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2007年7月31日

●ドキュメント:6月某日〜そして、誕生〜

2007年6月某日・・・それは、ボクにとって忘れない1日となりました。

〜AM 4:30 〜

「・・・・・きて〜〜」
「・・・・起きて〜〜」
「たぶん、破水したと思うから、起きてっ!!」

「エッ!エッ!!なにぃ〜〜!!!」
ボクは明け方の夢心地から一転、慌てて飛び起きるのでした。

「私は病院に電話するから、行く準備してちょうだい。」
この困惑した事態の中で、慌てるボクに比べて、冷静に物事に対応する妻の
おかげで、非常にスムーズに病院へと向かうのでした。

その裏側では、いつくるか分からないこの日のために、日ごろから必要なも
のを1つにまとめて、用意周到に準備していたからこそ、慌てずに対処でき
たようだったのです。

〜AM 5:15 〜

明け方の道は、ほとんど車も走っておらずスムーズに病院へと着くことがで
き、早速診察された妻は入院を言い渡されるのでした。

妻:「今から入院って言われたよ。」

その表情からは、不安とも緊張ともとれる面持ちで入院する覚悟を決めたよ
うに感じるのでした。

〜AM 5:30 〜

こちらの産婦人科は、すべて個室となっており、ボクと妻の二人は誰かの目
や気を遣うこともなく入院し、個室の部屋とベッドを与えられたのです。
そして、妻は早速ベッドに横になり自身の身体をいたわりつつあったのですが、
破水とともに陣痛を伴っており、その陣痛の間隔もこの段階で、5分間隔となっていたのです。

妻:「うぅう〜〜っ。」

大声をあげるでもなく、静かに陣痛の痛みを感じているように見えたのでした。

〜AM 6:55 〜

今まで、陣痛の痛さのときは顔をゆがめていたものの、比較的穏やかな表情
で、ボクと応対していたのですが、この頃になると陣痛が3分おきになり、
非常に辛そうな表情になることが増えてきたのです。

妻:「もぅ、痛みが3分おきになってきたから、ナースコールするわ。」

ここで、ナースコール。

3分おきに陣痛がきていることを看護士さんに伝えたものの、あまり深刻に
は思われていない感じがした。「ゆっくりと下の階(分娩室)に来てね」と
のことを言われ、僕たち二人は、ゆっくりと壁を這うようにして分娩室へと
向かったのです。

〜AM 7:00 〜

分娩室に入ると、ヒーリングミュージックがかかっており、部屋も薄暗くさ
れていた。ここで、助産師さんの診察をうけると、すでに子宮口が7分開い
ているとのことを伝えられたのです。

頻繁に顔を歪める妻は、本当に辛そうでなのです。
しかし、子宮口が7分開いていると言われても、果たして、それが良いこと
なのか、悪いことなのか、早く先生を呼ぶべきなのか、呼ばないべきなのか
・・・、ボクにはさっぱり分からないのです。

陣痛がくると、悲鳴とも叫びともなんとも言えない声でもがくのである。
「旦那さんは腰を押してあげてください。」
と、助産師さんに言われ、腰を押すものの陣痛による激痛は相当なもののよ
うで、自分の無力感を、ただただ感じるのでした。

「後、何分で終わるの?」
と、泣きそうになりながら助産師さんに聞くも・・・
「そうね〜、まだまだよ。でも、初産にしてはいい感じよ。」
などなど、まだまだ悲痛の叫びは続くのである。

〜AM 9:40 〜

この時点の診察で子宮口が全開になったことを伝えられる。
「では・・・」
と、本格的なお産の準備が始まるのである。

「いきんでいいからね。」と助産師さん。

「フン・・・フ〜〜ン!!」といきむ妻。
「ハー、ハー、フ〜っ。。。」と一息つく妻。

このくり返しを幾度となく繰り返すのである。
そして、妻は本気で泣くものの、もう戻れないのである。
まるで、遊園地のフリーフォールやジェストコースターに乗ったはいいが、
もう、終わるまで戻れない・・・なんか、ボクにはそんな感じがしたのです。
それくらい不安と恐怖感は絶頂を迎えるのである。。

