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2007年10月30日

●旅のこだわり

はじめまして、なるみたかふみと申します。

旅の仕方って色々ありますよね。
飛行機で目的地まで行き現地でゆっくりする人や、鈍行列車に揺られながらゆっくり目的地に向かう人などさまざまな旅行の仕方があります。

僕の場合は車の運転が好きなので車を使用して高速を使わずに旅行に行くことにこだわります。
そして、毛布と栄養ドリンクは必需品です(笑)
なぜ毛布と栄養ドリンクが必要なのか??
なぜなら旅館をとらずに、睡眠時間を削って運転をして車の中で寝るからなのですが
この言葉だけ聞くとなんてセコイと思うかもしれません。
でももちろん理由はあります。
最近に世界遺産に登録された石見銀山(島根県)と出雲大社に行った時のスケジュール
を書いてみると

19時  なるみ家出発(兵庫県神戸市)

ここから出雲大社(島根県)まで高速を使わずひたすら下道で移動

3時 出雲大社付近に到着、コンビニの駐車場で仮眠

7時 出雲大社に到着 約1時間お参り

それから石見銀山に移動(出雲大社から約100キロ)     

10時 石見銀山に到着、約4時間観光、ひたすら歩きまわる

14時 石見銀山を出発し近辺にある温泉へ
    
16時 なるみ家に帰るために高速で神戸へ

20時 なるみ家到着

走行距離 約 800キロ
一般的に受け入れられるかどうかわかりませんが,

この様な旅行をするためには夜の移動をしないと距離がかせげないので
旅館をとらないわけです。

その他にも
ラーメンを食べるだけのために横浜まで旅行、
この時は友人が途中からごねだしてなだめるのに大変でした。
どうも友人は本気にしていなかったようです。
横浜滞在時間約1時間、これ以降この友人には二度と長距離のラーメンは
誘うなといわれました。
この時は行きが高速で帰りが下道でした。

牛タンが食べたいためだけに仙台(宮城)へ、
確か、定食で1500円くらいだったと思います。
かかった旅費のほうがはるかに高かったです.
この時は相方と行きました。
全行程を下道で。

小学生時代に見た資料と同じ景色かどうか確かめるために恐山(青森)へ
これは学生時代のときに1週間かけて東北を一周した時のことで、着いた時間が遅くて
イタコさんたちが全然いませんでした(涙)
でも同じ景色だったので少しだけ満足。
幼稚園時代のおさななじみと2人で。
全線下道でしかも走行距離が約3000キロ。

本場のさつまあげを食べたかったので鹿児島へ。
僕にしては珍しく9割が高速を使用しホテルにも1泊しました。
2泊3日で約2500キロの走行距離。
相方ももちろん運転。
長距離ドライバーの気分(笑)

など数えあげるときりがないのですが

なぜ、僕が無理をしてでも下道にこだわるのか?
もちろんお金の節約もあります。
でも、もう一つ理由があります。それは下道を走っているとそれぞれの街の
匂いや息吹を感じることができて僕にとってはその感覚がすごく心地いいからなのです。

車で通りすぎる街ごとにそれぞれの文化があります。
その文化に触れたときに僕の中での感性がさらに広がります。
そしてその感性を磨くためにあることをするのですが、それは、その街のスーパーへ行き館内を徘徊すること。


地域が違えば売るものもかわってきます。海が近い所であれば海産物も豊富だし
山の中であれば山菜物が豊富で安い。
観光地ではないので普段の生活がそのまま感じられます。
街によってはそのスーパーが人々の憩いの場になっています。
僕の住んでいる街では聞けない方言。
何か違う人々の雰囲気。
日常の生活でありながら僕からすれば非日常の世界。


