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2008年2月19日

●欲張って手に入れたもの

こんにちは!熊谷佐知恵です(^^)

ブログでは、ボチボチと自分のこれまでの経験などについて書かせていただいてきましたが、今回、コラム初投稿と言うことで、少し、緊張してます(^-^;

お客様から、よく私個人によせられる質問をヒントに綴らせていただきますので、よろしくお付合いくださいね。

カウンセリングをしていると、お客様から、時々こんな質問をいただきます。
「熊谷さんはご自分で会社を経営しているのに、どうしてカウンセラーもされているのですか?」と。
また、別のバージョンでは、自分の会社のお仕事関連の方に「どうして製造業をしながらカウンセラーになられたのですか?」と、みなさん、とても不思議そうに聞かれます。

理由や動機に繋がるものはたくさんあるのですが、単純に言ってしまうと「欲張ってみたかったから」これに尽きます。

ほんの10数年前まで、私は2度も結婚に失敗してしまって、本当に何もないところからの人生の再スタートが始まりました。あるのは幼い二人の子供と命だけ。

お金もない、住む家もない、自由もない、才能もない、学歴もない、幸いにして借金もなかったのですが、夢も希望もないとナイナイ尽くしの再スタートでしたから、惨めさに浸っている暇もなかったかもしれません(爆)

住む家や就職が決まった時は、本当に嬉しくて、有難くて。

でも、こうしてコラムのネタに挙げた自分の過去の不幸ぶりを振り返ってみると、改めて大きな発見がありました。

それまでの私は、「お金でモノを言わせるような大人なんて大嫌い!」って思っていたり、「学歴なんて関係ない!」「もう、帰るトコなんていらない!」と思っていて、自分から遠ざけていたモノばかりだったからです。
(10代の頃の話です)

この驚愕の事実に改めて愕然としてしまったのですが・・・(汗)

幸か不幸か、20代早々で、ほぼゼロの振り出し地点を味わったことで、欲しいものや得たいモノを手に入れていくプロセスを何の疑いもなく進むことができたのです。

自分にとって、そのすべてが必要なモノだと思えたから、自分に欲張ることを許すことができたのかもしれませんね。

モノからコトへ、私の欲望は生活レベルの欲求から、自己実現の欲求に変わり、大学への進学や卒業、会社の社長就任へと続きました。
そして、あんなに「男なんてコリゴリ」と思っていたはずの私に再び彼ができたのもその頃でした。

子供の頃は、しつけの一環で、二人の弟と何か取り合いの喧嘩になると親から「欲張っちゃいけません」と姉弟三人で叱られたものですが、私たちは大人になっても、どうやらこのしつけを守って、「欲張るコトは悪いこと」のように感じてしまうのかもしれませんね。

今思えば、本当は「仲良く順番こで使いなさいね」とか「仲良く分け合いましょうね」と言うことだったのかもしれませんが、「欲張ること」=「悪いこと」のように誤解したままでいるために、遠慮し過ぎたり、謙虚になり過ぎてしまったりする人も少なくないように思います。

大学に進学するときも、仕事もしなきゃだし、子供もいるし、自分の希望を通そうとするのは迷惑だよなと諦めていたら、きっと今でも私の学歴コンプレックスは解消できていなかったかもしれませんし、働くことにも劣等感を引きずっていたかもしれません。

それくらい、当時の私にとっては、学歴と言うか、仕事をする上での自分の知識不足に不満を感じていたんですね。ちなみに、履修したのは商学部でした。

もちろん、始める前には滝のような葛藤がありましたが、幸いにも欲張ってみる方を決意し、行動したことで、家族の協力と応援を得て、働きながら学生生活も満喫し卒業することができたんです。

