« 2007年4月 | メイン | 2007年6月 »

2007年5月29日

●トリアージと危機管理〜今すべきこと、しておいた方が良いこと、したいことの優先順位を思う〜

 トリアージ、危機管理・・・ともに神戸在住の私にとって、震災後にとみに耳につくようになった言葉である。震災のすぐ後に東京では地下鉄サリン事件が起こり、近隣の明石では花火大会の折に将棋倒しによる多数の死傷者が出る事故、近隣の中学生による連続殺傷事件、そしてまだ記憶に新しいJR尼崎駅近くでの脱線事故、と、新聞記事などの中にこれらの言葉を発見し、素人ながらいろいろ思ってきたところである。とは言え、教育現場の末端で仕事をしていたので、危機管理についてはよりいっそう強く謳われるようになったのを目の当たりにもしてきている。まあ、事故現場や搬入先の病院での救命処置に関するトリアージ、となれば全く及びもつかない話になるのだが、日常生活の中にこういった究極の選択や先を読み「起こり得ない」と言う考え方ではなく、「起こり得ることを想定しどのように防ぐか」「起こってしまった場合にはどのようにして被害を最小限にとどめるか」と言う考え方を持たざるを得なくなった。見ようによれば、少々悲観的なものの見方にも映るかもしれないが、起こってしまってからでは遅いことを身体で知ってしまっているような感じである。

 トリアージとは元々フランス語のtriage(選別の意)が語源だそうで、コーヒーの選別法が名の由来とも聞く。「トリアージ」をネットで検索すると膨大な数の資料が上がってくる。その殆どは医療機関や消防関係、防災あるいは事故関係のものである。トリアージについては最近増えている医療ドラマにも取り上げられることがあり、トリアージタグがあることを知っている方も少なくないだろう。簡単に書いておくと、災害現場等に置いて救助者に対して被害者の数が多い場合に行なう医療機関への搬送や究明処置の優先順位のことで、0、Ⅰ、Ⅱ、Ⅲの4つのカテゴリーに分ける。カテゴリーⅠでは、生命の危機に瀕する重篤な状態であり、究明の可能性があるものとされ、救命処置や搬送の優先順位は一番になる。カテゴリーⅡでは搬送が必要ではあるが、生命の危機に関わるような状態ではない場合で、Ⅰに次ぐ順位となる。カテゴリーⅢは救急による搬送の必要がないとされるものである。そして、カテゴリー0と言うのが、死亡もしくは現状では救命不可能な状態とされ、救命処置等の順位は後に回る。

 トリアージと言う究極の優先順位の選択について、ずっと頭の中に「何か」があり、折に触れて考えていた。今までも機会があると触れてきたことなので今回は詳細には書かないが、阪神淡路大震災における被災と言う体験は、私自身の物事の捉え方や関心の持ち方を含む、・・・大きく言えば人生観や生き方そのものにも「少なからず」と言う遠慮がちな表現は少し不似合いなくらいの影響を与えたと思う。震災の経験が無かったらもっとあっさりとした考え方を持っていたのかもしれない。しかし「ものごとについての優先順位を決める」時に、やはりどこかでこういった感覚が頭の中、身体の中をよぎる気がする。実際に当時身の回りでは少なからず・・・命に関わるレベルを含み、判断をする側にもされる側にもなり得たので、先々への影響も考えていかなければならないと考え出した気がする。とは言えその内容は私の場合、とてもありふれた日常生活の中で、が一番大きく占めるのであるが。 

 仕事をする中で、あるいは家庭や社会の生活で、あっちとこっちの優先順位を決めざるを得ないことがままある。そんな時にまず考えなければいけないのは?私なりにいつもそんなことをぼんやりと考えていたりする。時には後で選択の失敗を思うこともある。あるいは、これで良かった、と思うこともある。もしかしたらどの選択をしても良いのかもしれないし、無意識的に選択をして生きているのかもしれない。しかしいずれにしろ、その時々での選択により以後の流れが変わることはあり得るし、時には大きく言えば人生が変わってしまうことだって起こり得るのではないか、と思っている。それは進路であったり住む場所であったり、パートナーを選ぶことでもそうだろうし、タイミングにしてもそうだろう。後悔をしない選び方をしたいものだ、と思う。少なくとも、後で考えてもその時にはそれがベストの選択だった、と考えられるようであれば良い、と思うが、「そんなことは起こり得ない」として考えなかったために慌てることはもうこりごり、とも思うのである。東海大地震は古くから言われているが、このエリアではそういった疑いはそれまで殆ど聞いたことがなかったのじゃないかと思う。そして震災後、得たものも少なくないがもちろん失ったものも甚大である。かと言って失くしたものを思うより、これからどうすれば良いか、に向けて行く必要がある、と思い生きていた日々を思う。

 色んなことを進めて行く時に自分なりの考えや方針を持ち、やりたいこと、やらなければいけないこと、やっておいた方が後々のためには良いこと、などを意識するかどうかは置いておいて、その優先順位をそれぞれに考え、TPOに応じてフレキシブルにつなげていくことは実際にしていることが多いと思うのだが、私にとってはこの稀有な体験が更にこの感覚を深くしたような気がしている。その頃の仕事の内容からも震災を機に「危機管理」がより強く前面に打ち出され、優先順位の中でも特に「今しなければならないこと」と「後々のためにしておいた方が良いこと」、「しておきたいこと・したいこと」についてが葛藤を起こすことも少なくなかった。中でも「今これをしなければ・・・」と言う課題の中には、人命に関わることもあれば、上司や本社、関係省庁などからのお達しと言うこともあろうし、家で待っている子供たちへの夕食の準備、と言うようなこともあるだろう。「その時自分でなければできないこと」を最優先にするとしたら、子供たちの夕食の準備になるのかもしれないが、目の前で重大な側面が動いている場合だとはずせないことだってある。そういった時には近所の友人や親類に子供たちの食事をお願いして「職務」に当たらなければならないこともあるだろう。家庭と仕事を両立するためには、大まかに先々の仕事の流れを読み、食事の準備を整えてから仕事に出かけたり、どうしても無理なときには友人や親類にあらかじめ頼んでおく、と言うようなことは日々のことで、手に付ける家事にしても「まず食べること」「子供の体操服などの洗濯物」「掃除はとりあえず今日はしなくても間に合う」・・・と言うようにいつも頭の中で順番を組みながら向かう。そうすると、それまで「今これをしておかないと!」と思っていたことが意外にもどんどん後の順位になったりする。たとえば・・・。

