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2006年11月29日

●プラド美術館展にて

先日、ずっと楽しみにしていたプラド美術館展に行って来ました。
私が一番楽しみにしていたのは、ムリーリョ・バルトロメ・エステバンの「エル・エスコリアルの無原罪の御宿り」です。
今回はこの絵について、皆さんにお話したいと思います。

中央に一人の女性が描かれています。
女性がまとっている青いマント(青は天国と真実の象徴で、魔除けの色です)、足元の三日月、天使が手に持っている白い百合・・・から女性が聖母マリアであることがわかります。
黒目がちな丸い目をして上を見上げています。
丸いアーチを描く細い眉、筋の通った鼻、赤く染まった頬、小さな口、赤い厚い唇、白い肌・・・をしています。
白い服を着て、両手を左胸の前で合わせています。
左腕にはマントが巻かれ、右と足元へ向かって流れています。
足元には、白い百合を持った天使の他に三人の天使がいます。
そのうちの一人は、バラのようなピンクの花を持っています。
上にも左右に三人ずつの天使がいます。
この絵は、柔らかな暖かい光にあふれています。

私はこの絵を、陶板名画で有名な大塚国際美術館で観たことがあります。
その時、なんてきれいな絵なんだろうと思ったことを今でも覚えています。
私には、この絵が光り輝いて見えました。
他の絵とは違う何かを感じていたように思います。
新聞でこの絵を観た時、大塚国際美術館で観たあの絵だとすぐにわかりました。
その新聞記事には、この絵がプラド美術館展に出展されることが書かれていました。
「あの絵がまた観られるんだ」と思うと、とても嬉しかったです。
その瞬間がとても待ち遠しく、またとても大切に心の中に仕舞っていました。

実物を観て、やっぱりすごいなあと思いました。
観る人を暖かく照らしてくれているような気がしました。
痛みや苦しみや悲しみの全てを包み込む、優しい絵だと思います。
私は、プラド美術館展に行くまでに、何度もこの絵を思い出しました。
その度に、この絵に描かれている光を感じていました。
その光を感じると、私は暖かい気持ちになりました。
この絵は、私にとってとても大切な絵です。

この絵の優しい暖かな光を背中に感じながら次の絵に進む時、この絵が背中を押してくれているような気がしました。
それは、まるで私を応援してくれる人達が、背中を押してくれるようでした。
私はこれからカウンセラーとしてやりたいこと、上田紘美個人としてやりたいことがあります。
それが本当に意味のあることなのか、それほど人の役に立たないのではないか・・・と考えて躊躇してしまうこともありますが、まずは諦めないでいようと思っています。
10年後をイメージして、一段ずつ階段を登って行こうと思います。
もし何かに挫けそうになったら、諦める前にあなたを応援してくれる誰かに話してみて下さい。
その人の思いが、あなたを支えてくれるかもしれません。
話しているうちに、何かいい方法が見つかるかもしれません。
もしかしたら、カウンセラーにお手伝いできることがあるかもしれません。
よかったら、ご相談いただければと思います。
応援しますよ。

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投稿者 csadmin : 12:00

2006年11月25日

◇パートナーシップの偉大さに触れる

先日、久々に実家に帰ってきました。

もともと帰る気はなかったのですが(笑)、奥さんにせっつかれて帰ったのです。
実家に帰るのが嫌なわけではないのですが、特に用事もないのに帰る必要もな
いだろうと思っていたのです。

奥さん曰く「みんなに会いたい」と。

会いたいという理由で実家に帰るという発想が僕にはなかったのでちょっとび
っくり。

まぁ、帰る理由もないけれど、帰らない理由もないということで二人して実家
に帰ると、いつものように母がかいがいしくお世話を焼いてくれます。(これ
は、結婚して外に出て奥さんに指摘されてから初めて気がつきました。)
そのうち父が帰ってきて、いつものようにマイワールドな話を始めます。
その後、兄が帰ってきて、仕事やら車やらパソコンやらの話に華を咲かせます。