次回の旅行が楽しみなのと同時にこの様な旅行について来てくれて、運転にも協力してくれる相方に感謝です。
なんせ友人達はもう誰一人ついて来てくれませんから(笑)。

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投稿者 csadmin : 12:00

2007年10月23日

●恋する私たち〜鳥も魚もみんな恋してるんですって〜

ずいぶん涼しくなった・・・と感じるのも束の間、朝夕の寒さに時の流れの速さを感じます。猫たちの悩ましい鳴き声が聞えた夜はもう遠ざかりましたが、早朝の空をスクランブルするように楽しげに二羽ずつ飛んでいるのを見たりすると、動物にも恋する気持ちがあるのかもなぁ、なんてぼんやり考えたりして。そう言えば狼は一生同じ相手と添い遂げるのだと聞いたことがあるし(私なんてバツイチですもの・・・)、鳥にもそう言った話はあるらしいです。いやいやそれどころか魚にも。そんなことを書いてある、10年以上も前の月刊誌を部屋の中から発掘しました。

マインド・サイエンスの総合誌と銘打っている「imago」(青土社)、どうやらもうとっくに廃刊になっている模様ですが、様々な角度から心理学的なアプローチをしているので、今読むのも面白いんです。確かに難しい文面もあるけど、解りやすい例えもあるし、知名度の高い『その筋』の方達の対談や、マニアな論文、時にはコミックからの引用や、様々な嗜好の方の書かれるコラムなど、今手にとってもとても心惹かれることが多いので、結構な数を捨てずにおいてあるのです(だから、片付かへんねん←言訳)。

その中で今回目に止まったのは、「動物心理学入門」と言う特集。な、なんですと!!動物心理!実は、あまり読まずに積んでおいたもので、外は若干くたびれているものの中は新しい。ぱらぱらと読むと言うより眺めた程度だったんです。ところが、片付けをするために手に取ったはずなのに、ご多分に漏れず、まず目次を見てしまう私。

  「性的不一致と一夫多妻の閾値」   (N.B.デイヴィーズ著 粟津俊二訳)
 
 おおっ!こ、これはっ!と思われた御仁、これは鳥についての研究でございます。そして、一夫多妻のみならず、一妻多夫、乱婚、そして単婚も(オシドリ夫婦の例えもありますが)。ただ、複数回の結婚つうのはなくって(そりゃそうか)、離婚、再婚とか復縁とか。まあ、そりゃ誰の話?って感じですね。

 鳥の種により、様々な結婚(配偶)形態があり、要は子孫を残すと言う観点からの結婚であるから、できるだけ子孫を有効に残すには、と言う視野が中心です。で、私などは思うのです、子供を成した後の夫婦はどうなるんや?熟年離婚かはたまた・・・。いや、いかんいかん。つい擬人的に見てしまって。

 このほか、ペンギンやマウンテンゴリラ、コウウチョウ(スズメ科の鳥)、カニ、アリ・・・と確かに生態学と言うより心理学やなあ、と言う内容がずらり。面白そう、ちゃんと勉強しとくんやったなぁ。でも今やから面白いのかもしれない、とも思いますけど。

 コウウチョウのメスは海馬がオスより大きい、と言うことは記憶力がよいと言うこと。で、オスに托卵(卵を預けて温めてもらう)をして共同で子育てをする。ペンギンで同じ様な生態をテレビで見たことがありますが、なかなか感動的な場面がありましたよ。ちゃんと見分けがつくんですね、パートナーの。間違えずにたどり着ける。すごいですね。そして、巣を持たない鳥は、相手を見失わないためにそばを離れないとも書いてある(どの文にだか忘れたが)。方やで帰巣本能と言う言い方もするしね。かつて高校時代に、そういう小難しい話をよくする友人と、「人間らしいって言うけど、美しい愛のあり方はむしろ動物だと思う。そういう意味で動物的に生きたい。」などと話したことを思い出していました。いやその想い、今も変わらず、ですけれど。
 
まあ、人間だって動物ですから、食べもすれば排泄だってするし、生殖活動も行なう。高度な知的能力や更に高度な感情も持ち合わせておりますが、それ故に苦しむことも多い。ジレンマに苦しみ、トラウマを引きずり、それでも誰かを愛して今日も生きている私たち。でも、人として生きると言うことは、結婚や誰かと生きると言うことは、すぐに子供を持つと言うことでもない。誰かと生きる人生、って言葉では綺麗なんだけど、そこにはたくさんの摩擦や軋轢もある。もちろんそれ以上に、やさしく柔らかな時間や、落ち着いた空間と言うものを持てるからこそ、人類は今も「自分の半分」を求めて生きているのだと思いますが。