 子供たちがまだまだ幼かった頃・・・新居に転居した後は特に、せっせと掃除や片付けをしていた。新しい家に引っ越したので、これは優先順位としては高くても当たり前である。しかし或る日、いつもより静かな子供たちの様子が気になり振り返ると、真新しいふすまに落書きを伸び伸びとしていて(それもよりによってボールペンで!)、その無邪気な笑顔と新しい家を汚されたと言う思いで殆どパニックになったことがある。後にそのふすまは息子たちの落書き専用になり、貼りかえるまで続く事になるのだが・・・。このことがあってから、家は誰のためにあるのか、と考えることも増えた。子供と生活すると言うことはこういったことが毎日何かしら起こり、家と言う「箱」と子供たちを育てることの兼ね合いを考え、色々試したりもしたが、どーしてもこりゃあかん、と言う場面で雷を落としもした。中でも私にとって息子たちへの優先順位の一番は「危機管理」・・・その命を守ることだったので、「高所」「誤飲」「火」「水」「車」などの事故に遭わないように心を配ることが最大の関心事であった。未だに息子たちは、幼い子供たちが車道に飛び出そうとしている姿を見たらこう言う。
 「俺らが子供の頃、めっちゃ叩かれたよな〜。」
 「何言ってんの!痛いと思う前に死ぬより良いでしょーが。」
 彼らは、恐がりでは決してないが(自転車の乗り方を見たらすぐに分かる・・・)、幸いに大きな怪我も病気も今までなければ、少々は自分で何とかしていてもこれはまずい、と言うときには医者に連れて行ってほしいと私に頼むので、これは彼らなりに優先順位を考え、危機的な状況を判断しているらしい、と思うのだ。私自身、幼い頃にほんの一瞬の母の隙に事故に遭ったのだが、三歳の私は未だにそのことで自責をしている。それは、自分が怪我をしたことで母を苦しめ続けた想いが未だ残っているためだ(最近は薄れてきたが)。もちろん、母の側の罪悪感も並大抵ではないと思うが。息子たちにそんな想いはさせたくはないし、こう言う連鎖はやめたい。これは自分の失敗から来ている危機管理の考え方で、震災後私たちの街が得たものと同じだと思う。こういったことを活かすことはとても重要なことだと私は思う、しかも出来るなら誰もが無傷で。

 こんなことから、何かをするときの優先順位を考えるときに、すごく大げさに思われるかもしれないが災害現場でのトリアージを思う。トリアージについては先に述べたが、今後もどんどん進化していくのだろうと思う。その裏で、様々なことが起こっている。ことが起こってからでは遅い、と言うのは簡単である。起こりうることばかりを考えていては何も出来ない、ということももちろんそうだ。しかし、立場を変えて考えてみたらどうだろうか。
 トリアージのカテゴリー0と言う評価を出すときの、医師の気持ちは?実際には例えば、心肺停止状態であっても違う状況であれば・・・人手がもっとあり設備が整っている状態であれば蘇生だって可能なことがあるだろう。悔しい思いをすることも少なくないに違いない。その状況下でカテゴリー0と評価された犠牲者の遺族の想いは?実際に尼崎の列車事故の際には、被災者にトリアージタグが付けられているところが放映され、その方の親族が動揺をしたと言う話もある。黒いタグ、つまりカテゴリー0と評価されていながら酸素マスクを付けられていた・・・と言うことはその時点では死亡ではないが「この状態では救命が難しい」と判断された、と言うことであるので、もしもトリアージを違えていて救命処置を迅速に施されていたら、と言う想いからなのだろうと思う。親族の身になればそう思うことは当たり前だろう。しかし、出来るだけ多くの人命を救助すると言う立場に立てば、重篤さの度合いよりも助けうる人をまず助ける、と言うことの選択を余儀なくされるのもまた、当然だろう。ここに、震災時の火災発生間際の、瓦礫の下から家族への「最期の愛」を送った人々のことを重ねてしまうのは、私だけだろうか。どの命にも重いも軽いもない。出来れば全員助けたいし、誰だって助かりたいだろう。家族にしてみれば、いやそうでなくても、助かるものなら何としてでも助けたいとも思うだろう。

 トリアージとは、まさに究極の選択だ。私たちの日常ではそこまで切羽詰ることは普段はまずないだろうが、それにしてもそれぞれに「究極の選択」を余儀なくされることはあるだろう。よくある質問に、「目の前で子供とパートナーが溺れていたらどちらを優先して助けるか」と言うものがある。同じ人でもその時々で答えは違うだろうし、それぞれいろんな意味をつけたがりもする。だけど、正しい答えはたぶん、どこにもない。その時になってそれぞれがする選択が一番正しい、のかもしれない。しかし、色んなことを考えた上で、順番を変えてみたり、気づいたことを伝えてみたり、ちょっとした心遣いから大きな災難を逃れうることは否めないんじゃないか。あるいは最小限の被害に留めうるのではないか。備えあれば憂いなしとは言うものの、これが行き過ぎてもまた、身動きができなくもなる。

 そんなことをつらつらと私は今日も考える。日々小さな選択を繰り返し、少し先を見ては優先順位を考える。その中には実は人生を変えるくらいの重大な局面だってあるかもしれないし、今までにも実際にそんなことはあった。慎重さや用心深さと共に思い切った判断も時には必要だ。それには周りへの信頼は欠かせないだろう。もちろん信頼の最大限の矛先は自分に向けられる。大きな選択をするときには腹を括りその結果の責任を感じておく必要もあるだろう。でも不思議なことに自分が本気で選んだことに対しては恨みもなければ後悔もない。これは私が人生を通して感じていることで、同じことでも自分がやろうと決めたことについてとそうでない時とでは違って感じる。またある程度の予測が立っていたら動揺することも少ない。でも自分の方向性とは違っている・・・。こう言う時こそ「選択」の能力が問われることになる。日々の選択と言えども侮れないとも思うが、自分の信念に基づいた選択は後々になっても後悔がないんだろう。つまり、その時点ではベストの選択だった、と思えるから。

 繊細な心配りと大胆な判断力を持ち、実行できるようになりたいと思う、そしてそんな自信を持てる自分になりたいと心から願う、今日この頃の私なのである。

投稿者 csadmin : 12:00

2007年5月26日

◇「リッツ・カールトンホテル」で感じるシフクノトキ

こんにちは、吉見太一です(^^)

先日、ぼくの奥さんと、こんなやり取りがありました。

嫁:「なぁ、たぁ〜ちゃん。○○日と○○日、仕事休みっ言ってたなぁ。
空けといてね☆」
僕:「どないしたん?なにか、あるの??」
嫁:「うん。リッツに泊まろうかと思って。。。」
僕:「エェ〜〜!!!どないすんのよ。この前も、最後や言うて宮古島
(http://www.counselingservice.jp/column2/archives/001375.html)に
行ったやないの!!」
嫁:「うん。そやねんけど・・・どうしても、出産前にリッツのクラブフロ
アに行きたいんや!!」
僕:「そりゃ、俺も行きたいけど、クラブは普通の部屋よりさらに高いんや
で!!お金どうすんのよ。。。」
嫁:「私が出すわ・・・(ポツリ)」
僕:「ホナ・・・行こか(笑)」

ということで、リッツカールトン大阪のクラブフロアーに行くことになりま
した!(^^)!

