんど学校にも行かず、いつも部屋にいました。その中で、恋愛とは何か、人生とはなにか、社会とは何か、なんてことを一人で考え、しかも、いつも人の心の暗い面ばかりに思いが及んで鬱々と考えている、引きこもっているような状態でした。
 今思い出すと、本当に暗い学生時代だったなあと笑えてくるほどです。
 逆に、彼女はとても忙しい人で、彼女の事情があって学校とバイトに明け暮れる毎日だったので、いくら僕が暇でも、会えるのは一ヶ月に1度くらいでした。
 そんなある日、彼女が僕の部屋に遊びにきてくれた時のことです。
 ふと部屋の一角見ると、きれいにラッピングされた箱が置いてあるのを見つけました。彼女が僕に気づかれないように、そっと置いてくれたものです。
 開けてみると、センスのいい瓶とコップが入っていました。包装も彼女自身が箱や小物を買ってしてくれたもので、とても素敵でした。
 僕は本当に本当に驚き、そして胸が熱くなるほど感動しました。
 プレゼントに感激したことももちろんですが、自分の胸が熱くなることに驚きました。
 普段一人で部屋の中で、いろんなことを考える度にネガティブになる自分のことを、僕は暗い人間だと思っていたので、自分がこんなに感激する心を持っていることに驚いたのです。
 人が感動するということは、こういうことなのか、と身をもって知ったのでした。 

 そしてバースデーカード。
 そこには、彼女が僕をまっすぐに見て感じた「僕の本当の姿」を、心を込めて書いてくれたものでした。
 そのピュアな彼女の「まなざし」は、暗い暗いと自己評価の低い僕のことを、本当はもっと楽しくて明るくて無邪気な、なんでもできる人なんだよ、と見てくれていたのです。
 その後も僕は、愛される資格がない!とか、そんな価値はない!と癇癪を起こすかのように問題を起こして彼女には迷惑をかけ続けていくのですが、この誕生プレゼントとカードは、その時の僕の心を確実に溶かし、ハートを開かせてくれるきっかけになったのだと、改めて読み返してみて思います。
 そこには、今、ようやく自分らしい生き方ができるようになった僕自身の姿がそのまま書かれていたからです。
 

   ピーターパンがスーツ着て成人式やっちゃったような人だから
   その限りなく無邪気な好奇心は ずうーっと持ってて欲しいわ。
   
   みたいものがあるなら くぐっていって みればいいのよ。
   ほしいものがあるなら とんでいって つかめばいいのよ。
  
   ピーターパンってのは そういうヤツのことよ。


 周りの人を喜ばせてみましょう。感動させてみましょう。
 それは大げさなことでなくてもいいのです。
 小さなこと、些細なこと。
 ただ、どうしたらこの人が喜んでくれるかな、その思いをいつも持って
 その人を見てあげてください。
 チャンスがきたら実行しよう、そう思って過ごすだけで
 その人への見方が変わります。
 それは、自分自身を変えていくきっかけにもなり
 そんなあなたを見て、その人も変わっていきます。

 僕たち夫婦がそうであったように。

 
 今回、改めてカードを読み直した時、書いた本人が覚えているかと思って奥さんに見せたのですが、読んだ彼女からは、こんな言葉が返ってきました。
 いつものように、恥ずかしさとはにかみを隠しながら。
 
 「わたしってすごい!」


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2008年5月20日

●一つの言葉

私にとって、いつも大切にしている言葉があります。
それは、生前祖母がいつも私に言ってくれていた言葉です。
「やらんで後悔するならば、やってから後悔しなさい。
やらなくて後悔するのは、ずっと“あの時やっとけば・・・”と思うけど、やって失敗したら、後悔するはするけど、やらないで後悔するときよりもずっと後悔はしないよ」
という言葉です。

この言葉が無ければ、今の自分はいないな、と思います。

私が、東京に行く前、祖母は半身麻痺の状態で、ずっとベッドの上にいる生活を送っていました。
仕事を続けながら、家族や親戚と協力し祖母の介護をしていました。
その最中、私に会社から東京へ転勤する辞令が下されたのです。
会社に入ってずっと希望していた職種へ移動できる嬉しさや驚きもありましたが、辞令を受けた直後は正直戸惑いもしました。
東京に行くという事は、地元を離れる事になります。
そして、寝たきりの祖母を置いて行く事にもなります。
親戚ぐるみで協力しながら祖母の介護をしておりましたが、それでも一緒にすんでいる家族の負担というものは大きな物でした。
今でも大変なのに、私が東京に行く事によって家族や親戚の負担も大きくなります。
そして、何よりも大好きで大切な祖母と一緒に入れなくなる事は私にとって辛くて寂しい事でもありました。

