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2007年11月27日

●物にこめられた愛

少し気が早いかもしれませんが、もうすぐクリスマスがやってきますね。
クリスマスの思い出というと、クリスマスプレゼントにまつわる思い出もあるでしょうか。そのプレゼントにはどんな思いがこめられたいたのでしょうか。

私は小さい頃から、両親らからもらった物を見ていると、なぜか切ない気持ちになってしまい、なんだか泣きたくなることが多かったように思います。
そしてもらった物だけではなく、よく色々な「物」に執着していました。

どうしてかなあと、ずっと不思議に思っていたのですが、心理学を学び始めて、カウンセリングサービスの母体である神戸メンタルサービスのヒーリングワークに参加するようになり、たくさんのセッションを見せていただいている間に、ああ、これなのかなあと思い当たることがありました。

人が、子どもを愛したいと思うとき、パートナーを愛したいと思うとき、その「愛し方がわからない」ということがあるようです。愛し方のモデルをもっていなかったり、自分をひどく扱っていてこんな自分の愛を受け取ってもらえる訳がないと感じていたりして。

そんな時、物やお金に思いをこめることがあるようです。どうしていいかわからないけれど愛したい思い、届けたい思い、大切な人を包みたい思いを、あったかい言葉にすることもできず、肌に触れなでてあげたり抱きしめてあげたりすることもできず、やさしい笑顔に表すこともできないまま、静かに、只、物にこめていくことがあるのかもしれません。

そんな、あふれるばかりの思いがこめられた物が、ぶっきらぼうに置かれている。
そこに、ストレートに愛を伝えられない不器用な親たちの切ない思いを感じて、私は泣きたくなっていたのかなあと思います。

私の父も母も、赤ちゃんのうちに同性の親を亡くしていて、それぞれ父や母のモデルをもっていなかったのかもしれません。もしかすると自分を産んだために親が亡くなったと誤解して、自分をひどく扱い続けてもいたのかもしれません。そんな二人は、父が療養していて子どもをつくれなかった20代を過ごした後、30代になってようやく生まれてきた私や弟を、どれほど宝物のように思い愛そうとしたか、今の私には十分想像することができます。でも、二人とも、子どもたちをどう愛していいかわからずに戸惑っていたのではないかとも思うのです。

そんな両親からは、色んな物が不器用に私たち子どもの前に差し出されてきたのかもしれません。物のない戦争中に育った両親なので、物を子どもに与えられるだけでも親として嬉しかったかもしれませんね。
それなのに、物を通して親子の気持ちのつながりが捻れてしまった、二つの切ない光景が今も思い出されます。

一つは・・・単に私がわがままだったせいか、親子のコミュニケーションがうまくいっていなかったせいなのかわかりませんが、ある日、母が「かわいらしすぎて当時の私には受け取れなかったと思われる柄」のポーチを買ってきてくれたときのこと。私の文句がエスカレートしてケンカになり、私は激しく泣き叫び、母も泣かせてしまいました。挙句の果て、その小物は外に投げ捨てられ、雨に濡れて転がっていました。このケンカは、お互いにわかってもらえない気持ちのぶつかり合いだったようです。ポーチに母の私への気持ちがこもっていることはケンカの最中も十分感じていたので、雨に濡れるポーチは一際悲しく私の目に映りました。その後、落ち着いてから拾ってきて長い間使うことになったのですが。

もう一つは、弟が父に買ってもらったミキサー車のおもちゃにまつわる光景です。とってもおもしろいおもちゃで弟は大喜びで庭の砂を入れては出す遊びに何日間も熱中していました。でも、その遊び方が父の気に入らなかったみたいです。戦争中志願して入隊したような人ですから、木刀を振り回しているような男の子を望んだのかもしれません。父は突然怒り出し、そのおもちゃを蹴り飛ばして壊してしまったのです。砂の上に無残に転がる壊れたおもちゃ。そばにはもう弟の姿もなく。後日悪かったと思った父がより高性能なものを買い直して来たのですが、どんなになだめても、弟がそれで遊ぶことはもうありませんでした。