〜AM 10:30 〜

「お母さん、もぅちょっとよ!深く息を吸って!!」
激痛に顔を歪めながらも、助産師さんの言うとおりに深く息を吸う妻。

「トゥ・トゥ・トゥ・トゥ・・・」お腹の中の子供の心拍数を図る機械の音
と、「ハァ、ハァ、ハァ〜〜」と大きく息を吸う妻。

「お母さんの空気を赤ちゃんが吸うからね。しっかり息を吸ってね。ほら、
頑張って!上手よ、上手いわよ。頑張って!!」

「あぁ〜〜〜っ!!はぁ、はぁ、はぁ・・・」
「トゥっ、トゥっ、トゥっ、トゥ、トゥ、ト、ト・・・」
妻の激しい呼吸と、力強く生まれてこようとする子供の心拍数が合い重なり
ます。

さらに、
「頑張って!もぅちょっとよ!頭が出てきたよ!!赤ちゃんも頑張ってるよ!」
と助産師さんの励ましてくれる声・・・。

妻の力強い叫びと、生まれてこようとする赤ちゃんの強い心拍数の音を聞き、
さらに、助産師さんの励ましの声を聞いていると、本当に熱いものがこみ上
げずにはいられなくなりました。
「頑張れ!頑張って!もうちょっと、もうちょっと・・・」
ボク自身も、妻の手をとり、なにも出来ないながらも励ましました。


〜AM 10:50 〜

「ほ〜ら、さぁ出てきたよ〜(^^)」
途中から、院長先生も加わり、ずっと付き添ってくれた助産師さんとともに、
わが子を取上げてくれました。

一(ひと)呼吸おいたくらいでしょうか。
「ォギャ〜、オギャ〜、オギャ〜!!!」
と、初めは小さく遠慮したように、それから元気よく自分の存在を僕たち夫
婦にアピールするかのように、産声をあげてくれました。

僕たち夫婦が、今にも崩れ落ちそうなその身体を、不器用ながら、怖々しな
がらも抱きしめたとき、本当によかったぁと、この子が僕たち夫婦の間に誕
生してくれたことに感謝せずにはいられませんでした。

妻はいつも、お腹の子に、
「3000gを過ぎたら出てきてね。そして、パパがいるときに出てきてね。」
と、まだ見ぬ我が子に話しかけてきたそうです。

その声は、まるでお腹の子が本当に聞いていたかのように、3062g!
ちょうど、ボクの仕事がお休みのときに誕生してくれました。

破水から出産まで、わずか6時間20分の素晴らしい出産のドラマでした。

フト・・・周りを見回してみると、人の数だけ出産の数があることに気付きます。
あなたが愛すべきパートナーも、苦手な人も、みんなみんな・・・長時間の
陣痛に苦しむママと、それに付き添うなにもできないと無価値感になるパパ
のドラマがそこにあることに気付きます。

そして、助産師さん達の数え切れないほどのエールを受けて、無事に出産さ
れるのです。もちろん、自分自身もそうして生まれてきたんだと思うのです。

先日、子供を見せに実家に帰りました。
こっそりと、自分の生まれたときのアルバムを開いてみました。
そして、思うのです。

ボクは、今、自分の子供を思うように、両親にも同じ気持ちで見てもらって
いたんだなって。ボクが自分の子供を見るのと同じ眼差しを、両親がくれて
いたんだなって気付くのです。

我が子は、おしめが気持ち悪ければ泣き、おっぱいが欲しければ泣き、不快
な気持ちになれば泣きます。最近は、手足をバタバタさせて全身で怒りをあ
らわにします。

シラーっとした顔をして、おしっこもウンコもしてくれます。
先日などは、なかなか寝付いてくれないわが子を、意識が朦朧とした中で抱
っこしていると、ボクの意識が途切れそうになりました(^_^;)

もぅ、自分のコントロールは利きません。想定外だらけなんです。
ほとんど寝てません。かなり過酷です。本当にサバイバルだなって思います
(^^)

でも、こうして我が夫婦はパパとママになり、幼子は元気に育っていくんだ
と感じるのです。ボクが、こうして幼子から大人になっていくように。。。

そして、いまだからこそ、両親がボクにしてくれなかったことやできなかっ
たことを理解することができるのです。さらに、許すことができたのです。

たまには、小さいときのアルバムを開いてみませんか??