僕がリッツ・カールトンホテルとクラブフロアの存在を知るのは、27歳の
時でした。

当時、前の会社で日々仕事に追われていた僕は、休日の過ごし方といえば、
「寝ること」か「飲みにいくこと」、たまに「ゴルフに行くこと」など、あ
りきたりな休日の過ごし方しか知りませんでした。

こうして心理学を学び始め、そして我が師匠から話を聞いたのがキッカケで
した。

「なぁ、吉見くん。リッツ・カールトンホテルって知ってる??そこは、大
阪の梅田にあるんだけど、超一流のホテルでね。そして、そのホテルには、
クラブフロアーというところがあってね、専用の鍵でしか入ることができな
いんだよ。それでね・・・」

その後も話は続きましたが、その話を聞きながら「ヘェ〜、そんな所がある
のか!」と感嘆し、すごく興味を持ちました。「もっと、知りたい!」から
「実際に体験してみたい!」に気持ちが変わるのに、さほど時間はかかりま
せんでした。

それまでも、ホテルや旅館などで宿泊することはたくさんありました。
でも、ほとんどは旅行や仕事の場合であって、出張や会議などの仕事で使用
する場合は、夜遅くにチェックインして部屋に入って、朝早くにチェックア
ウトしていましたし、旅行の場合は、観光に勤しんでいましたので、ホテル
を楽しむというスタイルで楽しんだことはありませんでした。

さらに、自宅から車で30分圏内でいける場所に、わざわざ宿泊するという
考えがなかったのです。むしろ、お金の無駄遣いじゃないか!とさえ思って
いたくらいです。

だから、ぼくの師匠の話は、まさに目からウロコ状態でした。

いざ、リッツカールトンホテルに宿泊するとなると、いろいろと興味が沸い
てきます。
ホームページはもちろんのこと、最近はリッツに関しての本がよく本屋さん
にならんでいます。
なぜ、リッツカールトンのことが本になったり、記事になったりするのかと
いうと、インテリアや食事に関しても、素晴らしいのですが、多くはサービ
スの素晴らしさについて書かれてあるように、見受けられました。

ある本によると、「NOを言わない接客」や「最高のおもてなしを」と言わ
れるように、他のホテルのサービス料金が、だいたい10%のところを、
リッツ・カールトンホテルのサービス料金は13%なんだそうです。つまり、
他のホテルに比べて3%高いサービスを提供して頂けるようです。

「へぇ〜、どんなサービスをして頂けるのかなぁ・・・」
期待に胸が膨らむ訳です(笑)

当日、ホテルの正面玄関に近づくにつれて・・・
ベンツ・BMW・フェラーリ・マセラティーなどなど、数々の名車が所狭し
と並んでおりました。
しかも、ただのベンツじゃなくて、「どこまで長いねん!!」と突っ込みを
いれたくなるような、ベンツのリムジンだったりするわけです。「うぉお
お〜〜」と、チェックイン前からすでに興奮してしまいました。

さて、滞在中のクラブラウンジでの飲み物、食べ物などは、すべて宿泊費内
に入っているので、自分の欲しいだけ食べたり、飲んだりできるのですが、
すべてのものが本当においしいのです。特にウエルカムジュースは、まるで、
フルーツをさっき絞ったのではないだろうか?と思うほど、コクがあって、
口当たりのいい冷たさのジュースに感動しました。

奥さんは、妊婦ということもあり、常にスタッフの方が気づかって下さいま
した。いつも「吉見さま、吉見さま」と呼んでくださいますし、カフェイン
がダメな奥さんには、「カフェインレスコーヒー」を、食べ物をこぼしてし
まって、ズボンについてしまった僕のためには、わざわざ、タオルとソー
ダー水を持ってきて、シミにならないように、トントンまでして下さいまし
た。

景色は、34階の高さから、眼下には北新地界隈の方角に大阪の街を見るこ
とができました。
晴れ渡った日だったので、本当によく景色をみることができました。平日と
いうこともあって、ストレスになるほどの込み具合ではなく、皆さん、優雅
にクラブフロアを楽しんでおられたように見えました。

また、プールに行ってみると、プールサイドには、寝転べるベンチが一定の
間隔で置かれており、ベンチで本を読んだり、ゆっくりと寝てみたりできる
ようになっていました。そのときは、利用者がほとんどいなかったので、十
二分に満喫できました。また、外には、ジャグジーがあり、天気も非常によ
かったので、ジャグジーの中で身をゆだねてみると、幸せな気分が最高潮に
達するのでした。

う〜ん、幸せ〜〜(^_-)-☆

僕がリッツ・カールトンホテルのクラブフロアーに興味を持ち、行きたい!
と思ってから、ずいぶんと時間が経過してしまいました。もちろん、タイミ
ングもあります。もちろん、経済的なこともあります。だけど、話を聞いて
からこれまでも、大阪・神戸を含めていろいろなホテルに宿泊し、クラブフ
ロアにも行きました。

すごく大げさですけど、ずっと、『リッツ・カールトンホテル』に宿泊でき
るような器の人間ではないと思っていました。

それは、きっとエグゼクティブな人達の中で浮いちゃうことを怖がったのか
もしれません。
または、礼儀作法やシキタリが無知のために恥をかきたくなかったのかもし
れません。
ただ単に、経済的に出費がイヤだったのかもしれません。

いづれにしても、リッツカールトンホテルに行くのは、まるで、自分の大好
物を最後においておくように、最後の最後にしたいとどこかで思っていまし
た。
なんでもそうですが、良いものを知ってしまうと、それ以下にランクを落と
せない感じがしていましたし、すべてにおいて豪華な贅沢なイメージありま
した。

ぼくにとって、豪華さや贅沢は、とてつもない罪悪感を覚えます。
なぜならば、「無駄をしたらあかんよ。」「もったいないことしたらあかん
よ。」と教えられてきたからです。だから、ボクは「無駄」や「もったいな
い」ことはしていないつもりですし、それは、非常に大切な両親からの教え
だとも思っています。

両親は一生懸命働いて、無駄をしないように、僕たちを育ててくれているん
だから、豪華さや贅沢をしたらいけないという観念が非常に強かったのです。

しかし、この教えは物質的なものにとどまらず、時間的な無駄をもしたらい
けないと思っていました。そのために、喫茶店でホッコリなんてことや、海
辺でボーっとするみたいなことすらもイヤでした。だから、ホテルで1日
ボーっと過ごすなんてことは、昔の僕にしてはあり得ない話でした。

だから、リッツ・カールトンのクラブラウンジは、豪華で贅沢であり、一日
ゆっくり過ごすというダブルの罪悪感を感じなければならなかったのです。

そのために、自分を小さく扱って、受け取らないようにしてきました。
超一流を受取ることができなかったのです。もしくは、受取らなかったので
す。
そのために、なにか誤魔化してみたり、他のことで満足しようとしていまし
た。

「タイソウやなぁ〜〜」
といわれそうですが、そうなんです。それくらいタイソウな気持ちでした。

「リッツがなんぼのもんや!どれだけ偉いんや!!」
と思われるかもしれませんが、それほど、厳格な感じがあり踏み込みがたい
ところでした。

でも、言い換えると、それくらい自分が贅沢をしたり、豪華なことをするこ
とに踏み込めなかったのです。そして、それに伴う罪悪感を感じることに踏
み込めなかったのだと思います。