どちらも、物にこめられた愛をうまく与え切れなかった、受け取りきれなかった、そして、もしかしたら愛やつながりが捻れてしまった。そんな場面だったのかもしれません。行き場を失った愛が泣いているようです。

かわいいポーチにかわいい女の子の私を見て買って来てくれた母。父のくれたおもちゃで遊び、父の愛を感じて喜んでいた弟。そんなふうに愛の部分をちゃんと見て、感じて、受け取ることができていたら、私や父は、母や弟を責めずにすんでいたと思います。

そして、物に愛をこめるだけではなく、感じて、話して、触れて、見つめて・・・「いろんな方法で気持ちを伝えることができたらよかったんだなぁ・・・」と気付いた時から、私の物への執着心は薄らいでいきました。

クリスマスやお正月、プレゼントやお年玉が交わされることの多いこのシーズンを前に、私はこれからも、物にこめられた人々の思いや愛を感じて、いっぱい受け取っていきたいし、そればかりではなく色々なコミュニケーションを大切にしていきたい、そんなことを思い返しています。


投稿者 csadmin : 12:00

2007年11月20日

●流れる河のように〜私の中に流れるもの、私の周りを流れるもの〜

 最近、よく祖父母のことを思うんです。勿論私にも祖父と祖母は二人ずついて、母方の祖父母は私が大人になるまで元気でした。方や父方の祖父は、亡くなってもう70年は越えるのではないでしょうか、父が4歳くらいの頃、と聞いていますから。当然会ったことも無ければ、祖父は私の存在さえも知りません。でも、私の名前は祖父の名前から貰って父がつけたものなんです。そう言ったことや、父や母から(母にしても父や大伯母から聞いた話ですが)聞いたことや、たった一枚の写真から思いを馳せるだけなのですが・・・。そして父の母(祖母)は子供達(父達ですね)を祖父亡き後は一人で育てていましたが、祖父と同じ年齢・・・42歳で同じように部位は違いますが、やはり癌で亡くなりました。

 父方の祖父母が早逝だったのに対し、母方の祖父母は結構長生きでした。母の両親は、祖父は80過ぎで病死、祖母は90過ぎまで大した病気にも罹ることなく、穏やかに去って逝きました。例えは変かもしれませんが、父方祖父母はネクローシス(細胞が損傷や病気などで壊死してしまうこと)、母方の祖父母はアポトーシス(プログラム化された細胞死と言われ、私たちの身体の中で常時起こっている状態)、と言うイメージです。私たちの身体でももちろんこう言う細胞の死を繰り返し、新しい細胞と入れ替わっているからこその生なのですが、不可逆な損傷(大きな怪我や病気など)で変化してしまった細胞もあります。

 そう言えば、私の身体には目に見えるネクローシスの痕(なのでしょうね?)とそこにもアポトーシスがあるんです。それは子供の頃に負った大怪我の傷跡なのですが、まず欠損部分があります。40年以上も前の事故にもかかわらず当時の最先端以上の治療を受けることができ、自家移植を受けています。自家移植、つまり欠損部に自分の組織を移植するのですが、一部は上手くつき一部は無理でした。医学的な見地は私にはよく解りませんが、元々の細胞がイエスと言ったところとノーと言ったところなのかな?なんて思います。
 
 それにしても、なぜそんな高度な医療を受けることができたのか?と言うと、搬送先から転送された先の病院で、今では整形外科とリハビリテーションで後にとても高名になられた先生に出会った幸運があったからです。県職員だった伯父がたまたま知り合いであったと言うこともあったのですが、何としても私の足は切らないで(切断を宣告されていたので)、と言う母の懇願を受け容れてくださり(決して容易なことではなかったと思われます)、大学病院での繰り返しての手術となったのでした。もちろん、治療に関しては私自身には殆ど記憶にありませんが、こう言った巡り合わせや家族・親族がいなければ今の私はいない、と言えます。