儀式のように、いつも同じことが繰り返されます。
特段感動もなく、新鮮さもなく、いつものことがいつも通りに流れていきます。

その間、奥さんは、母の料理に感動して作り方を教えてもらい、父の話を面白
そうに聞き、僕と兄の話をニコニコしながら聞いています。

僕にとっては長年慣れ親しんだいつものことなのですが、奥さんは、それがと
ても楽しい時間のようなのです。

そして帰りにいつも僕にこう言います。

「よーちゃんは、家族みんなに愛されてるね」
「お父さんもお母さんもお兄ちゃんも、ほんとにいい人ね」
「楽しかったね。また遊びに行こうね!」

奥さんは、僕の家族をとても愛していてくれて、みんなのことを大好きだと言
ってくれます。

これは、僕にとって、とてもとてもうれしいことですし、ありがたいことです。

何十年も家族をやっていると、家族は当たり前の存在になってしまっていて、
家族のいいところよりも、アラに目が行ってしまいます。
そんな僕の代わりと言っては何ですが、奥さんは僕の家族のいい所を見て、愛
してくれます。

そういえば昔、カウンセリングの師匠がこんなことを言っていました。

「パートナーにとって、パートナーの家族というのは、パートナーと同じライ
ンだから愛しやすい。自分の家族に対しては難しいことでも、パートナーの家
族になら楽にすることができる。」

よくよく考えてみると、奥さんが、奥さんの家族に対して「ムキ−ッ!」とな
っているようなことでも、僕にとってはそんなふうには感じなくて、奥さんに
接するのと同じ感じで楽に接することができます。

こうして、お互いがお互いに苦手なところを楽に補い合えるというのは、パー
トナーシップの偉大さの一つだと思います。
1+1が2以上になるパートナーシップって、とっても素敵でありがたいこと
ですよね。


投稿者 csadmin : 11:35

2006年11月21日

●代車が僕に教えてくれたこと

先日、車を修理に出しました。

修理に数日かかるということで、代車を貸してくれることになりました。
その代車は、濃いグリーンのボディに、要所要所に上品なメッキのモールがあしらってあります。
内装は革のシートで、明るいベージュで統一されたインテリアで、いかにもイギリスのメーカーが作った車だなぁという印象でした。

この代車がやって来た時、僕のハートは高鳴りました。
初めてというのは、ドキドキとワクワクが入り混じりますよねぇ〜

胸を高鳴らせながらその車に乗り込み、エンジンをかけると、「!?」
「これはディーゼルエンジンか?」というほどの雑な振動と、遮音材を通して漏れてくるノイズ。
真剣に壊れているのかと思いました。。

走り出そうとしてハンドルを切ると、「!?!?」
少しスピードを出すと「!?!?!?」

パワステも足回りもグニャグニャなんです。。。

うちの車とはメーカーも車種も違うので当たり前といえば当たり前なのですが、その違いにすごく驚きました。

決してよい態度ではないと思いつつも、その車を運転しながら僕は助手席に乗る奥さんに、その車の悪口を言いまくっていました。

一言でいうと、気に入らなかったんですね。
期待に胸を高鳴らせた分だけ、落胆の気持ちが悪口となって出てきます。

そして、僕は気づいてつくづく思いました。
うちの車って、すごいいい車なんだって。
そして、それをめちゃくちゃ気に入ってるんだって。

うちの車は結構な車齢なので、今の車ほどに静粛性は高くありません。
内装のデザインも、機能的ではあるけれど質実剛健という感じです。
ハンドルもアクセルも重たくて、奥さんは時々不満を口にします。
燃費は悪いし、ガソリンは入れにくいし、部品はいちいち高いし…

だけど、他の車に乗ってみて、よ〜くわかりました。

切った分だけ曲がるステアリング、踏んだ分だけ利くブレーキ、そんな当たり前のことが全然当たり前でないこと。
調子伺いを兼ねていつも耳を済ませていたノイズも、決して不快な音ではなかったこと。(そういえば、それを聞くために、わざわざカーステレオのボリュームをオフにしてました)

「こんなにいい車に乗っていたなんて!」

僕にとってはそれは大きな驚きでした。
そして、うちの車が帰ってくるのを指折り数えて心待ちにしていました。

後で気づいたのですが、僕が代車に乗って本当に言いたかったのは、その車の悪口ではなく、うちの車がいい車で、それをとっても気に入っているということだったんです。


そういえば、今回の出来事以外でも、似たようなことをしていることに気づきました。
「これがいい」と言う代わりに「あれはダメ」と言ったり、「あれが欲しい」と言う代わりに「こんなものいらない」と言ったり…