この古い月刊誌に、動物とのアイコンタクトについての記述がありました。野良猫とうっかり目が合ってしまって、以来ずっと一緒に生活しているとか、そういう類の話。ペットショップでなかなか売れなくて(そのせいだかどうだかわかったもんじゃないけど)物悲しい目をしている猫を飼ってしまった友人がいたなあ・・・。目と言うのは不思議な器官だと思います。脳への情報の8割は視覚からだと言いますが、相手へのメッセージもたくさん発していると思うのです。

また、目と目で語ると言ったりしますが、あたかも相手の脳波を感受してしまう気がすることだってあります。人間の複雑な脳は、そう言った活動も掌っていたのだと思うけど、どうしてもはっきりとした答えのでるものを信頼しがちであることを、思ってしまったりもしますね。大体、見えているもの、聞えているものにしても、自分と自分以外の人では同じかどうか分からないのに・・・って子供の時は思っていましたが、要は認知の問題で、個々の脳の認知の仕方による、といってしまえばそれまでなんですが、でも明らかに何かを感じることってあるんですよね。恋する想いっていうのはまさにそんなことなんでしょう。

魚や鳥の世界では、オスのアピール合戦によりメスを引きつけます、よりよい子孫繁栄のために。明らかに気に入って決めるんですよね、メスが。でもオスはどうなんだろう?このメスのために、と決めた相手に「俺を選んでくれぇ!」ってアピってるのかな?それとも誰でもええんやろか?とりあえず来てくれたのなら?う〜〜〜ん。どないなんでしょうね?

でもね、立派な巣を作って、周りにもちょっと仕掛けをして、メスの気を引いて油断させてゲットするある鳥のオスの行動をテレビで見たことがありますが、ちょっと人間ぽいなあ、と思ってしまいました。いや、人間が動物らしくて愛らしいのかな?

生物の進化と共に、また、人はその成長と共に、精神的・心理的にもどんどん発達を遂げますが、それはただ合理的になっていく、と言うことだけではないと思うのです。より高度な心の動きを伴いながら、完全では無い自分との葛藤を抱えて、人は人の中で生きていく。恋、と言う心の動きは、そんな私たちに贈られた素敵なエッセンスかもしれません。

*青土社「imago」 1995年12月号「特集 動物心理学入門」 を参考にさせていただきました。

投稿者 csadmin : 12:00

2007年10月16日

●怪獣庭園の思い出〜聖なる森へ〜

 もう10年も前、1997年の夏にローマに一人旅に行った時に、思い立っ
てローマ郊外の片田舎にあるボマルツォという町まで足を伸ばした。そこには、
怪獣庭園(il parco dei mostri)と呼ばれる不思議な場所があったからである。

 この庭園は、聖なる森とも言われ、400年ほど前に、この辺りの領主が作
ったものらしいが、なぜこんな名前がつけられているかといえば、たくさんの
大きな石像や彫刻が自然の中に点在し、その一つひとつが、実に奇妙な不思議
なもので構成されているからだ。
 スフインクスを思わせる半身獣、二人の巨人像、羽のついた人魚にもみえる
女性像、巨大な亀、ドラゴン、ゾウ、そして、庭園を象徴する、人が入れるほ
ど大きな口をあけた巨大な顔。文字通り巨大なモニュメントの怪物達に囲まれ
た庭園。
園内には、わざわざ傾けて建てたとしか思えない「傾いた家」もあり、そこに
踏み込めば、まるで異空間に立ったような錯覚を覚えるほどだった。

 この庭園が何の意図で作られたのかは、未だにわかっていないらしいが、僕
が言った当時、次のような話を何かの本で読んだ記憶がある。

「これを作った領主は、大変醜い男だったが、ある時、美しい女性と結婚する
ことになった。その女性に自分の醜さを感じさせないよう、奇妙な庭園を作っ
たのだ」と。

 これが本当の話かどうかはわからないので、誰かが後から勝手に作った物語
なのかもしれないが、そんな話を、なるほどと思わせるほど奇妙な庭園だった
のだ。

 この庭園に入った時は、あまりにも不思議な世界が楽しくて、はしゃいであ
らゆるところを歩き回った。写真をたくさん撮りながら、まるで探検している
ような小さい子どもになったワクワクした気分で進んでいったのだ。