 そうして生き残った私の足は、前述したように欠損部があります。そして表皮はケロイドです。このケロイドが真っ白でカサカサで、でもそんなもんだ、と思っていました。損傷部には痛覚のないところもあり、むこうずねということもあり小さな傷や皮下出血がいつの間にかできていたり、仕事中に(中学校に在職中にマラソン大会の炊き出しをしていて、ドラム缶で作った窯から飛びだした炎の先が服の上から掠めたんですが)やけどをしたことに気づかずに、しかも自分で何とかしようとしたがために長引かせてしまったり・・・と、そんなことを繰り返していたし、痛みを感じないから相当無理をしていることも自覚がなくて、歩けなくなるくらいの痙攣が起こって初めて病院に行ったり・・・とまあ私をぎゅっと凝縮したみたいな、足なのです。

 でも、この大切な足、子供の頃の私は・・・いえ、正直言うと結構最近まで、あまり好きではありませんでした。悲しいことですが、いじめの対象にもなったし、できないことのコンプレックスの原因にもなっていました。でも、できないことが自分では不思議で(本当はできることの方が不思議な状態なのですが)頑張ってもいたと思うのです。もちろん外観にも大きな傷跡がありますし。ただ、みんなと同じでいたい、同じことがしたい、それが私の頑張りの元でした。気がつけば自分の足を酷使し、いたわることを随分永い間忘れていました。今から思うとそれでも私の足の細胞は生き続け、私を支え続けてくれたわけですが。

 幸い40歳近くになってからよくしてくださる先生とお逢いしたことで、足の状態も勿論万全ではないにしろ、かなり好い状態に守られていますし、私自身の自覚もあり、不具合に気づくようになりました。出逢いとは本当に不思議なもので、必要なものは必ず残る。人にしても物にしても。そう思います。

 さて、話は変わりますが、今は亡き母方の祖父は、成人してからも会う度に、私の足をさすったりマッサージをしてくれました。祖父の義父は柔道整復師のベテランだったそうで、売られた喧嘩は指一本で相手の関節をはずしてかわしたと言う逸話の持ち主でもあります。そういった秘伝?を知っていたのかも知れませんが、とにかくいつも私の足をマッサージしてくれました。私でもなかなか触れないのに(どこかネガティブな想いがずっとあるのでしょう)、私の人生でちゃんと触れてくれた数少ない人なのです。祖母は朗らかな人で、家族を前に得意なハーモニカ演奏を聞かせてくれたり、それこそ「となりのトトロ」そのまんまに自宅の畑にトマト、きゅうり、とうもろこし等を作り、帰郷するといつもその場で選んでくれた物を齧ったりしたものです。
 
 自分の足、そして人生を思うとき、この身体をくれた、守ってくれた両親のことをまず思いますが、それ以外にも、本当にたくさんの愛情に守られ続けていることを強く感じます。不具合でさえも、そう感じることに絶対必要だったもの、そう感じます。人は、こんな風に気づかずに愛されて大切にされているものなのかもしれません。不可逆な傷を追っているにもかかわらず、生き残っている私の足に、ネクローシス(壊死的な細胞の死)のように逝った父方の祖父母と、アポトーシス(プログラムとしての細胞の死)のように長生きで世代交代を見守れた母方の祖父母を私は投影しているな、と思うのです。そして、私自身の生き方にも。今まで選んできたこと・起こってきたことが、それがどんなことであっても、新しい出逢いやできごとをたくさん生み出しているように私は思うんです。

 それは、祖父母達や両親にも言えるかもしれません。早逝した祖父が、地元(兵庫)で暮らしていたら、もしかしたらもっと長生きだったのかもしれません。でもそれが祖父にとって幸せだったのか、と言うと話はまた違ってしまう気がします。人生としては短く、思い残すこともたくさんあったのかも知れないのですが、東京での祖母との人生はきっと長さよりも素晴らしいことで彩られていたのではないでしょうか。まあ、そうでなければ少なくとも「あの」父はいなかったし、結果としては「この」私もいなかったのですが。あたりまえのことではあるのですが、よくそんなことを思うのです。