まだまだ本当に言いたいことをうまく言えてないんだなぁということを知る出来事となりました。


ちなみに、「ナントカは3日で飽きるけどナントカは3日で慣れる」ではないですけど、その後その代車に何回か乗るうちに、ブルブルいいながら一生懸命走る車に愛着を持つようになり、「これはこれでいいっか♪」と、ゴキゲンで乗っていましたとさ。

最後になりましたが、車に興味のない方や車のことがよくわからない方、ゴメンナサイ。最後まで読んでくださってありがとうございました。


投稿者 csadmin : 12:00

2006年11月18日

◇空

先日、初めて東北の地に足を踏み入れてきました!

私の知っている日本と言えば、南は九州から北は東京まで住んだことがあり、
旅行では日光が最北の地だったんですね。

ですから、それ以上北の地域と言うのは、「学校で習ったところ」なんですよ

その割りに目的地の位置関係がさっぱりわからずに、いたのですが・・・(^^;


と、前フリばかりが長くなってしまいましたが、宮城県の北の方まで行ってき
ました。

仙台から電車で更に3時間。旅行下手の私には、ものすごい時間です(笑)
前日に仙台に泊まり、朝早く出発し、途中からあるローカル線に乗ったのです
が、ちょうど朝日が昇ってくる時間帯にぶつかったんですね。

その電車から見える風景は、大きな建物もなく、ほとんどが田んぼです。
景色が360℃見渡せるほどなんですよ。

ですから、朝日がどんどん大きくなって登って行く様をじっくりと眺めること
が出来ました。
でも・・・・。太陽はといえば、空と地面が大きいだけに、遥か向こうに見え
るんですけどね(^^;

何より、お天気も良くて、すごく空がきれいです。何よりおっきいんですよ!
まるで、空が大きくなって「今まで知っていた空」を包み込んでいる感じです
ね。色も青々としていて、ただただ、その大きさに心を奪われていました。


高村光太郎の智恵子抄で智恵子は

「東京には空がないと言った」

とありましたが、こんな空を毎日眺めていて、これが当たり前の空だと感じて
いたならば、東京の空は、きっと空間に作り出された物の様に感じたのかもし
れないなぁ。
学校の教科書で読んだ時は、そこまでとは思いませんでしたが、なんだか、納
得してしまいますね。

本物の自然ってこんなに大きいんだ!
と言う事を実感しました。
朝だったので、余計に綺麗だったんでしょうね。

でも、もしかしたら、子供時代に見ていた空は、こんな風に大きかったのかも
しれませんね。

その後も、その大きな自然の中を電車で抜けて行くと、これまた教科書に出て
きた(笑)北上川の上を通過です。
大きいですねぇ。何しろ、教科書に出ているくらいですから(^^)ゞ

多摩川に比べると、かなり深い感じです。ここでは、子供時代なら、怖くて泳
げそうに無いですね。。。。

市場にも連れて行ってもらったのですが、今と言う時間をちゃんと生きている
人たちが、いっぱいいた感じでした。生かされているわけでもなく、生きてい
ない訳でもない。
自分が与えられている今日をめいっぱい生きているような活き活きさが、朝の
市場でいっぱい輝いていました。

寒かったけど、とても、癒された時間を過ごすことが出来ました。


渡辺 晴美のプロフィールへ>>>

投稿者 csadmin : 11:56

2006年11月14日

●幸せなパートナーシップ  〜手放す手放す手放す〜

東京感謝祭も終わった所で、今回の講演でもお話した「幸せなパートナーシップ」について、もっともっとお話してみようと思います。

当時、私は長続きしない恋愛の数々、失恋の連続、仕事にも燃えつきかけ、人間関係も表面上のお付き合いの寂しさを感じ、健康も崩していました。
口癖は、「何か良い事ないかな?」の連続。

人生のにおいて八方ふさがりで、出口を求めてるけど、どの方面からも出られず、そんな自分自身の内面を話せる人もいないし、もしかすると、自分自身が自分を一番わからないぐらい、見失っていた時期だったのかもしれません。