「自分には○○が足りない」から「○○が欲しい!」と素直に思えたからかもしれません。

同じように社長に就任するときも、私にはそんな経験も裁量もないからと逃げ出してしまっていたら、経験できなかったことばかりです。

この頃には、自分のことから「私たち」のための欲張りに変わっていたのかもしれませんね。

不安もたくさんありましたが、それらにチャレンジすることの意義を自分の中で見出し、本当に自分が欲しいと望んだものを実現したいと思えたとき、人間って、こんなにも夢中でしかも充実感たっぷりで取り組めるものなんだなと思いました。

そして、自分がいろんなことを経験して、以前より豊かになれたと感じれたとき、私自身がもっと多くの人に貢献できたらな、という段階が、カウンセラーになりたいと思えたときでした。

友人の中には「すごいね」って言ってくれる人もいるけど、すごくなんかないんです。
欲張っただけだから(笑)

今では、ボランティア活動も含め、あれもこれもとやりたいことだらけになってしまっているけど、自分の人生を見出すには、あれもこれもでいいのではないかと思っています。

正直、一貫性がないのって、良くないのかな?と悩んだ時期もありました。
でも、今はバラバラに見えるけど、私という人間が欲した寄り集めが、いつか、いくつものプロセスを経て、私の中で統合された時、どんな形になって自分を表現していくことができるのか、ちょっと楽しみだったりするのです。

自分の人生に自分らしい何かが足りないと感じてしまうあなたに、なにかヒントになったら幸いです。

最後までお読みいただき、ありがとうございました(*^-^)


熊谷佐知恵のプロフィールへ>>>

投稿者 csadmin : 12:00

2008年2月12日

●イタリア旅行の思い出〜聖なる森のその後に〜

 今回のコラムは、2007年10月15日掲載「怪獣庭園の思い出〜聖なる森へ〜」の続編にあたるものです。あわせて、過去のコラムをご覧いただければ幸いです。

 「聖なる森」と呼ばれた不思議な庭園は、ローマ郊外のボマルツォという片田舎にあった。
 そこに行くまでの道のりも、ローマから鉄道でヴィテルボという町まで行き、さらに今度はローカルなバスに乗り換えての旅で、停車駅も、バスの運転手さんに、ここについたら教えてくれ、といって辿り着いたところだったので、何が心配かって、元のようにローマに戻れるかということが最大の不安だった。
「聖なる森」を満喫した僕は、すっかり時間のことを忘れていたので、辺りはもう夕暮れになっていたのである。

 しかも、帰りのバスの時間がわからない。
 これは困ったなあと思っていると、バス停のすぐ近くに、小さな小さな簡単な雑貨類を売っているお店を発見した。
 そこで水を求める傍ら、バスの発車時刻をたずねることにしたのだった。
 声を出すと出てきたのは、優しそうなおばあさんだった。
 いかにも田舎の親切そうなおばあさんだったので、この人なら、いろいろと教えてくれるに違いない、そう安心したのだった。

 ところが。

 ここは、イタリアである(当たり前)
 そして、ローマではない(当たり前)
 しかも、とっても田舎町である(当たり前のことにやっと気づいた)

 そう、英語が全く通じないのである。
 もちろん、僕はイタリア語など、全く話せない。
 しかし、僕はどうしてもバスに乗らなければならなかったのだ。

 それからは、おばあさんと僕との「ジェスチャー大会」になったのは言うまでもない。
 特にヨーロッパの場合、海外旅行者というのは、片言の英語ができれば何とかなると高をくくっているところがあると僕はこの時痛感した。
 イタリア語と英語は、これほど違うのか、と知ることになったのだが、どんな言葉を発しても、全く通じない。
 おばあさんは本当に親切な方で、自分だけでは力不足と奥にいた、おじいさんまで呼んで来てくれた。