 祖父母は長生きして私たちとも逢いたかったかもしれないし、むしろそこまでは夢にも思わなかったのかもしれません、あまりにも短い人生の中では。ただ、逢ったことはなくても私の中では、ちゃんとおじいちゃん、おばあちゃん、として生きてくれている。そして気がつくと、いつの間にか祖父母の亡くなった年齢を何と5年も越えてしまいました。こうなると私が目指すのは、母方の祖父母のように、元気で自分を大切に生きることです(^^)。

 こちらの祖父母は80近くまで何らかの仕事をしている人たちでしたから、これもすごい話ですね。私たちきょうだいの中には両方流れているんです、早逝の血と長生きの血が。人生の長さやいろんな状況は違いますが、祖父母達が今も私たちに贈り続けてくれるメッセージは、ただただ深い愛のようです。日々が平和ではなかった時代が人生の多くを占めていた時代に生きた祖父母たちから両親へ、そして私たちに、流れ込むような愛を感じます。私の中に流れるものを、私なりにどう育ててどう咲かせるか。どう伝えていくか。これも私の人生には大切な仕事かもしれません。それにはやはりたくさんの時間が必要なのかもしれないな、と思ったりもするのですが。

 身体の中の細胞のように、刻々と時代は動き、私自身も変化を遂げています、周りももちろん、同じように。そんな中で私はこれからどんな風に生きていくのか、まだ答えはありません。「今」を生きていくこと自体が、答えと言えば答えなのかもしれません。それは私だけではなく、それぞれどの人にとってもそうなのでしょう。そして、私たちを取り巻く環境や状況もまた、流れています。流されていくことと、流れに乗ることの違いを今は感じてみたいのです。自分の中を流れ続けている、赤い流れを感じながら。


投稿者 csadmin : 12:00

2007年11月13日

●木村家のラブ事情 2

木村家は、最近テンパっています。

仕事や家の用事などが重なって、二人ともワラワラしているうちに1日が終わってしまう日が少なくありません。

あれもしなきゃこれもしなきゃ… と、それぞれがやることをやりながら、余裕がある時には相手のやることを補いながら、そんなこんなで何とかやり過ごしているのです。

しかしながら、それだけワラワラしているので、やっぱりミスも出てくるんですよね。
やることを忘れていたり、時間がなくて出来なかったり。

そんな時はとてもひどく自分のことを責めてしまいます。

ある時、奥さんが何かをやらかしてしまって、こう言いました。

「しまった… あ〜もう!私のことをアホって言ってー(>_<)」

彼女はそれくらい自分を責めて自分にアホって言っていたんでしょうね。

そんな時には、

「そんなことないよ。失敗することなんて誰にでもあるんだから。だから、大丈夫だよ。そんなに自分のことを責めなくていいよ。」

と言って許すのが、心理学を学んで実践する者のセオリーなのですが、その時少し余裕のあった僕の中に、それとは別のイタズラ心が頭をもたげました。

そして僕は言いました。

「アホ♪」

奥さん、 “カッチーーン!” スイッチ・オンです。

「うわー、アホって言ったー!やっぱり私はアホなんや〜!!」

続けてこう言うのです。

「アホって言う奴がアホなんやー! アホーっ!!」

僕、 “カッチーーン!” スイッチ・オンです。

カウンセラーモードのマインドでは、「あぁ、これが少し前に奥さんが感じていた感情なのか」と冷静に分析し、「余裕がある時にアホって言われてこんな気持ちになるんだから、余裕がなくて自分のことをいっぱい責めている時にアホって言われたら、それは腹が立つだろうし、そんな相手にアホーっ!って言いたくなるよね」と共感と理解をしつつも、こんなことを口走っていました。