そんな私が雑誌で見つけた無料カウンセリングの案内に目がとまり、それはそれは勇気を振り絞って電話をしたあの日。今でも覚えています。
初めて面談形式のカウンセリングに行った日も、昨日の事のようです。

あれから、私の人生は大きく変わりました。
と、今では言えると思います。
数年先、数十年先の未来に行ってこそ、過去が見えるんだなーって思うからです。

カウンセリングを受けた次の日、振られた彼から一枚の葉書が届いていました。
「また前のように普通に会えるようになるといいんだけど」と書かれていました。
今なら、カウンセリングの効果のすごさを受け取れた事や、それを与えてくれたカウンセラーの先生に感謝してやまないはずなのに、その時の私は、何が起きているのか受け止めきれず、その葉書を無視してしまった失敗も忘れない事の一つです。
でも、その時の私は、「普通に会うってどういう事?」と悩み、それを先生にもすぐに相談できるほどの勇気も持てずにいました。
それから約10ヶ月、今度は、燃え尽き健康にも不影響を与えていた仕事を手放しました。

私が当時していた仕事は集中治療室の看護師。
助ける人が、ハードワークの結果、一番助けを必要とする人になっていました。
先ずは、私自身が心と体の健康を取り戻す事、それが私の課題でした。
そうする事が、やがて人を助ける道に戻ることになると、先生は教えてくれました。
仕事を手放して、生活はどうなるのか?
その後、仕事は出来るのか?
数々の不安は山盛りありました。

やめる事をやめようと、何度も何度も先生のカウンセリングを受けました。
カウンセリングを受ければ受けるほど、心は癒されるので、やっていける気になってしまうのです。でも、忙しい職場に適応できるだけの回復は、もはや難しい状態でした。
ある日、先生が、「気持ちはわかるけど、今やめないと死ぬぞ。」と、言ってくれ決心がつきました。
私は今、カウンセラーをしているので、このように人の人生に大きく影響を及ぼす言葉を発する事がどれだけ大変な事か知ったので、今では先生が命の恩人のように感じています。
これからも私の心のメンターであってもらいたいと思っているし、いつでも相談できる先生がいてくれる事が、私のお守りのようにもなっているのかもしれません。

そして、責任問題をすぐに考えてしまう私は、まだまだ未熟だなーって自分をごまかしたくなります。だから、それほどまでに強い絆を作れるカウンセラーの師として、私の追い続ける大きな目標です。

仕事も手放した私、何にも考えず寝て休養をとるだけの日々が始まりました。
でも不思議な事に、退職したすぐ後に、またもや彼から葉書が届きました。10ヶ月癒した私は、今度は無視することなく、起こっている事を把握し、その対応を相談できる先生もいる心強さを持ち、次に進む準備が出来ていたようで、今度は電話がかかってくるようになったのでした・・・ 
手放して手放しって本当にすごいの巻きでした。                 


投稿者 csadmin : 12:00

2006年11月11日

◇豊かさと流れ

何の縁があってか最近、ある億万長者の方と行動を共にすることが多くなって
います。

この方のパーソナリティはすごすぎて簡単には語れないのですが、わかりやす
いところで言うと、150キロのベンチプレスを軽々と上げられる肉体を持った、
学者さんです。要は、心身共に洗練された成功者なわけです。