 庭園の最後に少し丘になった場所があり、そこにあがると、今まで森の中に
いたような場所から、視界が開け、広くこの辺りが見渡せる景色が広がる。
 そして、丘に、ぽつんと全く普通の小さな礼拝堂が建っていた。
 それまでが奇妙な世界だっただけに、それは、広がる緑の景色と相まってと
ても美しく見えた。
 
 その時、何故か急に、僕は悲しくなった。そして神聖な気持ちになった。

 もし、領主が庭園を作った理由が自分の醜さを妻に感じさせない物語だった
としたら、その男はどんな気持ちでこの庭園にいたのだろう。
 突然、厳粛な気持ちになった僕は、この庭園を築いた領主に敬意を込めて、
礼拝堂に祈った。

 今、手元のアルバムのページをめくりながら、改めて思う。

 こんな庭園まで作った領主は、本当に妻を愛していたのではないかと。
 こんな庭園まで作ってくれた夫を、妻は愛していたのではないかと。

 後になって、実は、領主は、この庭園が完成前に亡くなっていたという話も
聞いた。やっぱり、この物語は、物語でしかなかったのかもしれない。
 
 けれど、あの時、僕が感じた神聖な気持ちは、長い時が経った今も忘れられ
ない。

 さて、ローマに旅行のついでに、と書いたけれど、この「聖なる森」は、本
当に、本当に郊外の田舎にあるので、行くのに大変な苦労をした。
 それを象徴するような出来事が、この森を後にしてバスでローマに戻る時に
あり、それもあって僕の中でこの旅は忘れられないものになったのだが、長い
コラムになってしまったので、そのエピソードは次回に。

10年経った今も、あの森は、きっと聖なるままなのだろう。


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投稿者 csadmin : 12:00

2007年10月 9日

●木村家のラブ事情

あと1ヶ月と少しで、木村家は結婚して丸4年を迎えます。

諸先輩方から見るとまだまだヒヨッコですが、小学校の1年生だった子が4年生になるほどの時の積み重ねを感慨深く感じています。

たかが4年、されど4年。

4年の間、仲良く夫婦ができていることに感謝の気持ちが湧いてきます。

「4年の間、仲良く夫婦が続けられたのはどうしてなんだろう?」と振り返ってみることがあったので、今回はそれをご紹介させていただきたいと思います。

「木村家が仲良くやってこられたのは何でかな〜?」というのを探してみた時に一番初めに思い浮かぶのは、「よくしゃべる」ということです。

二人で一緒にいる時には、くだらないことからちょっと真面目な話まで、いろんな話をしています。

そうしたコミュニケーションは結婚当初からあったのですが、最近、その質が変わってきたなと思うんです。

例えば、好きなものについて話している時、昔は「私はこれが好き」「俺はこれが好き」と、お互いがお互いの好きなものを話していました。

今から振り返ると、そうしてお互いのことを一杯知り合っていたように思います。

自分が好きな人の好きなものを知ることができたり、その感性に触れることができるのがうれしかったし、自分の好きなものを知ってもらえたり、自分の感性に触れてもらえることがうれしかったですね。

しかしながら、例えば、「100万円あったら何に使うか?」という話をしている時に、「私は旅行に行きたい!」「俺は車購入資金に充てたい!」といったように、ともすれば、お互いに好きなものが違うことが多く、それを主張し合うこともありました。

それが最近はどう変わってきたかというと、「うちら夫婦はこれが好きだよねー」というふうになってきたのです。

例えば、「旅行に行くとするとどこに行きたいか?」という話をしている時に、それぞれお互いが行きたい所も話すのですが、「二人“で”楽しめる所」「二人“が”楽しい所」を探すようになったのです。

そうして選んだ旅行に行くと、一人一人が楽しいのはもちろんのことなのですが、自分が我慢するわけでもなく、相手に我慢をさせるわけでもなく、二人共が楽しめて、さらに、お互いに共有している楽しみというのは、1+1が2以上に大きくなるのです。


