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2007年12月25日

●この季節に思うこと−あなたは愛されています

毎年、この時期になると必ず読む本があります。それは私の大好きな本「クリスマス・ボックス」です。この本を買ったのは、もう10年以上前のことです。銀座の大きな書店で
クリスマス・シーズンに向けて、目立つ場所にドドーンと山済積みにされていました。
ベージュの縁取りとラズベリー色の表紙、そしてツヤ消しの落ち着いた金色のタイトル文字。とても上品な装丁に、思わずページをパラパラとめくってみました。どうもフワフワ
したクリスマスのおとぎばなし、という感じではなさそうです。厚さも大したことは無く
読みやすそうだな、と軽い気持で買いました。そうして、家に帰って読んでみると・・・

泣きました。涙が後から後から溢れて止まりませんでした。
何だか、自分が生きていることを肯定されたような気がしたからです。

あらすじを簡単に述べますと、若い父親であり、駆け出しの自営業者である「わたし」とその妻、幼い娘の3人が、街の大きな館に1人で住む老婦人のもとへ引っ越してきます。
表向きは老婦人の身の回りの世話をする為に雇われたのですが、実際のところ彼女は“家族”が欲しくて彼らを雇ったようです。そしてこの上品で優しい老婦人には秘密がありました。この秘密が解き明かさると共に、「わたし」は人生で大切なもの、危うく自分が失い
かけていた“宝物”に気づくのです。

この物語のテーマは“愛”です。やさしく深い親の愛 ― 神の愛というものだと思います。
例えばこの物語の中で、老婦人が「わたし」にする質問 − この世で最初のクリスマスの
贈り物は何だと思う?− この質問の答えこそ、この物語を貫くテーマです。そして、その深い愛に触れた時、私は涙が止まりませんでした。

当時の私は幼い頃から、自分はこの世に生きていてよいのだろうか? そんな思いがとても強かったのです。家族はバラバラでしたし(父は今も行方不明です)、その家族に背を
向けて生きていましたから。家族が大嫌いだったのです。しかし、それだけに孤独感や罪悪感が強く、自分を肯定できないでいました。

私は何の為に生まれてきたのだろうか?
生きていていいのだろうか?

そんな思いを心の底に押し込めながら、表面上は明るく振る舞っていました。
しかし、この物語を読んだ時、この本に貫かれている“思い“が私の心の中に浸透していき、奥底に隠していたものに優しく触れたのです。

泣きながら、心の中でこんな質問を繰り返していました。
こんな私でも神様は許してくれるのだろうか?私の人生は受け入れてもらえるのだろうか?

答えは“Yes“ですよね。だって神様は子供達(我々)を愛してくれているのですもの。
この時から、カチカチに固まっていた心が、ほんの少し緩んだようなきがします(もっと緩むまでには、この後もかなり長い時間を要してしまいましたが! 笑)


もしもあなたが愛されていなかったら、この世に生まれていなかったのではないでしょうか。精子と卵子のレベルでいえば、あなたには他に何億というライバルがいたのです。しかも3日以内に受精できなければ、ライバル共々全滅です。そうなれば当然ですが、あなたはこの世にいません。しかしこの天文学的な条件下で、あなたはこの世に生を受けたのです。これが奇跡でなければ何なのでしょう!あなたがこの世に生まれ出たのは、当然の
ことではないのです。このことを、どうか意識してくださいね。

そう、まさにあなたは愛されている。だから奇跡的にこの世に生まれることが出来たのです!