「アホって言う奴がアホなんやって言う奴がアホなんやー!」

奥さん(以下、(奥))「アホにアホ言われたないわー!」

僕(以下、(僕))「俺もアホにアホ言われたないわー!」

(奥)「うるさい!アホアホアホ!」

(僕)「アホアホアホアホアホアホ!」

(奥)「アホアホアホアホアホアホアホアホアホ!」

(僕)「アホアホアホアホアホアホアホアホアホアホアホアホ!」


言い合いをしているうちに、必死になって小学生レベルの言い争いをしているのがおかしくなってきてケンカにならなくなり、収束を迎えたのでした。


奥さんに「さっきはごめんね」と謝ると、心理学を学び実践する者のセオリー通りの答えが返ってきました。

「うん、もういいよ」

我ながら素晴らしい奥さんです! …続きの言葉を聞くまでは。

「…おバカちゃん♪」

僕、 “カッチーーン!” スイッチ・オンです。

「誰がバカや!そんなん言う奴がバカなんや! ムムム… そんなん言う奴はもう死ねっ!」

(奥)「死ねっ!言う奴が死ねっ!」

(僕)「死ねっ!死ねっ!死ねっ!死ねっ!死ねっ!死ねっ!イーーーーーっだ!!!」

(奥)「ムキーーーっ!!!」

…(以下略)

(そして二人で)「うわっ!もうこんな時間や!(汗)」


こうして、忙しい中の貴重な時間を浪費してしまっていることに後から気づく、おバカな夫婦なのでした。


投稿者 csadmin : 12:00

2007年11月 6日

●収穫の秋 〜良くなる事のへの恐れ〜

カウンセリングを始めて十数年。
今年の秋は、私にとって、実り豊かな時となりました。

30代手前で看護師という仕事に燃え尽き、カウンセリングを始めました。
それから少し時間はかかったけれど、元気を取り戻し、
再就職に選んだ職業は、カウンセラー。
もともと人を助ける道にいたので、所属する部署が変わった感じ。

看護師時代は、肉体的な生命を預かっていました。
今は、精神的な生命を預かっていると思っています。

あれから、本当に色んな事がありました。
でも、今、蒔いきた種が大きく育ち、たくさんの美味しそうな実をつけ、
私を喜ばせてくれています。


・失恋して一緒に大泣きしてたのに、執着を手放したら、
 もっともっとステキな彼に出会いプロポーズされたとか。

・自分に自信がなく、恋愛にもご縁がないと一生懸命向き合ってたら、
 いつのまにか彼が出来て、いよいよ、ご両親を引き合わせるんだとか。

・初めて彼が出来たけど、初の別れも経験したとか。

・人間関係が上手くいかず悩んでいたのに、今や、職場の人間関係に救われ、
 やりがいのある職場になったとか。
 
・離婚も考えるようなデッドゾーンから、愛を取り戻し、
 子どもを持ち、家を新築し、それから第二子もできたとか。

・子どもの問題で悩んでたのに、癒してみたら、夫婦愛を取り戻し、
 健康も高まってきたとか。
 
・統合合併していく時期の会社に、派遣からスタートし、
 それでも選んだ会社にコミットし続けてきたら、
 今や名のある会社の管理者までになってしまったとか。

・多額の借金を、カウンセリングを受けながら全て返済できたとか。

・他にも一杯。
「ちょっと疲れたから、愛(会い)に来たよ。」とか。ホッ〜


私は、今年の秋、この収穫に感動で涙が溢れています。

相談してくださるクライアントさんと共に歩むパートナーシップは、
楽しく嬉しく、喜びも2倍、涙も一杯。


『良くなる事、それは、悪くなる事よりも怖いんだよ』


って、私は、自分の経験からお話しています。

実は、悪くなる事、それは怖いけど、勝手知ったる道。
でも、良くなる事、それは未知の道、全く知らない道。

だから、良くなる事を望んでも、手に入れて来れなかったんですよね。
そして、苦しんでいた。

まだまだ熟していない実もあります。
もしかすると、実になっていないと感じている人もいるかもしれません。

でも、信じています。
諦めなければ、きっと実になるんだって!!

美味しい実の収穫が終わったら、一つのサイクルの完了です。
完了したら、次のサイクルに入っていくための準備が始まります。

さらにより良くなっていく事への恐れを感じながら、
寒い冬を乗り切る支度をし、新しい芽吹きに出会える時を楽しみに。


投稿者 csadmin : 12:00