いつも、私が悩んでしまった時の一番の相談相手は祖母でした。
そこで、転勤の辞令を受けた事、嬉しいけど戸惑いがある事、祖母と離れたくない事、いっそ会社を退職し祖母のお世話をしようかな、等を祖母にぽつりぽつりと伝えていきました。
祖母は、ベッドの上で、うんうんと私が言う言葉を聞きながら質問をしてきました。
「で、あんたはどうしたいん?」と。
そこで私は、正直な所、東京でやりたい事にチャレンジしてみたい気持ちがある事を祖母に伝えると、祖母は動くほうの手で優しく私の頭をなでて
「じゃあ、東京へいっといで。おばあちゃんの事はええからいっといで」
と、伝えてくれたのです。
その手はとても暖かく、そしてとても優しい目で私を見つめてくれていました。
そして、あの言葉を伝えてくれたのです。
「しないで後悔するよりも、なんでもやってから後悔しなはれ。
あかんと思ったらいつでも帰ってきてええんやからね。」と。

祖母が寝たきりな状態で、実家を出る事に対して家族や親戚の反対も受けましたが、それを説得してくれたのも祖母でした。
親戚は祖母に
「一番かわいがっている孫が遠くに行くのは寂しいやろ?」
と伝えた時は
「うちは、あの子が好きなようにしてる事が一番嬉しい」
と、凛として伝えてくれたりもしました。
そして、私は東京へ転勤する事になったのです。
もしかして、あの時東京へ行く事をあきらめていたら私はずっと、やりたい事ができるチャンスを逃してしまった事に対しての後悔をずっとしていたかもしれません。

今でも、何かにチャレンジしたいときに祖母がいつも伝えてくれた言葉を思い出します。
そして、祖母の言葉で「よし、じゃあチャレンジしてみるか!」という気持ちになるのです。
そして、思いきってチャレンジし、やり切った後はとても清々しい気持ちでいっぱいになります。

そして、そんな清々しい気持ちでいる私を、今も天国から笑顔で祖母は見守ってくれてるのでしょうね。

中村季代乃のプロフィールへ>>>

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2008年5月13日

●我が家の長女、携帯を無くすの巻

先日、帰宅をすると・・・娘が「携帯がない」と半べそをかいて、
彼に電話をしていました。

電話を終えた娘に、「携帯どうしたの?」って聞くと
「なくした」と返答。涙をいっぱいこらえての表情でした。

携帯電話を無くす・・・自分の身に置き換えてみても
すごく不安でショックだなぁ・・・と感じました。
今までの、みんなとのやり取りのメール。
何より、連絡先を無くしてしまう事。
娘などは、音楽のダウンロードなどをしていましたので
それにかかったお金。
みんな、一瞬にして手元から無くなってしまう感覚になると思います。

娘の気持ちを考えながら・・・
頭をなでなでしながら「緊急停止した?」と聞くと「まだ」とのこと
「ショックやったなぁ~!悲しいなぁ~」と頭をなでなでしつつ
「緊急停止のお電話をコールセンターにしなさいね」と伝えました。

その後、しばらく、お部屋に閉じこもり
(泣いてるのを見られたくなかったようです)
出てくると、自分でコールセンターへ電話をかけて
お手続きを済ませていました。

基本「自分で出来ることは自分でする」が基本の我が家。
出来ないこと、手に負えないことは助け合いますが、出来ることは
自分でしなさいと言う育て方をしてきました。

でも、この「自分でしなさい」と言うのも、なかなか親側としては
根性がいるもの・・・・
ついつい、おせっかいをして「電話するから!早くいいなさい!」と
娘を追いたてそうになるのですが、心中はらはらしつつも見守ります。

保育士時代。「子どもの力を信じる保育」と言うものを学びました。

自分の足で歩き始めた子どもには、出来るだけ自分で歩ける機会を作ります。
反対に、歩けるけども、抱っこをし続けたり、バギーに乗せていることが
習い性になってしまうと、その子の歩く力。好奇心。探究心などを
どんどん削ぐことになる。心と身体の成長を阻害するのだと・・・
もちろん、時と場所は選ばないといけませんが、「自分で出来る」事は
その能力を最大限に使える機会を作ることが、子どもの成長を助けることに
繋がっていくのだと、教わってきました。

そんな姿勢を持ち子育てをしてきた事。教わってこれたことが
ありがたいことだなぁ~と思う瞬間でもありました。

自分で、社会に適応していく。
ピンチのときに、自分で事を済ませて行くことが出来る。
これは、何よりも、自信に繋がっていくものであると思いますし
解決していく事が自分で出来るんだと、学んでくれたらいいな・・・
と、いつも思います。

さてさて、娘の携帯電話ですが
次の日、私の元夫(娘の父です)より電話がかかってきましたので
出てみると・・・「みいきち(娘)携帯、無くしてない?」とのこと
「おお!無くした言うてた!」と返答をすると・・

なにやら、近所に住んでる人が、たまたま散歩中、道に落ちているものを
拾ってくださったのだとか・・・電話帳を探して、「父」と書かれた
元夫のアドレスへ電話をかけてくださったのだとか
それで、元夫は、その方のところへ携帯を取りに行き戻ってきた!
と、言う次第でした。