でも、それは、自分が超一流を知る一歩でもありました。
超一流のものは、やっぱりいいのです。それを知ると、もぅ後戻りできない
感じがしていましたが。やっと受け取ることができました。(嫁さんのお誘
いによってですが(^_^;))
超一流の中に自分がいてもいいんだなと思えるようになりました。ボーっと
しててもいいんだなぁ。超一流から、学ぶことは非常に多かったです。

ちなみに、授業料は非常に高いのです。はっきり言ってビックリします!!
だけど、たとえこのゲストの中の牛尾(ぎゅうび)だとしても、同じ空間を
味わうのは、大きな勉強をさせてもらえます。

スタッフが最高の笑顔で少々の無理なことも全力で応えてくれようとする姿
勢、喜んでゲストの要望に応えてくれることや、常に気にかけてくれている
ことが、たくさんのファンを作るのだと実感させられました。

この経験は、後戻りできなくなるのではないか?という自分の怖れよりも、
経験の上で非常に幅ができたのではないかという感じです。


皆さんも、なにかしら自分を小さく扱って受取っていないことはないでしょ
うか?
または、小さく扱って受取ってこなかったことはありませんか?
自分は、そんな器ではないと思っていることはないでしょうか?
もし、それを受取ることができれば、次に見えてくるものがあると思います
よ。

最後まで読んでくださって、本当にありがとうございます。
情報便の最後のコラムを飾れたことに感謝いたします。

皆さんがたくさんのことを受取ることができますように。。。


吉見 太一のプロフィールへ>>>

投稿者 csadmin : 12:00

2007年5月22日

●自由な結婚 〜結婚するって自由になる事って知ってました?〜

昨日、電話カウンセリングをしていた時の事でした。
カウンセリングに入る前に
「来週は原稿の締め切りだなー、何を書こうかなー?」
なんて思いながら電話を受けたのです。
そしたら、最近のご相談に多かったテーマが、
またもや飛び出してきたのです。

それで、私は、このテーマを書くことがピッタリかもしれないと感じ、
こうして書き始めました。

パートナーシップに関する問題は、私の最も得意とする分野の一つです。
特に「手放せば返ってくる」は実体験を元に熱く語っています。

でも、最近、そういえば私のカウンセリングでよく話すなーというフレーズが、
またもや昨夜飛び出してきたのです。

それは、これです。

「なんで誰も結婚する事が、子どもを持つ事が、こんなええ事なんやって教えてくれへんかったん?!」
と、心からの叫びなので、もともと関西人の私は、
ここだけは関西弁となって声を大にして叫んでしまうフレーズなんです。

それから、これも。

「たぶん、そんな事を言ったり、見せたり、感じさせてくれる人はいたと思う。
けど、それを聞いたり、見たり、感じることが出来なかったのは、きっと私やね。」

こんな話をすると、
「深澤さんも、そんなふうに思ってた頃があったんですか?信じられません。」
と言われ、そんなふうに言われることが、
私はもっと信じられませんってなわけで、
私も人間なんですけど〜と、笑い話になります。

私は、結婚とは、
全ての側面で自由を奪われるし、
お金と時間を奪われ、好きなことが出来なくなるばかりだし、
きっと子どもを持ったら問題ばかりの傷ついた子どもが生まれるに違いない、
親族や親戚問題もグチャグチャで、いじめられるし、
何もかもいいことなくて最悪なモノに違いないと思ってました。

そうなんです、すごいネガティブな観念だらけ。
当時の私には、結婚も出産も子育ても、
まるで自分を拷問に合わせるようなものに感じたり考えたりするものだったのです。

けれど、一般社会人となった大人の私にとっては、しないとならないモノで、
これを持っていない私は、生きていく価値がないに等しいぐらいダメ人間だー
なんて自分に自分で言い聞かし自分をどんどん苦しめてました。

まるで、自分で自分を虐待していたのです。
そう、自己愛に欠けていたのです。

ところが、フー、まあ時間とお金はかけましたが、
私にとっての癒しは進み、
結婚し、子供を持ち、子育てを始めている今日この頃のこと。

日増しに日増しに、「結婚ってええやん。子どもってええやん。」
こんなすごい事、こんな素晴らしい事、
どうして日常会話のフレーズで出てこないんだろう?
不思議・・・
そう思ってる自分も、友人と集まると
「最近どう?」
「それがさ、・・・・・」
と、ついついネガティブ話から始まる私。

わかっていても、これって実は、日本ではちょっと勇気のいる発言です。
と、自分で言い聞かせてますが、
そんな事はないと言う方々もきっと一杯いるんだと思います。
笑顔に満ち溢れた方々に出会えるように、聞こえてくるように、
ますます自分癒しを進めますね!!

数年前に、娘を褒めちぎっていた時のこと、実父から、
「そんなに褒めてどうする。この親バカが。お前はバカか。」
と、とってもシニカルににやつきながら言われ、
私は、来た来た!!これで私は傷ついたのね、
と自分を抱きしめてあげたくなる気付きの時がありました。
これは、子供を産んで初めて母性が宿っていくことを感じた瞬間でもあります。

そして、そんな自分の人生を振り返り、
シニカルな人には、愛をこめてシニカルな態度でと余裕をもてたのです。
私は父の子なんだよなーと感じながら、
「自分の子を親が褒めずに、誰が褒めてくれるのよ!!!フウーーーン」
とばかりにニヤニヤと父に返すことが出来た時、
ちょっと大袈裟だけど、父との間にあった確執が溶け、
父の痛みも理解したような気がしたのです。

そういえば、妻や母が口にする言葉って、
「大変、大変」から始まり、悪い部分を口にすることって多いように思うのです。
これは、私がリーダーシップとってるかも・・・
とも思うのだけど、何故かそうなってしまうの
(シングルの結婚や子育てに夢見てる方々ゴメンネ、悪ーい態度です。
これは、見ない、聞かない、感じないがベストな良い否認が必要です。)

でもね、この言ってる言葉にはあんまり意味がないんです。
言いたくなるネガティブなエネルギーの蓄えを抜きたいだけ。
そう言いながら、夫より高いランチしたり、ショッピングして、
お金と共に、ネガティブエネルギーも抜くのです。

そうして、張り切って家庭に戻り、ニコニコ家族を迎え入れるのでスーーー

シングルの時代、お金はたっぷりありました。
自由な時間もたっぷりありました。

でも、何かが欠けてる感がいつも傍にいるような気がしてました。
結婚した今でも、すっかり少なくなりましたが、
別れた方がいいのかな?
なんて、昔のあの状態に戻りたくなる誘惑はやって来ます。

そんな時、今手にしている、全てを手にしたようなこの感覚と、
全てを手にしたからこそあるこの全き自由さを失うのか?
と自分に問いかけた時、ああ自分は罠にはまっているんだと気付き、
真実を選択しなおすのです。