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投稿者 csadmin : 06:04

2007年7月24日

●暑中お見舞い申し上げます 〜おばあちゃんの葉書〜

お洗濯モノを屋外に干せる事が楽しみの一つになってきました。
夏・・・ですね。
生まれた当時から田園風景の中で育ってきたものとしては、青々とした稲の背たけで季節を感じ、時の流れを計っていましたが、暮らすところが変化するにつれ季節をどう感じるかにも歴史が刻まれてきたのかもしれません。

ここ数年、年賀状で今まで縁があった方たちにご挨拶することにも多忙を理由に出来ずにいた私。
ここ数年の不義理を思い、ぼちぼちと思いつくままに暑中見舞いを出し始めました。
あまりに季節はずれな近況報告に返信も期待せぬまま数日が過ぎた頃、連絡をさせていただいたかたほとんどからなんらかのご返信をいただき日頃の不義理をやはり痛切に思い知ることとなりました。

そして、1枚の官製はがきもその中にありました。
薄めのボールペンで書かれた筆跡にはあまり見覚えがなかったのですが、差出人を確認してみると数年の間会っていない母がたの祖母のものでした。

‘多忙’のままに埋もれていた記憶のページがぱらぱらと開きます。

夏休み、いわゆるお盆近くになると必ず訪れていたのは母がたの実家。
京都といっても、日本海と接している丹後半島というところに母がたの実家がありました。
父の運転する車に乗り、または母と姉と共に列車で、行く経路は様々でしたが、はやる心と共に祖父母の家に自宅から数時間をかけて到着します。
ガラガラと引き戸を開けて初めて耳にするのは‘ガタン、シャカ、シャカ、ガタン、カタ、カタ、カタ・・・’というリズミカルな機械の音。
地場産業であったちりめん織機の動く音。
木で作られた通常の建物の2階部分まであるような大きな機会の心地よい音が玄関の外まで響きます。
幼少の頃から‘引っ込み思案である’という自己概念をしっかりもっていた私は母の足元に半身隠しつつ「こんにちは!」と叫ぶのが精一杯です。

祖母はちりめん織機の置いてある広い土間を通り抜けたところにある、居間から‘いらっしゃい・・・’と毎年同じように目をくりっと見開いて出てきてくれます。
母のきょうだいたちはやはりこの家を心地よく感じているのでしょうか、皆が家族を連れてこの季節に集まります。

祖父はものをあまりたくさん語る人ではありませんでしたが、クリスチャンであり彼の通う教会へこの夏休みの滞在の日程が日曜日にかかれば必ず祖父にくっついて徒歩10分ほどの教会へむかうのが楽しみの一つでもありました。
祖父母が毎年欠かさず必ず用意してくれていたのは、私と姉のために新しい文房具をひとつずつ、そして好きであろうジュースを酒屋さんでいつまで長居してもいいように1ケース。
祖父にはほっぺたが落ちそうな子供だったことで‘おむすびちゃん’といつもからかわれていたこと、
(それ以外にも私をからかうために祖父は数限りないあだ名を用意していました・・・
祖父の運転する軽トラックは母や母のきょうだいたちからは‘運転があらい!’と注意されていたけれど私はこの軽トラックの運転の荒さに伴ったスリルが誰にも言えなかったけど大好きだったこと、
いわゆる‘おかず’というものが小学校にあがるまでほとんど口にできず祖父の勤める製麺屋の‘うどん’しか口にしない私の為に祖母が作り置きしてくれていた‘だし’が大好きだったこと、
宵っ張りの子供の私とトランプをして遊んでくれたおばちゃん、
同じく夜中の映画に付き合ってくれたおじちゃん、
お気に入りで肌身離さず持っていたくまのぬいぐるみを祖父といった教会に置き忘れ、大騒ぎをして探し出してもらったこと、