彼は学者さんなので論文は読みこそすれ、本屋さんに売られている自己啓発本
のようなものはほとんど読みません。すでに成功していますし。

でも、僕はそういった類の本をよく読むからわかるのですが、彼の哲学、考え
方はそれらとほぼ一致しているんです。

お金のことは考えないとか、やりたいことをやるとか、人に頼めるものは人に
やってもらうとか、自分への投資は怠らないとか・・・。

そういった数々の語録?を伺う中、先日、僕にとっては斬新な考え方を一つ聞
きました。それは、

「人生はなるようにしかならない。それを受け入れること」

というものです。

これをビンボーな人が言っていたとしたら、それは諦めムードのようなものに
聞こえますが、相手は億万長者です。だから、ちょっと突っ込んで聞いてみた
んです。すると、

「一人ひとりにやってくる人生の波のようなものは、どんなに抵抗しても無駄
 だから、受け入れてベストの選択をするほうがよい」

ということらしいのです。
う〜ん、深いなぁ・・・、と考え込んでいると、その人がポツリと言いました。

「でも、世の中にはいい波が来ているのに動かない人って多いんだよね。あれ、
 なんでなんだろう?」

・・・多分彼にとっては、人生の中にある流れを読むことは当たり前なのでしょう。
だから、豊かになってゆくことは自然なことだったのかもしれません。

ただ、その流れに乗るための行動の中には、少なからずリスクを取るような場面
もあったことでしょう。そのリスクを取ることが冒険なのか、無謀なのか。それ
を理解するのは難しいのかもしれません。

冒険と無謀さって、紙一重だと思います。

なんのあてもなく時間や労力を費やして何かにチャレンジするのは無謀ですが、
失敗を恐れすぎて行動に移さないと、人生が滞ってしまいますからね。

人生を豊かにするための秘訣を聞けたような気がします。
あとは実力だなぁ・・・(笑)。


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投稿者 csadmin : 01:44

2006年11月 7日

●「19世紀絵画の巨匠たち バルビゾンから印象派」展にて

この美術展では、バルビゾン派と印象派の画家たちの作品を楽しんで来ました。
その中から特に印象に残った絵について、皆さんにお話したいと思います。

ジャン=フランソワ・ミレーの「食事の支度をする若い母親」は、膝の上に小さな子供を抱いて、子供をあやしながら食事の支度をする母親の様子が描かれています。
鍋からは白い湯気が出ています。
何を炊いているのでしょうか?
母親は、白い服の上に落ち着いた緑の服を着ています。
緑の服の袖からは白い袖が、襟元からは白い襟が少し見えています。
レンガ色のスカートを履いて、茶色の椅子に腰掛けています。
子供は男の子のようで、茶色の服を着ています。
左手を母親の左足の上に置いています。
機嫌はあまりよくないようです。
それでもかわいらしいです。
母親は笑顔で子供に何か話しかけているようです。
もしかしたら歌を歌ってあげているのかもしれません。
母子の微笑ましい姿が描かれていて、観るとほっとする絵でした。

次に、ピエール・オーギュスト・ルノワールの「カリフラワーとザクロ」です。
艶やかなカリフラワーとザクロ・・・光っています。
私の知らないカリフラワーとザクロがそこにはありました。
でも、もしかすると収穫したばかりのカリフラワーとザクロは、こんなふうに輝いているのかもしれないなあと思いました。
こんなふうにきれいに描いてもらえたら、カリフラワーとザクロも嬉しいだろうと思います。
私はカリフラワーを見ると、亡くなった祖父がカリフラワーを好きだったことを思い出します。

最後に、クロード・モネの「ポール=ドモワの洞窟」です。
この絵は、残念ながら京都の会場では観られませんでした。
でも、絵葉書を買えたのでよかったです。
洞窟の周りは海です。
海藻がたくさん生えていそうな海です。
ブルーの海に緑色が見えます。
とても穏やかな海です。
夕日を浴びて、洞窟が赤く染まっています。
夕日は描かれていませんが、赤い夕日が見えてきそうな絵です。
洞窟の中はどんなふうになっているのでしょう。
洞窟の中から夕日を見たら、洞窟が額縁のようになってきれいだろうなあと思います。
観ていると他のことは忘れてしまいそうな絵です。

私は美術展に行くのが好きです。
作品を通していろいろな世界を楽しんでいます。
今回のように絵を観てほっとしたり、「こんなきれいなカリフラワーとザクロは見たことがない!」と驚いて感心したり、何もかも忘れてただ絵に夢中になったりします。
そして、人の手で創られたものだということに感動します。
人って本当にすごいなあと思います。
私も人に喜んでもらえる、いいことをしたいなあと思っています。

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投稿者 csadmin : 12:00

2006年11月 3日

◇自分を誉めるって? 〜汗と涙の実践編〜

カウンセリングでいろいろなお話をさせていただくのですが、「もっと自分を
誉めてあげてくださいね」というお話をさせていただくことがあります。

そういったお話をさせていただく人達というのは、とってもやさしい人達なん
ですね。そのやさしさを自分以外の人達には使うことができるのですが、自分
自身のために使えていない状態で、しんどくなってしまっていることが多いん
です。