では、愛とは何でしょう?人それぞれの解釈があると思いますが、私は次のように思っています。無機質なものでも、植物でも、動物でも何でもよいのだけれど、その対象となるもの全てを“生かそう”とする意志 − この世にあまねく存在する大きなエネルギー。
そして、その意志によって生かされている私達1人1人の中にある、相手を“生かそう”
とする思いや行為。それが愛ではないかと。

私が毎年この季節になると「クリスマス・ボックス」を開くのも、このことを思い出す為なのかもしれません。でも、それを思い出すのに、本当は季節は関係ありませんよね。だからこのコラムがクリスマスを過ぎても掲載されるのは知っていますが、書かせていただきました。

もしも今、一人ぽっちで淋しい人、自分を受け入れられない人がたら、どうぞこのことを思い出してください。あなたは愛されています。だから生かされているのです。

みなさまが、良きクリスマスを過ごせますように。
そして幸多き新年を迎えられますように、心からお祈りいたします。
ありがとうございました。


高木美歩のプロフィールへ>>>

投稿者 csadmin : 09:58

2007年12月18日

●心の性転換手術をして 〜美しくなりたい!〜

私が就職をした頃は、バブルの終末期の時代でした。
それでなくとも飲み会の多い医療業界。

就職して、右も左もわからない新人の私は、
“郷に入れば郷に従え”とばかりに、
誘われるままに先輩や先生達について回ってました。
神戸は三宮、翌日が休みの日は、大阪まで出て、北に南に新地に。

そんな中、今でも忘れないお店があります。
それは、ショータイムがあって、割り箸にお札が挟まれ、
ショーが終わると、それをプレゼントする光景のあるお店。
(これって、今でもあるのでしょうか?)

そう、今で言う「どんだけ〜。いかほど〜。」というフレーズで、
元気を下さる系のお店です。

当時、キョロキョロしながら、初めての店での会話に困っていた私に、
お姉さん?は話かけて下さったのです。

「ねえねえ、あなた。このパンスト何デニール?」

(女性の冬にはくパンストの厚さを表すのが、デニール。
 その年の冬は、その厚さ具合が流行になりました。)

そう、業界のお姉さん達は、『女性が美しくなる事』に関しての流行と情報は、ピカイチ!!

私は、・・・
いきなり始まったこの一言に驚き、どう反応していいのかわからず、
はたまた、「何デニールってなによ?!」と聞かれた内容がわからず、
引きつりながら、にやっと笑うしか出来ず、
それからも会話についていけなかったことを覚えています。

でも、その普段では感じられない刺激とテンションの高い楽しさ、
一体、あのお姉さんは何者なの?っていう印象が、今でも忘れられずにいます。

それから覚えているのは、その時『男性にさえ負けた〜』って感じがしたのです。
そう当時の私は、すでに人生負けだらけ、
私って良い事なし女だって心から信じ、不幸を引き起こし続けている真っ最中だったんです。

その後、私は、カウンセリングを受けることになるわけです。
そして、そのカウンセリングで、私がこんなに衝撃を受けたワケが判明されました。

私は、二人姉妹の姉。

よく、母から聞かされて育ったのが、

「本当はお父さんは、男の子が欲しかったの。
 だから、あなたをあんまり抱っこしなかったでしょ。」
「あなたは、長女なんだから、将来は、この家と私達親をみるのよ。」
「あなたには、妹がいるんだから、私立の学校や塾なんて行けないのよ。」

と、こんな感じ。

まるで長男が言われやすいフレーズを受け続け、家を背負い、親を背負い、
進学するのも就職するのも場所を選び親に相談し、親の反応を気にし、
親の思い通りに生きる人生を生きていました。

母がどうして、こんな事を言っていたのか、カウンセリングを受けて、
初めて母の痛みを理解する事ができ、両親を許す事ができたけど、
それはそれは時間がかかりました。

ただ、私の心は、一家の長男のような感じで、育ちあがっていたので、
私の考え方も、しぐさも、人間関係のあり方も全て男性的。
父との関係や会話は、どうやら男と男。
今でも、ついつい、そんなモードになりがち・・・(泣)
父も、長女(長男)としての品格や責任感を懇々と教えて来た人でした。

そんな私が、男性に、肉体的に女性として扱われても、
何故か心は満たされていなかったような感じがします。
それは、自分が、女性としての肉体を、頭で理解して女性として表現しても、
心のレベルで、男性として生きようとしていた矛盾から、
たくさんの問題を持っていたようです。