ひとつ思い出すと次から次へと、思い出すのは私に向けてくれていた笑顔の数々。

何の飾りも無い官製はがきに、祖母が書いてくれていたのは、
「直ちゃんのお便りを拝見してなにか明るい文面で嬉しく思っています。いろいろあって気分が落ち込んでいたのですが、直ちゃんがしあわせになってくれたら皆明るくなりますよ。」

思いがけずに目頭が熱くなりました。
泣き虫だけど、自分のことではあまり泣かなくなってきてたのに。

(なんだ、それでよかったんだね。)

‘誰かのため’に、頑張ってきたこと結構ありました。
‘難しいこと’に挑戦することが人を救うことだ、とも感じてきました。
‘家族のため’に犠牲的な事を選んだこともあります。
‘たくさんのことを成し遂げる’ことが周りの人を幸せにすることなんだとそれだけを本気で信じていたこともあります。
そういう行動原理が私に与えてくれた恩恵ももちろんたくさんあります。
自分自身の傷や痛みが、癒されたせいかもしれませんし、以前に比べると自分と自分以外の状況への理解と対処が年齢と経験で少しはできるようになってきたからこそ、そう感じることができたのかもしれないのだけど・・・。

幸せというものがどういう形であれ
幸せを願ってくれている人からの言葉は深く胸に染み渡ります。

祖母はつれあいである祖父の他界後、景気のこともありちりめんを織るのをやめ今はこどもたちの家を自分の意思で転々としています。
祖父は戦争時代にシベリアに抑留され、徴兵された5年後に戻ってきたそうです。
祖父が戻ってくるまで、彼女は一人目の娘である母を抱え何を考え何を信じて生きていたのだろうなと今の歳になると聞いてみたくもなります。
状況や環境(物的であれ人的であれ)はいまと違っていたとしても、女性としての生き方のひとつだと感じられるようになった私は少しは成長しているのでしょうか。

自分自身が幸せになること、幸せで居ることの大切さを教えてくれた祖母と愛してくれている人たちに感謝しつつ、今年の夏は夕涼みしながら祖母と話をするのがとても楽しみになりました。

どうかみなさま、よい夏をおむかえくださいませ。

投稿者 csadmin : 02:45

2007年7月17日

●結婚しちゃいました

こんにちは。
盛夏に向かい、気合を入れて体力作りに励もうと意気込んでいる きのかずよ です(^^)v
「きのちゃんにはそんな必要はないよ・・・」
横から新妻ならぬ新夫の声が。

このコラムで、私的な事をつらつら書き続けてきました。みなさんお付き合いいただきありがとうございました。
そうです。今回のタイトルです。
波風はまだチョコチョコ立っていますが、入籍すればこっちのもん!
そうやすやすと逃げ出してしまう事はなかろうと、私、夫婦の主導権を握ろうという魂胆です(^−^)

夫曰く、魂胆見え見えだからそうは上手くいかないとの事。
この夫婦お互い今は牽制しつつ、この主導権を我が物にするべく、時を見図っている様子です。

夫婦というものは、夫婦なった瞬間から本当にしょうもない事でケンカをするのだなぁと。
入籍記念にパーッとお祝いという事で、生まれ年のワインを飲んで、紀香陣内が式をしたホテルで幸せ気分を満喫し、これからどうぞよろしくお願いしますと、確かに言い合ったその次の日、幸せな余韻があってもいいはずの、新居での結婚生活一日目に、私は夫を背後から蹴り倒したろうかという衝動にかられました。

原因は、掃除機です。
掃除機を押入れにしまいに行く行かないで言い争い、罵りあい、いい加減このやり取りにあきれた夫は話し合いを放棄してその場を立ち去り、その態度に私は怒り沸騰!!!!
今思うと、何でそこまで怒り狂いそうになるのか不思議なのですが、確かに私は本気で夫を蹴り倒したいと、思いました。
そしてグググッとこぶしを握り固めつつ、この怒りをおし静めた私。
たぶん夫の方は、理論武装で怒りをぶつけることは出来たはず。きっと、夫も怒りをどうにかおし静めようと、その場を立ち去ったのでしょう。

結婚生活とは、一体どんなものなのか??