その結果は。

そう、三人での「大ジェスチャー大会」である。

 何問くらいジェスチャーのやり取りをしただろう、ジェスチャーのクイズ番組があったら、その放送時間分はやったと思う、そんな頃。

 僕の「バスに乗りたいのです」という熱意が通じたのか
 おばあさんとおじいさんの「この路頭に迷う若者をなんとかしたい」という熱意が通じたのか

 二人の顔が「はっ!」と豹変した。
 まさに、人と人の心が通じた瞬間だった。
 と同時に、二人は、あるジェスチャーを一緒になって懸命にやり始めたのである。
 それは、両手を前に出し、ちょうど水泳のクロールのバタ足のように上下に交互に動かす仕草だった。
通じた!と思った矢先のそのジェスチャーを、僕は必死に理解しようと、一緒になって、同じ動作を真似した。
三人で、真剣に見つめ合いながら、しばらく手をばたばたさせていた時、僕にも突然の閃きが走った。
「駆け足!」
瞬時に、親切な二人の意思を汲み取った僕は、大声で「ありがとう!」と叫びながらバス停に走った。
二人も、うれしそうに僕を見送ってくれた。
まるで映画のシーンのように、ちょうどバスがバス停にやってきた。
そう、イタリア流の駆け足のジェスチャーだったのだ、あれは。

こうして僕は、なんとかローマに戻る事ができた。
人と人とのコミュニケーションは言葉ではないことを肌で実感した、そして感動的な体験だった。
僕は、人と人のコミュニケーションに言葉はいらないと思っているが、それは、この時の体験が大きいと思う。

あの時の老夫婦に改めて、そして、心から感謝したい。
ありがとうございました。


池尾昌紀のプロフィールへ>>>

投稿者 csadmin : 12:00

2008年2月 5日

●桜の咲く頃には・・・〜〜いくつもの春を想う〜〜

 テレビを観ていたら、春・桜の頃を思わせるようなCMがいくつかあり、
空気まで薄紅色の季節にすっかり入っていってしまいました。画面の中はど
れも幸せそうな家族。私にもそんな時があったかしら・・・と想うと何だか
センチメンタルな気分になりました。もちろん想い出は皆無ではないのです
が、何だか今日は妙にシニカルな気分になっているんです。

 高校時代の卒業式は2月下旬。桜の花はまだまだ姿もありませんが、イメ
ージとしては、桜吹雪の中を、仲間といるのです。穏やかな陽射しがところ
どころをまだらに温めている、そんな景色が、頭の中にはあります。

 夕暮れ時の、薄墨の中を歩いていると、母校の男子生徒と女子生徒が、仲
良く並んで坂道を上がり、最寄の駅に向かっています・・・30年経っても
変わらない景色に、ちょっとほっとしたりして。彼らの歩いている頭の上を
桜が春をちりばめだすのは、まだ一月以上も先です。そのころ彼らはここを
通りはしないのかもしれません。でも、またこの通りを違った顔ぶれが歩い
ていることでしょう。

 中学校の入学式の日、制服を着て小学校のグラウンドに集合しました。地
元の公立中学に入学するので、ありきたりの制服なのですが、それでも少し
オトナになった気がして嬉しかったものです。私には特段の想いもありまし
た。年末に、父が入院し、紙一重の幸運で生還したのですが、まだまだ本調
子ではなかったと記憶しています。親しかった何人かの友人のうち、既にお
母さまが亡くなっていた友達もいたし、私の父と同時期に病に倒れ、後に闘
病の果てお父様が他界される、といった友達もいました。

 十三歳の春、それぞれの環境や想いを抱いての入学でした。

 父はそれから二十四年間、それは元気に生きてくれましたし、私たちの
側から見れば、孫達とも逢えているので、完全ではないにせよ、納得のい
く人生でもあったと、思って良いのではないかな、と思っています。

 父が倒れたのはちょうどクリスマス。どんなお正月だったのか全く覚えて
いませんが、母方の叔母や祖母がとてもよくしてくれたことを覚えています。
私は一人でタクシーに乗り、こわごわでも父の病院に行けるようになった、
とも覚えています。
幸いにこの時父は戻ってくれましたが、私の気持ちの中では、全くお正月
どころではなかった。将来の自分の行く末を考えたりしたことを後で恥じま
したが、当時仲良しだった友達もお父さんが闘病中で、そのためではなかっ
たにしろ、ずいぶん一緒にいて、二人で色んな話をしました。彼女のお父さ
まは、突発的な事態の急変であったうちの父とは違い、時を経ることが命の
長さと直結していましたから、本当に瞬間瞬間が大切だったんだな、と今に
して思うのです。自分のことばかり考えていて、自分が恥ずかしくなったの
はこんなことを重ねている友達家族をみたから、かもしれません。