カウンセリングを受けて、どうやら心の性転換手術を受けたような感じです。

ここ数年は、やっと女性として生きることに、少しづつ楽しさを感じることが
出来るようになってきました。

そして、私の元に訪れて下さる中に、同じ問題を見つけた時、
「さあ、心の性転換手術をしましょうね」
と声をかけられるようになりました。

女性としての美しさ。
心も肉体も両方美しくなりたい。

女性としてのオーラを心から発した人になりたい!!
それが、2008年に向かう想いです。

実は、このコラムが皆さまに発信される今日12月18日は私の誕生日。

女性として、この世に生を受け誕生した今日、
もう一度、女性として生まれてきた事の意味を受け入れ、
もっともっと女性だからこそという楽しみや、女性だからこそ出来る事を、
自分に許可し、自分の美を探求して行きたいって思ってます。

そんな楽しみを知っている方々、私にぜひ教えてくださいね。
そうそう、女性の美を探究し続けている、あのお姉さん達にも、
教えていただきに行きたいものです。
今度は、自らの選択でね。
今、あの場所は、どんなふうになっているのでしょう?

「懐かしい」というフレーズが、増える歳になりました〜

投稿者 csadmin : 12:00

2007年12月11日

●愛のカケラを集めてみると・・・

こんにちは、吉見太一です(^^)
今年も、すでに終盤を迎えアッと言う間に一年が過ぎようとしていますね。

ボクはと言うと、今年の6月に元気な子供が生まれてくれたので、6月を機にボクと奥さんの生活スタイルは、子供中心となっており、二人の話す内容も子供のことばかり・・・と、そんな状況です。

そのため、こうしてコラムを書くにも、どうしても子供のことになってしまいますね。どうぞ、ご了承下さいませ(^^ゞ

ボクは、自他共に認める子供好きだと思う。
子供は、楽しければ笑うし、イヤなら泣くし。だから、すごく分かりやすいし、気を遣われない反面、こちらも気を遣う必要もない。
特に、子供と一緒にいると、なんとかこの子を笑わせようなどと、変な気が湧いてくるから不思議なのである。

ただ、自分の子供はどうかな?という一抹の不安はあった。
なぜならば、ず〜っと一緒にいると、イライラするのではないだろうかと案じていたからである。特に、疲れて帰宅した上に、夜鳴きでもされた日には、たまったもんじゃないと思っていたからである。

すでに、先輩パパのボクの友人が、我が子が生まれる少し前に、こんなことを言っていた。「赤ちゃんって、どの子もかわいいやろ。でもな、自分の子供は特別やで。」と。

確かに、赤ちゃんはどの子もかわいいのは、理解できるが、自分の子供はどう特別なのかが、そのとき理解できなかった。しかし、今なら分かるのである。『くぅわわいい(かわいい)です!!』と。

一番、怖れていた夜鳴きすら、かわいく思えるのだから、人は分からないものだと思う。

そんなかわいい我が子だから、溺愛ぶりも半端ではない。
特に、ボクは朝と夜の少しの間しか一緒におれず、夜などはすでに寝顔しか拝見できないのだから、愛おしさも一入である。

そんな我が子は、本当にすくすくと育ってくれている。
顔にも表情が伺えるようになり、ボクに似た顔は、ますますボクに似てきた。遊びに来てくれた友人・知人が口々にパパ似だと言ってくれるたびに、ボクはニンマリとうれしくなる。

また、我が子を抱っこするたびに複雑な心境になるとも、みんなに言われる。
なぜならば、顔がボクにソックリだからだ。まるで、ボクを抱っこしてるような気になるのだろうか。その心境は、聞かないようにしている。

逆に妻は、少しでも自分に似てるところを探すように、「目元がママ似かな?いやいや口元がママ似かな?」などと、無理やり似ているところを探そうとしている。挙句の果てには、「この指のつめの辺りがママ似かな?」などと、コメントに困るようなことまで言う始末なのである。