これからも、蹴り倒したいと感じる時がいっぱいあるでしょう。

始まったばかりだし、まだまだままごとの延長のように感じるし、私たちは現在は週末婚だし、式は来春なのですが、私の父親の押し付けがとても強くわがままだし・・・そんな父親に引けを取らないほど夫は頑固だし・・・あいだに挟まれ私は途方にくれ、引きこもる・・・そして両方にキレル。

入籍はしたものの、穏やかな生活というより少々の波乱を思い、ちょっとドキドキワクワクしています。

「きのちゃんは、波乱待ちの状態なの?穏やかに暮らそうよ・・・」
「だめよ、おっと、そんな事は波へいさんとフネさんぐらい年季が入ってから言ってちょうだい!!!」

という事で、無事結婚式にたどり着けるか、それとも、結婚式どころか結婚生活まで破綻をきたすのか・・・何かあり次第、みなさまにお伝えしていきます!


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投稿者 csadmin : 12:00

2007年7月10日

●イッツ ア ミステイク

僕はかつて、建築作業場に出入りする車両誘導の警備員をしていました。作業
場の警備員と言えば、多くの方は出入り口(ゲート)に立ってるだけでラクそ
うな仕事だな、立ってるだけで一日がすぎてお金もらえてうらやましいな、っ
て印象をお持ちの方もいるかもしれませんが、さにあらず。

ちなみに作業場に入る車って、一般車両で材料を届けに来る業者さん方の車が
あれば、作業に来る職人さんたちの車もあります。多くは、大型車がほとんど
です。荷の積み下ろしに便利な、アームクレーン付のユニックトラックやダン
プトラック(ダンプカー)、生コンクリート運搬のミキサー車やけん引荷台が
ついた大型トレーラー、でっかいクレーン車などなど・・・。

道中の大型車をごらんになるとわかると思いますが、進行方向にむかって長い
車が多いかと思います。道を曲がる時は周りこんで曲がります。例えば交差点
を左折する時は、全体を少し右へはみださせて後部がカドにあたらないように
行きます。右折の時はその逆です。後輪は、ハンドルとつながった前輪のよう
に向きを変えられないからです。大型車のドライバーの方は、安全のためにこ
ういった運転をされます。(トラックの最前部を「アタマ」・最後部を「オシ
リ」と呼ぶ関西独特の言い回しがあって、このような大型車の曲がり方を「オ
シリをふる」と言います。)

僕らがゲートに立った時の仕事は、大型車が場内搬出時に接触事故のないよう
に気をつけるのと同時に、ゲート付近に車両が入りやすくするためのスペース
を確保すること、それと近隣(きんりん)対策(詳しくはのちほど)でした。
作業場は住宅街にあることもあれば、ビジネス街の時や、商業地や歓楽街の時
もあります。道が混みあい、駐車場もいっぱいの時に、ゲートそばに車を止め
に来る方もいます。ところがそれをされると、先ほどお伝えしたように、搬出
入の大型車は車長が長いので接触したり、曲がりきれなくなることもあるので
車両感覚を読んで前もって、余分目にスペースを確保しておくことでした。万
が一駐車しようとする車があれば、丁重に移動をお願いする、配達の車が納品
に困って止めようとしたら「じゃあ5分だけOK」って停車時間を時間を区切
るかたちで移動をお願いしてました。

忙しい日には、掘削土砂搬出大型ダンプ三十台、生コン打設の十屯ミキサー車
百台、ショベルカー搬出用幅広の六十屯低床(ていしょう)トレーラーが来た
り・・・段取りが重なることもありました。(大きな作業場では十屯ミキサー
車搬入が一日に四百台なんてケースも。そんな時は、警備員はゲートに2人つ
きます。)

作業場の周辺環境も様々なので、工事が始まる前には周囲の方に、事前説明の
上、合意が得られた上で始まるのですが中には悲しいかな、始まっても協力的
ではない方々もおられました。言い合い・押し問答・ケンカ・なぐりあい寸前
の一歩手前。トラブルは、作業指揮者の監督さんたちが対応されますが、この
ようなゴタゴタが毎日のように続く、物件の立ち上げが難しいものがありまし
た。特に僕が行ってた警備会社は、ヨソさんがお受けにならない物件中心に依
頼が来たから、なおさらでした。