すると、もっと自由が手に入り、自分がしがみついていた観念に気付き、
より自由さを手に入れることが出来るのです。

もっともっと「結婚ってええよなー。子どもって最高!!」
って分かち合える友を増やしたいものです。

この分かち合いは、きっと子どもを産むことが難しい時代って言われている
この現実を、変えていくと思っています。
だって、本当に結婚する事、子どもを持つ事って、
言い表せないぐらいすごく、大空を羽ばたいているような自由さで一杯です。

この事の全てを教えてくれた、子どもを持ちたくても持てない命の尊さを身を持って教えてくれた、
会えなくても愛を送り続けてくれているあなたに感謝しています。
ありがとう!!
私もあなたを毎日想っています。

色んな感情や考えや想いが出てきている自分を受け止めて大事にしてあげてくださいね。
きっと上手くいくから・・・
きっと道はあるのだから。

投稿者 csadmin : 12:00

2007年5月19日

◇準備と言うものが嫌いなんで・・・

こんにちは。きのです(^^)
花粉の季節が終わっているかと思うのですが、まだまだ鼻がグジュグジュして
います。

「鼻は権威の象徴だよ」と昔言われたのを思い出し、私はよく鼻の中ににデキ
モノが出来るし、風邪を引く時は鼻からだし、自分のもだけど彼氏の鼻毛もた
まに抜きたくなる衝動にかられるし、こんなに鼻を気にしている私はもしかし
て、良い意味でも悪い意味でも、権威をかなり気にして生きているのかもしれ
ませんね.

そういえば、親に対しも先生に対しても社長や上司に対してももちろん神様仏
様キリスト様に対しても、愛をいっぱい感じて、何をするのもホクホクの時も
あれば、たま〜に、『黒かずよ』が出てきて「こいつら何で、私のじゃまする
んやぁ」なんて思う時も、、、ホントたまにですけどあります(^^;
ほんと、たまにです。

で、今回のタイトルの「準備」なのですが、私は本当に準備と言うものが大嫌
いなのです。
昔から、夜寝て朝目がさめたら彼氏が出来ていて、さらに寝て目覚めたら結婚
式で、さらに目がさめたら子供出来てて・・・そんなのが理想なのよと、叫ん
でいました。
振り返っても、
遠足は好きだが、遠足の準備が嫌い。
修学旅行は行きたいけど、荷物詰めるのが嫌。
もちろん試験に備える試験勉強なんて、もってのほか。
1人暮らしの決断は早かったが、ほぼ一人身での移動。
そんな私の今までの人生は、多分最小限度の準備でどうにかやって来たのかも
しれません。。。
そう、こんな私でもどうにかやって来れたのは、権威達が生温かく見守ってく
れているからかもしれないな〜。

しかし、今の私にはその生温かい愛を感じる余裕がなく、もう既にテンパッテ
います(TT)
結婚準備と考えるだけで気持ち悪くなります。
何を決めないといけないのか?
結婚情報HPを見ても準備嫌いな私が見ているから、何も入ってこない。
どうしてなんだ?
彼氏のいない頃、「彼氏が欲しい〜結婚したい〜」と叫んでいた頃の私が、さ
らには、好きな人との恋愛が全くもって上手くいかなかった頃の私が、今の私
を見たら、
「なによ。そんなん贅沢な悩みやんけ。相手おるだけましやんけ。」
と、言い放つに決まっています。

そうかぁ。。。

今私は贅沢な悩みを持てているのかぁ。。。

それは、私は幸せなんだなぁ。。。

と。

しんどい時や、つらい時は、何かしらの準備段階なのかもしれないし、準備
は、更なる幸せに続く道程なのかなぁ。
準備をしなければいけないと考えるだけで、テンパッテいる私、ここは少し深
呼吸して、来た道を振り返って、そしてこれから行く道とその先々にまってい
る幸せの形をイメージしてみようかな。
そして願わくば、愛し愛されホクホク人生を歩んでいきたいと、思うわけです。

ある先輩カウンセラーが言いました。
「結婚準備はホンマ大変やったけど、あれはあれで、やって良かったなってす
ごい思うわ。いっぱい大変な思いして準備しとき☆」

「はい。分かりました」


きのかずよのプロフィールへ>>>

投稿者 csadmin : 11:44

2007年5月15日

●ジャンヌとおじいさんとアンパンマンのマーチ

「そうだ、生きるよろこびを感じることなんだ」

その言葉に、隣にいる1歳半の娘が不思議そうな顔をして、僕を見た。
リビングでは「アンパンマンのマーチ」が流れている。
先日の休日でアンパンマンミュージーアムに行って以来、娘の大のお気に入りの
曲だ。
この曲を聴きながら、僕は休日での出来事を思い出しながら、強くそう思った。


休日には、東京に滞在していた。
日中、妻が用事があるため、僕は娘といろんなところに遊びに行った。
その日は、上野動物園に行ったあと、僕自身がどうしても行きたかった
展覧会に娘を連れて行く事にした。
それは、画家のモディリアーニと妻ジャンヌの悲劇を二人が描いた絵と
ともに紹介する展覧会だった。

モディリアーニはようやく絵が認められはじめた時に、若くして
病に倒れ、帰らぬ人となってしまうが、
妻のジャンヌはその48時間後に自ら命を投げ出してしまう。
そのジャンヌが、亡くなる直前に描いた、悲しいまでの数枚の絵。

この展覧会の話を知った時、なぜか僕はジャンヌの最後の絵が
どうしても見たくなり、迷ったあげく、この日足を運ぶことになったのだ。

娘は幸いなことに、会場に入っても、ごにょごにょ囁いてくるだけで、
静かにしていてくれた。
僕は足早に、二人の生い立ち、出会いから順に並べられた絵と解説を
見て回り、ついに、そのジャンヌが描いた最後の絵までたどり着いた。
しかし、よく見る間もなく、そこで娘が大声を出して泣き出したのである。

ああ、飽きちゃったんだな、と思い、一端、出口付近まででて、
娘をなだめ、ご機嫌になったところで、もう一度、展示室まで戻った。

でも、やっぱり最後の絵の前までくると、娘は大泣きするのである。
3回繰り返したが、同じなので、僕は、絵を見るのをあきらめて
外へでた。

こんなに惹かれてきたのに、わざわざ何のためにここまできたのだろうと
がっくりと肩を落として会場を後にした。


東京から帰ってきて、我が家に帰り、娘と遊んでいる今、ふと、その時の
ことが思い出されてきたのだ。
娘のリクエストで「アンパンマンのマーチ」をかけながら、思いは続いた。