そんな我が家であるが、生後2ヶ月を数えたくらいから、我が子の顔に発疹らしきものが見えるようになった。

当初は、乳幼児湿疹といわれる、赤ちゃんにはよく見られる湿疹だと思って、時間が経てば治るだろうと軽く考えていた。

しかし、乳幼児湿疹ならば、生後3ヶ月くらいには治ると言われたいたが、逆に、生後3ヶ月くらいになると湿疹のひどさを増して、顔だけでなく身体にも湿疹が広がっていた。

妻は、発疹が見られだしてから、母乳の影響によるものが大きいからと、よく言われる卵の類や灰汁の強いものは、全く食べなくなっていた。

それなのに、症状は良くなるどころか、逆に悪くなるばかり。
きれいなだったほっぺは、痒さのあまりかきむしるので、傷がつくばかりかグジュグジュになり、頻繁にリンパ液が出ている状態となっていた。

見ているこっちが辛くなるくらい、夜になるとかきむしる。
掻くと顔に傷がついてグジュグジュになるので、その手を押さえる。押さえる手をやめると、またかきむしるといった悪循環にはまっていった。

もちろん、病院もくまなく調べて行った。
小児科、皮膚科、アレルギー科、ネットの書きコミで良いと言われる医院に診て貰った。しかし、大概は「乳幼児湿疹か、アレルギーか、アトピーか・・・まだ、なんとも言えませんね。」という答えだった。

効き目の強い皮膚用薬の使用は、非常に気をつけなければならないようだった。素人知識だが、反動で悪くなった場合、皮膚が黒ずんでしまったり、さらに悪化することもあるようなことも本やネットで読んだからだ。

しかし、そんなことも言ってられなかった。
夜になると、子供は痒さのあまり、顔を掻き、妻はその手を押さえる。その攻防は、夜の8時から朝の8時まで繰り返される。そのうち、ボクが夜中の3時まで子供に付き添い、3時以降、妻が子供に付き添うようになってきた。

毎晩の睡眠時間は、約2時間〜3時間。しかも、しっかりとした睡眠ではなく、途切れ途切れに目を覚ますというかなり過酷な状況だった。
しかし、泣き言を言ってられない。子供の顔はさらにボロボロになっていた。
ボクが仕事に行っている間、妻は一人でこの子を見なくてはならない。
だんだんと、昼間の時間でも顔を掻きだす事態となった。
僕たち夫婦の疲労と症状がますます悪化していくという、先の見えない不安から、ある日、妻が半狂乱状態となっていた。

「どうして!?なにをしても治らないやんか!!
もぅ、イヤや!もぅ、また掻いてるやんか!なんで、掻くんよ!!」

妻の表情に余裕はなかった。痩せた頬が、日々の辛さを物語っていた。
妻は、自分を責めた、責めて、責めて、そして、ボクを責めた。

もぅ、どうしていいのか分からない。
これまでも、病院の薬をぬり続け、良いといわれたものを食べたりしていた。ハウスダストが原因かもしれないと言われれば、家を掃除し布団を何度も干した。清潔にせねばと思い、お風呂で子供の身体の隅々まで入念に洗い、夏場は、肌着の着替えも頻繁に行った・・・にも関わらず、症状はますます悪くなった。

泣きたくなった。

ある日、出張から帰宅したボクは、ジュクジュクになった我が子を胸に抱き上げた。
また、大きくなっている。背も伸びたし、体重も重たくなった気がした。
そして、また、いつものように顔を掻き始めたので、その子供の手をボクの手で押さえた。

我が子は泣くとき、下くちびるが上のくちびるを覆い隠すように、悔しそうな、悲しそうな、情けない顔をまずするのである。ボクが手を押さえた瞬間、いつものその表情をしたと思ったら、それを我慢するかのように、ニコッと笑顔を見せた。