周囲の攻撃口調、白い冷たい目線の続く中でも表面は冷静に、内面は怖れと不
安でいっぱいでも毅然とした対応をする。近隣の住民さんがいらしたら、相手
から返事がなくてもこちらからは挨拶をするとか。特に警備員は目立つので目
に付くところの矢面にたつ代表としてご近所に作業場全体への好感を持っても
らう・・・これが上記でお伝えした「近隣対策」でした。

知らず知らずに気を遣いすぎて、発散できないウサやストレスがたまりすぎて
血圧があがるわ、痛み止めの薬はもらいに行くわでガマンすればするほど、お
さえた感情がひどくこみあげたものです。いつしか誰かに都合よくこき使われ
たり、利用されてるように感じたりることもありました。上司にも思わずボヤ
いてました。「なんで人が嫌がるような仕事ばかりとってくるんだ!なんで嫌
がるようなところばかり行かせるんだ!」って。

そこで当時の上司は言ったものでした。「確かに難しい仕事ばかりやってもら
ってます。これ以上今の派遣先に通い続けるのが大変と言うならこちらも考え
ます。でも向井さんはホテルマンもやってた人当たりのいい、第一印象のいい
好感度を持った人なんだよね。大型車搬出入の誘導は経験をつめばなんとかな
る。でも、周囲の風当たりが厳しい作業場で雰囲気を少しでも和らげて支障な
く日程をこなせるような一役を買ってほしい、そんな存在としてお願いしてる
ことは知っておいてくださいね。」と。

「は?俺は人当たりがいい?第一印象の好感度がいい?ホンマかいな?」と思
いつつも、ここまで言われたら断る理由もなく、言い返すことも出来ませんで
した。この仕事に就く前から、僕は自分に対するセルフイメージが低かったり
自己嫌悪も強い人間だったから、自分が人から好感を持って見られる!?かつ
いでんじゃねぇだろうな!!って、真剣に思ってました。「自分はたいしたこ
とができるような人間ではない。」がいつもあったから。

会社から表彰状や派遣先から感謝状をもらったり、景品が出ても御好意は心底
から受け取れず。そんな後日のある日、終った作業場を見に行くと、何事もな
かったかのように、工事の依頼主がにこやかに引き渡された物件のまえにいら
してご挨拶したら「あら、警備員さんお久しぶり。あなたよくがんばってくだ
さってたわね。」と言われて「えっ?好意を持ってみてくださってたの?」っ
て。工事は携わった関係者全員の総力で築き上げたもので、その中に俺もいた
んだとわかった時、なぜか自虐的に笑ってました。「好意を持って見られるは
ずがないこの俺が誰かに感謝されることもあるんだ。」って。なんだか嬉しい
ような恥ずかしいような不思議な気持ち・・・。でも、それが額面どおりだっ
たんだって気付けるようになったのは、それからもっとあとでした。

自分に対するセルフイメージの低さは、卑屈や劣等感を産み、内面に映し出さ
れた感覚はそのまま外部や周囲に反映されるので「自分はいつも低く見られて
る!」「優男(やさおとこ)に見えるさかいに、軽う扱われてるわ!」って思
ってました。口調もいつしかトゲトゲしく、モロ男口調の時も(苦笑)。

でも、これは例えば幼少から「オマエはだらしないヤツ!」とか言われ続けた
としましょう。すると「自分はだらしないんだ。」って思い込みをいつしか持
ち、それがその人の生きるバックボーンになり、何らかのカベにあたった時に
パターンとして出てくるんですね。しかし、それは真実の姿ではありません。
受け入れたセルフイメージは、幼児・子供時代には抵抗するするスベを知らな
い、言われるがままを受け入れざるを得なかったミステイク(思いちがい&誤
解)から来るものだと気づけた時、警備員時代の出来事もパターンから抜け出
す一環として捉えようとすると、自分の中の「人当たりがよさそうな見た目と
中身のギャップ」の葛藤からラクになりました。