その人達が、自分自身のためにやさしさを使えなくなってしまっているのには
、それだけの事情や理由があってそうなってしまっているのですが、そういっ
たところを説明させていただいた上で、「もっと自分を誉めてあげてください
ね」というお話をさせていただきます。
その人が、やさしさに包まれるために。


「自分を誉める」

これって、すごくシンプルで簡単なようなのですが、実際にやってみると結構
難しかったりします。

「それができたら悩まないよ!」と言われればそれまでなのは重々承知してい
るのですが、敢えてそのように提案させていただくんですね。

それでも提案させていただくからには、それなりの覚悟と気合が必要です(笑)


自慢じゃありませんが、僕自身も自分を誉めるのは得意ではありません。
そんな僕が、自分でやってもないのにそんなことを言うわけにはいきません。


やってみてどんな感じなのか?どうやったらうまくできるようになるのか?や
ってみてどれだけ効果があるのか? それを知らずに言うわけにはいきません

というわけで、前から密かに実践しているのですが、「言うは易し行うは難し
」の言葉どおり、実際やってみるとなかなか難しいものです。

「がんばったね!」「えらい!」

声に出して言うほどに、虚しくなります(笑)

しかし、ここでやめる訳にはいきません。なぜなら、僕は、どうしてもこれを
お話したいのです!

そんな思いとは裏腹に、やってもやっても虚しくて、全然自分を大事にできて
いる実感はありませんし、「がんばった」とも「えらい」とも思えません。

何度もめげそうになったり、時にはやらなかったりもしたのですが、自分のこ
とを棚に上げて検証もせずに「自分を誉めてあげてくださいね」と言うのが心
苦しくて、半分ヤケになりながらでも続けざるを得ない状態が続きました。

その後、どうにも埒があかないので、僕は、奥さんに聞くことにしました。

僕:「俺って、がんばってる?」
奥さん:「うん、すごくがんばってるよ(^-^)」

残念ながら、奥さんに言われてもなかなかそう思えず、上記のような会話が何
十回何百回と続きました。

そのたびに奥さんは言い切ります。

「うん、すごくがんばってるよ(^-^)」

いつの間にか「何だかな〜この人は…」と思いつつも、いい気分になっている
自分に気づきました。
僕のがんばりを奥さんに認めてもらっていると感じられて、それがうれしかっ
たんです。

僕が喜んでいるのを見て、奥さんも喜んでいます。

奥さんは、僕のがんばりを認め続けて誉め続けてくれて、それを僕が受け取っ
てくれたのが嬉しかったようです。

その喜びようを見た僕は、再びやる気を取り戻し、自分で自分を誉めるという
ことにチャレンジし始めました。

「今日も一日がんばったね!えらい!」

自分で言うのと同時に、これまで何百回も聞いてきた奥さんの言葉も聞こえて
くるような感じがしました。

すると、思えたんです。

「俺、今日、よくがんばった」って。


それからの僕は、自分を誉めてあげることが面白くなって、事あるごとに自分
を誉めています。
それを続けるうちに、奥さんの力を借りなくても、自分で自分を誉めてあげる
ことができるようになりました。

で、検証結果です。

・自分で自分を誉めてあげて、それを受け取ることができるようになると、自
分で 自信を持つことができるようになります。そして、何かをする意欲を持
つことができるようになり、積極的になります。
そして、もっと自分を大事にしたいなという気になります。

・自分を誉めてあげることができる分だけ、他の人のがんばりや、誉めてあげ
たいところを見つけることが上手になります。
 誉めてもらった時の喜びを知っているので、他の人をどんどん誉めてあげた
くなります。

・自分以外の人から誉めてもらったのを受け取るほうが楽で早いかもしれない
(笑)

時間はかかりましたが、ようやく自分でできるようになりました。そして、そ
の効果も体験することができました。

これでようやく胸を張ってお話をすることができます!!!


以上、 「もっと自分を誉めてあげてくださいね」 これを言うためだけに、
こんなことをしている奇特なカウンセラーのお話でした。


投稿者 csadmin : 10:36