次の日でしたので、娘も携帯電話屋さんへ次の機種を買いに行く前でしたので
本当に喜んでいました。

世の中には、良い方がたくさん居るのだということに感謝。
連絡経路として、また、引き取りに行ってくれた元夫に感謝。
余計なお金をつかわず、携帯電話が戻ってきたこのタイミングに感謝。
娘をしからずに、じっくり見守ることが出来たおかげで
みんなに感謝が出来、とっても恵まれている事を実感できた出来事でした。



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2008年5月 6日

●ばあちゃんが昔話が好きで僕を子供扱いする理由 ~100円玉2枚と50円玉2枚に込められた想い~

少し前の話になりますが、ばあちゃんが田舎から遊びに来ました。

長い間ご無沙汰していたにもかかわらず、ばあちゃんは久しぶりの再会をとても喜んでくれました。

せっかく出てきたのだから楽しんで帰ってもらおうと思い、花が好きなばあちゃんが喜ぶかと思って、かろうじて桜が残っているであろう京都にお花見に行ってきました。

嵐山という有名な観光名所に行ってきたのですが、平日にもかかわらず、人・人・人…

歩道が人であふれていて、歩くのもままならないほどの混雑でした。

それでもばあちゃんは桜に目を細め、「人が多いね~。田舎ではこんなに人が集まることはないからね~」と、その人混みまでも喜んでいるようでした。

嵐山には渡月橋という有名な橋があるのですが、橋の端から端まで人が連なるような混みようで、「足が悪いばあちゃんにはちょっと大変かな~」と思っていると、ばあちゃんが言うんです。

「私はここで待っとるけぇ、橋の向こうまで行っておいで」

って。

それはまるで小さな子に「遊んでらっしゃい」と言うような口ぶりで、「もうそんな歳でもないのにな…」と思いながらも、「せっかくそう言ってくれているんだし…」と思って1人で橋を渡り、対岸の桜を堪能してきたのでした。

戻ってきて休憩をしている時にばあちゃんと話していると、「小さい頃のよーちゃん(と呼ばれています)は…」「子供の頃田舎に遊びに来た時には…」と、話がいつの間にか昔話になるのです。

しかも、僕が覚えていないようなことでも詳細まで覚えていて、それを何度も何度も話すのです。

そして、その話をしているばあちゃんの様子が、とてもうれしそうなのです。

「花見に来ているのに、今ここで昔話をしなくてもな~…」と思いつつも、うれしそうなばあちゃんを見てると話を変えることもできず、昔話に華を咲かせていました。

そしたらばあちゃんが、小銭を取り出して僕の手に握らせて、言うんです。

「よーちゃん、ソフトクリーム好きじゃったじゃろ。これで買って来て食べなさい」

「もういい歳をした大人なのに、子供扱いだな~」と思いながらも、せっかくそう言ってくれているんだからと、ソフトクリームを買うために列に並んでいました。

列に並び、握らされた100円玉2枚と50円玉2枚を見ているうちに、昔のことが次々と思い出されてきました。

…幼稚園や小学生の頃、夏休みや冬休みにばあちゃんの家に遊びに行くのが楽しみで楽しみで仕方がなかったなぁ。

…もらったおこずかいを握りしめて、少し離れた商店までお菓子を買いにいくのがすごく楽しかったなぁ。。

…田舎のばあちゃんのでっかい家ではしゃぎまくっていても、全然怒らずにニコニコ見ててくれてたなぁ。。。

「あ~、いつもそんな笑顔があったな~」と思っているうちに、まるでパズルのピースが次々にはまっていって1つの絵や写真として見ることができるかのように、僕の中でパチンパチンパチンと何かがつながり出したのです。


握らされた2枚の100円玉と2枚の50円玉。

「橋の向こうまで行っておいで」という言葉。

人混みさえも喜んでいるその様子。

全てがばあちゃんの愛だと感じて、それがストンと心に入ってきたのです。

僕も覚えていないような昔のことの記憶の1つ1つ。

愛しているからこそ、愛したからこそ詳細まで鮮明に覚えているのだというのがわかったのです。

それが、ばあちゃんが僕を愛してくれた証の1つ1つだったのです。

会うことが少なくなってからは、その証となる思い出の数も少なくなってしまっているので、必然的に昔の話が多くなるのでしょう。

だから、今、愛を伝えようとすると、愛の証である昔話になることに気づいたのです。

ばーちゃんが昔話をして僕を子供扱いするのは、思い出という過去の時を生きていているからではなく、子供の頃と同じように、今も変わらず僕のことを愛してくれているんだというのに気づいたのです。

それに気づいてからは、胸が熱くなり、心拍数は上がってドキドキでしたが、必死で平静を装っていました。

順番が回ってきたので、汗ばんだ手で握りしめた100円玉と50円玉をお店の人に差し出してソフトクリームを受け取ると、ばあちゃんの横にちょこんと座って、おいしいおいしいと言いながらペロペロ舐めていると、ばあちゃんは、目を細めながらその様子を見ていました。

いつものあの笑顔で。


ばーちゃんと一緒に見た桜、ばーちゃんに買ってもらって食べたソフトクリーム、ばーちゃんの笑顔、そしてあの人混みまでもが、桜色の“ばあちゃんの愛”として僕の心に刻まれたのでした。


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