そういえば、あの日は、もうひとつ心に残る出来事があったのだ。

展覧会に行く前、上野動物園を出た後、有名な西郷隆盛像の前を通りかかった折
に、
突然、おじいさんが、「娘さんを抱いて、そこに立ちなさい」と声をかけてきた
のだ。
どうやら、手に持ったポラロイドカメラで僕たちを撮影してくれるらしい。
最初、僕は、それを売りつけるつもりではないかと疑った。
しかし、娘が、妙に乗り気だったので、それならそれでいいや、と写真を取って
もらったのだ。
すると、おじいさんは、ニコニコしながら写真を渡してくれ
「僕はもう82歳になるけど、ここで、幸せな家族の写真を撮るのが
趣味なんだよ」といった。
その純粋な気持ちに感激するとともに、おじいさんを疑った自分をとても
恥ずかしく思った。娘に、おじいさんにバイバイをしてもらい、その場を
後にしたのだった。
その写真は、とてもよく撮れていた。まるでおじいさんの心を現すかのように。


それを思い出した時、僕の心で3つのピースが組み合わさった。

モディリアーニの後を追って命を絶ったジャンヌが後世に伝えた最後の絵
年老いても、他の人々の幸せを喜べる人生を生きるおじいさんの写真
そして、アンパンマンのマーチの歌詞

「アンパンマンのマーチ」は、作者でもある、やなせたかしさんの詩で、
こう歌っていた

そうだ うれしいんだ 生きる よろこび
たとえ 胸の傷がいたんでも

展覧会を後にする時、出口にモディリアーニとジャンヌのお墓の写真が
飾られていた。
僕は、せめてこの写真に敬意を祓いたいと、娘と一緒に手を合わせたのだ。
娘は祖母の影響で、仏壇で手を合わせて拝むことができるようになっていた。
その時、同じように手を合わせて、娘は頭を下げた。

僕はそのために展覧会に行ったのではないか。絵を見るためではなく、そのため
に。

「そうだ、生きるよろこびを感じることなんだ」


池尾昌紀のプロフィールへ>>>

投稿者 csadmin : 12:00

2007年5月12日

◇“ナチュラリズム”にこだわる。

ホームページをよくご覧頂いている方にはおなじみかと思いますが、心理学に
は「投影」という言葉があります。
自分の内面を外に映し出す現象のことで、例えば「彼がいなくて寂しいな」と
思いながら街を歩いていたら目に付くのは、なぜか仲の良さそうなカップルば
かり、というのも、そんな投影現象の一つです。


だから、その論理で行けば、自分が見ているものの全ては、自分の心の状態を
映し出していると言えるんですね。
すなわち、カウンセリングを通じて僕が見ているのは、ある種お客さまの中に
映し出される僕自身の像と言えるわけです。

そうすると、僕がどこに行きたくて、どんなものを目指していることも分かっ
てしまうし、僕が話してることを累積すれば僕がほんとうはどんなキャラなの
かも余すところ無くバレしまうというわけです。

以前、とても常連なお客さまが日ごろ僕にいじられている仕返しとばかり

「根本さんって、あたしのことをいつも情熱の女とか、ほんとうはお祭り女と
か言って笑ってますけど、それってほんまは自分のことなんじゃないですか?」

と鋭いツッコミを放たれた事がありました。

思わず心臓が止まりそうになると同時に背筋に冷たいものがひた走り、さらに
は彼女のパートナーに深い同情を覚えたものでした。
(そういう的確なツッコミをピンポイントで堂々とする彼女を持っている彼は、
きっと僕以上に鋭い指摘にあっているはずですからね!)


彼女の言うことが真実かどうかは別として(笑)、そんな風に僕が普段発して
いるメッセージを募っていけば、今の僕自身を知ることにも、自分自身へのア
ドバイスにもなりうるわけです。

最近もパートナーシップに関するご相談が多いのですが、ある日は朝から晩ま
でセックスレスのご相談が続いたことがありました。
その中で僕は

『セックスというのはいかに愛し、愛されるか、というプロセスだと思ってい
 いんですよ。それは体だけじゃなくて、心も同じ。どうパートナーに自分を
 愛させますか?そして、どうパートナーを愛しますか?』

という話をみんなにしてたんです。

状況は人それぞれ全然違いますし、性格も相手の状態も皆違うわけですから、
当然アドバイスも違って来ます。
実際、より具体的な点や原因などについてはそれぞれ別個のお話をさせていた
だいているんです。
でも、共通点というか、同じような話を要所要所に出てくる不思議。
さあ、これは誰に向けたメッセージなんでしょうね???と自分にツッコミを
入れたくなるわけです。

すなわち、「パートナーをどう愛するか?どう愛させるのか?」という共通点
があるとすれば、僕もまた同じようにそれを学ぶ時期に来ていると考えられる
わけなのですね。
だから、カウンセリングを通じて、お互い、一緒に学び、成長していくんだと
思っています。


さて、さらにそれを拡大し、カウンセラーとしての経験に思いを馳せれば、僕
の人生のテーマが何であるかも分かってくるんじゃないかと思ったんです。

それって何だろうな〜?僕がずっと伝え続けてることって何だろうなあ?と振
り返ってみれば、どうやら「自分らしさを実現すること」を非常によく扱って
いるようです。

『恥ずかしさや怖れを越えて、自分らしく、自然体で生きましょう!
 それが一番楽でかつ幸せを受け取りやすい状態なんですよ』

という話をよくさせてもらってるんです。
確かに、それは僕も自分自身で意識していることで、僕はそれを敢えて

 「ナチュラリズム」

と呼んでいます。

自分が一番自然な状態になったときに、関係性だってきっとうまく行くんです。
そして、心は非常に楽な状態で、かつ、とても元気で笑顔になれるんです。
そうした生き方がナチュラリズムというわけです。


僕は本質的には情熱的なところもあると思いますが、一方でシャイで人見知り
で無愛想なところも大いにあるんですよね。

でも、そういうのを無理に繕ってもしんどいだけだから、できるだけ、シャイ
な部分をシャイのままに素直に出してしまおうと思うわけです。
そのほうが自然体で、きっと周りの人も、ワークショップに参加して下さる方
も居心地よく、楽に過ごせるはずだから・・・と。
でも、それはそれで難しいんですね。
つい固くなったり、嫌悪したりもするんです。
でも、それもナチュラリズムのままに、それで良いよ、と許し続けるんです。


うちの奥さんとか身近な人とか常連さんが「根本さんってかわいいですよねえ」
なんて赤恥的発言をされるんですけれど、よくよく聞いてみれば、そういうシ
ャイな部分などの素が見えたときに、そう思えるらしいんです。

確かに誰でもその人の自然で素の顔が見えたら「かわいい」と感じるものかも
しれませんね。


こんなことを書いていると非常に恥ずかしくて汗をかいてしまうのですが、
皆さんは普段、どんなことを友達や家族に話しているのでしょうか?
その場その場の思い付きだったとしても、それを脈絡として捉えてみると、
案外、今の自分を教えてくれるものかも!