 何度かの入院を経て、仕事場に復帰された彼女のお父さまが、私の家の前
の坂道を彼女のお母さまと二人でゆっくりと歩いておられた姿が、今も忘れ
られません。穏やかに毎日を過ごされている様子を見ては、ほっとしていた
のですが、また姿を見なくなり・・・訃報が入りました。私たちが高校生の
頃でした。まだ二つ下に弟さんがおられ、無念な想いはあったでしょうが、
今、この年になると、友達も弟さんも、お父さまの生き様を継ぐように生
きているので、つくづくと親子の繋がりは時の長さではなく、如何に真摯
に生きるのか、と言うことと、そのことをどのように伝えていくのか、と
言うことではないかな、と思うのです。
 そして彼女のお父さまは、娘の友達に過ぎない私にも、深い感銘を刻みま
した。結果論になりますが、生前は教育に携わっておられたので、喜んで下
さっているのでは?と思います。

 季節ごとに行事があり、花が咲く。人が集まる。笑い声が聞える。

 そんな当たり前のことを、目の前の目標にして、一日一日を生きている。
一日でも大切な人と、大切な場所で過ごすために、一生懸命身体の細胞が生
きようとしている。身体が滅びても心はそうではない、とも言いますが、や
はり目の前に姿があるのとないのは違います。
 
 先日ご縁があり、臓器移植コーディネーターの方のお話を伺うことがあり
ました。亡き父は早くからアイバンクに登録していたこともあり、また自分
が死んだら大学病院の解剖教室の献体にしてくれ、と言っていたこともあり
(ちなみに、幼かったので当時の私は泣いて反対しましたが・・・)、色ん
な想いでお話を聞かせていただきました。
 ドナー(被提供者)の気持ち、レシピエント(提供者)の家族の想い。い
ずれにも誰だってなり得る立場ですから、それに自分の生きてきた中にも想
う材料はたくさんあって・・・。人の命は言わずもがなですが限りがありま
す。その命をどう救うかと言うのも大切ですが、どう生きるか、と言うこと
は周りの家族や友人、恋人、果ては私のように家族の友達にまで、大きな影
響を醸し出します。

 命の時間を限定される、と言う事は、元気なときには当たり前だったこと
の多くが、自力ではできなくなると言う事でもあります。歩いたり、笑った
り、ご飯を食べたり・・・そして食べた物を消化して排泄したり、呼吸をし
たり、体温を保持したり・・・。普通に機能していたことがそうではなくな
り、薬や器材なしには生きられなくなったりもします。正直なところ、かつ
ての私なら、そこまでして生きなくてもいいや、と思っていました。

 でも、誰かのそうして生きる姿が脈々と伝わることで、誰かの人生を、密
かに彩っていくこともあるでしょう。家庭、職場、地域、昔なじみ・・・色
んなところでその姿を応援し、見守っている姿があるのです。それは、闘病
者にだけではなく、周りへの計り知れない大きなギフトにちがいありません。
そう思うと、できる長生きはしても良いかなぁ、などと思うようにもなりま
した。・・・ってまだまだですけどね(^^)

 冷たい風の中、芽を密かに抱いている木々が、やがてつぼみを持ち、幸せ
な春を連れて来るでしょう。母校の生徒達もまた、違う友達と連れ立って歩
き、私たちのようにいろんな経験をしながら、つながりを広げていくことで
しょう。

 昔、夢一杯では決してなかった高校時代の私を重ねながら、密かに応援を
する私です。


投稿者 csadmin : 12:00