昨今直接お会いしたり電話でお話するお客様からは「ブログで書かれる記事の
印象と雰囲気はあいませんね。」「もっと怖い人だと思ってたけど安心しまし
た。」とか「受話器越しの声のトーンは落ち着いてますね。」と、おっしゃっ
ていただける機会が前にもまして増えたので・・・「あれ?俺のトゲトゲしい
男口調は何処へ行ったんだろう?」って、自分でも驚いてます(苦笑)。

「私は(俺は)どうせこんなヤツなんだから・・・」と思ってる皆さん。その
思い込みは、本当のあなたらしさを証明したり、表現するものでしょうか?誤
ったセルフイメージを持たれてないかどうか、検証してみてくださいね。

投稿者 csadmin : 12:00

2007年7月 3日

●木村家、大いに向き合う

木村家は結婚して3年半ほどになります。

おかげさまで、小さなケンカはあれど、離婚話にまで発展するような大きなケンカもなく平穏に夫婦しております。

しかしながら、3年半もの時を経ると、すれ違いや衝突の部分がない方がおかしいというものです。

今は問題として表面化していない小さなことかもしれませんが、それが表面化するくらいに大きくなってから修正していくのには、多大なる労力を必要とします。

それは避けねばなりません。


少し前に、2人共がなんとなくトゲトゲしている状態の時がありました。
なんとなく言葉の端々にトゲがあって、なんとなく好戦的な態度で…

爆発してケンカになるというほどでもない、なんとなくな感じだったのでそのままにしておきました。

そんなある時、カウンセリングが終わった後、「真正面から向き合うことって、とっても大事なんだな〜」としみじみと心の底から思うことがありました。

家に帰るなり、「真正面からちゃんと向き合おう!」と、台所でごはんの用意をしていた奥さんに言いました。

何のことか全くわけのわからない奥さんは目を白黒させながら驚くばかりです。

「ちゃんと向き合って、腹の下に隠しているものを、全部出し合おう!」
「思っているけど言えないこと、ない?ない??」
「ちゃんと俺の目を見て!」

奥さんはあきれながらも、真剣で譲りそうもない僕を見て、それに応えてくれました。

奥さん:「よーちゃんこそないの?」
僕  :「くーちゃんはあるでしょ?」
奥さん:「よーちゃんもあるでしょ?」
僕  :「くーちゃんから言ってよ」
奥さん:「よーちゃんが言い出したんだから、よーちゃんの方から言ってよ」

非常に醜い争いです(笑)

あっさり言えることならとっくに言っているわけで、あっさり言えないから未だ心の中にしまいっぱなしになっているんですよね。

「これを言ったら怒られる」「これを言ったら嫌われる」「これを言ったらケンカになる」そんな不安や怖れから言えなくなってしまいますし、相手の口から出てくる言葉を聞くというのも、これまたとても怖かったりします。

しかしながら、真正面から向き合ってコミュニケーションを取るということに燃えていた僕は、どうしてもそれをしたかったのです。

醜い争いからごまかし、そして言うか言わないかという葛藤まで少しの時間を経て、ついにお互いに思っているけど言えないことを発表しあうことになりました。

奥さん:「家のこともせずに遊んでばかりでごめんなさい」
僕  :「服の一枚もプレゼントしてやれなくてごめんなさい」

出てきたものは、自分を責める気持ち。そう、罪悪感です。

奥さん曰く、言ったら絶対に怒られると思っていたようです。
僕自身も「この甲斐性なし!」と責められるような感じがして、とても言い出しにくいものでした。

しかし、実際のところは、それぞれがそのことで自分を責めていたんですね。
それを「相手にそのように怒られるのでは…」と感じて、言えなくなっていたのです。

「すれ違いや衝突って、こんなふうにして出来るんだ〜」

しみじみとそう思いました。

その後話をして、お互いに、相手がゴキゲンでいてくれたらそれで満足というのを確認するに至りました。

この一件が関係あるかどうかはわかりませんが、その後、2人のトゲトゲはいつの間にか無くなっていました。


たまにでもこうして真正面から向き合うことって大事だな〜と思うと共に、こんな気まぐれにちゃんと付き合ってくれる奥さんへの尊敬と感謝の気持ちで一杯になったのでした。


木村祥典のプロフィール>>>

投稿者 csadmin : 12:00