根本裕幸のプロフィール>>>

投稿者 csadmin : 07:43

2007年5月 8日

●一緒にやっていくこと〜二人でひとつ〜

こんにちは。きのかずよです。
すっかり初夏を思わせる陽気になってきましたね。
この陽気と同じく、私も心陽気に過ごしていきます☆

先日彼氏が転勤に伴う引越をし、私の荷物も半分くらい入れたので、その片付けと掃除を一緒にしていました。
引越前の彼の部屋は1Kと、学生がひとり暮らしするような、かなり狭い部屋でしたが、少々田舎に転勤になったので、同じ家賃くらいで3DKの部屋を借りる事ができ、広々と暮らせるはずでした。
なのに、、、荷物が片付かない。。。
全てと言う訳ではないのですが、洋服が全く収まりきらないのです。

収納スペースは押入れ2間分あるにも関わらず、さらに私の洋服はまだ1枚も持ってきていないのにです。

あまりの服の多さに、私は憤りを感じ、、、
「なんであんたの服を私が片付けないかんのんじゃぁ〜」
と、半ばやっけのパッチになって片付けていました。
そんな私の気持ちを知ってか知らずか、
「あ、そのシャツ¥30,000くらいのを¥10,000で買ったやつ。そのジャケットは確か定価¥90,000くらいを¥30,000くらいで買ったんだよねぇ〜。やっぱり僕は買い物上手だねぇ。」
と、服を一枚一枚手に取る毎に
「あ、それいくら。」「これいくら。」と、説明してくれ、しかもそれが私の買い物基準価格と一桁二桁違うので、はらわた煮えくり返っていました。
「捨てるには惜しい物ばかりだなぁ・・・想い出もあるし。きのちゃんの服は持ってきても入らないねぇ」

プッチーン

「えーこのシャツは1枚¥30,000ですかぁ。ほほう。このマーガーレットさん(マーガレットハウエルのシャツ)が、どんなステキな方かは存じ上げませんが、うあはり自分の収入に見合う買い物の仕方と言うものをしていただきたいですねぇ。ここにあるマーレットさんやポールさんギャルソンさんたちに貢いだ総金額を考えると鳥肌が立ってきますねぇ。私にあげる指輪のひとつやふたつ簡単に買えちゃいますねぇ。、、、30過ぎの男が貯蓄ゼロで、しかも仕事で使う機材を女に買ってもらう始末。ナサケナイ。」

と、出るわ出るはの嫌味の数々。

「・・・だから、これはきのちゃんと出会う前の買い物でしょ。今はそんなに買ってないし。
きのちゃんは、安っぽい服ばっかりやし、しかもダサイ。田舎くさいし。いい歳なんだから、ちゃんとした服をちゃんと着ないと社会で浮くよ。」

と、逆襲され、お互いに譲る気ナシかと思われた瞬間

「ちゃんとこれからは、お金の事考えていくし、貯金もするし、今まで使いすぎていたことは、ちゃんと理解しているし、きのちゃんといると、なんか将来はお金持ちになっちゃうような気がするし。こうやって感じている事はっきり言ってくれたらいいから。」

なんて、言われたものだから、私もすかさず

「私は洋服の買い物が苦手で、センスないのも知っているし。でも、スタイル悪いし。何きても田舎くさくなるけど、りょーちゃんが一緒に選んでくれるようになって、少しずつ苦手克服出来てる気がするし。こらからも、一緒に服を選んでくださいm(__)mところで、この一年でいくら貯める予定?」

「とりあえず、、、100くらい。」

「はぁ、何新卒の新入社員が言うような額を目標にしてるの(怒)」


こんな感じで、1日1日二人で一緒にやっていく事を学んでいます(^^;
2人で一緒にって、難しいですね。
思った事を言い合って理解し合って自分を省みてお互いを思いやる。これが当たり前だけれど、二人で一つの世帯をもつ初心者の私達には重要なんだと感じています。

きのかずよのプロフィールへ>>>

投稿者 csadmin : 12:00

2007年5月 5日

◇〜鬼平犯科帳に魅せられて〜

向井 康浩僕には近頃ハマってるコミックスがあります。時代劇でタイトルは「鬼平犯科
帳」。池波正太郎さんが書かれた小説を原作にして、ゴルゴ13でおなじみの
さいとうたかをさんが、わかりやすい劇画にされた作品です。

では、鬼平犯科帳の舞台となる時代背景と、登場人物・主人公の長谷川平蔵と
平蔵が長官として先頭に立つ取締所の「火付盗賊改方(ひつけとうぞくあらた
めがた)・・・以下:火盗改め(かとうあらため)」についてご紹介します。

時は、18世紀末頃の江戸が舞台。徳川幕府は、十代目の将軍が世を治めてま
した。将軍の名は家治(いえはる)。大きないくさが途絶えて二百年近く平和
が続きます。平和が続く中にも、日照り続きの干ばつや、農作物がとれない飢
きんが相次ぎます。また、将軍を補佐するサポート役の前老中の施政が思わし
からざるものだったこととも重なりました。この家治の時代にあらわれた老中
は、「寛政の改革」でおなじみ松平定信でした。世情は、どちらかと言えば常
に波立つ、落ち着かない状況でした。

平蔵が長官を勤める火盗改めは、江戸や江戸以外でも押し込み強盗など悪事を
働き、終えたら手の届かないところへ逃げるすばやい動きをする、ずる賢い狡
猾(こうかつ)な無宿・無頼者専門の役所でした。交代々々で江戸の町民の平
和を守る北町奉行所や南町奉行所でカバーしきれない所を、時間のかかる手続
きを抜きにして取り締まる権限を与えられ、俊敏性と機動力に長けたスペシャ
ルチームのような存在でした。それだけに、手柄を真っ先にあげ続けられた北
町・南町奉行所からは常に、ねたみやしっとの対象にされ続けた側面もあった
ようです。

主人公の長谷川平蔵は、複雑な生い立ちを経た四十三歳の男性として登場しま
す。徳川将軍家直参(じきさん・・・直接将軍家に仕える)の侍・旗本の長谷
川家五代目伊兵衛宣安(いへいのぶやす)の三男坊が、平蔵の父親・宣雄(の
ぶお)でした。旗本家の当主は長男(六代目に就く)が継ぐのが慣例で、兄弟
がたくさんいて勤め口がない場合には、養子縁組に出されたり、生涯勝手(一
生何もしない)のまますごすことも多かったようです。宣雄の兄にあたる次男
坊は、縁組で他家に婿へ行きましたし、宣雄は何もすることがありませんでし
た。そんな中、宣雄は長谷川家の奉公人女性・お園とねんごろになり、産まれ
た子供が平蔵でした。宣雄は侍を捨て、平蔵と共にお園の実家で過ごします。

長谷川家五代目伊兵衛宣安のあとを継いだ六代目の長男がなくなり、あとを継
いだ七代目にあたる、伊兵衛宣安のいとこの修理(しゅり)も亡くなると、宣
雄は長谷川家の八代目当主として呼び戻されました。宣雄は呼び戻されるにあ
たり、修理の妹・波津(はつ)をめとることとなり、お園と別れました。しか
し、平蔵は幼少のためそのままお園の家に残ります。お園は落胆のあまり程な
くこの世を去り、平蔵は十七歳までお園の家で過ごします。また、平蔵はお園
の顔を知らぬまま大きくなります。