僕は独りよがりな部分が強いこともあり、今までこの発想で考えたり見たりすることがとても少なかったんですね。

だから、二人で共有した楽しみや喜びが、1+1が2以上になるということもあまりなかったのですが、奥さんとのパートナーシップを深めていくことで、このような新たな世界を経験することができるようになりました。

奥さんに話を聞いてみると、奥さんは僕がこのことに気づくよりもずっとずっと前から「二人“で”」「二人“が”」を大事にしていたり求めていたようです。

それを知って、改めて「やっぱりうちの奥さんはすごいなー!」と奥さんのことを尊敬し、ますます惚れ直すのでした(*^_^*)

木村家夫婦は二人ともマイペースな性格なので、相変わらず「私はこれ〜」「俺はこれ〜」というのもやっておりますが、「二人“で”」「二人“が”」を大事にしながら、もっともっと仲良しラブラブ夫婦になるべく、決意を新たにするのでした。


投稿者 csadmin : 12:00

2007年10月 2日

●恋が苦手な私の内緒話

こんにちは。
一生の中で、人はいったい何人の人と出会い、何を共有できるのでしょうね。
私たちの人生に偶然はなく、すべては必然である・・・そんな言葉を聞いたとき20代の頃の私にはまだまだ反発がたくさんありました。
たくさんの出ていない、答えがあったのでしょうね。

「クラスの中で好きな男の子ってどの子?」
きゃっきゃっ、と友達同士の会話に中にこういう内容が出始める小学生の高学年当時。
異性に興味が出る年頃、
「お付き合い」するってなにか意味があるんだろうか・・・?
こころから疑問に感じていた私は、異常に晩生だったのかそれとも、とてもよい見方をすれば哲学的なこどもだったのか、それともただひねくれていたのか。
単純にみると、ひねていたのかなぁと思うのですけど、皆さまのこども時代っていかがだったのでしょう?

この時代から恋のお話は苦手。
でも、なぜかお友だちの恋の相談相手。
自分の中の折り合いのつかなさに、不自然な感覚をいつも感じていたように思います。

安心感を感じるような男の子やら、身近に感じる男の子たちに微妙に嬉しさや気恥ずかしさを感じながらも女の子の友だちとあまり違いを見出せずに過ごした高校生時代。
こういうキャラのまま進んでしまった女子大では、女性ばかりの不自然な環境に初めは戸惑って気持ち悪くてしょうがなかったけれど、あまりの居心地の良さに徐々に安穏と暮らし始めてしまい。
世間はバブル全盛期。
中高大一貫教育でもあった、その大学で、いわゆる‘中からあがってきた’女子高出身の女の子たちの『今日は合コンなの!!』という日の気合の入りっぷりに違和感と興味深さを感じつつ、行ってらっしゃい(^^)と見送ることのほうがずっと気楽で。

こんな私でもちゃんとこいごころはあったようで、時々は少し‘いい感じだな’とやっぱり安心感をくれるような男友達に彼女が出来たと聞いてはちょっとだけ泣いてみたりはしていました。

社会人になって、しかも環境がいっぺんして一日に出会う人のほとんどが男性(!)。
慣れない環境に突入して一番びっくりしたことは、世間さまでは恋愛感情というものが随分と色んなところに影響力を持っているということ。
当時の私は、色んな面で白は白、黒は黒と決めたかったのでしょうね、この人は同僚だから、この人は上司だから、この人は先輩だから、この人は取引先だから、と自分の感情も相手の感情も無視するのが一番楽で、立場でこころの距離を無理にはかろうとしていたように思います。

それでも、寂しさというのは人と人を繋ぐ接着剤になるようです。

当時、生まれた町を離れて営業という仕事についていた私。
そして、郷里にはこころの調子のあまりよくない親、姉妹を感じながら。
目の前にあるのは競合他社との過当な競争と、そしてまた、それでも毎日営業先で顔を合わせるという情と、会社という組織の中で全員がうまくいくことを願ってくれていた先生たちに囲まれた学生時代には、対峙する事があまりなかった、仲間内での競争や嫉妬とやっぱり情と。