その瞬間・・・、ボクは泣いた。

一番痒いのは、この子であり、痒いという感覚は、痛い、熱い、冷たいなどのどの感覚よりも辛いものである。実際に、痒いと思ったときに、掻かずにいたらどれくらい苦痛か分かってもらえると思う。
掻きたい手を押さえられ、この耐え切れない気持ちをこの子は、押し殺していると思ったら、いてもたってもいられなくなった。この笑顔の奥深さにボクは泣けた。

「絶対に治したる!!必ず治るから。だから、もぅちょっとやから、頑張って!!」

なんの根拠もない。手段もない。ただ、そう言わずにはおれなかった。この子に、そう約束してあげないと、ボクの心は張り裂けそうになっていた。

いろんな人に良い医者はいないか?乳幼児の湿疹には、どうしたらいいか?というのを聞いて回った。必死だった。

そんなある日、たまたま、助産師である妻の友人が遊びに来てくれた。

我が子を見ながら、「この子、治るよ。大丈夫よ。」といって、今までの経験を交えて、たくさんのお話を聞かせてくれた。このことが、妻に希望を与えてくれた。この一言が、妻を勇気づけてくれた。妻にとっても、ボクにとっても非常にありがたかった。

さらに、妻の姉から一通のメールが届いた。

「うちの子供が治った皮膚科があるよ。」

聞けば、うちの住まいから車でも約3時間くらいかかる場所だった。しかも、名高い医院のため、9時からの診察に早朝6時から並ぶとも言う。

「明日、早朝3時に出発しよう。」
そう妻にボクは言った。藁をも掴む思いだった。

妻は、遠方地のために、もっと近場で探すようだった。しかし、ボクは早くこの子の苦しみを開放してあげたい。そして、この家族の呪縛から抜け出したいと考えていたからだ。

元気とはいえ、まだ、4ヶ月にも満たない子が、3時間のドライブに耐えれらるのか心配だった。
しかし、幸い、ボクは前職で、教えてもらった医院のまわりを営業で回っていたので、土地勘には明るかった。ボクの行動は早かった。

妻は、後にこの出発を決めてくれたことに深く感謝してくれた。

早朝6時は、思ったよりも冷え込んだ。
新聞とコーヒーを持って、お医者さんに並ぶなんて初めてだった。まるで、有名歌手のチケットの購入か、ゲームソフトの購入を彷彿させた。

幸い、1番に並ぶことができ診てもらうことができた。
診察結果は、僕たちの観念をものの見事に打ち砕かれた。

妻が良かれと思って食べてたもの。ゴシゴシと洗っていた体etc・・・。その全てに×(バツ)を出された。この医師のご指導の下、薬の塗り方までレクチャーされた僕たちは、治りもしていないのに、まるで、治ったかのような錯覚さえ覚えるような感覚にとらわれた。

そして、僕たちの時間がゆっくりと動き始めた。
することが明確になったその時から、ボクたちの時間は、また動き始めた。

驚いたことに、次の日から子供の症状は見る見る改善されだした。
もちろん、今は治療中なので、この先のことは分からない。
今も、顔を掻くのだが、掻く回数はほとんど減り、夜は良く寝てくれるし、以前のような赤ちゃんほっぺに戻りつつある。僕たちにも笑顔が増えた。

いま思えば、夢中で子供の症状がよくなるように頑張った。
いろんな人に聞いて、試して、でもダメで、また試して、でもダメで。。。
逆に悪化したこともあった。しかし、それもこれも、良いことも悪いことも、僕たち親だけではなくて、みんな、この子の湿疹を治したいと思ってくれた、愛のカケラだと思った。

たくさんの愛のカケラを試して、試して、そして、行き着いたのが、あの妻の姉さんからのメールだったのかもしれないと思った。愛のカケラを拾い集めた結果、この子に笑顔の回数が増えた。