十七歳になった平蔵は、ある日父親の宣雄から長谷川家の九代目跡継ぎ当主候
補として呼び戻されます。宣雄と波津の間には、子宝に恵まれず、家を残すた
めの苦渋の決断でした。家を次ぐのが長男が慣例の中、長男が当主を勤められ
なくなった時だけ、兄弟や縁者が継ぐ・・・平蔵もその一人でした。

慣れない武家の作法や強要・武芸を身につける中、ウサを本所深川の享楽街通
いで晴らしました。街を仕切る無頼者にぐぅの音も出ない程、売られたケンカ
も滅法強く、今風に言えば常に一目置かれた豪快なプレイボーイで、武家のし
きたりや常識からは大きくはみ出したやんちゃなワルでした。そんな生活を六
年続けたのち、平蔵は二十三歳で長谷川家を継いで九代目当主となり、将軍家
に仕えながら四十二歳の秋、半年間の任期の約束で一時的に任じられた火盗改
め長官を翌年の春、退きます。ところが平蔵の後に来た後任の長官が役に向か
ず、一旦退いたこの年の四十三歳の秋、再び火盗改めの長官として任ぜられま
す。物語の多くは、この二度目の長官就任からの捕物帳がメインです。

刃向う無頼者達には容赦なく「鬼平」の異名をとる平蔵も、配下の同心達には
情や義理にあつく、「おかしら」と呼ばれて親しまれ、常に弱い立場の人たち
の心に寄り添える優しさを持つ男性です。また見所がある者や悪に徹し切れな
かった者を協力者(転向者)として召抱え、探索にあたらせる器量を持ってま
した。

平蔵の、深く大きな懐を持ったキャラクターは、青春時代に享楽街へ通いつめ
手のつけられないワルを繰り返すことで知り尽くした、世事の表事情・表に出
ない事情が取り締まりに活かされてるというのですから、人って・・・自分の
生きてきた道がいつ、どこで、どんな形で花開くか、わからないものですね。
僕もそんな平蔵に魅力を感じ、自らの来し方と重ね合わせながら「鬼平犯科帳
」を読んでます。

とっても傷ついた、悔しかった、悲しかった体験もあった。でも、その経験が
人の内面を広げたり深めたりして、人を支える優しさにつながったり、弱さを
受けとめられたりする形で役に立ったり、花咲かせることもあるのですよ。

悪党をこらしめるヒーローが活躍するストーリーは、ハッピーエンドの結末が
予想されても、ついつい最後まで見てしまう。ハラハラ・ドキドキ・イライラ
しながら、ス〜ッと胸の仕えがおりたような感じ。もしかすると僕達は、登場
人物と一緒に感情のカタルシス(浄化)を身近に、手軽に出来る手段として痛
快・明快な、勧善懲悪のストーリーを好むんでしょうね。

だから、わかっちゃいるけど、やめられない(笑)。


投稿者 csadmin : 09:57

2007年5月 1日

●心の中に誰かを入れる時

先日母方の祖母が亡くなりました。祖母は私が大学生ぐらいのときに、認知症
の症状が始まり、引き取ってしばらく一緒に同居していました。

当時の私は頭の中では祖母が認知症と理解しているのですが、心では理解でき
ずにきつく当たってしまったこともしばしばありました。

その後、運良く老人ホームに入ることが出来、ホームの方もとてもよくしてい
ただいていたのですが、体調を崩してからはどんどん症状がひどくなって、こ
うなると、娘である母が行ってもわからなくなり、一人では食事も取れない状
態にまでなっていました。

そんな状況で、最後の最後まで祖母に優しくする機会を失ってしまったような
気がします。本当はお見舞いに行っただけでも、その思いは通じているのかも
しれませんが、心の中ではごめんねの気持ちの方がいっぱいだったのかもしれ
ません。


祖母が亡くなったとき、私はちょうど旅行中でした。家族が気を使ったのか、
全て式を済ませてから私のところに連絡が来たんですね。


その連絡を受けて、祖母が亡くなったと言うとても悲しくショックな気持ちと、
ちょっと寂しい気持ちがありました。祖母が亡くなったところで、すぐに行け
るかわからないけど、家族なんだからすぐに連絡してくれても良いのにと。

そこで、思い出したことがありました。「役立たず」とか「自分がいなくても良
いんだなぁ」と言う感情です。

子供の頃の私は、(というよりも、つい最近までなのかもしれませんが)いつも
この感情と一緒でした。「私がいなくても誰も何も困らないし、悲しくもない」
と言う感じですね。存在していても存在しなくても誰も何も気が付かない感じ
です。


今でも覚えている出来事があります。高校生の時、父方の曾祖母が亡くなった
時の事です。
喪主である父、その妻である母、跡取りである弟は遺影を持ったりして家の代
表として前の方を歩くことになりました。

どう見ても、人手はそこまでで、自分は余っているなぁと思った私は、自分は
どうしたら良いのかと聞くと、「後ろから祖父(母方の)と一緒に歩いてきなさ
い。」と言われました。

もう、「が~ん!!!」と言う感じですよね。やっぱり家族じゃないんだぁ。そ
う感じるには十分です。

今思えば、気を使ってきてくれた祖父を一人にしておけないから、その役目と
して私を信頼して任せてくれたのでしょう。でも、子供時代から「自分は必要
ない」と思って生きてきた私には、奈落のそこに落とされたような一言でした
ね。


どうしてそこで、私を信頼してくれて任せてくれたんだ。って思えなかったん
でしょうね。心理学を学んだ今、誰が誰を遠ざけていたのか(^^;
痛感します。

「役立たずで必要のない自分」を証明し続けてきたのは当の私自身でした。
これに気が付かせてくれたもの、最後までかかわってくれる友達に出会えたか
らと言うのが大きいかもしれません。

私にはそんな友達がいないわ。と思っている一人の人生を選んでいる方もご安
心ください。
私もそう思っていました。でも、そんな友達はいつの時代にも自分の側にいた
んです。ただ、私自身が顔を上げていなかっただけなんですね。
顔をあげたらそこにはずっと私に関わり続けてくれるお友達がいました。
ずっと居てくれたんです。

私はただ、その人たちを心の中に入れるだけでした。
もちろん、とっても勇気が要りましたよ。でも、一番信頼できる人からゆっく
りと順番に時間をかけて入れていたんですね。

どうなったかわかりますか?真っ暗で冷たかった心の中は春の日差しのように
温かになりました。氷はゆっくりと溶けていったんです。不思議ですよね。心
の中に入れてみると、世界は今までとはまったく違って見えるんです。誰かと
何かを共有できるって新しいパワーももらえたりするんですよね。お互いに。


こんな変化を思い出させてくれたのは、祖母からの贈り物なのかもしれません
ね。控えめだけど優しい祖母でしたから。天国で祖父と伯母と再会しているこ
とを祈っています。

渡辺晴美のプロフィールへ>>>

投稿者 csadmin : 12:00