同じ環境で働く女性はほとんど存在せず、男性社会のルールに日々分からないことだらけで。
胸のうちは随分と孤独だったのでしょう。
入社前に人事の担当者に言われた言葉がありました。
「本当に孤独な仕事だよ、大丈夫?」
それは今になって思えば、彼なりの仕事に対する感覚でそれだけでもないだろう、とは思うのですが、ベースに競争がある社会というのは人を孤独に追いやっていくものだなと、今になるとしみじみ思います。

その中で私が求めたものは、相手が誰であったとしても‘父性’だったように思います。

同様の孤独を感じていた同僚たちは以外と多かったようで、夜中までただ時間を共にいるために遊びにいったり、電話で話をしたり。
いま、この当時の私を振り返ると、幼少の頃の思いからいつしか自分自身の中で、‘男性から欲しいもの’というものがたったひとりから受け取れるものでないという考えがしっかりと根付いてしっていて、自分の中の女性性、女性像というものも、それを投射する男性性、男性像というものもどうやらバラバラに砕かれてしまっていたようです。
そして、実は、一度は自分のこころの中から完全に追放してしまった‘完全な父の愛’というものを捜し求めていたようです。

内的に本来はあったであろう、父親の愛を思春期以降の色んな裏切られた(それが本当の裏切りでなかったとしても、力強い大好きなパパはいつしか必ず一度は‘期待はずれ’になりますものね)痛みから、それを誰かから貰おうとしてもそれはやはり切ない結果が待ち受けていて。

その時々に、私に対して心から叱ってくれたり、どうせ私なんか幸せになれないのよって呟いたときに本気で怒って席をたったり、向き合ってくれた人は居て。
付き合って別れた後も、心配だという理由とそして彼の中の切れない情があったのでしょうね、何年も精神的な面で繋がり続けようとしてくれた人も居て。
どうやら若かった頃の私にとっては、嬉しさや楽しさというよりも、叱ってくれたり怒ってくれたり激情的な側面がないことには自分が大切にされている感を感じれなかったようです。

何年間も、恋というもので自分が幸せになれない自分自身の問題が‘愛されない’事だろうというのは思い込みであって真実ではなかったようです。
振り返れば、そこここに、恋愛であろうとなかろうと、理解しようとしてくれた人はたくさん居たように思います。
腑に落ちると全く不思議でもなんでもないのですが、私たちの愛を受け取る、感じるレセプターは実は私たちが私たち自身を認めている、愛してる部分にしか開かれていません。
一番の痛みは愛し続けるときに、どこかで逃げてしまっていたところにあったという事に気づくにはたくさんの出会いが必要だったようです。

自分自身がもう無理、扱えないと思って、悲劇に入り込んでいた家族の問題に取り組むつもりでしっかりと腹を括って、絶対に受け入れてもらえるはずがないと思いながらも傷つくのを覚悟で打ち明けたときにただ黙って受け入れてくれた人がいました。
多分、そのことは大きく私の人生を変えました。
それは相手の愛情も確かにありましたが、自分自身の信頼するという勇気と、またそれを後ろから見守ってくれた友達には大きな感謝があります。

自分にとって一番嫌っている、一番誰にも見せられないと思っている部分を、曝けだすほどの信頼を誰かに向けることが出来たときに‘一人ぼっちの世界’の扉が薄く薄く開かれました。

何度も同じ間違いを繰り返し続けたように感じて、こころを閉ざして、信じられるのは私しか居ないと思っていた何年間も今となっては私を強くしてくれた大切な時間でしかないのかもしれないと感じます。

パートナーシップがなければ、幸せでないわけでもない。
ひとりが悪いわけでもない。
恋がすべて、特別、とも、やっぱり思えない。

でも。
私の価値、を改めて感じさせてくれたり、理解者でいてくれたり、そして自分が誰かのそんな存在であることで、自分を認めることが出来たり。
バラバラになってしまった私のハートを、ひとつひとつ拾い上げ、愛し理解することで、もしかすると地球上の孤独なもうひとりが救われるのだとすればやっぱり恋はちょっとした奇跡かもしれませんね。

ひとりの人生でのその人ごとの独自の時間軸と、そして全く違う誰かの時間軸が偶然なのか必然なのか交わるときに、‘美しい織物のように’今度はまた‘一緒に’新しい時間を紡いでいくことが出来ればそれは素晴らしいことですね。


投稿者 csadmin : 12:00