愛のカケラを示してくれた皆さんに、感謝の気持ちでいっぱいなのです。

子供になにかあれば、親は自分が身代わりになれるものならば・・・と祈るものだと思った。
子供になにかあれば、親は寝ずの看病も厭わないと思った。
子供になにかあれば、親は早く良くなれと四六時中頭を駆け巡るのだとも思った。

そして、誰のせいでもないのに自分を責めて、そして、現状が改善されれば、人知れず感謝しているのだと思った。そしてそれが、親なんだと気付いた。

親はバカだと思う。つくづくバカだと思う。
しかし、バカになれるくらい、子供が愛おしく、そして大切なものなんだと気づけたのである。

そんなこんなで、新米パパを頑張っています(^^)

最後まで、読んで下さってありがとうございました。


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投稿者 csadmin : 12:00

2007年12月 4日

●10年目の結婚指輪

僕達夫婦は結婚して今年の秋で丸9年。今、ちょうど10年目に入ったところです。

そんなある日、僕は、奥さんのはめている結婚指輪が、長い年月が経って随分キズができていることに気がつきました。

10年目にもなれば、指輪もそんなになるんだね、と話をしていた時、僕は、ふと、「そういえば、俺の結婚指輪どこにあるんだろう」と口に出しました。

「失くしちゃったんじゃないの?」という奥さんの言葉を背に、確かにここに仕舞ったはずだと、探してみると、やっぱりありました。

「あったよ、ちゃんと仕舞っておいたから」
そう言いながら、僕はなんだかとてもうれしくなりました。
そして、このまま指輪をはめてみようかな、と思ったのです。


僕は、大学生の頃から、指や腕にアクセサリー等をつけると、手首が痛くなるという症状がでるようになっていました。

指輪やブレスレットはおろか、腕時計もできないため、今日のように携帯電話を持ち歩くようになるまでは、時計といえば、懐中時計のタイプか、何ももたないというくらいだったのです。


そんな僕も、指輪を買うことになりました。
今の奥さんである恋人と結婚するからです。
二人して、いろんなお店を見て歩いて、シンプルだけど、自分達にぴったり!という結婚指輪を探すことができました。

ところが、僕は指輪をすることができません。
せっかくの結婚指輪だからと、結婚当初は試みてみましたが、やっぱり手首が痛くなってしまうのです。

それでも、せめて身につけることだけはしておこうと、持ち歩いたりもしましたが、それこそ失くしてしまいかねません。

そんなわけで、結局、僕は、10年目を迎えた今まで、結婚指輪をしていませんでした。それどころか、指輪の存在そのものを忘れていたのです。


本当に、たまたま思い出した結婚指輪。
それが10年目に入った今であることが、僕にはなんだか、指輪をはめる、いいきっかけのような気がしました。

今なら指輪ができるかもしれない。

そう思って、その瞬間から結婚指輪をすることにしました。
すると、しばらく経っても手首は痛くなりません。
結局、その夜は、手首は痛くなりませんでした。

翌朝、起きてみても、変化はありません。

おお!これはもしかしたら、いけるかも!
僕はとてもうれしくなり、そのまま指輪をし続けました。

その夜。
次の朝。
そして、また、その夜。

何夜も、時が過ぎていきましたが、問題は起こりませんでした。


ある時、奥さんが僕が結婚指輪をしているのに気が付いて、「指輪してるの?」と驚きました。
そして、彼女は、こう続けたのです。
「指輪をしている男の人って、私、何か好きだよ」


こうして、今日まで、結婚指輪は僕の指に納まっています。
今まで仕舞ってあったから、ピカピカ光って。
まるで、結婚したばかりのようです。

普段、何気ない動作の中で、指輪をしていることに気がつくと、何故だかいつもうれしくなります。
そのうち、指輪をしていることが当たり前になって、気にならなくなるのでしょう。

そして、僕の指輪も毎日の生活の中でキズができたりしていくのでしょう。
奥さんの指輪と同じように。

まるで、二人で人生を生きている証を刻むかのように。

池尾昌紀のプロフィールへ>>>

投稿者 csadmin : 12:00